魔法科高校の幻想紡義 -改-   作:空之風

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この話だけで執筆に四ヶ月以上も掛けました……。
戦闘描写や流れに大いに手間取りました。
想像以上に大変なんですよねぇ。
如何に苦戦させるかって(鬼畜)


第11話 魔性物語 -赤い靴の少女-

心地良い靴の音を響かせて、不快な笑い声を上げながら。

 

赤い靴の少女は肉切り包丁を片手に達也たちに向かって駆け出す。

 

「ちょっ、こっち来た!?」

 

人間が相手ならばまだしも、不気味な存在を前に流石のエリカも声が引いている。

 

それでも身体に染み付いた習性が、警棒を構えて迎撃の態勢を整えさせた。

 

達也たちの中で赤い靴の少女に対して先手を取ったのは克人だ。

 

少女と自分達の間に領域魔法『反射障壁(リフレクター)』を展開する。

 

運動ベクトルを反転させる力場は質量あるものを通さない。術者が克人ならば尚更だ。

 

だが赤い靴の少女は魔法の障壁を目前にして――笑い声と共にその姿を掻き消した。

 

「消えた!?」

 

まるで幻のように忽然と姿を消した少女に森崎が目を見開き周囲を見回すも、少女の姿は何処にも無い。

 

それでも響き渡る靴の音のみが、未だ此処に少女が居ることを知らせている。

 

達也は『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』でイデアにアクセスし、状況を確認する。

 

イデア上で座標が移動している霊子(プシオン)の塊を達也は情報の次元で捉える。

 

少女は消えた、だが其処にいることを達也は知覚する。

 

姿が消えたように見えるのは、霊子(プシオン)の周りに纏っていた想子(サイオン)の殻を霧散させたためだ。

 

人は物質次元に干渉する事象が無ければ、五感で認識することは出来ない。

 

そう、本来ならば達也であっても情報の海を漂う霊子(プシオン)の正確な位置まではわからない。

 

情報次元の座標はわかっても、それが物質次元では何処の座標になるのか、双方を互換する“何か”が無ければ座標の位置はわからなかっただろう。

 

今回は、その“何か”が残されている。

 

情報次元と物質次元を互換する情報。

 

それは、廃工場に軽快に響き渡る靴の音。

 

これが物質次元に於いて少女の位置を達也に認識させる唯一の現象だ。

 

目に見えず、更には音が反響する屋内で、聴覚だけを頼りに靴の音から居場所を割り出すのは難しかっただろう。

 

だが現象として物質世界に干渉するものがあるのならば、達也はそれを認識する。

 

「桐原先輩、左です!」

 

唐突な達也の警告に、桐原は反射的に左へ振り返る。

 

少女の核となる霊子(プシオン)の周囲に再び想子(サイオン)が集まり、肉体という“魔法式”を構築して結果として物質次元に反映される。

 

そうして桐原の眼前に姿を現した少女は、嗤いながら桐原に向かって包丁を振り下ろした。

 

 

 

 

 

廃工場から少し離れた森林の中、水無瀬呉智は木に背中を預けながら開かれた本を読んでいる。

 

正確には『見ている』の方が正しいだろう。

 

呉智が開いた本の内容には文字も絵も無い、ただある光景を映し出している。

 

よく小説家等は「登場人物が勝手に動き出す」という表現を用いるが、この本の中では登場人物達がそれ以上に自らの意志で動き回っている。

 

当たり前だ。

 

本が映し出している光景は今現在起きている廃工場の出来事であり、登場人物とは他ならぬ達也たちのことであるからだ。

 

『スピリット』という幻想を閉じ込めたグリモワールが開かれたことにより、今の廃工場にはある種の結界が敷かれている。

 

あの結界の中は言わば異界。

 

この本に記された登場人物が再現され、あの場にいる者達が登場人物になる。

 

現代に蘇った御伽話(げんそう)の世界だ。

 

「『赤い靴』に魅入られた少女は、その靴を履いたことにより死ぬまで踊り続ける呪いを掛けられた」

 

宛ら朗読するかのような口振りで呉智は言葉を発する。

 

呉智と同じように近くの木に背中を預けて腕組みをしているアストーは呉智を一瞥するが、直ぐに興味無いと言わんばかりに視線を外す。

 

一方の呉智は、端からアストーのことなど眼中に無い。

 

事実、先程の言葉も同伴者にして同僚、そして“一応”は戦友であるアストーに告げたものではなかった。

 

言葉を向けた相手は本の中に、あの廃工場にいる。

 

「まずは小手調べ。両足を切断した少女の負の感情、怨念。それがお前達の相手だ」

 

 

 

 

 

振り下ろされる肉切り包丁を桐原は刀で受け止めようとして、咄嗟に取り止めて慌てて後ろに飛んで包丁を避ける。

 

包丁の刃に強い干渉力を持った力場が形成されていることを察知したからだ。

 

力場には物質を分断する方向へ動かす力が働いている。

 

もし包丁を受け止めていれば、強い干渉力によって『高周波ブレード』は解除され、そのまま力場によって桐原の身体は刀ごと紙切れの如く切り裂かれただろう。

 

戦慄に冷や汗を流す桐原に対し、赤い靴の少女は足を止めることなく踊るように桐原の側面に回り込む。

 

まるでそれがダンスのステップであるかのようなスムーズな動きで、少女は再び桐原に切り掛かる。

 

だが、少女の包丁が桐原に届くことは無かった。

 

赤い靴の少女の包丁よりも先に、横から射出された克人の『障壁』が少女を弾き飛ばす。

 

宛らトラックに撥ねられたかのように少女は吹き飛ぶが、事も無げに赤い靴で着地する。

 

そして、再び身体を消失させて皆の前から姿を消した。

 

「何なんだありゃあ!?」

 

「知らないわよ!」

 

赤い靴の音が響く工場内に、そんなレオとエリカの会話も反響する。

 

「会頭、助かりました。司波兄も助かったぜ」

 

桐原の礼に克人は頷き、達也も目礼で済ませる。

 

一方で警戒心を顕わにして周囲を見回しながら森崎が克人に問い掛ける。

 

「十文字会頭、あれはいったい?」

 

「わからん。人の形をしてはいるが、人間ではあるまい。SB魔法の一種かもしれん」

 

魔法科高校の三年生であり十師族である克人も、あのような魔法は見たことも無い。

 

ただスピリチュアル・ビーイングを用いる古式魔法には、人形を傀儡として操る術があると寡聞には聞いたことがある程度だ。

 

元々、古式魔法師は自分達が継承してきた技術を守るため秘密主義なところがあり、寧ろ知らないことの方が多いだろう。

 

尤も、秘密主義なのは十文字家を含めた現代魔法師も大して変わらないが。

 

「司波、場所はわかるか?」

 

克人は達也へ視線を移して問う。

 

主語を抜いた質問だったが、達也には伝わっている。

 

その上で、達也は頷いて見せた。

 

「靴の音がする場所が、そのまま“アレ”の居場所です」

 

そう言って、達也は目を別の場所へ向ける。

 

果たして、達也が視線を向けた先に赤い靴の少女は現れた。

 

拘束されて動けない、司一の目の前に。

 

「ひぃ!?」

 

司一の顔が恐怖に歪む。

 

そんな司一を嗤って見下ろす少女は、足拍子を踏みながら肉切り包丁を薙ぎ払い。

 

まるで柔らかいチーズを切るかのように、司一の両足を切断し、

 

「ぎゃああぁぁああ!!」

 

司一の悲鳴と少女の嗤い声が木霊した。

 

 

 

 

 

「あぁ、悪いな、忘れていたよ。お前が死んでは、“本命”が出来なくなるところだった」

 

呉智は冷めた目で本を、そこに描かれている司一を見遣ると、本に想子(サイオン)を流し込み、仕込まれている起動式から魔法式の一部を変更する。

 

すると、足を抑えて蹲っている司一の姿が本から消えた。

 

これで『赤い靴』は司一を認識出来ない。

 

認識出来なければ、攻撃することもない。

 

「――だから、それまで忘れ去られていろ、司一」

 

無感情に言い放つと、呉智は改めて魔法科高校の生徒達と『赤い靴』の戦いに目を向けた。

 

 

 

 

 

司一の血で白いドレスを靴のように赤く染めながら、それでも赤い靴の少女は踊り続ける。

 

「くそ、見境無しか!」

 

森崎が特化型CADを少女に向けて引き金を引く。

 

ジェネレーターを蹌踉めかせた、前後方向へ揺さぶる二工程の加速系魔法が赤い靴の少女を捉える。

 

しかし、少女は止まらない。

 

何かしらの反応も見せず、身体も足も止めることなく、ただ狂ったように踊り続けたままだ。

 

「そんな、魔法が通じていないのか!?」

 

「いや、違う。魔法は作用している。ただ中身が無いんだ」

 

森崎の驚愕を、達也が冷静に否定する。

 

「アレには脳も臓器も無い。だから脳震盪は起こり得ない」

 

「人間じゃない、そういうことか」

 

森崎は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。

 

特化型CADにインストールされている魔法が通じないということは早撃ちが封じられたようなものだ。

 

「それなら――」

 

だが森崎はすぐさま特化型CADを待機状態に戻し、汎用型CADを起動させる。

 

特化型から汎用型にCADを切り替えるその速さは、達也をして「お見事」と内心で賞賛させるものだった。

 

尤も、森崎が汎用型CADで魔法を駆使するよりも早く、極寒の冷気が赤い靴の少女に吹き荒れる。

 

深雪の振動減速系広域魔法『ニブルヘイム』が赤い靴の少女を捉える。

 

少女の身体が瞬く間に凍り付いていく。

 

それでも少女は踊ることを止めず、ジェネレーターのように凍りつつある身体を無理やり動かしているため、その身体の至るところに罅が入る。

 

だが、結局は無意味。

 

ジェネレーターと異なり、少女はその身体が砕け散る前に再び想子(サイオン)を霧散させて、身体を消し去る。

 

後に残るのは凍り付いた床と、やはり靴の音のみ。

 

「また消えやがった」

 

桐原が忌々しげに呟くとほぼ同時に、深雪が『ニブルヘイム』を解除する。

 

こうも簡単に消えられては攻め難いことこの上ない。

 

「けどよ、あの凍り付いた身体なら次の動きは鈍るんじゃねぇのか? そこを突けば――」

 

「いや、そうじゃない」

 

変わらず靴の音が響く最中、レオが訝しげな視線を達也に向ける。

 

「“アレ”は姿を透明にして見えなくしているんじゃない。身体自体を消失させているんだ」

 

「何だそりゃ!?」

 

「何よそれ!?」

 

レオとエリカが異口同音に叫ぶ。

 

(さっきといい、やはり仲が良いな)

 

心の中でそう思うも、藪蛇になると分かり切っているので達也は口にも表情にも出さない。

 

一方で深雪が警戒しながらも脳裏に浮かんだ疑問を達也に尋ねる。

 

「お兄様、それは一体どういうことでしょうか?」

 

「“アレ”は霊子(プシオン)を核に持っている、霊子(プシオン)情報体だ。あの身体や包丁は言わば魔法式。物質次元に、俺達のいる次元に現象として干渉するための手段に過ぎない」

 

霊子(プシオン)情報体? SB魔法の一種ってことか?」

 

桐原の確認の意味を込めた問い掛けに、達也は首を小さく横に振る。

 

「術の正体までは……。少なくとも自分の知識にあるSB、所謂『精霊』とは異なるものであるかと」

 

「まあ何だ。要するに、肉体はオマケだからいくら傷つけても意味が無いってことだろ?」

 

余計な情報をあっさりと切り捨てて、話を本筋に戻して更に本質を突いたレオの指摘に、達也は微かに苦笑して頷く。

 

「ああ、その通りだ。だから“アレ”を倒す為には核である霊子(プシオン)の塊をどうにかするしかない」

 

達也はそう言い切った直後、自らの特化型CAD『シルバーホーン』を自身の背後に向ける。

 

凍結どころか全くの無傷で達也の背後に現れた少女は、現れた途端に想子(サイオン)の塊によって身体を()()()()()()()

 

身体自体が吹き飛ばされたのではなく、身体を構成する情報体が達也の放った想子(サイオン)の砲弾によってイデア上で吹き飛ばされたのだ。

 

衆目の中で、特に()()十師族がいる中で『術式解散(グラム・ディスパージョン)』も『雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)』も見せたくない達也が打った反撃の一手は、狙い通りの効果を発揮した。

 

『身体』という魔法式が吹き飛べば、その身体が保てなくなるのが道理。

 

故に、赤い靴の少女は現れた直後に、自らの意に反してその姿を掻き消された。

 

「――それは、『術式解体(グラム・デモリッション)』か」

 

達也が何をしたのか理解した克人が感嘆の声をあげて達也を見遣る。

 

知識として『術式解体(グラム・デモリッション)』という魔法のことは知っていたのだろう。

 

知らなければ、今のエリカとレオ、桐原や森崎のように「何だ今の?」と驚愕と疑問が混ぜ合わさった顔が出ていたに違いない。

 

普通の人間が相手ならば『術式解体(グラム・デモリッション)』という想子(サイオン)の砲弾をぶつけたところで、身体が吹き飛ぶという結果は得られない。

 

まず想子(サイオン)自体が質量を持たない非物質粒子であるため、物理的な効果は無い。

 

イデア上で人間の情報体に『術式解体(グラム・デモリッション)』を当てたところで、想子(サイオン)の奔流で身体を掻き乱し体勢を崩すことはあっても、人間自体が持っている情報体の質と量を粉砕(デモリッシュ)することは不可能だ。

 

だが、この赤い靴の少女の場合は異なる。

 

霊子(プシオン)を覆う殻のような、そんな表面上だけの魔法式(からだ)ならば、達也の『術式解体(グラム・デモリッション)』はその殻を粉砕し、吹き飛ばせる。

 

尤も、あくまで吹き飛ばすだけであるが。

 

達也が未だ厳しい表情のままなのは、その事を自分自身が理解しているが為だ。

 

姿が無くとも、赤い靴の音は未だ鳴り響く。

 

術式解体(グラム・デモリッション)』で掻き消したのは想子(サイオン)のみ。

 

核となっている霊子(プシオン)にダメージは与えられていない。

 

その事を説明せずとも皆が理解したのだろう、誰もが再び構えを取った。

 

未知なるものを相手にする警戒心を保ちながら、エリカがつい口から出たような口調で小さくボヤく。

 

「こんな得体の知れない奴を相手にするんだったら、ミキの奴でも連れてくれば良かった……」

 

小声だったので聞き取れたのは“たまたま”隣にいたレオのみだ。

 

「ミキって誰だよ?」

 

周囲を、特に靴の音のする方を警戒しながら振り向かずにレオが問う。

 

「幼馴染って奴よ。あんたも顔は見たことあるわ」

 

何せ同じクラスメイトだし、とは続けなかった。

 

いや、続けられなかった。

 

それ以上に、エリカの直感が自らの危機を告げていたがために。

 

まるで致命的な何かを見落としているような、そんな背筋を震わす悪寒がエリカの中を駆け抜ける。

 

「あん? どういう――」

 

そして横目でエリカの方をレオも、どういうことかと続けることが出来なかった。

 

一方の達也も、隣にいる深雪を護りながら警戒のために『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』にアクセスし、故に気付いて素早く振り返る。

 

 

 

レオと達也の視界に入ったものと同じ光景を『読者』という立場で俯瞰しながら、

 

「『赤い靴』の呪いを掛けられた少女は只管に踊り続け、心身とも疲れ果てた末に、出会った首切り役人に自らの足首の切り落としてくれと懇願した」

 

呉智は物語を言葉で紡いだ。

 

靴の音が鳴り響きつつも、赤い靴の少女は未だ姿を見せていない最中。

 

エリカと呼ばれた少女の背後に、黒い覆面を被った二メートルを越す巨漢が、音も気配も無く何時の間にか立っていた。

 

赤い靴の少女の純白なドレスとは対照的な、黒一色のローブ。

 

ローブから出している両腕は丸太のように太い筋肉質で、両手には成人男性の頭よりも大きな斧。

 

「罪人でもない、ただ呪われただけの少女の足首を切り落とした首切り役人。それはきっと、少女にとっては救いだったかもしれないが――」

 

まるで中世時代の首切り役人を連想させるその巨漢は、既に斧を自らの頭上に構えている。

 

そうして、物語は第二章へと移り変わる。

 

「首切り役人にとっては、大きな絶望だっただろうな」

 

『赤い靴』が生み出す、怨念と絶望の二重奏へと。

 

第二章を告げる首切り役人の死の一撃が、エリカに向けて振り下ろされた。

 

 

 

レオの反応は、常人よりも遥かに早かった。

 

レオは即座に飛び出しすと身体ごとエリカにぶつかり、エリカを突き飛ばす。

 

そして、エリカを助けた代償として、今度はレオの頭上に斧が迫る。

 

音声認識は到底間に合わない。

 

故に、レオは魔法無しで相手の攻撃を防がんとプロテクター型CADを装着した両腕を頭上で交差させた。

 

その時、情報次元(イデア)において想子(サイオン)の砲弾が巨漢の情報体(エイドス)に直撃する。

 

達也が放った『術式解体(グラム・デモリッション)』だ。

 

だが、『術式解体(グラム・デモリッション)』を直に受けて尚、巨漢は赤い靴の少女のように吹き飛ばされず姿形を保ったまま変わらず其処に存在し続けていた。

 

それでも少しは効果があったのか、巨漢は身体を僅かによろめかせながら、斧をそのままレオに振り下ろした。

 

「ぐぅッ!」

 

予想以上に強い衝撃がレオを襲う。

 

達也によって体勢を崩されながらも巨漢から繰り出された一撃はその体格に似付かわしい、否、それ以上の威力を持っていた。

 

プロテクター型CADに大きな罅が入り、細かい破片が飛び散る。

 

両腕が軋みをあげ、鈍痛が広がっていく。

 

ともすれば崩れ落ちそうになる膝にレオは歯を食いしばって耐えるも、身体は一瞬にして既に限界に近い。

 

レオ自身としてはあまりいい思いはしないとはいえ、それでも自らの肉体の強靭さには自負を持っているにも関わらず。

 

(拙い!!)

 

このままでは押し切られるとレオが焦りを覚えた矢先、巨漢がトラックにぶつかったかのように吹き飛んだ。

 

レオと達也から一歩遅れて、新手に気付いた克人が魔法障壁を高速で巨漢に叩きつけたのだ。

 

卓越した空間掌握能力を持つ克人にとって、質量分布の変動を知覚するなどお手の物だ。

 

そうして、新手の出現を即座に察した克人は、物理非透過という単一の性質を持った魔法障壁を相手に叩きつけた。

 

それこそが十文字家の代名詞『ファランクス』の攻撃方法だ。

 

克人の『ファランクス』に跳ね飛ばされて、さながら地響きでも起きそうなほど豪快に巨漢は倒れた。

 

「なっ! もう一人!?」

 

気配も何も感じさせずに突如現れた新手に、事前に気付いた達也とレオ、克人を除く誰もが驚きと戦慄を隠せない。

 

「西城、無事か?」

 

両腕をだらんとぶら下げるレオに、克人が安否を問う。

 

レオはそれに答えようとして、

 

「――っ!」

 

鈍く奔った痛みに思わず顔を顰めた。

 

骨折まではいっていないだろうが、おそらく筋繊維の断裂は間違いないだろう。

 

頑丈さが持ち前であったCADも大きく破損し、中のセンサー部が壊れた状態で露出している。

 

「ちっと、無理っぽいです。両腕とも、あんまり動かせねぇ。あいつ、見た目以上にパワー持っているぜ」

 

レオはそう言って、動かぬ両腕の代わりに顎で巨漢を指し示す。

 

「……レオ、アンタには礼を言っておくわ。だから休んでいなさい」

 

レオに庇われた形となったエリカは立ち上がると、平坦な口調でレオに告げた。

 

尤も、声が平坦だったのは感情を何とか押し殺していることの裏返しである。

 

事実、激しい闘志を宿した目でエリカはのっそりと立ち上がる巨漢を見据えいる。

 

立ち上がった巨漢に、その様子や外観上からも何かしらのダメージを負った様子は無い。

 

隣にいる深雪の視線を受けながら、達也は先程から巨漢をずっと“視て”いる。

 

やはりというべきか、人間とは異なる構造を持つこの巨漢も、赤い靴の少女と同じく人間ではないのは自明の理だ。

 

同時に、達也はこの巨漢の正体を既に把握していた。

 

巨漢(こっち)は化生体のようだな。霊子(プシオン)の核を持っていない」

 

だが、赤い靴の少女と比べて情報体の内側に持つサイオン量は圧倒的に多い。

 

並みの術者が行使する化生体よりも、情報の密度が言葉通り桁違いだ。

 

それこそ、今しがた実証したように達也の『術式解体(グラム・デモリッション)』で吹き飛ばせない程に。

 

術式解体(グラム・デモリッション)』と名付けられているが、その実態は純粋な想子流だ。

 

想子流の圧力によって情報体(エイドス)から魔法式を引き剥がすことで、『術式解体(グラム・デモリッション)』は対抗魔法として成立している。

 

故に、想子流の圧力以上の強度を持った魔法式は吹き飛ばすことは出来ない。

 

そう、この巨漢を織り成す化生体のように。

 

(厄介な……)

 

達也は心の中で舌打ちしつつ、立ち上がって再び斧を構えた巨漢と対峙する。

 

実際にはそう見えるように形取られた化生体であるにも関わらず、巨漢からは荒い息遣いすら聞こえてきそうな質量感すら覚える。

 

達也をして桁違いの情報量の密度と評する所以である。

 

それに、赤い靴の少女は常に足を動かしていたが、この巨漢は静止している。

 

この点もまた赤い靴の少女との違いだ。

 

赤い靴の少女と巨漢、両者の違いが何であるのかまでは達也にもわからない。

 

それでも、何かしらの法則性があるのではないか、達也にはそんな気がしてならない。

 

だが、達也は気付けない。知らないが故に。

 

達也だけではない。深雪も、レオも、エリカも、森崎も、克人も、桐原も。

 

誰も知らぬが故に、誰もわからない。誰も気付けない。

 

海を超えた大陸の更に反対側という遠き西方に、そんな御伽話(メルヘン)があることを。

 

達也たちと巨漢が対峙する最中にも靴の音が聞こえてくる。

 

靴の音は相変わらず動き続け、やがて巨漢の傍にまでやって来る。

 

そして、赤い靴の少女は巨漢の横に姿を現した。

 

書き記された通りに、何時までも踊り続けながら。

 

そう、少女は止まらない。止められない。

 

肉体に重きを置かない、精神的な存在であるが故に、物語に縛られる彼女は一切立ち止まることが許されない。

 

それは巨漢も同様だ。

 

与えられた役割を果たすべく、踊り続ける少女を前にして巨漢が斧を振り上げる。

 

そう、呪われた赤い靴を履いてしまった少女も、首切り役人である巨漢も。

 

全ては描かれた物語(シナリオ)通りに――。

 

そうして、達也たちの眼前で首切り役人は斧を振り払い。

 

踊り続ける赤い靴の少女の両足首を、横薙ぎの一閃によって切り落とした。

 

「な……!?」

 

誰もが言葉を失い、ただ血飛沫が舞い散る光景を見つめる。

 

巨漢は振り抜いた斧を再び持ち上げて構え直し。

 

赤い靴と両足を失った少女はあの不快な哂い声を上げながら地面に倒れ。

 

そして、血に塗れた赤い靴は、足首だけになっても鮮血の舞台で踊っていた。

 

「何なんだよ、一体……」

 

「味方じゃあ、ねぇのか……?」

 

狂笑と足拍子の中で、険しい表情を浮かべた森崎と桐原の言葉がポツリと紡がれる。

 

行動原理が理解出来ない。正体がわからない。

 

そんな未知なるモノ、得体の知れないモノを前にして、僅かな怯懦を含ませて。

 

「お兄様……」

 

深雪が震えるような声で達也の名を呼び、その袖を掴む。

 

達也は無言でそれに応え、深雪を半身で庇うように半歩だけ前に出た。

 

そして、両足を失って地面に倒れ込んだ少女は、俯いたまままゆっくりと“立ち上がる”。

 

いや、それは正しくは無い表現だろう。

 

少女は地に立てる足が無い中で、まるで幽霊のように宙に浮いて立ち上がったのだ。

 

俯いた顔はブラウン色の長い前髪で覆い隠し、されど嗤い声は止まず。

 

やがて少女は顔を上げて達也たちに顔を見せる。

 

「っ!」

 

後ろにいる深雪が息を呑んだのを達也は聞いた。

 

嗤っている少女は、晦冥の瞳から血の涙を流しながら達也たちを見ていた。

 

その足元には滴り落ちる血雨の中でも動き続ける足首と、赤い靴。

 

「まるで怨霊だな」

 

「……ちょっと達也君、この状況でその手の冗談は(タチ)が悪いわよ」

 

達也の独り言に反応したエリカだ。それにレオが口を挟む。

 

「いや、でもよ、アレはどう見ても――」

 

「だから言うなってば! 空気読みなさいよバカ!」

 

「なっ!? バカって何だよ、この猪女!!」

 

「誰が猪女よ! 猪なのはアンタでしょうが!!」

 

エリカとレオの、打てば響く軽快な遣り取りは敢えて意識してのものだろう、多分。

 

その証拠に、身体が強張っていた深雪は幾分か落ち着きを取り戻しているし、桐原と森崎も険しい表情から呆れ混じりの苦笑に切り替わっている。

 

尤も、この二人なら特に意識せず自然と交わした可能性も否定出来ないと、達也は意地悪く(?)も思ってもいるが。

 

「来るぞ」

 

エリカとレオの押し問答も、重くも響くような克人の声によって中断される。

 

そして同時に、斧を構えた巨漢が重圧感を伴って達也たちに突進した。

 

「私が動きを止めます!」

 

「防御は任せろ」

 

CADを操作しながら告げた深雪に克人が応え、巨漢の前に『反射障壁(リフレクター)』を展開する。

 

突進してきた巨漢は、ベクトルを反射させる魔法障壁に気付き、障壁に向かって斧を振り下ろす。

 

克人と巨漢、両者の干渉力が激突する。

 

競り勝ったのは、克人の『反射障壁(リフレクター)』であった。

 

斧が勢いをそのままに跳ね返ったことによって、巨漢がもんどりを打って倒れる。

 

倒れたところへ、極寒の冷気が巨漢に襲いかかる。

 

深雪の『ニブルヘイム』だ。

 

瞬く間に凍った四肢によって動きが封じられ起き上がれないまま、更に身体を急速に凍りつかせていく。

 

そして、深雪は掲げていた手を下ろした時には、倒れた巨漢の氷像が出来上がっていた。

 

「さっすが深雪、やるぅ」

 

エリカが口笛すら吹きそうな軽い口調で言った後、ふと気付く。

 

両足を失い血の涙を流していた少女が、再び靴の音を響かせながら幻のように消えていることに。

 

それを認識した時、各自がそれぞれのやり方で臨戦態勢を整える。

 

桐原は何時でも振動系魔法『高周波ブレード』が展開出来るようにCADを操作しながら刀を構え、靴の音の方向に意識を向ける。

 

克人は“魔法的”な感覚を広げていき、何処に現れようと即座に対応出来るように空間を掌握していく。

 

エリカはレオの前に立ち、すぐさま跳び出せるよう無駄な力を抜いた構えで、五感を研ぎ澄ませて静かに佇む。

 

森崎はレオとエリカに背を向けて後方を警戒、特化型CADから攻撃と支援のどちらも可能な汎用型CADに切り替え、注意深く周囲に目を向ける。

 

深雪は一瞬だけ達也に目を向けると、達也が微かに首を横に振ったのを見て僅かに口惜しそうな顔を一瞬浮かべつつ、その手で汎用型CADを操作する。

 

待機させる魔法は振動減速系広域魔法『ニブルヘイム』。

 

実のところ、深雪は霊子(プシオン)を核に持つ相手に対して決め手となる魔法を持っている。

 

系統外・精神干渉魔法『コキュートス』。

 

深雪の魔法の本質は、精神を凍結させる精神干渉魔法だ。

 

振動減速系統である冷却魔法は、本質の精神干渉魔法が物質次元に干渉するために派生したものに過ぎない。

 

構造を持たない霊子(プシオン)を核に持つ相手である以上、達也には相手の攻撃を未発に終わらせる手段はあっても、相手を直接攻撃出来る手段は持っていない。

 

それは他のメンバーも同様だろう。

 

いくら想子(サイオン)を纏った実体を傷つけようと、その核である霊子(プシオン)にまでは届かない。

 

唯一つ、深雪の精神干渉魔法を例外として。

 

深雪の『コキュートス』は精神を凍らせる。それは霊子(プシオン)情報体であっても例外ではない。

 

だが達也も深雪も、入学して早々に自らの魔法の手の内を他に知られる訳にはいかない事情がある。

 

故に、達也も深雪も第三者がいるこの場で、本来の魔法を使う訳にはいかなかった。

 

(何か、他に手がないか)

 

打開案に思考を巡らせながら、達也は特化型CADを虚空に向かって構えつつ『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』で情報を俯瞰する。

 

そうして、両腕を痛めたレオを除いた六人はそれぞれ少女が現れた時に備えて身構える。

 

変わらず聞こえてくる靴の音は、達也たちが集まっている位置から十メートル以上離れたところで拍子良く鳴り続けている。

 

達也が『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』で視ているイデア上でも、霊子(プシオン)の核が靴の音がする座標にいることを示している。

 

誰もが、靴の音がする方向に意識を傾ける。

 

そして、忽然と姿を消した時と同様に、足を失った少女は忽然と姿を現した。

 

力場を纏った肉切り包丁を持って。

 

レオとエリカに背を向けている森崎の、すぐ右隣に。

 

「――ッ!!」

 

悪寒と殺気を感じて、森崎の鼓動が大きく跳ね上がる。

 

条件反射によって、振り返る時間も惜しいと森崎はとにかく身体を前方へ投げ出した。

 

だが足が地を蹴ったその瞬間、右足首の後ろに鋭い痛みが走った。

 

「ぐっ!?」

 

そのままの言葉通り刃物で切られた時の鋭痛に、森崎は歯を食いしばりながら勢いに任せて地面に身を投げる。

 

森崎が咄嗟に振り返った視線の先には、あの金切り声のような嗤い声を上げる少女。

 

「森崎!?」

 

「っ! この!」

 

レオとエリカが素早く振り返り、エリカは警棒を少女に向けて振り下ろす。

 

それに対して少女は包丁を無造作に振るう。

 

交差する警棒と包丁。だが鍔迫り合いは起きなかった。

 

エリカが魔法式で強度を上げているはずの警棒は、それ以上の干渉力を持った包丁によって切断された。

 

警棒の真ん中辺りから先が宙を舞い、音を立てて床に落下する。

 

その直後、少女の姿が吹き飛ぶように掻き消される。

 

達也の『術式解体(グラム・デモリッション)』だ。

 

少女の実体を想子(サイオン)諸共吹き飛ばした達也は、特化型CADを構えたまま厳しい目で少女が居た場所を睨む。

 

靴の音は、相変わらず離れたところで踊っていた。

 

「くそ、靴の音は囮か!」

 

「足首を切り落としたのは、或いはこの為か」

 

桐原と克人の声を聞きながら、森崎は自身の右足に目を遣る。

 

右足首の踵より上あたりがバッサリと切られ、制服のズボンが流血により赤く染まって広がっていく。

 

幸い、骨や腱にまでは達していないようだが。

 

思わず森崎は視線を足首から別へと移す。

 

両足を失い、未だ小さな嗚咽を零して蹲っている司一へと。

 

(あと一瞬でも遅かったら――!)

 

痛みよりも、その“もしも”の方が森崎には恐ろしかった。

 

「森崎君、怪我の具合は?」

 

森崎は我に返ると、声を掛けて来た深雪に「大丈夫です」と反射的に返す。

 

制服のネクタイを解き、包帯替わりに右足首に巻き付けてきつく締め付ける。

 

「森崎、立てるか?」

 

「あ、ああ。何とか――」

 

ネクタイで止血した森崎は達也の問い掛けに顔を上げて、ふと視界の端に目が留まった。

 

森崎の視界に映ったのは、勢いよく自身の背後へと振り返る十文字克人の姿。

 

そして、深雪の『ニブルヘイム』によって凍り付いたはずの巨漢が、無傷の状態で克人の後ろに立っており、構えた斧を薙ぎ払う光景だった。

 

斧の一撃は、克人が咄嗟に展開した魔法の壁によって防がれる。

 

だが克人が反撃するよりも先に、巨漢は実体を解いて虚空に消えた。

 

「会頭!」

 

「気をつけろ、すぐに“次”が来るぞ」

 

克人の警告の意味を、桐原はすぐに理解する。

 

桐原の目の前に、消えてから間を置かずに巨漢がその姿を現す。

 

その一方で、今度は達也の右側面に足を失った少女が実体化し、達也の足元に向かって包丁を突き出す。

 

巨漢の繰り出す大きな一撃を克人の魔法障壁が防ぎ、桐原が『高周波ブレード』で巨漢を切り裂く。

 

少女の包丁に達也は身を引いて躱し、深雪の凍結魔法が少女を凍らせる。

 

だが、何れも決定打どころか致命打にすらならない。

 

胸元を大きく切り裂かれた巨漢も、全身が凍り付いた少女も、そのまま霧のように想子(サイオン)を霧散させて実体を消していく。

 

そして、間を置かずに両者は再び無傷な状態で唐突に実体を再構築する。

 

両足ごと赤い靴を失った少女は、両腕が思うように動かせずに垂れ下げているレオの背後に。

 

首切り役人の巨漢は、右足を切られたことで立っているのがやっとな森崎の真正面に。

 

気配に気付いたレオが振り返るとほぼ同時に、実体化を終えた少女はダンスのように包丁を振り下ろす。

 

「レオ!」

 

力場を纏った包丁が空を切ってレオに迫る直前、レオの腕をエリカが思いっきり引っ張った。

 

「ぃってぇ!!」

 

痛みに声を上げながら、引っ張られたことにより前のめりになるレオ。

 

直後、少女が振り回した包丁はレオの膨ら脛を薄く切り裂いた。

 

飛び散る血はごく僅か、切り傷も浅くかすり傷程度だ。

 

どちらかというと無造作に引っ張られた腕の方が痛かったりする。

 

「っ!!」

 

森崎は眼前に現れた巨大な人影を前にして、反射的に汎用型CADに手を伸ばした。

 

入力する起動式は兎も角の発動速度重視。加速工程無しで相手を後方に吹き飛ばす単一工程の移動系魔法。

 

それでも到底間に合わないと、森崎自身も感覚的にはわかっていた。

 

実際、姿を現した巨漢が既に手に持った斧を構えているのに対し、森崎は漸くパネルの操作を終えたところ。どちらが早いかは自明の理だ。

 

だが足が動かない以上、森崎にそれ以外の取り得る手段は無かった。

 

汎用型CADを付けた右腕を此方にかざす森崎を、覆面の奥にある光の無い瞳で見下ろしながら、巨漢が斧を叩きつけるように振り下ろし。

 

その寸前、見えない壁が巨漢に叩きつけられた。

 

森崎を救ったのは、やはり克人だった。

 

振り下ろした斧は森崎から逸れ、身体を大きく蹌踉めかせる。

 

そして、巨漢は姿を消す。

 

一方の少女もレオへの初撃を外した段階で既に姿を消していた。

 

次に現れる時には、また無傷な状態で唐突に誰かの近くに現れるのだろう。

 

「全員、互いの死角を守れ」

 

克人の言葉に、それぞれが背中合わせに固まる。

 

特に負傷した森崎とレオ、武器を失ったエリカの三人を守る様に達也、深雪、桐原、克人の四人は自然と外側に位置を取った。

 

「このままでは拙いな」

 

「俺も同感です」

 

言葉を紡いだ克人に、桐原も意見を同じにする。

 

その刀を握る手は汗でしっとりと濡れている。

 

それが桐原の心情を明確に物語っていた。

 

再び忽然と姿を現す、両足を失った少女と首切り役人の巨漢。

 

消えては現れ、攻撃して即座にまた消える。

 

奇襲による一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)をどうにか防ぎ切れているのは、達也と克人の二人の存在が大きい。

 

達也が『術式解体(グラム・デモリッション)』で少女を吹き飛ばし、克人が『ファランクス』で巨漢を弾き飛ばす。

 

それぞれの知覚能力でいち早く出現を察知出来る達也と克人の二人によって、致命傷までは誰も()()負っていない。

 

だが、このままではジリ貧であることは誰もが自覚していた。

 

何より、全員が実感出来るほどに先程から消えて現れるまでの間隔が徐々に短くなってきている。

 

まるで少しずつ包囲を縮めて追い詰めていくかのように。

 

今はまだ大丈夫かもしれないが、更にペースが加速度的に早くなって行けば――。

 

「達也、霊子(プシオン)の核をどうにかしないといけないんだったよな?」

 

「ああ」

 

レオの再確認を含めた問いに達也は答えつつ、特化型CADを構える。

 

再度出現した少女は、その直後に想子(サイオン)の砲弾によって吹き飛ばされる。

 

尤も、レオに姿形を見せず持たない霊子(プシオン)を攻撃する手段は無く、それどころか現状では少女と巨漢から身を守ることも危うい。

 

だが何も手が出せないからといって何もしないという手は取れないし、レオとしても取りたくない。

 

故に、何かしらの切っ掛けを求めるための発言だった。

 

「司波、霊子(プシオン)の核を持っているのはあの少女の亡霊で間違いないか?」

 

克人の表現した「少女の亡霊」という単語に妙な納得感を覚えつつ、達也は首を横に振った。

 

「いいえ、違います。どうやら核となっている霊子(プシオン)を持っているのは、あの少女ではありませんでした」

 

何人かが「え?」と疑問符を浮かべて達也の方へ視線を向ける。

 

一方の達也の視線は、ただ一点に絞られている。

 

軽快な足拍子が聞こえてくる場所へと。

 

初めて現れた時から。

 

斧で身体から切り落とされても。

 

今に至るまでただ只管に踊り続けている存在。

 

先程から姿を消しているその存在を、情報という俯瞰から視据えて達也は告げる。

 

「あの少女が履いていた赤い靴。アレこそが“敵”の正体だ」

 

『赤い靴』という外観情報の中に潜む、霊子(プシオン)孤立情報隊を。

 

 

 

『あの少女が履いていた赤い靴。アレこそが“敵”の正体だ』

 

浮かび上がった物語の文章に、呉智は口元を小さく釣り上げた。

 

「気付いたか。だがもう遅い」

 

そして、まるで達也に正体を看破されたことが切っ掛けであるかのように、第二章から次の章へ。

 

――『赤い靴』という魔性物語の、最後の章のページが開かれる。

 

 

 

「っ!」

 

「む!」

 

其れに気付いた達也と克人が咄嗟に天井を見上げる。

 

それに釣られて全員が同じ方向へ顔を上げた。

 

廃工場の天井。

 

その直ぐ下に、足を失った少女がいた。

 

宙に浮かび、失った足から血の雨を床に降らせながら、一切の光の無い晦冥の瞳で達也たちを見下している。

 

その周りには目視しただけでも十や二十では効かず、恐らく三十を優に超える肉切り包丁が浮かんでおり。

 

力場を纏った鋒は、全て達也たちに向けられていた。

 

「っ!? やべぇぞ!!」

 

冗談じゃない、と桐原が切羽詰った声を上げた瞬間、少女の嘲笑うかのような狂笑と共に、包丁の雨が一斉に降り注いだ。

 

視認出来る程度とはいえ高速で飛来する包丁を前に全員が身構える最中、克人が大きく一歩踏み出す。

 

足を失った少女を強く見据えながら、克人は手を前にかざして魔法を発動した。

 

展開される魔法の障壁が、包丁の力場の干渉力に打ち勝って包丁を弾き返し、弾かれた包丁はその場で消滅していく。

 

だが少女は次々に魔法式を構築、想子(サイオン)の塊が形と質量と力場を形成した包丁となって絶え間無く放たれる。

 

「はぁ!」

 

力強い気合の声と共に、克人もまた魔法を発動させる。

 

多重障壁魔法『ファランクス』。

 

克人の『ファランクス』は迫り来る包丁を叩き落とし、更に“前進”する。

 

防ぐだけではない、防ぎながら攻撃する、攻防一体の魔法が『ファランクス』だ。

 

全ての包丁を叩き落とした『ファランクス』が、そのまま虚空に浮かぶ少女へと迫り。

 

――少女の前で、消え去った。

 

「何!?」

 

克人の目が驚愕に見開く。

 

少女を中心に、半径一メートル程度の球体状に張られた領域干渉のフィールド。

 

まるで少女を護る結界のように張られたそれが、克人の『ファランクス』の干渉力を更に上回ったのだ。

 

誰もが愕然として思わず硬直する中、達也だけが次の行動を起こす。

 

特化型CADを少女に向けて『術式解体(グラム・デモリッション)』を撃つ。

 

だが『術式解体(グラム・デモリッション)』も克人の『ファランクス』同様に少女の一メートル手前で四散する。

 

(何て干渉力だ……!)

 

術式解体(グラム・デモリッション)』すら弾き返す干渉力に、達也の表情が険しいものに変わる。

 

達也の『術式解体(グラム・デモリッション)』は深雪の魔法式も粉砕出来る。

 

それはつまり、あの少女の領域干渉は深雪の干渉力すら間違いなく上回るということだ。

 

ならば、あの領域干渉を突破することは深雪や克人を含めてこの場にいる誰にも出来ないだろう。

 

唯一、達也の『術式解散(グラム・ディスパージョン)』を除けば。

 

術式解散(グラム・ディスパージョン)』ならば少女の領域干渉も、巨漢の身体を形作る化生体も消去出来る。

 

(だが……)

 

軍事機密に指定されている『雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)』ほどではないにせよ、『術式解散(グラム・ディスパージョン)』もまた可能な限り秘匿するべき魔法だ。

 

それをここで、それも十師族の前で明かすことのデメリットは計り知れない。

 

だが現状では、『術式解散(グラム・ディスパージョン)』しかあの少女の領域干渉を打ち破れない。

 

内心で躊躇する達也と、それを心配そうに見ている深雪を他所に、足を失った少女の攻撃はより苛烈さを増していく。

 

再び放たれた包丁の群れは、今度は上からだけでは無かった。

 

少女を中心に全方位に向けて放たれた無数の肉切り包丁は、途中で軌道を変えて全周から達也たちへと迫る。

 

鋒と刃に力場を纏う包丁は一本一本が人体を容易く切り裂ける、致命傷に等しい攻撃力を持つ。

 

それが上方からだけではなく前後左右と逃げ道を全て塞いで殺到する。

 

宛ら包丁の嵐、いや台風のようなそれは、或いは結代雅季が此処にいればこう評しただろう。

 

――『弾幕』と。

 

克人は厳しい目でそれ等を見据え、素早くCADを操作して全方位に魔法障壁を展開する。

 

飛来した包丁の群れは、達也たちから数歩離れた距離に展開された『反射障壁(リフレクター)』によって弾かれて落下し、消滅していく。

 

だが包丁の台風は止む気配をまるで見せない。

 

少女は次々と尽きることなく包丁を出現させては放ち、克人は巧みな“息継ぎ”で魔法を途切れさせることなく包丁を防ぐ。

 

「直接干渉が届かないなら、これはどうだ!」

 

その一方で森崎が汎用型CADを操作し、床に落ちている銃器の残骸(達也が分解したマシンガンの構成部品)に移動系魔法を投写した。

 

通称『砲撃魔法』と称される大質量の物体を高速で短時間移動させる移動系統魔法がある。

 

森崎にとってはお世辞にも得意とは言えない魔法だが、出来ないという訳では無い。況してや今回の対象は大質量な物体でも無い。

 

分解された銃器の部品とはいえ銃身(バレル)銃把(グリップ)機関部(レシーバー)等の鉄の塊は充分な凶器となる。

 

森崎の魔法によって幾つかの部品が弾かれたように床から離れて、空中に浮かぶ足を失った少女へと放たれた。

 

強力な領域干渉によって森崎の移動系魔法が打ち消されたとしても、魔法によって得られた物理的慣性力までは打ち消せない。

 

森崎の放った部品類、その半数は飛び交う包丁によって弾かれ、音を立てて床に落ちる。

 

そして、残り半数は包丁の嵐を潜り抜け、少女の領域干渉によって魔法式を失いながらも勢いをそのままに少女へと襲い掛かった。

 

銃床(ストック)薬室(チャンバー)が少女の額や肩を強く打ち据え、更に銃身(バレル)が腹部に突き刺さる。

 

それでも、足を失った少女は、何一つ変えずに森崎達を見下ろしていた。

 

顔面に鉄の塊が迫って来ても瞬き一つせず、ぶつかったところで狂った笑いは保ったまま。

 

失った両足からは止めど無く血が滴り落ちているにも関わらず、銃身(バレル)が突き刺さった身体からは血の一滴も流れない。

 

「くっ、駄目か……化け物め」

 

嘲笑うかのように森崎達を見下ろす少女を、森崎は悔しげに見つめる。

 

「それなら――」

 

直接干渉が駄目ならば、いま森崎が行ったように改変した結果による物理現象を。

 

あの程度ではダメージを与えられないというのならば、より大きな現象を。

 

そうして深雪の魔法が発動し、他の六人の魔法師は大規模且つ強力な事象改変の予兆を感じ取った。

 

間を置かずに、空中に浮かぶ少女の、更に上の空間に極寒の地獄が発生した。

 

減速領域(ディーセラレイション・ゾーン)』。

 

通常の用途は飛び道具の速度を減速させる領域魔法。

 

だが深雪が行使すれば、気体分子すら減速させて領域内を極寒の世界へと変える。

 

更に分子運動量の低下によって生じる気圧差によって、周囲を極寒の世界へと引き摺り込む。

 

森崎の魔法とは文字通り桁が違う深雪の圧倒的な魔法に、上級生である桐原すら息を呑み、十師族の克人も感嘆の息を吐く。

 

少女から左右へと放たれている包丁が尽く引き摺り込まれ、瞬時に凍り付いて砕け散る。

 

そして、極寒地獄によって液体化した酸素や窒素が、足を失った少女に降り注いだ。

 

液体酸素や液体窒素がブラウン色の髪を凍り付かせ、更に頭部、首筋、肩部と上半身を次々と凍らせていく。

 

上半身が凍り付きながらも、少女が放つ包丁はまるで止まる様子を見せず。

 

故に、深雪は更なる一手を打った。

 

領域魔法『減速領域(ディーセラレイション・ゾーン)』を即座に解除したのだ。

 

魔法によって強制的に減速させられていた気体分子が、急激に本来の運動量を取り戻した場合、何が起きるのか。

 

その答えが、全員の眼前に現象となって現れた。

 

急激な気圧の膨張、つまりは空気の爆発だ。

 

爆風が直上の天井を吹き飛ばすまではいかないものの構造を大きく歪ませて、衝撃波が二階部分の窓ガラスを全て叩き割る。

 

幾分かの衝撃波が空気を揺らし、音波となって廃工場の内部に轟く。

 

そして、爆風は半ば凍り付いた少女にも容赦無く襲い掛かり、凍り付いた上半身を吹き飛ばした。

 

克人の障壁によって衝撃波が届かなかったからこそ、その始終の目撃者となれた者達は一部の例外を除いてあんぐりと口を開けてまじまじと深雪を見遣る。

 

「おっかねぇ……」

 

桐原が本当に小さく溢した呟きは、幸いにも深雪と達也の耳には届かなかった。

 

だが、桐原もまた直ぐに気付いた。

 

深雪も、達也も、克人も、未だ険しく宙を見上げていることに。

 

まさかと、桐原も空を見上げた。

 

足を失い、上半身を失い、更にあの衝撃波に曝されていたにも関わらず。

 

少女は、未だ空中に浮かんでいた。

 

最早少女の残骸と表現してもおかしくない程の姿でありながら、生み出される包丁の早さと数と速さは先程から差異は無く。

 

それが、桐原の焦燥感を更に煽り立てた。

 

「靴だ」

 

再び飛来してきた包丁を全て弾き返しながら、唐突に克人が口を開く。

 

「本体であるあの靴をどうにかしない限り、勝機は無い」

 

克人の言葉に反応して、自然と全員の意識がある一点に絞られる。

 

先程から姿を消していても、床に落ちた包丁の金属音に合わせて踊っているかのように軽快なステップを奏でている存在に。

 

「ですが会頭、この状況では……」

 

上方に前後左右と言葉通り全周を包丁の弾幕が吹き荒れる中、そこへ飛び込むのは自殺行為だ。

 

桐原の懸念は克人も重々承知している。況してやこちらには負傷者もいるのだ。現状の守りを疎かにする訳にはいかない。

 

表向きは泰然としながらも、内心で迷う克人。

 

それを察した深雪が達也に目配せをする。

 

深雪が何を考えているのか、達也には直ぐにわかった。

 

『コキュートス』を使うべきだと、目で訴えていた。

 

(……やむを得ない、か)

 

達也に、他の者達に霊子(プシオン)を直接攻撃する手段が無い以上、その手段を持つ深雪に頼るしかない。

 

その事に口惜しさを強く感じながら、達也は深雪に頷きを返そうとして――。

 

 

 

克人が展開する魔法障壁、その内側。

 

全員の中央付近、その頭上に、巨大な斧を抱えた首切り役人の巨漢が姿を現した。

 

「っ!!」

 

「な!?」

 

「っ!? 散れ!!」

 

咄嗟に全員が飛び退くのと同時に、巨漢が落下と共に斧を大きく振り下ろして床を粉砕し、飛び散った破片が全員に襲い掛かる。

 

その最中、達也は咄嗟に深雪を庇い、深雪へと飛んできた全ての破片を自らの身で受け止めた。

 

反射的に顔を庇っていた深雪は顔を上げて、右のこめかみ辺りから血を流す達也に目を見開く。

 

「お兄様!?」

 

「大丈夫だ深雪、ただの掠り傷だ」

 

達也は心配させないようにと深雪にそう告げるとすぐさま振り返る。

 

そして、上空と前方、更に左右から迫り来る無数の包丁に、達也は特化型CADを向けた。

 

この瞬間、流石の克人も突然の危機に対して意識を傾けてしまい、展開されていた魔法障壁は解除されており。

 

故に、足を失った少女が放つ包丁の弾幕は遍く誰しもに襲いかかり、それは達也と深雪も例外ではない。

 

達也は『術式解体(グラム・デモリッション)』で飛来する包丁の弾幕を次々と打ち落としながら、

 

「深雪」

 

背後にいる深雪に話しかけた。

 

「場所は俺が教える。――やるぞ」

 

主語を抜いた言葉であったが、深雪には達也の意図が伝わっていた。

 

「はい、お兄様!」

 

二人には、それだけで充分だった。

 

 

 

 

 

巨漢が砕いた破片の散弾から逃れようと、エリカとレオ、そして痛みに顔を歪めながらも森崎は咄嗟に後方へと跳び引いた。

 

「くっ!」

 

だが着地した時に右足首の傷が開き、森崎はバランスを崩して膝を付いた。

 

「森崎、大丈夫か!」

 

「レオ、上!!」

 

レオが森崎を気遣って振り向いた直後、エリカから危機感に満ちた鋭い警告が発せられる。

 

エリカの声に振り返った矢先、すぐ目の前にまで飛んできている包丁がレオの目に留まった。

 

「うお!?」

 

反射的に包丁を避けようと腰を落として身体を捻るも、レオの左肩を包丁が掠める。

 

鋒に力場を纏った肉切り包丁は、レオの皮膚を軽々と切り裂いて通り過ぎていく。

 

だが飛来する包丁は一本だけではない。弾幕の如く全方位に放たれ、そのまま数の暴力となって全方位から三人に迫り来る。

 

エリカとレオは身構えるも、武器を失っているエリカ、両腕を負傷しているレオの二人では実質的に何も出来ない。

 

他ならぬ二人自身がそれを自覚しているため、二人の顔色が焦りに満ちたものへと変わる。

 

各々の長所を活かした特化型CADを失っている今、汎用性のある純粋な魔法の行使に於いては、エリカとレオの二人は間違いなく劣等生だ。

 

故に、エリカとレオでは無数に飛び交う包丁を防ぐことは出来ない。

 

だから、その二人を包丁の弾幕から救ったのは、二人の後ろで片膝を付いている優等生だった。

 

無理に動いたためか右足首から再び血を流しながらも、森崎は腕に巻いたブレスレット形態の汎用型CADを操作。

 

仮想魔法領域が森崎、エリカ、レオの三人を囲うように展開される。

 

そして、森崎の展開した領域内の速度をゼロにする加速系統の停止魔法が、襲い掛かる弾幕を停止させた。

 

尤も、即座に展開してみせた動作は兎も角、魔法力自体は平凡の域を出ない森崎では領域魔法を持続させることは難しい。

 

「っ……」

 

下唇を噛み締めながら、魔法を途切れさせないよう全ての意識を魔法に集中させるも。

 

(長くは、持たない……)

 

他ならぬ森崎自身が、そう自覚していた。

 

 

 

 

 

巨漢は地面を砕いた直後、最も近くにいた桐原に狙いを定めて地を蹴った。

 

巨体に似合わぬ素早い動きで、即座に桐原との距離を詰める。

 

(――確かに、速いけどよ!)

 

避ける事は適わないと察した桐原は、敢えて前に踏み出す。

 

甲高い音が廃工場に木霊する。桐原の得意魔法『高周波ブレード』が発動した証だ。

 

巨漢がその巨大な斧を横薙ぎに振り払い、死神の鎌となって桐原に襲い掛かる。

 

だが、その一連の動作は速いといったところで――先程まで戦っていたジェネレーター程では無い。

 

「おおぉぉおおー!!」

 

斧が桐原を捉えるよりも早く、桐原が切り上げた刀が巨漢の右腕を斧ごと切り裂いた。

 

巨漢は右腕を失い、更に切断された斧が地面に投げ出される。

 

このまま追撃せんと、切り上げた刃を翻し、巨漢へと斬り掛かる。

 

だが、今度は桐原の方が後一歩だけ遅かった。

 

桐原が刀を振るうよりも先に、丸太のように分厚い脚部が、桐原の腹部に深く食い込んだ。

 

斧を失った巨漢が繰り出した蹴り。その一撃は桐原を行動不能に至らしめるのに充分な威力を持っていた。

 

「がぁっ!?」

 

桐原は苦悶の声を上げ、蹴り飛ばされて受け身も取れずに地面を転がる。

 

「う、ぐ……」

 

逆流してきた血が口元から流れ出る。

 

(内蔵がやられたか……!)

 

蹴り飛ばされた衝撃で離してしまった刀は手元に無く、辛うじて意識はあるものの立ち上がることすら出来ずに蹲る。

 

そんな状態の桐原に、無情な包丁の雨が降り注ぐ。

 

無数の包丁の雨が桐原の身体を串刺しにせんと迫る、その間際。

 

「桐原!!」

 

克人の魔法障壁が包丁の弾幕を弾き返し、桐原を護った。

 

そして克人自身も桐原を背に庇い、追い打ちを掛けるように突進してくる巨漢の前に立った。

 

二メートルを超える巨体が、見た目に似合わぬ速度で迫り来る。

 

宛ら大型トラックが向かってくるような、否、それ以上の重圧感を前にして。

 

克人は手を前にかざし、『ファランクス』を発動させた。

 

凄まじい豪力を持つ巨漢の突進と、目に見えない壁が激突する――その直前。

 

「む!」

 

克人の見ている目の前で、巨漢の姿が幻のように消え去った。

 

『ファランクス』は消失した巨漢を捉える事なく空を切る。

 

そして間を置かず、克人から少し離れた場所に巨漢は姿を現した。

 

桐原によって切り落とされたはずの右腕と斧が、何事も無かったかのように修復されているのを見て、克人は眉を顰める。

 

ふと気がつけば、深雪によって上半身を吹き飛ばされたはずの少女の姿も、巨漢によって切り落とされた足を除いて元の姿に戻っている。

 

やはり、いくら少女や巨漢にダメージを与えたところで無意味なのだと改めて現実を突き付けられる。

 

だが、この両者は無視するには余りにも危険過ぎて、どうしても相手せざるを得ない。

 

それが、この現状だ。

 

相手側に損耗は無く、ただ一方的に此方の戦力が次々と削られていく。

 

桐原はもう戦えない。CADと両腕を負傷したレオも同様だ。

 

森崎は魔法を使えても足を怪我して動けず、エリカは無事だが武器が無く戦う術を失っている。

 

戦えるのは克人と達也、深雪。僅かこの三人のみ。

 

――その事実を認識した時、十文字克人の背筋にこの上ない危機感が奔り抜けた。

 

 

 

克人が拳を強く握り締める最中、巨漢が次の手を繰り出す。

 

斧を大きく振り上げ、まるでスイングをするように身体を捻らせて斧を振り払う。

 

巨漢の身体が向いた先には、達也と深雪。

 

そして、巨漢はそのまま振り払った斧を手から離した。

 

「司波!!」

 

克人の怒号に近い声色が耳に入り、達也は振り返る。

 

直後に視界に飛び込んできたものは、巨大な斧が豪快に回転しながら此方に迫ってきている光景だった。

 

巨漢が放った斧の投擲は、狙い通りに達也と深雪の下へと向かう。

 

巻き込むものを全て切り裂き、粉砕する刃を前に、

 

(『術式解体(グラム・デモリッション)』では打ち消せない――)

 

達也は特化型CADを向けつつ、そう判断した。

 

 

 

克人だけではない、エリカ達も此方に目を向けている事に達也は気付いている。

 

それでも、達也の背後には深雪がいる。

 

迫り来る巨大な死の刃を前にしても、達也を信じて微動だにせず、あの魔法を待機させている。

 

ならば、あの死を跳ね除けるのは達也の役割だ。

 

何より、深雪を命の危機に晒すことなど、達也には絶対に認められないが為に。

 

故に、達也は特化型CAD『シルバーホーン』の引き金を引いた。

 

 

 

克人やエリカ、レオ、森崎の見ている目の前で、投擲された斧が霧散する。

 

続けてもう一度、達也は引き金を引く。

 

それと同時に、克人と対峙していた巨漢の姿もまた掻き消えた。

 

魔法式そのものを分解する対抗魔法『術式解散(グラム・ディスパージョン)』が、巨漢の化生体をサイオン粒子に分解したのだ。

 

周囲から、特に克人から無言の驚愕と視線が伝わってくるが、達也はそれを無視して『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』でイデアにアクセスする。

 

イデア上の情報を、この周辺にある存在全てを達也は知覚する。

 

先程からあの『赤い靴』は姿を消したままだ。

 

だが姿形は見えなくとも、其処に在るのなら達也の『眼』は知覚して見せる。

 

そうして、達也は目当ての存在の場所を探し出した。

 

包丁の落下音等の無数の雑音の中、“靴の音”という物理現象が鳴り響く場所。

 

そして、其処に在る霊子(プシオン)の独立情報体を。

 

飛んでくる包丁には目も呉れずに『術式解体(グラム・デモリッション)』で打ち落とし、達也は屋内の一角を指差した。

 

「深雪!」

 

「はい、お兄様!」

 

既に魔法を待機させていた深雪は、間髪を入れずに達也が指差した一帯にその魔法を発動させた。

 

系統外・精神干渉魔法『コキュートス』。

 

嘲笑うかのように踊り続ける『赤い靴』に、その動きを凍らせる魔法が包み込んだ。

 

 

 

音としては決して聞こえず、されど『赤い靴』が上げた悲鳴を、その場にいる誰もが聞いた気がした。

 

 

 

 

 

あれだけ周囲を覆い尽くしていた包丁の弾幕が、一本も見当たらない。

 

達也の『術式解散(グラム・ディスパージョン)』によって消滅させられた巨漢も、再び姿を現す気配を見せない。

 

「……やった、の?」

 

先程までの厳しい戦いが嘘であるかのような静けさに戸惑いを隠せないまま、エリカは周囲を見回して、最後に達也へ顔を向ける。

 

達也は、宙を見上げていた。

 

達也に釣られるようにエリカや深雪、他の者も上を見る。

 

 

 

少女の亡霊が、そこに浮いていた。

 

切り落としたはずの足が元に戻っており、その足にあの赤い靴を履いて。

 

 

 

「っ!? まだ――」

 

「待て、様子がおかしい」

 

克人はレオの言葉を遮って、改めて少女を観察する。

 

違和感の正体は直ぐにわかった。

 

あれ程にあった霊子(プシオン)の波動、存在感が感じられない。

 

何より、少女の身体越しに向こうの景色が見えている。

 

半ば透明な状態の少女の身体が、更に薄くなっていく。

 

「お兄様」

 

もしかして倒せなかったのか、そんな不安を含んだ深雪の声に、

 

「大丈夫だ」

 

達也は安心させるように小さく頷いて見せた。

 

「あれはもう、力を残していない。纏っている想子(サイオン)も殆ど無く、本体である霊子(プシオン)そのものが消えかかっている。いや、消えていくと言った方が妥当か」

 

達也にはあの存在がどのような状態なのか、既に“視”えていた。

 

深雪の『コキュートス』は狙いが曖昧であったため、『赤い靴』を完全に捉えることは出来なかった。

 

だが、精神を凍結されかけた『赤い靴』は、存在を著しく弱体化させられた。

 

それこそ、もう()()にいられなくなる程に。

 

 

 

 

 

「終わり、か」

 

『赤い靴』が消えていくのに比例するように、本が映し出す景色も薄れていく。

 

元より、『スピリット』とは泡沫の夢のような儚き存在。

 

 

 

――これは受け売りだけど、既存の物語にはやがて“幻想”が宿るそうだよ。

 

――それこそが、『スピリット』の原点だ。

 

 

 

嘗て『スピリット』について尋ねた時、ラグナレック総帥のバートン・ハウエルは呉智に一言だけそう答えた。

 

当然ながら全てを語られた訳では無い。

 

ラグナレックは、特にバートン・ハウエル周辺の上層部は国家クラス、或いは四葉に匹敵する程の機密主義の塊だ。

 

だが、推測することは出来る。

 

バートン・ハウエルの語った幻想とは、おそらく『精霊』、独立情報体のことだ。

 

森羅万象に『精霊』は存在する。ならば人の手によって作られた物に付随する『精霊』があってもおかしくはない。

 

それが、古書のような物ならば尚更だ。

 

何より古式魔法師の一角に名を連ねる、他ならぬ水無瀬家を継いだ呉智はそれを知っている。

 

ならば『スピリット』とは、既存の物語を魔法式として定義し、何らかの手段で付随する『精霊』の力を増大させ、この世に仮初めの姿形を与えたものなのだろう。

 

だが、所詮は仮初め。

 

『スピリット』を発動させて現世に召喚した瞬間から、核となる霊子(プシオン)は徐々に存在するための力を失っていく。

 

まるで世界から排斥されるかのように。

 

この世界に『スピリット』の、幻想の居場所など最早無いのだと言わんばかりに。

 

故に『スピリット』は、込められている『精霊』の力にもよるが、基本的に広範囲、長時間の展開は不可能だ。

 

行動範囲を広範囲にすれば、それだけ活動出来る時間が短くなる。

 

成るべく長時間活動出来るようにするには、結界の範囲を縮小するしかない。

 

そして、今回はあの司波深雪の系統外魔法によって更に力を削がれてしまった。

 

その結果がスピリット『赤い靴』の、この世界からの消滅である――。

 

 

 

 

 

赤い靴を履いた少女は、その姿が消え行くかのように透明になっていくことを除けば、最初に現れた時と変わっていない。

 

ブラウン色の長い髪。

 

着込んでいる純白のパーティードレスと殆ど同色な、まるで血が通っていないかのような真っ白な肌。

 

右手に持つ、刃渡りが三十センチメートル程もあるだろう大きめの刃物。

 

血濡れの両足と、血に塗れてながらも鮮やかな色彩を放つ赤い靴。

 

そして、一切の光の無い、晦冥の瞳で達也たちを見下ろしながら、少女は嗤った。

 

あの甲高くガラスを引っ掻いたような、不協和音に満ちた嗤い声が廃工場に反響し、達也たちの耳に入り込む。

 

其れは、少女のようで、女性のようで、老婆のようで、果ては男性のようにも聞こえて。

 

だが、何処かに消えいく者の運命の悲壮さを感じさせて。

 

そうして、少女は嗤い声を上げながら、その姿を徐々に薄くしていく。

 

現実味が薄れ、反比例するように幻想へと帰っていく。

 

 

 

やがて、嗤い声も聞こえなくなり――。

 

 

 

赤い靴を履いた少女も、首切り役人の巨漢も、そして『赤い靴』も。

 

まるで始めからこの世界に居なかったかのように。

 

泡沫の夢の如く幻想と成り果てて、達也たちの前から、現世から消え去った――。

 

 

 

 

 

呉智の手元にある本もまた、『赤い靴』と同じく消え去った。

 

これもまたスピリット魔法の末路だ。

 

物語を終えた魔法は、忘れ去られて消えていく。

 

「……」

 

消失した本があった手元を暫く見つめていた呉智は、やがて静かに目を瞑る。

 

ラグナレック本隊に所属する者の中で、このスピリット魔法を愛用する者は、呉智の知る限りでは自分だけだ。

 

他のメンバーは、使える時と状況ならば使用する。

 

だが、認識としてはそれだけだ。

 

こうして使い終われば消えてしまう、所詮は“使い捨て”の魔法道具に過ぎない。

 

戦場というシビアな現実に身を置く者の感覚としては、それが正しいのだろう。

 

 

 

そう、消え去った『精霊』に対して、感傷に浸る呉智が間違っている。

 

理性では、呉智自身もわかっている。

 

それでも――。

 

 

 

どれくらい、耽っていたのか。

 

おそらく一分間も経っていないだろう。

 

呉智は目を開けると、ずっと無言のまま佇んでいる、いや呉智を睨み付けているアストー・ウィザートゥへと振り返った。

 

その変わらぬ憎悪の視線が、呉智を苦笑させると同時に、意識を完全に現実側へと引き戻す。

 

「始めるか」

 

呉智の言葉に、アストーは頷くことはしなかったが手を懐に伸ばした。

 

取り出したのは、ポストカードサイズの鉄製の黒いカードケース。

 

中に入っているたった一枚の絵を保管するための専用ケースだ。

 

「中身を俺には見せるなよ。まだ死ぬわけにはいかない」

 

念を押しながら呉智はカードケースに手を触れ、魔法を行使する。

 

そうして、全ての準備が整った。

 

手を離した呉智はアストーに背を向けると、アストーはケースを開いて中の絵に手を添えた。

 

アストーが絵に想子(サイオン)を流し込んだのを感じ取って、呉智も魔法を展開する。

 

我々(ラグナレック)から、バートン・ハウエル総帥からの『御礼』だ。――受け取れ、司波達也、司波深雪」

 

呉智が二人の名を呼んだ直後、廃工場で“それ”は起こった。

 

 

 

 

 

未知なる魔性(モノ)を退けて、達也たちは改めてブランシュのリーダー、司一の所に集まった。

 

尤も、司一は両足を切断されたショックで気絶しているが。

 

ついでに失禁もしており、エリカ等は情けない奴を見る目で司一を見下ろしている。

 

「にしてもよ、こいつはよく無事だったな」

 

レオがしげしげと司一を見遣る。

 

あの少女によって両足こそ切断されたが、その後に現れた巨漢や包丁の弾幕からは無傷であった。

 

「単に運が良かったのか、或いはアレを(けしか)けてきた奴が生かしておいたのか。どっちにしろ、そいつを起こせば何かわかるだろうよ」

 

克人に肩を貸してもらっている桐原が答える。

 

巨漢から重たい一撃を受けたダメージで、顔色はあまり良くは無い。

 

だがそれを言えば、全員が同じだ。

 

学校ではテロリスト、この場ではブランシュのメンバーに続けてジェネレーター、そして霊子情報体を用いた謎の襲撃。

 

予想以上の連戦、特に最後の戦いによって、達也ですら若干の疲労の色が浮かんでいる。

 

「では会頭、コイツを起こします」

 

克人が大きく頷いたのを確認して、達也が屈んで司一の肩を掴んだ。

 

「起きろ」

 

司一の肩を無造作に揺らすと、司一の瞼が微かに動く。

 

「うぅ……」

 

やがて意識を闇から浮かび上がらせて、司一はゆっくりと目を開いた。

 

 

 

――その瞬間、達也の知覚は“それ”を認識し。

 

――同時に、死の魔法が襲いかかった。

 

 

 

目を開けた司一の視界に飛び込んできたのは、一枚の絵だった。

 

実際に絵が目の前にあるという訳ではなく、司一の視界に投影されたものだ。

 

その証拠に、絵の立体感は実物を見ているのと全く同じだが、まるで3D映像のように触れることは出来ない。

 

未だ意識がはっきりとしていない司一には、状況が全く掴めていない。

 

此処は何処なのか。今が何時なのか。

 

どうして、目の前に絵があるのか。

 

 

 

そして、何もわかっていないまま、“それ”は起きた。

 

 

 

描かれている絵は、舞踏会の一場面のようだ。

 

男女がそれぞれ正装して優雅に踊っている光景。

 

それだけなら普通の絵だろうが、ただ一点のみの変化点が、この絵を異様なものに変えている。

 

描かれているのは、全員が骸骨だった。

 

タキシードを着込んだ骸骨達がドレスを纏った骸骨達と踊っている。

 

骸骨が演奏団を構成し、骸骨が指揮を執って骸骨達が楽器を演奏している。

 

そして骸骨達が一斉に動き出した。

 

骸骨達が奏でる演奏に合わせて踊る骸骨達。

 

気がつけば視界全部が絵で埋まっている。

 

まるで絵の世界に迷い込んだかのように、それ以外の光景を見ることが出来ない。

 

踊りながら骸骨達が近づいてくる。

 

骸骨達の数は際限なく増え続け、見渡す限り骸骨だらけだ。

 

目を背けることも出来ない。

 

もし背けることが出来たとしても、背けた先も骸骨だろう。

 

 

 

やがて、踊り狂った骸骨達が舞台も見えぬ程に視界全てを埋め尽くし。

 

 

 

「ヒギャアアアァァァアアーーー!!」

 

司一の精神をも埋め尽くした。

 

 

 

 

 

それは、達也たちにとっても突然だった。

 

司一が目を開けると、焦点が合っていない目で虚空を見つめ、

 

「ヒギャアアアァァァアアーーー!!」

 

直後、そんな苦悶に満ちた絶叫を残して、目を見開いたまま倒れ込んだ。

 

「な、何だ……?」

 

誰もが呆然として動けない中、達也はすぐさま司一の首筋に手を当てる。

 

その指先から、生きている証である脈動を感じ取る事は出来なかった。

 

「……死んでいます」

 

ゆっくりと首を横に振って告げる達也に、誰も、エリカや克人すらも次の言葉を発せない。

 

得体の知れない『死』に、表情を苦悶に歪ませたまま硬直している司一の顔をただ見つめるのみ。

 

「本当に、何なのよ……」

 

ポツリと、エリカが呟いた。

 

先程の魔性と相まって、司一の死は最早不気味なものにしか映らない。

 

その中で、克人は険しい顔で司一の身体を見つめ。

 

達也は『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』で何が起きたのかを把握しようと意識をイデアに向け。

 

深雪は、そんな達也に大きな不安と確かな信頼の混ざった目を向けていた。

 

 

 

 

 

「……ブランシュのメンバー全員の死亡を確認」

 

精霊魔法で成果を確認した呉智は淡々と告げると、ゆっくりとアストーへと振り返る。

 

アストーはカードケースを閉じて、ちょうど懐にしまっているところだった。

 

「任務は完了だ、撤退する」

 

呉智の命令に、アストーは返事もせずにさっさと踵を返し、廃工場とは反対側へと歩き出す。

 

呉智もその後に続いて歩き出し。

 

ふと足を止めて、何も持っていない自らの手を見遣った。

 

「これも、お前の下に届いたのか……」

 

小さく、本当に小さな声で呟いて、呉智は再び前を向いて歩き出す。

 

 

 

やがて二人が立ち去った後、その場にラグナレック・カンパニーの関与を示すモノは何も残されなかった。

 

 

 

 

 

 

 

逢魔が時も段々と夜へと傾いていく時刻。

 

何処かの森の中で、赤い靴を履いた少女は踊っていた。

 

此処が何処であるのか、自分が何者であるのか。

 

そんなものは疑問にも思わない。

 

ただ自らの役割だけは知っている。

 

 

 

――人の足首を切り落とし、その足を真っ赤に染める事。

 

 

 

それが黄昏に属する魔女によって編集(アレンジ)された魔性物語『赤い靴』の魔法式(シナリオ)だ。

 

それに沿って動くことが彼女、否、彼女の履いている『赤い靴』の存在意義。

 

故に、『赤い靴』は人を求めて少女を躍らせる。

 

『赤い靴』は霊子情報体。意思は全て物語に縛られており、自由な思考というものは持たない。

 

だがもし、自由な思考を持っていたとしたのなら、こう思ったことだろう。

 

 

 

――この地は素晴らしい、と。

 

 

 

本来、『スピリット』は召喚された瞬間から存在する為の力を失っていく。

 

だがこの地は、どうしてか力を失わないで済む。

 

更に行動範囲すら制限が無いように思える、何処に行くも向かうも自由だ。

 

だけど、やる事は変わらない。

 

自らの存在意義に従うのみ。

 

即ち、踊りながら人を探して、踊りながら人を見つけて、踊りながら人の足首を切り落とす。

 

 

 

――さあ、狂想曲を踊り始めましょう。

 

 

 

不協和音な狂笑とリズムカルな靴の音。

 

相反する音楽を奏でながら。

 

赤い靴の呪われた少女は殺戮(ワルツ)を踊らんと森が切れる出口へと向かい――。

 

 

 

森から出た途端、無数の針が上から降り注いだ。

 

 

 

 

 

踊りながら針を回避した少女は、ゆっくりと空を仰ぐ。

 

昏くなりつつある夕暮れの空を背景に浮かぶ、三つの人影が其処に居た。

 

「うわ、いきなりなんて容赦無いな」

 

「スペルカードルールじゃないんだし、別に手加減する必要なんて無いでしょ。それに相手は言葉も解さない妖怪よ、()()()()()にね」

 

「どっちかと言うと亡霊に近い気がするけど。どっちにしろ、ものの見事に悪縁だな。あれがこのまま人里に行ったら大惨事になる」

 

赤い靴の少女が見上げる中、空に浮かぶ三人はそんな会話を交わす。

 

尤も、赤い靴の少女にとって三人の会話など関係無い。

 

ただ、そこに三人の人間がいるだけだ。

 

故に、赤い靴の少女は包丁を出現させて手に握る。

 

同時に『赤い靴』は首切り役人の巨漢の構成も始める。

 

「まあ、言ってみただけだ。“こいつ等”にスペルカードルールなんて無いもんな」

 

箒に跨った白黒の少女は、小さな八卦炉を取り出すと帽子のつばを上げて不敵に笑う。

 

「今回も玉姫様が縁を教えてくれたおかげで、こうして被害が出る前に対処出来るけど……本格的にどうにかしなくちゃな、この『外来異変』は」

 

浅葱色に『弐ツ紐結』の神紋が入った神官袴を纏った少年は複雑な表情を浮かべながら、『外の世界』で汎用型CADと呼ばれている物を右手に持つ。

 

「外の世界の異変なんて私じゃどうしようも出来ないんだから、あんたと紫でさっさと何とかしなさいよ」

 

「わかっているって。改めてそう思ったところだよ」

 

少年に文句を言った紅白の少女は、再び視線を赤い靴の少女に戻して、懐から複数枚の御札を取り出す。

 

御札に書かれた文字は、『博麗』の二文字。

 

 

 

この地は幻想郷。

 

忘れ去られた者達が住まう、幻想の郷。

 

「おっと、もうすぐ夜が来るな。早いところ退治しようぜ」

 

『白黒の魔法使い』霧雨魔理沙(きりさめまりさ)は、ミニ八卦炉に魔力を込める。

 

「魔理沙の言う通り、俺も明日は学校だし。……あれ、襲撃事件あったけど、学校あるのかな?」

 

『今代の結う代』結代雅季は、明日の予定に首を傾げながら指先でCADを操作し、起動式を読み込む。

 

「ええ、そうね」

 

そして、『博麗の巫女』博麗霊夢(はくれいれいむ)は御札を構えて、

 

「幻想郷の夜が来る前に――」

 

赤い靴の少女が複数の包丁を出現させ、霊夢に向かって放つ。

 

それを霊夢が投げた御札が、全ての包丁を相殺し、叩き落とした。

 

「幻想郷から去りなさい、外来の妖怪!」

 

 

 

妖怪退治は、現から幻へと引き継がれ――。

 

幻想郷の逢魔が時の最後に、三人の少年少女による妖怪退治が始まった――。

 

 

 




四季映姫「同情の余地無し。地獄行きです」
司一「そ、そんなぁ……!」



深雪「開始早々の『コキュートス』!」
赤い靴「――……」(戦闘終了)

序盤からそんな流れは避けたかった(汗)
おかげで今作でもぶっちぎりで描写と流れに悩みに悩んで悩みまくった迷走的戦闘シーンにして、更新の遅れた最大の理由に。
この話だけで四ヶ月ぐらい掛かっています(白目)。
他要因もいっぱいありましたけど、悩みまくって筆が止まる、何度も書き直したのも大きな原因の一つです。

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