無事に崖の下のトライポッドから崖の上のトライポッドとなった俺は、この三日間の苦労の末に手に入った成果を堪能すべく、暫し地平線の如く広がる樹海を見つめていた。
そしてこの光景を十分堪能した俺は、まずはこの付近の地形を把握する為に周囲の測量を開始した。
とは言え、測量といっても地形やその地の特徴は自動的にコンピューター内に記録され、地図としてまとめてくれるので基本的に俺はただ歩き回るだけだ。
あの永遠と崖が続いていく光景よりも、まだ何処かが変わる光景が見れる密林を歩き回るほうが精神的に安らぎを与えてくれる物がある。
とは言え、現在の俺は三日間に及ぶ苦境を乗り越えたばかりだ。現在は開放感からによる興奮によって身体がスムーズに動くが、興奮は何時かは冷める。
そうなれば、確実に俺の体は疲労に蝕まれるだろう。
……まあ、その程度のことは寝れば治るので別に大した事ではないが。精々今日は疲れたから早く寝ましょうね、だということだけだ。
(しかし、つくづくこの身体はやたら高性能だな。何でも自動化できるぞ)
俺は歩きながら、自動的に地図を製作していくコンピューターを見て、改めてトライポッドの性能を思い知らされた。
思えば、俺がこの世界に来て今まで生き残れたのも全てトライポッドの性能が高かったからだ。
一度特定できれば温度で生き物の種類を識別できる熱探知機。
触れるもの全て破壊し、生物が浴びればこの世から文字通り消滅する光線兵器。
全ての攻撃から身を守ってくれるシールド。
モンスターハンターの世界ではまず無敵といっていいほどの圧倒的な科学的性能差があたからこそ、俺は生き延びることが出来た。
今にしても、この地図製作がそうだ。
前世の俺では、あのテロス密林にいきなり放り投げられても何も出来ないだろう。
周囲の測量をしようにも、まず地理の知識すら俺には無いのだ。
ここが何処だか分からず、同じような光景を見続ければ平衡感覚を失い、同じ場所をグルグルと回り続ける。
そうなれば、遭難と同じだ。いや、帰るべき場所が無いため遭難よりも遥かに酷い状況になるだろう。
そして、体心共に疲れ果てた時、俺はランポスに無様に食われることになったであろう。
それを思えば、俺がトライポッドとして生まれ変わったことはある意味幸運なのかもしれない。
(何だよチクショウ。人間の俺には価値は無いってか)
俺はそんな事を思っている自分自身に対して悪態を付いた。
そして、もう既に俺が人間では無くなりつつあるのだということを実感している。
心の中では、俺はこの身体を気に入っているのだ。
前世では、頭は平凡で身体は平均よりも貧弱と、どこにでもいるような普通のオタクな高校生だった。
頭が優れている者や身体が優れている者に対し憧れ、そして嫉妬した。どうしてあいつは出来るのに俺には出来ないのだと。
それ故に、最初は戸惑ったが、この何でも出来る身体から徐々に居心地がいいものを感じ取るようになってきている。
――俺にはこんな素晴らしい身体があるのだ。人間らしい感情なんて捨てて、自由に生きろ
こんな囁きが、俺の脳裏に浮かび、そしてそれも良いかなと思い始めている。
最近では、人を殺すことも視野に入れ始めているのだ。
俺がこうしてコソコソと暮らしているのも、そもそもの原因は人間が居るからだ。
元人間であった俺は、人を殺すことを道徳的に是としなかった。
そして何より、人を殺すことによって人間の心までもが失うことが恐ろしかった。
しかし今、そんなことはもうどうでもいいと感じるようになってきてしまっている。
――人を殺すことは、すなわち人間を辞めることを意味する
つまり、これまで覚悟していた時が来るということだ。
その事が最初は恐ろしくても、今はそれほど恐ろしくは無くなって来ている。
むしろ早く楽になろうとさえ思っている。
まったくもって、この樹海に来た意味はなんだったのか。
人間から逃げる為に来たのに、肝心の俺の心情がこうも変化してしまえば全てが無駄足だ。
とはいえ、いまさらテロス密林に戻る気にもならない。
確かにあそこはハンターがよく利用するだろうから人を殺すことは容易く出来るだろう。
しかし、ハンターが多い故にモンスターの数が少なく、大型モンスターとなると滅多に現れない。
それに比べ、この樹海はまさにモンスターの巣だ。
モンスターの生息数が、桁違いに多いのだ、この樹海は。
元々俺がこの樹海に来たのは人間から逃げる他に、まだ見ぬモンスターを見る為だということも大きい。
それも単なる雑魚モンスターではない、大型モンスターだ。
前世ではそれなりにモンスターハンターをプレイしていたのだ。実際にこの世界に来たのならば全てのモンスターを一目みたいと思うだろう。
そしてその願望を叶えるには、この樹海は俺にピッタリだという訳だ。
(といっても、流石にディアブロスやティガレックスなどはここでは見られそうにないが)
基本的にモンスターの個々には生まれつき備わっている特性があり、その特性にあった地形に住み家を作る。
中にはティガレックスのように暑いのも寒いのも平気なモンスターが居るが、基本的にモンスターはその地形以外の所には現れない。
そのため、全てのモンスターをこの樹海で見ることは不可能と言っていいだろう。
(よし、これからの目標は全てのモンスターを熱探知機に記録することにしよう)
何事も目標が無ければ始まらない。
俺はこれまでの目標は人間から逃げることだったが、現在ではあまり意味は持たない。
目標が意味を持たなくなれば、それはもう目標ではない。
そのため、即急に新たな目標を見つける必要性があったが、わりと早く見つかって何よりだ。
(……ま、それも地形の測量が終わらなければ始まらないが)
新たな目標を見つけて意気込んでいたが、まずは目の前の課題を片付けなければならない。
それに、興奮が冷めて徐々に疲労が出始めている。
(後2・3時間くらいしたら飯食って寝るか)
俺はこの後確実に襲ってくる睡魔を予測し、計画を立てながら歩いていった。
あの後、予想通り眠気に襲われた俺は夕食を吸った後、素直に大地に横たわりながら心地よい眠りに着いた。
横たわった直後何やら生物の悲鳴が聞こえた気がしたが眠気のほうが勝っていたので気にせずに寝た。
次の日、目が覚めた俺は昨日の声の正体を見るべく身体を起こすと、そこには腹が破裂し小腸などが外に飛び出しながら無残に死んでいるランポスがいた。
俺はその光景を見て、特に何も思わずランポスの屍骸をそのまま残してその場を立ち去った。
いまさら、ランポスの一匹や二匹が死んだくらいでは別に感情は沸かない。特別興味も無いからな。
ただ、死後十数時間は経過していたので生血を吸えなかったのは残念だった。
今日もまた、地形の測量の日々が始まる。
だが、今日の測量は一味違う。
何と熱探知機によると、150km離れた5時方向に、大型モンスターと思われる熱反応が確認出来るのだ。
人間からしたら結構遠いが、脚が異様に長く一歩一歩の歩行距離が数十メートルの俺からしたらそれ程遠い距離ではない。
映画では普通に追いかけられていたが、あれは演出のためだ。普通は追いかけられん。
その標的は地上におり、一応翼らしき物は確認できるが身体に対してえらく小さい。
あれでは、飛ぶことは出来ても飛行することは難しいだろう。
なら、安心だ。飛行することが出来なければ神経を尖らせる必要もあるまい。
この深い樹海であの巨体では思うように動けないだろうし、走る速度も速くないだろう。
対して俺は木々を薙ぎ倒せるので速度は落ちない。
もし襲い掛かってきたら十分に距離をとり、光線兵器で標的を消滅させればいいのだ。
俺はそう楽観視し、腹ごしらえを終えたら見に行こうと決めた。
20分後、アプトノスを捕らえ生血を吸い上げた俺は、早速標的の顔を拝もうと行動を開始した。
標的はなおも動く気配は無い。いくら俺の足音や機械音が煩いといっても、流石に150kmも離れていれば聞こえないようだ。
そして標的との距離が50kmを切った時、標的が動き始めた。
その動きはまるで俺から遠ざかるように11時の方向に走っている。
やはり、この身体は音が煩いから直ぐに気づかれるのだろう。
(まあ、時すでに遅しだがな)
標的の速度は遅く、とても俺から逃げられるような速度ではない。
元より、俺の目に留まった時点でアウトなのだ。
精々、あの世で己の悲運さを嘆くんだな。
そんな事を思いながら俺は羊を追う狼のような気持ちで標的を追いかける
歩く速度が違うため距離はどんどんと縮まり、終に20kmまで迫った。
と、その時
(うん?)
何と、標的の動きが止まったのだ。
もしや段々と近づいてくる足音や機械音を聞き逃げるのを諦めたのか?
まあ、無駄な抵抗をされるよりかは良いか。どっちにしろ全て無駄なことなのだから。
俺は遠慮なく標的に近づき、そして1kmの距離まで近づいた。
(標的は……あそこか)
俺は熱探知機で標的を見ながら近づく。周囲は深い木々に閉ざされているので下の視界はほぼ0といってもいい。こんな時は、熱探知機が役に立つ。
標的はほとんど動いていない。ただ身を固めて災難が過ぎ去るのをじっと待っている。
その災難が過ぎ去らない台風であることも知らずに。
そして、終に俺は標的の直ぐ傍までやって来た。
俺は標的の姿を確認するため一本の触手を取り出し、レンズを展開させる。それと同時に、標的が反撃しても直ぐに対処できるように別の触手も何本か取り出し、槍の部分を突き出させる。
そして、俺は目標の姿を視認するためにレンズの触手を森林に滑るように入らせる。
そこに映っていた光景は――木だった。
(……あれ?)
腑抜けた声を上げた俺は、慌てて熱探知機で確かめる。
確かに、ここの筈だ。
事実、熱探知機にはしっかりと映っている。
なのに、何故居ないのだ。まさか熱探知機が故障したのか。
予想外の展開に俺は若干パニックになる。
――いや、まて
と、突如に俺の頭で閃きが起こった。
確かに、レンズで確認してもモンスターは確認できない。
だが、それが”居ない”のではなく”見えない”だったらどうなるか?
姿を消せるモンスター。そして、俺の頭でそれを実行できるモンスターは一匹しかいない。
(――そんな、まさか)
俺はその事実を確認するために、もしものために展開していた触手を一本呼び寄せ、そして何も無い空間――しかし熱反応はしっかりと残っている空間に勢い良く突き刺した。
――グシュッ
少しぐぐもった音が聞こえた。そして、それが『何か』に突き刺さった音だと確認できるのにそう時間はかからなかった。
空間が、揺らいでいく。
何やら、青緑の煙が漏れている。
ギョロっとした特徴のある目が現れた。
身体は、人間がドラゴンと証するものとほぼ同じような形状をしている。
そして――身体全体が毒々しい紫色に包まれている。
(はは……マジかよ……)
間違いない。誰が見間違えるものか。
生ける伝説、古龍。
その中でも存在感は他の古龍と比べて薄いが、それでも古龍の一角を成している。
光学迷彩のようなもので姿を消し、舌攻撃によって重要なアイテムを奪い、毒霧によってじわじわと相手を追い詰める。
人間からは『霞龍』と呼ばれ、恐れられている油断できないモンスター。
(この樹海初の大型モンスターがお前だとは夢にも思わなかったぞ。なあ――
――オオナズチよ!!)
――ヴォオオオオォォッ!!
思わぬ相手に興奮した俺は、オオナズチに対して啖呵を切った。
それに反応してか、オオナズチはその巨体からは想像できない機敏さで俺の触手を振り払い、勢い良く突進を開始した。