比企谷八幡 「・・・もう一度会いたかった」   作:TOAST

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第二章 再始動
7. 比企谷八幡は再会する


 

 

――俺は生き延びたのか。

 

視界が白くぼやけていた。

今自分が見ている情景が視覚情報なのか、脳が見せている夢なのかも曖昧だ。

だが俺は自分の意識を認識している。

この点において、俺は俺が生き延びたことを実感し、心に安堵の感覚が涌くのを感じた。

 

体に吹きかかる暖かい風が心地よい。

 

「・・・ガヤ、おい比企谷!」

 

誰かが俺を呼ぶ声がする。

とたん、頭が割れるような痛みがした。

 

――誰だよ。病院で大きな声を出しやがって。

 

「・・・・大丈夫か比企谷!? 顔色が悪いぞ!?」

 

――たりめぇだろ。死にかけたんだぞ。

 

ピタッと、額に何か冷たいものが貼り付いた。

その感覚が俺の意識を覚ます。

 

自分の瞼がパチッと音を立てるような勢いで開いた。

 

目前には、俺の額に手を置き、心配そうに顔を覗き込むかつての恩師、平塚静の姿があった。

 

「・・・平塚先生・・・・ご無沙汰です」

 

前に会ったのは、沙希と付合い出すちょっと前くらいだっただろうか。

そうだ、貴重な連続休暇を取得した時に、俺はこの40代後半独身女性の家を訪れたのだ。

 

二人でタバコを吸い、酒を飲みながら、同じベッドに寝っころがって、古いアニメをひたすら鑑賞し、腹が減ったらラーメンを食べに行くという、退廃的な休暇を過ごしたことを思い出した。

ちなみに言っておくが、俺は誓って先生には手を出していない。

 

「何を言っとるんだ、君は?」

 

呆れたような顔で俺を見つめる恩師。

 

それにしても ――今日はやけに化粧のノリがいいですね

喉元まで出掛かったセリフとともに息を飲み込んだ。

 

――何で俺は先生の前に立っている?

 

手足の一本くらいは失っていてもおかしくない事故だった。

目覚めたとすれば、病院のベッドの上じゃなきゃおかしい。

 

「やはりどこかおかしいようだな、比企谷。保健室に行こう」

 

「・・・先生?」

 

平塚先生は何を言っている?俺は今何処にいる?

 

「不安そうな声を出すな。男だろう。・・・行くぞ、歩けるか?」

 

ぐいっと手を引っ張られ、ぼやけていた意識が急速にシャープになる。

先生に連れられて、一歩一歩足を進める度に、五感で感じ取る情報のリアリティが増していく。

 

――おい、俺はいったいどうなった!?

 

湧き上がる疑問に対し、目に見える周囲の情景は何の答えも与えてくれない。

 

長く伸びた廊下、壁際に設置された火災報知機や消火栓、一定間隔で設置されたスライド式の安っぽいドア。

 

目前に広がるのは、懐かしい母校の風景そのものだった。

 

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 

平塚先生に保健室に連れられた俺は、ベッドに寝るよう促された。

 

「大丈夫か比企谷?午後の授業の担当教員には私から伝えておくから安心しろ。ゆっくり休め」

 

午後の授業だと?俺をからかってるのか?

こんなのバカげてる。

 

平塚先生は優しい手つきで俺の上着を脱がし、丁寧にハンガーにかけた。

かけられた俺の上着は、高校時代のブレザーだった。

 

もう沢山だ。

 

俺が死に際に、あいつらにもう一度会いたいと願ったから、こんな夢を見ているのだろうか。

 

夢なら今すぐに雪乃と結衣に会わせてくれればいいだろう。

現実だというなら、俺を沙希の元に返してくれ。

 

俺は、平塚先生が出て行った保健室の扉を無言のまま見つめていた。

そのまま何分経っただろうか。

 

ブブブ・・・・ブブブ・・・・

 

突然、ズボンのポケットから振動を感じた。

取り出すと、緑色のケースに入った古めかしいタイプのスマートフォンだった。

画面にはメールの着信を示す表示がある。

差出人不明のジャンクメールだった。

 

「ハハ・・・昔の携帯・・・マジかよ・・・」

 

俺は力なくベッドに倒れこんだ。

 

そのまま思考を放棄すると、強い眠気に襲われた。

 

――このまま寝ちまおう。

 

次に目覚めた時、病院のベッドに寝かされた俺の手を、涙目の沙希と小町が握っている、そんなドラマのような情景が広がっているに違いない。

 

俺の意識は再び闇に包まれた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 

――カキィィィン!!

――ボール行ったぞぉ走れ走れ!

 

窓から刺す西日を顔に受けて、目が覚める。

外から聞こえるのは野球の音だろうか。

耳をすますと、他にも下手糞な合唱や吹奏楽の音が聞こえてくる。

 

俺が再び目覚めた場所は、保健室のベッドの上だった。

 

これは・・・・正直参った。

寝て、起きて、俺はまだここにいた。この環境が夢だという可能性はこの時点で大幅に減った。

 

俺は、この後どうすればいい?

 

目覚めたら俺は学校にいた。

俺は高校の制服を着ており、とうの昔に買い替えて捨てた古い携帯を持っていた。

加えて、恩師の平塚先生は自分と年齢が殆ど変らないように見えた。

 

状況から導かれる答えは一つしかない。

 

――これはアレか。体は子供、頭脳は大人とか、強くてニューゲーム的なやつか。いや、体は別に子供じゃないな。むしろ中学でズル剥け・・・

 

 

「比企谷、目を覚ましたか?気分はどうだ?」

 

状況整理のための思考が脱線した時、ガラガラッと音を立てて、入り口のドアが開いた。

 

「平塚先生・・・」

 

「昼休みは、君の作文について一言言ってやろうと思ったんだが、体調不良では仕方がないな」

 

「作文?」

 

「そうだ。課題は“高校生活を振り返って”。なぜそれが犯行声明文になる?」

 

「ありましたね、そんなの。懐かしいな」

 

そうだ、平塚先生が俺を奉仕部に連れて行ってくれる切欠となったのは、俺が書いた一枚の作文だった。

・・・劉さんには先生からボロクソに評されたことを話したっけ。

俺を庇って吹き飛ばされた男の事を思い出し、心に影が差す。

 

「勝手に過去の出来事にするな。君にはレポートの再提出と、ふざけた態度への罰として奉仕活動を命じる。罪には罰を与えないとな」

 

――最初からかよ!!

自分のリスポーン地点をこの瞬間、ようやく把握した。

 

ところで、なんで今俺はここが最初だと思ったのだろう。

答えは決まっている。俺にとっての高校生活とは、やはり雪乃と結衣がいた奉仕部が全てだったからだ。

それ以前の事は殆ど記憶に残っていない。

 

「特別棟の5号室・・・今は使われていない空き教室だが、そこは奉仕部という部活動の部室になっている。体調が戻ったのならそこに行ってみるといい。部長には君のことを説明しておいた。君には奉仕部へ入部し、そこでの活動を通じて反省してもらう」

 

「入部、ですか?」

 

――俺なんかが、またあの場に戻っていいのか。

 

湧き上がる自己嫌悪の感情。

雪乃と結衣のためにも、俺はこのままどこかに消えてしまった方がいいのではないか。

特に、結衣には今更どんな顔をして会えばいいというのだろう。

そんな考えに思考が支配された。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

気づくと俺は奉仕部の部室の前に立っていた。

 

雪乃がここにいるかもしれない。彼女にもう一度、一目でも会いたい。

俺は、自分のそんな欲求に抗うことができなかった。

 

だが、俺はその扉を開けることが出来ずにいた。

 

改めて自分の置かれた状況を見つめ直す。

そもそも、今、本当に雪ノ下雪乃はこの部室にいるだろうか。

由比ヶ浜結衣という存在は、同じ学校にいるのだろうか。

ここは俺の過去の記憶によく似た別の場所かもしれない。

 

仮に、彼女に再開できたとして、何を話せばいい?

俺が未来から戻ってきたとでも伝えるのか?

そんなフザけた話を信じるような人間はいないだろう。

結局、二人に会って俺はいったい何がしたい?

 

――ここでいくら考えても、俺には納得のいく結論は導き出せないな。

 

意を決して扉をノックした。

 

「・・・どうぞ」

 

扉の向こうから帰ってきたのは、懐かしい綺麗な声

 

心臓の鼓動が急激に速まる。

 

 

奉仕部。

 

全ての始まりの場所。

 

俺は取っ手に手をかけ、再びその扉を開いた。

 

 

 

窓際に佇む女性の姿。

整った顔立ちに、スラっとした細い肢体、開いた窓から吹き込む風に揺れる艶やかな黒髪。

 

俺が15年間想い続けた女性、雪ノ下雪乃その人だった。

 

 

「雪乃・・・・」

 

 

思わず彼女の名前を口にする。

 

目から涙が流れ落ちた。

 

 

 

 

 


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