「おや、咲夜の菓子ですか」
「今回は扱いに慣れていそうな洋梨にしてみたのよ。何を作ってくれたのかはあえて聞かずに戻ってきたのだけれど……」
「さてさて、今回は一体何に化けたやら。あぁ、ちょうど橙もこちらへ来ているのですが、呼んでも?」
「当たり前じゃない。おいしいものは皆で食べてこそ、でしょう」
「その通りで。では呼んでくるついでに……そうですね、紅茶でも淹れて来ますよ。沸かした湯もありますし」
「お願いねー」
お返しに渡された、恒例のお菓子。
大き目の箱に詰められていたから、これ幸いとばかりに中身は聞かずに受け取ったのだけれど、はてさて。
中身は……ケーキかしらね、この箱にこの重さだと。
ふわりと洋酒の香りもするから、コンポートでも乗っているのかしらね。
となるとタルト……いや、レアチーズケーキというのもアリかしら。
何にせよ、間違いないのだけは確かだからねー。
下手な有名洋菓子店よりも楽しませてくれるんだから大したもの。
あの子、パーフェクトメイドなんて呼ばれるだけはあるわ。
「こういう一時代も悪くない、か。幽香が前にちらりと零していたけれど、そうね、そうかもしれない」
当然、打てる手立ては打つし、締める所は締める。
幻想郷を存続させるのは大前提だ。
でも、そんな合間に息抜きがあってもいいじゃない。
最近そう思うようになってきた辺り、毒されたのかしら?
まぁ、心に余裕を持つのは良い事だわ。
「ですけれど――――それはそれ、これはこれ」
あぜ道を狼と一緒にのんびりと歩く者も居れば、幻想郷へ迷い込んで、わけもわからないまま妖怪に食われる者も居る。
それはそれは残酷な話ですわ。
何しろ幻想郷は全てを受け入れるのだから。
甘いも辛いも、酸いも苦いも何もかも。
「らーんー? 紅茶はアールグレイがいいわー!」
「んなっ!? もっと早くに仰ってください!! もうダージリンを淹れちゃいましたよ!?」
「えー?」
「我がままを言わないでくださいよ、全くもう」
「…………くふっ」
「何ですかその含み笑い!?」
ああ、良いじゃないの、こういうのも。
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見上げた空には大きな大きなまぁるいお月様。
そんなお月様が浮かぶのは、雲一つない澄んだ夜空。輝く星々の真っただ中。
星の大海なんていう言葉があるけど、上手い例えだと思う。
「……ん~」
『お月見しましょ!』なんて誘ってきたくせに、庭に用意したお団子やお茶のセットを平らげたらすぐに居眠りを始めたスコールの毛並の中で、ふと目を閉じて思い出してみる。
こんなにゆっくりと、夜空を見上げたのはいつ以来だろう。
何の憂いも無く、頭を空っぽにして、ただゆったりと空を見上げる。
ただそれだけの事が、こんなに自由を感じさせてくれるという事をいつから忘れていたのだろう。
運命の糸を紐解くでもなく、紡ぐでもなく。
まぶたをゆっくりと持ち上げて、ただ空を、星を、月を見上げる。
何もかもを忘れて、ふわりふわりと夜風にたなびく毛並の中で、ただただ見上げる。
そんな見上げた空から素敵な素敵な、愛おしい存在が降ってきたのには正直驚いた。
「こんなに、月が綺麗な夜だから」
「ゆるりと空を見上げて、姉妹の語らいと洒落込みましょう」
きらきらと宝石のように煌めく羽を広げた、可愛い可愛い妹がまるで愛の告白のように告げたご挨拶に、苦笑を一つとお誘いの返事。
まるで花が咲いたような笑みを浮かべて、丸まったスコールの上、私の隣にふわりと降りて、フランは私と同じように空を見上げた。
語らいを何て言った割に何を喋るでもなく、お互いただ微笑みを乗せて空を見上げていた。
たまにはこういうのも良いでしょう。
紅茶の一つもなければ、菓子の一つもない。
言葉の一つもなければ、動きの一つもない。
ただただ空に抱かれたかのようなこの時を楽しむのも、良いでしょう。
見上げた空には大きな大きなまぁるいお月様。
お月様の浮かぶ星の大海に漕ぎ出す舟はスコール。
乗組員は吸血鬼の姉妹。
お月様が沈めば導を失い。
お日様が昇れば全てはご破算。
それも良いでしょう。
船頭は私かしら。
それともフラン?
どちらにしても、無事に目的地に辿り着ける気がしないわ。
私は移り気で、お月様を見ているようで、あちらの星にこちらの星にと目移りしてしまうだろう。
そしてフランはただ一つ、お月様だけを見るだろう。
それしか見ていなくて、海に突きだした岩礁に乗り上げる。
そして最終的には力技かしら。
落ち着いたとは言え、やっぱり根っこは吸血鬼だもの。
いつもはゆるゆると緩んでいる極上のルビーのような紅瞳も、怒った途端に轟々と燃え盛る焔に早変わり。
尽きる事の無い燃料を糧にして燃え盛るかのように、底知れない熱量を以って潰しにかかるからね。
でも、それで黒金の杖を振り上げて、ありったけの魔力妖力を込めて振り下ろすだけなら可愛いものだわ。
怒りの純度が上がってくると、我が妹ながらもう本当におっかない。
燃え盛っていると思っていたら、いつの間にか肌を刺すような冷たさに取って代わっているんだもの。
ここが私と違う所ね。
私はひたすらに、青天井の如く激するタイプ。
フランはあるラインを超えた途端、ぐるりとベクトルの根元が反転するタイプ。
ただひたすらに、目的を過たず、絶対に逃がさない。
そうなったらもう大変。
なんたって、妹ご自慢の伝家の宝刀『きゅっとしてどかーん』の本領発揮だもの。
見た、握った、どかーん。
感じた、握った、どかーん。
はい終わり、なんて。
我が妹ながら頼もしい事だわ、全く。
…………私、よく無事でいられたわね。
いや、違うか。
無事で、居させてくれただけか。
あの時、地下から出す事ができたあの時。
私を抱きしめて、ただただ泣いていた姿を忘れてなどいない。
忘れられるわけがない。
それだけの事ができるのに、私を抱きしめて、震えて、泣いて。
その気があれば、私の体だけを壊して逃げるなんて温い真似で済ませるわけがなかった。
少しでも足を止めれば、捕捉さえすれば、あとはきゅっとして何もかもお終いだったはずなのに、そうはならなかったのは?
――――つまり、そういう事。
あぁ、本当に昔の自分の馬鹿さ加減に溜息が漏れ出てしまう。
考えればわかったはずなのに、考える事すらできなかった。
思い込みっていうのは怖いわね。
本当に、怖いわ。
「フラン」
「ん~?」
「今は、幸せ?」
きょとんとした顔でこちらを見つめてきた気配を感じた。
それでも、私の目はお空に浮かぶ月を見上げたまま。
そうして、ゆるりと一陣の風が頬を撫でて去って行った頃に『仕方ないなぁお姉様は』なんて気配を隣に感じた。
失礼な。
「幸せだよ。そりゃあもう幸せだよ」
「ええ」
「いつも誰かがどこかで笑ってる。いつもどこかで私が笑ってる」
「ええ、そうね」
「他愛もない悪戯で苦笑して、他愛もないふれあいで微笑んで」
「ええ」
「いつも、いつも、いつだって誰かが笑ってるんだよ?」
そうだ、いつだって皆が笑ってる。
そう、皆が。
あの物静かで捻くれた所のあるパチェですら声を上げて、お腹を抱えて笑う事があるくらいだ。
皆が、笑っている。
「それを幸せだって言わずに何を幸せだって言うの?」
「反論の余地は無いわね」
「論破ッ!」
ちらりと横目で妹を見れば、ニィと鋭い牙を見せて屈託のない笑顔。
可愛らしいにも程がある。
「そしてそんな妹を見て、お姉様も幸せなのでした。めでたしめでたし」
ご名答。
「そして静かな夜空に浸って、昔の事を思い出して、ちょっとしょんぼり気味なお姉様なのでした。めでたくなしめでたくなし」
――――――ご名答。
「終わり良ければ全て良し、とは言わないよ。今でも地下室は嫌いだし、怖いもの」
「…………」
「反論も肯定もしない辺りがお姉様らしいし、そういう所は好きだよ?」
しない、じゃないわね。
できないのよ。
「むすーっとした顔で拗ねてるお姉様が好き」
「酷いわね」
確かに拗ねる事は増えた気がする。
怒る程の事でもないけれど、さらり流すには大きすぎる事が多すぎるんだもの。
主に咲夜と小悪魔のせいで。
「咲夜の罠に引っかかって、ぎゃおぎゃお吠えてるお姉様が好き」
「妙な所を好きになられたものだわ」
まさにそれよ。
私としては威厳たっぷりに叱りつけているつもりが、いつの間にかそんな風に見られるような事態に発展しているんだもの。
咲夜も腹黒くなったものだわ。
そう、咲夜が黒いのは悪いだけであって、私のせいじゃないの。
「パチュリーと図書館でお茶会をしている時の、穏やかなお姉様が好き」
「何だかんだで付き合いが長くなったからね。気楽だもの」
何だかんだで数十年の付き合いだからね。
お互いの良い所も悪い所も粗方出尽くした感があって、気楽なのは間違いないわ。
性質も私と合う。話していて退屈しない。混ぜて来る言葉の毒もいいスパイスになって楽しい。
たまに毒を拾い損ねて拗ねた顔をされるのもまた楽しい。
「門前で美鈴と難しい顔をしながら将棋を指して、結局負けて盤面をひっくり返すお姉様が好き」
「いや、あれは、その……もう様式美みたいなものでね、癇癪を起してるわけじゃないのよ?」
いや、本当よ?
最初こそ本気でひっくり返したのは確かだけど、美鈴も楽し気に付き合って芝居をするものだから、こう、やめどきがね?
一度ひっくり返さずにじっと盤面を見つめていたら、視線を感じてね?
『まだですか? ねぇ、まだですか?』って!
「アリスさんと二人で馬鹿な実験をやって、幽香さんに怒られてしょんぼりしてるお姉様が好き」
「布の染料、血だけじゃ駄目だって初めて知ったわ。というか私の血を悪用できるのも初めて知ったわ、アレで」
「色々捏ねてたら偶然出来上がった、血でできた鏃を撒き散らす迎撃布だね。あれ元がお姉様の血だけあって結構凶悪だよ?」
「失礼な!」
私とフランの姉妹人形を作るに当たっての、前段階兼趣味の産物であるコート作成の時にやらかしたアレは酷かった。
アリスが用意した力の通りやすい布を、私がとりあえずやってしまえとばかりに血で浸した瞬間のアリスの顔ったらなかったわ。
焦って準備を何段階も飛ばして、とりあえず反発の術式をかけた途端に出来上がったのは吸い上げた私の血をそのまま鏃にしてばら撒く剣呑な布。
私が普段から槍にして投げてる事から、もう血が覚えきってたらしいわね、あの形。
折角だからと調整して、識別魔法をかけて侵入者への罠にしたけど。
試しに倉庫にあった鋳造品の盾に向かって作動させたら過剰火力で蜂の巣になったのは悪い思い出だわ。
「幽香さんの膝の上にご招待されて、照れくさそうにしてもじもじしてるお姉様が好き」
「実際照れくさいのよ、アレは!」
フランは嬉々として幽香に飛び込んでいくけどね、私はどうしてもそこまではできない。
嫌いじゃあないのよ?
あの性質はフランにとっても、私にとっても、紅魔館にとっても、この上なく好ましいもの。
あちらもこちらを好いてくれているし、こちらもその好意に自然体で応える事ができている。
理想的な関係だわ。
ただ、あれだけあけすけに子ども扱いされると照れくさくて困る。
あちらから見れば、五百歳なんて子供だろうけどね。
フランの境遇なら猶更だろう。
今は亡き母を重ねているのは間違いないと思う。
そこについてはあちらも暗黙の了解みたいになってるけどね。
「何よりも、楽しそうに笑ってるお姉様が大好き。でも、私に気兼ねしてるお姉様は大嫌い」
「――――」
これまですんなりと出てきた言葉が出てこなかった。
大嫌い、と言った瞬間の、フランの眼光。
ちろりと垣間見えたその色は、フランが本気で嫌ったものへ向ける色で、それが意味する所はあっさりと知れたから。
まったく、人を持ち上げて持ち上げて持ち上げきった瞬間にヘッドショットとか酷いものだわ。
瞬間、さーっと血の気が引いた感覚がしたもの。
「ふとした瞬間にね、感じるんだよ?『今、私の立ち位置を確認したなー』って」
「そうね、無いとは言わないわ」
「なら、これからは無くして貰おうかな」
「……努力はするわ」
「何を言ってるの、お姉様?」
…………んんん?
「無くして貰う、って言ったんだよ?」
「え、ええ、だから努力はするわ」
んん?
何故お互いに首を傾げ合って、不思議な顔をしているんだろう。
努めて気兼ねを取り除いていけば、その内それが自然な対応になる。
要は慣れの問題じゃないの。
「あぁ! そういう事ね」
「はい?」
「お姉様、勘違いしてるんだね」
「かん、ちがい?」
何だろう、嫌な予感がする。
運命を紐解くまでもない、嫌な予感が、する。
むしろ確信と言っていいかもしれない。
「私はお願いしたわけじゃないよ。宣言したの」
「宣言」
「そう、宣言。スペルカードでも作ろうか? あれも言ってしまえばただの宣言なわけだし」
何故だろう、引いた血の気は戻ってきたはずなのに、背筋に冷や汗が伝ったのがわかる。
目の前でにっこりと笑うフランだけど、何故だろう、その笑みが獲物を前にした時のスコールの顔に見えるのは。
あ、ちょっとほっこりしたわ。
スコールは顔だけはそうだけど、雰囲気があれだものね、ごっはんごーはんーって。
「今後、お姉様がそういう気配を出したら覚悟して貰います」
「何をする気よ!?」
「甘味類はしばらくの間、お姉様の分まで私がぜーんぶ食べてあげる」
「オゥ……」
死ねと。
スコールで現実逃避をした先にあったのは死刑宣告だった。
しばらくの間、って便利な言葉よね……その気になればいつまでだって適応できるんだもの。
いや待て、ここは姉の威厳を見せて、勝手な事を言う妹を戒めてやれば良いのだ。
「フラン、それは「できない、なんて言わないよね。ただ、妹に気兼ねをしないだけでいいんだもの」……」
あぁ、これはあれだ、駄目なやつだ。
私が何を言おうと、論破されていって最終的には誓紙まで書くような事態になるやつだ。
「お姉様、大好きよ?」
「ソウネ、ワタシモヨ」
あぁ、今は亡きお父様、お母様。
紆余曲折ありましたが、私は元気です。
そしてフランも元気になりました。
そして逞しくなりました。
我を通すべき所だと判断したら、それはもう逞しいです。
吸血鬼として成長しているのは間違いありません。
「オソラキレイ」
「そうだね、いい夜だわ」
お父様。フランを封じた後、人に滅ぼされたのは幸せだったのかもしれません。
さっきフランから感じた圧力、申し訳ありませんがお父様より上です。
お父様の仰っていた、吸血鬼は純粋な力押しで良い、それで良い、それが良いという言葉。
それは確かに正しい道でありましょう。
しかしながら、そんな吸血鬼が回り道、搦め手を使えばどうなりましょうや。
結論です。えげつない。
あぁ、いい夜空だわ。
星空の中に思わず顔を背けているお父様の幻まで見える。
だが何故だろう。
あの穏やかで物静かだったはずのお母様が、物凄い良い笑顔でサムズアップしている幻まで見えるのは。
あぁ、あぁ、いい夜空だわ。
「とりあえずお姉様、お試し期間いってみる?」
「やめなさい!!」
「全く、してやられたわ。我が可愛い可愛い妹ながら酷いものよ」
「好かれてるのは良い事じゃないの、お姉様?」
「やめてよ、それ。あんたから言われたら背中がむず痒くなるわ」
ぐったりとテーブルに伏せて愚痴れば、くすくすと笑い声が聞こえてきてまた居心地が悪い。
幽香も幽香で、それはもう微笑ましいと言わんばかりににっこにこしてるから猶更だわ。
「久しぶりの妹のわがままよ? 私も思う所はあるし、それは叶えてあげたいと思うわ」
「叶えてあげればいいじゃない」
「やらかした時の負担が大きすぎるわ! 甘味禁止令とかやりすぎよ!!」
「いや貴女、どれだけ砂糖に依存してるのよ……」
「砂糖は血と同じ重さを持つのよ。知らないの?」
「知りたくなかったわ、その事実」
砂糖を摂取すれば頭も回る、体も動く、何よりも幸せになれる。
良いこと尽くしじゃない。
「良かったわね、妖怪で」
「うん?」
「人間であれば色々と病気になったりするらしいわよ、そんな甘味に依存してると」
「難儀なもんだね、人間は」
「ええ、難儀な人間にしてみれば、そんな幸せそうなお嬢様をただ見続けるというのも辛いものなのです。あぁ、好きなだけ好きなように甘味を口にできるなんて羨ましいですわぁ」
待て。
何か混ざったわ今。
「ですので、フラン様の手助けをして浅ましい羨望を慰めるというのも、人間の難儀な部分の一つなのです。それを受け止めて下さるお嬢様、素敵だと思います」
「ええそうねぇ、素敵よねぇ」
だから、待て。
さらっと会話に加わって、食い気味に主張するのは、まぁいい。
でもその内容は看過できないわよ、咲夜?
そしてくすくす笑いながら追従するんじゃない、幽香!
「ここ数年のお砂糖消費量の異常さは目を覆わんばかりでしたからねぇ」
「そんなに酷かったの?」
「お嬢様ったら、お砂糖の袋をまるまる一つ使ったケーキをそれはもう幸せそうに平らげてしまうんですもの」
「……砂糖、一袋?」
「一袋、ですわ。緊急回避措置として提供してしまいましたが、あっさりと完食して『今日のは特別いい出来だったわね』なんて仰られるんですよ?」
「…………レミリア、貴女病気よ?」
聞こえない。
きーこーえーなーいー!
あぁもう幽香、ニヤニヤしながら耳を塞いだ手をどけるんじゃないわ!
咲夜も私の菓子遍歴を幽香に教えないの!!