いつから、期待することをやめてしまったのだろう。
生体兵器としての生き方を強要されてからか。
宇宙一の殺し屋と言われるほど、沢山の命を奪ってからか。
――あの笑顔が、私の前からいなくなってからだ。
生体兵器としての日常は、私の表情から感情というものを欠落させた。
――だから、いつもへらへらと笑っている彼を思い出すと殺意しか湧かなかった。
生体兵器として強要された肉体強化は、私の体に確かなものとして蓄積されていった。
――それなのに、唯一勝ちたいと切望する彼には全く勝てるイメージが湧かなかった。
生体兵器として標的の命を奪い、返り血で身を穢す日々が、私に与えられた存在意義だった。
――だからこそ、野良猫のように自由気ままに生きる彼が羨ましくて仕方がなかった。
生体兵器としての私を生み出した
――故に、
私は生体兵器だ。
私は殺し屋だ。
私は化物だ。
生体兵器に感情は不要だ。
殺し屋に必要なのは命を殺める術だけ。
化物と彼とでは生きる世界が違う。
だから、彼と過ごした時間は不要なものしかない。
野良猫のように、自分が望むがままに送った日々など。
一緒に読んだ本の楽しさも、一緒に食べた甘味の美味しさも、一緒に飲んだ牛乳の爽快感も。
彼といた時間の全ては、実にくだらないものでしかないのに。
栄養補給にと口にした携帯食を食べると、彼と一緒に食べた甘味の味を思い出してしまう。
命を殺めようとする瞬間、彼の笑顔が脳裏を過り、途端に躊躇してしまう。
幸せそうに遊び回る子供達を見る度に、自分と彼の姿を彼等に重ねてしまう。
私は生体兵器だ。
私は殺し屋だ。
私は化物だ。
だったら、どうしてこんなにも苦しいんだ。
だったら、どうしてこんなにも悲しいんだ。
だったら、どうしてこんなにも心が痛いんだ。
こんなに辛いのなら。
こんな想いをするくらいなら。
こんな気持ちになるくらいなら。
――私は、あなたと出会いたくなかった。
◆ ◇ ◆ ◇
金色の闇ことヤミについて、美柑が知っていることはそう多くはない。
口数が少なく、表情が乏しい、それでもたい焼きを頬張る時は幸せそうで、だけどいつもしかめっ面で牛乳を一緒に飲む、そんな少しだけ変わった、友達になった女の子。
自分のことを喋りたがらない故に、また美柑自身の年不相応な大人気質が、ヤミのついての情報を探ろうとすることをしてこなかった。
だからこそ、美柑は驚きが隠せないでいた。
――≪姫っち≫。
偶然会った男の子、トレインがそう呼んだ途端、変貌したヤミ。
驚愕という感情を顔に貼り付け、その視線はトレインにのみ注がれている。
「にしても、姫っち変わったな。仏頂面にですます口調もだけど、なによりもその服! 全身真っ黒にベルト巻き巻きってお前さん、そういうお年頃か! 今はいいかもしれないけど、年食うとベットの中でも悶え苦しむことになるんだからな! お兄さんは勿論そんなことないけど! なかったけれども!」
美柑やリトが息を呑む中、一人だけズケズケとものを言うKYが一人。
「ちょっと姫っち聞いておりますの! お兄さん破廉恥な恰好は許しませんよ!」
驚愕に固まるヤミに言い寄り、その手を伸ばす。
「…………へ」
「――――ぁ」
パシっと、乾いた音を立て、トレインの手が払われる。
固まるトレインだが、自分の行動にショックを受けるヤミの様子は彼からは見えない。
美柑が見守る先で、ヤミは俯き、拳を震わせる。
「……姫っち?」
「……今更、私に何の用ですか」
「いや、再会のハグでもしようかなと思いまして。はっ、これが世にいう反抗期……!?」
「はぐらかさないでください」
「それは姫っちもだろうが! アレか、お父さんとは洗濯物は別にしてってヤツか! スモールな俺は見た目子供だから加齢臭とかは無縁だよきっと!」
キッと、顔を上げたヤミはトレインを睨め付けた。
「どうしてですか!」
苛烈ともいえる、明確な感情の塊。
美柑もリトも、普段のヤミとはかけ離れて様相に、静止の言葉が出てこない。
「どうして! 今更のように私の前に現れて! マイペースにズケズケと! 人の気持ちも知らないで! 何で私の前に現れたんですか!」
吐き出す言葉は癇癪。
振り乱された頭髪が空を舞い乱れ、次第に感情のうねりとなって変貌していく。
≪
ヤミを宇宙一の殺し屋たらしめる、変幻自在の異能。
腰まで伸びた金髪を拳状に固め、唖然とするトレインに目掛けて振り下ろした。
「私の前から――消えろ!!」
死んだ――。
そう思ってしまったのは、暗殺対象であるリトに放ってきたものとは比べものにならないほどの規模、威力を誇った一撃だったから。
立ち込めた粉塵の中、クレーターのように陥没した地面が、先の攻撃の威力を物語る。
「トレイン君!?」
「――呼んだか?」
「うひゃあ!?」
「ちょいと失礼」
宙に浮かぶ感覚の後、仰ぎ見た先にあったのは、無傷のトレイン。
美柑を横抱き――俗にいうお姫様抱っこ――にし、スタコラサッサとその場を離脱。
別のシチュエーションなら赤面ものだが、慌てて首元にしがみ付いた美柑にはそんな余裕は勿論ある筈もなく。
「えっ、ちょ、トレイン君大丈夫なの!」
「いや、大丈夫じゃねぇよ。マジどうしよう反抗期説は濃厚です」
「いやいや! そんなことは今はどうでもいいでしょ!」
「ミカンに年頃の娘を持つ男の気持ちなんて分かるわけねぇだろ! この先に待ってんのはゴミでも見るような眼で、トレインの洗濯物と一緒に洗わないでルートなんだぞ!」
「トレイン君子供だから関係ないよね!?」
「見た目は子供だけど頭脳っつーか中身はいい年してんだぞ俺は!」
意味の分からぬことを言うトレインは、そのままどんどん人気のないところへ。
周囲の喧騒が聞こえない、そんな場所になってようやく足を止め、美柑を下ろす。
「ふぅ、此処まで来ればとりあえずは大丈夫だろ」
「……ねぇ、今更なんだけどリトは?」
「リトって、美柑の親しげだったあの兄ちゃん?」
「親しいっていうか、私達は兄妹なんだけど……」
「それなら問題ねぇよ」
直後、霞むような速さで懐から何かを引き抜くと、死角から飛び出し、前方に腕を突き出した。
「わぁ!? オレだオレ! だから撃たないで!」
「こんな風に、逃げる前に落ち合う場所だけ言っといたって訳。にしても兄ちゃん、結構早かったな。流石は地元民」
「……オレからすれば、美柑を抱えた君の方が早く到着してたのがびっくりだよ。後、オレのことはリトでいい」
「俺も君じゃなくてトレインでいいぜ。でもまぁ、ミカンがもうちょっと重くなきゃリトも抱えていけたんだけどな」
「トレイン君って本当にデリカシーがないよね」
「惚れるなよ、火傷するぜ?」
「うん、絶対に有り得ない」
下らない軽口は、それだけで緊張を解してくれる。
故意なのか、天然なのか。ヤミへの言動からして恐らくは後者だろう。
「トレインは、これからどうするんだ?」
「消えろっていうから消えてみたんだけど……許してくれると思う?」
「本気で許してくれると思ってるなら、トレイン君って大物だと思う」
「だよなぁ……」
嘆息を零し、どうすっかなぁとトレインは膝を折って頭を掻いた。
かと思えば、すぐさま立ち上がり、手に持った装飾銃で肩を叩く。
真っすぐぶれることのない決意の眼差しに、否応なく美柑の視線が惹き付けられる。
「取り敢えず、面と向き合って話し合って見るわ」
「いやそんな無茶な!? だったらオレが最初に説得を――」
「今なら言葉の代わりに拳が飛んでくるぜ? そうなったらリト、あんたは対処できんのか?」
「……今更だけど、ヤミさんと知り合いってことは、トレイン君って宇宙人?」
「うんにゃ、地球生まれの地球育ちだ」
「宇宙人だろうが強かろうが関係ねー! トレインみたいな子供に全部背負わせて、オレだけ見て見ぬフリなんて真似できない! 泣きそうなヤミを前に黙って見てるだけなんてできる訳ないだろうが!」
食ってかかるリトもまた、本当に真っすぐで。
自分には持ちえない気質に、こんな時だというのに羨ましく思えてしまう。
どうせ無理だ、今の自分の言葉なんて届くわけない。
無意識に零れる言い訳に自嘲染みた笑みが零れ、俯く美柑の頭に、無遠慮に置かれる掌に思わず頭上を仰ぐ。
「問題ねぇ。今の姫っち程度なら、俺一人で十分だよ」
だから大丈夫、落ち込まなくていい。
こちらの心を見透かす、金色の瞳が緩み、口元が弧を描く。
見る者を安心させ、大丈夫だと信じ込ませる、そんな力がトレインの笑顔にはあって。
「俺が届けんのは幸福だ。不吉を届ける黒猫の分も皆を幸せにするって決めたんだから」
そう言って頭を下げるトレインに、リトが折れるのはさして時間がかからなかった。
◆ ◇ ◆ ◇
見渡しの良い河川敷で、両者は対峙する。
「せっかく消えてやったってのに、姫っちは一体俺にどうしてほしいわけ?」
「…………」
殺意が形を持ち、場の空気を圧迫する。
明確な憎悪に表情を歪ませるヤミを前にしても、トレインの軽口は止まらない。
「私が望むことはただ一つ、あなたの完全な消滅」
「つまり、一生引き篭もってろと?」
「いいえ、例え辺境の惑星に監禁しようとも生温い。あなたが存在していることが、私には許容できない。生死が曖昧だった今までさえ、心休まる時は一日だってなかった」
頭髪を拳状に。
両手を鋭利な刃物へ。
背中から伸ばした翼を硬質化させ。
己の持ちうる攻撃手段の全てを、標的へと向ける。
「トレイン=ハートネット。あなたは私の手で始末する」
「出来もしねぇことは口にするもんじゃねぇぞ?」
「減らず口を……!」
一斉掃射。
翼の羽が、拳が、多量の弾幕となってトレインへ殺到。
躱すことなど叶わない筈が、ヤミは立ち込める土煙へ向けて駆け出す。
そのまま、土煙から飛び出してきたトレインに、振り被った腕を叩き付ける。
≪ナノスライサー≫。
極小レベルまで薄く研ぎ澄まされた刃。
防御しようと翳された装飾銃ごと断ち切ろうとして、
「なっ!?」
ガキンと音を立て、≪ナノスライサー≫の一閃が阻まれる。
「悪ぃが、俺の≪ハーディス≫は特別製なんでね」
傷一つない装飾銃。
様々な戦場を駆け抜けてきたヤミでさえ未だ出会ったことのない神懸かったトレインの銃技に対応することから、普通の銃ではないと思っていたが、これほどの強度を誇ろうとは――。
即座に距離を取り、背中と腕から生やした羽を掃射。
壁のように殺到する≪
そこを縫うように進み、近寄ってくるトレインに、ヤミの中で焦りが募っていく。
≪桜舞≫。
星の使徒と呼ばれた組織の頭を務めた最強最悪の道使いでさえ、最後まで捉えることの叶わなかった、達人でも会得するのに10年はかかるという無音移動術。
ヤミは知らない、知る由もない。
世界を牛耳る秘密結社を、≪
仲間の助力を願えないトレインは、敵の技術を盗み、己のものとすることで、彼等に対抗した。
例えスモール化し、全盛期の力がなくとも、身についた技術がなくなった訳ではない。
長剣≪クライスト≫を振るい、≪アークス流剣術≫を極めた女剣士。
担い手の心に反応し、成長する≪幻想虎徹≫を操る星の使徒のリーダー。
彼等と比べ、激情に任せて闇雲に力を振りかざすヤミの何と取るに足らぬ存在であろうか。
潜ってきた修羅場の質が、戦闘経験値が、全てが、トレインには遠く及ばないのだ。
「はぁ……はぁ……」
≪
≪桜舞≫をやめ、なおも余裕の態度を貫くトレインは徐に懐を漁り、取り出したサイズの合っていないサングラスをそのまま装着。
身構えるヤミの前で、ヤミの大嫌いな笑みを浮かべ、ヤミの大嫌いな軽口を吐き出す。
「似合う?」
「ふざけないでください!」
やれやれと肩を竦め、広げられた掌で転がる二つの白球。
デフォルメされた猫のイラストが描かれたそれらを握りしめ、
「そいや!」
そのまま真下へ叩き付けた。
途端に発生する閃光と煙幕。
昼間の河川敷を、それらは瞬く間に侵食し、視界は完全な零へ。
しかし、そこは宇宙一の殺し屋と謳われる金色の闇。
寸前のところで閉じた瞳によって閃光の効力は半減、次いで髪を扇型へと≪
轟音と閃光。
一条の光がすぐ傍を通過するのを理解したのは、ヤミでさえ暫くの時間を必要とした。
生物の知覚できる限界を超越した、防御不可の一撃必殺。
――≪
目の当たりにした威力に戦慄するヤミだが、同時にチャンスだとも思った。
≪
この煙幕の中、トレインとて狙いを外してもおかしくはないだろう。
≪
頭髪を拳状へ≪
「残念、はずれ」
「っ!?」
背後から飛来する装飾銃。
咄嗟に≪
まるで磁石のように引き戻され、それがグリップ部分から伸びるワイヤーの仕業だと気付いた時には、全てが遅かった。
「本当はそっちがはずれだ」
トレインは、正面から突き進んでくる。
閃光に煙幕、≪
戦闘中にも関わらず浮かんだトレインの不敵な笑みが、ヤミの逆鱗に触れる。
「負ける……もんかぁ!」
伸ばした髪を引き戻し、トレインの背後への死角攻撃。
直撃を確信したヤミの前で、空中へ飛び上がったトレインは引き戻した相棒を掴み取り、その勢いのまま回転。
装飾銃≪ハーディス≫に備わった爪を解き放った。
「≪
刹那の間に刻まれた、四筋の爪痕。
≪
負ける――。
そう思って放たれた手刀は、単なる悪足掻きでしかなかった。
「終わりだ」
手刀を掻い潜り、振りかぶられた装飾銃。
振り下ろされる終幕の一撃に、ヤミは≪ハーディス≫の名の由来である冥府の神を幻視した。
「トレイン君、ダメ――――!!」
目を閉じたヤミの耳に、美柑の叫びが届く。
「ていっ」
「~~~~~~~~っ!!」
ごんっ。
重い音が頭上に鳴り響き、瞼の裏が真っ白に染まる。
あまりの痛みに声もでず、ヤミに唯一出来たのは頭を抱え蹲ることだけ。
痛みは治まらず、視界は涙で滲み、そしてようやく戦闘中であることに気付いて。
慌てて頭上を見上げたヤミは、懐かしい光景を目にした。
「へへっ……俺の勝ちだな、姫っち」
そこにあったのは、笑顔だった。
昔と変わらない、変わってしまった自分とは違う、変わることのない不変の笑顔。
まるで太陽が降り注ぐみたいに、トレインの笑顔は、冷え切ったヤミの心を温める。
気付けば浮かんだ、痛みとは別の涙が、ヤミの瞳から溢れ、零れ落ちていく。
「…………トレイン」
「ん」
「……トレイン……トレイン」
「おう」
「トレインっ」
「なんだよ、姫っち」
堰き止めていたものが外れてしまったみたいに、零れる言葉を止める術はなかった。
差し出された手を握り、立ち上がったヤミはトレインの背中に両手を回し、力一杯抱き締めた。
「どうして、いなくなったんですか」
「…………」
「どうして、私を置いていったんですか」
「…………」
「どうして、私も連れて行ってくれなかったんですかっ」
もう、失いたくなかったから。
目の前にあるのに、次の瞬間には消えてしまうのではないのか。
あの時のように、何も告げずにいなくなってしまうのでないか。
そんな恐怖を拭うように、伝わるぬくもりを離さすように。
縋りつくヤミに、トレインは黙ってされるがままで。
「ただいま、姫っち」
それだけで、救われた気がした。
帰ってきてくれたんだと、心の底からそう思えたから。
だからこそ口に出た言葉。
唐突に消えてしまったトレインに言えなかった、ヤミの想い。
「……おかえりなさい、トレイン」
届いた気持ち。噛み締める幸せ。
黒猫が運んだ幸福を、ヤミはただただ感受するのだった。