北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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白エビ奇行様、白創様、十評価ありがとうございました。本当に嬉しいです。

キングダムヨーゼフ様、評価感謝致します。


漢の興亡
結成


「どうした、秋蘭」

 

「姉者、声量を落としてくれ」

 

典型的な『頭が痛い』というポーズを取る妹に対し、捕虜解放で帰ってきた夏侯惇は心配そうに問うた。

彼女は、声が大きい。彼女の妹が落ち着いた、声量から言えば小さい方に部類される声なのに対し、夏侯惇はよく通る声をしている。

 

それは軍人としては得難い資質だと言えたが、この際はそれが恨めしかった。

 

一方。

 

「……大丈夫?」

 

「うん、大丈夫」

 

こっちの頭痛持ちは、声量的にも最良にして最優の護衛たる呂布に護られて歩いていた。

 

この頭痛持ちとなった二人は、別に仲が良すぎて頭痛が伝染したとかいうわけではない。

ただ、再開を祝して一杯やっていたら飲み過ぎ、二日酔いに陥る羽目になっただけである。

 

「飲み過ぎとは、珍しいな」

 

「……飲み過ぎ、珍しい」

 

夏侯惇と呂布が、僅かに離れた場所で同じような感想を口に出した時、この二組は鉢合わせた。

 

「……やぁ」

 

「……あぁ」

 

二日酔いの二人が元気なさげな挨拶を交わし、曹操から掛かった招集に応ずるべく足を進める。

二万五千ほどの残存李家軍が二つに分断され、張遼、曹性、樊稠らが第十軍団となり、旧第十軍団の残存兵力と第六軍団とが合併して第六軍団として復帰。

 

今回の招集は、李師が降伏したということを皆に知らしめるとともに、第十軍団となった李家軍のもう半分を李師が率いることの発表式のようなものだと言えた。

 

「これで第十・第十一・第十二・第十三の四個軍団が君の指揮下に入ったわけだが、感想は?」

 

「第十軍団は現在数を減らしている第一・第二・第三軍団の代わりとして、華琳様の指揮下に入る。数は変わらんさ」

 

対李家軍で負った傷は浅いが広い。損傷していない軍はいないと言って良いし、負傷が癒える迄にも時間が掛かる。

目下最大の障害である李家軍を降伏させて冀州四郡を平定したと言っても、すぐさま幽州に進撃できるわけではなかった。

 

「数と言うと?」

 

「質は比べ物にならない、ということだ」

 

旧第十軍団の司令官は荀彧。曹操軍内部の李家軍被害者の会というべき存在の領袖である。

被害者の会と言うからには一度となく敗れていることが条件であり、即ちそれは指揮官として李師より劣ることを示していた。

 

「それほど差は無いと思うけどね。あったとしても、思考の柔軟さの差さ」

 

「ああ、せいぜい泰山ほどの差だな」

 

登ることができたら仙人になれるほどの霊峰と名高い山の名を挙げられ、李師は軽く苦笑する。

別に己が荀彧に勝っていると公言する気はないが、劣っていると言う気にもなれない。正直なところ、かなり与し易い相手だった。

 

「おい呂布、今度太刀合え」

 

「……なんで?」

 

「強くなりたいからだ。お前は私より強いだろう?」

 

「……めんどくさい」

 

「わかっている。毎日じゃなくていいぞ」

 

「……やるって言ってない」

 

それぞれの後ろから付いてくる者達の愉快な会話を聴きながら、李師と夏侯淵は目を見合わせて肩を竦める。

夏侯惇は致命的には恨まれない性格をしているし、よっぽどなことがない限りは他者を恨まない性格をしていた。

 

今まで何杯も煮え湯を飲まされてきたことから、李家軍被害者の会に入っても良さそうだが、彼女はさらりと恨みというものを飲み下してしまっている。

天性がそうなのかもしれないし、恨みや怒りが長続きしない質なのかもしれなかった。

 

その点では、自分に対する好悪の情を『無関心』で貫き通す呂布を除く二人―――李師と夏侯淵の方が、怒りはともかく笑顔の中に他者への嫌悪を溜め込む質だといえるであろう。

 

「恋、太刀合ったらいいじゃないか。大剣の使い手で彼女の程の者はそうは居ないと思うぞ。たぶん」

 

「たぶんとは何だ、おい」

 

呂布とは別の意味で、李師も他者の強さの判別に対しての鈍さがあった。

殆どの人間が自分より弱い呂布と同じく、されど真逆に、彼より強い人間しか見ていないのである。

 

その目は『速い』『凄い』と言う幼児並みの感想しか抱くことができなかった。

夏侯惇は速いし凄い。呂布も速い凄い。よって、どちらが強いかと訊かれれば、彼は頭を捻るしか無いのである。

 

「……なら、そうする」

 

「今日の軍務が終わったらだぞ」

 

すかさず日時を指定してきた夏侯惇の方をぼんやりと見つめ、呂布は一つ頷いた。

 

「ちゃんと来い。わかったな?」

 

「……わかった。待つ」

 

「よし。よし」

 

何故か既に満足げな夏侯惇をちらりと見て、呂布は正面に視線を戻す。

基本的に李師の後ろに付いていき、李師が寝れば隣で寝て、本を読めば本を読む。それが呂布の行動スケジュールだった。

 

いっつも引っ付いているというのは護衛としては完璧だと言えるが、李師からすれば他者とのコミュニティを持って欲しいと思っている。

たが、それは他者とのコミュニティを自分から持とうとしないこの男が心配することでは、断じてなかった。

 

要はいつものブーメランである。

 

「……お前と呂布には、軍務はないだろう」

 

頭に響かない程度の、そして姉が気づかない程度の小声で、夏侯淵はツッコミを入れた。

軍務が終わったらと言うが、李家軍の面々は基本的には自軍の維持をすればよい。呂布の赤備えの維持は、『いつも二人で行動しているなら』と気を使った曹操の配慮で代行の任を授けられた高順がやるので、実質的にこの二人は無役なのである。

 

「恋には騎兵の調練とかがあって、私はそれを見るのさ。別に私に見る義務はないけど、流石に自分の軍は監督する。これが一応の軍務かな」

 

「なるほどな。必要最低限のことは言われずともやるのか」

 

「有事に働くことを条件に給料を貰っている。給料を貰っているに相応しい能力を保有していることを、時々は示さなければ査定に響く」

 

「いつもの怠け癖だと思われて放置されるだけだと思うがな」

 

第十三軍団司令官兼河間・渤海両郡太守。冀州で屈指の豊かな都市である南皮と、彼が一から造り上げた易京を含む両郡から生まれる税収を第十三軍団の維持として使っていいと許可され、李師には司法権と内政権を配下に委譲することが許可されていた。

一軍団一万二千と言う単位の維持と他の軍団の補充という切実な理由で彼の軍が半分に引き裂かれたことを差し引き、過小な表現を使っても、破格の待遇だと言える。

 

まあ、内政権は劉馥や韓浩にぶん投げ、司法権は賈駆に任せてしまい、軍権は趙雲に任せているから彼はいつまで経っても無役だった。

 

そんな話を交えつつ、夏侯淵と李師は曹操軍の仮の大本営となっている方城の広間へと足を踏み入れる。

方城は守護天使が勤労意欲に目覚めた審配が夏侯淵の猛攻を耐え抜き、ついぞ抜かせなかった易城の北にあった。

 

李師の領土となった河間郡ではなく、既に涿郡に位置しているこの城を態々攻め落として大本営に選んだことにも、曹操の気遣いが見て取れるであろう。

要は、『保証したことは守る』という、些か過激な意思表示だった。

 

「あなたが居ない公孫瓚軍は、些か以上に腑抜けて見えるわね」

 

方城の広間に設置された大本営に足を踏み入れ、諸将が集まってからの一言目が、これである。

この一言を最初に持ってくるあたりに、曹操の気質が伺えた。

 

「不意を突かれたのでしょう。易京が抜かれるとは、思っていなかったでしょうから」

 

「まあ、固定観念ほど恐ろしい物はないということかしら」

 

「固定観念を覆せば容易く裏をかけます。敵が持っていれば有り難く、味方が持っていれば崩すべきです」

 

方城を守っていた田偕の醜態は、李師をよく知っている夏侯淵にすら『こいつ等本当にあいつと同じ公孫瓚の部下なのか?』と疑念を抱かせるに充分な物だった。

ともあれ、李家軍の力を借りることなく、易京と同じく『城』というものにカテゴライズされる建造物とは思えないほどに容易く方城は陥落させられている。

 

「―――では、李仲珞。あなたを河間・渤海両郡の太守に命じ、その権限を部下に委譲することも認可します。更には易京駐留軍団を正式に我が陣営に組み込み、第十三軍団とする。戦乱を最効率で収める為、普段の働きには期待しない分、有事の際には励みなさい」

 

「謹んで拝命します」

 

「当分は北方新領土の総督たる夏侯妙才の指揮に従うように」

 

簡素に過ぎる儀礼の後に、軍司令官の印である印綬を受け取り、李師は正式に十三人の軍司令官の一人となった。

ここからは、ただの作戦会議である。

 

「任命式は終わり。作戦会議をはじめるわよ。桂花」

 

「はい」

 

大雑把に地名が記され、筆で大雑把に勢力分けをされた地図が卓上に広げられ、四隅に重石が載せられた。

曹操は、元々任命式などする気はなかった。任命する旨を書簡に書いて、印綬を使者に届けさせて終わり。態々呼びつけることもないし、それで良いだろうと思っていた。

 

しかし、作戦会議が開く必要に迫られたこともあり、ついでに任命式を行った。

謂わば、本来ならばそれだけで一儀式になりうるそれは、前座にされていたのである。

 

「易京が陥落したことを知ったのか、荊州勢力が北上を開始しました。宛から出陣して、一路許昌へと向かっています」

 

宛から許昌へ。北東にひたすら進めば到達するだろうし、ただ移動するだけならばこの方城から南進して許昌へ帰るよりも早く敵が許昌へと到達する。

この軍に対して如何に対処するかが、目前の敵の対処よりも急務だった。

 

「北と南で牽制するのが、大領土故の距離の暴虐を活かす上でも、敵の戦力を集中させないと言う戦略的にも最も有効だ。これまでもちまちまと牽制してきてはいたが、いよいよ拙いと思って仕掛けてきた、というわけだろう。

数は?」

 

「わからないわ。大軍、とだけ」

 

不特定の敵の兵力に頭を傾げる十二人の指揮官と一人の参謀と、一人の君主。

その悩みにかかった霧を払うように、李師は相変わらずの姿勢の悪さをキープしたまま挙手し、発言の許可を得てから口を開いた。

 

「敵の動員兵力は六万。荊州の軍が総勢八万だから、ほとんど全軍だと言えるだろうね」

 

「何故わかる?」

 

「私もただ寝て過ごしていたわけじゃない。諜報網を河北から江東や巴蜀に敷き直したりと、色々有事に備えているのさ」

 

夏侯惇の問いに手早く答え、李師は昆陽の地を指差す。

思わず、と言うか。相変わらず心理誘導に卓越した腕を持つこの男の動作に、十四人の視線がその地名に集中した。

 

「敵は昆陽・舞陽・定陵の三城を点として、それを繋いで面に。これを占領したと見ている」

 

「点のみを攻め取るのでは、反撃にあって負けた時に崩れるのが速い。しかし、面にすればある程度強固な抵抗ができる。こちらが反転してくるのを敵は待っている、ということかしら」

 

敵の作戦目的は、あくまでも公孫瓚勢力の救援である。

放置しておけば許昌を突かれるから引き返すのは仕方ないとして、この場合は敵が何を思っているか、どう敵を崩すかが重要だった。

 

「はい。故に、この場合は奪還の手を伸ばすのではなく父城・臨潁・西平に兵を送って三点で囲み、面に延ばして糧道を断つ。面をより大きい面で囲み、敵の作った面を浸食して点としてしまえば、戦わずして三城は我が方に帰す訳です。敵はそれを防ぐには三城の何れかを陥として他の二点を点に戻さなければならない。

つまり、我が方としては西平と父城に堅守を命じ、臨潁に全軍を集結させれば良いのではありませんか」

 

「西平と父城を攻められたら?」

 

「城というのは一日二日で陥ちるものではありません。西平か父城を囲んだ時点で敵の面を構成していた兵力が崩れるので、定稜を攻めても邀撃されることはない。更に索敵を密にして敵の伏兵を警戒すれば、むしろこの城を餌に敵を誘引できます」

 

この時点で曹操の優遇しすぎの人事に不満を持っていた人間も、地図を見ただけでさらさらと作戦が出てくる李師の戦才を認めざるを得なかった。

 

彼が喋っているのはあくまでも戦術だが、その洞察の鋭さと対策の迅速さは目を見張る物がある。

 

喋りすぎた、と悔やんでいる男を除いて、他の諸将はその作戦案の是非を真剣に討議していた。

 

「何故、李師殿はこの地図を見ただけで敵の基本戦略がわかったのですか?」

 

「敵の軍師は水鏡女学院出身の二人でね。この面占領は、私が秦の応侯の戦略を戦術に補修して、水鏡先生こと司馬徳操に教えた物なのさ。

まあ恐らくは、その短所も長所も使いどころも、私が一番よく知っている」

 

軍議は、一決した。




孔子に論語
自分より精通している人にわざわざ教えること。
類義語:釈迦に説法

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