いつからなのかはわからないが、自分の見える世界から色が消えた。
青いはずの空を見上げても、桃色の花を眺めてみても、そのどれもが灰色に見えてしまう。昔は確かに違ったと思う。春に咲いた花にも、夏に広がった空にも、秋に染まった葉にも、冬に温まった炎にも色はついていたはず。四季折々の、ありとあらゆる色が見えていたはずなんだ。
そうだと言うのに、俺の見る世界からは色が消えた。それが何時からなのかは分からない。
泥水のように感じる発泡酒を喉へ流し込み、3級の煙草を吹かしながら、ボーッと考えてみた。
何時から俺の世界の色が消えてしまったのかはわからないが、なんとなく、その理由だけは分かっていた。
これが大人になるってことなんだろうなって。
家庭を持ってはいないが、毎日会社にも通っているし、人様に顔向けできないような生活は送っていない。
俺はちゃんと生きている。けれども、ただ俺は生きているだけだ。
何の目標もなく、毎日をダラダラと過ごし、ただただ時間を消費していくだけ。そんな状態の俺は――死んでいるのと何が違うってんだろうか。
子供ん時は違ったと思う。その毎日毎日に、何かしらの思いを馳せながら生きていることができていたはず。
夢があった。
希望があった。
毎日が色で溢れかえっていた。
それが今じゃこの有様だ。何がきっかけだったのかはわからない。何がいけなかったのかもわからない。これが大人になるってことだってんなら、大人なんて碌な存在じゃない。
子供の時は大人って奴に憧れてたんだけどなぁ……
そんなどう仕様も無いことをボーっと考えていたせいか、いつの間にか、煙草の灰が机の上に落ちていた。会社帰りに買った発泡酒の缶も既に空。
何時までこんな生活を続けるつもりなんだろうか。どうすれば俺の世界へ色が戻ってきてくれるのだろうか。
遠い昔に見たはずのあの世界だって、このままじゃそろそろ忘れてしまう。
誰か……誰か教えてくれよ。
もう一度、俺があの世界を見るためにはどうすれば良いんだ……
アレだけ好きだったはずのお酒も、今じゃ何のために飲んでいるのか分からない。沈んでいくこの気持ちは、アルコールの力を借りても上がってくれやしない。
何かしらのニュースを伝えているテレビも、部屋の電気も消す元気はなく、その日はそのまま倒れこむように寝てしまった。
もうすっかり忘れてしまった、子供の頃の夢を必死に思い出そうとしながら。
――――――――――
「初めまして! ポケットモンスターの世界へようこそ!」
はたと気がつけば、真っ白な世界で誰かの声が聞こえた。その声に聞き覚えはない。
そして、どうしてか声を出した人物の顔を見ることができなかった。
「この世界にはポケットモンスター……つまりポケモンと呼ばれる生き物がいたるところに住んでおる」
声は聞こえる。
けれども、真っ白な世界が見えるばかりで、今の状況が全く見えてこない。
「私の名前はオーキド。そしてポケモンの研究をしている者だよ」
なんだよ……なんなんだよ、この状況は。
ポケモン? オーキド? 全くもって意味がわからない。
身体はふわふわとしてしまい、どうにも安定しない。
夢にしては、意識がはっきりとし過ぎているし、現にしては現実味がなさ過ぎる。今が夢か現か。それすらも今の俺にはわからなかった。
「そして、人はそのポケモンをペットにしたり、勝負に使ったり……まぁ、共に暮らしておると言うわけだ」
未だに響き続ける謎の声。ちょっ、ちょっと待てって。
頼むからこの今の状況を説明してくれ。いきなりこんな状況になって此方は混乱しているんだ。
「さて、君の名前は……ふむ、レッドと言うんだな!」
言ってない、言ってない。
てか、とりあえず俺の話を聞いてくれ。
「レッド!」
レッドじゃねーよ!
「いよいよ君の物語の始まりだ!」
はい? 俺の……物語?
いや、それってどう言う……
「夢と!」
だから、ちょっと待ちなさいって!
「冒険と!」
おい、こら。何が始まる……
「ポケットモンスターの世界へ!」
――レッツゴー!!
――――――――
「だからっ! 俺の話聞けやぁぁああああ……あ? あら?」
目が覚めると、何故かふかふかのベッドの上だった。いや、ベッド? 俺はいつも布団に寝ているからベッドってのはおかしいんだが。
って、ちょっとまて、今何時だ? 目覚ましをかけて寝た記憶はないから、下手したら会社に遅刻……
「うん?」
なんともバタバタとしてしまったが、漸く自分の状況がおかしいことに気づき始めた。
水玉模様の布団。
茶色いテーブル。
壁にかけられた赤色の帽子。
つまり――色が見えた。
白とか黒とか灰色ではない。赤や青や緑と言ったちゃんとした色が。
「マジかよ……」
思わず声が出た。
相変わらず自分の状況はわからないし、何が起きたのかさっぱりだ。それでも、きっと何かが起きた。
もしかしたら此処は夢の中なのかもしれない。それでも、今見えている世界には色が溢れていた。ずっとずっと遠い昔に置いてきてしまった世界が広がっていたんだ。
ベッドから飛び起きる。
年齢のせいか思うように動かなくなったはずの身体が軽い。今ならなんだってできるんじゃないだろうか。
此処が何処なのかは分からないが、起き上がった勢いそのままに窓へ近づき、全開にした。
「……そっか」
開けた窓から身を乗り出し、上を見上げると、真っ青な空が何処までも広がっていた。
「そうだよな。空ってこんな色だったんだよな……」
夢か現か。
それは分からない。
それでも、この瞬間から始まったんだろう。
夢とか希望とかそんな奴らを忘れてしまった40過ぎのおっさんが、何かしらの思いを求めて抗う旅が。
諦めていた世界が目の前に広がっている。そんな世界で、何処にでもいるようなおっさんがもう一度だけ頑張ってみる物語。
そんな俺の物語を進めさせてもらおうと思う。