私の世界は硬く冷たい   作:へっくすん165e83

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家族とか、幸運の液体とか、旅行とか

 パーシーは隠れ穴にある自分の部屋で書類の仕上げをしていた。

 クィレルの取り計らいでパーシーは家族と仲直りし、ロンドンからまた隠れ穴へと戻ってきたのだ。

 パーシーは羊皮紙を1枚ずつ捲り、綴り間違いがないか確認しながら内容を読み進めていく。

 この書類は反人狼法を撤廃させるためのものだった。

 これが通れば、人狼でも問題なく就職ができるようになる。

 クィレルが推し進めている政策の1つだ。

 そもそも反人狼法というのは最近アンブリッジが作った法律であり、撤廃させるのも容易だとパーシーは考えている。

 これを通したアンブリッジは、今は生徒虐待の罪でアズカバンにいるのだ。

 パーシーは知らないことだが、アンブリッジは既に獄死している。

 精神的なものではなく、その場にいた死喰い人に殺されただけだ。

 

「書類は完璧、大臣が進めている政策にも沿っているし、これが通らないはずがない」

 

 パーシーは満足げに頷くと次の仕事に取り掛かる。

 昨年までの魔法省は亜人を毛嫌いしていた節があったが、今では180度ひっくり返っていると言っていいだろう。

 クィレルは亜人の人権を訴えかけ、人狼や吸血鬼などの地位向上を目指している。

 パーシーはクィレルの仕事ぶりやその思想を物凄く尊敬していた。

 まさに、パーシーの思い浮かべる完璧な人間の下で仕事ができる。

 今のパーシーはそう思うだけでいつでも絶好調だった。

 

「パーシー? 夕食はどうするの?」

 

 下の階からモリーの大声が聞こえてきた。

 

「すぐ行くよ、母さん」

 

 パーシーはすぐさま返事をすると机の上に置いてある資料を綺麗にまとめ下の階へと降りていく。

 机には既に料理が並んでおり、アーサーが日刊予言者新聞の夕刊を読みながら席についていた。

 

「ささ、冷めないうちにいただきましょう?」

 

 パーシーが机につくとすぐさま夕食が開始される。

 去年までパーシーは自炊をしてきたが、やはり母の作る料理には敵わないと、食事を取るたびに思うのだ。

 

「あと少しで反人狼法が撤廃される。あとは書類を出すだけだ」

 

 パーシーはミートパイを食べながらアーサーに話しかける。

 

「それは本当か? ルーピンがさぞ喜ぶだろうね」

 

 アーサーは嬉しそうに頷いた。

 

「今現在は物騒な世の中だが、クィレルが大臣になってから随分と治安が安定した。彼は今までに類を見ない程まっとうな大臣だよ。魔法省の仕事も随分と効率化が図られてね、こうして家族と夕食を共にできるのも彼のおかげだ」

 

 アーサーは現在魔法省の高級官僚だ。

 主に偽の防衛呪文や保護器具などの取り締まりをしている。

 

「父さんのほうは仕事はどうなんです?」

 

「……やはり市民の不安に付け込んだ悪党というのは多くてね。毎日てんてこ舞いだよ。この間なんかピクシーの……いや、この話はやめよう。なんにしても、例のあの人を何とかしないかぎり私の仕事はなくならないだろうね」

 

 それに、とアーサーは付け加える。

 

「フレッドとジョージが売っている闇の魔術に対する防衛術グッズのほうがまだ良心的だよ。あれはちゃんと効果がある。本当にあの2人は商売上手だよ。ニーズというものをよくわかっている」

 

 パーシーはそれを聞いて少し苦笑する。

 魔法省の役人には2人が開発した魔法具を使っている者が結構いる。

 

「勿論、効果がないと思われるものがあったらすぐに取り締まるけどね」

 

 アーサーはモリーのたしなめるような視線を受けて慌てて付け足した。

 

「パーシー、クィレル大臣は最近はどうなんだい? 何か変わった様子はないか?」

 

 アーサーは慎重に言葉を選びながらパーシーに聞く。

 パーシーの前でクィレルを悪く言わないようにと、細心の注意を払っているようだった。

 

「クィレル大臣は相変わらずだよ。誰よりも仕事をこなして誰よりも部下に気を使っている。体調を崩さないかだけが少し心配だけど、クィレル大臣曰く自分の体調1つ管理できない人間が部下を管理できるわけがないって」

 

 アーサーはそれを聞いてほっと溜息をつく。

 実をいうとアーサー自身まだあまりクィレルのことを信用してはいないのだ。

 ダンブルドアが警戒しろと言っているからである。

 そういった点ではアーサーはスネイプのほうが少しは信用できると考えていた。

 少なくともダンブルドアはスネイプを信用している。

 たったそれだけの違いだが、騎士団員にとっては大きな違いだ。

 

「そういえばロンから手紙が届いてました。クリスマスにはハリーと共に帰ってくるそうよ」

 

 モリーが口を開いた瞬間、玄関の扉が叩かれる。

 3人は顔を見合わせ、アーサーが静かに席を立った。

 

「誰だ?」

 

 アーサーが扉を開けずに警戒したような声で告げる。

 

「ビル・ウィーズリーとフラー・デラクールだ」

 

 それを聞いてモリーがほっと溜息をつく。

 アーサーはまだ警戒を解かずに扉越しに質問をした。

 

「2人は一番初めに何処で出会った?」

 

「ホグワーツの大広間横の小部屋。父さん、貴方の一番の望みは?」

 

「飛行機がどうして浮いていられるか解明することだ。おかえり、ビル、フラー」

 

 今度こそアーサーは警戒を解き、2人を招き入れる。

 ビルはパーシーの横に腰かけ、フラーは2人分の食事を用意しているモリーを手伝いに行った。

 

「こんなご時世なのにグリンゴッツは大忙しだよ。腹ペコだ」

 

 ビルはグテッと机に突っ伏す。

 長い髪が机に垂れ、パーシーは少し嫌な顔をした。

 

「仕事中に絡まることがないのかい? 兄さん」

 

 パーシーはビルの髪を払いながら怪訝な声をあげる。

 

「髪の毛が邪魔な存在だと思うんだったら、パーシーも上司みたく綺麗さっぱりスキンヘッドにしちまえよ。言っておくが好きでこの髪型なんだ、ほっといてくれ」

 

「お食事でーすよ?」

 

 フラーが2人分のスープを持ってビルの向かい側に腰かける。

 ビルとフラーは今年の夏に婚約し、それからというもの交際が続いているのだ。

 もっとも、モリーもジニーもハーマイオニーも、この交際にいい顔をしていない。

 アーサーは美男美女の良きカップルだと思っているが、女性にしかわからない事情というものがあるのだろう。

 ビルはミートパイを齧りながらスープをすする。

 フラーも食事を取り始めた。

 

「最近魔法省はどうなんだ? 日刊予言者新聞ではいい噂しか聞かないが」

 

 ビルが聞くとパーシーが得意げな表情で語り出す。

 

「絶好調だよ。闇の勢力も次第に弱まってきているし、クィレル大臣が例のあの人を打ち破る日も近いと思う」

 

「そりゃいい。盛大に潰してくれ。景気が良くなれば銀行の仕事も増える。寝る暇もないね」

 

「そうは言ってるけど、ちゃんと家には帰ってきてるじゃないか」

 

「グリンゴッツに人間用のベッドがあると思うのか?」

 

 ビルは肩を竦める。

 元々はエジプトでグリンゴッツの呪い破りとして働いていたが、不死鳥の騎士団のメンバーになってからはグリンゴッツの事務員として働いているのだ。

 そしてフラーもボーバトンを卒業してからは英語の勉強も兼ねてグリンゴッツで働いている。

 職場では2人は上司と部下の関係だ。

 

「ニュースにはなってないが、グリンゴッツで盗難があったことが最近わかってね。死喰い人のレストレンジの金庫に何者かが侵入した痕跡があったんだ。このことを知っている者はほとんどいない。銀行の信用に関わるからね。こういった事件は闇から闇へさ」

 

「何か盗まれたのか?」

 

 アーサーは興味ありげにビルに聞いた。

 

「本人に確認を取ってないからさっぱりさ。肝心のレストレンジは今アズカバンにいるから確認の取りようがない。魔法省もいい仕事をしてくれるよ。こんなことでこっちが迷惑するとは思わなかった」

 

 ビルの言葉にアーサーとパーシーは苦笑する。

 

「でも、最近ではないですよ?」

 

 フラーが付け足すように口を開く。

 

「金庫が開けられたのは何か月も前でーす」

 

「何か月も前だって?」

 

 パーシーが驚いたように聞き返す。

 ビルも呆れ果てたように肩を竦めた。

 

「本当に管理のゴブリンは何をしていたのかって感じだよ。だからこそ、公にはできないんだ。言うのを忘れていたが、このことは内緒だぞ? 特にパーシー、お前は大臣に対して口が軽すぎる」

 

「気を付けるよ。極力ね」

 

 パーシーはすまし顔で答えた。

 

「母さん、ごちそうさま。書類の最後の仕上げをしなくちゃならないから、もう上に戻るよ」

 

 パーシーは一足早く夕食を食べ終え、自分の部屋へと上がる。

 そして書類の確認作業へと戻った。

 

 

 

 

 

 

「調子はどう? 魔法大臣さん」

 

 私はお嬢様からの手紙を届けるために魔法省の魔法大臣室を訪れていた。

 相変わらずクィレルは忙しそうに仕事をしていたが、私が手紙を渡すとぴたりと仕事を止めそれを読み始める。

 

「ほう、確かに承った」

 

「お嬢様はなんて?」

 

「ゴブリンの地位向上を進めろとのご命令だ。ヴォルデモートのほうと上手く掛け合わないとならないだろう」

 

 クィレルは最近亜人の地位向上を積極的に進めている。

 それはお嬢様の命令でもあるからだが、ヴォルデモートからもそう言った政策を取れとの命令を受けているらしい。

 

「最近、紅魔館の方はどうなのだ? ここのところ滅多に帰ることができないからな」

 

「お嬢様も妹様もいつも通りよ。小悪魔は図書館の管理をしながら魔法の勉強。美鈴さんは私と同じくお使いを頼まれる頻度が増えたわね。パチュリー様は相変わらずホグワーツで元気にやっているみたいだし」

 

 ふむ、とクィレルは顎に手を当てる。

 

「それよりも、貴方とお嬢様の関係は何処かに漏れてないわよね?」

 

「大丈夫だ。ザ・クィブラーという雑誌に私が宇宙人なのではないかという記事が載ったぐらいだな。吸血鬼や人狼ならわかるが、宇宙人とは……どういった了見なのだろうな」

 

 ザ・クィブラー、ルーナの父親が編集をしている雑誌だったか。

 まあシルエットだけ見るならグレイに見えなくもない。

 

「あの雑誌は常にそんな感じだからアレでいいと思うわよ。……そういえば、死喰い人のほうはどんな感じなの? アズカバンを本拠地にして活動しているという話だけど」

 

「アズカバンは犯罪者の楽園のような場所になっているよ。グリンデルバルドの手下だったものがヴォルデモートの下についてね。既に1つの街のようになっている」

 

 それはなんとも愉快そうな場所に変貌したものだ。

 私が3年生の時に訪れたアズカバンは死屍累々だったが、今ではそうではないのだろう。

 

「中は強力な空間魔法により10倍ほどに広げられていてね。多くの死喰い人がそこで寝泊りしている。夜の闇横丁にある店がアズカバンに支店を開いているレベルだと言えば、わかりやすいかな?」

 

「それでバランスが取れているの? 闇の陣営が一方的に蹂躙する、じゃ犠牲者が増えるとは思えないわ」

 

 私が指摘するとクィレルは不敵に笑った。

 

「その為の傭兵制度だ。悲しいことに魔法省でまともに戦える人材は闇祓い程度でね。戦闘訓練を何度か実施してはいるが効果があるとは思えない。だったら魔法界中から腕っ節の強そうな魔法戦士を集めるまでだ。シリウス・ブラックなどそのいい例だろう」

 

 傭兵制度。

 そう、魔法省は今闇祓いとは別に戦闘要員を募っている。

 魔法省の傭兵になるには闇祓いほどの厳しい審査はなく、それこそ腕っ節が強ければ誰でも登録することができるのだ。

 そしてその筆頭にブラックがいる。

 闇祓いを引退したムーディも、その傭兵制度に登録だけはしているようだ。

 

「この2つの勢力がぶつかれば、それこそ国と国との戦争レベルで死者が出るだろう。あとは頃合いを見計らうだけだ」

 

 クィレルはお嬢様からの手紙を跡形もなく消失させるとまた忙しそうに仕事を始める。

 私は誰かが来る前に立ち去ろうと紅魔館へと姿現しした。

 

 

 

 

 

 咲夜がいなくなると同時に魔法大臣室の扉がノックされる。

 

「入りたまえ」

 

 クィレルが声を掛けるとパーシーが書類を抱えて中に入ってきた。

 

「クィレル大臣、書類が仕上がりました」

 

 パーシーが机の上に書類を置くとクィレルはその内容を確認する。

 

「ふむ、いい出来だ。明日にでも反人狼法は撤廃されるだろう。最近家族とはどうかね?」

 

 クィレルはパラパラと書類に目を通すとドンと判子を押す。

 パーシーは少し照れながら答えた。

 

「良好です、大臣。最近は朝食と夕食を家族と共に取ってます」

 

「素晴らしい。このような時代だからこそ、そのような繋がりを大切にせねばならん。魔法省の役人たるもの人々の手本となるよう、心がけないといけない」

 

「はい! 大臣!」

 

 パーシーはピシッと姿勢を正す。

 クィレルは何か思い出したように口を開いた。

 

「そう……確か闇祓いのニンファドーラ・トンクスの夫が人狼だったか。彼との面識は?」

 

「父が友人です。リーマス・ルーピンといいます」

 

 パーシーはよどみなく答える。

 

「優秀な人材と聞いている。もしよかったら魔法省に勤めないかと声を掛けておいてくれ。今はどこも人手不足だ。猫の手も借りたいような状況だからね」

 

「クリスマスには会うと思いますのでその時にでも」

 

 パーシーはクィレルに一礼すると魔法大臣室を出ていった。

 

「優秀な人材は1人でも欲しい。その通りだ。1人でも多く殺し、最後には死んでくれると尚良し」

 

 クィレルは不敵に微笑むと仕事を再開させた。

 

 

 

 

 

 グリフィンドール対スリザリンのクィディッチの試合が近づいてくるとクィディッチの練習で非常に忙しくなった。

 ハリーは今年からグリフィンドールのキャプテンを務めていたので尚更だ。

 チームは新学期が始まってすぐにあった選抜で選ばれたメンバーでチェイサーにケイティ、ジニー、デメルザ、ビーターにピークス、クート、キーパーはロン、そしてシーカーにハリーだ。

 チェイサーの3人は連携が取れておりパス回しも非常に上手い。

 ビーターの2人はフレッド、ジョージコンビほどの腕はないが、それでも及第点と言えるだろう。

 問題はキーパーのロンだ。

 ハリーには初めからわかっていたことだが、ロンのプレイには非常にムラがある。

 神経質になったり自信喪失になったりと、精神の状態によってキーパーとしての能力がガクンと落ちることがよくあるのだ。

 そういう昔からのロンの不安定さが、試合が近づくにつれてぶり返してきていた。

 練習中にジニーに何度もゴールを抜かれ、怒りによって次第にプレイが荒くなってきている。

 そしてついに攻めてくるデメルザの口にパンチを食らわせるところまで来てしまった。

 

「ごめん! デメルザ。わざとじゃないんだ、事故だよ、事故」

 

 デメルザはふらふらと地上に戻っていく。

 

「事故じゃなかったらなんだって言うんでしょうね? このヘボ! デメルザの顔を見てよ!」

 

 ジニーはいち早くデメルザの隣に降り立ち、傷の具合を調べながらロンに怒鳴った。

 ハリーも近くへと降り立ちデメルザの怪我を確認する。

 幸い唇を少し切っただけのようだった。

 

「僕が治すよ。エピスキー、唇癒えよ。それからジニー、ロンのことをヘボなんて言うな。君はチームのキャプテンではないんだし——」

 

「あら、貴方がロンのことをヘボ呼ばわりできないぐらい忙しそうだったから私が代わりに言ったまでよ」

 

 ブフッと傷が治ったデメルザが噴き出す。

 ハリーも少し笑いかけたがロンのことを思って何とか堪えた。

 練習が終わり皆が更衣室を出るとロンが死にそうな顔で呟く。

 

「僕のプレイ、ドラゴンの鼻くそみたいだった」

 

 ロン自身も自分のプレイの酷さに気が付いているようだ。

 

「そうじゃないさ。少なくとも選抜した中では君が一番いいキーパーだったんだ。問題は君の精神面さ」

 

 ハリーはロンを励ましつつ城へと戻ったが、談話室までの近道である近道を通ろうとタペストリーを押し開けた時、その奥でディーンとジニーが抱き合いながら激しくキスをしているところを目撃してしまう。

 ハリー自身あまり自覚していないことだが、ハリーはジニーのことが好きなのだ。

 ハリーはその光景を見た瞬間急に頭に血が上り、ディーンを粉々にしてやりたいという野蛮な衝動で頭がいっぱいになった。

 それはどうやらロンも同じようでズカズカと2人に近づいていき怒鳴りつけるように声を掛ける。

 

「おい!」

 

 急に声を掛けられて弾かれたようにディーンとジニーが離れる。

 ハリーはそれを見て内心ガッツポーズを取ってしまった。

 

「なんなの?」

 

 ジニーが不機嫌そうな目でロンを睨む。

 

「自分の妹が公衆の面前でイチャイチャするのを見たくないだけさ!」

 

「あら、貴方たちが来るまでここには私とディーンしかいなかったわ」

 

 2人が喧嘩を始めるとディーンは気まずそうに視線を泳がす。

 

「あー……ジニー、談話室に帰ろう」

 

 ディーンは恐る恐るジニーに声を掛けたが、ジニーはつっけんどんにその提案を跳ね除けた。

 

「先に帰ってて! 私は大好きなお兄様とお話があるから!」

 

 それを聞いてディーンはおずおずとその場からいなくなる。

 ジニーは邪魔はいなくなったと言わんばかりに捲し立てた。

 

「はっきり白黒つけましょう? 私が誰と付き合おうと、その人と何をしようと、ロン、貴方には関係ないわ!」

 

「あるさ! みんなが僕の妹のことをなんて呼ぶか——」

 

「何て呼ぶの? 何て呼ぶっていうのよ!」

 

 次第にヒートアップしていくロンとジニーに、ハリーはどうしていいか分からず立ちつくしてしまう。

 

「ロン、貴方は自分がまだ誰ともいちゃついたことがないからそんなことを言うのよ! 自分がもらった最高のキスがミュリエルおばさんのキスだから——」

 

「黙れ!」

 

「黙らないわ! 貴方がヌラーと一緒にいるところを私はいつも見てたわ。貴方ったら彼女を見るたびに頬っぺたにキスしてくれないかって、そう願ってるみたいだった。ほんとなっさけないわ!! 世の中に出て、少しは自分でもいちゃついてみなさいよ! そんなことが出来たらだけどね」

 

 ジニーのそんな煽り文句についにロンは杖を取り出す。

 ハリーは慌てて2人の間に割り込んだ。

 

「僕が公衆の面前でやらないからといって——」

 

 ロンがハリーを押しのけてジニーを狙おうとする。

 ジニーはロンの言葉を聞いて嘲るようにヒステリックに笑った。

 

「あら? ピックウィジョンにでもキスしたの? それともミュリエルおばさんの写真を枕の下に入れているのかしら!」

 

 ついにロンの怒りが爆発し、通路内にオレンジ色の閃光が走る。

 その閃光は僅かにジニーを逸れ、壁に跳ね返って通路の奥に消えた。

 

「危ないわね」

 

 次の瞬間ロンの後ろにパチュリーが出現する。

 いきなりのことにハリーたち3人は飛び上がり尻餅をついてしまった。

 

「こんな狭い通路で呪文を放った馬鹿は誰かしら。怒らないから手をあげなさい」

 

 パチュリーは手のひらの上に先ほどロンが放ったオレンジ色の閃光を『持っている』

 どういった原理かまるで理解できなかったが、確かに閃光は手の平の上に留まっていた。

 ロンはパチュリーの表情を窺いながら恐る恐る手をあげる。

 

「正直でよろしい」

 

 パチュリーが手を握ると閃光は霧散した。

 

「もう少し広いところでやりなさい」

 

 パチュリーは短く告げると音もなく何処かに消え去る。

 ハリーが周囲を見回すとジニーもいつの間にかいなくなっていた。

 

「行こう」

 

 ハリーはロンと共に立ち上がり談話室までの道を歩く。

 いきなりの出来事に一瞬怒りを忘れていたロンだったが、次第にまた沸々と怒りが沸き起こってきたようで、その歩き方もドスドスといった荒いものになっていく。

 ハリーの頭の中には愛だの恋だのといった言葉がぐるぐると駆け巡っていた。

 

 

 

「ああいうのを若さって言うのかしら」

 

 誰もいなくなった隠し通路にパチュリーの声が響く。

 

「年を取らない私にとって、老いも若きもないか」

 

 そして1人納得したように頷くと、今度こそ自室へと姿をくらませた。

 

 

 

 

 

 次の日になってもロンの機嫌は直らなかった。

 それどころかますます酷くなっているようにハリーは感じる。

 ロンはジニーとディーンを無視しただけでなく、ハーマイオニーをも氷のように冷たい意地悪さで無視した。

 それによってハーマイオニーがわけもわからず傷ついたのは言うまでもない。

 ハリーはその日1日中ロンとハーマイオニーを仲直りさせようと努力したが、結局無駄だった。

 とうとうハーマイオニーは憤慨して寝室へと去り、ロンは自分にガンを飛ばしたと言って1年生を怒鳴りつけ悪態をついた末、猛烈に怒り狂いながら男子寮へと歩いて行った。

 その後数日経ってもロンの攻撃性は治まらず、ハリーは頭を抱えることになる。

 そして追い打ちをかけるようにロンのキーパーとしての技術が一段と落ち込み、それにイラつくロンはさらに攻撃的になっていく。

 まさに負の連鎖と言えるだろう。

 土曜日の試合を控えた最後のクィディッチの練習ではチェイサーがロン目掛けて放つシュートを1つとして防げなくなっていた。

 完全に自分の失態なのにロンは誰かれ構わず怒鳴り散らし、とうとうデメルザを泣かせてしまう。

 

「黙れよ。デメルザにかまうな!」

 

 ビーターのピークスがロンに叫ぶ。

 ピークス自身あまり体格に恵まれている選手とは言えないが、ピークスの手には重たい棍棒が握られている。

 

「いい加減にしろ!!」

 

 ハリーは手に負えなくなる前に急いで間に入る。

 

「ピークス、クラブはブラッジャーを殴るものだ。戻ってブラッジャーを仕舞ってくれ。デメルザ、しっかりしろ。今日のプレイはとてもよかった」

 

 ハリーは急いでロンの周囲から選手を離れさせる。

 そしてほかの選手が声の届かないところまで行くのを待ってから言葉を続けた。

 

「ロン、君は僕の親友だ。だけど他のメンバーにあんな風な態度を取り続けるなら、僕は君をチームから追い出す」

 

 ハリーはロンが激怒して殴りかかってくるのではないかと思ったが、もっと悪いことになってしまった。

 ロンは途端に小さくなり、闘志がすっかり消え失せてしまった。

 

「僕、やめる。僕って最低だ」

 

「最低なもんか! やめるな!」

 

 ハリーはロンの胸座を掴んで引き起こす。

 

「好調な時の君はどんなシュートでも止めるじゃないか! 精神的な問題だ!」

 

「僕のこと弱虫だっていうのか?」

 

「ああ、そうかもしれない!」

 

 ロンは少し怒ったようにハリーを睨みつけたが、やがて無気力に首を振る。

 

「代わりを見つける時間がないことは分かってる。だから、明日はプレイするよ。でも、もし明日僕のせいで負けたら、負けるに決まってるけど、僕はチームを抜ける」

 

 ロンはフラフラと更衣室の方へと歩いていく。

 ハリーにはどうしていいか全く分からなかった。

 

 

 

 次の日の朝、ハリーとロンは2人で朝食を取っていた。

 

「ロン、何か飲んだ方がいい。紅茶か? コーヒーか? かぼちゃジュースか?」

 

 昨日のあの一件からロンは亡者のようにどんよりとしており、背中を叩いただけで死んでしまいそうな雰囲気を醸し出していた。

 

「なんでもいい」

 

 ロンは何とも覇気のない声色で言葉を返す。

 

「2人とも調子はどう?」

 

 ロンの最近の態度にすっかり嫌気が差したハーマイオニーは2人とは別に朝食に下りてきたのだが、テーブルにつく途中で足を止め遠慮がちに聞いた。

 

「最高さ」

 

 ハリーは適当に答えつつかぼちゃジュースを用意し、ロンに差し出す。

 

「ほら、ロン。飲めよ。イッキだ」

 

 ロンは力なくグラスを口元に持っていく。

 次の瞬間ハーマイオニーが鋭く叫んだ。

 

「ロン、それを飲んでは駄目よ!」

 

 ロンは驚いたようにハーマイオニーを見上げる。

 

「なんでさ?」

 

 ハーマイオニーは逆にロンを見ておらず、その視線はハリーに向いている。

 

「ハリー、さっきロンの飲み物に何を入れたの?」

 

「かぼちゃジュース?」

 

 ハリーは急いで手に持っている小瓶をポケットに滑り込ませる。

 

「ロン、危ないわ。それを飲んじゃ駄目よ」

 

「ほら、イッキだロン」

 

 ハーマイオニーは警戒したようにもう一度叫んだが、ロンは構わずかぼちゃジュースを一気に飲み干した。

 

「ハーマイオニー、僕に命令するのはやめてくれ」

 

 ハーマイオニーは信じられないといったような顔をしてその場を去っていく。

 ロンに少し元気が戻ったようだった。

 ハリーは時間を確認しながらロンに言う。

 

「そろそろ時間だ。いい天気だな。こんなにいい天気なのはラッキーだな。そうだろ?」

 

「そうかも」

 

 ロンは青い顔をしつつもハリーの言葉に頷く。

 更衣室に行くと既にジニーとデメルザが準備を進めていた。

 

「ハリー、聞いた? スリザリンから2人も病欠が出たんですって。ベイジーとマルフォイよ」

 

「なんだって? 馬鹿って病気でも発症したのか?」

 

 ジニーの言葉にハリーは驚く。

 

「さあね。でも、私たちにとっては都合がいいわ」

 

 ハリーはマルフォイの病欠に関して少し怪しむ。

 何か変な意図があるように思うのだ。

 

「怪しいとは思わないか? マルフォイがプレイしないなんてさ」

 

 ハリーが声をひそめてロンに聞いた。

 

「僕ならラッキーと思うけどな。ベイジーっていったら向こうの得点王だ。あいつとは対抗したいと思わないし——ちょっと待てよ」

 

 ロンはピクリと動きを止める。

 

「どうした?」

 

 ロンは何かに気が付いたように声を落とし、興奮を押し殺してハリーに言った。

 

「まさか君……今朝のかぼちゃジュースって……」

 

「何言ってるんだ? 今朝のかぼちゃジュースに幸運の液体なんか入ってないぜ?」

 

 ハリーは不敵に笑う。

 ロンはその笑顔で全てを察したように表情を明るくし、シッシッシと笑った。

 

「人が悪いぜハリー、行ってくる!」

 

 ロンは意気揚々とピッチに出ていく。

 ロンは完全に幸運の液体を飲まされたと勘違いしていた。

 パチュリーの調合法を使えば幸運の液体を作るのもそう難しい話ではない。

 ただ材料が厄介なだけだ。

 

「……ほんと、ロンってわかりやすいよな」

 

 ハリーは頭を掻きながらピッチへと出ていく。

 観客席は既に生徒で一杯で、ピッチには選手が並んでいる。

 どうやらハリーが一番最後だったようだ。

 

「キャプテン、握手」

 

 ハリーはスリザリンのキャプテンとギリギリと握手を交わし、ひとしきりガンを飛ばしあうとスッと離れる。

 その様子を見てマダム・フーチはホイッスルを咥えた。

 

「さあ箒に乗って!」

 

 ホイッスルが鳴り響き、選手たちは一斉に地面を蹴る。

 グリフィンドール対スリザリンの試合が始まった。

 

 

 

 

 

 結局その試合は250対0でグリフィンドールの大勝利で終わった。

 ロンはスリザリンからの攻撃を全て防ぎ切り、まさしく絶好調だった。

 すっかり自信を取り戻したロンは鼻歌を歌いながら着替えを済ませる。

 そこに不意にハーマイオニーが入ってきた。

 

「ハリー、お話があるの」

 

 ハーマイオニーは決心したようにハリーに声を掛ける。

 

「貴方も知ってるでしょ? アレを試合で使うのは違法よ」

 

「だったらどうするんだ? 僕たちを警察に突き出すのか?」

 

 ハーマイオニーの言葉にロンがぶっきらぼうに言う。

 

「何の話をしているんだ2人とも」

 

 ハリーがニヤけた顔を隠しながら言った。

 

「朝食の時にロンのジュースに幸運の液体を入れたでしょ? フェリックス・フェリシスよ!」

 

「入れてないよ」

 

「入れたわ! だから何もかもラッキーだったのよ。スリザリンの選手は欠場するし、ロンは全てセーブするし!」

 

 ハリーは今度こそ隠さずにニヤリと笑う。

 

「ハーマイオニー、一度ゆっくり幸運の液体に必要な材料を考えてみるんだ。少し魔法薬っていうものが身近になりすぎてないか?」

 

 ハーマイオニーはブツブツと指を折りながら材料を暗唱していく。

 

「その中で生徒が手に入れられそうなものは?」

 

「ないわ。あ……」

 

 ハーマイオニーは気が付いたように手をダランとさせる。

 

「僕が入れたとロンに思わせたかったんだ。僕は幸運の液体を持ってないし、材料だって手に入らない。ノーレッジ先生も言っていただろう? ホグワーツで材料を揃えるのは不可能だって」

 

 ハリーはロンを見る。

 ロンも愕然としたような表情をしていた。

 

「ラッキーだと思い込んで、君は全部のシュートを止めた。気持ちの問題さ! 君はやればできる!」

 

 ハリーがロンの背中を叩くと、ロンはにっこりと微笑んだ。

 

「どうだ! ハーマイオニー! 助けなんかなくたって僕はゴールを守れるんだ!!」

 

 ロンは笑顔で更衣室を去っていく。

 更衣室に取り残されたハリーとハーマイオニーの間に気まずい沈黙が走った。

 

「じゃ……。それじゃあ、パーティーに行こうか?」

 

「行けばいいわ!」

 

 ハーマイオニーは目に涙を浮かべて叫ぶ。

 

「ロンなんて、もう……うんざりよ! 私が一体何をしたっていうの?」

 

 ハーマイオニーは嵐のように更衣室を去っていく。

 ハリーにはどうしていいか全く分からなかった。

 

「こういう時、咲夜なら何て声を掛けるんだろう……」

 

 ハリーは更衣室で1人ぽつりと呟き、その答えが一生分からないものだと気が付くと少し項垂れて更衣室を後にした。

 

 

 

 

 

「へっくちん」

 

 夜早く起きて図書館の掃除をしていると変なクシャミが出た。

 誰かが私のうわさでもしているのだろうか。

 棚の上に薄く積もった埃のせいかもしれない。

 

「随分可愛らしいクシャミですね」

 

 聞こえていたのか小悪魔がクスクスと笑った。

 私は少し恥ずかしくなり咄嗟に顔を背ける。

 

「少し棚の上が埃っぽくてね」

 

 適当に誤魔化して私は下へと戻る。

 

「今日は随分と早起きですね」

 

「お嬢様と出かけるからね。美鈴さんに留守番を頼むけど、貴方も一応警戒しておいて」

 

 そう、今晩はお嬢様と少し出かける予定なのだ。

 一緒に出掛けるのは久々なので少し浮かれていると自分でも思う。

 

「そうですか、いつ頃戻るご予定で?」

 

「日が昇る前には戻ってくるわ」

 

 私はもう一度クシャミが出ないように棚の上の埃を全て消し去り、図書館を後にする。

 そしてお嬢様の夕食を準備するために厨房へと向かった。

 

 

 

 

 

「そろそろ向かいましょうか。日も完全に沈んだしね」

 

 夕食を取り終わり外出用の服に着替えるとお嬢様は改めて私に言う。

 お嬢様は周囲に妖力を放出し、部屋の中を力で満たす。

 

「では、参りましょう」

 

 私はお嬢様に触れ、その妖力を使って姿現しをした。

 通常、姿現しで飛べる距離には限りがある。

 遠くへ飛べば飛ぶほど多大な魔力が必要で、バラける確率も高くなるのだ。

 だが、もし無尽蔵に力があり、針の穴に糸を通すような精度があれば地球の反対側にでも行ける。

 膨大なお嬢様の妖力で空間を捻じ曲げ、私とお嬢様は東の端、日本まで飛んできたのだ。

 バラけることなく無事日本についたことを確認し、私は時間を止める。

 流石に数百メートル単位で場所がズレることが予想できたので、出た場所は上空だ。

 

「さて、視察視察」

 

 お嬢様は一瞬で地面まで下降していく。

 私は姿現しでそのあとを追った。

 

「おお、まさに日本って感じの場所ね。瓦屋根に木造住宅」

 

 お嬢様は止まった時の中を歩いていく。

 

「はい、ここは二年坂と言いまして、日本の伝統的な建物が多い場所です」

 

 私は頭の中で日本に関する情報を思い出しながらお嬢様に説明する。

 昨日の朝、寝る前に突然お嬢様が日本に視察に行きたいと言い出したのだ。

 視察とは言っているが、お嬢様の様子を見る限り小旅行をしたいだけのように見える。

 だが、お嬢様が望むなら、私はそれに全力で付き合おう。

 

「日本の建物は全部こうなの?」

 

「いえ、最近は西洋風の街並みも多くなってきているらしくて」

 

「大戦の影響ね……」

 

 お嬢様は感傷的に呟く。

 

「あの……多分ペリーが日本を開国させたからだと思うのですが……」

 

「……そう、開国よ! 開国。うん」

 

 どうやらお嬢様の知識には結構偏りがあるようだった。

 お嬢様はそんなことはお構いなしに二年坂を上っていく。

 

「店はどこも閉まってるわね。不況?」

 

「オイルショックでしょうか?」

 

 いや、どう考えても営業時間外だ。

 懐中時計を確認すると、既に深夜と呼べるような時間帯になっている。

 二年坂を過ぎると三年坂だ。

 

「ゆどうふ、でいいのかしら。新種の豆腐? そもそも豆腐ってなんで豆腐なのかしらね」

 

 お嬢様は建物に掛かっている木の看板を見ながら不思議そうに言った。

 

「それは空は何故青いのか、とか、そういう話でしょうか?」

 

「いや、そうじゃなくて……まあ難しいからいいわ」

 

 三年坂をまっすぐ上がっていくと五条坂近くにぶつかり、清水寺という文字が多く見受けられるようになった。

 

「咲夜、ここをまっすぐ上がれば清水の舞台に行けるそうよ。しかも英語で案内が書いてあるわ。親切ね。イギリスには日本語の案内なんて空港ぐらいにしかないのに」

 

「この松原通をまっすぐですね。そういえば今更なのですが、京都でよかったのですか?」

 

「だって都を見た方がいいじゃない。……ん、日本の都って江戸に移ったんだっけ?」

 

「随分前のことだと記憶しているのですが。現在の首都は東京です。京都は都市部は発展していますが、歴史的な建物が多く、特に今歩いているこの道など数百年は変わっていないかと」

 

 へぇ、とお嬢様は軽く頷いて坂を上がっていく。

 

「これがかの有名な五重塔?」

 

 そして道が突き当たる頃には大きな塔が見えてきた。

 

「前方にありますのが仁王門、その奥が西門、そして五重塔ではなく、あれは三重塔ですね。右から回り込みましょうか。そろそろ清水の舞台が見えてくるはずです」

 

「嫌に詳しいわね」

 

「実は最近勉強しまして」

 

 そう、小望月幾望を演じる時にボロが出ないようにと、日本の有名な観光スポットの情報を調べておいたのだ。

 まさかこんなところで役に立つとは思ってもみなかったが。

 

「ふうん、暇なのね」

 

 お嬢様は冗談交じりに笑う。

 

「ええ、暇すぎて昨日など1日に30時間も寝てしまいました」

 

 私も軽く茶化して答えた。

 三重塔をぐるりと回り込むように進むと次第に木材を組み合わせて土台にしている大きな建物が見えてくる。

 清水寺の本堂だ。

 

「あちらが、かの有名な清水の舞台でございます」

 

「あちらがかの有名な清水の舞台? 意外ね。もっと断崖絶壁にあるのかと思ってた」

 

 お嬢様はふわりと飛び上がると本堂に着地する。

 私も空を飛びそのあとを追った。

 

「あら、上から見たら結構あるわ。どれぐらい?」

 

「そうですね……目測12メートルと言ったところでしょうか」

 

 私は地面を覗き込み大体の高さを測る。

 お嬢様は何の躊躇いもなく地面へと飛び降りた。

 そのまま放物線を描きながら落ちていき、普通に着地する。

 私もスカートを押さえながらその後を追い、やはり何の問題もなくお嬢様の横に着地した。

 

「……」

 

「……」

 

 お嬢様と私の間に沈黙が走る。

 

「これ、飛び降りたらどうなるんだったっけ?」

 

「確か願掛けのようなものだったかと。神を信じて飛び降りれば命は助かり願いが叶う、みたいな」

 

「じゃあ神を信じていない私たちは今死んだことになるのかしらね」

 

「私はもう既に一度死にましたけどね」

 

 お嬢様は軽く服を正すと水場の方へと歩き出す。

 音羽の瀧と呼ばれる場所だ。

 

「お嬢様、お気を付けください。流れ落ちているのは聖水です」

 

「違うわよ。聖水と清水は全然別物。同じ物にしてしまってはいけないわ」

 

 お嬢様は階段を上がり柄杓を持つと、空中で止まっている水を器用に掬う。

 そして静かにそれを一口飲んだ。

 

「ここの清水は黄金水とか延命の水と言われているの。こういった単語に身に覚えはない?」

 

「黄金……延命……賢者の石ですか?」

 

「そう、よく知っていたわね。グリフィンドールに10点」

 

 お嬢様は冗談めかして柄杓を杖のように振る。

 

「昔は本当にそのような効果があったんでしょうね。時代が流れるにつれて効果が薄れてきた。私はここの源泉には賢者の石が埋まっていると考えているわ」

 

 私もお嬢様から柄杓を受け取ると、水を掬い一口飲む。

 その水に何か力を感じることはなかったが、少し感慨深い気持ちになった。

 私は柄杓を綺麗にすると元あった場所に戻す。

 

「誰かが賢者の石を埋め込んだということですか?」

 

「それか、自然発生したという可能性もあるわ。……悪いわね、少し持ってくわよ」

 

 お嬢様は本堂の方へ声を掛けると小瓶に清水を入れる。

 そしてしっかりと蓋をした。

 

「さて、視察はこれで終了。目的も果たせたしもう帰りましょうか」

 

「かしこまりました」

 

 私はお嬢様の手を取るとイギリス上空へと姿現しする。

 そこから位置を微調整し、紅魔館のお嬢様の部屋へと出現した。

 私は時間停止を解除し、お嬢様が着ている外套を受け取る。

 お嬢様は大きく伸びをすると椅子に腰を下ろした。

 私はお嬢様に紅茶をお出しし、自分は1歩下がる。

 

「いきなり日本にいったら戸惑うかしらね。そもそも咲夜、貴方日本語喋れる?」

 

「日常会話でしたら。……一番心配なのは美鈴さんでしょうか」

 

「美鈴は大丈夫よ。漢字ができるのなら日本語もできるわ。きっと」

 

 それはどうなのだろうか。

 中国語と日本語では随分違うように聞こえるのだが。

 お嬢様は紅茶を一口飲み、先ほど清水を入れた小瓶を取り出す。

 そしてそれを虚空へと消し去った。

 

「そういえばパチュリーは元気でやっているかしら」

 

 私はホグワーツのある方向を見る。

 そういえば私も数か月ほどホグワーツには行っていない。

 今のような大切な時期に学校になど行っている場合ではないことは分かっている。

 だがここのところ5年間ほど1年の大半を学校で過ごしていたので、少々違和感があった。

 

「さて、もうすぐクリスマスよ。盛大にパーティーしなくちゃね」

 

「はい、最後ですので盛大に」

 

 私は紅茶を片付けるとお嬢様に一礼し、部屋を後にした。

 


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