日本から遠く離れた某所。
ラグナレック・カンパニー総帥、バートン・ハウエルは端末モニター上の報告書を一読すると、面白そうに小さな笑みを浮かべた。
「彼等に尋ねてみたら、君の“妖精”が手に入れてくれた情報通りだったよ、マイヤ」
そう言って、バートンはソファに座っているマイヤに視線を向けた。
「彼女にお礼を言っておいてくれ。どうにも私は彼女に嫌われているようだからね」
「自業自得だ」
マイヤはつまらなげにバートンの言葉を切って捨てると、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「それにしても、ウクライナ・ベラルーシ再分離独立派は随分と軽く教えてくれたものだな。連中もラグナレックと新ソ連の関係を知らないほど世間知らずではあるまい?」
「彼等も、此方との窓口を持っておきたいということだよ。それに関係と言ったところで、所詮は兵器売買というビジネス上でしか無い」
「……どうせ知られたのなら、いっそこれを奇貨に、ということか」
「独立派というのは、得てしてタフネスなものだよ」
「『網にかかるものは全て魚』か」
「東洋なら『転んでもタダでは起きない』かな」
バートンは報告書を机の上に置くと、引き出しを開けて手帳を取り出した。
「さて、折角手に入れた情報だ。それに現地にはクレトシが居る」
――あの“一族”には、是非ともお礼がしたかったところだよ。
口元を歪ませるバートンを、マイヤは冷めた目で見つめていた。
魔法科高校の入学式から三日目。新入生も新しい生活に少しばかり慣れてきた頃だ。
そして、友人関係もある程度構築され始め、それぞれ仲の良い集団というものが出来上がってくる。
たとえば一年E組で言えば司波達也、千葉エリカ、西城レオンハルト、柴田美月の四人組。
一年A組で言えば司波深雪、光井ほのか、北山雫の三人。
また両グループは達也と深雪の兄妹繋がりで一昨日、昨日と一緒に帰っており、その時は一科生と二科生が入り混じった異色のグループとして一年の中で衆目を集める集団となっていた。
まあ、グループ構成より美少女が多いから、という点でも衆目を集める要因になっているが。
そして、既にA組だけでなく他の組すら認識している、片方に言わせれば認識されてしまったタッグが、
「教員枠の風紀委員だって、駿。頑張れよ、お前が活躍出来るように俺も頑張るから」
「お前は頑張るな! トラブルメーカー!」
結代雅季と森崎駿。
入試の成績において男子実技ツートップの二人である。
魔法科高校にも部活動はある。
それも魔法科高校ならではの、魔法を使った部活動が非常に活発だ。
というのも、夏にある九校戦の大会など公式大会の成績がそのまま各校の評価に反映されるし、同時に各部の学校側からの評価や便宜も大会結果に大きく影響される。
よって学校側としても部活動には非常に力を入れているし、各部も優秀な新人獲得のための勧誘も熾烈を極める。
その為、新入生勧誘活動があるこの一週間は部活間のトラブルが絶えることはなく、その火消し役である風紀委員にとっては非常に忙しい時期である。
生徒会枠で風紀委員となった司波達也。
同じく教員枠で風紀委員となった森崎駿。
二人の姿も風紀委員の本部の前にあった。
「……何でお前がここにいるんだ?」
再会の第一声が、森崎の心境そのままだった。
風紀委員は部活間や生徒間の争いを抑える、言わば学校の警察機構だ。
必然的に実力が無ければ到底務まらない役員だ。
森崎にしてみれば、二科生である達也に務まるのか甚だ疑問であった。
「生徒会枠で選ばれた。理由は……生徒会長か風紀委員長に聞いてくれ」
選ばれた時のことを思い出したのか、憂鬱そうな溜め息を吐く達也。
そんな達也を見た森崎の中に、不思議な
(そうか、お前も苦労しているんだな)
主に苦労人という当人達にしてみれば全然ありがたくない共通点によって、森崎の達也に対する心境は幾分か和らぐ方向へ向いていった。
具体的には「先日の借りもあるし、危なくなったら助けてやるか」と思える程に。
「新人共、お喋りはそこまでだ。席に着け」
摩利の一声で達也と森崎は長机の最後尾にそれぞれ席に着いた。
会議が終わり、摩利から風紀委員の仕事方法を学んだ達也と森崎。
達也が備品であるCADを二機装着した時、摩利はニヤリと笑ったが、森崎は特に何も思わなかった。
理由としては森崎自身もCADを二つ持っているし、先日の一幕でCADを二つ持つことの利点を達也は知ったのだろうと思ったためだ。
更に言えば、それよりも森崎には強く気に掛かっている事があった。
「他に何か質問はあるか?」
「いえ、特には」
摩利の問い掛けに達也が答えると、摩利は森崎の方にも視線を向ける。
摩利の視線を受けて、何か意を決したような表情で森崎は手を挙げた。
「何だ?」
「いえ、風紀委員の活動とは全くの無関係なのですが、知っているのであればどうしても教えて頂きたいことがありまして……」
「あんまり時間は無いが、まあいいだろう。何だ?」
「……入試の成績で雅季、結代雅季が実技で何位だったのか、ご存知ですか?」
予想外の質問に、摩利だけでなく達也も目をパチパチと瞬きを繰り返す。
「知ってはいるが……それを知ってどうするつもりだ?」
「いえ特に。ただ、知っておきたいので」
ふむ、と摩利は無意識に顎に手を添えて考え、結局は教えることにした。
「実技は二位、司波深雪の次点だ」
「……そうですか」
それを聞いた森崎は驚く様子も無く、ただ納得したように頷くと、どこか羨望と諦観が混ざった苦笑いを浮かべた。
達也は以前に九重八雲から教えて貰っているので、特に驚くことでも無かったが。
「どうした?」
「いえ、雅季らしいなと思っただけです」
その表情に、摩利は結代雅季の件であることを思い出した。
それを思い出せば、森崎が何を思っているのか心当たりがある。
「それは、結代雅季が二科生入りを希望したことか?」
「はい」
頷く森崎。
今度の情報には達也も驚きを隠せなかった。
「委員長、それは……」
「ん? ああ、結代は魔法科大学に進学しないから二科生でいいって学校側に申請したんだよ。尤も、学校側は一科生で入学させたがね。何せ現時点で実技学年二位だ、そう簡単には手放せないだろう」
確かにそうだろうな、と達也は思った。
同時に、どうして森崎が二科生を侮蔑しないのか理解した。
自分より魔法の才能ある者が、その魔法に価値を見出していないのだ。
そんな人物が近くにいる中で、自分より才能の劣る者を侮蔑したところで、自分が惨めになるだけだ。
納得する達也の横で、溜め息混じりに森崎が爆弾を投下する。
「その実技学年二位は、どこの部活に入る気も無いって言っていましたけど」
「……何だって?」
「放課後は神職の仕事と、趣味の演出魔法の公演練習で忙しいって話ですから」
森崎の情報に、摩利の表情が徐々に引きつっていくのが達也にはわかった。
表向き、入試の成績は一般生徒には知らされないとされているが、実際には各部の顧問から
優秀な新人を確保したい部活側に、大会で優秀な成績を収めて欲しい学校側。
両者の利害が一致しているが故に、この“黙認”は長らく続いている。当然、今年もだろう。
入試の成績で実技首席である司波深雪は生徒会入りが確定。
ならば部活側にしてみれば、実質的な実技トップは結代雅季になるのだが……。
「……今年の新入生勧誘活動は例年以上に忙しくなりそうだな」
例年を知らない達也と森崎でも、今年の忙しさは尋常じゃないだろうな、と思えた。
主に一人のトラブルメーカーの手によって。
摩利の予感は、至極残念なことに的中した。
「……今年は風紀委員にとって厄年か?」
熾烈な一週間を終えた翌日、生徒会室で疲労感を拭い切れていない摩利は真由美にそう呟いた。
真由美としては苦笑するしかない。何せ反論できないほど、今年の新入生勧誘活動は二つの要因が重なったせいで酷かった。
第一の要因は、勧誘初日に二科生である司波達也が、剣道部と剣術部のイザコザを収める際、一科生で対戦系魔法競技のレギュラーである
風紀委員とはいえ二科生にしてやられたという事実が、一科生達のプライドを刺激。
以降の二日目からは、何故か一科生の間で様々なトラブルが起き、急行してきた達也に『誤射』が集中した。
彼等の誤算は、達也の実力が本物であったこと。
誤射を狙って襲いかかった一科生の上級生が尽く返り討ちに合い、それが更に一科生の感情を逆撫でするという悪循環によって、トラブルが頻繁に起きるようになった。
第二の要因は、入試の実技成績が男子トップである結代雅季の争奪戦だ。
やはり今年も入試の情報が
そして火に油、というか爆弾を投げつけたのが雅季本人。
事前に森崎に言っていた通り、雅季は元より部活に入るつもりは無い。
だが、
勧誘してきた各部を、雅季は時間の許す限り回っていったのだ。
理由は当然、各部のメンバーと縁を結ぶためである。
結代にとってはある意味で公務なので、私情として自分が楽しむためという理由が入っていても全く問題はない。
問題は無いのである。
そういう訳で雅季は様々な部活を見て回り、体験していき……どの部活でも初めてとは思えない好成績を収めた。
実のところ、よく妖怪や人間以外と“遊び”の勝負を繰り返している雅季の身体能力はかなり高い。
魔法力に至っては言わずもがな、だ。
ついでに言えば、操弾射撃部やSSボード・バイアスロン部などシューティング系の部活ではレギュラー並みの成績を収めている。
こちらについても理由は言わずもがな、だ。
こうなれば是が非でも我が部に入れたいと各部は更に白熱して雅季を追いかけ回し、最終日には何故か「雅季を倒した部活が獲得権を手に入れる」という誤解が蔓延。
一説には新人の某風紀委員が忙しさのあまり「
かくして二○九五年の第一高校の新入生勧誘活動は、風紀委員会や生徒会だけでなく教師陣すら慌てる程の戦争状態に突入した。
結代雅季を探し回る各部は、出会い頭にライバルを消そうと抗争を始め、そこへ風紀委員として達也が駆けつけると「ウィードが介入してくるな!」と更に激昂する始末。
最終的には生徒会長の七草真由美、部活連会頭の
そして、当の雅季本人はというと、
「うーん、もしスペルカード部があれば入ったんだけどなぁ。あるわけがないけど」
等と口走りながら、最終日はカウンセリング室でのんびりとお茶を飲んでいたというのだから余計にタチが悪い。
ちなみに、同席していたカウンセラーの
「結局、結代君はどこの部活にも入らなかったのよね。十文字君も惜しいなって呟いていたし」
「ああ。部活連の連中の話を聞いてみたが、結代は魔法だけじゃなく身体の動きも良かったそうだ。魔法では特に加速系魔法と移動系魔法が圧巻だったらしい。後は射撃系のセンスもだな」
「バイアスロン部と操射部なんかは凄く悔しがっていたわよ。結代君なら優勝も狙えるのにって」
「バイアスロン部には光井と北山が入部したのだろう。その上で結代まで獲得したとなればバイアスロン部に抗議が殺到するぞ」
「うーん、私の方にも先生達から結代君を何処かの部活に入るよう説得してくれって要望が来ているけど……」
真由美と摩利、二人は顔を見合わせて、どちらも同じ結論に達した。
「たぶん、無理だろうな」
「たぶん、無理でしょうね」
最終日の喧騒について、生徒会と風紀委員会は一応雅季本人からも事情を聴取している。
その時に当人と話した感想として、あそこまで魔法を『趣味』と割り切っている魔法師も珍しい。
いや、あれだけの魔法力を持っていることを考えると、よくも割り切れるものだと逆に感心してしまう程だ。
魔法は一種の才能、持てる者と持てない者が明確に分かれている。現代魔法学の常識だ。
故に、魔法力を持つ者は魔法が使える事に多少ながらも優越感を抱く。思春期のこの年代ならば尚更だ。
「今年の新入生、特に一科生達は気が気じゃないだろうな」
「そうね。結代君、学校内で孤立しちゃうんじゃないかしら?」
「それはないだろう。あの性格だぞ?」
「……それもそうね」
苦笑いを浮かべる二人。
色々とあったとはいえ各部からの雅季の評価は悪くはない。
そして一年生の中でも既に一科生だけでなく二科生とも仲良くなっているらしい。
真由美も摩利も、雅季に対して感じたのは「話しやすい」ということだった。
……まあ、一部の人間をよく揶揄うという癖はあるが。
「ともかく、風紀委員の方は優秀な新人が二人も入ってきたから今後も安泰だな」
「達也君ははんぞーくんに勝った時点でわかっていたけど、森崎君も?」
「ああ。特に森崎家ご自慢のクイックドロウは中々のものだ。取り締まりでも相手が魔法を使う前に全て無力化させていた。それに森崎はウィードだから、なんてふざけた選民思想を持っていない。達也君と並んで風紀委員にピッタリの逸材だ」
摩利の手放しの賞賛に、真由美は僅かに口元を緩める。
「達也くんの場合、書類整理もできるから、でしょ?」
「……まあ、それもあるな」
真由美の意地の悪い質問に、明後日の方向を向きながら摩利は同意せざるを得なかった。
同日、横浜――。
平日の昼間であろうと多くの観光客が訪れ賑わいを見せる中華街。
その裏側、某飯店の店内から来なければ表からは決して見ることの出来ない裏庭の一角で、水無瀬呉智は静かに手帳に何かを書き記していた。
電子端末の手帳が主流になったといえ、「人は実際に文字を書いた方が覚える」という認識は実際に脳科学でも証明されており、紙媒体の手帳というのも未だに需要はある。
『ダグラス=
呉智が手帳に英文でそう記すと、英文の下に文章が浮かび上がった。
『では予定通り、
浮かび上がった金額を見た呉智は僅かに口元を歪める。
よくもまあ、ここまでの金額を気前良く賭けることができるものだ。
何せ今年のパーティー開催について深く悩んでいたダグラスが、呉智が提示した金額を見るなり目の色を変え、打って変わって開催を快諾したぐらいだ。
尤も、これがラグナレック・カンパニー総帥、バートン・ハウエルの娯楽なのか、それとも他の目的があるのかは呉智にもわからないが。
ただ言えることは、パーティー開催を決定した時点で国際犯罪シンジゲート『
(死ぬまでの間、欲に満ちた夢でも見ておくことだな)
内心でダグラス達に冷笑を向けながら、手帳に浮かび上がった次の文章、バートン・ハウエル直々の指令に呉智は目を通す。
『ウクライナ・ベラルーシ再分離独立派が面白い情報を手に入れた』
その後に浮かび上がる英文に目を通すうちに、呉智は皮肉に口元を歪めた。
何とも奇妙な巡り合わせもあったものだ。
呉智はペンを走らせ、手帳を介してバートンと直接のやり取りを続ける。
そして、
『今回は特別にスピリットの使用も許可する。判断はクレトシに一任する』
「クク……」
最後の文面を見て、呉智は思わず笑いを溢した。
(総帥、貴方はやはり俺を理解している)
湧き上がりそうになる哄笑を抑えて、『了解』と記載する。
すると、浮かんでいた英文は全て消え去る。残ったのは呉智が書いた文字のみ。
それも呉智がCADを操作すれば、インクが発散して消え去る。
後には何も痕跡は残らない。
呉智は手帳を閉じると、某飯店の建家の中へと戻った。
そのまま廊下を抜けて、路地裏へ出る店の裏口から外出しようとしていた呉智の背中に、若い男性の声が掛けられた。
「おや、お出かけですか?」
呉智が振り返ると、そこには貴公子のような涼しげな容貌を持った、呉智と同世代と思われる男性が佇んでいる。
「所用だ。数日で戻る」
「そうですか、お気を付けて」
何処へ行くのか、等と詰問する真似もせず、周はあっさりと呉智を送り出し、呉智もまたそのまま外へと出て行った。
その日の夜、風紀委員としての連日の激務は昨日で終わりを迎え、達也は久々に疲れを残していない状態で魔法式の研究を行うことができた。
司波家の自宅の地下にはある事情により、大学の研究機関クラスの機材が設置されている。
端末に表示されたデータを見ながら、達也は昨日までの日々を思い出す。
(それにしても、酷い目にあったな)
特に最終日に至っては通報、急行、戦闘、通報……の延々の繰り返しであり、達也をして「軍の訓練にも劣らない」と思わせる日だった。
おまけに元凶である結代雅季はカウンセリング室でお茶を飲んでいたというのだから、それを聞いたときの風紀委員のメンバーは……言わずもがな。
尤も、カウンセリング室に乗り込んだ森崎駿が問答無用で雅季に関節技を決めたので大分溜飲を下げることができたが。
ついでに言えば、風紀委員会の思いを行動で代弁して見せた森崎の評価も一気に急上昇していた。
風紀委員長も「よくやった!」と労い(?)の言葉を掛けるぐらいに。
「お兄様、お茶に致しませんか?」
一階から可愛らしい声が聞こえてくる。どうやら深雪がお茶を淹れてくれたようだ。
「ああ、いま行くよ」
達也はモニターをオフにして席を立つと、階段へと向かって歩き出し――。
――短続的な術式ね、空でも飛ぶのかしら。
「――ッ!!」
咄嗟に背後を振り返りCADを構えた。
「――深雪!」
兄の普段とは程遠い、鋭い呼び声を聞いて、深雪は即座に階段を降りて達也の下へ駆け寄る。
「お兄様、一体!?」
「視線を感じた。深雪、お前は何も感じなかったか?」
「いいえ、特には……」
深雪は首を横に振り、地下を見回す。
計測用の寝台、データが映っている端末、CADの調整用の工具が入ったツールストレージ。
見た限り変わった様子は無い。
「気のせい、ではないのですか?」
今なお戦闘者としての、『ガーディアン』としての表情を崩さない兄に、深雪が尋ねる。
「深雪、俺はモニターを『オフ』にして席を立った。この意味がわかるか?」
深雪は愕然として、再び端末を見た。
モニターは『オン』になっており、そこには達也がつい先程まで構築していた魔法式のデータが映し出されていた。
――ふふ、良い勘を持っているわね。
同じ頃、常識が異なる世界で、結代雅季は月を見上げていた。
身に纏っているのは結代神社の神紋である『弐ツ紐結』の紋が入った浅葱色の神官袴。
“こっち”の世界でよく着ている神官袴だ。
結代神社の縁側で月を見上げながら、一人酒を嗜む雅季。
“あっち”の常識では雅季の年齢での飲酒は違反だが、生憎と“こっち”にはそんな法律ありはしない。
そう、ここは幻想郷。
今なお人以外の者達が明確な姿形を持って住まう秘境だ。
この神社に住んでいるのは、一人の巫女と一柱の神様。
うち巫女の方はもう寝ていることだろう。神様の方は、たぶん寝ているか、それとも奉納された神酒を嗜んでいるか。
「縁を結ぶためとはいえ……やり過ぎたかな」
苦みの混ざった笑みを浮かべて、雅季は月見酒を呷る。
雅季の言う「やり過ぎた」とは、先日の新入生勧誘活動のことである。
縁を結ぶ、言い換えれば人脈作りとして雅季は様々な部活を見て回った。
その過程として、また興味本位も含めて競技の体験も行った結果が、最終日の騒乱だった。
『原より出ていて、神代より紡ぐ結う代』
結代家を表す言葉の一つだ。
神代とは、この世の理が創られた時代。
そして魔法とは、神代の時代の、まだ人が居なかった時代の無秩序な力をコピーしたもの。
故に、神代から続き幻想を紡ぐ結代家にとって、特に『結び離れ分つ』結代雅季にとっては、この世の理を行使する魔法は少しばかり
だからこそ、雅季は入試でも勧誘活動時でも可能な限り魔法力は抑えたのだが、それ以外では手を抜かなかった、というか本気でやっていた。
確かに、競技の結果は新人とは思えない、ともすればレギュラー並みの好成績だったかもしれないが、かといって常人の理解の範疇を超えたものではなかった。
幻想郷でよく妖怪やら人間以外を相手取っているとはいえ、雅季自身が妖怪級の身体能力を持っている訳でもないのだ。
まあ、だから本気で競技を行ってみて、色々とやらかしたのだが。
そして雅季が最も懸念していた魔法力についても、司波深雪という逸材が同学年で入学してくれたおかげで、“普通の注目”を浴びる程度に留まっている。
(取り敢えずは、好スタートを切れたといったところかな)
とはいえ本当にスタートを切ったばかりだ。
先は、未だ永く。
幻想郷を襲う『異変』へと繋がる縁が見つかるのか。
魔法科高校の卒業まで、結代家に“不審”を持たれないようにいられるか。
そして、若しも人々が幻想と接した時、この縁を結び、或いは離し、或いは分つことが出来るか。
全ては、正しくこれからである。
ふと、何か可笑しかったのか雅季は小さく笑って呟いた。
「元々は、そんな大した理由じゃなかったんだけどな」
様々な理由が出来たが、本来雅季が魔法科高校に入学しようとしていたのは、あくまで“趣味”の一環であった。
演出魔法という、幻想郷で考案されたスペルカードルールのような『魅せる遊び』を魔法で行うために。
根っからの幻想郷の住人である『普通の魔法使い』が言っているように、スペルカードルールは“殺し合い”を“遊び”に変えたルールだ。
パターンが決まった弾幕もしくは技を作り、それが破られたら負けを認める。挑戦は何回でも出来る。
どんなに困難に見えてもパターンである限り攻略の糸口は見えてくる。何度も挑戦すれば尚更だ。
そこに宛ら花火のような弾幕模様の美しさを加味したのが、大まかなスペルカードルールである。
これによって妖怪は異変を起こしやすくなり、人間は妖怪を退治しやすくなった。
雅季はそれと同じように、魔法という“殺し合い”の術を“遊び”の術に変える方法を示した。
そしてそれは『
「殺し合うより楽しむ方を誰もが望んでおきながら、自ら境界を作って敵を作る。とはいえ、『離れ』『分つ』は世の理。仕方なきことか」
雅季が世の無常さを言葉として紡ぎ出すと、誰もいなかったはずの隣からそれに対する答えが返って来た。
「人は境目を作りたがるもの。国境線然り、人種然り、魔法師然り、そして一科生と二科生然り」
突然の声に、雅季は特に驚いたりしなかった。
声のした場所で、空間が裂ける。
裂けた空間、スキマから姿を現したのは境目に潜む妖怪、八雲紫であった。
紫はそのまま雅季の隣に座ると、置いてある酒瓶を手に取りスキマから取り出した杯に注いだ。
「その間に潜む妖怪としては嬉しいことでしょう」
「そうね。それはその間に立つ結代も同じ、でしょう」
お互いに言葉を交わして、両者は杯を呷る。
相変わらず幻想郷で呑む酒は美味い。
こうして酒を呑む度に、雅季はそう思う。
――どうしても、そう思ってしまう。
(
表情にこそ出さないがそんな自分の内心に嘆息している雅季に、紫が話しかける。
「ところで、学校はどうかしら?」
「ぼちぼちってところです。幻想郷の方は?」
「退屈な日々ね」
どうやら、暫くはあの異変は起きていないらしい。
雅季は詠う様に、有名な一節の一部を少し変えたものを口にする。
「“彼等”は何処から来たのか、“彼等”は何者か、“彼等”は何処へ行くのか」
「未だ何処から来たわけでもなく、未だ何者でもなく、未だ何処へ行くわけでもなく」
「宛ら水子ですね」
「そう、水子ですわ。未だ形無きものが、偽りの形を与えられたもの。故に妖怪でもなく、人でもなく、神でもなく」
彼等は、ただ葦の舟に乗せられてやって来ているだけだ。
結界に導かれるがままに、この月明かりに照らされる幻想郷へと。
だから『異変』とは、葦の舟の出航元のことなのだ。
会話は途切れ、両者は再び静かに杯を呷る。
そうして幾許かの時が流れた後、唐突に紫は口を開いた。
「それはそうと、あの司波という兄妹の家にお邪魔してみたのだけど」
「いや、いきなり何やらかしているんですか?」
ジト目で睨んでくる雅季を無視して紫は続ける。
「あの達也という子、空を飛ぶ術式を作っていたわ」
「へぇ」
雅季は素直に感嘆の声をあげる。
不法侵入については最早何も言わない。紫相手に今更である。
「尤も、途中で気付かれてしまいましたけど」
だが紫が何気なく発した言葉に、雅季は目を細めて紫を見た。
「“気付かれた”のですか?」
「ええ、“気付かれた”のです」
胡散臭い笑みを浮かべて答えた紫の表情からは、やはり何も読み取れなかった。
雅季は小さく息を吐いて、話題を『空を飛ぶ術式』に戻した。
「今の『外の世界』の魔法で、認識と情報のみで空を飛ぶとは……。でも、それって“大変”そうですね」
「“大変”そうでしたわ」
常人が、いや魔法師が聞けば首を傾げる会話でも、雅季と紫の間では成り立っていた。
「では、そろそろお暇致しましょう。ふふ、お酒ご馳走様」
雅季が振り返った時には既に紫の姿はそこには無く、空になった酒瓶だけが置かれていた。
「気付かれた、ね。“気付かせた”の間違いじゃないのかな」
雅季の知る八雲紫ならば、やろうと思えば誰にも気付かれずに術式を盗み見ることも可能なはずだ。
尤も、実は司波達也がスキマに気付ける程の知覚魔法の持ち主だったのなら話は別だが。
「さて、かのスキマ妖怪は何を企んでいるのやら」
或いは、ただの気紛れかもしれない。
何かがいたはずなのに、正体がまるでわからない。人の恐怖を煽ることは妖怪の性だ。
だが、本当にそれだけなのか。別の理由があるのではないか。
得体の知れない、言い換えれば胡散臭い『妖怪の賢者』八雲紫。
だがその胡散臭さも、『妖怪の賢者』等と大層な二つ名を持つのも、星空を見上げるだけで軌道計算を暗算で出来るほどの知力をあの妖怪が持ち合わせているからこそだ。
(その計算高さを持って、どんな未来絵図を描きながら『現実』と『幻想』の狭間で動いているのやら)
雅季は神官袴の懐に手を伸ばすと、そこに収まっていた龍笛を取り出した。
縁側から立ち上がり、空を見上げる。
そして、結代雅季はそのまま月夜の空へと飛び出した。
その日の晩、月の光に照らされる幻想郷に、何処からか龍笛の音色が鳴り響いた。