魔法科高校の幻想紡義 -改-   作:空之風

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第7話 そして波乱の日々が幕開く

公開討論会、当日――。

 

討論会を公聴するために全校生徒の半数が講堂に集まっており、これは関係者達の予想を上回る人数だ。

 

舞台袖にいるのは渡辺摩利、市原鈴音、司波達也、司波深雪の四人。

 

特に摩利と達也と深雪の三人は、言わば遊撃戦力。

 

他の風紀委員は、異変が発生した際にそれぞれマークしている有志同盟を拘束する任務に就いている。

 

だがもう一人だけ、舞台袖にいる三人とは別のところで遊撃戦力に数えられている生徒が一人。

 

講堂の二階ギャラリーにいる森崎駿だ。

 

森崎は家業で後方から周囲を警戒するバックアップを務めている。

 

その実績が認められて、森崎は周囲を見渡せる二階から警戒する任務を言い渡された。

 

(同盟の人数が足りていない。別働隊がいるな)

 

講堂にいる有志同盟のメンバーを数え、舞台袖の摩利達と同様の結論に達した森崎。

 

彼らの決起が大義名分通りなら、この討論会は正しく有志同盟が望んだもの。

 

だというのに全員が揃っていないというのは、この討論会以外にも何かを考えているということ。

 

背後にエガリテ、いやブランシュの影があることを知らない森崎だが、それでも何かが起こることを予感していた。

 

森崎は討論会の舞台となる壇上へ視線を移し、

 

(あっちは心配無用か)

 

すぐにそう結論付けた。

 

何せ壇上に上がるのは十師族直系の七草真由美。

 

その側には副会長で二年生のエース、服部刑部。

 

舞台袖には風紀委員長の渡辺摩利、圧倒的な魔法力を持つ一年首席の司波深雪、そして実戦ではおそらく一流であろう司波達也。

 

あれだけの面子が揃っているのだ、きっと特殊部隊レベルでないと制圧など出来ないだろう。

 

達也は二科生であるが、その実力を森崎は認めていた。

 

魔法力は間違いなく己が上だ。

 

だが実際に戦闘となれば、勝敗はどちらに転ぶかわからないとも考えている。

 

森崎は中学生の時、あの非常識こと雅季と三回ほど模擬戦をしたことがある。

 

戦績は三戦して一勝二敗。森崎は負け越している。

 

特に屈辱的だったのは最初の戦い、森崎は「魔法なし」の雅季に敗北を喫した。

 

あの時の戦闘を思い返す度に今尚、森崎の胸中には何とも言えない、でも決して穏やかではない感情が沸々と湧き上がってくるものだ。

 

模擬戦の開始直後、クイックドロウの技術で即座に特化型CADを抜き出し構えた森崎。

 

……その特化型CADを、雅季がぶん投げた汎用型CADが弾き飛ばす。

 

意識の隙を突かれて、というかあんなものを予想しろというのがまず無理だが、兎も角何が起こったのかと一瞬呆然としてしまった森崎。

 

森崎に出来てしまった一瞬の隙を見逃さず、雅季は即座に詰め寄る。

 

……森崎としては、奴は神職なのに何でこういった戦いの機微も心得ているのかと問い詰めたい、非常に。

 

そして、森崎が我に返った時には時既に遅く……雅季の飛び蹴りが森崎の顔面を捉えてノックダウンしたという情けない敗北だった。

 

十秒間ぐらい意識を失って覚醒した直後、起き上がるなり「魔法を使えぇぇええーー!!」と思わず叫んだ自分は悪くない、と今でも思っている。

 

というか精密機械を投げるな、あの非常識め。

 

兎も角、森崎はそれ以来、魔法力と勝負の勝敗は別だと考えるようになり、そして実際に魔法力で勝る雅季から一勝をもぎ取ってみせた。

 

森崎にも出来たのだ。

 

あの司波深雪の兄であり、忍術使い・九重八雲の教えを受けているという司波達也が出来ない道理は無いだろう。

 

森崎は警戒を講堂内から講堂の外、即ち外部からの侵入者に対するものへ切り替える。

 

講堂内に背を向けて、森崎は窓から外を警戒し始めた。

 

 

 

 

 

公開討論会が始まる寸前の時間帯。

 

司波達也は舞台袖から周囲を注意深く観察する。

 

手を抜くつもりは毛頭ない。

 

それは『風紀委員』としてだけでなく、密かに『深雪のガーディアン』としての警戒でもあった。

 

新入生勧誘活動の直後にあった、自宅端末のデータハッキング“疑惑”。

 

あくまで疑惑だ、何故なら盗み見られたという証拠がないのだ。

 

データバンクにはハッキングされた形跡は見当たらなかった。

 

達也の知人である『電子の魔女』にも調べてもらったので間違いないだろう。

 

故に、達也は『精霊』を操る古式魔法、いわゆる喚起魔法によるものではないかと考えた。

 

精霊の『五感同調』なら、モニターをオンにすることも、映し出されたデータを見ることも可能だ。

 

そして喚起魔法自体も古式魔法師達の間では珍しい魔法でもない。達也と同じクラスにも使い手がいる程だ。

 

だが、それは古式魔法の大家、九重八雲が否定した。

 

「精霊を行使すれば、必ず君の『眼』に捉えられる」と。

 

達也の持つ知覚魔法『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』は、知覚魔法というより異能だ。

 

『精霊の眼』はイデアの『景色』を見ることができる。

 

この世に存在するものは、全て情報体プラットホームであるイデアに刻まれる。

 

そのイデアを知覚することができる『精霊の眼』にとって、見られないものは“存在しないもの”のみ。

 

一方で『精霊』とは現代魔法においてイデアから分離した孤立情報体と解釈されている。

 

確かにイデアから分離している故、不活性化している精霊ならば達也も捉えることは出来ない。

 

だが術者が『五感同調』を行うには必ず精霊に想子(サイオン)を流し込み活性化させなければならない。

 

精霊を活性化させずに精霊を行使することは不可能だ。それは想子(サイオン)を一切使わずに魔法を行使すると同義であるのだから。

 

そして、すぐ近くで活性化した精霊を、達也が見逃すはずがない。

 

だから“疑惑”。

 

確かに何かがいた気配があったが、正体が全く掴めない。

 

普通の人間ならば勘違いだったのでは、と結論付けて決着にしてしまうだろうが、生憎と達也は普通の人間と比べて明晰過ぎた。

 

 

 

――仮に、君の『眼』を欺けるほどの“何か”がいたとすれば、それは。

 

 

 

(あるかもしれず、ないかもしれない、人ならざるモノ。つまり『幻妖』か)

 

先日訪ねた九重八雲の言葉が脳裏を過ぎる。

 

「師匠は、妖魔が実在すると考えているのですか?」

 

「さあ、どうだろうね」

 

あの時の達也の問いに、九重は曖昧に返して明確には答えなかった。

 

或いは、古式魔法の大家である『九重』の名を継ぐ者として、何かを知っているのかもしれない。

 

尤も、と達也は思う。

 

仮に妖魔が実在するとして、果たして妖魔が魔法式を盗み見るだろうか。

 

それなら人間が利益のために盗み見たと考えるほうが余程筋が通っているし説得力がある。

 

恐らく師匠も本気で言った訳では無いのだろうと、達也は考えていた。

 

 

 

……ところがどっこい、実のところそれが正解である。

 

「事実は小説よりも奇なり」というイギリスの詩人が生み出した諺もあるが。

 

傍迷惑なスキマ妖怪が、ただの好奇心で覗いてきたとか。

 

そのスキマ妖怪が「恐怖されてこそ妖怪だから」という面白半分の理由でわざと気づかせたとか。

 

事実はその程度のものである。

 

尤も、『幻想』を知らない達也には知りようも無いことだが。

 

 

 

閑話休題。

 

故に達也は新入生勧誘活動の直後という時期から、活動時に見せた「アンティナイトを使わないキャスト・ジャミング技術」狙いと判断し、ブランシュの仕業と疑っている。

 

ブランシュが達也の知らない魔法技術を使用しているのではないのか、と。

 

 

 

そして奇しくも、達也の推察は本来の目的からは全くの見当外れであったが、「達也の知らない魔法技術」という点ではほんの僅かに掠っていた。

 

生憎と『ブランシュ』はそんな技術を持っていないが、先日『ブランシュ』と秘密裏に接触した『ラグナレック・カンパニー』は、そんな技術を幾つも抱えているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

ブランシュの拠点となっているバイオ燃料の廃工場。

 

元は事務室であった一室に、ブランシュの主だった幹部が集まっていた。

 

その中心にいるのは、ブランシュ日本支部のリーダー、司一(つかさはじめ)だ。

 

「同志達よ、いよいよ決行の時が来た!」

 

大袈裟な手振りで、司一は宣言する。

 

「既に魔法科高校の同志達は準備を終えている。彼らは必ずや機密文献を手に入れてくれるだろう!」

 

狂気を潜ませた笑みを浮かべながら、同志達、いや部下達を見回す。

 

「そして、弟が知らせてくれたアンティナイトを必要としないキャスト・ジャミング技術! あれも素晴らしい技術だ!」

 

司一の狂気が一層濃くなり、その目にギラギラとした不気味な光が宿る。

 

「“あの”ラグナレックが、中東で『悪魔(シャイターン)の軍勢』と恐れられる者達が我々に協力を申し出てきたことからも、その技術の素晴らしさがわかるだろう! 同志諸君! ククク、ハハ、ハハハ!!」

 

遂に哄笑を抑えきれず、司一は高らかに笑い出した。

 

部下達が畏怖を交えて司一を見つめる中、司一は部屋の外へ視線を向ける。

 

司一の視線の先、廃工場の一角には、ラグナレックの代表として交渉を担当した人物が持ち込んだ『契約の証』である戦力が、『兵器』が佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

ラグナレックの代表としてブランシュと契約を交わした水無瀬呉智(みなせくれとし)は東京西部に広がる山林の中にいた。

 

呉智は鋭利な視線で開いた手帳をじっと見据えて、静かにその時を待つ。

 

この魔法はタイミングが合わなければ発動出来ない。更にタイムラグはおよそ十数秒以内。

 

此処からでは到底見ることなど適わない遠方にいる相手が魔法を発動させて、その十数秒以内に此方も魔法を発動させる。

 

僅かでもタイミングがズレてしまえば魔法は発動しない。

 

尤も、前世紀に開発され、今世紀に入っても重要事業として整備され続けている通信ネットワークを用いれば、この条件は難しくとも何とも無い。

 

何せ現代に於いて、地球の裏側にいる人物ともリアルタイムで鮮明な通信が一般人にも普通に出来てしまう時代なのだから。

 

だが、“この魔法”を使用する場合、通信ネットワークを用いる事は固く禁止されている。

 

これから行われる魔法は、ラグナレック本隊に所属する者しか知る事の許されない機密の一つ。

 

この国の『電子の魔女(エレクトロンソーサリス)』のような凄腕ハッカーを警戒してだろうか、僅かであろうとネットワーク上に痕跡を残すことは“処罰”の対象になる。

 

(まあ、我々には“これ”があるからな)

 

呉智が視線を向けている先には、全てが空白の手帳。

 

そして、空白の部分に文字が浮かび上がったことを確認した瞬間、呉智はブレスレット形態の汎用型CADに指を走らせた。

 

呉智が流し込んだ想子(サイオン)によって、起動式の展開が始まる。

 

そうして展開された魔法式は、ある魔法の終着点という機能を持っただけの魔法だ。

 

 

 

ラグナレック・カンパニーの軍隊は、『本隊』と『駐留部隊』の二つに分類されている。

 

駐留部隊は、契約を交わした国家に傭兵として駐留している部隊だ。

 

一線級の装備を持ち、少なからぬ魔法師も抱える彼ら駐留部隊も、他国からすれば厄介な武装勢力であることには何ら変わりはない。

 

だが、敵対勢力から心底恐れられ、畏怖されているラグナレックの主戦力は『本隊』の方だ。

 

ラグナレック本隊には強力な魔法師が数多く配属されており、その打撃力は絶大だ。

 

その一方で、本隊の情報については驚く程に情報が少ない。

 

若干数の魔法師についてはどのような魔法を使うのか判明、または推測できている。

 

だが、本隊そのものについては未だ謎が多い。

 

彼等の使用する魔法式の開発元は元より、本隊へ配属されるにはどうすればいいのかすら不明なのだ。

 

ラグナレックに入隊している各国の諜報員も、全員が駐留部隊に配属されている。

 

彼等も何とか謎だらけの本隊に配属されようと工作を続けているが、結果は芳しくない。

 

 

 

実のところ、『本隊』とはバートン・ハウエルを総隊長とした総帥直轄の指揮系統を持った複数の部隊である。

 

そして後方要員を除いた部隊の隊員達は、その全員がマイヤ・パレオロギナの手で“強化”された魔法師()()で構成されている。

 

尤も、マイヤ・パレオロギナという存在を知る者は本隊の中でもひと握りしかいない。

 

呉智も“知らない側”の人間だ。

 

――厳密に言えば、“覚えていない”の方が正しいのだが。

 

閑話休題。

 

魔法そのものが属人性のある技能のため本隊にも様々な魔法師がおり、その中には特定の魔法に特化した者も少数ながら在籍している。

 

その中の一人が、たった一つの魔法に特化した魔法師。

 

他の魔法を使えない代償として、不可能と言われている魔法を可能にしている規格外の魔法師。

 

彼の魔法演算領域には、ただ一つの魔法式のみが存在している。

 

その魔法は、難関魔法と呼ばれるもの、ではない。

 

嘗て対象物の密度を操作する収束系魔法に於いて一度可能性を議論され、直ぐに不可能だと一蹴された、空想上の魔法。

 

対象となる情報体の密度を極限まで薄めた上で、加速系魔法と移動系魔法で座標を指定し、再び同じ密度で構築する。

 

仮説の段階から“有り得ない魔法”とされた、収束・加速・加重・移動の系統魔法『物質転移(テレポート)』。

 

『スピリット』と並ぶラグナレック本隊の機密魔法の一つであり、本隊所属の魔法師、(シェ)鄭揚(チェンヤン)のみが持つ、世界で唯一つの魔法だ。

 

日本海に進出したラグナレック所属の潜水艦内で朱鄭揚が魔法式を展開。

 

収束系魔法によって対象となる情報体の密度を極度に薄め、また加重系魔法で慣性質量を消去。

 

呉智が展開した魔法式を指定座標に設定し、加速系と移動系の複合系統で情報体を移動。そして指定座標で情報体の密度を復元する。

 

情報体の密度を薄くすることにより、イデア上の他の情報体、即ち人工物や自然を問わずあらゆる障害物をニュートリノのように透過して座標へ移動する。

 

更に空気すらも通り抜ける為、音速を超える速度で移動をしたところで情報体が空気抵抗を受ける事もない。

 

その最大射程は、直線距離にして実に千キロメートルに及ぶという驚異的なものだ。

 

術者である朱鄭揚の空間掌握能力の範囲外では今回のように転送先の地点で誰かが終点となる魔法式を構築する必要があるが、それでもその魔法の効力は絶大だ。

 

ラグナレックが畏怖されていることの一つに、何処からともなく現れる神出鬼没さが挙げられるが、その正体こそがこの唯一無二の物質転移魔法である。

 

何せ北アフリカで目撃されたはずの魔法師達が、数分後には中東に姿を見せるといった文字通りの“離れ業”を何度も見せつけられているのだ。

 

物質転移(テレポート)』のことを全く把握出来ていない側からすれば、ラグナレックに対する謎が深まるばかりであろう。

 

この唯一無二の魔法の遣い手、朱鄭揚はラグナレック本隊の部隊の一つ『フェンリル』所属の魔法師ながら、それ以上に魔法の特性上から今回のようにバートン・ハウエルの特命で動くことが多い。

 

実質的にバートン・ハウエルの片腕と言えるだろう。

 

恐らく、黄昏(ラグナレック)を知る深さも、水無瀬呉智の比ではない。

 

再び閑話休題。

 

 

 

それは、まさしく魔法的な光景だった。

 

呉智の目の前で転送されている情報体の想子(サイオン)が急速に収束し、輪郭が顕わになっていく。

 

最初は透けていた輪郭が、瞬く間に実体を持ち始め、最後は一人の男性となる。

 

現れたのはペルシャ系の整った顔付きをした、若い男性だ。

 

見た目は二十代の前半、おそらく呉智よりも若年だろう。

 

情報体、それも人間の『物質転移(テレポート)』を目の前で目撃したというのに、呉智に表情の変化はない。

 

そして、それは潜水艦から一瞬で日本に転移された男性も同様だ。

 

何故なら、呉智も男性も既に自らが朱鄭揚の魔法で転移した経験があるからに過ぎない。

 

こういった潜入任務において、国境線を通ることなく現地へ赴く。

 

手帳での通信方法も相まって、隠密性でのラグナレックのアドバンテージは計り知れない。

 

「任務の内容は聞いているな、アストー」

 

呉智の確認に男性、ラグナレック本隊所属の魔法師、アストー・ウィザートゥは無言で頷く。

 

敵意を持った視線で呉智を見据えながら。

 

尤も、アストーの敵意に関しては既に慣れたものなので呉智は意に介さない。

 

元より拝火教(ゾロアスター)に伝わる死の悪魔の名を持つこの男は、総帥たるバートン・ハウエルや実父どころか全ての人間に敵意を向ける異常者だ。

 

この男からすれば、現実は呉智とは異なる世界に見えているのだろう。

 

アストーは『物質転移(テレポート)』した時から手に持っている一冊の本を、無造作に呉智に投げ渡す。

 

全体が深紅色で染められた、絵本並みの大きさと厚さの本は、空中にあってもまるで固定されているかのように開くことはないまま呉智によって掴まれる。

 

本を受け取った呉智は表紙の題名に視線を落とすと、愉しげに口元を歪める。

 

悲願のためにまた一歩足を進める狂人のように。

 

そう、ラグナレックが持つこの魔法技術こそが、水無瀬呉智にとって最後の希望なのだ。

 

「さて、行くとしようか」

 

呉智は顔を上げると、踵を返して来た道を戻り始める。

 

アストーも無言のまま呉智に付いて行く。

 

 

 

水無瀬呉智、アストー・ウィザートゥ。

 

たった二人の悪魔の軍勢(ラグナレック)が“進撃”を開始する。

 

 

 

向かう先は――東。

 

 

 

 

 

 

 

講堂で討論会が始まったころ、結代雅季の姿は講堂には無かった。

 

当初は雅季も討論会を見に行くつもりだった。

 

先日の絡まれた一件を受けて、雅季個人としても、結代としても、一科生と二科生の境目をどのような方向へ持っていくのか興味があった。

 

それなのに雅季が講堂へ行かなかった理由は、彼が『結代』だからだ。

 

「放っておけないでしょ、あれは」

 

ポツリと呟く雅季の視線の先には、一人の女子生徒。

 

講堂へ向かう途中、目に留まった二年生だ。

 

彼女は顔色を悪くしながら図書館の方へと歩いていく。

 

放っておけないのは、彼女の顔色が悪いからではない。

 

彼女が先程図書館特別閲覧室の鍵を盗み出したから、でもない。そもそも雅季はその事を知らない。

 

では、ストーカーに目覚めた覚えもない雅季が、どうして名前も知らない彼女の後を密かに付けているのか。

 

それは――。

 

「本当に悪縁だらけだね」

 

『縁を結ぶ程度の能力』で感じる、彼女の縁。

 

そもそも何故か学校内の其処彼処から良くない縁を感じるが、その中でも彼女の悪縁はかなり強い。

 

幾つもの悪縁が彼女に絡まっており、それらは良くない未来を彼女にもたらすだろう。

 

『結代』である雅季としては、見て見ぬふりはできない。

 

重い足取りで、それでも図書館へと足を引きずるように歩いていく彼女。

 

まるで絡まった悪縁が彼女を引っ張っているようだ。

 

あの悪縁を解くには、余程の良縁を結ぶか、力で強引に悪縁を“バラバラ”に引きちぎってしまうか。

 

雅季なら後者も断然可能だが、彼は『結代』だ。

 

必然的に選ぶのは前者となる。

 

幸い、その余程の良縁はすぐに結べそうだ。

 

雅季は、彼女に良縁を結ぶことにした

 

 

 

 

 

幻想郷の住人達が持つ『能力』は多種多様だ。

 

自己申告なので「それ能力じゃなくて特技だろ」と突っ込めるものもあるぐらいだ。

 

だが中には曖昧な表現が当てはまるほどの有効範囲、概念にまで及ぶ幅広さを持つものもある。

 

『疎と密を操る程度の能力』は収束系統魔法のように物の密度を操るだけでなく、人の思いまで(あつ)めて散らす。

 

『坤を創造する程度の能力』は古式魔法のように地面を操るのではなく山を、川を、湖を、大地に地形そのものを造り出す。

 

『境界を操る程度の能力』に関してはもはやその名の通りであり、物理的、概念的、精神的な『境界』さえあれば自在に操ってしまう。

 

現代魔法では解釈しきれず、並みの古式魔法よりも強大な『力』である『能力』の数々。

 

“現代”で解釈しきれなくて当然だ。

 

それらは“現代”が忘れたもの、“幻想”が編み出した魔法なのだから。

 

結代家の『縁を結ぶ程度の能力』、そして神様である天御社玉姫(あまのみやたまひめ)の『縁を司る程度の能力』も同じ。

 

縁とは、人と人との関わり合い、巡り合わせ。

 

現代魔法では精神干渉魔法と解釈するだろう。そのようにしか解釈できない。

 

『縁を結ぶ程度の能力』が、結代の生み出す幻想が、彼女にとって良縁となる人物と縁を結ぶ――。

 

 

 

 

 

 

 

図書館の建物を視界に捉えて、思わず壬生紗耶香(みぶさやか)は歩いていた足を止めた。

 

(本当に、これでいいの?)

 

先程から、いや昨日からもたげる疑問が、ぐるぐると頭を駆け巡る。

 

彼女に与えられた『任務』は、図書館の特別閲覧室の鍵を持ち出し、ブランシュのメンバーと共に機密書籍を盗み出すこと。

 

「魔法学の研究成果を広く公開することが、差別撤廃の第一歩となる」

 

剣道部主将の司甲(つかさきのえ)の仲介で紹介された彼の義兄、司一は紗耶香にそう教えた。

 

だが、本当にそうなのだろうか?

 

思考が駆け巡り、やがてある答えを出そうとすると、無意識に思考がある方向へと修正される。

 

間違ってはいない、これは正しいことなのだと。

 

だがそれも長くは続かず、紗耶香は再び疑問を抱く。

 

何度も繰り返される疑問は、紗耶香自身の答えを得ないまま、間もなく決行の時を迎える。

 

再び歩き始めた足取りは、先程まで以上に重く。

 

普通に歩くよりも倍以上の時間をかけながら。

 

それでも紗耶香は、誰にも止められることなく図書館の傍、指定された合流地点に辿り着く。

 

既に図書館内部には剣道部の同志達が待機している。

 

そして、すぐ近くの茂みには外部の侵入者、ブランシュのメンバーが隠れている。

 

(作戦開始時刻まで、あと一分……)

 

もうすぐ実習棟の方で襲撃が始まる。

 

紗耶香は知らないが、彼等は講堂も同じタイミングで襲撃する予定だ。

 

その全ては陽動。

 

本命である図書館の特別閲覧室から機密書類を盗み出すまでの時間稼ぎ。

 

もはや隠れる必要性も感じなくなったのか、ブランシュのメンバーが次々と紗耶香の前に姿を現す。

 

メンバーの一人が無言のまま紗耶香に手を出す。

 

それの意味することに気づき、紗耶香は躊躇いながらも結局はポケットから特別閲覧室の鍵を取り出し――。

 

「壬生!!」

 

名前を呼ばれて咄嗟に振り返った。

 

 

 

「……どうして」

 

ポツリと呟き、だがそれ以上は言葉にならず。

 

壬生紗耶香は驚愕に染まったまま、ただ自分を真っ直ぐに見据えている桐原武明を見つめていた。

 

 

 




【オリジナルキャラ】
アストー・ウィザートゥ

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