私たちが動けずにいる中、フランはただ静かに涙を流し続けた。
その姿は私に罪の重さを感じさせる。
ああ、私の眼から流れ落ちる涙よ、枯れ果てなさい。
私はそれをこの子への贖罪の一歩としよう。
誰も喋らない世界は、フランが泣き疲れて眠ってしまうまで変わらなかった。
スコールの毛並みを握りしめていた手を優しく解き、眠ったフランの体を横抱きに抱え上げれば、腕に感じるのはわずかな重み。
なんて軽いんだろう。
なんて小さいんだろう。
こんな体で何百年も、ひたすらに恐怖に苛まれてきたのか。
私は私自身にこの上ない憎悪を抱く。
ああ、ああ。
もう手放すものか。
たとえフランに殺されるような事になろうとも、決して手放してなどやるものか。
愛する妹だと思いながらも、この胸に例えようのない恐怖を抱き続けてしまった私の、ちっぽけな意地だ。
もう手放してなどやるものか!
自室へ戻り、ベッドの上でフランを抱きしめながらスコールに体を預ける。
そんな私たちを守るかのように、スコールは体を丸めて私たちを包み込んでくれた。
ふわりとくすぐる毛並みの暖かさ。
その暖かさに、また涙が滲む。
この子は今までこんな暖かさを感じる余裕などなかっただろう。
それは疑いようも無く、私の罪だ。
フランに物心がつく頃、既にこの子を取り巻く環境は冷え切っていた。
父の憎悪すら入り混じった冷たい視線や、そんな父に影響されて周りからも向けられた同種の視線。
程度の差こそあれど、好意的な視線など無かった。
私でさえ、母が残した言葉がなければその一員になっていたかもしれない。
私の子なのだから愛さずにいられるはずがない、と。
フランの顔をじっと覗きこむ私に、お姉ちゃんなんだから優しくしてあげなさいね、と。
フランを胸に抱きながら、優しく私の頭を撫でて母は私にそう言った。
私はその時、妹に母を取られたという悔しさのようなものを感じながらその言葉を聞いていた。
でも、母の胸の中で笑みを浮かべながら眠る妹の姿を眺めれば眺めるほど、そんな悔しさは彼方へと消えていく。
うっすらと見える、私とは違う綺麗な金色の髪。
まるで蜂蜜を溶かし込んだようなその色が綺麗だと思った。
私とは違う、様々な色に輝く羽。
母の髪飾りについているきれいな宝石のようだと思った。
小さな私より、更に小さな手。
それは私に守るべきものだと感じさせた。
しばらくして、母は命を使い果たしたかのように死して灰となった。
事実、使い果たしていたのかもしれない。
フランの身に宿っていた力は、生まれた時には既に父と肩を並べていたのだから。
母の言葉を胸にして妹を愛した私とは対照的に、父はそんなフランをとにかく嫌った。
人の中で語られる吸血鬼像の体現と言っていいほど傲慢だった父だが、母に対してだけは並々ならぬ愛情をもって接していたのだ。
父の目にはフランが愛する伴侶の命を吸い尽くした化け物のように映っていたのかもしれない。
更にそれに追い打ちをかけたのは、フランの能力の発現が早かった事と、その能力そのもの。
純粋な破壊の力。
ありとあらゆるものをフランはいとも簡単に握りつぶしてしまった。
『あれは災厄の枝!破壊と破滅を撒き散らすためだけに生まれてきたのだ!!』
フランを魔法で固められた地下へ押し込める直前、父はありありと憤怒を込めたその言葉を繰り返した。
私はそんな父を恐れ、また、そんな父が恐れたフランをも恐れてしまった。
今になって思えば、私も父も何と子供であったことか。
力は罪ではないというのに。
しかしその時の私は、妹への愛情を恐怖というフィルターに通してしまった。
一度かかったフィルターは、母の死によって精彩を欠き始めた父が人間に滅ぼされてからも外れはしなかった。
愛おしいのに、怖い。
矛盾だらけの感情に翻弄されて、何とかしたいのに何もできない。
そんな歪んだ私を、フランは恐れた。
そこからすれ違ったままの数百年が始まる。
怖いから暴れるし、逃げようとするフラン。
歪んだ私はそんなフランの心を理解してやれなかった。
小さなすれ違いだったはずなのに、それが正されるまでかかった時間は数百年。
最早言葉になどできようはずもない。
再び後悔が私の中で荒れ狂い、フランを抱きしめる手に力がこもった。
許して欲しいなんて絶対に言わない。
それを言うのは、これまでの年月が許さない。
だから、私は姉であろう。
腫れ物に触るような接し方などするものか。
良い事をすれば褒め、悪い事をすれば叱り。
喜ぶべき事があれば共に喜び、悲しむべき事があれば共に悲しもう。
そんな姉であろう。
何度失敗しても、そんな姉であり続けよう。
そんな決意を胸に、フランの額へ誓いのキスを一つ落とす。
そう、私は姉だ。
これまで果たしていなかった姉の本分を果たして見せよう。
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私の傍らで、フランは眠り続けた。
ようやく目を覚ましたのは草木も眠る丑三つ時の頃。
フランの寝息以外の音は何一つしない、静かな夜だった。
それまで身動き一つしなかったフランの睫毛が揺れる。
ゆっくりと開かれていく目は、まるで夢を見ているかのようにしばらく辺りを彷徨っていた。
その視線から不意に諦観のようなものを感じた。
それに気づくと同時、思わず力の限り抱きしめてしまう。
諦観が驚きに染め抜かれていくのが嬉しかった。
「……ゆめじゃ、ないんだ」
「ええ、夢じゃないわ」
おどおどとした手つきで私の背にフランの手がゆっくりと回される。
触れたら壊れてしまうのではないかと思っていそうだ。
その手に少しばかり力が込められた。
「……ねぇ、おねえさま」
「なぁにフラン?」
「わたし、あのへやにもどる」
……何?
「こんなにやさしくしてもらえたから、もう、いい」
こわいけど、がまんする。
フランはそう言って手を離していく。
そう。
でもね、フラン。
「おねえさま?」
フランがしたように手を離しなどせず、逆にフランを抱きしめる腕へと力を込め続ける。
私はもう貴女を手放したりなんてするつもりはないの。
貴女が本心から笑って、もういいよと言えるようになるまで手放してなどやらない。
「貴女はもう地下に戻らなくてもいいの」
「じゃあ、どこにいけばいいの?」
フランの顔がまるで捨てられた子犬のように歪んだ。
まったく、勘違いをするんじゃないの。
「私の傍に居なさい」
日々下らなくも愛しい喧騒が支配する、そんな私の傍に。
「一緒に眠って、一緒に食事をして、一緒に遊んで、また一緒に眠るの」
呆然と目を見開くフランを正面から見据えて言葉を繋ぐ。
「今までの私は、肩書きだけの姉だった」
怖がって、怖がらせる姉だった。
「でも、もうそんな姉であるつもりはないわ」
覚えておきなさい、フラン。
「もう貴女を手放すような真似はしない」
私は傲慢なの。
「……わたし、いてもいいの?」
「そう、居ていいの。また地下に戻りたいなんて言ったら、鎖で縛ってでもこちら側に引きずり出してやるんだから!」
「……それは、こわい」
「ええ、だから私の傍に居なさい」
掻き抱くようにしてフランの頭を胸に。
反論なんてさせてやるものか。
もう、こわがらせなどするものか。
「……ぅ…ぁ」
胸の辺りが濡れる感触がする。
再び背中に回されたフランの腕が私を締め上げた。
痛いけど、痛くない。
ああ、涙って枯れ果てることはないのね。
まただわ。
一方その頃、魔女は小悪魔と二人、小さなテーブルを囲んで酒精と戯れていた。
テーブルの上には小悪魔秘蔵の酒瓶と小さなコップが二つ。
今日、運命の糸が交わったのは、それまで交わっていなかったから。
「とびっきりの悪魔に」
「とびっきりの姉妹に」
『乾杯』