とある樹海の洞窟の奥に作られた、小さな集落。
そこはいま、阿鼻叫喚の地獄へと化していた。
「痛いッ!? いだいニャアアァッ!?」
「足が…足があああアアァァアッ!!?」
小さな医療所には、重傷を負った負傷者が次々と運ばれ、パンク状態に陥っていた。
横たわらせるベットが不足しているため廊下に民家から借りてきた布団を敷きそこに横たわらせるなどで応急処置をとっている。
しかし、その処置も気休め程度にしかならない。
今回の負傷者の全ては下半身、特に足を潰されたことによって見るも無残な姿になっており、想像を絶する痛みが負傷者を襲っている。
口に布をいれ、舌を噛み千切らないようにして力いっぱい歯に力を込めて耐える者や、痛さによって精神が持たず強制的に気絶してしまう者など、様々だ。
「一体、我々に何ができると言うのか……」
そんな惨状を見て、この医療所の医師は力無く呟いたという。
この集落の怪我の治療方法といえば、過去に人間から教わった薬草とアオキノコを混ぜた回復薬ぐらいしかなく、足が潰れた時の治療方法など全く知らなかった。仮に知っていたとしても、この集落の設備では何もできない事には変わりはなかったであろうが。
今、負傷者にしてやれるのは「頑張れ」と声をかけることしかなかった。
そしてそんな地獄の光景を、一匹の老いたアイルーが見つめていた。
長老だ。
長老は顔面蒼白という言葉が似合うくらい顔を青くし、全身を震わせている。
長老はあの時、集会所に留まりこれから起こるであろう悲劇をただ待っていた。
――この老いぼれが行った所で、何の役にも立たない。
そう考えた長老は、これからこの身や集落に降り注ぐであろう悲劇を甘んじて受けるべく、ただジッと身を固めていた。
しかし、予想外にもその悲劇はおこらず、また未知のモンスターが撤退したと聞いた時には不謹慎にも安堵の息を付いた。
だが、今この惨状を見た時、その安堵は遥か彼方へ吹き飛んだ。
(なんというっ……なんということだ……っ!)
心の中で、力なく叫ぶ。
頼りがいのある、戦士達の半数が今回の戦闘で負傷した。
しかも、誰もが下半身を潰されており、医師からは歩行は絶望的だと宣言されている。
一日にして、勇敢な戦士の半数が失われたのだ。
――これでは、日々の生活にも支障が出る。
今回の襲撃によって、皆浮き足が立っている。
不安は、時として組織を崩壊させる。
現在は何とか保っているが、それが何時まで続くかは分らない。
また、食料収集にも不安要素がいくつもある。
あのモンスターは、これまで見つかることはなかった洞窟を容易く見つけたのだ。
体が露出している食料収集時に我々を見つけることなど、わけないだろう。
それに、戦士達もあの悲惨な惨状を見たばかりだ。少なからず精神を病んでしまった者も多い。
そんな状況で外に出ても、油断が多くなりランポスなどのモンスターにやられてしまう可能性も高くなる。
普通ならそういった者は一旦武器を置かせ絶対安静にさせるが、唯でさえ人手が不足しているこの時期に戦線を離脱させるなど、出来る訳がなかった。
今、集落の防備はガタガタだ。もう一度あのモンスターの襲撃に会えば、今度は支えきれないだろう。
ならばそうなる前に、この集落を放棄し新天地を目指す他無い。
今なら、猫々も反対はしないだろう。危機を我が身をもって体験したのだから。
――だが、それはもう不可能になってしまった。
これほどの重傷者を運びながら新天地を目指すなど、到底不可能。
精神状態も悪く、酷い者ではモンスターの声を聞いただけで泣き喚く者もいる始末だ。
そんな者を抱えて、危険が満ちているこの樹海を歩き回るなど、自殺行為に等しい。
かと言って、このままここに留まるのも危険だ。
既に居場所はばれてしまった。また、あのモンスターが来るかもしれない。
『四面楚歌』今の集落には相応しい言葉だ。と、長老は人知れずそう呟いた。
「ちょ、長老……」
絶望的な思考を続けていると、後ろから声が聞こえた。
その声は、震えている。
長老は後ろを向くと、そこには今朝集会所で移住に反対していた数匹の猫々の姿があった。
「申し訳ありませんニャ……長老。私達が、あれほど強固に反対をし続けたばかりに……」
一匹のメラルーがそう言うと、その猫々は深々と頭を垂れた。
見れば、その言葉を発したメラルーの肩は震えており、両手は強く握り締められて今にも血が吹き出しそうであった。
――確かこやつの息子は、あの戦闘の負傷者の一人に……
そう頭に浮かび上がったと同時に、やるせない気持ちが広がってくる。
恐らくこのメラルーは、自分のせいで息子にとんでもない重症を負わせてしまったのだと、悔やんでいるのだろう。
「なに……仮に事が円滑に進んだとしても、出発は数日後だ。どっちみち間に合わなかっただろう」
長老は擁護をする形でそう言葉を発する。元から、襲撃は避けられなかった、と。
しかし、そう簡単に感情は納得しないらしい。その顔は苦悩に歪んでいる。
「そう自虐的に陥るでない……ところで、少し頼みたいことがあるのだが」
長老はそのメラルーに慰めの言葉をかけた。
そして、少し間を置くとまた言葉を発した。
「頼みごと……ですかニャ?」
それまで黙っていたアイルーが返事を返した。それに対し、長老は「うむ」と言うと。
「これから緊急会議を開く。至急代表者を集めてまた集会所へと集まるよう伝えてほしい」
長老がそう頼む。
それに対し、断る理由はないアイルー達は承認の声を上げると、各自散らばって伝達に走り始めた。
(我らは壊滅的な打撃を受けた……だが、まだ終わってはいない。最後まで、足掻こう)
長老は伝達に走り回っている姿を背後から見つめながら新たにそう決意し、集会所へと足を運んだ。
「ヨアン博士。一体何事ですかな?」
旧大陸最大の都市、ドンドルマ。そこに設置されているギルド本部の会議室に、一人の男の声が響き渡った。
他の会議に出席している人々の目も一点に集中している。
そのように視線の集中砲火を浴びている初老の男性――ヨアン博士は特に臆することも無く平然と立っている。まるでこんな事は慣れっこだという様子だ。
「ヨアン博士は考古学部所属だった筈だ。この場には筋違いだと思えるが?」
先ほど声を発した男が続けて言う。
会議室の扉の前には、『新種対策会議室』と書かれている。
モンスター解析の場に、古代の謎を解き明かすための考古学者の姿があるのだ。
どう考えても、役所違い。と、会議に出席している人々は如何わしい気持ちで見つめている。
「はい。確かに、私もそのように考えておりました。しかし、この絵を見てはそうもいかなくなったのです。」
ヨアン博士はそういうと、事前に持ってきた一枚の紙を会議室の机に置いた。
その一枚の紙に、複数の視線が刺さる。
「それは……確か、新種の形状をスケッチしたものだったかな? 私も事前に確認したが、これが何か?」
その声に、ヨアン博士は一間を置いて答えた。
「実は……その新種の形状が、古代戦争の際に現れたモンスター――”トライポッド”と非常に酷似しているのです。ギルドマスター」
場が、静まり返った。
古代戦争? と誰もが顔を見合わせる。
誰もが話が飛躍しすぎて、具体的に理解できなかったのだ。
(無理も無いか)
ヨアン博士は、そんな反応をさぞ当然のように捉えていた。
自分だって、こんな情報が持ち込まれた当初は「アホなことを抜かすな」と突っぱねたのだ。
だが、この一枚の紙に描かれているスケッチがヨアン博士を変えた。
――一体、これをどこで手に入れたのだねッ!?
この話を持ちかけてきた若い研修員に血相を変えてそう詰め寄ると、その若い研修員は驚きながらもその事を詳細に話し始めた。
第一次調査団の護衛に兄が行ったこと。そしてそこで新種に出会ったこと。兄の仲間のハンターがその新種の形状を何枚かスケッチし、その内の一枚を自分に送ってくれたこと。
いよいよ信憑性が増してきたヨアン博士は、居ても立ってもいられず新種の対策に開かれている定期会議に自分も特別に出席したのだ。
「……では何かねヨアン博士。君は新種の正体はトライポッドだと言いたいのかね?」
あまりにも破天荒な内容に、男――ギルドマスターが声を低くしながらそう話した。
それに対し、ヨアン博士は若干困惑気味に口を開いた。
「私も、正直悪い夢を見ているかのように思えます。ですが、これは紛れもなく現実です。
甲羅をかぶったような頭に細長い三脚。そして脚の付け根から生えている無数の触手。どれもこれも、史書に記述されているトライポッドの形状と一致しています。
――そのため、我々考古学部はこの新種はトライポッドであると推測します」
ヨアン博士はハッキリと言い切るように言った。
それにより、会議室からはどよめきの声が上がる。
「し、しかしヨアン博士。聞いた話ではトライポッドとやらは古代戦争の際に一匹残らず死滅したという事ではなかったのでは……?」
別の男性がヨアン博士の言葉に異議を唱えた。
「ええ、確かに。史書にはそのように書かれています。
……しかし、史書が全てだという保障はどこにもありません。ましてや相手は未だに謎が多い古代のモンスタートライポッド。
まだ生き残っている個体が存在している可能性も十分にありえます」
「ならば何故今になってトライポッドが現れたのですか?」
「それが分れば誰も苦労はしませんよ、グザヴィエ局長」
続けて質問した男性――モンスター観測局のグザヴィエ局長の言葉に、ヨアン博士はため息交じりのそう返した。
そう、一体どういった理由でトライポッドが現れたのか、考古学部でさえ見当がつかないのだ。
「ふぅむ、こりゃあ中々深刻な事態になってきたのぉ……」
ギルドマスターがそう声をこぼした。
「そのトライポッドが一体どうして現れたのかは、今後の調査で調べればいいこと。今はそのトライポッドの対策方法を練らなければならない。
ヨアン博士、トライポッドの習性やらなんやらを教えてもらいたいのだが?」
ギルドマスターがそう言うと、ヨアン博士は驚いた顔をした。
「少し意外ですな。こんな話、信じてもらえないだろうと思っていたのですが」
「ああ、確かに私は半信半疑だ。だが、新種の情報が全く入ってこない現状ではそのスケッチも、そしてヨアン博士の知識も重要な手がかりだ。
――どうせ、今の段階ではまともな会議などできやしないのだ。ならば、少しでも万全な対策を立てていたほうが後々有利になる。ヨアン博士、話してくれ」
ギルドマスターの言葉に納得したヨアン博士は、承知の声を上げると席を立ち上がり説明を始めた。
「まず、史書によるとトライポッドは獰猛きまわりない性格だそうです。
人間を見つけ次第見境無く襲撃し、その場で吸血をしたり捕らえたりしたそうです」
ヨアン博士がそう言うと、質問の声が上がった。
「吸血? トライポッドは肉を食べないのですか?」
「食べないというより、食べられないといった方がいいでしょう。トライポッドには触手に口が存在しており、またその口は鋭く尖っており、歯も存在しないため噛み砕くこともできません」
「では捕らえるというのは?」
「このスケッチを見るとおり、トライポッド後頭部には二つの籠らしき物体が見えます。そこに生きた人間を捕らえ、保存をしていたようです」
聞けば聞くほど異様な習性が際立つトライポッド像に、誰もが顔を見合わせた。
何せこれまで見てきた全てのモンスターに比べ明らかに異質なのだ。
「また、トライポッドは知能も非常に高く、集団で狩をするそうです。
どうやっているのかは分りませんが意思疎通ができ、効率的に獲物を追い詰めるそうです」
「集団!? トライポッドは何体もいたのですかっ!?」
グザヴィエ局長が驚愕しながらそう叫ぶ。
もしトライポッドがこのスケッチやこれまでの報告どうりなら、間違いなく超大型モンスターに分類する。
超大型モンスターは個々の能力が非常に高く、国の一つ二つは楽に落とせるほどの圧倒的な破壊力を持っている。
しかしその反面、繁殖能力は非常に低く滅多に現れない。どうやって繁殖しているのかさえ不明だ。
そんな超大型モンスターが知能を持って、しかも何体もが集団になって襲ってくる。
悪夢だ。と、グザヴィエ局長は感じた。
「はい。史書によると、その数はおよそ数百匹と予想されています」
「数百……」
あまりの多さに、全員が絶句する。
それと同時に、何故あれほどの優れた文明を誇った古代文明が滅亡したのか、分ったような気がした。
超大型モンスターが数百体も現れ、しかも確実な敵意を持って襲いかかってくるのだ。
そんな光景が現実に起これば、ギルドのハンターの総力を結集させても敵わないだろう。
圧倒的な数の暴力で粉砕され、蹂躙される。
そんな光景が、数千年も前に現実に起こっていたのだ。
「しかし、今は一匹だけだ。一匹ならば、苦戦は免れんだろうが何とか討伐はできると思うのだが?」
ギルドマスターが自信をもってそう言った。
聞くところによると、トライポッドは個々の能力よりもその数によって助長されているのだと。
しかし、ヨアン博士の顔は険しい。
「確かに、トライポッドはその数も脅威ですが、個々の能力もまた脅威です
史書によると、あらゆる建物を粉砕し、人間を消滅させるブレスや、あらゆる攻撃を防ぐことができるバリアを持っているそうです」
「……ヨアン博士、それはあまりにも誇張表現過ぎやしませんか?」
ヨアン博士の言葉に、グザヴィエ局長が異議を申し立てた。
「まあ、私自身もそう思ってはいますが、違うとは言い切れませんな。
実際にこの目で見ない事には何とも……」
「うむ、分った。報告ご苦労。」
突如、ギルドマスターから声が上がった。
「トライポッドの戦闘能力についてはさて置き、ヨアン博士。トライポッドについての対処法は分るかね?」
ギルドマスターがそう尋ねると、ヨアン博士は難しい顔をした。
「申し訳ありませんが、私には分りかねます。
何しろ書かれている史書が非常に少ない上に、幾度とがトライポッドの脅威を示すものばかりで撃退方法が書かれていないのです」
「……なるほど、先人達の知恵を借りることは出来ないのか」
ギルドマスターは冷静にそう言うが、内心では悪態を付いていた。
トライポッドの対処法が書かれてないと言う事は、先人達がよっぽどの無能か、あるいはそれほどトライポッドが強かったのか。
どっちにしろ、重要な情報が皆無なところは辛い。
「では、今ある情報を元に対処法を練りだし、情報が入り次第順次対処法を練り直すという方向でいこう。
皆のもの、意見があればどんどん話してくれ」
そうして、会議室には議論の声が広がった。
しかし、その議論は先日のような無駄のような議論ではなく、何か一歩を踏み出したような充実した議論であった。