とある科学の無能力者【完結】   作:ふゆい

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第二十七話 目を背けたい現実、突き付けられた闇

 とある少女は無口だった。

 個性的な面々が集まる五人組の中で、その少女は『寡黙で美しい』というキャラを獲得していた。無駄に口を開くことはなく、仲間達の会話を聞いて人知れず微笑を浮かべる。作り物ではない純粋な『美』を集約したような彼女の微笑みは、男女問わず仲間達を魅了していた。一種の癒しと言ってもよかった。

 少女は人との会話が苦手だった。自分の気持ちを表に出すことに抵抗を覚えていた。かつて、正しいと思ったことを貫き通す人生を歩んでいた結果両親に捨てられたから。人を騙していた両親を正そうとしてしまったから。

 無闇に想いを吐き出すと、理不尽な制裁を受ける。まだ子供ながら、少女は現実の非情さを十分理解していたのだ。

 少女は喋らなかった。どれだけ言葉を催促されても、頷きや首振りなどの動作でしか反応しない。一見無愛想とも受け取れる対応だったが、仲間達が怒ることは無かった。彼女が言葉を発しない理由を、なんとなくではあるが察していたから。

 だが、そんな彼女に転機が訪れる。

 きっかけは、儚げな少女の一言だった。

 五人の中でもひときわか弱い印象を与える少女。色白で、抱き締めたら折れてしまうのではないかという程に細い身体をした少女。

 彼女は頑なに言葉を紡ごうとしない少女に向けて、赤子のような無邪気な笑みを浮かべてこう言ったのだ。

 

『静ちゃんって、ホント綺麗だよね。将来はいいお嫁さんになれるよ』

 

 虚を突かれた。衝撃だった。信じられなかった。

 今日を生きる事すらままならない地獄のような研究所生活。五人の中で一番身体が弱い少女は、人のことを気にするほどの余裕なんて持ち合わせてはいなかったはずなのに。毎日誰にも見られないように吐血する彼女を、少女は何度も目にしてきた。自分の健康管理で手一杯なはずの彼女は、何故マトモに会話もしない自分を気にかけてくれるのだろうか。

 少女の中で何かが揺らいだ。今まで彼女を縛ってきた鎖が、何らかの力によって(・・・・・・・・・)壊れる音を確かに聞いた。

 気が付くと、少女は彼女の手を握っていた。自分でも驚く。無意識のうちに、少女は目の前の弱っちい女の子を欲していたのだ。不意に手を握られて目を丸くする彼女を顔を見据えると、少女はいつの間にか喉を震わせていた。

 

『……あり、が……とう』

 

 それは、研究所に来てから彼女が発した最初の言葉。悲鳴すら我慢し続けた彼女の最初の本音。

 それから、桐霧静は段々と仲間と打ち解け始めていく。苦楽を共にする、かけがえのない仲間と。

 五人でずっと一緒にいられたらいいのに。寡黙な内で密かに願う桐霧は、自分を変えてくれた少女と共に笑いながらも未来へと希望を託す。いつかこの研究所を脱出して、五人で平和に暮らせる未来を。

 ――――だが、ある日。

 

 『希望』だった少女は、いつの間にか動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

「私は、負けるわけには……いか、ない!」

 

 桐霧の叫びがデータセンター内に木霊する。不器用ながらに発された彼女の本心は、何故か佐倉の心を軽く揺さぶり始めていた。戦いに専念し、邪魔するものは全部殺すと誓った佐倉の信念に、小さな穴を開け始めていた。

 おかしい。のっぺりとしたフルフェイスメットの下で佐倉は顔を歪める。自分は決意したはずだ。美琴の為ならば何人でも手にかけてやる、と。たとえ狂うことになったとしても、それで彼女を守れるならば後悔なんてない、と。

 だが、それならば、何故自分はこんなにも震えているのだろうか。

 自分の身体によって開けられた大穴を通して桐霧を見やる。――――彼女は見据えていた。自分の敵を、未来を、やるべきことを。己の信念を貫き通すために刀を握っていた。疲労が溜まっているのか脚はガクガクと震え、今にも座り込んでしまいそうな程だと言うのに。

 そんな彼女を見て、何故自分はこんなにも恐怖を感じているのか。

 

(なんだってんだよ、畜生)

 

 装甲に付着した瓦礫や塵をはたきながら立ち上がる。気持ちの整理はついていないが、佐倉のやることは変わらない。目の前の暗部組織を叩き潰し、遥かな高みへの第一歩を踏み出すだけだ。

 駆動鎧に搭載されたただ一つの武器である拳を握り込む。敵は能力の影響かまったく傷を受けていない。駆動鎧の攻撃をモロに食らって無傷とか正直笑えない話だが、それでも肉体的な疲労は溜まっているはずだ。いくら外見を取り繕っても、体内の疲労は隠せない。肉体強化系能力は、そこまで万能ではない。

 突進しようと右脚に力を込めると、途端に電流が体内を駆け巡った。無理な動作の連続で右足を捻っているようだ。我慢できない程ではないながらも、ズキズキと鈍い痛みが断続的に佐倉の思考を阻害する。

 こんなときに。思わず歯噛みしてしまうが、だからといって勝負を放棄するわけにはいかない。右脚の負傷が露呈しないように庇いながら身を捻ると、左足で地面を蹴った。爆音と共に弾丸となって桐霧へと突貫する。

 ガィンッ! と甲高い金属音が響く。見ると、顔面を狙って放った拳が、日本刀の腹で防がれていた。今の速度に対応するとか化物かよ、と自分の事を棚に上げて皮肉交じりな思考を漏らす佐倉。

 佐倉が着ている駆動鎧は確かに怪物級の性能を誇っているが、かといって佐倉自身がそれを巧みに操縦できる程の技量を有しているかと聞かれると、それは間違いなく否だ。

 どこまで覚悟を決めようと、佐倉は所詮一介の男子高校生でしかない。駆動鎧を専門的に扱う高校に属していたわけでもなければ、コイツが支給されてからマトモに訓練をしたわけでもない。おそらく、そこら辺の警備員の方がよっぽど上手く駆動鎧を扱えるだろう。それでもなんとか互角以上に桐霧と渡り合えているのは、ひとえに駆動鎧の性能のおかげである。

 対して、桐霧静は異様なほどに戦い慣れしていた。深層の令嬢のような雰囲気と所作をしているくせに、その動きは洗練された軍人の様。適確に急所を狙い、相手を戦闘不能にさせるための攻撃を連続してくる。その上大能力の肉体強化が彼女の動きを後押ししている。鬼に金棒どころの騒ぎではなかった。

 防がれた右拳を引きながら左膝を跳ね上げる。

 が、それを桐霧は同じく右膝を上げることで華麗に捌いた。乙女の柔肌には傷一つつかない。もはやスカートなどは無残に破れていて白いショーツが丸見えなのだが、桐霧はダイナミックな動作で回避行動を行っている。普通の状況ならば思わず劣情を催していたであろう光景に、佐倉は軽く頬を染めた。……が、今はそんなことに興奮している場合ではない。

 防がれた左足を下ろすと、それを軸に回し蹴りを横腹へと叩き込む。腕と足を同時に上げられて防御はされたが、駆動鎧の全力に力負けした桐霧は左方に吹き飛ばされた。

 何度かバウンドすると、バック転の要領で体勢を整える。どんな運動神経だ、と舌打ちしてしまった佐倉を誰が責められようか。

 桐霧は刀を杖にふらつく身体を支えると、両肩を大仰に上下させながら疲労感に満ちた虚ろな瞳を佐倉へと向けた。

 

「あな、た……私と、似て……る」

 

 思わず耳を疑った。とても戦闘中に発される内容ではなかったために、一瞬理解が追いつかなかった。

 ――――俺とコイツが、似ているって?

 

『……どういう、ことだ?』

 

 気が付くと、佐倉は口を開いていた。今まで一度も話すことは無かったというのに、戦闘中だというのに言葉が漏れていた。フルフェイスメット越しのくぐもった自分の声を久々に聞いた気がする。

 予想通りだったのか、佐倉の声を確認するとわずかに破顔して言葉を続ける。

 

「あなたは、本当は暗部に堕ちるよう、な……人じゃない。雰囲気で、分かる。いく……ら、戦いに集中していたとし、ても……拳を振るう直前、で、力を緩めていた……から」

『……馬鹿な。俺は全力でてめぇを殺すつもりなんだぞ。手加減なんかするわけがねぇ』

「で……も、それなら、なんで私はまだ……生きている、の?」

『それは……てめぇの肉体強化で防御力が向上しているからだろ』

 

 桐霧静の能力、【限界突破(アンリミテッド)】。任務前に心理定規により渡された資料によれば、肉体性能を異常値まで引き上げる人工ドーピング能力だそうだ。最高値まで向上させれば超能力者の攻撃にも耐えうると言われるその性能。彼女が本気を出せば、佐倉の攻撃で死なないことはなんら不思議なことではない。

 だが、桐霧は首を振った。

 

「違、う。確かに私の【限界突破】、は……駆動鎧の一撃を、防ぐことはでき、る。けど……そう何度、も全力の攻撃、を……耐えられるほ、ど……高性能じゃ、ない」

 

 桐霧が言うには、【限界突破】はそこまで万能な能力ではないらしい。

 確かに本気を出せば【原子崩し】の一撃にも耐えることは可能だ。駆動鎧の攻撃を受けることもできる。しかし、その結果彼女を待ち受けるのは肉体的な崩壊だ。

 いくら身体が丈夫になったところで、構造が変わるわけではない。無理な動きは肉体に負担をかけるし、なんども化物じみた戦いを繰り返せば重圧に骨が耐え切れず粉砕してしまうことだってあり得る。運が悪ければ一撃を受けたところで筋肉が断裂する恐れだってあるのだ。

 今回は運良くそれなりに長時間戦えてはいるが、いつ肉体が崩壊するか分からない。それに、彼女がまだ無事でいられるのは、佐倉が無意識のうちに攻撃の手を緩めているからでもあったとのこと。八分ほどの力で繰り出される攻撃ならば、肉体破壊を最低限に留めて戦闘を行うことができる。

 ようするに、こういうことだった。

 

「本当、は……誰かを殺したく、なんて……ないん、でしょ?」

『ふざけんな! そんなわけねぇ! 俺は決めたんだ。美琴の為に殺し続けるって決めたんだ!』

 

 どこか同情めいた言葉を口にする桐霧に佐倉は即座に否定の叫びをぶつけた。そんなわけがない。自分が殺しを恐れているなんて、そんなことはあり得ない。美琴の激励を受けた自分は、彼女の為に頑張り続けると誓ったのだから。

 

 ――――だけど、誰かを殺して美琴は喜んでくれるのか?

 

 「っ!」心の中で『誰か』が呟いている。悲しそうに俯いた、黒髪の少年が。悲壮感に顔を染めた少年が、佐倉の決意を揺らし始める。

 気を抜くと意識を持っていかれそうで――――思考回路を奪われそうで、佐倉は必死に叫んだ。

 

『俺は決めたんだ! 美琴を守るために強くなる。そのためなら何人でも殺す! 力を手にするためなら、俺は鬼にも悪魔にもなるって決めたんだ!』

「で、も……誰かを殺し、て、手に入れた力なん、て……最後に、は、空しさしか……残らな、い。そんな力を、振るったって……待っているの、は、『狂った日常』だけ、なんだ、よ……?」

『空しくなんかなるもんか! 俺が強くなればきっと美琴も喜んでくれる。きっと褒めてくれる! たとえ誰かの犠牲の上に成り立った力だとしても、美琴はきっと俺を称賛してくれ――――』

「それじゃ……同じ、だよ」

 

 桐霧は言葉を一旦切ると、汚れた顔を俯かせる。何かを思い出すように、誰かの犠牲を思い出すように、桐霧は沈痛そうな面持ちで視線を逸らすと、絞り出すようにして漏らす。

 

「それじゃあ、科学者達と何も変わら……ない。誰か、を犠牲にして力を得るなん、て……それこそ、科学者達や……一方通行と、大差ないよ(・・・・・・・・・・・)

『うる……せぇ……! うるせぇうるせぇうるせぇうるせぇ! うるっせぇえええええええええ!!』

 

 くぐもった咆哮がデータセンターに響き渡る。フルフェイスメットの下で苦痛に顔を醜く歪ませる佐倉は、認めたくなかった現実を前にして誤魔化すように叫び続ける。

 なぜ桐霧が『あの実験』のことを知っているのかは分からない。研究所にいた時に又聞きしたのか、それとも暗部活動中に聞いたのかは知らない。だが、桐霧は確かに理解していた。絶対能力進化実験の被験者は……一方通行は、最低のクズ野郎だ、と。

 誰かの為に他の誰かを犠牲にするなんてあり得ない。それはかつて、一方通行と対峙した際に佐倉が抱えていた想いではなかったか。

 

 ――――絶対能力者なんていうくだらねぇものにしがみついている哀れな雑魚に言ってんだよ。

 

 実験を繰り返す一方通行に向けて、佐倉はかつてこのように言い放った。無敵の力なんて不要なものにいつまでも執着しているなんてくだらない。そのために【妹達】を殺し続けるお前なんて最低だ。自分の道徳心の下に、佐倉は確かにそんな言葉をぶつけたはずだ。

 だが、今自分がやっていることは何だ? あの時の一方通行と、何が違う?

 

 ――――認めろよ、俺。人殺しなんか間違ってるってさ。

 

 ――――いいのか? ここでやめちまったら、美琴の想いを踏み躙ることになるんだぞ。

 

 二人の自分が佐倉を惑わす。かつての自分と、今の自分。二つの相反する『佐倉望』が思い思いに言葉を並べ、佐倉の判断を仰ぐ。

 どちらが正しいかなんて、即座に決めることはできない。虚ろな瞳で桐霧を見つめながら困惑する佐倉。そんな行動からも、彼がまだ闇に染まりきっていないことが窺える。

 無能力者。超能力者。守りたい。戦いたい。一緒にいたい。平和に生きたい。

 幾多の想いが心の中で葛藤する。

 弱者ながらに一生懸命美琴を守ろうとしたかつての佐倉が。

 力を求めてあらゆる障害をぶっ壊していこうとする今の佐倉が。

 果たして、どちらが本当の自分なのか。佐倉望にはわからない。

 

『うるせぇんだよ、畜生……!』

 

 思わず拳を握っていた。震える瞳で桐霧を見据える。その顔に浮かぶのは、困惑と憤怒。様々な感情の狭間で揺れ動く少年は、一つの行動を選択した。

 自分を惑わす目の前の人間を、とにかく黙らせる。

 

『これ以上……俺を揺らすんじゃねぇえええええええええ!!』

「くっ……負け、ない!」

 

 絶叫と共に飛び掛かる。目の前の敵を黙らせるために、ただ頑なに拳を握る。

 慌てたように刀を構え直す桐霧。だが、その動きはどこか覚束ない。やはり肉体が限界を迎えているのだろう。なんとか刀で防御しようとするが、佐倉の拳はその速度を超える。

 ギチギチと駆動鎧が唸りを上げる。驚きに見開かれた桐霧の顔を見定めると、佐倉は迷わず拳を振るった。

 

 それが、彼の答えだった。

 

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

 データセンターの前で仲間達を待ち構えていた垣根帝督は、入口から漆黒の駆動鎧が歩いてくるのを見つけるとひらひらと右手を振った。

 

「おーす、お仕事お疲れさんっと」

『……あぁ』

 

 ガシャガシャと激しい足音を鳴らしながら歩く佐倉は、垣根の声に淡白な反応だけを返すとそのまま彼の横を通り過ぎる。【スクール】を迎えに来たキャンピングカーで着替えでも行うつもりなのだろう。労いの言葉をかけられても、喜びはおろか感情すら見せない。

 

「どうしちまったんスかねぇ、佐倉のヤツ」

「知るかよ。どうせまたつまんねぇ感情の葛藤でもしてんだろ」

 

 面倒くせぇ。心底嫌そうに表情を歪めると、ゴーグルの少年に「行くぞ」と手振りで指示を送る。心理定規はいなかった。なんでもとある医者に預けたい人間がいるらしい。彼女が背負っていた銀髪の美少女は明らかに【カレッジ】の一員だったが、アイツも甘くなったなと人知れず皮肉を漏らす。

 

(戦うからには殺す。それが俺達の流儀だったんだがなぁ)

 

 茶色のスーツにこびり付いた返り血(・・・)にふと視線を飛ばしながら、垣根は軽く溜息をついた。まだまだこの部下達は教育する必要がある。来る反逆の日に向けて、彼は密かに決意した。

 ゴーグルがキャンピングカーに乗り込むのを見ながらも、思わず第一学区の街並みへと視線を飛ばす。

 単調なビルが続く行政区。この学園都市を牛耳っているお偉いさん方は、今日も豪華な日々を送っているのだろう。垣根達が寝る間も惜しんで働いているすぐ傍で、豪華な食事でも突いているに違いない。

 くだらねぇ。耄碌した老いぼれ共に毒を吐くと、キャンピングカーに乗り込む。

 

 学園都市の闇は深い。

 超能力者でさえ時には感傷に身を浸してしまうほどの闇。終わりの見えない絶望は、弱い無能力者などいとも容易く呑み込んでしまう。どんなにもがこうと、もがけばもがくほど、彼らはより深い闇へと引きずり込まれていく。

 その様はまるで蟻地獄。

 幾多もの絶望を抱え込んだ学園都市の暗部は、今日も今日とて一人の無能力者を破滅へと追い込んでいく。

 

 

 

 

 




 「【カレッジ編】短っ!」と思った方、ごめんなさい。「唐竹の熱唱をもっと聞きたかった!」という特異な方々、もう彼は出ません。
 今回の【カレッジ編】は、いわば佐倉を闇に呑み込ませるための章です。彼らの目的はアバウトにしか分からない。メインは佐倉をひたすらに落とすことでしたので、そこら辺はご容赦願いたいです。
 もうどうしようもないところまで来てしまった佐倉クン。果たして彼を待つのは『希望』か、それとも『絶望』か。

 ……落窪向? そ、そんな方はいなかったんだよ!



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