If なんば~ず ~ Sweet Home ~ 作:vangence
音の誘惑を耐えること30分。
ドゥーエ姉が風呂場から出てくるまでの間で、俺は既に満身創痍だった。
クッションを顔の上に乗せて、ソファに横たわっているとドゥーエ姉が心配そうに声をかけてきた。
「どうしたの悠。何かあったの?」
「いや……なんというか、やっぱり少し疲れてるみたい」
「そう、折角だからちゃんと休んでって。遠慮なんてしなくてもいいんだから」
「う~……ありがと」
ドゥーエ姉の優しさが心に沁みるよ……。
少しすると、ドゥーエ姉が麦茶を持ってきてくれた。
向かいのソファにドゥーエ姉が座る。
顔の上に乗せたクッションをどけて、麦茶を一口あおる
「悠、少し聴きたいんだけど……」
「ん……何?」
「セインやディード、ウェンディ、ウーノ姉さんのこと……どう思ってる?」
「……え? どうって」
突然の質問に、一瞬驚いてしまった。
意図がよくわからない質問だったので、はぐらかしてしまおうと思ったのだけど、ドゥーエ姉の表情があまりにも真面目な様子で。
俺は少し考えて正直な答えを返した。
「どうもこうも、家族じゃないか。ウーノ姉もトーレ姉も、クア姉、チンク姉、セイン姉、ディエチ姉、ウェンディやセッテ、ノーヴェにディードやオットー……皆、大事な俺の家族だよ」
「……そう。悠は、そう思ってるんだ」
「うん……もちろん、ドゥーエ姉も大事な僕の姉さんだ」
「悠……」
俺の全力の回答に、何故か一瞬顔を暗くするドゥーエ姉。
しかし、次第に表情が柔らかくなっいき、笑顔を浮かべる。
相変わらずドゥーエ姉の笑顔は綺麗だ。セイン姉の笑顔は可愛らしいがドゥーエ姉のものはそれとは違う、大人の色香というか、美しいのだ。
「変なこと聞いてごめんね、私も疲れてるみたい」
「まあ、大学に部活といろいろ忙しいみたいだし、しょうがないよ」
「私ももう寝ようかな。悠はどこで寝るの? 布団でも出そうか?」
「う~ん、ソファの上も十分柔らかいから、毛布だけでいいや」
「そう、じゃあ私が出してくるから悠はゆっくりしててね」
言われたとおりに体をソファの上で投げ出す。
先ほどの様に手足の力を抜いていくと不思議と体が温まっていき、意識を手放すのには存外苦労しなかった。
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ああ、これは……夢だ。
なんとなくそう思った。体がふわふわ浮いているような、不思議な感覚。
目の前に広がっているのは、俺の部屋の天井。
普段は見慣れている天井が、なぜだか少し綺麗に見える。
布団の上で横になっていた上体を起こして周囲を見渡す。起こす前に少し何かの抵抗を感じたが、あまり気にならなかった。
その時、改めて自分が寝転んでいたことに気が付く。
夢特有の判断能力の低下が、正常な思考を甘く狂わせる。
見てみると、部屋の様子は見慣れているものとは少し違った。
そこは昔の俺の部屋だった。
昔持っていた玩具や漫画が少し乱雑に投げ出されていて、今ではパーツを無くしてしまったプラモデルが飾ってあった。
すると、廊下のほうからい階段をドタドタと慌ただしい音を立てて駆け上がってくるのが聞こえてきた。
数瞬後、勢いよく扉が開かれる。
「ゆーーッ! あそびに来たッス!」
「うぇんでぃねーさま~、まって~」
扉が開け放たれたのと同時に一人が飛び込んできて、少し遅れてもう一人が入ってきた。
先から順に、ウェンディとディードだった。
二人とも、なぜだか小さかった。部屋の様子とこの二人の容姿から察するに、どうやら子供の頃の時の夢を見ているらしい。
二人ともお人形さんみたいな可愛らしい服を着ていた。
フリルがいっぱいついている、真っ白なドレスみたいな服。
「ゆ~~、無視しないでほしいッス~」
「にーさま、いっしょにお人形であそびましょう!」
俺が答える前にウェンデイが腕を掴んでブンブン振り回してくる。
痛みは……夢だからか、あまり感じなかった。
すると、ディードが何故か突然頬を膨らませて怒り出した。
「うーのねーさま、どぅーえねーさまズルいです。私もにーさまといっしょにお昼寝したいです!」
「あ~本当ッス、二人ともズルいッス!」
なんのことかと自分の両隣を見てみる。そこには敷かれた布団と二つの盛り上がりが。
よくみてみると、俺の挟み込むようにウーノ姉とドゥーエ姉が寝そべっていた。
この二人もやはり子供の頃の容姿だった。
見てみると二人とも腕を不自然に投げ出している。
先ほど体を起こす時に抵抗を受けたのは、もしかして二人から抱きしめられていたからなのかもしれない。
すると、騒がしさからかドゥーエ姉がもモゾモゾと動き出した。
「う~、悠く~んどこ~」
「どぅーえ姉ねぼけてるッス」
何かを探すように手を動かドゥーエ姉、言葉から察するに俺を探している夢でも見ているのだろうか?
次第にドゥーエ姉の手が俺を探し出し、寝ぼけているとは思えない強さで体を引っ張ってきた。
突然のことに抵抗できずドゥーエ姉の横にボスンと倒れこんでしまう。
「み~つけたぁ……えへへへ、悠く~ん♡」
「ねーさま! にーさまから離れてください~」
ディードの言葉など意にも介さずドゥーエ姉が俺の背に腕を回して抱きしめてきた。
その腕を解こうとディードが奮闘するも細腕ではどうする事も出来ない。
すると反対のほうから誰かに抱き着かれる。
目線を寄こすと、ウーノ姉ではなく抱きしめているのはウェンディだった。
先ほどまで隣にいたウーノ姉は、ウェンディにどかされたらしく少し離れたところで寝ていた。
これほど騒がしくても寝たままでいられるとは、ウーノ姉は夢の中でもマイペースだ。
「うぇんでぃねーさまも、にーさま独り占めはズルいですぅ」
「どぅーえ姉もいるから独り占めじゃないッス!」
姿勢の関係でドゥーエ姉に正面から抱きしめられているので、ウェンディは後ろから抱きしめる形になる。
俺のまだ幼い背中にウェンディが顔をぐりぐりと押し付けてくる。
動きがかなり制限されてしまって俺としてはかなり苦しいんだけど……。
「ふぇぇ~ん、ねーさまたちのばか~!」
「ゆーの背中あったかいッス~」
「悠くん悠く~ん♡」
先ほどまでの静寂が嘘のように騒がしくなる。
夢のなかって不思議だ。感覚が鈍くなっているが、少しは感触みたいのがあるんだよな。
二人の体温がうっすらとだが、感じられる。
昔の皆ってこんなんだったっけ?
そんな疑問も不思議と霧散していく。
次第に意識が遠のいていく。目が、さめるの、だろう、か。
「う~ん……むにゅむにゅ……」
少し離れたところでは相変わらずウーノ姉が幸せそうに寝ているのが見えた…………
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「…うく…ん。……悠…ん」
ぼんやりと目覚めだした意識のなか、耳元で、何かが聞こえたような気がした。
ふわっ柑橘系の香りが鼻をくすぐる。
この声は……誰だろうか?
ダメだ、なんだか、意識が……
今までに感じたことのない感覚が体を襲い、体中の感覚を妨げるような気怠さが全身を支配する。
取り戻しかけた意識が、また失われようとしている。
体を動かそうとするも、
全身が温かくて柔らかいものに包まれているような、心地よさが、意識を深淵へ沈み込ませていく。
その中で聞こえてくるのは、聞き覚えのある声、だが頭が回らずに、どうしても耳を通り過ぎて行ってしまう。
「ゆ……ん、あ…してる、ず…と」
意識がまた、まどろみの中に引きずり込まれていく…………
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
光が目元を直撃し、あまりの眩しさに目が覚める。
目を開けると、天井が見えた。しかしそれは見覚えのある俺の部屋のものではなかった。
「どこだここ……」
次第に思考が明瞭になっていき、曖昧だった記憶がしっかりと思い出せてきた。
ドゥーエ姉の部屋で寝てしまったんだった。
「……朝飯、作んなきゃ」
もそりと体を起こして、台所に向かう。
なんだか夢を見ていた気がする。ちっさいウーノ姉たちがいたことは覚えているが、その後のことがよく思い出せなかった。
「……んあ~」
材料と器具を用意しつつ、首を回すとゴキボキと関節が鳴る。やはりソファで寝るのは体に良くなかったのだろう。
一つ言っておきたいが、別にイライラしたりしているわけじゃない。
「ソースつくんねーと……」
卵黄と白ワインを混ぜて湯煎しながら角が立つまで泡立てる。
角が立ったら溶かしバターと少しずつ加えながら混ぜる。
大体マヨネーズぐらいの固さまで混ぜるのが塩梅だ。
レモンを絞って塩、胡椒を加えて味を調える。これでオランデーソースの完成だ。
「えーっと、酢と水、卵にベーコン、レタスにバンズっと」
鍋にお湯を張って、酢を少量入れる。
コンロの火を強火にして、沸騰するまで加熱。沸騰したら素早く弱火にする。
お湯の中に卵を投入、二分ほど茹でる。この時菜箸などで渦を作るのが重要だ。
卵が渦でできた水流でまとまって型崩れしにくくなるのだ。
ついでに豆知識だが、酢は入れたほうがタンパク質が凝縮してより型崩れしにくくなるので入れている。
お玉で崩れないようにして取り上げて余熱で固まらないように冷水へ投入、ポーチドエッグの完成。
バンズの上にレタス、ベーコン、ポーチドエッグを盛り付けオランデーソースをかけてバンズで挟めば、エッグベネディクト風ハンバーガーの出来上がりだ。うむ、実に美味そうに出来た。
「おはよう悠。いい匂いね、今朝は何を作ったのかしら?」
「おはようドゥーエ姉。今朝はエッグベネディクトだよ」
「……御免なさい。ちょっとわからないわ」
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カチャカチャと
エッグベネディクトは見た目的にかぶりつきたくなるのだが、それをやってしまうと盛大に半熟卵が溢れ出すのでナイフとフォークで食べるのが主流なのだ。
KARAMISO♪ KARAMISO♪
突然俺の携帯が着信音を鳴らしだした。取り出してみると、トーレ姉からだった。
携帯の通話ボタンをプッシュして、電話に出る。
『もしもし、悠か? 昨日は私の私用で迷惑をかけてすまなかった』
「いや、別にそんなことなかったよ」
『十時には出発するぞ。待ち合わせは……そちらの寮で構わないだろう』
「うん了解。十時だね」
時間を確認して通話を切る。
十時というと、まだ少し時間があるな。食器洗いは済ませることができそうだ。
「そろそろ時間かしら?」
「いや、十時だってさ。まだ少し時間あるから食器は洗ってくよ」
携帯をしまって再び食卓に着く。
あれ、そういえば……
「トーレ姉って誰に会いに来てたか知ってる?」
「トーレ? そういえば、誰に会いに来てたのかしら」
どうやらドゥーエ姉も知らなかったらしい。
クラナガン大学にわざわざ来るくらいなのだからよっぽどの用だと思ったのだけれど……。
すると、ドゥーエ姉が思い出したようにパチンと指を鳴らした。
「バイクのことじゃないかしら」
「バイク? どういうこと?」
「実はクラナガン大学に一人、凄いバイクレーサーの娘がいるのよ。多分その人に会いに来たんじゃないかしら」
なるほど、確かにそうかもしれない。昨日トーレ姉は友人の家に泊まると言っていた。
つまり、バイク関係の友人に会いに来ていたということだろう。
ようやく合点がいってすっきりした。
「そういえば、その女の子って凄いらしいよ? 美人で優秀らしいわ、私も名前は知らないけど二つ名は聞いたことあるもの」
「二つ名って実在するんだ……」
正直ゲームやアニメの中だけの存在だと思っていた。
しかし、よくよく考えればそういう人間はかつてより多くいたことを思いだす。
WWⅡの時のパイロットも二つ名を持っている人が数多くいたはずだ。
「たしか……『雷光』だったかな?」
「……中二っぽいネーミングセンスだね」
「まあ、本人が考えたわけじゃないんだろうし、二つ名なんてそんなものでしょう」
『雷光』か……いったいどんな女性なのだろう。
トーレ姉みたいな人なのかな?
そんなことを考えながらベーコンに噛り付いた。
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「わざわざありがとうね、こんな遠いところまで」
「そんなことないさ、ドゥーエ姉からのお願いだったらいつだってくるよ」
一通り帰る準備をして、今、女子寮の前にいる。
ドゥーエ姉とはまたしばらく会えなくなるのは寂しいけれど、永遠の別れというわけじゃないのだ。
「今度帰る時には美味しいご飯があると嬉しいな♪」
「ご馳走作ってまってるよ。皆で」
俺の回答に笑みを浮かべるドゥーエ姉。
しばらくこの笑顔が見られないのかと思うと、少し寂しい。
「じゃあ今度会うまで……寂しくないように」
「え、ちょっとドゥーエ姉!?」
ドゥーエ姉はおもむろに近づいて来たと思った瞬間、首に腕を回して抱き着いてきた。
ふわっ柑橘系の香りが鼻をくすぐった。
「は、恥ずかしいよ」
「ちょっとぐらいいいじゃない……家族なんだから」
「……じゃあ、ちょっとだけ」
そういうことを言われたら、反論できないじゃないか……。
ドゥーエ姉の細い体に腕を回してキュっと抱きしめると、耳元でいたずらっぽくドゥーエ姉が咎める。
「ふふ、悠ったら自分から抱っこしてもらいにくるんだ」
「え、なに? 俺が悪いの?」
からかわれてしまった……くそぉ、でもそれがドゥーエ姉らしくていいな。
ほんの少しの間そうしていると、かすかにバイクの音が聞こえてきた。
そっと腕を放して向き直る。
正直な話、抱き合っている最中に人が来なくて本当に良かった。
見られていたら、恥ずかしさで憤死してしまうことだろう。
「それじゃあ悠、いってらっしゃい」
「……うん、行ってきます!」
ドゥーエ・スカリエッティ
才色兼備にして、一流の役者であり、スカリエッティ家の次女で……俺の大事な姉さんだ。