改訂版では第一章にて初登場です。
……作者的には既に設定していたキャラなので、漸く登場という気持ちが大きいですが。
某所にある洋室を訪れたマイヤ・パレオロギナは、執務机でモニター上の報告書に目を通しているバートン・ハウエルに向けて言葉を発した。
「それで、“礼”は済んだのか?」
「ああ、勿論だよ。クレトシが気を利かして後始末も請け負ってくれてね」
そう言って、バートンはモニターをオフにしてマイヤに目を向けた。
「アストーの『
事情通の者が聞けば絶句して顔面蒼白になるような言葉を、バートンはいつもと変わらぬ穏やかな声でマイヤに告げた。
精神干渉系魔法『
対象に特殊な視覚イメージを見せつけることで直接精神を崩壊させて発狂死させる、死の魔法。
アストーは視覚イメージとして魔法名の由来となった絵画『死の舞踏』を、起動式となる術式を織り交ぜたものを自ら描き、それに
故に、アストーが
だが『
視覚イメージのもたらす『死』は術者でも例外ではない。
通常の魔法師では
特殊な、或いは歪な精神性を持つアストー・ウィザートゥだからこそ使用出来る魔法であり、言わば彼の固有魔法のようなものだ。
だが若しくは、本当の生みの親である四葉なら使える者がいるかもしれない。
もし四葉の人間が『
それはまるで、四葉の元当主、故・
それもそのはずだ。
『
四葉元造が崑崙方院で死を振りまく中、その隊員は四葉側に存在を感知されることなく、四葉元造が死ぬまで魔法を
そうして得られた証言から、四葉元造の魔法は「死のイメージ」を相手に叩きつけることで相手を殺す魔法だとマイヤが推察。
更に『
適正の無い者が使用すれば自らも殺す、呪われた魔法だ。
結局、先代の時代には適正者が見つからず、長らく使用者の居ない魔法だったが、今代の『バートン・ハウエル』により遂に適正者が見つかった。
アストー・ウィザートゥ。
四葉が引き起こしたあの事件の原因に関わり、崑崙方院で四葉を欺き、その魔法を証言として持ち帰ってきた隊員の、今は部隊長を務める魔法師の実子。
その運命染みた偶然と皮肉に、バートンは愉快だと静かに笑ったものだ。
もし、四葉家が全ての事情を知れば、間違いなくラグナレック・カンパニーと四葉家の全面戦争が始まるだろう。
そして、それは一つの企業と一つの一族の争いという枠組みには収まらない。収まるはずもない。
ラグナレックも四葉も、保有する戦力と影響力が強大過ぎる。
両者の全面戦争は、同時に高い確率で、第四次世界大戦の引き金でもあったのだ。
当然、バートン・ハウエルはそれを知っている。把握しながら、全ての指示を出した。
マイヤの従僕である『妖精』が偶然見つけた、ウクライナ・ベラルーシ再分離独立派の情報。
ブランシュを介して手に入れたという、第一高校の生徒が行使したアンティナイト不要のキャスト・ジャミング技術。
尤も、バートンはその技術情報には何ら価値を見出していない。
ブランシュに依頼したキャスト・ジャミング技術の奪取は表向きの名目、彼等を都合良く動かす為のカモフラージュに過ぎない。
そう、
肝心だったのは、その第一高校の生徒が司波達也、四葉に連なる者だという点。
故に、バートンは呉智に指示を下したのだ。
アストーの『
たとえ四葉と全面戦争になろうとも、第四次世界大戦が始まろうとも、『バートン・ハウエル』にとってそれはそれで構わないのだから。
「相変わらず、狂っているな」
「おや、心外だな。私は常に正気だよ」
「ああ、そうだな。正常で狂っているのだから、余計に始末が悪い」
尤も、とマイヤは内心で自嘲する。
(それに協力している私は、結局は同じ穴の狢か)
目的も動機も求める結果も違えど、だがやろうとしている事は同じ。
だからこそ、マイヤはあの大戦が始まる前に接触してきた『バートン・ハウエル』との取引に応じ、そして今なお『バートン・ハウエル』の下でラグナレックに協力している。
『
「でも彼等は、『
バートンは口元を緩めて、再び言葉を紡いだ。
唄うような声で、愉しげに哂いながら。
「それはそれで、きっとクレトシは喜んでいるだろうね。――それこそ、狂うぐらいに」
そんなバートンから、マイヤは僅かに目を伏せて視線を逸らす。
「やはり、お前は狂人さ。バートン」
そして、誰にも聞こえないぐらいの小声でマイヤは呟いた。
水無瀬呉智はマイヤ・パレオロギナを覚えていない。
だがマイヤ・パレオロギナは水無瀬呉智を知っている。
何故なら他の本隊所属の隊員達と同様、呉智の魔法演算領域を施術したのは他ならぬマイヤだからだ。
呉智が、何を切っ掛けに絶望したのかも、何を求めて『スピリット』を使うのかも知っている。
だからこそ、マイヤは言葉で言い表せない複雑な思いが心に渦巻く。
何故なら、彼の望みと
――彼の求めるものは、その手から離れていってしまったものは、きっともう手に入らない。
――再び取り戻そうと、たとえ必死に手を伸ばそうとも、どんなに足掻こうとも。
――この世界の人々は、あまりにも多くの物事を知り過ぎたのだ。
「……まあいい。計画に支障さえ無ければ、お前が何をしようと私には関係の無いことだ」
言うや否や、マイヤは踵を返した。今の表情をバートンに見せないように。
「もう行くのかな? 紅茶でもご馳走しようと思ったのだが」
「要らん。それに『人形』も追加で作製する必要がある。あの国の魔法師を相手にするならば、全員に『人形』を持たせておく必要がある。あの国は昔から奇妙な所だからな」
「それはありがたいな。後で君の
バートンの礼にマイヤは何の反応も示さず、部屋から出て行った。
部屋に一人残ったバートンは、閉じられた扉を見詰めながら静かに笑った。
「マイヤからも奇妙と評されるとは。本当に、不思議な国だ、あの国は」
薄明るい照明が照らす、窓ガラスが一つも無い無機質な通路。
この通路の存在自体が、ラグナレックの最重要機密の一つとなっている。
何故ならば、この通路の繋がっている先は唯一つのみ。
ラグナレックの魔法技術の生誕地、マイヤ・パレオロギナの
マイヤ自身が『歩くラグナレックの最高機密』である以上、彼女の工房も同レベルの機密のヴェールで守られるのは当然だ。
通路を歩くマイヤの向かう先に、やがて一つの扉が現れる。
初見の者は、今までの無骨な通路とのギャップに目を見張るかもしれない。
その扉は、宛ら中世の王城の扉のようだった。
所々に鮮やかな金の装飾が成され、全体的に意匠に拘った所が数多く見られる木製の扉。
市場へ持っていけば、さぞかしそれなりの値が付くであろう。
ただ見た目からして頑丈さとは程遠く、勿体無いという感情を別にすればいとも容易く蹴破られそうではある。
尤も、その見た目とは裏腹に、この扉はマイヤの設置した魔法円によって対戦車ミサイルであろうと傷一つ付かない魔法障壁が張られている。
また扉にはドアノブとなる物が無く、魔法でしか開かないようになっている。
その魔法もマイヤ以外では特殊な起動式が必要であり、それ以外の魔法はマイヤの魔法円の干渉力を前に無力化する。
魔法師以外では開けられず、魔法師でも起動式を持つ者にしか開く事を許されない扉。
マイヤがその扉の前まで歩いてきた瞬間、まるで主人を迎え入れるかのように扉が自動的に開く。
歩調を変える事なくマイヤが扉を潜ると、扉はひとりでに閉じられた。
マイヤの工房は、一人が使用するには充分な広さを持った実験室である。
だが実験室としての模様は、部屋の左右によって先程の廊下と扉以上の懸隔があった。
部屋の右側は、喩えるならば化学の実験室。
手前にはフラスコやビーカー、計量器といった昔からの実験器具に、ガラスの小瓶に入れられた調合薬等が置かれている白いテーブル。
その向こう側にある長く大きな棚には、アンティナイトを始めとした各種の鉱石や、『精霊』が嫌う香料の原料となる植物といった多種多様の実験材料が整理された上で保管され、また別の一角には古今東西の古書や文献、
更に部屋の奥の方に置かれている、魔女の大釜とも言うべき巨大な釜。
それも
部屋の右側だけを見るならば、宛ら
だが一方で、部屋の左側は喩えるならば科学の実験室。
ネットワークに接続された情報端末に、国家の研究所レベルのCAD調整機。
部屋の右側と同じ白いテーブルの上には、実験器具の代わりに複数の試作CADが並んで置かれている。
他にも所狭しと設置された、最先端の測定装置や電子機器の数々。
右側の部屋模様とは対照的に、左側は現代魔法の研究所と言っても差し支えは無いであろう。
余談となるが、部屋の左側に設置されている装置は全て新ソ連製である。
ラグナレックの最大の貿易相手は新ソ連だ。
新ソ連からすればラグナレックという民間軍事企業はUSNA、両EU、インド・ペルシア連邦と三つの仮想敵国の戦力を勝手に削ってくれる、非常に利用しがいのある勢力だ。
ラグナレックに兵器を売れば当然利益が生まれ、更にその兵器で敵国と戦ってくれる。
付け加えるならば、殆どの大国と敵対しているラグナレックに兵器を売却出来るのは新ソ連か大亜連合のみ。
そして兵器の質としては、新ソ連製は大亜連合製を上回っている。
故に、ラグナレックが貴重なビジネス相手である新ソ連と敵対する可能性は、ゼロでは無いとはいえ非常に低い。
況してやラグナレックが北アフリカ、中東、そして南米と三方面に戦線を抱えているならば尚更だ。
自分達に牙を向ける事なく敵国、特にインド・ペルシア連邦とUSNAを消耗させてくれる都合の良い民間軍事企業、それがラグナレック。
そんな新ソ連の思惑もあり、ラグナレックと新ソ連は多くの貿易を行っている。
一方のラグナレックも新ソ連の思惑通り、ビジネス相手である新ソ連に配慮した姿勢を見せている為、現状での表向きの両者の関係は悪くは無い。
尤も、どちらも本当に
閑話休題。
古と現。右側にて古式魔法の研究を、左側にて現代魔法の研究を。
言い換えるならば、部屋の右側は過去を表し、部屋の左側は現代を表す。
そんな表現が似合う程に、過去と現代が一つの部屋に収まり、分けられた工房。
それがマイヤ・パレオロギナの
左右の懸隔が著しい工房、その中央の奥には、更に奥へと通じる扉がある。
王城のような意匠の施された入り口の扉とは対照的に、まるで牢獄のような分厚い鉄製の扉。
――そして、閉ざされた鉄の扉の向こう側から、ほんの微かに漂ってくる血の臭いと死の気配。
マイヤが作る『人形』は、あの鉄の扉の向こう側で製作される。
故に、マイヤはそんな冥府の入り口へと向かって部屋の中央を歩いて行き、
『あ!』
数歩だけ進んだ所で、ネットワークに接続された情報端末から無邪気な声が工房に響いた。
『お帰りなさい、マイヤ様!』
そんな言葉と同時に、元々オンになっていた情報端末のモニターが一層輝く。
尤も、それは常人では見られない輝き、
そうして情報端末のモニターの前に、小柄な人影が姿を現した。
身長は一メートルにも満たないだろう。
まず目に留まるのは、どことなく活発なイメージが思い浮かぶ、見映えのする空色のショートヘア。
次に、本来の装着位置の目には掛けずに、その上の頭に装着している
当然ながら頭部にHMDを掛けても網膜にモニターが映らないので意味を成さないのだが、“少女”としてはアクセサリー感覚で装着しているので何ら問題は無いらしい。
格好はフライトジャケットに似た薄紅色の上着に、深緑色のスカート。
そして最も特徴的なのは、背中から生えている羽。
羽からわかる通り、この少女は人ではない。
「エルシー」
その名を呼ぶマイヤの声は、バートンと会話した時より幾分も柔らかかった。
機械文明の発達、その集大成の一つである航空機を切っ掛けにして新たに生まれた幻想がある。
――其れは、航空機の燃料を飲んで燃料不足を引き起こす。
――其れは、配線を齧って動作不良を引き起こす。
――其れは、使い手を騙して誤動作を引き起こす。
――其れは、電子機械の中に潜んで原因不明の異常な動作を発生させる。
あらゆる電子機械の故障や誤動作の原因を作り出す、悪戯好きの妖精。
そんな幻想を基とする
それが『電機の妖精』、エルシー・グリフィスである。
ちなみにエルシー・グリフィスとはマイヤが与えた名前だ。
「悪戯好きのお前には相応しい」という呆れと共に。
名前の由来からも、エルシーが普段からどれだけ“やんちゃ”をしているか推して知るべきであろう。
閑話休題。
ふわふわとマイヤの前まで飛んできたエルシーは、マイヤに尋ねる。
「マイヤ様、マイヤ様。“あいつ”がもっと教えろって言ってきたアレ、マイヤ様のお役に立ちました?」
「ん? ああ、お前が見つけてくれたキャスト・ジャミング技術の情報か」
「はい! “
目を輝かせて問い掛けるエルシーに、マイヤは笑みを噛み殺して「そうだな」と口を開く。
ラグナレック総帥、バートン・ハウエルと実際に言葉を交わし、彼の事を風評や肩書き以上に知った者は、総じて畏怖若しくは畏敬の念を抱く。
マイヤですら、バートンの底知れぬ奥の深さと在り方を垣間見る度に、心の奥底で言い知れぬ不安を感じる事がある。
そんな彼を、眼前と向かって“あいつ”呼ばわりする上にぞんざいな扱いをするのはエルシーぐらいだ。
尤も、それはエルシーが豪胆だからではなく、ただ単純に能天気な性格をしているだけであるが。
だが、マイヤはエルシーのようには成れない。
故に視線を落とし、表情に微かな陰りを浮かべながらマイヤは言葉を紡ぐ。
「……『バートン・ハウエル』を、今一度確認する上では大いに役立ったよ」
これが他の者ならば、マイヤは心の裡を表情に出すような真似はしない。
エルシーだからこそ、思わず裡から外へ出てしまう。
「わーい! マイヤ様のお役に立ったー!」
そして、そんなマイヤの様子に全くと言っていい程に気付かないまま、エルシーは嬉しそうにマイヤの周りをぐるぐると飛び回った。
マイヤが無意識に望んだ返答そのままに。
「……全く、少しは落ち着け」
マイヤの僅かな陰りは、無邪気に懐いてくるエルシーの純粋な明るさによって打ち消され。
苦笑とも微笑とも付かないぐらいの小さな笑みに取って代わった。
『電機の妖精』エルシー・グリフィス。
ラグナレックでもマイヤと同様、その存在を知る者はごく僅か。
だが外界の一部では、正体不明の超天才ハッカーとして知られている。
プロファイリングで「精神年齢は幼い子供」と診断されながらも、卓越した技量を持つことで知られ世界中の情報機関から警戒されている。
何せその技量は、日本の国防軍のネットワークに容易く
USNAの『七賢者』が最初は興味本位で、今では全力で正体を追っているにも関わらず、全く正体の断片すら掴めない存在――。
「ああ、そうそう。マイヤ様、ネットの中でスピリットの元ネタになりそうなお話を見つけたんです」
「ほう、どんな話を見つけてきたんだ?」
「USNAのお話なんですけど、チャックっていう大魔神が凄いんですよ!」
「チャック……?」
「はい。物凄く強い大魔神さんで、USNAのリーサル・ウェポンです!」
「は?」
「回し蹴りで高層ビルを崩壊させる体術。バターでナイフを切り裂き、ワインをビールに変える魔法! 何よりスターズや大統領は疎か、神々ですら恐れる不条理の体現者! 玩具のシャベルでグランドキャニオンを作り、ブラックホールにだって出入り自由自在。たとえ死んでも死神がそのことを告げる勇気が無くて、地獄には『チャックお断り!』って看板すら置いてあってですね――」
「……エルシー」
「チャックがいれば世界なんて目じゃない――って、マイヤ様?」
「それは現実に持ってきてはいけない。
そんな物騒な奴、スピリットに出来るか。
心の中でマイヤはそう呟いた。
誰が知ろう。
世界中が警戒する謎の超天才ハッカー。
その正体が、飛行機を筆頭にした機械弄りとネットサーフィンを趣味として、ハッキングを散歩感覚で行う妖精であると。
ついでに好物はビールと飴であるとか。
……おそらく世界は知らない方が良いかもしれない。主に精神の安定の為に。
ブランシュによる一高への襲撃事件と、達也たちの拠点強襲から数日が過ぎた。
事件の後処理は十文字克人が請け負った。
まず壬生紗耶香を含め襲撃に参加した生徒達が咎められないようにする辻褄合わせは、学校側との思惑が一致している為に難無く済んだ。
尤も、スムーズに事が進んだのはそれだけだったとも言える。
一高襲撃の実行犯達と、司一と共に拠点にいた者達は、その全員の死亡が確認された。
死因は心不全と診断されたが、それに至った経緯は依然不明のまま。
だが、おそらく系統外魔法による殺害という点では疑う者はいなかった。
ブランシュを全滅させた勢力と、その勢力が持っている未知の魔法。
肝心なこの二点については調査が難航している。
とはいえ、勢力の正体については手掛かりが皆無という訳では無い。
ブランシュに配備されていた、ジェネレーターと称される強化人間。
第三勢力の正体を追う者達はこのジェネレーターを唯一の手掛かりとして、やがて香港に本拠地を置く国際犯罪シンジゲート『
一方で、霊子情報体や心不全の原因となった未知の魔法については、全くと言っていいほど手掛かりも無く、調査に進展も見られなかった。
霊子情報体を使役していたことから古式魔法師ではないかという憶測が立てられただけで、対策はおろか術の正体も未知のままだ。
ただ達也だけは、心不全の原因となった魔法について一つの情報を持っている。
それは司一が死亡する瞬間、司一に活性化した『精霊』が憑いていたことだ。
精霊自体に隠形の術が組み込まれており深雪や克人も精霊に気付けず、達也も最初は気付かなかった。
司一が目の前で死亡し、『
そして、その精霊は別の精霊の視覚映像を映し出すだけの役割しか負っていなかった。
つまり、司一を始めとしたブランシュのメンバーを殺害したのは精霊ではなく、精霊が映し出した“何か”の方だ。
尤も、流石の達也でもその“何か”まではわからなかったが。
この事実はあの場にいたメンバーの中では深雪にしか告げていない。
これを知ることが出来たのも『
そしてこの時点では、司波達也は十文字克人をそこまで信用出来ていない。
達也からすれば克人との面識は僅か数回、それも相手は十師族の直系にして跡継ぎなのだから、秘密を抱える者として慎重になるのは当然と言えた。
ただでさえ霊子情報体との戦いで『
これ以上、こちらの手の内を見せる訳にはいかなかった。
やがて調査は十文字家だけでなく七草家、国防軍、更に四葉家も独自に動き始め、未知の勢力の正体を追っていくことなる。
だが現時点では、ブランシュを全滅させた勢力も方法も不明のまま、四月も終わりを迎えようとしていた――。
「というわけで、今日は桐原先輩の恋人たる壬生先輩の退院祝いにやってきました」
「……誰に向かって説明しているんだ、お前は」
病院を目の前にして突拍子のない発言をする結代雅季に、森崎駿が何かに耐えるように頭に手を当てながらツッコミを入れる。
そんないつもと変わらぬ二人のやり取りを、後ろにいる花束を持った司波深雪と司波達也が「しょうがないな」とでも言いたげに苦笑いを浮かべながら見つめている。
雅季が虚空に向かって説明した通り、四人は壬生紗耶香の退院祝いに来ていた。
最初は達也と深雪の二人で行く予定だったのだが、いつの間にか桐原とも仲良くなっていた雅季が深雪経由で話を聞き、「じゃあ俺も」とあっさり参加を表明。
そして当日、先に集合場所に来ていた雅季の隣には、何故か森崎の姿が。
まあ、森崎のげんなりした顔を見て、二人は大体の事情を察して何も言わなかったが。
尤も、森崎の気苦労に同情した深雪が道中によく話しかけてきてくれたということもあり、森崎にしてみれば正に「災い転じて福となす」といった状況だったが。
紗耶香はマインドコントロールを受けていたということもあり、大事を取って入院をしていた。
経過は非常に良好で、本日晴れて退院ということになった。
彼女の治療が順調に進んだ理由の一つは、同時期に入院して一足先に退院している桐原武明にあるのは間違いないだろう。
霊子情報体との戦闘でレオは両腕を、森崎は右足首を、桐原は腹部をそれぞれ負傷していた。
幸い、レオと森崎は入院までは至らない傷だったので治療後の帰宅が許され、今では完治している。
ちなみに、襲撃のあったその日の内に達也たちがブランシュの拠点を強襲した事は、関係者以外の一般生徒には知られないようにしている。
三人が負った怪我も、「一高を襲ったテロリストの残党」によるものとされている。
故に、森崎達が霊子情報体『赤い靴』と戦ったことを、一般生徒である雅季は知らず。
雅季達が同じ『赤い靴』と戦い退治したことを、幻想を知らない森崎達は知らない。
ささやかな、だけど大きな擦れ違い。
両者の縁は、まだ離れている。
閑話休題。
レオと森崎は入院せずに済んだが、巨漢の蹴りを受けた桐原は腹部外傷を引き起こしており入院が必要であった。
その為、桐原は紗耶香と同じ病院に入院した。
現代の医療技術により直ぐさま快復した桐原の方が先に退院したが、その時には両者は恋人の仲になっており、退院後も桐原は毎日欠かさず紗耶香の見舞いに赴いた。
その成果が、其処にある。
病院の入り口に佇む紗耶香は、自然に笑っていた。
彼女の周りには先に来ていた千葉エリカを追い回す桐原武明。状況としてはきっとエリカが桐原をからかったのだろう。
そして見知らぬ中年男性の姿、おそらく彼女の父親か親族か。
「あ、司波君!」
四人の姿に気付いた紗耶香が満面の笑みで手を振る。
司波、というか達也の名で呼んだのは、彼が四人の中で一番関わり合いが深いからだろう。
「退院おめでとうございます」
「花束までわざわざ……本当にありがとう」
深雪から花束を受け取り、本当に嬉しそうに頬を緩める紗耶香。
「こんにちはー、桐原先輩」
「結代、それに森崎。お前たちも来てくれたのか」
「はい」
若干離れたところで達也が紗耶香の父親、
「ねえ雅季。桐原先輩とさーやがくっついたけど、縁結びの神社の跡取りとして何か一言!」
「ちょ、ちょっとエリちゃん!?」
「千葉、お前は先輩にまでそんな態度なのか」
こっちの集団は主にエリカのせいで騒がしくなる。
エリカからインタビュー形式でフリを受けた雅季は、
「結代として、両者の良縁を心から祝福しますよ」
縁結びを祀る一族として、素直に祝辞を述べた。
「おおぅ、雅季が真面目だ。何か意外」
「神職に関わること“だけ”は真面目だぞ、雅季は」
目を白黒させるエリカに、「だけ」という部分をやけに強調して森崎が言った。
二人が普段どういう目で雅季のことを見ているかがよくわかる。ちなみにその見方は正解だ。
そして、珍しく真面目と評された雅季はポケットに手を入れ、ある物を取り出した。
「今日は退院祝いの花束は持ってきていませんが、代わりにこれを」
雅季は桐原と紗耶香の二人にそれを渡す。
それは木札だ。一般的な名刺ぐらいの大きさで、左下に撫子の花柄が描かれている。
「これって、結び木札?」
受け取った木札を見ながら紗耶香が呟くように雅季に尋ねた。
結び木札。正式には『
木札にそれぞれの名前を書き、それを赤い糸で結んで神木の枝に掛けて縁結びを祈願するという、朱糸伝説に肖った結代神社独自の風習だ。
八玉結姫と旅人を最初に、歴史上の人物から現代の人々まで、まさに悠久の歴史を紡ぎながら幾多のカップルを結んできたそれを、二人に渡した雅季の真意は明白だった。
「ご利益は保証しますよ。本家本元、結代の系譜が祈祷しますから。間違いなく八玉結姫様に届きます」
「何だ雅季、実家の宣伝か」
少年染みた笑顔を浮かべる雅季に、桐原は照れ臭そうに憎まれ口を叩く。
「二割ぐらいは。信仰も宣伝しないと集まりませんからね、今も昔も」
「案外、神社も世知辛えもんだな」
そんな応酬を繰り返した後、桐原は頬を赤く染めながら木札と桐原を交互に見つめる紗耶香に向かって、小さく頷いた。
幻想郷、結代神社。
「これで良し、と」
天御社玉姫は雅季から祈願された結び木札に神力を宿らせると、自らの手で赤い糸を結び、木札を持って本殿から出る。
「あ、玉姫様。お疲れ様です」
「紅華もお疲れ。この結び木札、神木の枝に括りつけておいてね」
「はい。わかりました」
玉姫は境内を掃除していた荒倉紅華に結び木札を渡す。
玉姫から木札を受け取った紅華は、自然と笑みを浮かべる。
「ふふ、雅季さん。やっぱり外でも『結代』なんですね」
「そうよ。雅季は誰よりも『結代』に近き者。だからこの地の、幻想郷の今代の結代を任したんだから」
紅華にそう言った後、玉姫は心の中で言葉を紡ぐ。
(そうでなければ、幻想を紡ぐことは出来ないんだけどね)
『幻想』を紡ぐということは、人の世にあっては縁を結ぶ者であると同時に、神仏妖の在り方を紡ぐ者であるということ。
『結代』であるということは、人の世にあっては縁と幻想以外の出来事には深く関わらぬということ。
何時か訪れるであろう、幻と現が再会するその
その重さと覚悟を、寧ろ当然として受け止めている雅季の在り方は、玉姫の言ったように誰よりも『結代』だ。
きっと『外の世界』では雅季の事をこう評する日がくるかもしれない。
――人でなし、と。
「玉姫様?」
紅華の声で我に返った玉姫は、何でもないと笑いつつ境内を見回す。
「そういや雅季は――と、またどっか出かけたわね」
「はい、博麗神社へ行きました。その、霊夢さん達と妖怪退治祝いだってお酒を持って……」
「本当、しょうがないんだから……」
やれやれとわざとらしく肩を竦める玉姫に、紅華は乾いた笑いを零すのみ。
実は雅季にお呼ばれしていて、境内の掃除が終わったら行く事を承諾したとは言えなかった。
「ま、放蕩神主は置いといて。それじゃ紅華、木札はお願いねー」
そう言って神社の奥へと引っ込んでいく玉姫。
紅華は少しだけ噴き出しながら「わかりました」と玉姫の後ろ姿に伝えた。
結局、雅季は射命丸文の記事を阻止できなかったため、『文々。新聞』には一面に放蕩神主の文字がデカデカと掲載されてしまった。
そして、それを見た幻想郷の住人達の反応は、「今更じゃない」と一蹴だったのだから、紅華としてはおかしくて仕方がなかった。
「さて、と」
紅華は受け取った木札を持って神木へと向かうと、木の枝にそれを括りつけた。
「放蕩神主なんて呼ばれていますけど、雅季さんは誰よりも縁を大切にする方です。あなた方の良縁は、決して切れることはないでしょう。――お幸せに」
踵を返して境内の掃除に戻る紅華。
括りつけられた二つの木札。
朱い糸で結ばれた木札には、この地では誰も知らない名が記されていた。
『桐原武明』、『壬生紗耶香』と――。
博麗神社。
見事に咲き誇っていた桜も殆ど散ってしまい、葉桜が夏の訪れを予感させる。
神社の境内にある葉桜を見上げながら、雅季はそっと詠う。
「桜花、夢か現か、白雲の、絶えてつねなき、峰の春風」
あの桜花を見たのは夢だったのか、現実だったのか。
白雲も見えなくなったが、だけど峰には今も春風が吹いている。
「夢か現か……そんなの、どっちだって同じさ」
たとえ現実であろうと、夢であったとしても。
あの満開だった桜の美しさを見られた事には変わりは無いのだから。
「あ、来たわね」
「よう、ちゃんとお酒は持ってきたか」
神社の方から声が聞こえ、雅季は振り返る。
博麗霊夢と霧雨魔理沙がそこにいた。
「持ってきたって。ほら、結代神社の三年古酒。まあ流石に十年ものは無理だったけど」
雅季は持っている一升瓶を見せて、二人の方へと歩き出す。
「つまみは何かある?」
「魔法の森で採れた茸だぜ」
「魔理沙が言うにはお酒に合うそうよ」
「そりゃ楽しみだね。紅華も後で来るって」
博麗神社の裏手へと歩いて行く三人を、風に揺れる葉桜が見送った。
季節は巡り、桜が散り、緑葉が生い茂り始める夏へと向かう。
現実は流れ続け、幻想は変わらずそこにある。
現実と幻想。相反する二つを結ぶは、境目の上に立つ者のみ。
これは、原より出ていて、神代より紡がれる
そう、人知れず密かに、だけど確かに。
現と幻は、紡がれ始めた――。
【オリジナルキャラ】
エルシー・グリフィス
作者的には遂に登場させることが出来ました、『電機の妖精』エルシー・グリフィス。
改訂前は第三章に登場予定でしたが、改訂版は第一章で初登場です。
おそらくラグナレック唯一無二の癒し系笑い担当天然キャラ。
元ネタはご存知の通りグレムリン。現代らしい幻想です。
アメリカでは今でも航空機の部品納入時にグレムリンの好物である飴玉を供える伝統があるそうです。
「飴玉あげるから悪戯しないでね」という意味です。
なので、エルシーはUSNAが大好きなんだ(某バーガーショップのピエロ風)
キャラというか立場的には三月精デビューしたクラウンピースと被るかも。
ご主人様はマイヤ・パレオロギナ
ご主人様の友人様はバートン・ハウエル。
つまり変なTシャツヤローはバートン・ハウエルという方程式が(違)
ちなみにチャックの大魔神は「チャック・ノリス・ファクト」でググるといいかも。
現界したら世界終了のお知らせです(笑)
改訂版『入学編』本編は今話にて終了です。
幕間として二話ほど入れた後、改訂版『九校戦編』に入ります。
それでは、今後ともよろしくお願いします。