まいごのまいごのおおかみさん   作:Aデュオ

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おわってはじまる

 

 

 

 どれほど歩いただろうか。

 いつから歩いているのか、どこまで歩けばいいのか。

 もはや体を動かしているという実感すらなくなっているというのに、私はまだ歩き続けている。

 何処を目指しているのか自分でもわからないというのに、私は歩き続けている。

 

 何度山を越えただろうか、何度川を渡っただろうか、何度排斥されただろうか。

 

 それでも私は歩き続けなければならない。

 どんなにくだらない事であっても誰かと笑いあえる、そんな居場所を見つけるために。

 名もない、大した力もない、そんな私であっても笑いあえる誰かと出会うために。

 もしそんな場所にたどり着けたなら、こんな私でも受け入れてくれる誰かに出会えたなら、私は私という存在の全霊を以ってその誰かの為に在ろう。

 

 もう、どれほど歩いただろうか。

 ふと見上げた空に浮かぶ月はとてもとてもまんまるで、背筋が凍る程に美しい。

 きれいな月は数え切れない位に何度も見上げてきたけれど、今夜の月はとびきりだ。

 まさか背筋が凍る程にきれいな月などというものあろうとは。

 あぁ、これは良い……本当に、良い。

 

 

 ……何故だろう、今夜は妙に考え事が多いように思う。

 いつも、いつもいつもいつもひたすら当て所なく、何を考えるでもなく歩き続けてきたのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歩きながら思考の海に埋没しているつもりだったのに、いつの間にか私は気を失っていたらしい。

 呼吸や鼓動のような、生命の根幹というべきものと並べても何ら遜色がないほど、体に馴染んでいたと言っても過言ではない、歩みが止まっていた。

 ぞっとする程に冷たい地面、土の味がおぼろげながら口の中に広がっている。

 

 歩き続けなければならないのに、私の体は既に死に体だと言わんばかりに動いてくれなかった。

 そんな体の違和感に意識が向けば、次から次に自覚していく違和感の山。

 鼻がきかなくなったのか、これまで鬱陶しいほどに感じていた土や緑、風の香りが感じられない。

 風……そう、風、そういえば風の音が聞こえないし、風に揺られてかさりかさりと音を立てる草木の音も聞こえない。

 獣の鳴き声も、そんな獣を警戒して息を潜める小さな獣たちの息遣いも。

 ……あぁ、そうか、耳も逝ってしまったのか。

 

 かろうじて動いた瞼を持ち上げて辺りをゆっくりと伺えば、そこは気を失う前と同じ、雄雄しく茂った緑たちに囲まれた広場だった。

 明らかに人の手が入っている、自然なようで不自然なそんな広場からは、あの大きくまんまるな満月が良く見える。

 そんな月を見上げて、私は理解した。

 いっそ笑いたくなるほどにすとんと私の中に落ち着いたそれは、ここが私の終着点だという自覚。

 

 そうか、そうだったのか、だから『最期』の歩みの際にあれほど思考が渦巻いたのか。

 体が、心が、もう限界だと悲鳴を上げていたのだろう。

 そんな悲鳴に気がつかず、今夜は妙に考え事が多い?

 自分自身の鈍さ加減に思わず感心してしまった。

 

 そんな妙に前向きな自嘲と共に再び意識を月へと向ければ、そこにあるのはいつの間にかぼやけてまんまるに見えなくなった月の明かり。

 そうか、そうか、目も逝ったか。

 

 それでも、何も自覚できずに死んでいくよりも遥かにマシな最期だったように思える。

 あんなに歩き続けてきたのだから、最期の終着点くらい楽しませてやろうというカミサマのはからいだったのかもしれない。

 中々に粋なカミサマも居たものだ。

 カミサマと一言で括っても、そのあり方はまさしく千差万別。

 今まで私が見てきたカミサマたちの多くは、私を見ると眉をしかめてとっとと出て行けと吐き捨てた。

 問答無用に力を以って追い払われた事も少なくは無いし、何も言わずに『出て行け』という感情をありありと込めた目を向けられた事もある。

 でも、優しく私の頭を撫でてくれたカミサマも居た。

 

『お前は妖だから、ここに置いてあげる事はできないが』

 

 そう言って悲しげな顔をしながら食べ物の入った風呂敷を首に巻いてくれたカミサマも居た。

 今のこの状況は、そんな優しかったカミサマたちがくれた最期の贈り物だろう。

 結局居場所を見つける事はできなかったけれど、殺されるでもなく、自分の道を曲げたわけでもなく、死んでいける。

 悪くはないじゃないか。

 

 そんな事を考えていると、おぼろげな視界の中ですらわかる明らかな人影を認識して、私はもう動かないと思っていた口の端がつり上がるのを感じた。

 ああ、本当に悪くないじゃないか。

 もうほとんど見えないけれど、どうやら看取ってくれる何者かもいるようだ。

 

 

 ああ、本当に悪くない、悪くない最期だった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 どうにも空気がざわめいているように感じる。

 そんな空気の中にありながら、いやに気分がいいこんな夜にはいつも決まって何かが起こった。

 可愛くも恐ろしい妹が生まれたのも、色んな意味で器用な魔女と出合ったのも、人間でありながら満足のゆく従者と出会ったのも全てこんな夜だった。

 

 昼間に真正面から突っ込んできて、いつの間にか門番におさまっていたあの格闘マニアはあえてカウントしない。

 

 ……とりあえず、こんな夜は直感に従って動くと大抵かけがえのないものを得ることができた。

 ばさりと自慢の翼を広げ、それまで満月を眺めていたテラスから飛び立った。

 行く先などおぼろげで、何ひとつ確証などない。

 しかし間違いなく『そこ』へ行き着くだろう。

 私の力はそういうものなのだから。

 

 そうして飛び立つ私を、隣に座っていた魔女が苦笑と共に見上げた。

 とびっきりの従者が淹れた、香り高い紅茶のカップをくるくると揺らしながら『今度は何を拾ってくるの?』とばかりに目で語りかけてきている。

 また始まった、とばかりの呆れた風な気配と共に。

 

 大した興味もなさそうに為されたそれに多少気分を害されはしたものの、これから得るであろう何かに対する期待は微塵も衰えなかった。

 だから、私は言ってやったのだ。

 

「こんなに月が綺麗な夜だから、少しばかり散歩に出てくるわ」

「こんなに月が綺麗な夜だから、少しばかり大目に見てあげる」

 

 お互いにニヤリと『悪い』笑みを浮かべあって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この期待を胸にしながら動く夜は、何度経験してもいいものだと思う。

 まるでおもちゃを買ってもらう子供のようだと思い浮かべて、慌てて頭を振った。

 

 私はそんな子供じゃない!

 

 そうだ、私は与えてもらうのではなく得るために行動しているのだ。

 空を飛びながら無駄に腕を組んで偉そうにひとつ、うむと頷きはするものの、それも傍目から見ればどうなのだろうと思い至る。

 僅かに頬が染まるのを自覚して、それを誤魔化すためにまるで矢のように空を駆け続けた。

 自分の中で何かが訴えかけてくる方へ意識を集中させると、森の中だというのに妙に開けた一角がある事に気がつく。

 あそこだ!という確信が胸の内へ沸いてきたのと同時に、音すらも置き去りにする気勢を以って翼を大きく羽ばたかせた。

 目的の場所へ到達して急制動。

 パン、と翼が空気を打つ音と共に地面を見下ろした私の目には、一匹の銀色の狼が映っていた。

 

 

 

 ……大きい。

 私がその狼に対して初めて抱いた感想はそんな凡庸としか言いようの無いものだった。

 その後に薄汚れてこそいるものの、普段であれば見るものを魅了するだろう立派な銀の毛や、爛々と光っているかのような金色の目がとても綺麗だと再び凡庸な感想が次々と浮かんでくる。

 

 まるで食い入るように空から観察していたけれど、くすりと笑われたような気がして意識を切り替えると、思わず呆然とさせられた。

 いつの間にかあの綺麗な金の目は閉じられて、狼の存在が少しずつ希薄になっていく。

 

 折角手に入れた何かが手の平からさらりさらりと零れていくような感覚に、私は大いに焦りを抱いた。

 そこからの行動は体が勝手に動いたとしか言いようがない。

 お気に入りの紅い服が汚れる事など気にもせず、私よりも遥かに大きな体躯を苦労して背負い上げ、来た時の速度など比べるにも値しない速さで空を駆け抜けた。

 

 これはもう私のモノだ!

 私の許可なく零れていくなんて許しはしない!

 

 そんな自分勝手だという自覚のある焦りと共に館へ着いた私をまず迎えたのは、間抜け面を晒して固まっている門番だった。

 いつもなら軽く労をねぎらう程度はしただろうけど、今はそれ所ではない。

 ほんの一刻ほど前に直感を信じて飛び立ったテラスへと、一直線に突っ込むような勢いで着地した。

 ガリガリと靴底が床を削り、蹴飛ばされたテーブルが盛大に破壊音を奏でる。

 

「……これはまた、変わった拾い物ね?」

「いいからさっさと治療しなさい!!」

 

 それが私とこの子の出会いだった。

 

 

 

 


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