魔法科高校の幻想紡義 -改-   作:空之風

6 / 16
第6話 優劣の境界

四月も中旬になると魔法科高校の授業も本格的に始まっていた。

 

それは当然ながら一年A組も例外ではなく、今回の授業では魔法式を無意識領域内にある魔法演算領域で構築するプロセス、通称コンパイルの高速化の練習を行っていた。

 

「に、二二七ミリ秒……!?」

 

周囲の騒然としたざわめきを他所に、司波深雪は涼しげな顔で授業用のCADから手を離す。

 

「す、すごい……!」

 

「流石に勝てない……」

 

光井ほのか、北山雫の二人も驚嘆を隠せなかった。

 

五○○ミリ秒以内が一人前の魔法師と目安されている中、その更に半分以下の記録を打ち立てた深雪に賞賛の視線が注がれる。

 

森崎駿も深雪に賞賛の視線を、だがそれ以上に熱い視線を送っていた。

 

「ああ、流石だ、司波さん……!」

 

魔法師と言えど一人の男子、可憐な美少女に鼻の下を伸ばすのは当然(?)だ。

 

その森崎を隣で口元を緩めながら見ているのは結代雅季。

 

縁結びの神職である彼は、男女間の恋愛を冷やかしたりはしない。寧ろ歓迎し、応援する立場にいる。

 

たとえ相手が誰であろうと、結代の名を継ぐ雅季は人間関係で誰かを揶揄することはない。

 

「ほら、次は駿だぞ」

 

深雪に見惚れていた駿に声をかけると、駿は我に返って雅季へと振り返る。

 

「わかってるよ」

 

だらしなかった表情が一変、森崎の表情が引き締まる。

 

森崎はCADに手を当てると、精神を集中させる。

 

現在の魔法実技の評価は魔法式の構築速度、キャパシティ、干渉力の三つで評価される。

 

当然、第一高校の入試もこの三項目で評価されている。

 

キャパシティと干渉力は平凡の粋を出ない森崎が入試に於いて男子実技二位に付けられたのは、残る一つである魔法式の構築速度が高く評価されたからだ。

 

コンパイルの高速化は、森崎にとって言わば“唯一”の得意分野である。

 

CADから起動式を読み取り、加重系基礎単一魔法を魔法演算領域で構築しエイドスへ投写、魔法式に従ってエイドスが改変される。

 

魔法によって加重の掛かった重力計に数字が表示される。

 

肝心のタイムは、

 

「四○五ミリ秒」

 

合格ラインの一○○○ミリ秒どころか一人前のレベルである五○○ミリ秒を一○○ミリ秒近くも上回る好タイムだ。

 

「よし!」

 

森崎の今までの最高記録は四一○ミリ秒、つまりは自己ベストを更新だ。

 

自己ベストの更新に森崎はCADから手を離してガッツポーズを取る。

 

それだけではない。クラス内での測定結果で、現時点で深雪に次いで二位である。

 

ほのかや雫を含め、既にA組生徒の大半が結果を出している状態だ。未だ実技を行っていない生徒も残り少ない。

 

故に、深雪ほどではないが森崎にもそこそこの賞賛の視線が向けられる。

 

尤も、賞賛の視線を向けられたところで森崎にとっては複雑な心境だったが。

 

「ほら雅季。次はお前だぞ」

 

実技を行っていない残り少ない生徒の中に、この腐れ縁が含まれているが為に。

 

「あいよー」

 

軽い返事をしてCADの前に立つ雅季。

 

その後ろ姿を森崎が無表情に見つめる中、雅季は魔法を行使する。

 

「さ、三○八ミリ秒!」

 

そしてあっさりと、森崎を凌駕するタイムを叩き出した。

 

再び周囲がざわめく中、雅季の記録を見た森崎は小さく肩を落としただけで、

 

「実技の課題は終わったから、あとは自主トレの時間帯だな」

 

何事も無かったかのように、ペアである雅季にそう話しかけた。

 

 

 

 

 

昼休みになり、雅季は友人達と食堂で昼食を食べた後、彼等と別れて購買に来ていた。

 

授業の実技等では森崎とペアを組むことが多い雅季だが、こういった休み時間では別れて行動することの方が多い。

 

というより、四六時中一緒にいるとなると森崎がきっと倒れるだろう、ストレスで。

 

それに、魔法師の価値観とは無縁の雅季だが、それでも意外に友人は多い。

 

無論、実技で次席でありながら魔法を軽視する傾向を見せる雅季に感情的な反感を覚えている者も少しばかりいる。

 

特に二年や三年など上級生、それも魔法至上主義を持つ者がそうだ。

 

ちなみに、生徒会副会長の服部形部も反感を覚えている一人だ。

 

尤も、服部は魔法至上主義というより徹底した魔法実力主義であって、反感の理由も高い素質を持ちながら二科生入りを希望するなど魔法の腕を磨こうとしないことに対してであるが。

 

だが一年の間ではそうでもない。

 

まず一年A組では首席である司波深雪をはじめ結代雅季、光井ほのか、北山雫、森崎駿など成績優秀な男子女子がそういった意識を持っていないので、一年A組は比較的リベラルな空気が流れている。

 

他の組でも本格的な差別意識に染まる前に、魔法以前に壁を作らない接し方をしてくる雅季に好感を抱く者も多い。

 

それは魔法の才覚や、“こっち”では誰も知らない『縁を結ぶ程度の能力』によるものではなく、彼の為人の成せる業だろう。

 

例えば――。

 

「ん?」

 

購買で買ったジュースを飲みながら教室へ戻るために廊下を歩いていた雅季は、ふと窓の向こうに見える実習室に目が留まった。

 

暫く雅季は実習室の方を見つめると、何か思い至ったのか踵を返して、教室とは反対方向へと歩いて行った。

 

 

 

一科生と二科生に区分けされている第一高校だが、実のところ授業内容は全く同じである。

 

違いは、ただ教師による指導が付くか付かないか、それだけである。

 

E組の実技課題がA組と同じコンパイルの高速化で、合格ラインも同じく一○○○ミリ秒以内であるのも、そういった理由からである。

 

尤も、一科生と二科生は魔法実技の成績によって分けられている。

 

よって、同じ実技課題だからといって結果も同じになる訳では無い。

 

「だぁー! またダメか!」

 

「うっさいわね! 気が散るじゃない!」

 

だからこうして、千葉エリカと西城レオンハルトの二人が一○○○ミリ秒を切れず、司波達也と柴田美月を巻き込んで昼休みに入っても居残り授業を行っていた。

 

「今言った指摘を踏まえて、もう一度やってみてくれ」

 

魔法理論や機械系には詳しい達也がエリカとレオの指導をしていると、

 

「お兄様」

 

二人が再び課題に取り組んだタイミングで、背後から声を掛けられた。

 

「深雪」

 

振り返った達也はまず深雪の姿を認める。

 

次にその背後を見て、意外そうな表情を浮かべた。

 

「光井さんに北山さん、それに結代も」

 

「どうも、達也さん」

 

「よっ」

 

ほのかは笑顔を浮かべ、雫は無言で頷き、雅季は軽い調子で手を挙げる。

 

光井ほのかと北山雫は深雪の友人なのでわかるが、どうして結代が、と内心で首を傾げる達也に、兄の疑問を察した深雪が答える。

 

「購買でご一緒になったんです。お兄様達が実習室で課題をしているのを見て、差し入れを持っていこうとしていらしたので」

 

「入れ違いになっていたら買い損だったからねー」

 

「あ、ああ。ありがとな、結代。深雪もご苦労さま。光井さんと北山さんもありがとう」

 

「いえ、たいしたことじゃありませんので!」

 

「私は特に何もしていない。荷物持ちは結代君」

 

「え、なになに、差し入れ?」

 

「エリカ、気をそらすな。ちょっと待っていてくれ、次で終わらせるから」

 

「いっ」

 

「げっ」

 

達也の宣言に顔を引きつらせるエリカとレオ。

 

深雪たちは「わかりました」と後ろに下がる。

 

「ほら、次で終わらせるぞ」

 

「応!」

 

「よし!」

 

 

 

「あー、なんかただのサンドイッチなのに美味しく感じるわ」

 

「全くだぜ」

 

エリカとレオが宣言通り次のトライで課題を終わらせた後、達也たちは深雪達が持ってきたサンドイッチと飲み物の差し入れを受け取って、遅めの昼食を食べていた。

 

「A組でも実習が始まっているんですよね? どんなことをやっているんですか?」

 

美月の質問に、一瞬ほのかと雫は躊躇したように顔を見合わせ、

 

「ん、E組と全然変わんないよ」

 

そんな二人を他所に、普通にそう答えたのは雅季だ。

 

「そうなんですか?」

 

「ええ美月。あのノロマな機械をあてがわれて、テスト以外では役に立ちそうにない練習をさせられているところ」

 

雅季に代わって答えたのは深雪。ただし放たれた言葉は遠慮のない毒舌だったが。

 

エリカ、美月、レオ、ほのか、雫の五人がギョッとした視線を深雪に向ける中、雅季は達也に尋ねる。

 

「あれってそんなひどい方なの? CADってそんなに詳しくないからわからないけど」

 

「まあ、旧式の教育用だからな。深雪みたいに感受性が高いと雑音が酷く感じられるんだ」

 

「ああ、あれって仕様じゃなかったのか」

 

成る程と納得した雅季を、達也は思わず見返した。

 

今の返事を解釈すれば、雅季も雑音を感じていたということだが。

 

(そう言えば、実技二位だったな)

 

達也は改めてその事実を思い出した。

 

雅季も深雪と同じクラス、胸元に花弁のエンブレムが縫われている一科生(ブルーム)だ。

 

だというのに、全くそんなことを感じさせず普通に接してくるものだからつい忘れてしまっていた。

 

(確かに、自分から二科生を希望してもおかしくないな)

 

達也は内心でそう思い、先日に壬生紗耶香と交わした会話を思い出す。

 

一科生が二科生を差別しているのは、意識の上では本当のことだろう。

 

だが、果たして全員がそうなのか、と問われたのならば、達也は目の前の男子を答えに挙げるだろう。

 

実技の課題で残っている顔見知りの二科生のために、頼まれたわけでもなく自分から差し入れを持ってくる一科生。

 

二年生の中には残念ながらそんな人物はいなかったようだ。

 

(というより滅多にいないだろうけど)

 

エリカの剣術道場の教え方に聞き入っている雅季を見て、達也はそう思った。

 

「教えられたことを吸収できない奴が、教えてくれなんて寝言こくなっての」

 

「お説はごもっともだけどよ、俺もオメエも、ついさっきまで達也に教わっていたんだぜ?」

 

「あ痛っ! それを言われるとつらいなぁ」

 

「へー、千葉さんの家ってそう教えているんだ」

 

「エリカでいいよ、その代わりあたしも雅季って呼ぶけど。というか、その言い方だと他の道場のこと知っているの?」

 

「んー、道場というか、友達で剣術やっているのがいてね、ちょっとだけ教えてもらったことがあるんだけど……」

 

「へぇ、どんな教え方してくれたの、その子は?」

 

「『真実は斬って知る、だから斬ればわかる!』って言って斬りかかってきた」

 

「何それ?」

 

「辻斬りかよ」

 

一科生と二科生が談笑して過ごす昼休み。

 

途中で深雪が請われて同じ実技を披露し、人間の反応速度の限界に迫ったタイムを叩き出したり、その後に達也に甘えたりと様々なことがあった。

 

だが昼休みが終わるまで、先日の険悪な空気が嘘のような和やかな時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、某所の高級料理店のVIPルームでは、高級食材を前に二人の男性がテーブルを挟んで会食していた。

 

「どうですかね、ミスター呉智。なかなか美味なものでしょう。ここは私のお勧めの一つでしてね」

 

「……悪くはない」

 

「おや、そうですか。いやはや申し訳ない、次はもっと良いお店に致しましょう」

 

「気を悪くしないでほしい。私はあまり味がわかる人間ではないのでね」

 

交わされる会話こそ友好的なものだが、互いの視線には友好的な感情など感じられない。

 

それもそのはず、両者は『商談(ビジネス)』でここにいるのだ。それも、決して表沙汰には出せない取引の類だ。

 

「早速だがビジネスに入らせてもらおうか、ダグラス=(ウォン)

 

無表情のまま淡々と進める水無瀬呉智(みなせくれとし)

 

「そうですか。ではラグナレック・カンパニーは無頭竜に何を望むのか、ビジネスといきましょう。ミスター呉智」

 

対照的に笑顔を絶やさないまま話を伺うダグラス=黄。

 

この部屋にいる人物は四人。

 

ラグナレック側は水無瀬呉智ただ一人。

 

無頭竜側はテーブルに座るダグラスの背後に二人、護衛として佇んでいる。

 

「腹の探り合いで時間を掛けたくない、単刀直入に言わせてもらおう。――こちらの要求は『兵器』だ」

 

「ほう」

 

瞬間、ダグラスの目に鋭い光が奔り、口元は歪んだまま突き刺すような視線を呉智に向けた。

 

尤も、

 

(前座を演じる、な)

 

呉智が内心で嘲笑の言葉を続けたことを、ダグラスは察することが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

あれから普段と代わり映えの無い日々が暫く続いた、ある日の第一高校。

 

それは、森崎駿や結代雅季など多くの生徒にとっては何の前触れもなく、唐突だった。

 

『全校生徒の皆さん!』

 

「え!?」

 

「何だ!?」

 

放課後、突然流れた大音量の放送に、生徒の誰もが手を止めてスピーカーへ顔を向けた。

 

『……失礼しました、全校生徒の皆さん』

 

「あ、小さくなった。なんだ、ただの音量のミスかぁ」

 

「なんでそこで残念そうなんだよ、お前は」

 

不満そうに呟いた雅季に森崎はジト目で睨む。

 

『僕たちは学内の差別撤廃を目指す有志同盟です』

 

「お金を出し合う組織?」

 

「融資じゃなくて有志! 志の方! わかれよ!」

 

二人のこれまた代わり映えの無い日常的な掛け合いに、教室に残っていたA組の生徒は苦笑して冷静さを取り戻す。

 

『僕たちは生徒会と部活連に対し、対等な立場における交渉を要求します』

 

とはいえ、今が普通とは違う事態であることには変わりはない。

 

それは森崎も、そして雅季も理解していた。

 

「駿、風紀委員の出番じゃないのか?」

 

「言われるまでもない」

 

既に携帯端末に着信したメールを開いていた森崎は、端末をポケットにしまうと教室の出口に向かって歩き出す。

 

「森崎君」

 

その背中に司波深雪が声をかける。

 

振り返った森崎は、深雪の凛とした表情を見て一瞬目を奪われるも、すぐに我に返って意識を仕事用に切り替える。

 

「司波さんも?」

 

「はい。会長からの呼び出しです」

 

最初こそ険悪な間柄になった両者だが、今では知人以上友人未満といったところだ。

 

深雪にとっても森崎とは光井ほのかや北山雫のように親しくはないが、その人柄を邪険に思ったりはしていない。

 

何より新入生勧誘活動の騒動で活躍した司波達也をある程度は認めている節があるので、寧ろ『友人』として見るならば好印象を抱いている。

 

「そうですか、なら行きましょう」

 

「はい」

 

駆け足気味に教室から出て行った森崎と深雪の二人。

 

その後ろ姿を雅季は見送って、再びスピーカーに顔を向けた。

 

スピーカーからは放送室を占拠した有志達が差別撤廃を訴え、生徒会と部活連に交渉を要求している。

 

花冠(ブルーム)雑草(ウィード)、か。本当、世の中は、分かれていくものだな)

 

人は何事にも境目を作りたがるもの。

 

『結び離れ分つ結う代』である雅季は特にそれを識っている。

 

魔法が使えるか使えないかで、魔法師と一般人に分たれて。

 

魔法が上手か下手かで、一科生と二科生に分たれる。

 

魔法師と一般人の境目は演出魔法によって結び目が出来たが、一科生と二科生の境目は演出魔法では結ばれない。

 

その境目の本質は、魔法を使える者同士が持つ、優越感と劣等感なのだ。

 

一科生と二科生を分けるのは、優劣という感情の境界。

 

二科生からすれば、雅季は“持てる者”の一人。

 

同時に立場も役職も持たない、ただの一生徒だ。

 

この境界線に対して雅季が出来ることなどあまり無いだろう。

 

(まあ、個別になら何とかなるかな)

 

大勢にではなく個人にならば、それは結代の出番だ。

 

昔も今も、結代に出来ることは人を結ぶこと、縁を繋げることなのだから。

 

それに――。

 

「そもそも学校の異変解決は、風紀委員とか生徒会とかの役割。今回はそっちに任せるさ」

 

俺はただの一般生徒だし、と暢気そうに呟いた雅季の声は、誰の耳にも届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

案の定というか当然というか、雅季が暢気に過ごしていても事態は進んでいく。

 

放送室の不法占拠は収拾し、次の展開を迎えることになった。

 

「明日、講堂で公開討論会だってよ」

 

「俺達と同じ待遇にしろだって? 身の程を弁えろって感じだよな」

 

「そうだよな。補欠のくせに」

 

授業の合間の休憩時間、廊下を歩く雅季の耳にそんな会話が入ってくる。

 

前から歩いてくる一年の男子生徒が三人、誰も見覚えがないので他のクラスだ。

 

胸元には八枚の花弁のエンブレム。つまり一科生、彼らの言う花冠(ブルーム)だ。

 

雅季はちらっと三人に目を向けると、すぐに関心を無くして視線を外した。

 

今回の異変については既に生徒会や風紀委員会、部活連が動いている。

 

雅季は出しゃばるつもりも無く、暫くは事の成り行きを見届けるつもりだ。

 

――だから、事の発端は三人の方から雅季に声を掛けてきたことだ。

 

三人とすれ違った直後、雅季はすぐに自分に向けられた悪縁を感知する。

 

「おい」

 

「ん?」

 

そしてほぼ同時に、背後から友好的とは言えない口調で声を掛けられた。

 

「お前、A組の結代雅季だな?」

 

「そうだけど?」

 

雅季が肯定すると、三人は雅季を睨みつける。

 

「お前みたいなのがいるからウィードが調子付くんだ、気をつけろ」

 

そうして放たれた悪態は、少なくとも雅季にとっては意味がわからなかった。

 

「……? 悪い、わかりやすく言ってくれ」

 

「だから! お前みたいなのがいるから、ウィードが調子に乗ってふざけた真似し始めたんだろ!」

 

苛立ちを隠しきれず一人が半ば怒鳴るように雅季に難癖を付ける。

 

それによって周囲の注目を集めたが、渦中の人物達は気付かない。

 

「言葉遊びは嫌いじゃないけど、それも相手に伝わらなきゃ遊びとしてもつまらんぞ」

 

一方の雅季は普段と変わらぬ声で、ただ首を傾げた。

 

一科生(ブルーム)としての価値観を持たない雅季には、本気で彼等の難癖の意味が伝わらなかった。

 

「……ああ、わかったよ。白痴なお前にもわかりやすく説明してやる」

 

露骨な侮蔑を浴びせながら、別の一人が口を開いた。

 

「お前がウィードごときと同じ視線で付き合ったりするから、連中が俺達と対等だなんて勘違いして、挙句『有志同盟』なんてもんを作って学校の風紀を乱し始めたんだ。どう責任取るつもりだ?」

 

「……は?」

 

詰問してきた男子生徒に、雅季は間の抜けた声をあげた。

 

その頭に浮かび上がった疑問符は、果たして彼等にも見えただろうか。

 

あまりの暴論に、雅季は呆れた様子で告げる。

 

「……とりあえず、魔法理論の前に辞書で『理論』って言葉の意味を勉強することをお勧めする。あとついでに『責任』って言葉も」

 

それは男子生徒の問いに答えるものではなく、その男子生徒自身に向けた答えだった。

 

一瞬の間の後、その意味に気づいた彼は怒りに肩を震わせる。

 

「この野郎、ちょっと実技がいいからって調子に乗りやがって……ブルームの誇りを持たない恥晒しが……!!」

 

歯ぎしりが聞こえてきそうなぐらい歯を噛み締めながら彼は言葉を発する。

 

(追加で『恥』の意味も、だな)

 

雅季は内心でそう思ったが、流石に口に出すのは止めておいた。

 

ここまで来れば三人が何を思っているのか理解できた。

 

要するに、雅季に対して『地殻の下の嫉妬心』の妖怪が(くら)い喜びを浮かべそうな思いを抱いているということだ。

 

「ブルームとしての自覚が無いんだったらウィードにでもなっていやがれ!!」

 

「テメェのその胸のエンブレム、破り捨ててやろうか!?」

 

感情的になって雅季に詰め寄る三人。

 

もし雅季が二科生になったとしても実技二位という事実は覆らない。

 

寧ろ司波深雪以外の一科生全員が実技で二科生以下になるという矛盾が生まれるのだが、三人は間違いなく気付いていないだろう。

 

というより、そもそも雅季自身が最初に二科生入りを希望していたとは三人は夢にも思わない。

 

この三人とは異なり、雅季は魔法の才能と自尊心がイコールで結ばれていないのだから。

 

感情的な三人とは対照的に雅季は冷静そのものであったが、困った状況であることに変わりはない。

 

尤も、雅季が特に何かするまでも無く、事態は収拾しそうだったが。

 

幸いと言うべきか、ちょうど此方に向かって来ている良い縁を既に雅季は感じ取っていた。

 

(尤も、この三人にとってはあんまり宜しくない縁だけどな)

 

小さく笑う雅季を、一人が目敏く見つけて更に目を吊り上げる。

 

「お前! 何笑ってやがる!?」

 

「いや、何でもないよ。それよりも、そろそろ落ち着いた方がいいぞ」

 

「ふざけてんのか、テメェ!!」

 

逆上した一人が雅季に手を伸ばし掛けて、

 

「お前ら、何やっている!」

 

雅季の感じた良き縁である第三者の怒鳴り声に、その動きを全て止めた。

 

「き、桐原先輩!」

 

「な、何でここに……!」

 

三人は顔を強ばらせて現れた人物、桐原武明(きりはらたけあき)へと向き直り、反射的に姿勢を正した。

 

「俺の端末に、剣術部の一年三人が別の一年に絡んでいるって連絡が届いたからな。どういうことなのか、説明して貰おうか?」

 

台詞の後半に威圧を込めて桐原が問うと、強ばった三人の表情が一気に青褪めた。

 

 

 

「お前等、俺が言えた面じゃないが……剣術部の看板、汚すなよ」

 

「は、はい! すいませんでした!」

 

「失礼します!」

 

三人は萎縮しながら深く頭を下げると、逃げるようにその場を去っていった。

 

後輩である三人を雅季に対して謝罪させてから解放した後、桐原は改めて雅季に向き直った。

 

「俺からも謝らせてくれ、剣術部(ウチ)の後輩連中が迷惑掛けたようで悪かった」

 

「いや、もう謝罪も受けましたので、大丈夫です」

 

「そう言って貰えると助かる」

 

苦笑する桐原に、雅季も笑みを浮かべてそれに応える。

 

「もしあの連中が何かしでかしたら俺に伝えてくれ。きついお灸を据えてやるから」

 

「あれだけ恐縮していたら、何も出来なさそうですけどね」

 

「そうだといいんだが、今の剣術部は少し、な……」

 

桐原の表情が曇る。

 

(そういや駿が言っていたっけ。勧誘の時に司波が剣術部を軽くいなしたって)

 

成る程と雅季はある程度は納得する。

 

大勢の前で新入生に、それも二科生に軽くあしらわれて、剣術部はピリピリしているのだろう。

 

あの一年生達はそんな先輩達に感化されたようだ。

 

「兎も角、悪かったな」

 

「あ、はい。ありがとうございました、桐原先輩」

 

踵を返して背を向ける桐原に、雅季は心の中で告げた。

 

(結代なりに、助けて貰ったお礼はさせてもらいますよ、桐原先輩)

 

そうして、結代雅季は縁を紡いだ。

 

 

 

 

 

雅季と別れた後、桐原は教室へと戻る途中にあった。

 

(……クソ)

 

燻る自己嫌悪を振り払って、桐原は足を早める。

 

元々は桐原の個人端末に「剣術部の一年生達が他の一年生に絡んでいる」という連絡をあの場にいた友人から受けたのが、あそこへ赴いた理由だった。

 

先日の放送室不法占拠に始まり、急遽開催が決まった公開討論会。

 

議題は一科生と二科生の平等な待遇。

 

その事に不満を持つ一科生は少なくない。

 

たとえ実際には待遇に差などない“まやかし”の優位性なのだとしても。

 

今回の一年生も、その不満が暴発したのだろう。

 

ただでさえ剣術部は四月のあの一件、桐原が司波達也に取り押さえられ、十四人があしらわれた一件以来、最近は余計にプライドが高くなっている傾向がある。

 

(剣術部の件については、俺が火をつけたもんだからな……)

 

あの時の自分の行動は、今でも苦々しく思う時がある。

 

最初はそんなつもりは無かったのだ。

 

ただ、壬生紗耶香(みぶさやか)が勧誘用に演じた殺陣が気に入らなくて。

 

――あいつの剣は、剣道は、もっと綺麗だって知っていただけに、つい突っかかってしまった。

 

そして、それが悪い結果の方へと流れていくのを桐原は自覚していた。

 

壬生紗耶香が『有志同盟』のメンバーとなった一因には、間違いなくあの一件も影響しているのは想像に難くない。

 

あれ以来、遠かった彼女との距離が余計に開いてしまった。

 

「何やってんだよ、俺は……」

 

自分自身に失望しながら、桐原は階段を重い足取りで階段を下り始める。

 

 

 

その桐原武明にとって、そして相手にとっても『良い巡り合わせ』は、唐突に訪れた。

 

 

 

「あ」

 

「っ!」

 

階段を下っていた桐原が踊り場の角を曲がった、その先に、

 

「桐原君……」

 

「壬生……」

 

ちょうど階段を上ってきた壬生紗耶香がいた。

 

 

 

「……」

 

「……」

 

気まずく、そして重い沈黙が二人の間に流れる。

 

桐原は、第二小体育館(闘技場)での一件から。

 

紗耶香は、明日に実行されるだろう自らの行為への罪悪感から。

 

桐原は僅かに顔を歪ませて、無言のまま紗耶香を見つめている。

 

その視線から紗耶香は目を逸らして、

 

「ごめん、急いでいるから」

 

その場から逃げ出すように、桐原の横を通り過ぎて階段を駆け足で上っていく。

 

「壬生!」

 

反射的に、桐原は叫んでいた。

 

紗耶香の背中がビクッと震え、恐る恐るといった様子でゆっくりと振り返る。

 

「その、何だ……」

 

だが、何か攻撃的な言葉が来ると思っていた紗耶香の想像とは外れ、きまり悪げに桐原は口ごもり、

 

「あの時は、本当に悪かった」

 

それだけを言い残して、桐原は階段を駆け下りていった。

 

残された紗耶香は、ただ呆然と桐原のいた場所を見つめている。

 

一科生(ブルーム)が、二科生(ウィード)に謝った。

 

その事実が、壬生紗耶香にとっては衝撃的であり、同時に大きな困惑を生み出していた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告