比企谷八幡 「・・・もう一度会いたかった」   作:TOAST

20 / 35
20. 比企谷八幡は夏休みを謳歌する(下)

高原千葉村

千葉市が群馬県みなかみ町に保有する、市民向け保養施設である。

千葉の施設が群馬県に所在する理由についてはあまり触れないでおこう。

この施設、後に経営が市の財政を圧迫するとの理由で、地元に売却されるのだが、それはもう少し先の出来事となる。

俺たちが到着したのは午後3時頃であった。

先生は駐車場で俺を降ろすと、買い出しがあると言って、再び近隣の商店へと車を走らせていった。きっと夜の酒でも買いに行くのだろう。

畜生、俺も飲みたい。あと、タバコ吸いたい。

俺はスーツケースを転がしながらロッジの方向へ向かって歩を進めた。砂利敷きの駐車場でキャスターがボロボロになり、薄い革靴の底に石の感触をゴリゴリと感じながら歩いていると、益々先生が恨めしくなる。

ふぅ、とため息をつきかけたところで、よく見知った女性3人を見つけた。

ロッジの前で雪乃、結衣、沙希の3人が何か話し合っている。その姿を見つけると、足の裏の痛みも忘れて、柄にもなく思わず小走りで近寄った。

「あ!ヒッキー! …ってその格好何だし!?」

俺に一番最初に気が付いた結衣が手を振りながらそう言った。

「どうもこうも、成田で待ち構えてた先生にいきなり拉致られたんだが…」

3人に近付きながら、やや大げさにそう返した。

「…あんた、よっぽど平塚先生に気に入られてるみたいだね」

事の顛末を話すと、沙希が笑いながらそう言った。結衣も笑顔を浮かべている。

その笑顔に心が洗われた様な幸福感を覚える。

俺はもう1人の女性、雪乃を見た。しかし、その表情はやや暗かった。

「…迷惑だったのなら、断ることも出来たのではないの?」

俺にはあまり会いたくなかったのだろうか。雪乃が視線を合わせずにそう呟く。その表情を見て胸に痛みを感じた。

俺と雪乃の間にある微妙な空気を感じ取った沙希と結衣は暫く複雑そうな表情を浮かべていたが、この場にいても仕方がないということで、一先ずは男子が宿泊する施設へ俺を案内してくれることとなった。

「比企谷、来てたのか」

ロッジにて荷物を整理していると、ドアを開けて入ってきた葉山が俺に声をかけて来た。

「おう、今着いた所だ。途中参加になっちまったが…今ん所上手く行ってんのか?」

「そうだな。問題無いよ…と言いたい所だけど、実は孤立してる女の子がいて、頭を抱えてるんだ」

「ま、よくある事だな…手助けすんのか?」

「ああ。その打合せを今からするところだ。一緒に来てくれないか?」

「…おう」

俺はその少女、鶴見留美の顔を思い浮かべながら葉山の誘いに頷いた。

☆ ☆ ☆

「あ、八幡!来てくれたんだ!」

葉山に連れられてやってきた中央棟の一室に入ると、魔法使いの格好をした戸塚がうれしそうに声を上げた。

「よう、戸塚、元気だったか?」

「うん!」

ほんの一週間程度顔を合わせなかっただけで、元気か、もないと思うが、笑顔で返事を返してくれた戸塚に対し、思わず顔がほころんだ。

「ヒキオ…あんたその格好何?」

今度は戸塚の隣にいた三浦の弁。

「色々あったんだよ…ってか、お前かなり焼けたな? 夏休み中も部活か?」

怪しむような視線を投げかけてくるが、それをかわしながら適当に会話を続ける。

「うっさい!…戸塚は色白のままなのに、何であーしは日焼け止め塗っても効かないし…」

「健康的で良いじゃねぇか。テニス、頑張れよ」

「ふん」

「…比企谷も来たことだし、そろそろ始めよう。鶴見留美ちゃんのことだが…やっぱり皆んなで仲良くなる方法を考えなきゃ、解決出来ない気がするんだ」

俺たちの会話を遮るように、葉山が会議の開始を宣言した。

この場にいるのは、俺たち奉仕部4人、葉山、戸塚、三浦、戸部、海老名さんの9名だった。

「そんなことは不可能よ」

「アタシもそれ、無理だと思う」

開口1番に雪乃と沙希が葉山の言葉を否定する。

「ちょっと、何で初っ端から水差すようなこと言うわけ?」

想像していた通り、その態度に対して三浦が食って掛かる。

「まぁまぁ、3人とも落ち着いてよ」

「何でゆきのんもサキサキも無理だと思うの?」

見かねた海老名さんが仲裁に入ると、結衣がそれに併せて雪乃と沙希に質問を振った。

「あの子は徒党を組んだ相手から、悪意によって孤立させられているのよ。話し合って私たちの前で表面上仲良く振舞ったとしても、後で余計に敵意を向けられるのがオチよ」

「それにあの子、既に自分から距離を詰めるのを諦めてる所あるし…1人でいることに慣れて来てるっていうか…アタシはその気持ちも良く分かるよ」

二人の意見は相応の納得感を持って皆に受け入れられたようだ。

一瞬の沈黙が場を支配した。

「はい!」

停滞しかけた議論の空気を打ち破るように、海老名さんが手を上げ、発言の意向を示した。皆の注目が彼女に集まる。

「じゃあ、外の人と仲良くするって言うのは?趣味に生きればいいんだよ。趣味に打ち込んでいるとイベントとか行くようになって色々交友広がるでしょ?学校だけが全てじゃないって気づくと思うんだ」

「なるほど…」

葉山が彼女の意見を反芻するように考えながら、そう呟く。

「私はBLで友達が増えました!ホモが嫌いな女子なんていません!」

目前で行われるあの時とまったく同じ提案。

ホモはともかく、海老名さんの着眼点自体は悪くないと思い、俺は彼女の意見を心に留めることとした。

「比企谷、どう思う?」

海老名さんの後半部分の提案はまるで聞かなかったようなそぶりで、間髪入れずに葉山が俺に意見を求めた。

「…問題を解消するなら一つ方法がある。徒党を組んでる連中をバラバラにしちまえばいい。皆んなが等しく孤立すれば、少なくとも“その子だけ”が疎外感を感じることはなくなる」

あの時俺たちが取った選択。その結果、鶴見が集団から意図的に孤立させられるという自体は解消された。

今の俺なら、時間さえあればそれよりも更に良い提案をすることは可能だろう。海老名さんの意見を踏まえて、鶴見が真に救われたと感じられるような状況を用意してやることも不可能ではない気がする。

ただし、それにはまだいくつかパズルのピースが足りていない。そんな気がした。

「そんなの、どうやって?」

沙希が俺に対し、もっともな疑問を呈した。

「簡単なことだ。群れてるグループを脅して、自分たちの中から”生贄”を選ぶように仕向ければいい。今夜の肝試し中に因縁を吹っかけて、半分だけ助けてやる、もう半分は残れ、みたいなことを言ってな。互いに本性を晒せばもう仲良くはしてられなくなる」

「「「「「……」」」」」

「エゲツねぇ〜 ヒキタニ君、パないわ〜」

俺の案に無言になる女性人と戸塚。

戸部は俺のアイデアに対する印象を素直に言葉にした。

「…そういう考えか」

そんな中、葉山は相応の納得感を示す。

与えられた選択肢の中で俺たちが取れる行動は限られている。そんな事実を認識したような表情だった。このまま俺が無言を貫けば、恐らく今回もこのアイデアが採用されるだろう。

だが、本当にそれでいいのだろうか。俺は少しばかりの違和感を覚えた。

「…葉山、本当にこれでいいのかよく考えろ。というか、今喋りながら俺もそれを考えている。雪ノ下と川崎は否定したが…お前の着想地点は、奴らを仲良くさせる事だった。性善説を信じる人間にとって一番理想的な形…そこに持っていくにはどうすれば良いか、もう少し知恵を絞る時間はあるだろ?」

「ヒキオ、あんた自分で案出しといて、他の解決方法を考えろってどういう事だし!?」

俺の喋り方が投げやりに聞こえてしまったのだろうか。三浦がやや混乱ぎみに突っかかってきた。

「自分でも違和感があんだよ。先の案は打開策がどうしても見つからない時の保険程度に思ってくれれば良い」

俺は素直に自分の心中を打ち明け、会議の続行を皆に促した。

「だけど、皆んな他に案があるのかしら?」

「「「「……」」」」

雪乃の言葉に、皆無言になってしまった。誰もこれ以上のアイデアは持ち合わせていないようだ。

――固まりきってねぇ考えを言葉にするのは好きじゃねぇんだが…仕方ねぇな

「もう一つあるが、これは不完全な案だ。まだ細部まで計画がまとまってないって前提で聞いてくれ」

「言ってみてくれるか?」

前置きに対する合意を確認して俺は再び口を開いた。

「…脅す対象を鶴見に切り替える。奴らの目の前で鶴見を徹底的に追い詰める。加虐的快感に酔いしれる人間の醜さを見せつけることで、鶴見を取り巻く人間にイジメに対する嫌悪感を植え付け、正義感を掘り起こす。これで鶴見を排除の対象から保護の対象に鞍替えさせる」

「これまたえげつないっしょ!」

「…どうしてそれが不完全なんだ?」

真っ先に嫌悪感を浮かべた戸部とは対照的に、葉山は俺のアイデアを吟味した上で、思い浮かんだ疑問をぶつけてきた。

「芥川龍之介の”鼻”って知ってるか?」

言葉足らずは承知の上。

俺は今のアイデアの不足点を恐らく最も的確に示すであろう例え話を持ち出した。

芥川龍之介の短編小説「鼻」。

京の高僧である禅智内供は五-六寸も長さのある滑稽な鼻を持っていたため、人々にからかわれていた。ある日、内供は医者から鼻を短くする方法を知り、その方法を試し、鼻を短くすることに成功する。鼻を短くした内供はもう自分を笑う者はいなくなると思い、自尊心を回復させた。しかし暫くすると、短くなった鼻を見て笑う者が出始める。内供は初め、自分の顔が変わったせいだと考えたが、日増しに笑う者が増え、鼻が長かった頃よりも馬鹿にされるようになった。内供は傷つき、鼻が短くなったことを逆に恨むようになった。

そんなストーリーだ。

「傍観者の利己主義、ね」

雪乃は、作中において内供を取り巻く人間達の心境を芥川龍之介が表現した言葉を持ち出して、俺の言葉に頷く。

「1人で納得すんなし」

冷めたような目で三浦がぼやく。雪乃以外の人間は、まだ俺が言いたいことを理解していないような表情を浮かべていた。

「人間は誰もが他人の不幸に同情する。だが、その一方で不幸を切り抜けると、今度はそれを物足りなく感じるようになる。更に言えば、その人を再び同じ不幸に陥れてみたくなり、敵意さえ抱くようになる」

これが傍観者の利己主義だ。

「一時的に同情や、他人から恣意的に植え付けられた正義感で鶴見の周りに人が集まっても、暫くすれば元どおり…想像に容易い」

俺は自分の第二案の欠点をそう締めくくった。

「そんな…」

結衣が落胆の表情でそう呟やく。結衣は優しい子だ。手立てがないと俺が言っていることにショックを受けているようにも見えた。

俺は結衣に対し、軽く微笑みながら話を続けた。

「それを防ぐには、ここで第二の策が必要になる。海老名さんがさっき言った、"趣味で友達を作る"って案、結構イイ線行ってるんじゃないかと俺は思う」

「え?」

俺の言葉に意外そうな声を上げたのは海老名さん本人だった。

「一時的に悪意が収まったタイミングで、鶴見に主体的に新しい交友関係を構築させるんだ。二度と孤立しないための体制基盤を作り上げるとでも言った方がいいか?」

話しながら俺はそのための手法を考え出すために脳をフル回転させる。

「でもさ、それってキツいんじゃないの?クラスの皆と自分から仲良くできる子だったらそもそも孤立してないでしょ?」

「川崎の意見はごもっともだ。だが、一つだけ言えるのは、別に全員と仲良くする必要はないってことだ。関係構築の上でのキーパーソンを見抜き、ターゲットを絞って交友を広げさせる」

「キーパーソン?」

雪乃が訝しげな表情でそう呟いた。

「ああ、闇雲に薄く手広く友好関係を結ぶのは難しいし、仮に出来たとしても、事態は変わらんだろうな。鍵となる人間との関係強化に集中することが重要だ」

「意味分かんないし」

腑に落ちないといった表情で呟いた三浦を見て、俺は自分たちの状況に置き換えて例え話をすることにした。

「分かりやすく言うとだな…三浦、お前は海老名さん、由比ヶ浜、葉山、戸部、大和、大岡と普段良くつるんでるだろ?そこに突然俺が、何らかの理由で一緒に昼飯食うようになったり、一緒に行動するようになったらどう思う?」

「違和感尋常じゃないし!」

「…だろうな。まぁ、それはお前達のグループの中で、俺と普段から接してる奴が由比ヶ浜位しかいないからだ」

「だからそれが何だし?」

「グループってのは、その括りで囲われた中の人間が皆んな等しく同じ繋がりを持ってる訳じゃない。個と個の複雑な繋がりによって構築された人間関係を、何となく分かりやすいキリトリ線を見つけて無理矢理区分しただけの、極めて曖昧な輪なんだよ」

「…またヒッキーが難しい話を始めちゃったよ」

結衣が苦笑いを浮かべて俺を見た。俺が考えをまとめ切れずに話しをし出すといつもこうだ。だが、その表情からは俺に対する信頼の色が覗われる。

「…僕はそれ、何となくわかるかも。僕と三浦さんが2人でテニスの練習したり、一緒に下校したりするのは普通なのに、三浦さんが皆と一緒にいる時は何となく声を掛け辛い時があるっていうか…ごめん!別に不満があるわけじゃないんだけど、そう言う意味では、僕と三浦さんはテニスで繋がってるけど、僕はグループの一員じゃない…現実的にはそう言うことになるよね?」

これまで黙っていた戸塚が俺の説明を補足するようにそう述べた。

「その通りだ。ボッチって言うのは、別にコミュ障だけが陥る状態じゃない。仲が悪くない相手が何人かいても、その繋がりが相対的に弱い場合、その相手同士が繋がっていない場合に、自分がどの団体の一員としてもカウントされない、何てケースもあり得るからな」

「…孤独慣れしている人間の言葉には重みがあるわね」

「確かに。経験者は語るって感じ」

「一応言っとくけど、どっちかって言うと君たちも俺と同類だかんね?」

雪乃と沙希の容赦のない言葉に、俺は形ばかりの反撃を試みた。

「あはは…」

そんな俺たちを見て、結衣が乾いた笑いを浮かべた。

「まぁいい、話を続ける。とにかくお前らのグループで俺が太い繋がりを持っているのは由比ヶ浜だけだ。そんな状況で俺がグループに溶け込もうと画策しても難しい…だが、仮に俺が葉山とも個別に付き合いが有ったとしたらどうだ?」

「三浦は…比企谷を追い出したくても…追い出せない?」

「ちょ、サキサキさっきから酷くね?何で俺、排斥される前提なの?」

「サキサキ言うな!っていうかそれ駄洒落のつもり?」

恋人であるはずの女性からのキツ目のダメ出しを受けて、心に軽くダメージを追いながら俺は話を続ける。

「…まぁ正解だ。要は、広く薄い人間関係でグループに入り込もうとするんじゃなくて、主要な人間とのハブになれるかどうかが重要なんだ」

「ヒキタニ君、ハブになれる…って日本語おかしくね?」

――くっそ、ビジネス用語が通じない人種と喋るのは疲れる。新人類め…って、俺も同じ世代か

先ほどから俺が一言考えを述べる度に質問の嵐だ。戸部の反応に若干辟易とするが、俺たちは高校生なのだから仕方あるまい。俺は更に解説を続けた。

「あ〜すまん、”ハブる”のハブとは真逆の意味になるが…Hub & Spork、自転車の車輪の車軸のようなポジションって事だ。スポークを対外関係に見立てて、その中心に自らを据える…物流業界や国家間の安全保障なんかでも使われるネットワーキングの概念だ」

「ヒキタニ君、私も質問していいかな?それって人間関係の中心に自分を置くって事だよね?…最初の議論に戻るけど、それは隼人君みたいなリーダーシップが無い人には難しいんじゃないかな?ごめんね?」

先ほど若干イラッとしたのが表情に出てしまったのだろうか。海老名さんが遠慮がちにそう質問した。

「いい質問だ。確かに葉山のような人を惹きつける人物は無意識にそう言った人間関係を築く事が出来る。だが、そうでない人間にも戦略的に周囲の人間を分析することで同じようなネットワークを作る事は可能だ」

「俺にそんな大層な魅力があるとは思えないけど…いや、すまない、これじゃ脱線だな。留美ちゃんのケースでは具体的にどうすればいいんだろうか」

海老名さんへのフォローを入れながらの答えに、葉山が一瞬謙遜の反応を示すが、直ぐに軌道修正を図る。問題の中心は何か、それを念頭に置いて議論に集中している証拠だろう。俺は奴の態度から地頭の良さを感じ取り、若干の好感を覚えた。

「そういうことなら、私にも提案が出来そうね。クラスメートの中で新たに輪を構築出来そうなポテンシャルのある人間を数人見繕う…4人くらいいれば十分でしょう。鶴見さんにはその4人とそれぞれ排他的に共有できる趣味を身に付けさせるというのはどうかしら?排他的というのは、鶴見さん以外の4人が互いに共有していないもの、という事よ。これで、彼女が居て初めてグループの輪が構築可能な人間関係が出来るわ」

雪乃の提案に、おおっ、と皆が頷いた。

雪乃は俺の言いたかったことを旨く具体案を出しつつまとめてくれた。

「留美ちゃんをスポークで繋ぐべき相手を俺たちが適切に見抜かなきゃならないって事か…」

「そいうコトになるな…正直、これは難易度も高いし上手くいく保証もない。4人のうち鶴見以外の人間が趣味を共有すれば、鶴見が再び除け者にされる可能性があるし、逆に4人が輪を構築しなければ鶴見は宙ぶらりんのまま、個々の繋がりはあってもグループには入れない状況が続くだろう」

フレームワークの策定としてはこんなところだろう。俺は細部の計画を練る前の最終的なリスク認識の共有を意図してそう発言した。

「確かに難しそうだ…けれどトライする価値は十分にあると思う。最悪、彼女が輪の構築に失敗したとしても、個々の繋がりがあれば、彼女も現状よりは気が楽になるんじゃないかな?…どうだろう皆?俺はこの案で進めてみたいと思うんだけど」

全員が葉山の言葉に頷いた。

その後、俺たちは小学生の観察部隊と作戦立案部隊に別れて情報収集と分析を行い、計画を練り上げた。

計画では前回と同様、肝試しに乗じて小学生への奇襲を掛ける。違うのは、今回のターゲットが鶴見であり、その汚れ役を俺が買って出た事だ。

これは途中参加した俺が、まだ小学生に顔割れしていないという事実に加え、スーツ姿であれば、外部の侵入者による犯行に仕立てる事が出来ると考えたからだ。

なお、翌朝の点呼集合に備えて、俺は葉山から予備のシャツと短パンを借りる事になった。俺は目立たない人間なので、隅で大人しくしていればバレないとの算段だ。

余談だが、葉山に「服を貸してくれ」とお願いした際に、海老名さんが鼻血を流して喜んでいたのには全員がドン引きした。

話を元に戻す。

俺が皆の前で鶴見の心を折った後、前回悪役であった葉山、三浦、戸部の3人には正義の味方として乱入してもらい、不審者である俺を追い払う演技をしてもらう。その後、クラスの女子生徒を集めて、事件のあらましを説明し、鶴見への同情心を全力で掻き立てる。

“鶴見新グループ”の候補対象となる4人は、俺たちの中でも相当議論を重ねた末、最終的に、ある程度正義感の強そうな女子四人をピックアップする事となった。

その4人に対し、雪乃、結衣、三浦、海老名さんが1対1で張り付き、連絡先を交換する。そして、鶴見イジメがクラスで再発しないか、相互監視を行わせ、定期的に連絡を取り合うというガバナンススキームを導入する事にした。実際に密告されても俺たちにできる事は殆どないのだが、高校生に報告させる事で、彼女たちには”自分は正しい事をしている”という自負心を持たせ、鶴見の最後の守りとなるよう導く事が目的だ。

なお、高校生4人の担当は、各メンバーの趣味・習い事を考慮して決めた。

雪乃は英会話に通う子、結衣は化粧に興味がある早熟な子、三浦はテニスクラブに通う子、海老名さんはBL好きの素質がある子、といった具合だ。

ちなみに、結衣が張り付く子は、現在進行形で鶴見を排除しているグループに属している。こいつが鶴見シンパとして機能するかは、俺がどれだけ強烈な演技をかませるかにかかっていると言っていいだろう。

葉山達が小学生の前で不審者の存在を騒ぎ立て、4人の担当がターゲットに張り付いている間、沙希には鶴見の心のケアを担当してもらう。鶴見を慰め、落ち着いた所で、今後の人間関係構築のプランについてレクチャーするのだ。

沙希は肝試しに先立って、鶴見に対し、孤立しないために趣味・習い事をしてみないか、と目出しをしたようで、反応もそれなりに良好だったようだ。これは沙希の生来のクールな性格と、日頃の幼い兄弟の世話で身に付いた母性が上手い具合にバランスした結果だろう。結衣の見立てでは、鶴見は沙希に対し、ある種の憧れのような感情を抱き出しているようだ。

最後になるが、戸塚は俺のアリバイ工作という華のない役割を自ら買って出てくれた。

繰り返すが、今回、葉山達には鶴見に対する同情心を引き立てるため、クラスの大部分を集めて、不審者の存在を大々的に騒ぎ立ててもらわなければならない。

これが教師に知れた場合、警察への通報が行われると言った可能性も視野に入れておかねばならないのだ。

戸塚は鶴見が属する肝試し最終グループの出発を見届けた後、ロッジに戻り待機する。その後、鶴見を脅し終えた俺は、ロッジに駆け戻り、戸塚と合流する。戸塚には体調を崩した俺の面倒を見るために、小学生を送り出した後から、ずっとロッジに一緒にいたと証言してもらう事になった。

あと数十分もすれば日が落ちる。肝試しが開始されれば後には戻れない。果たして俺の演技は小学生相手にどの程度通じるのだろうか。鶴見には申し訳ないが、やるからには全力で悪人を演じてやる。

程よい緊張感を胸に、俺は今夜へ向けての最終準備を始めた。

☆ ☆ ☆

夜、茂みで待機する俺の携帯に戸塚からの連絡が入った。

いよいよ鶴見たちがやってくる。

俺たちは、先のグループがこの地点を通過した際に、矢印の貼られたコーンに細工をし、集団を逃げ場の少ない川辺へと誘いこむ工作を終えていた。

「…来たわ」

「ヒッキー、本当に大丈夫?」

暫くすると、近くでグループの到着を監視していた雪乃が合図を送ってきた。

腰を上げた俺に対し、結衣が心配そうに声をかけた。

「俺を誰だと思ってんだ?無慈悲に人の弱みに付け込んで金を儲けるのも金融マンの仕事だからな」

宮田さんの下でトレーダーをしていた時は、空売りの鬼、とも呼ばれたこともあった。

人の弱み…企業の隠れ債務やスキャンダルをいち早く嗅ぎ付け、株価がそれらを反映した適正水準に落ちるまで、無慈悲に売り浴びせを行う。

今回の作戦とはコンセプトが違うような気もするが、要は周りの人間が、鶴見留美との人間関係構築が"割安(お得)"と判断するようになるまで、攻撃の手を緩めず、鶴見を落とすところまで落とせばいい。それが今、俺に与えられた仕事だ。

俺は自分に無理やりそう言い聞かせて草むらを後にした。

「脅かす人、全然出てこないね〜」

「なんか期待はずれ〜」

「所詮高校生だからしょうがないじゃん」

「「「「アハハハハ」」」」

鶴見を除く4人の女子集団は暗い道を楽しそうに歩みを進めていた。

案の定、鶴見は集団の数歩後ろをトボトボと着いて行くように、一人、歩いていた。

「よう…」

「誰!?」

ちょうど木の陰から姿を見せ、集団に声をかけると、一人の女子が半分驚いたようにそう声を上げた。

「幽霊だよ。リストラで首を吊ったサラリーマンの亡霊ってとこか」

「あははは、バカっぽ〜い。確かに目が死んでるし」

まずは軽口を叩きながら目前の小学生の反応を覗った。

「そう言うなって。サラリーマンってのは大変なんだぞ?」

「幽霊なのに全然怖くないよ!」

一人がそう言うと、4人はケタケタと笑い出した。

周りの連中の反応は上々だろう。いきなり襲い掛かっては、逃げられる可能性が高いのだ。さて、ここからが本番だ。

「そうかよ…所で、人が折角楽しませようとしてやってんのに、一人シケた面してる奴がいるな」

そう言いながら、俺は後方にいた鶴見をジロリと睨み付けた。

「…」

その言葉に、鶴見は無言で顔をしかめる。

「何だ?不服そうな顔しやがって…おいお前、随分と離れた位置にいるが、ひょっとしてハブられてんのか?」

その俺の台詞を聞いた4人の反応が二つに分かれていることに気づく。

ニヤニヤしてる奴が二人、苦笑いを浮かべてる奴が二人、半々だ。

幸い、結衣が張り付く予定の女の子は後者のようだ。苦笑いは内心で心苦しさを感じている証拠だろう。相応に正義感がありそうだという、あいつらの見立てが間違っていなかったことに若干の安堵を覚える。

「なんとか言えよ…コミュ症か?…こんな暗い道を、一人離れてトボトボ着いてくだけの肝試しはさぞかし楽しいだろうな」

「…あの、私たちそろそろ先に進まないと」

俺の悪意を敏感に感じ取ったのだろう。第二の策のターゲットとしている女子が、そう小声で言った。

「薮蚊に刺されながら、お前たちを待ってたんだぜ?少しぐらい話に付き合ってくれよ…お前ら、こいつの事どう思ってんだ?やっぱり態度が気に入らない、とかか?よく分かるぜ。なんか生意気そうな顔してるしな」

「別に…私はなんとも思ってないし」

別の女子がそう呟く。わざわざ俺に合わせて鶴見を攻撃するのは気が引ける、だが、ここで大げさに庇うほどのリスクは負いたくない、そんな心境なのが手に取るように伝わってきた。

しかし、当の鶴見本人は、”なんとも思ってない”という言葉に、それなりのダメージを受けているようだ。暗い顔が更に暗くなった。

この一言、言った本人はそんなに悪意があった訳ではないのは分かる。だが、だからこそイジメは無くならないのだということを改めて認識し、気分が悪くなった。

しかし、ここで手を緩めるわけには行かないのだ。

俺は鶴見に対す同情を押し殺して再び攻撃を開始する。

「おいおい、お前ら随分と優しいじゃねぇか。こういう奴はな、大抵、周りの人間を逆恨みして、クラスメートはガキだから仕方ない、なんて自分に言い聞かせて惨めさを誤魔化してるんだ」

「私は…そんなこと」

弱弱しい声で鶴見本人が反論しようとする。

俺はその声を遮るように、畳み掛けた。

「思ってんだろ?”何で自分は悪くないのに孤立するのか…それは周りが悪いからだ”。他人に嫌われる人間の典型的な考え方さ。実に単純だ。要するに、バカだから人に相手にされないんだよ」

「…」

鶴見は悔しそうな顔をして、無言で俺を睨みつけた。

その反応を見て、この子の芯の強さを感じ取る。普通の小学生ならここまで言われれば間違いなく声を上げて泣き出すだろう。

――ちっ、胸糞わりぃ…早く泣いてくれれば済むんだがな

「俺はお前みたいなクズが大嫌いなんだ。お前のクラスメートもそう思ってるはずだ。じゃなきゃ集団から孤立なんかしねぇんだよ。そんなお前をここまで連れて来てくれた4人にちゃんと礼でも言った方が良いんじゃねぇか?」

そう言って、再び4人の女子の反応を覗った。

「あの…別にお礼とかいらないから…もう行かないと」

一人がそう呟いた。明らかに俺を怪しんで、トラブルを回避する方向へ流れを持って行こうとしている。もうあまり時間がないことを察し、若干の焦りを覚える。

「…礼はいらないってよ。優しくしてもらえて良かったな?だが、だからって調子に乗んなよ?お前みたいな人間は、身の程をわきまえるってことをしっかり学ばないとダメなんだ」

ふと、鶴見が胸に抱えているデジタルカメラの存在に気づく。

――お母さんが、友達と一緒に写真を撮って来いって…

諦めたような表情で状況を打ち明けてくれた鶴見留美の言葉が頭を過ぎり、心が締め付けられたような痛みを感じた。

これでダメなら、後でこの子の家に土下座しに行こう。警察沙汰になるかも知れねぇが、それだけの傷を負わせたのは俺だ。言い逃れは出来ない。

俺は覚悟を決めて鶴見の反応を待った。

「調子になんて乗ってない!」

「吼えるじゃねぇか。あわよくば皆んなに混じって仲良くしてもらおうなんて目論んでたんじゃねぇのか?」

鶴見の叫びに間髪入れずに言葉を返す。

「…私は…一人でいるのが好きだから一人でいるだけ!」

「ハッ、聞いたかお前ら?こういうヤツは勢いに任せて息をするように嘘を吐くんだ。騙されんなよ」

「嘘なんか吐いてない!」

――来た!

鶴見は俺が待っていた台詞を声に出した。

「…へぇ、じゃあその大事そうに持ってるカメラは何だ?クラスの誰かと記念撮影できるかもなんて、期待してたんじゃねぇのか?…それが調子に乗ってるってんだよ」

一呼吸置いて、出来る限りの卑しい表情を浮かべて俺が言った言葉に、鶴見は硬直した。

その反応を見た俺は、更にニタリと顔を見にくく歪ませて、留めの一言を放った。

「…どうせ一枚も撮れなかったんだろ?」

鶴見の目から先ほどの反抗心と激情の炎が消えうせる。

彼女は皆の前で俯いて震え出した。

「…プッ…ハハハハハ!図星かよ!見たかお前ら?コイツは傑作だ!」

そうだ、それでいい。悪役に徹しろ。とことん嫌われろ。今も昔も俺に出来るのは所詮こういうやり方だけだ。ならばその完成度を追求すればいい。

鶴見は声を殺すように嗚咽し始めた。声を上げて泣くのを堪えながら、悲しさ、悔しさを滲み出しながら悲嘆に暮れるの可憐な姿は、例外なく見る者の同情心を誘う。

鶴見が泣き出したことで4人は目に見えて動揺し始めていた。

「親になんて説明する気だ?そうだ、良いこと思いついた、カブトムシの写真でも撮って誤魔化すってのはどうだ?一緒に採りに行ってくれるヤツがいるといいな?クッククク…ハハハハハ!」

「ちょっと!鶴見、泣いちゃったじゃん!さすがに言い過ぎだよ!」

「そうだよ!感じ悪い!」

高笑いする俺に対し、とうとう4人が怒りの声を上げた。

――糞ガキ共が、遅すぎんだよ!

もっと早く、その正義感を表に出せば、こんな胸糞悪い思いはしなくて済んだのに。

自分が計画を立て、鶴見を追い込んだことを棚に上げて、4人に対する苛立ちを募らせた。最早、道理も何もあったものではない。これは俺の嫌いなご都合主義と感情論そのものだ。

そう自分で認識しながらも、俺は自分の感情が高ぶっていることを感じた。

心に警鐘を鳴らして、勤めて冷静に切り返す。

「…あ?何言ってんの、お前ら?お前らもコイツが嫌いだから仲間外れにしてるんだろ?嫌いな奴が苦しんで泣いてる姿を見るのは愉快じゃないのか?」

「全然楽しくないし!」

「何でだよ?俺は楽しいぞ。ムカつくガキが集団からハブられてるのを見るとスカッとするし、現実を突きつけてピーピー泣かせるのは爽快そのものじゃねぇか。お前らも、もっと言いたいことを言えばいい」

焚き付けろ。こいつらはその怒り、嫌悪の感情が正当なモノだと思い込んでいる。大人相手なら説教を垂れるところだが、所詮は小学生。今はその感情をとことん利用させてもらう。

「もうあっち行ってよ!この変態!」

「そうだよキモイ!…鶴見、大丈夫?」

「ああ!?黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがって、このガキ共!虐められる奴には虐められるだけの理由があんだよ!それを指摘して何が悪い!こいつを除け者にしてた時点で、てめえらも俺と同類だろうが!」

「全然違うし!私たち、そんなキモイことしないもん!」

「あんたなんかと一緒にしないでよ!」

これが欲しかった言葉だ。”私たちはそこまで落ちない”、イジメの醜さを目の当たりにして、そう自分たちで断言した。

そろそろ頃合いだ。

何とか思い描いた通りの流れを作り出せたことに安心し、俺は茂みに隠れている葉山たちへサインを送った。すぐさま3人が飛び出してくる。

「そこのお前、何してるんだ!」

葉山が強めに声を上げ、三浦、戸部もそれに着いて俺を取り囲んだ。

ようやくこれでこの役から開放される。

「お兄さんたち!コイツ!いきなり来て私達に言い掛かりをつけて、鶴見を泣かせたんです!」

4人は安堵の表情で、葉山たちに助けを求めた。

「あんた、どこの誰だし?」

三浦が俺から小学生を庇うように威嚇する。俺が外部からの侵入者であるかのような印象を与えるように準備したセリフだった。

「小学生に怪我させたんなら、タダじゃおかないっしょ」

戸部も調子を合わせ、シュッシュッシュッと音を立てながらシャドーボクシングの真似事をする。

――完璧だ、お前ら

3人の演技に内心でサムズアップしながら、俺はその場を後ずさった。

「…チッ」

そう舌打ちするフリをして、俺はロッジへ向かい走り出した。

後は彼奴らが上手くやってくれるだろう。

☆ ☆ ☆

「八幡、お疲れ様…どうだった?」

ロッジに戻ってきた俺を、戸塚が心配そうに声をかけながら迎えてくれた。

「肝試しの乱入自体は上手くいったはずだ。後は彼奴らの働き次第だろう。まぁ、川崎がいれば鶴見のケアは問題ないだろうし、友人候補についても雪ノ下や由比ヶ浜が上手くやってくれるはずだ」

「…奉仕部の3人は八幡にとって特別なんだね。八幡、すごく信頼してるみたい。ちょっと羨ましいかな」

「…まぁな。俺が彼奴らに信頼されてるかは分からんが」

「それは杞憂だと思うよ…でも、八幡自身は大丈夫なの?」

戸塚は俺の返答に一瞬優しく微笑むと、そう質問した。

「何が?」

「何がって…一番損な役回りだったじゃない。八幡、今結構辛そうな顔してるの、気付いてないの?」

また顔に出てたか。中々ポーカーフェイスって訳にも行かないもんだな。そう考えながら戸塚の気遣いに対する返事を考えた。

「まぁ。自分で言い出した事だしな。しかし、確かに小学生相手に暴言を吐いて泣かせるってのは、俺の趣味には合わんかったみたいだ…悪い、着替えたらちょっとその辺で一人にしてもらってもいいか?」

「うん…でも人に見つからないように気を付けてね」

少しだけ一人にして欲しい、こういった心境が即座に通じるのは男同士だからだろう。

「ああ。サンキューな、戸塚」

「水臭いよ。話し相手が必要になったら、好きな時に戻ってきてね」

戸塚の気遣いに有難さを感じつつ、俺はロッジの傍の林へと出て行った。

辺りには鈴虫の音が鳴り響いている。上を見上げると、星空に満月が浮かんでいた。

俺は足元に落ちていた小石を乱暴に蹴飛ばして、木の根元に座り込んだ。

鶴見にはトラウマになっちまっただろうな。

高校を卒業してからあの子と会う事は二度と無かった。昔はあまり考えたことがなかったが、人に一生恨まれたままでいるってのは、やはり気分のいもんじゃない。

周りに理解してくれる奴らがいなければ、今頃自分の心は荒れる結果となっていただろう。

「随分と無茶をしたようだな、比企谷?」

どれだけの時間、物思いに耽っていたのだろうか。木陰からふいに俺に声をかける女性の姿があった。

「…先生」

「私が止めなければ、警察に通報される所だったぞ」

「…どうやって止めたんですか?不審者が小学生を泣かせたんですよ?」

「せっかくの林間学校最終日、他の生徒に不安を与えるような事をしなくてもいいでしょう、不審者も総武高校の生徒が追い払った事ですし…ってな」

平塚先生はそう言ってニコリと微笑んだ。

「成る程…その不審者はこうして悠々と座り込んで休憩してるわけですけどね。…こんな気分の時、酒とタバコで紛らわす事ができる大人が羨ましいっす。先生のタバコ、一口吸わせて下さいよ」

ダメもとで先生が左手に持っていた火のついたタバコを見ながらそう言ってみた。

「却下だ…それに、ここには不審者なんかいないさ。いるのは私の生徒だけだよ…とびきり自慢のな」

「…止めてください。勘違いしちゃいますよ」

先生はタバコの件を即座に却下すると、携帯灰皿で火を消した。

“自慢の生徒”と言われたことには若干の恥ずかしさを覚え、ごまかすような軽口で返す。

「君を連れて来て本当に良かったよ…方法はどうあれ、君は仲間と力を合わせて褒められるに値する結果を手に入れたんだ。胸を張れ」

「…俺は、”こんな歳”になってもついぞ自分に胸を張れる事なんてありませんでしたよ。先生の言葉は有難いっすけど、これでも不安なんです。鶴見の状況がこれでも改善しなかったら、逆に悪化してしまったら…そういうネガティブな考えは計画を立てた時からずっとあります」

自分が抱えている不安を正直に打ち明けた。

言葉にしてから、実際年齢で言えば俺とほとんど違わない、むしろ俺のほうが年上であろうこの女性に対し、甘えすぎてるのかも知れないなと、自分を戒める考えが頭に浮かぶ。

「その時は私があの少女とご両親に頭を下げに行くつもりだ。お前たちに自由にやれと言ったのは私だからな。最後に責任を取るのが責任者の仕事だ。私も、そこまで君に押し付けるほどしたたかでは無いよ。だから…”こんな歳”などと抜かすのは10年早い!」

「いっ!イタタタ!何するんすか!」

先生はヘッドロックをかけながら、続けて俺に言葉をかける。

「…それにな、比企谷。この種の自信は、自らの努力だけで掴み取るタイプのものと少し違う。周りの人間が与えてくれるものなんだ…そして、それを与えてくれる人間がお前には…ほら」

ヘッドロックから解放され、先生の視線の先を見ると、俺が今一番一緒にいたいと考えていた3人の女性がそこに立っていた。

「お前ら!?いつの間に…」

「ヒッキー」「比企谷君」「比企谷」

三者三様に俺の名前を優しい声で呼んだ。

「…連中はもう大丈夫なのか?」

「鶴見なら心配無いよ。あの子、結構頭の回転も早いみたい。これからの友達作りの話をした時に、あんたのアレが演技だって気付いたのかもね」

俺の質問に沙希がそう答え、軽めのウィンクをした。ひょっとして、裏で俺の意図を鶴見に説明してくれたのかも知れない。

「私たちがそれぞれ連絡先を交換した子達もバッチリだよ。これから留美ちゃんを守るんだって、張り切ってた」

「趣味や習い事であの子を誘うっていうアイデアも受け入れられたわ。私が連絡先を交換した子も、これから英会話教室に誘うと前向きな反応だったわ」

「そうか…」

結衣と雪乃の言葉に俺は胸をなでおろした。これで計画は一旦成功したと言えるだろう。

「…それにしても、あなたの鶴見さんへの攻撃、迫真の演技だったわ。私怨が混じっているのではないかと疑った程よ」

「…勘弁してくれよ。全部昔俺がクラスメートに言われた事を思い出しながら言っただけだ」

「「「…うわぁ」」」

「ドン引きすんなよ…冗談だ、冗談」

「良かったな、比企谷。お前を理解してくれる人間が少なくとも3人…いや、奉仕部の人間以外も皆お前を認めているはずだ…じゃあ私はそろそろお暇するよ。皆、あまり遅くならんうちにロッジへ戻るんだぞ」

そう言って、平塚先生は一足先に教員向けの宿泊棟へと戻っていった。

 

再び訪れる沈黙。

だが、それは夏休み前の居心地の悪いものではなかった。

 

俺は、意を決して雪乃への謝罪の言葉を述べた。

「…雪ノ下…ごめんな。夏休み前のこと、ずっと謝らなきゃならねぇって思ってたんだ」

これがただのが自己満足に過ぎないとしても、雪乃に誠意ある謝罪をしておきたかった。

「…あなたに謝られる様なことをされた覚えはないわ」

雪乃はそう言って俺の謝罪を拒絶する。雪乃がこういう反応を示すことは何となく予想がついていた。

結衣と沙希は俺たちのやり取りを心配そうに見ている。

「そうか。でも俺にはあるんだよ。心当たりが無いなら、胸の内にしまっておいてくれ…俺は、お前との関係をまたやり直したいんだ」

「…そんな勝手な謝罪、聞いたことが無いわ」

雪乃はやや照れつつ、若干不貞腐れた様な表情を見せた。そんな可愛らしい表情を見て、心に安堵の気持ちが広がる。

「…夏休みに入ってから、ずっとモヤモヤしてたんだ。俺はお前ら3人に会いたかった…だからここに来た」

「な、夏休みが始まって、たかが一週間でしょ?アンタ、急にどうしたのさ?」

俺の言葉に動揺した表情を浮かべる3人。

それを誤魔化す様に沙希がそう言った。

「…その…何だ…恥ずかしい話、お前らに一週間会えなくて、俺は…寂しかった…のかもしれん」

自分の心境を素直に一つずつ言葉にして伝えようと試みる。

だが、そのあまりの恥ずかしさに言葉は途切れ途切れでしか発せられない。

素直に想いを伝えるのは、こんなに難しいことだっただろうか。

俺は自分の顔が急速に紅潮して行くのを感じた。とても3人の顔を見て話せなくなり、俺は俯いた。

暫し沈黙が流れる。誰からも反応がない。これは…ひょっとして俺、やっちまったのか。

恐る恐る顔を上げると、雪乃も結衣も沙希も、頬を真っ赤に染めて俺と視線が合うのを避ける様に他所を見ていた。

「…あの、ヒッキー…そういうのは彼女とかに言う台詞…だよ?」

少しの間を置いて、結衣が恥ずかしさを抑えこむ様な様子でそう言った。

雪乃は完全に俯いてしまっている。

俺はやり場の無い羞恥心を堪えながら、すがる様な目で沙希を見た。

「…え!?…そ、その、まぁ…悪い気はしない…けど」

俺と目があった沙希は慌てながらそう答え、再び目を逸らした。

「…誰彼構わず口説こうとするその軽薄な所、入部した頃から何も変わってないわね…あなたが変わらないのだから、私たちの関係もそんなに簡単に変わらないわよ」

雪乃は顔を赤くしながら俺を皮肉りつつ、”関係は変わらない”と、俺が一番聞きたかった言葉を返してくれた。

「バッカ、お前、口説いてねぇよ…それに、こんなこと…お前達以外には死んでも言わんわ」

「ヒッキー、もう勘弁して!…なんか超恥ずかしいよ!」

結衣の悲鳴に近い抗議の声に、雪乃も沙希も恥ずかしそうに頷いて同意した。

辺りに心地いい風が吹く。

空には満点の星。これが求めていた彼女達との関係の形の一つなのか。

この関係が続く保障はどこにもない。どこにもないが、出来ることならいつまでも守りたい。

俺は愛しい女性たちの顔を見ながら、その晩、そう強く願った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。