北の盾たる己が身を 作:黒頭巾
珍しく、奴が居る。
そんな奇異の目で見られつつ、李師は論功行賞の場に居合わせていた。
一般的に、将とは己の功績や武勇、武略といったものを喧伝する。
喧伝しなければ正当に評価されないこともあるし、喧伝することで更に重く評価されることすらあった。
故に、各地から異色の人材を集めた曹操軍は特にこの傾向が強い。各員が他の才気溢れる同僚を出し抜こうとして切磋琢磨しているので、そうせざるを得ないのである。
李師は、宛城周辺での兵站切断作戦の成功、荊州勢力との交戦においての勝利、宛という前線基地の確保と言う三功を挙げ、その傑出した軍事的才能を示した。
曹操軍の諸将には、彼に対して二種類を抱いている。
畏敬と、疑念。
前者は主に李師と対戦してノックアウトを喰らったものに多く、後者は外見の冴えなさや曹操の厚遇に対して不満を抱く者たちだった。
後者の内の後者―――つまり、厚遇に対して不満を抱いていた者の内で『実力と待遇が相応しいか』と訝しんでいた者はこれら三つの功績でその侮りを修正したのだが、『降伏してきたくせに』という感情論に支配されている者は、依然不満を抱いている。
これは曹操が易京を巡っての攻防戦で敗けを認め、『勝者を裁く権利を敗者は持たない』として所領を安堵した上に公孫瓚が与えていた権利や権限を更に拡大して与えてしまったことも原因だと言えた。
この空気を察した李師は、彼に好意的な諸将―――曹一族では曹昂や曹洪、夏侯一族では夏侯淵、夏侯衡、夏侯覇、夏侯称、夏侯威、夏侯栄、夏侯恵、夏侯和、有力諸将では楽進、李典―――に断りを入れ、この三つの功績を放棄した。
ただ指示を下していただけの私に褒賞は要りません。ですが、血を流し、痛みを感じながらも敢闘勇戦した兵士にはどうぞ区別無く褒賞を払っていただきたい、と言った。
この提言を容れ、曹操は李家軍の兵へ存分に報いた。
その上で、曹昂を補佐して宛周辺を鎮定した功をして加増か財貨かのどちらかを良ければ受け取って欲しい、と自ら訪ねて述べたのである。
これに珍しく仰天した李師は、一先ず財貨を受け取り、ほとぼりが冷めてからこれを全て曹昂と、自分と同じく彼女を支えていた与力の将たる曹洪に渡してしまった。
そのようなこともあり、結局李師は自分の指揮で勝っておきながらその報酬を求めない男として著名だと言えるようになった。所謂名物男となったのである。
この謙虚さと身内を立ててくれる性格には曹操も更に評価を高め、その軍才だけで重用しようとした己を戒めていた。
才能があれば、他はどうでも良いから重く用いる。
これが彼女の基本スタンスであったが、それは『才能だけ見て性格を見ないということではない』、と再自覚をしたのだ。
結果、曹操は李師という男を軍才に於いても人格面においても信任していた。
兎に角清廉潔白で、嘘が無い。欲も少ないから曲がることもない。
人物鑑定に優れた曹操が下した評価は、好意的とは言え概ね合っているものだった。
清廉潔白と言うよりも脱俗願望があり、嘘が無いと言うよりも嘘が嫌いで、欲が少ないと言うよりは権力欲や財宝に対する欲がない。
彼の欲は、茶を飲むことにだけ向いていた。
「文和」
「何よ」
今回のお供は、賈駆だけである。
曹操は、護衛たる呂布はこう言った場でも李師といる時は武器を持ち込んでいいと許可を出しているが、李師はそこまで特別扱いを甘受する気にはなれていない。
故に、政治的なブレーンである賈駆以外、同行を許さなかった。
天井裏には誰かが居るかもしれない、と思わないでも無かったが。
「何か、変な目で見られている気がするんだけど」
「当たり前でしょう?」
こう言った場に顔を出しても、最も遅く来て早く帰ることに定評があった男が、まんなかくらいの速さで来ているのだから。
その辺りを言外に匂わせつつ、賈駆は辺りを油断なく伺っていた。
別に何があるとは思えないが、悪意や政治的陥穽に極端に弱いこの男が、そういった視線に気づかない以上、賈駆が二人分気を張るしか無い。
武闘派が多い李家軍の幹部で、政治的センスがあるのは賈駆と、後はとにかく抜け目がない趙雲くらいなものである。
流してでも読みさえすれば絶対に忘れることが無いという変わった特技を持つ費禕は謀略と言うより、民政と広域支配のプロだった。
李家軍が経営する育成機関でも、賈駆に比肩しうるのは殷裔と呼ばれている司馬家の次女くらいなもので、民政家と武闘派が多い。
多すぎて中堅指揮官をこなせる者を下士官止まりにしてしまう。
この辺りの活用も考えなければならないのが、賈駆の辛いところだった。
「珍しいな、仲珞。俄に欲しい物でもできたか?」
「嫌だな、知ってるくせに」
「それもそうだ。だが、その服は恐ろしく似合わんな」
「わかってるさ。言わないでおくのも、優しさだよ?」
相変わらず仲が良い二人が他の将を眼中にすら入れずに冗談口を叩きあっている間も、賈駆の頭と精神は休まらない。
『李師の所為で致命的に寿命が縮まることはなく、李師の所為で寿命が縮んだ』と、後世憐憫を込めて愛されるこの貴重な政治におけるブレーンは、あと七十五年生きることができる程度の寿命を二年ほど擂り潰して今を生きていた。
結果的に晩年はなんの病気にもかかることなく、八十六歳で大往生を遂げる賈駆は、ここに来るまでは九十五歳まで生きることができるはずだった。
来て早々、二年縮むことが確定してしまったのだが。
「それにしても、だらしないな。帽子を取れ、裾を垂らすな。衿をずらすな。仕方ない奴だ」
「いやぁ……前はよく着てたからうまく着れたんだけどね」
「嘘をつくな。
ほら、終わった。派手に動くなよ」
何だかんだで慣れない李師の世話を焼いてくれる夏侯淵にその辺りを委任してしまいながら、賈駆は一つ安堵した。
呆れながらも笑っているあたり、世話するのが満更でもないらしい。と言うよりも、満更でもなければ世話などしないだろう。
シンプルだからこそ美しい黒い礼服を着こなす夏侯淵を見ながら、賈駆は己も帽子を取りつつ安堵した。
くしゃっと潰せば何処にでも容れることができる李師の布帽子とは違い、箱のような帽子を被っている賈駆としては、収納先に困らざるを得ない。
因みに趙雲も、布帽子に近い。色も形もかなり違うが、収納先に困らないという点では合致していた。
取り敢えず片手に抱え、賈駆は独自に動き出す。
と言うよりも、このような社交の場では政略や派閥抗争の常になることが多かった。
そのことを全く理解していない男と、理解していて『浅ましい』と冷笑しつつ放置している女が政略の欠片もない雑談に精を出している間も、彼女としては休むわけにはいかない。
興味がなかろうが浅ましかろうが、生死を左右しかねない出来事が会話の端に登っているかもしれないのである。
ブレーンとしてはそうやすやすと見逃すわけにもいかないし、聴き逃すわけにもいかなかった。
どんな勢力にも派閥、と言うものがある。どんなに一枚岩であっても、人が感情と向上心を持つ以上は、自然とできる。
その派閥の構成と所属員を、賈駆は秀でた記憶力と卓越した整理の巧さでほぼほぼ正確に頭に入れていた。
夏侯惇や荀彧は、無所属。
于禁・楽進・李典の三羽烏による中立派閥と、程昱・郭嘉・陳宮等の河内派閥。鍾会などの若手を中心とした急進派閥に、現在最大勢力のまま独走中の夏侯淵派閥。
若手以外は自然とできた形になり、若手は自然とできた派閥に抗する為に形成されている。
李家軍は趙雲が個人の友誼から河内派閥に近く、李師が個人の友誼から中立派閥と夏侯淵派閥に近い。
曹操が軍機構をそのまま取り込んだ為に生まれた第五の勢力は、張遼の指揮する一軍団と李家軍の指揮する一軍団だけであり、勢力としては小さい。
が、曹操軍を現存する所属員だけで撃退してのけたことからも粒揃いであることは、誰が見ても明らかであろう。
夏侯淵も楽進も、そこそこ派閥と言うものがあることくらいは意識している。
そして、李師が政治音痴だということも知っていた。
なので、どちらも示し合わせたように取り込もうとしない。取れば派閥のバランスが崩壊しかねないからである。
それは各員が円卓を囲んで座り、卓上に置かれたナイフに手を伸ばしかねている光景に似ていた。
要は、現状維持を良しとしたのである。
「若手は、元気でいい」
「君と二、三しか変わらないだろうに」
「だが、あそこまで声高に功を誇るほどではない」
冷笑して、夏侯淵はわざと聴こえるようにそうこぼした。
浅ましい、と思う。
と言うよりも、あそこまで打算有りげに『私はこれこれこういう風に戦い、勝ちました』などと言われては、興醒めする。
結果を出してそれを喜ぶのは良いが、誇るのは浅ましいという感情が勝つ。
「だがまあ、若いと言うのは自身の行いを華麗に見つめたい、という願望があるということだからね。見せるべき花や実も無く、枯れていないのはいいことさ」
その辺りを察し、李師は頭を掻きながら若手の為に弁護をした。
彼自身は功という花も実も付けたいとは思わないが、他者への弁護と自己の意見は別にする傾向にある。
今回も、その癖が先行していた。
夏侯淵は、思った。
枯れているならば花も開いたということだし、実も付けたということである。が、蕾の内に花として見せ、青い内に実をつむげば、枯れているよりもなお、質が悪い。枯れるまでに為すことも全て、中途半端だということなのだから。
その辺りを察し、李師は夏侯淵の手を掴んで耳を近づけ、囁いた。
「枯れているなら花も実も付けて己の役目を完遂したということになるが、蕾の内に花と偽り、青いままで実と偽ればなお悪い。中途半端がより悪しきこと、とでも思ってるんじゃないのかな、妙才」
「サトリ妖怪には隠しだてできんか」
「八割は、君の性格を分析して推理しただけだけどね。種も仕掛けもあり過ぎる程にある」
「なら、私が次に言いたいこともわかっているだろう」
不言実行が、最も良いとは言わない。有言実行も良い。
だが、声高に叫ぶことで自らの功の小ささを糊塗することは恥ずべきことだ。
本当にやることをやれば、黙っていようが自然と周りは頭を下げるし評価する。
評価されていないし、されないという自覚があるから、声高に叫ぶ。
声を上げる体力があるならば、兵書を読め。
言葉を紡ぐ頭があるならば、戦を振り返れ。
「言いたいことは、こうだろう」
「そうだ。私は才能ではお前や華琳様には一段劣るが、そうすることで埋めてきたのだからな」
あまり自己評価を高く見積もらない質の夏侯淵としては、大して努力もせずに己を立てようとする人間を見ると冷笑を禁じ得ない。
何事も曹操という天才に一枚劣る自分自身に冷笑を向け、切磋琢磨して軍才を磨いてきた夏侯淵としては、天才よりもなお侮蔑の対象となっていた。
「誰もが君になれる訳じゃないさ」
「当たり前だ。私は華琳様には一段劣るが、あれよりは上という自覚がある。要は、気構えの問題だ」
呂布は、何もしないでも生きている中でコツを掴み、能力に加算していくことのできる天才。
曹操と夏侯淵は、研鑽と勉学によって己の才能を錬磨させ、一寸の無駄もなく能力に換えていく天才。
そう定義していた李師としては、夏侯淵の自己評価に首を傾げるところがある。
が、努力と研鑽で己を磨いてきた型の人間からすれば、ともすればあの光景は不快に見えるのかもしれなかった。
若手の論功行賞が終わり、幹部格へのそれへと至る。
最後に声を掛けられたのは、他に漏れないようにと小声で会話していたこの二人であった。
「李師。貴方がこの場に居合わせるのは珍しいわね」
やはり驚くのか、少し目を見開き、すぐに戻して曹操は忌憚のない感想を口にする。
これは、本当に珍しい。何か無心でもあるのかと身構えるような気もするが、やっと欲を出したかということが嬉しくもあった。
曹操としては、夏侯淵と李師とを両翼にして統一事業を進めていきたい。
その両翼が仲が良いのは嬉しいことだったが、ひとつ問題がある。
それは、李師の動員兵力が明らかに少なく、格も低いことだった。
彼は降将だったから、諸将の格付けで見れば六位か七位。一方面軍を任せることができない。
強権発動で無理矢理引き上げても良かったが、本人が権力を嫌っているならばどうなのか、と言う悩みもある。
ここで何らかの要求をしてくれれば、その引き上げが強権発動という形を取らずに済むのだ。
「あー、いや、その……すみません」
「あぁ、皮肉ではないわよ?」
明らかに済まなそうに後ろ頭を掻きながら頭を下げる李師に、曹操は鷹揚に対応する。
勝者には敬意を、と言うのが曹操のスタンスである以上、蔑ろにしたりするなどは以ての外だった。
「さて、求める物があるから、ここに来た。そう捉えても、いいのかしら?」
「はい。無心と言うのは恥ずかしながら、約束事は果たそうと思っているので」
時は遡ることほぼ二年半前。
反董卓連合軍と言うものが結成された時、李師は賈駆・華雄・張遼に助力を頼まれたのである。
『董卓を守りたいので知恵を貸して欲しい』、と。
「それを、私は請け負いました。ですが結果を見れば、戦略的敗北を喫して果たせずに終わっています」
「なるほど。それで、無心の内容を聴きましょう」
一戦場では完膚無きまでに勝ったが、蜀軍が手薄な背後から来襲した為に、敗けた。
李師の預かり知らぬところで企まれ、無理矢理に関与させられ、そして終わった戦いである。
「無心は、一つです。私が今回の遠征で上げた功全てを以って、悪名を着せられた董仲頴と賈文和両名の汚名が偽りのものであったと、帝に述べていただきたい。その為の助力と政治工作を、お願い致します」
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