アニキ、もう起きてっか?
リビングで寝起きのインスタントコーヒーを啜ると同時に、鳴ると思ってテーブルに置いていた無線機のレシーバーからそんな声が聞こえた。
「起きてるよ。ウルフギャングの店で引っかけた女はどうだった?」
さいっこーだったぜ。商売女でもねえのに、いい匂いがしてよ。信じらんねえくらい清潔だった。あっちの仕事が休みなら、貸し部屋を延長してもう1泊してたかもだ。
「それはそれは。んで、もう出発か? そうなら見送りに行くが」
いいっていいって。
剣鬼の娘。セイちゃんがくれたこの無線機、使ってみたかっただけだし。
「そうかい。んじゃ、気をつけて帰るんだぞ? 稼働品のバイクなんてお宝は、新制帝国軍どころかそこらの山師でも命懸けで奪いに来るって話だ」
わかってるって。
じゃあ、お互いなんかあったら街のそばまで来てこの無線で連絡を取り合う。
それでいいんだよな?
「ああ」
わかった。
じゃあまたな、アニキ。
「おう」
「まったく、女遊びばかり覚えて。あの小熊ったら」
呆れたとでも言うようにカナタが飲みかけのコーヒーのカップをテーブルに置く。
「ガタイが良くて、顔も悪くねえ。笑うと愛嬌もあるしな。モテちまうんだから仕方ねえさ」
「それより今日アキラくんは、セイちゃんの修理を手伝うのよね?」
「そうなるな。そっちは2台のバイクで軽く探索に出て、午後からは立体駐車場マンションの裏でウルフギャングの運転講習だっけか」
「ええ。今から楽しみだわ」
「探索も運転の練習も、頼むからムチャしてくれんなよ?」
「こっちのセリフね。どう考えても」
修理にムチャもクソもあるか。
「ボク達が家を出た途端にセイちゃんを押し倒して、そういう意味よ?」
「ねーよ、タコ」
いや、絶対にないとは言い切れないが。
セイちゃんはなんというか、ソッチの好奇心が旺盛で、特に俺が喜ぶ方面のナニとかアレをいつも自分からノリノリでしようとする。
だからついつい俺もハッスルしてしまう感じだ。
姉妹のバイクにミサキとシズク。
そんな編成で嫁さん達が探索に出かけるのを、セイちゃんと並んで正門で見送った。
そのままセイちゃんが駐車場でバスの修理を始めたので、それを見守りつつ手伝いをするのが俺の仕事なのだが。
「ヒマそうっすね、アキラ」
「タイチ。おはようさん。セイちゃんが天才すぎて、手伝える事がほとんどねえんだ。ピップボーイを手に入れて、レベルも上がってからは特に」
「あはは。まあ、話し相手がいるだけで違うんだと思うっすよ」
「そんなもんかねえ。午後の運転教習にはタイチ達も出るんだろ?」
「はいっす。だから今日は全員が休暇っすね」
「へえ」
「アキラ」
「ん?」
バスの方向に顔を向ける。
すると見えたのは、ドアップになったセイちゃんの顔だ。
キス。
唇と唇が触れるだけの軽いものだが、タイチの前で、それもいきなりするか。
すぐに顔を離してくれたセイちゃんはいい笑顔。
これでは、怒る訳にもいかない。
「ラブラブっすねえ」
「ん。30分に1回はこうする。それが今日のアキラの仕事」
「わあい。ホワイトを超えたピンクなお仕事だー、ってならないでしょ。せめてバスの陰とかでしようって」
「知らない」
てくてくと歩いてバスに向かうセイちゃんを、タイチの笑い声が追う。
「笑ってんじゃねえよ」
「いやあ。なんていうか、微笑ましくって。アキラも運転講習には出るんっすよね?」
「ワゴン車で練習するうちは必要ねえかな。俺は立体駐車場マンションの裏にちょっとした船着き場を作って、そこで軍用ボートの練習だ」
国道一号線のかなり大きな橋を封鎖する形で戦後まもなくに作られたと思われる、日本防衛軍陸軍検問所。
そこで見つけた12人乗りの軍用ボートは特に使い道がなくてピップボーイに入れっぱなしになっていたのだが、タイチが発見した浜名湖の北側から天竜の集落を目指すルートを進むなら絶対に必要だ。
浜名湖は海に繋がった大きな湖で、その面積はかなりのものになる。
当然だが車両が進む道路はその浜名湖を迂回して道が伸びているので、湖をボートで突っ切れるのなら大幅な移動時間短縮が見込めるはず。
「んじゃ、オイラもカヨとラブラブしながら午後を待つっすかね」
「おう。しっかり孕ませろ」
「こっちのセリフっすよ」
この世界の、特に戦う事を選択した女を少しでも危険から遠ざけるには、妊娠が一番と言っていいほど効果的だろう。
俺も避妊薬なんぞ飲んでないでそうしたいという気持ちはあるが、嫁さん達はそれを許そうとはしない。
手を振って妻帯者用の宿舎へ帰るタイチの背中を見ながら、子宝と安産の御利益がある神社でも探そうと本型のロードマップを出して広げた。
「小舟の里。ここがプレジャーボートを売ってるプロテクトロンのいる店。錆びた観覧車が見える半島っぽいのを右に見ながら、川へ。となると……」
小舟の里、競艇場から内陸に続く川を目指すと、上陸地点として良さそうなのはオンダ船外機工場。
なんなら船外機工場は特殊部隊の砦で、小舟の里に何かあった時の住民の避難先にしてもいい。
「んで、こっから天竜の集落だろ」
川も道も曲がりくねってはいるが、とりあえずまっすぐな線を船外機工場から天竜の集落へ伸ばす。
「えーっと、これを森町、磐田の街、悪党がいた天竜川の橋って繋いで。最後にまた小舟の里にって、わぁお……」
小舟の里から一周させた線。
それは旧浜松市と旧磐田市の大部分を包み込むような六角形になっていた。
まあ、その六角形は酷く歪ではあるのだが。
「ちょ、セイちゃんこれ見て!」
「ん?」
わかりやすく線を赤ペンでなぞる。
「これが小舟の里。これが浜名湖をボートで突っ切った時に上陸が楽そうな船外機工場。んで天竜の集落、森町、磐田の街、砦にするのが楽そうな天竜川に架かる橋。どう?」
「どうもこうもない」
「なにが?」
「決まり」
「えっと、だからなにが?」
「アキラの国。領地でもいい。それがこの線の内側と、橋から小舟の里までの海岸線」
「いやだからそれはさ」
「見て。ちょうど真ん中を左右に東名高速が走ってる」
「おお、たしかに」
「東名高速は袋井の先で崩れ落ちてるってウルフギャングが」
「言ってたね」
「たぶんだけど西も。少なくても豊橋の先は崩れてるはず」
「……なら、いっぺんクリーチャーを殲滅してタレットを設置してしまえば」
「ん。西にも東にも、セイ達が急行できる」
国とか領地とかは別にして、この東名高速を本当に利用できたなら。
まだどうなるかなんてわからないが、セイちゃんがレベル上げをする目的であるリペアの上位Perkが本当に出たなら。
「な、なんか急に現実味を帯びてきて怖いな」
日本の復興。
ウルフギャングが夢見たそれを実現するのなら、ここより適した立地なんてそうはないだろう。
「まだある。東名高速が東と西を結ぶ。北と南は、この遠州鉄道の線路」
「……たしかに。んでそれは、浜松の駅の東海道本線の線路と繋がってるのか」
「ん。実際には繋がってないけど、駅同士は近いから」
「浜松駅は101のアイツのノートに様子が書いてあったけど、悪党やクリーチャーがわんさかいる危険地帯らしいからねえ。やっぱ夢物語かな」
「それでもいい。アキラやセイは精一杯やって、その子供に夢を託す。それが、孫にも。そのまた子供にも。そうしてたら、いつか夢は叶う」
真剣な表情で話すセイちゃんの頬が、珍しく紅潮している。
「夢が受け継がれて、いつか……」
「ん」
スカベンジャーの俺が言うのもなんだが、過去の物資を消費するだけじゃいつか限界は訪れる。
それまでに人類が、どこまでの知恵と力を取り戻せるか。
「それこそが勝負なのかもなあ」
キス。
またかと言おうとした口に、心配になるほど小さな、けれど誰よりも熱い舌が滑り込んできた。
「……ぷはっ。アキラなら、やれる」
「元気づけるにしても、もっとやり方はあるだろうに」
「アキラだから、これでいい」
「へいへい」
セイちゃんが修理に戻ったので、また視線を地図に落とす。
見れば見るほど、理想的じゃないだろうか。
ウルフギャングの話では磐田より東、戦前の袋井市の次にある掛川市辺りから徐々に核の被害が多くなっていき、当時の県庁所在地である静岡市は瓦礫しかないほどだという事だった。
「そろそろ、クラフトの奥の手も使うべきなんだろうなあ」
「アキラさーん!」
見習い隊員で、休みでなければ正門の担当であるらしいショウの声。
「おう、どしたー?」
「ウルフギャングさんです。通用口にー」
「あいよ。すぐ開ける」
ピップボーイを見ながら通用口へ向かう。
どうやら俺はかなりの時間地図とにらめっこをしていたようで、もう時刻は昼前になっていた。
挨拶もそこそこにウルフギャングを迎え入れて、駐車場の横に出したテーブルで地図を見せる。
「これは。かなり理想的だな。守るにも、そうしながら豊かになってゆくにも」
「だろ?」
特に六角形を十字に区切るような東名高速と線路がいい。
ウルフギャングもそんな事を口にした。
2台のバイクに分乗して探索に出ていたミサキ、シズク、カナタ、ミキが戻ったのは、それからすぐだ。
全員でテーブルを囲んで昼メシを食っていると、ウルフギャングの自動車運転講習に参加するメンバーが続々とやって来る。
「6人か。夕方までは確実にかかるな」
「俺も手伝うか、ウルフギャング? まだ軽トラはバラしてねえらしいし。あれでなら俺も教官役はできるぞ」
メンバーは特殊部隊からタイチ、アネゴ、カズノブさんの3人。
うちの嫁さんからシズクとカナタ。
それとなぜか、しれっとジンさんがいる。
「立体駐車場マンションの裏はこれからも教習所として使う。定期的にな。急ぐ必要はないさ」
「マアサの許可は出ておるで、あの道は封鎖だろうが工事だろうが好きにしてよいぞ。飲みながら言っておった船着場も自由に作るといい」
「りょーかい」
講習を受ける6人を後部座席に乗せて、ウルフギャングがワゴン車のエンジンに火を入れた。
セイちゃんはまだバスに手を加えるらしいので留守番だ。
「ああ、普通車なんて300年ぶりだ。やっぱいいなあ」
「そういやサクラさんは?」
「もう立体駐車場マンションの裏に向かったよ。マイアラークが這い出したってマンホールを確認しとくとさ」
「愛する夫が怪我したりしねえようにか。健気だねえ」