外付けオリ主で問題児   作:二見健

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第三話

 色々あって、色々あって、色々あった。

 夜行彦一が怪我で発熱。寝込んでいた間のことである。

 

『ペルセウス』のルイオスに虚仮にされたらしい。

 かつての『ノーネーム』のメンバーであるレティシアという金髪ロリ吸血鬼が『ペルセウス』に所有されており、ルイオスは彼女が欲しければ黒ウサギを差し出せと言っている。

 

 自己犠牲でその身を差しだそうとした黒ウサギ。

 引き留めようとした飛鳥と耀。ついでにジン。

 

 カッとなって言い争いになってしまい、全員謹慎処分になっていた。

 

 謹慎中とはいえずっと部屋に籠もりっきりで生活できるわけではない。食事は子どもたちが部屋まで運んできてくれるから問題ないが、流石にトイレや風呂に行くときには部屋から出なければならない。

 

 湯上がりで肌を上気させた久遠飛鳥は、談話室のソファに腰を沈めて書物を広げている夜行彦一を発見した。

 彼の隣にはキツネ耳の少女、リリがいる。

 

(絵本でも読んであげているのかしら?)

 

 少しはいいところがあると感心した飛鳥だったが、一応彦一は病み上がりである。

 発熱して二日間も寝込んでいて、今朝方やっと熱が引いたところだ。無理をすればまた熱がぶり返すかもしれない。今晩も早めに寝ておいた方がいいだろう。

 

 念のために注意しようとした飛鳥は、彦一が広げている本が絵本ではないことに気付いた。

 

 分厚い本である。

 ページはずらずらと文字で埋め尽くされており、間違っても子どもの読み物ではない。

 

 彦一がページをめくると、異様な押絵が現れた。

 

「ちょっと、何よそれ……?」

「うわっ」

 

 彦一が飛び上がるように顔を上げた。

 その様子を漠然と眺めていた飛鳥は、彦一が驚いていることに驚いた。

 

「見えていたけど、まさか声をかけられるとは……こういう予想外もあるのか」

「失礼ね。たしかに今まで大した話はしてこなかったけれど、それがずっと続いていくわけではないでしょう?」

「……そりゃそうだが」

 

 飛鳥が近くにいるという光景は見ていたが、無言で立ち去ったと勘違いしていたのだろう。彦一のギフトは『映像』であって『音声』ではない。本人は欠陥だらけと言っていたが、なるほど、そうかもしれないと飛鳥も思った。

 

「で、その絵は何なの? 子どもの教育によくないと思うのだけれど」

「ああ、ケートスのことか?」

 

 彦一が押絵に目を戻す。

 

 そこに描かれていたのは異形だった。

 頭部は犬のようで、前足が突き出ている。後ろ足はない。胴体はイルカのように腹が膨れている。

 

 飛鳥は思わず口元を押さえた。ただの絵なのに生理的な嫌悪感を催してくる。

 

 彦一は笑い飛ばした。

 

「画家の思惑通りの反応だな。怖くない怪物の絵を描いてどうするんだよ」

 

 言われてみればその通りかもしれない。

 怪物をカンバスに叩き付けたら必然的にこうなってしまうのだろう。恐ろしくなければ、それは本質からかけ離れていると言うことだ。

 

「それで、そのケートスという怪物がどうかしたの?」

「なんだ、興味があるのか?」

「ええ、とても興味深いわ。病み上がりのあなたが、わざわざ書庫から本を運んできて、こんな夜中に目を通している。いいえ、調べているのかしら。何らかの理由がなければ、そのようなことはしないはず。違うかしら?」

「いいや、違わない」

 

 彦一が本を閉じた。

 

「まぁ何にせよ」

 

 キツネ耳の少女が彼の肩にもたれかかって船をこいでいた。

 

「続きはこいつを寝かしつけてからだな」

 

 初対面で銃をぶっ放し、魔王とやり合い、狙撃手を撃退した。

 かと思えばこのような一面を見せることがある。

 

 夜行彦一とは一体何なのだろう。

 

 リリを抱っこして談話室を後にする彦一を見送りながら、飛鳥はわけがわからないと首を左右に振った。

 

 

 

 

 

 

 

『ペルセウス』のような歴史や力のあるコミュニティでは、伝説を再現するようなギフトゲームが催されることがある。

 特定の条件を満たしたプレイヤーにのみ、ギフトゲームの挑戦を許すという。

 

「それって、まさか!」

「幸い『ペルセウス』は二十年間この制度をそのままにしていたようだ」

 

 彦一が語ったのは勝負したがらない者を土俵に引きずり出す方法だった。

 これなら黒ウサギを人身御供に差し出さずにレティシアを取り戻せる。

 

「この特定の条件ってのが問題でな」

 

 興奮の色を見せる飛鳥だったが、反面彦一の顔色は思わしくない。

 

「『ペルセウス』への挑戦権を得るためのギフトゲームは『グライアイ』と『ケートス』の試練の二つだ。『グライアイ』の方は十六夜が挑戦するために準備中。そっちは何事もなく終わりそうだが『ケートス』の方に問題があってな」

「『ケートス』って、さっきの絵よね?」

 

 彦一がその通りだと頷いた。

 

「男女ペアでなければ参加できないらしい。門前払いされた十六夜がキレてた」

「……え?」

「いやまぁ伝承をなぞっているという時点で気付いておくべきだったんだが」

「なら問題ないじゃない」

 

 考え込んでいる彦一に、何のことはないとばかりに飛鳥が告げる。

 

「この私が付き合ってあげると言っているのよ」

「いや、お前謹慎中だから」

「そういうことを言っていられる状況じゃないでしょう?」

「それでいいのか? それに生物関係は春日部向きなんだが……まぁいいか」

 

 冷ややかな目を飛鳥に向けていた彦一だったが、しばらく考えた後「俺は知らないからな」とぶっきらぼうに言い放った。

 

「長くなりそうだから『ペルセウス』は省略して、あえて『ケートス』だけ説明させて貰う」

 

 彦一が先ほどの本を手に取ると、ページをパラパラとめくって例の押絵を広げて見せた。

 

「ケートス。言葉の意味はクジラやアザラシなどの『海獣』だが、神話では怪物として登場する。ポセイドンの眷属で、調子に乗ったエチオピアの王妃カシオペアを懲らしめるために差し向けられた。懲らしめる――と言っても、一国を滅ぼすつもりで送り出されたらしい」

「一国って、どんなスケールなのよ」

「ギリシア神話ではよくあること」

 

 それで納得していいのだろうか。どうも釈然としないが飛鳥は頷いておく。

 

「このケートスを止めるにはカシオペアの娘アンドロメダを生贄に捧げるしかなかった。鎖に繋がれて、海岸の岩に縛り付けられたカシオペア。あわやというところで偶然通りかかったペルセウスがケートスを退治する」

「偶然通りかかるなんてご都合主義もいいところよね。それで、最終的に二人は結婚しましたというオチにでもなるのかしら?」

 

 彦一が肩をすくめる。飛鳥の言う通りになったのだろう。

 

「英雄がお姫さまを救い出すのは定番中の定番だな。余談だがこの手の神話をペルセウス型神話という」

「ヒロイックの原点みたいなものなのね……って、ちょっと待って」

 

 飛鳥の顔色がさっと青ざめる。

 先ほど彦一はこう言った。これは『伝説を再現するギフトゲーム』だと。

 

 生贄にされかける。そこまでは許容しよう。普段の飛鳥なら到底認められない処遇だが、それでもまだ許してあげられる。

 

 ――最後に二人は結ばれてめでたしめでたし。

 

 こんなもの、認められるわけがない。

 

「だから言っただろ。俺は知らないからなって」

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 飛鳥は仮にも謹慎中のため、誰もが寝静まっている時間帯にこっそりと部屋を抜け出した。

 

「あ、おはようございます。トイレはこっちではありませんよ?」

 

 キツネ耳をパタパタさせていた笑顔のリリは、鬼気迫った様子の飛鳥にひっと息を詰まらせた。人差し指を唇に当てて、猛禽のような眼光で小動物を見据える飛鳥に、リリは涙目でコクコクと首を縦に振る。

 

「尾行に失敗している探偵みたいだぞ」

 

 挙動不審な飛鳥の姿に、玄関先で突っ立っていた彦一が呆れ果てている。

 誰の所為でこのようなことをしているのかと、飛鳥は彦一を睨み付けた。

 

「場をなごませる冗談をひとつ。これってデートみたいだな」

「黙りなさい」

 

 ガチン! と顎を閉じさせられた彦一。

 彼はやれやれと肩をすくめると、振り返らずに歩を進めた。

 

「それで、どこに向かってるの? ……もう話してもいいわよ」

「『オケアノス』ってコミュニティだ。結構近いぞ」

「近いって、この辺りは――」

 

『ノーネーム』の本拠があるペリペッド通りは『世界の果て』と向かい合っている。言い方は悪いが、かろうじて箱庭に引っかかっているような場所にある。

 

 箱庭都市では都市の中央に近いほどより力を持っている。

 

『オケアノス』が『ノーネーム』に負けず劣らずの状態にあるということを、飛鳥は言われなくても理解できてしまった。

 

「二十年前までは『ペルセウス』の庇護の下、六桁の外門に居を構えていたらしい。現在は没落の一途をたどっているが」

「わかりきったことよ。どうせあの下衆が原因でしょう?」

「いや、それは」

 

 彦一は途中まで言いかけて、口をつぐんだ。

 

「まぁ見た方が早いか」

 

 不安を煽るような言い方だったが、飛鳥はそれより先のことが気がかりで聞こえていない。

 

 まさか結婚まで再現するようなことはないだろうが、人の命や所有権まで賭け合うことができる、何でもありの神魔の遊技。ギフトゲームである。

 

 彦一が立ち止まる。

 目の前には井戸がひとつ。周囲には何もない。

 

「どういうこと?」

「お嬢様にはちょっとキツいかもしれないが」

 

 まさか騙したのかと疑いを向ける飛鳥だったが、彦一は相手をせずに井戸に身を乗り出した。

 よく見ると井戸には縄ばしごが掛けられていた。彦一がそれを伝って下に降りていく。

 

「上を見上げたら、後でどうなるかわかっているわよね?」

 

 飛鳥は今日もドレス風のワンピースだった。ミニスカの黒ウサギとは違ってロングスカートだったが、見ようと思えば見えてしまうだろう。

 

 しつこく念押しする飛鳥の声が聞こえているのかいないのか、彦一はとっくに先に降りてしまったようだ。

 飛鳥は意を決して縄ばしごに手をかけた。

 

 

 そこには青い世界が広がっていた。

 

 

「……綺麗」

 

 冴え渡るような空色ではなく、深みのある青色だ。まるで深い海の中のようだった。

 飛鳥たちが立っている岩場を除いて、四方はすべて水に沈んでいる。

 

 地下水……ではなさそうだ。潮の匂いがする。おまけに波があった。

 

 海だ。地面の下に海が広がっている。

 

「これはまた珍しい。昨日に続いてまたもや人間の客人が来るとは」

 

 岩場の陰から声がする。ハッと振り返ると、そこには何時の間にか半裸の女性がいた。

 美しい女性だった。ダークブラウンの髪は足下まで届きそうなほど長く伸ばされている。

 

 女性は岩に腰を下ろして身体を波に打たれていた。身体には薄い布を巻いているだけで、それも水に透けてしまっている。

 

 扇情的な格好だ。

 

 咄嗟に彦一を咎めようとした飛鳥だったが、あくまで彦一は自然体である。薄着の女性が目の前にいると言うのに、欲情の色はどこにも見当たらない。

 

 彦一は恭しく頭を下げて言う。

 

「『ノーネーム』の夜行彦一だ。こっちは久遠飛鳥」

「なるほど、あの無礼者の仲間か」

 

 女性が薄く微笑んだ。ここでも十六夜がやらかしているらしい。

 

「初対面の君たちには改めて名乗っておこう。『オケアノス』の当主代行、ペルーサという。見ての通りネレイドだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 ネレイド。

 ギリシア神話に登場する海の女神であり、その総数は五十人を超える。エーゲ海の海底にある銀の洞窟に住んでいてイルカやヒッポカンプの背に乗って移動するという。

 

「ネレイドとはニンフの一種だ。いわゆる精霊だな」

 

 彦一に耳打ちされる。人のようにしか見えないが人ではないのか。

 

「で、当主代行とは?」

「説明するよりも、見て貰った方が早いだろう。コーラル、出て来い!」

 

 ペルーサは洞窟の奥に声を放った。

 じゃぶじゃぶと水音がして、ひょっこりと顔を出した生き物を見て、飛鳥は思わず声を上げてしまう。

 

「まあ! かわいい!」

「……ああ、かわいいな」

 

 彦一が同意するのは予想外だった。

 

 それは犬のような、イルカのような生物だった。一番近いのはラッコかもしれない。

 きゅーきゅーと鳴いている。

 

「この子が『オケアノス』の当主コーラルだ。見ての通りケートスだよ」

「……いや、見ての通りと言われてもな」

「ケートスって、あの?」

 

 昨夜、彦一に見せられた本の押絵を思い出す。あの絵とは似ついてもいない姿形をしている。

 だから彦一は絵を気味悪がった飛鳥に『画家の思惑通りの反応だな』と皮肉ったのだろう。

 

「六年前、長らく伏せっていた先代がとうとう冥界に旅立たれてな。幼子のコーラルが跡を継いだのだが、この子はまだ八歳だ。成人するまで私が後見しているのさ」

「八歳? でも、この子はまだ赤ん坊みたいだけど」

「赤ん坊だよ。すべての生物が人間と同じ速度で成長するわけではない」

 

『オケアノス』の没落。そのすべてがルイオスの責任というわけではないようだ。おそらく先代が病床にあった頃から衰退が始まっていたのだろう。

 

「申し訳ないがこの子に怪物役をさせるギフトゲームは無理なのだよ。代わりと言っては何だが」

 

 ペルーサがコーラルを抱き上げながら言う。

 きゅ、きゅ、と嬉しそうに鳴いている小動物に、飛鳥は頬をほころばせた。

 

「一日だけ、この子の親代わりになってくれないかな?」

「……え?」

 

 彦一が父親で、飛鳥が母親。二人の子どもがコーラルと。

 ペルーサはそう言っているのだろうか。

 

 飛鳥が笑顔のまま石になった。

 

 

 

 

 

 

 

 何のことはない。要は一日動物の相手をするだけである。飛鳥は自分に言い聞かせるようにブツブツと呟いた。

 

 彦一はトランクス一枚になって水に飛び込んでいる。

 冷たさに身震いした彦一にコーラルが体当たり、水しぶきを上げながら仰向けに倒れ込んだ。

 

「ほら、さっさと行け。くだらないと思うかもしれんが、それでも報酬がかかっているんだ」

「あなたいい性格をしているわよね」

「伊達に歳を取っていないからな」

 

 ペルーサが人を食ったような笑顔で答えた。

 

 数百歳、あるいは千歳以上。

 飛鳥のような小娘が太刀打ちできる相手ではないようだ。

 

 飛鳥は震える手で服を脱いだ。下着一枚で水に足を入れる。

 

 飛鳥は戦後すぐの昭和の人間、お嬢様学校で箱入りに育てられた。男性の前でこれほどまで肌を露出させたことなどない。身体が震えるのは水の冷たさだけの所為ではなかった。

 

「きょ、今日見たことは――」

「やめた方がいい」

 

 忘れなさい。ギフトで命令しようとした飛鳥を、直前で彦一が止める。

 

「それをやってしまうと、もう仲間にも、友達にすらもなれなくなる」

「……だったら、どうすればいいのよ」

 

 泣きたくなった。コーラルが慰めるようにすり寄ってくる。彦一は飛鳥に背中を向けて、弱り切ったように頭をかいた。

 

「黒ウサギはもっと怖かったと思うが」

「……あ」

 

 レティシアを助け出すために、ルイオスにその身体を差しだそうとした黒ウサギ。きっと彼女は今の飛鳥よりも恐怖していた。

 飛鳥はそんな彼女に『無意味』と言ってしまった。

 

「黒ウサギも悪かった、お前も悪かった。そして俺も悪かった。これでお相子だな!」

「……ええ、そうね。ってちょっと待ちなさい。最後のはどう考えてもおかしいわ!」

「よし、コーラル。俺を引っ張って向こうの壁まで全力疾走だ!」

「待ちなさいって言ってるでしょう!?」

 

 コーラルがもの凄い勢いで前進する。しがみついていた彦一が声にならない悲鳴を上げていた。

 

 飛鳥は唖然とその様子を眺め、己の顔にばしゃりと水をかけた。

 

「もう、何なのかしら……」

 

 飛鳥は苦笑する。本当に今日は最悪だ。

 

 

 

 

 

 

 

 夕日が落ちる頃、やっとの思いで地上に帰って来られた飛鳥は安堵の溜息を吐いていた。

 

「つ、疲れた……こんなに疲れたのはこっちの世界に来て初めて……」

「右に同じく……」

 

 飛鳥たちはほうほうの体で井戸から這い上がった。

 

「なんだ、あのやんちゃ坊主……」

「あれでまだ赤ん坊だなんて末恐ろしいわね」

 

 最初こそ恥ずかしがっていた飛鳥だったが、赤ん坊のくせに腕白すぎるコーラルに振り回されて、そんなことを考える余裕はなくなっていた。

 

 気を抜けば水の中に引きずり込まれるのだ。コーラルはじゃれているつもりらしいが、下手すれば飛鳥たちは溺死していただろう。

 

 ともあれ目的の品は手に入った。

『ペルセウス』の挑戦権である宝玉だ。これで黒ウサギを思いとどまらせることができる。一歩前進した手応えを感じていた飛鳥は、立ち止まったまま微動だにしない彦一に訝しげな目を向けた。

 

「……二十秒後、引き返す?」

 

 彼の無意識の呟きを飛鳥は聞いてしまう。二十秒後、何かが起こる。

 

 直後、大地が揺れた。井戸の中から轟音が溢れ出す。

 

「彦一君!」

「ああ!」

 

 彦一は迷わず井戸に飛び込み、縄ばしごを滑るようにして降りていた。飛鳥もその後に続く。

 

「やっぱ変だったんだ。人数が少なすぎた!」

「……たしかにペルーサとコーラルしか見ていないけど」

 

 没落したコミュニティである。そう言うものなのだろうと飛鳥は思っていた。

 

「俺は一度も『オケアノス』の旗を見ていない!」

「――っ!」

 

 飛鳥は絶句する。

 コミュニティの旗は誇りそのもの。隠しておくようなものではないはずだ。

 

「戻って来てしまったか……」

 

 ペルーサが虚ろな笑みを飛鳥たちに向けた。彼女に抱かれたコーラルは恐怖に震えている。

 

「『オケアノス』が没落した原因は、当主が病気で倒れていたからでも、新しい当主が若すぎたからでも、『ペルセウス』から切り捨てられたからでもない」

「……お家騒動」

 

 それは巨大な海の獣だった。

 押絵に描かれていたものよりも断然美しい。なのに。

 

『どうして人間がここにいる?』

 

 飛鳥は嫌悪感に眉をしかめた。あの押絵よりもグロテスクな怪物だった。

 

『まぁいい。ペルーサ。今日こそは親父の遺品を渡して貰おうか』

「何度も言っているが、先代に追放された貴様に相続権はない。去ね、コーパル」

「おまけにボンクラ息子ってわけだ。旗を失ったのもこいつの所為か?」

 

 コーラルが飛鳥の胸に飛び込んだ。もう大丈夫だからと頭を撫でる。

 

「あまり身内の恥はさらしたくないのだが、もはや取り繕うほどの外聞も残っていないか。その通りだ。この大馬鹿者は勝手に『オケアノス』の旗を持ち出してギフトゲームに挑み、無様に負けてのこのこと帰ってきたのだよ」

『フン。旗など新たに作ればいいだけではないか。親父も貴様も頭が固すぎる』

「見ての通り、名誉も誇りも持ち合わせていない大馬鹿者でな。先代も随分と手をお焼きになられたものだ。ここまで来るといっそ清々しさすら感じてしまう。巻き込まれるこちらは堪ったものではないがね」

 

 彦一とペルーサが同時に溜息を吐いた。

 

『そろそろ観念したらどうだ? もう『オケアノス』に残っているのは貴様と弟だけだ。過去の栄光にすがりたくなる気持ちはわからないでもないがな』

 

 コーパルが苛立ったように尾ひれを水面に叩き付ける。洞窟の天井に届くほどの水柱が上がり、飛沫が飛鳥たちに降り注いだ。

 折角、服を濡らさないように気を配っていたのに、それがすべて無駄になった。

 

 このコミュニティがここまで落ちぶれたのも、こいつが原因。

 とうとう飛鳥の堪忍袋の緒が切れた。

 

「暴れるのはやめなさい」

 

 コーパルは凍り付いたように動きを止める。

 

『――っ! 娘っ、何をした!?』

「ここまで『オケアノス』を追い詰めて、あなたは何を欲しているのかしら。教えて下さる?」

 

 彦一は腕組みをして黙って眺めていた。

 飛鳥がギフトを使っていることに気付いたのだろう。

 

『……『塩水の泉』だ』

 

 

 

 

 

 

 

 海神ポセイドンが女神アテナと都市の支配権をめぐって争った時、よりよい贈り物をした方が都市を手に入れるということになった。

 ポセイドンは塩水の泉を湧かせ、アテナはオリーブの樹を生やした。これによってアテナが勝者になったのだが、この結果に納得がいかなかったポセイドンが怒り狂って洪水を引き起こしたのは余談である。

 

『塩水の泉』はただ塩水を生み出すギフトではなかった。

 ポセイドンはギリシア神話においては、世界を造った神である。山を引き裂いて川を造ったり、切り取った大地を海に捨てて島を造るような神だ。

 

 望んだ場所に海を造るギフト。それが『塩水の泉』だという。

 飛鳥たちがいる井戸の中の洞窟も、そのギフトによって造られたらしい。

 

「この泉は私たちの生命線だ。箱庭都市の外にも塩水はあるが、コーラルにはまだ野生の世界は厳しすぎる。この子は守ってやらないと生きていけない赤子なんだよ」

「他のやつに――例えば東区の階層支配者(フロアマスター)の白夜叉とかに助けて貰えないのか?」

「コーパルは地下の水脈を自由に渡り歩くギフトを持っている。危なくなれば何時でも『箱庭都市の外』に逃げ出せるんだ。状況が不利と悟れば尻尾を巻いて逃げ出すだろう」

 

 それはまた厄介な。思わず飛鳥は天を仰いだ。

 

 恒星数個分の表面積がある広大な箱庭の世界だ。箱庭都市の外に逃げられたら、まず見つけ出すことは不可能だろう。

 

 強者には弱いが、弱者にはとことん強気に出る。小物にもほどがある。

 

「ギフトゲームで手を出さないように約束させるしかない。でも戦力がない。そういうこと?」

「おい、それは」

 

 余所のコミュニティの問題に口を挟む権利は飛鳥たちにはない。

 代理で出るという口振りの飛鳥に、彦一が咎めるような目をするが、ペルーサは首を横に振って弱々しく二人に笑いかけた。

 

「いや、もうそれしかないだろう。いずれコーパルは暴力に訴える。なに、もし駄目だったら私たちは外に出るとするさ」

「……どうしてあなたはそこまでするの?」

「旗を失ってしまっても、住処を失っても、それでも私はまだこのコミュニティを失いたくないのだよ。未練がましいのはわかっているが、せめてこの子が成人するまでは見守ってやりたい」

 

 それはまるでジンのようで、そして黒ウサギのようで。

 飛鳥はコミュニティの誇りの一端に、わずかに触れたような気がした。

 

「決まりね。あの野蛮な怪物に一泡吹かせてあげましょう」

「ギフトゲームは本来お前たちが挑戦するはずだったものにしておこう」

「つまりペルセウスの怪物退治ってわけだ」

 

 コーラルがきゅーっと甲高く鳴いた。

 

『命が惜しくないようだな、人間がぁぁぁ!』

 

 大人しく黙っていた――黙らされていたコーパルが巨体を水面に叩き付けた。

 轟音。大瀑布のごとき水飛沫が飛鳥たちをはね飛ばす。

 

 

 契約書類(ギアスロール)文面

 

『ギフトゲーム名

『MAIDEN DEFENCED from THE SEA MONSTER』

 

・プレイヤー一覧

      久遠飛鳥

      夜行彦一

      コーラル

 

・ホストプレイヤー

      コーパル

 

・ホスト側 勝利条件

      全てのプレイヤーの戦闘不能

      乙女に攻撃を加える

 

・プレイヤー側 勝利条件

      ホストの撃破

      乙女を守り抜く

 

 宣誓 上記を尊重し、誇りの名の下、ギフトゲームを開催します。

                                 オケアノス印』

 

 

 

 始まってすぐに彦一は逆走した。

 ペルーサの手を取ると、彼女を抱えて洞窟の奥へと進んでいく。

 

「乙女ってあんたかよ! 飛鳥じゃねーのか!?」

「不満か? あの少女を救い出して、アンドロメダのごとく娶りたかったのかな?」

「人を食ったような言い方をしやがって……」

 

 何時の間にか飛鳥のことを名前で呼んでいたが、飛鳥は気にしないことにした。

 

 契約書類(ギアスロール)から察するに、乙女とはペルーサのことだろう。自ら生贄になったのは、飛鳥の方が頼りになると判断されたからだ。

 期待に応えるために、無様なところは見せられない。

 

 飛鳥はギフトカードから銀の剣を取り出した。

 先日のギフトゲーム、ガルドとの戦いで手に入れたものだ。

 

『フン。そのような玩具でこのオレをどうにかできると思っているのか?』

「思ってるわよ。でも……」

 

 飛鳥はちらりと背後に目を向ける。彦一の後をコーラルが追いかけていた。

 

「まだその時じゃないわ!」

 

 飛鳥は迷わず踵を返して横穴に逃げ込んだ。

 一瞬呆気に取られて動きを止めたコーパルが、直後、憤怒を露わにしながら地中を揺り動かすほどの勢いで壁に突撃した。

 パラパラと砂や石ころが天井から振ってくる。

 

「どこに繋がってるの、この横穴は!?」

「先ほどのような空間が合計で六つ、環状に繋がっている」

「環状……ドーナツ状ってことか」

 

 彦一は考え込みながら、来た道を引き返し始めた。向こうにはコーパルがいるはずだ。

 飛鳥は足下で楽しげに飛び跳ねていたコーラルを抱き上げて、彦一の後を追った。

 

「地下水脈を移動するギフトで、先回りしていると言うことね」

「流石にその程度の知恵はあるだろうからな。とは言えどうしたものか。あの怪物を相手取るには、あまりにも火力が足りないが」

「あら、あまり私を見くびらないで欲しいわね」

 

 不思議そうに振り返った彦一に、飛鳥が不敵な笑みを浮かべた。

 

 飛鳥のギフト『威光』は人を支配するギフトだった。彼女はそのあまりにも支配に特化しすぎている能力に嫌気が差しており、自らのギフトを別の方向へと育て始めている。

 

 人を支配するギフトから――ギフトを支配するギフトに。

 

 彦一がハッと叫んだ。

 

「――っ! ペルーサ! 『塩水の泉』の本体はどこにあるんだ!?」

「三つ奥の広場だが」

「反対側じゃねーか! くそっ、やるしかないか!」

 

 

 ――この場に満ちているすべての水が『塩水の泉』によって生み出されている。

 

 

 ならば本体さえ押えてしまえば、飛鳥のギフトでコーパルを撃退できる。

 

 飛鳥は彦一と目配せをすると、同時に走り出した。

 

 飛鳥はコーラルを抱いて。彦一はペルーサの手を引いて。

 

「二回だ。二回、あの怪物をかいくぐる必要がある!」

 

 広場に出たが、何もない。最初の広場だ。

 

 やはり先回りしようとしていたのだろう。飛鳥たちの逆走は相手の裏をかく結果になっていた。

 

 だが、すぐに引き返してきたのだろう、水中から巨体が飛び出した。

 

『謀ったな、人間ども!』

「知恵は人間の特権だ、怪物!」

 

 背後にコーパルが出現する。このままだと追いつかれそうだ。

 

「止まりなさい!」

 

 飛鳥がギフトを使用するが、コーパルは一瞬動きを止めただけだった。

 

「ギフトが効かない!?」

「キレてるんだろ! 人の話を聞いてないんだ!」

 

 人の話を聞かないとは、幼児並みの精神ということか。まだ赤ん坊のコーラルの方が聞き分けはいいと、飛鳥は内心で盛大に罵った。

 

 再び怪物が壁に激突する。飛鳥たちは間一髪で横穴に滑り込んだ。

 

「あと一回!」

 

 飛鳥が叫ぶ。

 先回りしたコーパルが正面から横穴に突っ込んでくる。

 

 飛鳥と彦一が左右に分かれた直後、怪物がその間に衝突した。

 

 彦一がペルーサに抱き付いて地面に引き倒す。彼女が怪我をすれば飛鳥たちの敗北だ。吹き飛ぶ土砂から守るためとはいえ、何となく釈然としない。

 

「飛鳥! 剣をあいつにぶん投げろ! ぶん投げたら思いっ切り走れ!」

「はぁ!?」

 

 意味がわからなかったが、飛鳥は剣を振りかぶった。

 振り下ろすように投擲するが、投げつけただけではコーパルの肌を傷付けることすらできない。

 

 跳ね返った剣は、彦一の傍に落下していた。

 

 彼はそれを走りながら引き抜き、コーパルの左足を斬りつける。

 浅かったが小さな傷が刻み込まれた。

 

『……な』

「この傷を見る度にお前は思い出すだろう。この俺に傷を負わされた事実をな!」

『おのれ、小僧。おのれ。おのれええぇぇぇ!』

 

 彦一の身体に怪物の尾ひれが叩き付けられる。

 

「彦一君!」

 

 咄嗟に引き返しかけた飛鳥の手を、ペルーサがつかむ。

 その間にコーラルが水の中に飛び込んで、彦一のところに向かっていた。

 

「しっかりしろ! 少年の行動を無意味にするつもりか!?」

 

 反射的に彼女を睨みそうになった飛鳥は、逆に怒鳴られてしまった。

 

 無意味。またこの言葉だ。

 彦一の行動は無意味だっただろうか。それを決定づけるのは、これからの飛鳥次第。

 

 ぐっと唇を噛んで、飛鳥が宣言する。

 

「これで、終わりよ!」

 

 地下水脈を渡り歩くギフト。

 それよりも先に飛鳥たちが到着できたのは、彦一が気を引くためにコーパルに斬りかかり、わざわざ挑発したからだ。

 あの足止めがなければ、飛鳥たちはコーパルに先回りされていた。

 

『次はお前の番だ、小娘!』

「いいえ、違うわ」

 

『塩水の泉』というギフトの源泉には、一本の矛が突き刺さっていた。

 

 先端が三つの別れている矛。

 海神ポセイドンの持つ『三叉の矛(トリアイナ)』を模して造られたものだった。

 

 飛鳥が引き抜いた矛の先端をコーパルに向ける。

 

「次はあなたの番よ、怪物!」

 

 先端から迸った塩水が、放水車のように怪物をなぎ払った。

 

 

 

 

 

 

 

「で、誰と行ったんだ?」

「ぶっ」

 

 コーヒーを口に含んだ瞬間を狙って言い放つ十六夜。『オケアノス』で手に入れた宝玉を十六夜に預けたところである。

 

「誰って言われても……口止めされてるから」

 

 今思い付いたような言い訳をする彦一に、十六夜は顎に手を当てて考える。

 

「お嬢様か。意外だったな」

「……の、のーこめんと」

 

 あっさり見破ってしまった。

 彦一は死んだ魚のような目をして、生気の欠けた笑みを浮かべる。

 

「楽しそうだな、十六夜」

「ああ、すっげぇ楽しい。お前とお嬢様をこのことで弄り回せると思うと胸が躍るぜ」

「……悪魔だ。ここに悪魔がいる」

 

 あと、幸い飛鳥が抜け出したことは他の者に気付かれていないらしい。正確にはリリを筆頭に口止めしたと言うべきか。ジンや黒ウサギたちが謹慎中だからだろう。そうでなければ、これほど上手く隠蔽工作はできていない。

 

 ともあれ、これで準備は整った。

 準備の段階で疲れ果てている気がしないでもないが。

 

 次は『ペルセウス』だ。十六夜がいるから彦一は楽ができる……はず。

 

 それから、十六夜が調べ物があるからと書庫に向かう。

 それを見送ってから、閑散とした談話室で彦一は疲れたように溜息を吐いた。

 

 二秒後、飛鳥が談話室に現れる。

 

「怪我の調子は?」

「軽い打ち身だよ。明日には治ってるらしい」

 

 時間稼ぎのためにコーパルに返り討ちにあった彦一だったが、一瞬意識が飛んだだけで、大した怪我は負っていない。

 あまりに見事なやられっぷりだったと、あの後ペルーサに笑われたほどだ。

 

 肩をすくめる彦一に、飛鳥はホッと安堵していた。

 

「私、黒ウサギと仲直りするわ」

 

 それだけ、と言って去っていく。今日の出来事で思うところがあったのだろう。

 結構なことだ。主要メンバーが喧嘩してから、コミュニティの空気が重苦しくなっていた。これで子どもたちも安心できるだろう。

 

「それと、今日はありがとう」

 

 彦一が驚いて振り返った時には、そこにはもう飛鳥はいなかった。

 

 コーヒーを飲もうとしてカップに口を付ける。中身はすでに空っぽだった。

 

 

 

 

 




・視点について
筆が止まったのでやむを得ず飛鳥視点に。
飛鳥視点にすると、するする書けた。

・今回
水着回ならぬ下着回。
下着姿がエロいのではなく、恥ずかしがってる女の子がエロいのです。

・ケートス
ポセイドンの使いっ走り。星座のくじら座のモデルでもある。

・コーラル
英語で珊瑚。怪物の赤ちゃん。ゴマちゃん。

・コーパル
英語で琥珀。小物。踏み台。

・ペルーサ
ニンフのネレイド。海の妖精。
先代の愛人という設定は書ききれなかった。

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