まるで夢のようだ!
一体何処からこれほど沸いてくるのか、自分でも驚く程の活力が私を満たしている。
ついに!ついに!!
私はついに辿り着いた!!!
私の終着点は、カミサマたちに感謝したあの満月が覗く緑の中ではなかった!
諦めて、笑って、目を閉じたあの地ではなかった!
嗚呼、あぁ、私はついに、ついに居場所へ辿り着いた!
私の体からはその喜びが形になったかの如く声が溢れてくる。
溢れ出す涙で滲む視界は時を経るごとに歪みを増して、最早何も見えなくなる程。
ああ、今この体を満たす喜びを測る事などできるものか!
止められない、止めたくない。
この叫びを止めてしまったらこの夢のような喜びが消えてしまいそうだ。
夢なら覚めないで欲しいと切に願う。
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目の前には、耳を必死に塞いでいるというのに鼓膜が破れるかと思う程の鳴き声を上げている狼。
これでもかという位にうるさいけれど、それでもこれは止めてはいけないものだと感じた。
……レミィがこの狼を拾ってきた時。
気づいていなかったようだけれど、この狼に外傷はただの一つもなかった。
魔力で精査しても、大きなあの体に残っていたのはひたすらに積もり積もった疲労のみ。
妖獣が、強靭な肉体こそが特徴の妖獣が、ただ一つの傷も無いというのに、死に至る程の疲労を積み重ねたのだ。
並大抵の事ではないその事実に少しばかり興味が沸いた。
変わらず鳴き続ける狼を見ながら、ぼんやりと先のやり取りからの考察を始める。
大きな体に似合わずコミカルな動きをしていた狼の様子が大きく変わったのは……そう、居場所や名前の話題になってから。
単純に考えるなら、それを求めていたのだろう。
単純に考えないならいくらでも予想はできるけど、数が多すぎてリストアップどころの話ではなくなる。
判断材料が足りなさ過ぎるわ。
あの狼が喋れるなら少しはやりやすいのだけれども……いっそ狼の言葉がわかるような翻訳魔法でも作ろうかしら。
意思疎通の魔法を少しいじって流用してもいいし。
いや待て、あの狼は言葉を理解しているのだから文字盤の様なものでもいいかもしれない。
それだと手間がかからないし。
確か図書館の片隅に転がっていたような記憶がある。
まぁ、その辺はあの狼に選ばせてやろう。
折角作っても使われないのでは意味がない。
使われなかったのであれば、そこにどれだけの時間を費やしたとしても、それはただの無駄でしかない。
……しかし終わらないわね、この鳴き声。
いったいどれだけの肺活量があるのかしら。
目の前に置かれた紅茶のカップが、中身ごと揺れ続けている。
あ、終わった。
レミィ、何かピクピクしてるけど耳大丈夫?
偉そうに腕を組んだまま仁王立ちしてるからそうなるのよ。
貴女が斜め上の発言や行動をするのはいつもの事なんだから、いい加減に突っ込みに対する耐性を持ちなさいよ。
あぁ、そういえばあそこまでストレートに突っ込んだのは今日が初めてだったかしら。
今日はどうにも自分の言動がおかしい気がする。
咲夜も小悪魔も、レミィですらも。
……考えられる原因は当然この狼か。
警戒は緩めないでおこう。
鳴き声が止み、耳鳴りがおさまってまず感じたのはひたすらな静寂だった。
虫の声も、時間外れな鳥の声も、妖精たちの遠い喧騒もない。
まるで世界に存在する全ての音が死んでしまったかのような錯覚さえ覚える。
鳴き声でようやく目を覚まし、またその鳴き声を至近で叩き込まれて目を回している美鈴を尻目に、狼が大きな体を揺らして足を踏み出した。
私は反射的に警戒を強め、咲夜も僅かに重心を落として即座に動ける態勢を取る。
レミィは相変わらずピクピクと震えながら仁王立ちしたままだ。
元より離れていなかった狼とレミィの距離。
狼が一歩踏み出せば、最早彼我の距離は無きに等しい。
無いとは思うが、何かしら手を出すには十分な距離だ。
そんな私達の警戒など知らぬとばかりに、狼はゴロゴロと喉を鳴らしながらレミィに優しい頬擦りを一つ落とす。
まるで御伽噺のように、騎士がお姫様の手にキスを落としているかのように。
どちらもご婦人に分類されるのがちょっと減点対象だけど。
更に言うなら、これまでの雰囲気を取り払えば犬にじゃれ付かれる幼女にしか見えないのも減点。
まぁ、野暮な事は考えないでおきましょう。
悪い絵じゃあないし。
しばらく観察していると、ふわりふわりと頬をくすぐっている毛並みにレミィの頬が緩んでいった。
羽もぱたぱたと忙しなく揺れている。
そんなに気持ちいいのかしら?
ひきつった頬が見る間に緩んでいくのは結構面白い見ものだけど。
たまらず、といった風にもしゃりとレミィが狼の首に抱きつけば、それに反応して狼の尻尾がゆらゆらと揺れた。
どうやら喜んでいるらしい。
このロリコンめ。
そもそもあんた雌でしょう。
……いけない、また妙な方向に思考が飛び立ってしまった。
あの狼、精神干渉系の能力でも持ってるのかしら。
そうだとしたら厄介な事だけれど……これからはそちらに重きを置いた警戒を向けておこう。
吸血鬼のレミィならまだしも、私はあの牙で噛み砕かれれば間違いなく即死。
あれだけの体躯なら、そこらの狼のように引き倒して息の根を止めるなどという悠長な事をせずに、ただ噛み付くだけで容易に私を絶命へと至らしめるだろう。
準備をした上でやりあうならいくらでもやりようはある。
しかし無防備な所を狙われれば話にならない。
見るからに狼にその気は無さそうだと感じるけれど、まだこの段階では警戒するに越したことは無い。
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狼にじゃれ付く幼女、じゃれ付かれる狼。
それに羨ましげな目を向ける咲夜と美鈴。
どちらが何に対して羨望を向けているのかは言わぬが華だろう。
しばらくそんな状況が続いたが、ようやく狼が優しく顔を離した。
レミィ、そんな悲しげな顔をするんじゃないの。
子供がおあずけを食らったみたいな顔……言い過ぎたわね、そう、出されたケーキを落としてダメにしてしまったような顔は見てられないわ。
そんなレミィの顔にもう一度頬擦りを残して、再びのそのそと今度は咲夜の下へ歩を進めて行く。
警戒を緩めないままの咲夜の様子など知ったことではないとばかりに、機嫌よさげに再び頬擦り。
触れられるまでは警戒を緩めなかった咲夜が、時を置かずに陥落した。
なん……ですって……!?
あの咲夜まで陥落したというの?
おのれ、あの狼の毛並みは化け物か!
……ああ、化け物よね、妖獣だもの。
咲夜にあの手のペットに対する耐性が無かっただけというのも大きいかもしれないけど。
次は……美鈴?
あ、進路変更した。
これはどうやら私かしらね。
美鈴、何滂沱の涙を流してるの。
貴女さっきまであれだけしがみ付いていたじゃない。
もっふーんすりすり。
もふもふもふもっふ。
そう表現する他なかった。
………悪くないわ。
うん、悪くない。
あ、こらちょっと!離れるんじゃないわよ!
待て毛皮!!
思わず引き止める手が出てしまいそうな名残惜しさと共に次の相手へと目を移せば、そこには小悪魔が。
……居たのね小悪魔。
狼が近くまで寄ってくると、小悪魔は先手必勝とばかりに狼の首に飛びついた。
当たってる?違うわ、当ててるのよ。
そう言わんばかりにもふもふと毛並みを繰りながら楽しんでいるらしい。
狼がきゅんきゅん困ったように鳴きながら咲夜を見ている。
あれ程怖がっていたのに、何故咲夜なのだろうか。
あの子は犬っぽいからかしらね?
どうにも怖いけど、それでも……というところか。
く、悔しくなんて……ないわ、ええ、ないわ。
いつまでも抱きついていては話が進まないという空気を読んだのか、ようやく小悪魔が狼を開放した。
あれだけ抱きつかれたというのに、律儀に小悪魔にも頬擦りを一つ。
小悪魔、貴女また抱きつきかけたでしょう。
手が一瞬震えたわよ。
大きな体のくせに足音をほとんど立てず、再びレミィの前に戻った狼。
これからよろしくお願いしますといった風にぺこり。
どうやら礼儀はわきまえているようだ。
うむ、ぱっちゅんポイントを加点してやろう。喜べ。
狼は挨拶回りが一段落して『私これから何すればいいの?』とばかりに首を傾げた。
その仕草にまたレミィがやられたらしい。
今までペットらしいペットを傍に置いたことがなかったからこちらも耐性が無いんでしょうね。
再び飛びつこうとしたので、ぼそりと『カリスマ』と言ってやった。
どうやらちゃんと聞こえたらしく、微妙な態勢で固まった。
もう皆にばれてるから偉そうに咳払いをしても遅いわよ。
レミィが抱き付きたそうにしながらもこれからの取り決めを進めていった。
要約すると、先に言ったとおりしばらくは好きにしなさいという事にするようだ。
貴女の部屋はここねと今いる部屋を示した時、狼は居心地が悪そうに部屋を見渡した。
どうやら勿体無いと言いたい様だ。
わかりやすい狼で助かる。
でもそんな狼の考えはレミィが強権を持って押し切った。
まぁ館の広さは咲夜の能力でおかしな事になってるから、別に問題はないでしょう。
狼が生活するに当たって必要となる機能については私が魔法で整える事になった。
人用の設備は狼の体では使えないから仕方が無い。
ちなみにその魔法の維持に使う力は狼の妖力を魔力に随時変換して使用する形に。
効率は悪くともこの程度の魔法ならば高が知れているので問題はないだろう。
一通りの取り決めが終わった後は、レミィお待ちかねのフリータイム。
馴染む!馴染むぞ!!と言わんばかりに腹ばいになっている狼の背中で毛並みを満喫していた。
咲夜もそれを緩んだ顔で眺めながら狼の尻尾をにぎにぎ。
嫌だけど言い出せないといった風な狼の顔を楽しみながら紅茶を嗜む。
自分にサドの気があるとは思っていなかった。
中々に面白い発見だわ。
いえ、これくらいなら誰にでもあるかしら。
そんな事を考えながら観察を続けていると、器用な事にずりずりと腹ばいのまま前進してきた狼に足元から見上げられた。
どうやら尻尾を握る咲夜をどうにかして欲しいようだ。
懇願するような目がたまらない。
咲夜にもっとしてやるように言った瞬間のあの顔はしばらく忘れられないだろう。
まぁもう少しくらいは遊ばれてなさい。
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どんな時間にも終わりは来る。
それなり満足したといった風なレミィが解散の宣言を発して、手を一叩き。
なのに、解散を宣言したレミィがこの場を離れようとしない。
様子を見る限り、どうやら毛並みを楽しみながら眠りたいらしい。
今までの行動を見てれば危険はないんでしょうけど、警戒を緩めすぎじゃないのかと思う。
……まぁあの毛並みならわからなくもない。
良い寝台兼枕になることだろう。
今度私もやってみようかしら……いや、ソファ代わりにして本を読むのも良いかもしれない。
まぁ今はそれよりも睡眠だ。
狼ベッドはレミィに譲ってやる事にして私は自分の部屋へ戻って行く。
どこか寒々しい雰囲気の漂う、本の要塞と言わんばかりの部屋。
そろそろ読み終わった本が溜まって来たし、図書館に戻さなければ。
頼むわね、小悪魔。
……こあーっなんて泣いてもダメよ?
さて、おやすみなさい。
……今日みたいに、全員揃って騒ぐなんて事は久しく無かったから、元々広いベッドが更に広く感じてしまう。
小悪魔、扉の隙間から枕を抱えて覗いてないで入ってらっしゃい。
仕方のない子だわ、全く。
ええ、全く仕方ないから抱き枕にして眠ってあげましょう。
代わりに本の整理よ?わかってるわね?
……おやすみ。