あぁ、とても良い天気。
太陽は未だ中天に差し掛かってすらいないというのに、まるで地を焦がさんばかりに輝き続けている。
遠くに見える森からは命を燃やす蝉たちの声が立ち上り、その森の中には気温が上がる前にと早朝から動いていたのだろう人影がまばらに見えた。
うん、夏だ。
「暑いねぇ……」
「いや、この日差しをそれで済ますのはどうなのよ吸血鬼」
「傘があればどうという事はないよ。それにほら、スコールの能力もあるし」
そんな所までカバーするのね、この狼は。
どこが『大した事はできない』なんだか。
……とはいえ、実際大したことをしでかすようにも見えないのも事実。
ヘタレてるし、そんな事ができるタマじゃないっていう印象が強いのよね。
「ん、どうかした?」
そんな事をつらつらと考えていると、フランドールや幽香と相乗りしていたスコールが歩を緩めて、ふすふすと鼻を鳴らして辺りを伺い始めた。
別に何かおかしな気配を感じたりはしていないけど、どうしたのかしら。
「あ、何か見つけたんだ」
ぽふ、と手を一つ叩いてからスコールと同じように辺りを見回し始めるフランドール。
見つけたって、一体何を見つけたと言うのやら。
視界に写る草原や森におかしな物も見えない。
ユウカさん、アリスさん。
新鮮なお肉で作る鹿刺しとか如何です?
「いいわね。タレはわさび醤油?」
いえーす。
こないだわさびを採って帰る途中のお婆さんを人里まで乗っけて行ったら、新鮮なやつをくれたんですよ。
そのままサクヤさんに渡したので、きっと新鮮さそのままで残ってるはずです。
……いや、何で人に溶け込んでるんだろう。
悪い事じゃないけど、見た目がこれだから威圧しそうな……って、威厳ないんだった。
納得。
まぁそれはそうと、しかさし?わさびじょうゆ?
新鮮なお肉でつくる、しかさし? しかさ……し?
いまいち想像ができないので、わさびじょうゆなるタレの名を口にした幽香へ疑問を投げかけてみよう。
判らなければ、人に聞く。
うん、大事なことよね。
「何それ?」
「名前の通り。鹿の刺身……薄い切り身を、わさびっていう植物のペーストを加えた日本の調味料、醤油で食べるのよ。生肉だから好き嫌いはあるけど、そこまで生くさい物でもないから多分アリスでも大丈夫だと思うわ」
思ったよりも詳しい説明が返ってきた。
幽香の口ぶりから、そこまでアレな物でもなさそうだし、百聞は一見に如かず。
「それなら食べてみたいかな」
「はい決定。スコール、別行動にする?」
そうしましょうかねー。
仕留めてからそのままサクヤさんの所に持ち込んで調理してもらいます。
新鮮な方が美味しいですからね。
さくさくと話を進めて、お願いね、なんてスコールの毛並みを一撫でしながらするりと降りた幽香。
洗練されたレディの動作に憧れも抱くけど……私に対しては中身が愉快犯じみてるからなぁ。
はぁ、と心の中で思わず溜息こぼしながら背中から降りると、途端に地面が揺れているような感覚に襲われた。
まさか幻想郷でこの感覚を味わうと思ってなかったわ。
とんとんとこめかみの辺りを叩いて感覚を戻していると、ふるふると体を揺らして毛並みを整え終わったスコールから『いってきまーす』なんて軽い宣言が。
お座りしながら幽香とフランドールに頬ずりをして、撫でて貰ってご満悦といった風の……あれ?私は?
ちらりとこちらへ流し目を向けたかと思えば、すぐに視線は幽香の元へ逆戻り。
……アイコンタクト?
「行ってらっしゃーい!」
「期待してるわね」
「えーと……頑張ってね?」
やぼーる!なんてどこで覚えたのかわからないドイツ語で返事をしながら数歩たしたしと歩いて私達から離れたかと思えば、そこから馬鹿みたいな加速を見せて森の中へ突っ込んでいくスコール。
……いや、速すぎでしょアレ。
そのくせ足音が殆どしないとかどうなってるのよ。
そして何より私には!?
あの頬っぺたあたりの毛並み、私も触りたかったのに……!!
「あの体であの速さ。逃げ続けてきたっていうのも伊達じゃないわね」
傘をくるりと一つ回して、感心したような言葉をこぼしながらフランの手を引いて目的地の屋敷へ歩き出す幽香。
……傘で隠れて髪の色が見えない今だったら、まるで親子みたいね貴女達。
年の差的にもぴったりじゃないの?
ゆうかおかあさんとふらんどーる、みたいな……あ、まずいツボった。
私の腹筋さん、頑張って頂戴ね。
多分今噴き出したら幽香にやられる!
「アリス、わさび二倍ね」
…………!?
「覚悟しておきなさい」
「いや、え……え?二倍?」
「なら四倍。やったわね、お得よ?」
ちょっとフラン、何でそんな可哀想な人を見るような目を向けるの?
わさび……ってそんなヤバい物なの?
…………早まったかしら。
でも今更やっぱりやめますなんて言えないし……どうしよう?
「返事がないならさらに累乗してあげるけど……貴女、マゾヒストだったの?」
「違うわよ!ていうか何か嫌な予感がするから二倍も四倍もしなくて結構」
「十六倍。やったわね、お得度が増したわよ」
「……一倍って選択肢は一体どこへ行方不明になったのかしら」
「私の畑の肥料にでもなったんじゃない?」
…………理不尽だ。
フランドール、そんな申し訳なさそうな顔しながら手を合わせるくらいなら、助けてよ。
……え、無理?
…………そうだよね、幽香だもんね。
「……もういっその事、わさびだけ口に突っ込んであげようかしら」
「やめたげてぇ!!」
「そんな必死にならなくても……判ったわよ、直は無しにしましょう」
……フランドールさん、今、貴女は輝いているわ。
珍しくこの手の発言を幽香が撤回してくれた。
あの純粋な子供のような目で訴えかけられるとクルよね、うん。
対幽香用最終兵器フランドール。
うん、いい事を知った。
「仕方ないわね……直も累乗もやめてあげるとしましょう。……でも、倍ね。三十六倍」
わさびが足りるかしらね~なんて呟きながらフランドールの手を引いて歩き始める幽香に、まさに触らぬ神に祟り無しの気分で着いていく私。
思考をまるで読んでいるかのような、そんなタイミングでサディスティックな発言を滑り込ませる幽香に、私はただ従うしかないのだ。
まぁ、私が本気で幽香に対するマイナス感情を抱かないギリギリのラインはいつも守ってくれてるようだから、そこまで悲観的な事でもない…………ってあれ?
まぁ待て、やられ続けるのを前提で考えてるわよ、私。
いやでもやり返すと後がなぁ……って思考がループしてる。
あー…………うぅ…………!
「……ね、面白いでしょう?」
「あんなに顔に出てるのに、アリスさん気づいてないのかなぁ……」
「人里だとポーカーフェイスの西洋人形みたいな子で通ってるから、間違いなく気づいてないでしょうね」
「ほほう、つまり?」
「気を許した相手にはとことん甘いのよ、アリスは。すました風にしようとして、端々から見て取れる本音が可愛らしいったらないわ」
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で、そんな忘れるには少しばかり重過ぎる後悔らしきものを胸に抱きつつ、やってまいりました吸血鬼の居城『紅魔館』……お城じゃなくて屋敷だけど。
でも吸血鬼はお城のイメージが強いわ……何故だろう。
「ただいまー!」
そんな私の思考など露知らず、大きな扉をまるで叩き破るかのような勢いで開け放つフランドールに唖然とさせられたけど、それ以上に驚いたのは屋敷の玄関で出迎えてくれた面々。
背中に蝙蝠羽らしきものを生やした、フランとよく似た顔立ちの美少女……うん、多分吸血鬼。
その少し後ろに不健康そうな顔色でふよふよと浮かびながら『吸血鬼ハンターS』何て本を読んでいる……多分、魔女。そんなの読んでいいのかしら。あとSって何よ。
で、そのさらに後ろには銀の髪と見た目重視な感じのフレンチメイド服が特徴な人間。ちらりと覗く太ももにはごっついナイフの入ったホルスターが巻かれていて、貴女は一体どこを目指しているのかと問い詰めたい。
……いや、雑多すぎでしょう。
そういえばさっき門の前で昼寝してたのも妖怪だったっけ。
何の妖怪かはさっぱりわからなかったけれど。
「おかえり、フラン」
「ただいま、お姉さま」
思わず首を捻った私の前で、ぽふっと蝙蝠羽の美少女の胸に飛び込むフランドール。
うん、いい光景だ。
真っ白な雪のような肌に、綺麗な金と青銀のさらっさらな髪、極上のルビーのように赤く輝く瞳。
そこに加わる吸血鬼美少女の笑顔×2なんて付加要素……創作意欲が沸いてきた。
名前は……んー……紅魔人形?
……紅魔人形……紅魔人形……うん、語感も良い。
紅魔人形。
さて、ならば何の紅魔人形にするか。
仲は良さそうだし、ペアで作るなら親愛とか?
いやでも、今までの人形達の命名パターンから行くと違和感がある。
吸血鬼の住む館、紅魔館。
特徴とは何ぞや?
紅い?
いやいや安直すぎるでしょう。
ちょっと切り口を変えてみよう。
吸血鬼……血……血の紅魔人形?だめだ色んな意味で痛々しい。
吸血鬼の特徴……力が強い、日光を浴びると灰になる、夜に活動する、満月の時には近寄るな……?
……夜、満月。
月夜の紅魔人形?
命名パターン的にはクリア。
ちゃんと特徴も表してるし、語感も問題無し。
うん、創作意欲が増したわ。
やってやりましょう。
そんな心の中で行われていた作成構想が一段落してすっきりした所で、私、アリス・マーガトロイドは気づきました。
Q.なんでみなさん、わたしをみたまま、とまってらっしゃるの?
A.私がずっと唸りながら考え事をしていたから。
客人として招かれた館で、挨拶の一つもせずに考え事を始めるなんて失礼にも程があるわよアリスさん。
いやだわオホホ……
「……この見るからに『やらかしたーどうしよー』なんて気配を滲ませてるのはアリス・マーガトロイド。大方貴女達を見て『新しい人形つくろっかなー』なんて考えてたんでしょうね」
「なんでわかるのよ」
「…………本当に考えてたの?」
「えっ」
「……アリス、貴女疲れてるのよ」
普段は私に向けることのない、幽香の慈愛に満ち満ちた微笑が心に突き刺さった。
それはもう見事に突き刺さった。
自業自得だけど。
とはいえ貴女が言うな。
「……あー、うん、失礼。アリス・マーガトロイドです。フランドールと、そちらの……「フランの姉のレミリア」……レミリアさんのペアに創作意欲がですね、沸いてしまいまして……その、ね?」
「長いわ。自己紹介くらいきちんとなさい」
「貴女は私の母親かっ!?」
「私が神綺に見えるのなら、悪いことは言わないから休みなさいな」
「そこまで駄目になってないわよ!」
「そう、なら周りの空気を読みなさい」
幽香の一言で、一瞬血が上りかけた頭にさっと冷水をかけられた。
くるーりと周りを伺ってみれば、ニヤニヤと笑いながら続きをドーゾと言わんばかりのレミリア嬢に、あらあらまぁまぁとでも言い出しそうなメイドさん、我関せずな魔女。
色んな意味でアウェイじゃあなかろうか。
せめてもの救いは『私達の人形を作ってくれるの?』といった風な期待を乗せた目を向けてくれているフランドールだけである。
「どうしてこうなった」
「貴女の愉快な思考回路のせいでしょうが」
思わず膝を付き、ふかふかのカーペットに手をついてしまった。
どうしてこうなった。
そして何このカーペット……上質にも程があるでしょう。
ふっかふかよ、ふっかふか。
しかも汚れ一つ無い……いい仕事してるわね。
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「へぇ、人形師。また面白い方向に特化した魔法使いね」
「最初は色々試してたんだけど、いつの間にか固定しちゃったのよ。今じゃ何か新しい事をしようとしても、頭に浮かぶのは『人形にどうフィードバックさせるか』だもの」
「ある意味病気だけど、そのくらいでいいのよ、魔女は」
「お褒めに預かり恐悦至極。でもそっちも凄いわね、七曜なんて。万能型じゃない」
「いくつか決め手になるようなものはあるけど、どうしても器用貧乏染みてしまう所があるのよね。汎用性が高すぎてどこから手を付けようかいつも考えてしまうわ」
「隣の芝は青い、といった所ね。でもいい機会だし、よければ今度一緒に研究でもいかが?私の方はさっき言ったスカーレット姉妹の人形作りをしたいから、色々と話を聞きたいのだけど」
「かまわないわ。最近は新しい風を吹き込もうと思って小説を読んでいたくらいだもの」
「なら材料を揃えてからまたお邪魔するわね」
「ええ、いつでもいらっしゃい」
うん、うん。
最初の印象こそアレだったけど、話してみたらいい魔女じゃないか。
消沈しながら案内された客間での雑談の中にあって、さらりと流すような言葉の端々に知性の裏づけを感じさせる、そんな落ち着いた姿はかなりポイントが高い。
これは私も気合を入れないと。
いっそ今までの既製品の布じゃなくて、使う布を作るところから始めましょうか。
フランドールやレミリア嬢の髪の毛なんかを織り込んでみたり、染料に二人から少しばかり血を貰って混ぜ込んでみたりとか。
…………何か色んな意味でまずい物ができそうだけど、それはそれで面白そう。
まぁ二人の協力が無ければ成り立たないから、構想だけ練っておきましょう。
そちらの方面は専門じゃないし、少しばかり調べ物をしないと。
「随分と盛り上がってるじゃないか、パチェ。明日は槍でも降るのかね?」
「私としてはレミィのその口調のせいで槍が降りそうで怖いわ。どうせすぐにボロが出るんだからさっさと素に戻っておきなさいよ」
「お姉さまだって頑張ってるんだからそんなこと言っちゃ駄目だよ……」
「フラン、それフォローになってないわ」
「……あれ?」
…………うん、何て言うべきだろう。ご愁傷様です?
さっきまで偉そうにしていたレミリア嬢が崩れ落ちてしまった。
きっとあれが素なんだろう。
ちょっと親近感を感じるわね。
「さて、人形師さん?」
「何でしょうか七曜さん?」
「アレ、回収しなくていいの?うちの小悪魔が誘拐犯になりそうな勢いで目を輝かせてるんだけど」
レミリア嬢の落ち込みっぷりに癒されていると、妙な指摘がパチュリーから飛んできた。
何ぞやと、指差された方へ視線を投げた先にあったのは。
「…………こぁー」
妙な鳴き声?をあげながら両手で掲げた上海をキラキラした目で見つめ続ける小悪魔氏。
いや、そんな風に喜んで貰えるのは嬉しいけど、流石に行きすぎじゃないかしら。
私達の中では比較的年齢層の高い見た目をした女性が、そんな仕草ってどうなのよ。
ちょっとグッとくるけど。
「ぬいぐるみとか大好きだからね、あれで。ここは本当に悪魔の館ですか?っていうくらいに可愛らしい人形やぬいぐるみだらけだもの。…………まぁその裏には悪魔らしく、子供には見せられない物も仕舞われてたりするから油断できないけど」
「なにそれこわい」
「そういうわけで……いいの、アレ?」
…………うん、回収。
「…………!」
ふよふよとレミリア嬢の肩まで飛ばしてから、ぽふぽふと綺麗な髪を叩いて慰めるような仕草。
あざといけれど、今ならこれで大丈夫でしょう。
…………落ち込んでるときに付け込むなんて悪女っぽくてやだなぁ。
ちょっとばかり話題を変えておこう、うん。
「そういえばスコールはどうしたの?」
「鹿の調理を手伝って貰ったら少しばかり赤くなってしまいまして。外の湖で本狼曰く『お洗濯』に出かけています。泳いで遊んでいるだけですが」
ぽんと頭に浮かんだ話題を口にした瞬間、真後ろから答えが返ってきて思わずびくりと揺れてしまった。
この声は、そう、メイドだ。
いざ……いざ……うん、咲夜。
おそるおそる振り返ってみると、イタズラが成功したという風な笑顔で迎え撃たれた。
ちくしょう美人め。
許してあげましょう。
「今なら丁度そこの窓から見えますよ?湖に住んでいるサンショウウオの妖怪と戯れてる姿が……失礼、妖精と遊んでいる姿が」
またまた言われるがまま窓の外へと目を向けると、確かに見えた。
湖の上にぽっかりと浮かんだ氷塊の上でバランスをとって遊んでいるスコールの姿が。
あ、落ちた。
「確認も済んだようですので、本題に。皆様、料理の用意ができましたので和室へどうぞ」
…………和室?
この洋館に、和室?
「スコールの部屋の窓際半分のみですが、いつの間にか人里から貰ってきて敷き詰めていたんですよ。とはいえ、あれはあれで中々いい物です」
またスコールか。
でも、うん、いいかもしれない。
畳は私も好きだし。
「それではこちらへどうぞ」
しかさし……鹿刺しその物は興味があるんだけど、幽香が脅してきたわさび醤油なる物が怖い。
一体どんな地獄を見るのだろうか、私は。
「く、ぁぁ、あ、ぅ…………!!」
「どうしたのアリス。まだ四倍よ?まだまだ十六倍と三十二倍が控えてるのにそんな事で大丈夫なの?」
「み、水、水を……」
「だぁめ。…………はい、次はこの十六倍ね」
「ひぁっ!?」
「咲夜」
「なんでしょう」
「あの人形遣い、中々やると思わないか」
「はい、スコールの亜種的な雰囲気が何とも言えずいい味を出していますね」
「咲夜」
「なんでしょう」
「あのフラワーマスター、切り替えが凄いと思わないか」
「はい、お恥ずかしながら、あの切り替えの早さに共感を覚えてしまいました。素敵ですよね」
「えっ」
「えっ」