私は基本的に自分本位で行動する人間だ。人に迷惑をかけず自分勝手に物事を進める性格は、個人研究者としては型に嵌っている方だと思う。かといって協調性がないという訳でもない。
進んで人に関わろうとしないだけで、誘われれば付き合いだってするし、困っている人にもできる範囲で協力する。
積極的に人付き合いをしていないのは、ぶっちゃけ面倒くさいからだ。
なんでも一人でこなしてきた。それでも人間、一人で生きてはいけないのは当然で。
しかし私にはジャンボがいた。相棒がいたから今までやってこれたのだ。
そう、私たちは常に二人三脚だった。
私はポケギアの画面を見てため息を吐く。
通話送信履歴、メール送信履歴共に三ヶ月以上前のものが最新の時点で相当な物臭だと我ながら笑ってしまう。
仕方がないと、不本意ながら私は履歴を埋め尽くす友人の名前を選んで、久々に呼び出し音を耳にした。
数コールもしないうちに、グリーンの『もしもし?』という声が聞こえてくる。
「今大丈夫?」
『構わねえよ。お前からの電話なんて珍しいじゃねーか。どうした?』
「うん。ちょっとお願いがあるんだ」
あのね、と一泊置いて、私は次の言葉を発した。
「助けて」
言葉にしてたった三文字。それのどこがおかしかったのだろうか。
通話口の彼は声を聞いているだけでも焦っているのが丸分かりで、どもりながら『どどどどうした!?』と返してくる。その様子に失礼だが面白いと感じてしまう。
「力を借りたい」
『おうよいいぜ何でも言ってくれ!!』
「具体的には君の相棒の力を」
『…………なんだ、ジャンボ絡みか』
そんなあからさまにがっかりしたような声で言わなくても。さっきから吃驚したり落ち込んだり忙しない奴め。
『で、俺がそっち行けばいいのか?』
「こっちがお願いする立場なんだから、向かわせていただきますよ」
『って言っても、今から下山したら着く頃には夕方になっちまうぞ?』
「その点はご心配なく」
『ご心配なくってお前……まさか、今どこにいる?』
「セキエイ高原上空」
『すでにこっち向かってんのかよ!?』
「もうすぐ着くよ」
段々と近づく街並みを見ながら足元に向けて同意を求めれば、私を背に乗せたアルディラが「グォオオオ!」と吼えた。
◇
トキワシティ中心部に建つマンション。築3年と真新しく8階建て、家賃は通常よりも桁が一つ多くお高めな仕様。お値段それなりに、コンシェルジュ付きその他諸々設備充実と、単身者向けにしては豪華な造りになっている。
そこへ私は躊躇いなく足を踏み入れて、持っていた合鍵でエントランスの中へ入った。目的の階まで上り、各階ワンフロアの贅沢な扉の前に立てば、チャイムを鳴らす前に扉が開かれる。
呆れた顔で出迎えられるも、気にせず私は片手を上げて挨拶をした。
「やぁ」
「5分と経ってないのにマジで来やがった……」
「手土産持ってきたからこれで許せ」
上げた片手をそのままグリーンに突き出して、掴んでいた袋を受け取ってもらう。中身を見て顔を顰めるグリーンを無視して、私は家主よりも先にあがりこんだ。
「男の独り暮らしなんだから、片付ける時間くらい寄越せってんだ」
「君の部屋いつ来ても綺麗じゃん」
リビングのソファーに倒れこんで早々に寛ぎだした私の背後から、グリーンが飲み物を持ってやってくる。
それを受け取って喉を潤した私は、手土産の入った袋を持って再びキッチンに戻った彼の背に投げかけた。
「グリーン、明日のご予定はー?」
「昼からジム」
「大学はー?」
「必要なコマはないから行かないつもり」
「じゃあゆっくりできるねー」
「それは俺じゃなくてお前のことだよな?」
あーあー聞こえなーい! と鼻歌を歌いながらリモコンを手に取る。
今度はテレビに釘付けになった私に向けて、グリーンが言い放った。
「泊まる気かよ」
「おや、彼女でも来る予定だったかい?」
「んなもん出来てたらお前に鍵渡すか!」
「なら問題ないね」
「……レッド、遠慮って言葉知ってるか?」
「それこそ今更じゃん」
宣言どおり、勝手知ったる他人の家とばかりに振舞う私。そもそも合鍵を持っている時点で別宅も同然なのだ。
私が仕事で山を降りて宿泊しなければならない際、実家に帰れない私に避難場所として彼が部屋を提供してくれたのが切欠だった。おかげで今ではお互い自由に家を行き来できる仲だ。勿論、グリーンもうちの鍵を持っています。
ちなみにお泊りセットなんていりません。必要なものは貸し借りできるし。普段はお互い手ぶらが基本です。身軽が一番だよね。
じゃあ着替えはどうするのかって? それも借りればいい。
私の服は男物。グリーンも当然だし、サイズも同じもので十分着回しが可能だ。
下着はね、さすがに新品をお互いの家にストックしてあるからそれを使ってる。最悪私が降りてきた時はコンビニで買えば済むし。
トランクスを。
……男性用下着を着用して何が悪い!? 別にいいじゃない、今は結構いるんだよ、女性でもトランクス穿いている人! というか、私は前世からずっと下着はトランクス派なんだ!!
さすがに子供の頃はもこもこの女児用パンツを穿いていたさ。でも旅に出るようになった5歳から自分で衣服を買い揃えることになって、私は真っ先にトランクスを求めて服屋に走ったね。懐かしいなあ。
「寝る時だけジャージ貸してー」
「それはいいけどさ、肝心のジャンボの姿が見えねえんだけど」
隣に座ったグリーンが周囲をきょろきょろと見回しながら言う。隠れている訳でもなさそうだと判断したのだろう、「遅れて来るのか?」と再度問うた彼に向けて、私は腰から一つのボールを取り出して見せた。
「ここ」
「……………………は?」
「だから、モンスターボールの中」
私が持つボールをまじまじと見つめるグリーンの顔はわかりやすく驚愕に満ちていた。挙句、「ジャンボのボールなんてあったんだな……」と零す有様である。
失礼な。ちゃんと私のポケモンとして登録してあるのだから、あるに決まってるじゃないか。
ボールを見せただけで全く出そうとしない私に、グリーンが躊躇いながら「怪我か?」と訊ねてきた。それと同時に、グリーンの腰から一匹のポケモンが出てくる。
どうやら主人の許可なく出てきてしまうほど、親友であるジャンボを心配してくれたみたい。不安そうな顔でこちらを見上げる彼女の頭を私は笑顔で撫でた。
「心配してくれてありがとう。怪我とかじゃないから安心して。ちょっと精神的にまいっちゃってるだけで、重症って訳じゃないんだ」
「キュウ……」
「今回は私じゃこいつの力になれないから、君が傍にいて慰めてほしいんだけど。頼めるかな?」
お願いすると、任せろと言わんばかりに気合を入れた返事が返ってきた。ありがとうと告げて縮小させたボールを渡せば、口に銜えた状態で別室へと歩いてく姿を見送る。研究室にある自分専用の寝床に連れて行ったのかな。
これで相棒は大丈夫だろう。私は肩の荷が降りたとばかりに一息つく。それを見計らったように、グリーンが「それで?」と促してくる。
「うちの相棒貸してやったんだから、きちんと説明くらいはしてくれるんだろうな?」
ご尤もな意見である。
私はソファーに添えてあったクッションを抱きかかえて、肘掛に頭を転がした。
「えーとですね……グリーンはリンのこと覚えてる?」
「リンって、ペラップのことか? 確かジャンボの娘だろ」
「そう、そのリンちゃんです」
なんと、旅に出ちゃいました! わー、ぱちぱちー。
ちょっとでも明るくしようとおどけて言ったのにも関わらず、またもやグリーンは口をポカンとあけて固まってしまった。
突っ込みなしの自演とかマジむなしくて悲しくなるから。ちょっとは反応して。
目の前で手をヒラヒラと振って見せれば、邪魔だとはたかれた挙句、特大の溜息を頂きました。
「もう、なんだ……どこから突っ込めばいいのかわからん」
「さっきみたいに目の前でボケたタイミングでお願いします」
「真面目に話す気あるのかお前は……!!」
これでもかといわんばかりに両頬を思いっきり抓り上げられる。これ痛い、めっちゃ痛い、私頬筋まったく動かないんだから耐性ないんだってえええ!!!
解放を求めれば受け入れてもらえず、仕方なく謝罪を追加すればやっと魔の手から逃れることができた。私はひりひりと痛む頬を抑えて唸る。
うー……これ絶対赤くなってるよ。くそう、グリーンの緑鬼野郎ー!
口には出して言えない。だって報復怖い。あいつ地味に痛いことしてくるから敵にまわしたくない。
仕方なくじと目で睨むもまったく意に介さず、グリーンは話を戻した。
「娘バカのジャンボがあれだけ落ち込むのはわかるとして、お前が何もフォローできないってのはおかしいよな?」
さすが鋭い。これにはちゃんとした理由があります。
私は以前、リンから大きくなったら旅に出たいと打ち明けられたことがあった。それから一年間、私からは詰め込められるだけの知識を、ジャンボからは身を守る術を叩き込まれた彼女。念願かなって先日、私から家を出る許しを得たのはいいのだが。
「問題は、それをジャンボが知らなかったってことなんだよね」
私はてっきり聞いているものだと思ってた。そもそもリンからは「内緒」って口止めされてたし。
相棒からすれば、突然「旅に出る!」と言い出した娘に、重ねてとんとん拍子で進んでいく旅の準備で混乱する一方だったのだろう。「いってきまーす!」と元気よく家を出て行った彼女を、呆然とした顔で見送るジャンボの記憶は未だ新しい。
問題はここから。玄関先で立ち尽くしたかと思いきや、突然私の部屋に走って自分のモンスターボールの中に閉じこもってしまったのだ。
勿論、説明しようと何度もボールから出したが執拗に戻られてしまう。途方に暮れた私は暫く様子見に徹したのだが、ご飯の時間にボールから出してもいらないとまた戻ってしまうし、仕舞いにはいくら話しかけてもうんともすんともいわない。完璧なお手上げ状態である。
「さすがに三日経ってこのままではマズイと、駆け込み寺に向かったという訳です」
「人の家を何だと思ってやがる」
「まあそんな訳で。ジャンボは娘が旅に出たショックと、自分だけ知らされていなかった疎外感に落ち込んで引きこもっていると考えられます」
おそらく今彼に必要なのは暖かい言葉。それも自分の大好きな人からのものだ。
自惚れじゃないけど、本来なら一番適している私が今回は何故か裏切り者ポジションにいるので手も足も出ない。本当に、どうしてこうなったし。
たぶんね、ジャンボは何の疑問を浮かべることなく自分の技術を娘に教えてきたんだと思う。まずシロガネ山という環境からして、あそこに住む以上強くなることは必須だったろうし。なにより自衛は大切。
更にいえば、あの子は半年前に特異体質が発現したせいで、余計に力のコントロールを覚えなければならなくなった。そのおかげで旅に出るリスクも減ったといえば、降って沸いた幸運とも取れるのだが。
ジャンボの特訓にそれはもう力が入ったね。あの娘もよく必死についてきてたと思うよ。
それだけ努力した結果を、私は評価してあげたかった。なによりも、あの娘の夢を叶えさせてあげたかったんだ。だから旅に出ることを許可したというのに。
「あのさ、根本的なこと聞くけど」
「はいはい、なんでしょう?」
「どうやったらポケモンであるリン一匹で旅ができるんだよ」
「誰が一人と言いましたか?」
「じゃあ一緒にいるそいつのポケモンって扱いになんのか?」
「形式上はね。立場は思いっきり逆だけど」
「どういうことだ?」
私は言葉に詰まり言いよどむ。いくらグリーンでもこれには答えられない。
すまん親友、私にも守秘義務ってものがあるんだ。
何とか誤魔化そうと考えるも、やはり何も思い浮かばず最終的に黙る私を見て、グリーンの方が折れた。
「言いたくても言えないって顔だな」
「あーいや、その……ぐ、グリーンがポケモン協会の要職に就いたら教えてあげられるよ?」
嘘は言っていない。
しかしながら冗談にしか聞こえない私の答えに、やはり彼は「何だそれ」と吐き捨てた。
「しかしまあ、話を聞く限りジャンボの療養には時間がかかるっぽいな」
「だね。ご迷惑おかけいたしますが、よろしくお願いしまーす」
「んじゃ、買い物いくぞ」
立ち上がったグリーンが私の抱えていたクッションを奪って、代わりにサイドテーブルに置いてあったサングラスを握らせた。
はて、いきなり何ぞや?
不思議に思って見上げれば、今度は無理やり立たされる。
「暇な時間は有効活用。滅多に下りてこないんだから、こういう時こそ必要なもの買い足しておけよ」
いや、最近はそうでもないんだけどね。と内心だけで答えつつ、私はおとなしくグリーンに手を引かれて部屋を出た。
なんだかんだで世話焼きな友人と過ごすのは、人付き合いの苦手な私でも十分に楽しめる稀有な出来事の一つなのだ。
明記しておくのを忘れていてすみませんでした。
ジャンボの娘の名前は感想にてご意見下さったdy様から頂きました。
バイリンガルから取ってリンガル、愛称はリンです。
dy様ありがとうございました!