北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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群星

烏丸の族長丘力居は、その文をたしかに受け取った。

黙したままさらさらと読み、その鬼謀にある種の畏敬すら感じた彼は、ある一点で目を止める。

 

整然とした理論と理屈、予測で紡がれた文章の末尾は、非常に私事的な物で締められていた。

 

『まだ墓はあるか』、と。

 

彼は少しその削れた墓石の下で仲良く眠っている二人のことを考え、目を瞑る。

 

事務と責務による返事を書く彼の脳裏には、見事な赤毛が残っていた。

 

奴のやる気というものをなくしたことに関しては、あの二人は歴史を変えたのかもしれない。その生に意味があったかはわからないが、少なくとも役割はあったのだろう。

 

どこぞの怠け者の如き考えを頭の片隅で行いながら、丘力居は手を止めた。

 

彼の返信が着いた三日後、都合よく檄文が発せられる。

 

冀州に残存戦力を結集させた黄巾賊と、決戦を行う。諸郡の太守は兵を率いて諸州の刺史の下に集い馳せ参じよ。義勇兵、正規兵問わず国を憂いる者達の加勢に期待するところ大である。

 

名義は、典軍校尉の曹操。既に俊英を謳われている傑物であった。

 

未来の英雄豪傑、数多の将星が一堂に会したと言われるほど豪華な面子を集めての決戦は、こうして幕を開けることになる。

 

「伯圭殿、筮竹も占卜もできない私がするのも変ですが、一つ予言を残して行きましょう」

 

そういう類の物を全く信じていない彼が、別に大したことでもないような温和さを持つ声色で言うと、得も知れぬ諧謔見があった。

何と言うか、一事が万事お前が言うなと言わせられる男なのである。

 

「聞かせて欲しい」

 

「別に大したことではありません。冀州同様幽州でも烏丸族を巻き込んだ喧嘩が―――そうですね、張角の代わりに張純という女性を旗頭にして二ヶ月以内に起こります」

 

眠気を堪えているような穏やかな眼に、片方はだらりと、もう片方は頭に添えられた手。

その姿は、喧嘩を予言するには相応しい緩さと怠さを持っていった。

 

「喧嘩ぁ?」

 

「ええ、十万人単位の」

 

到底、叛乱を予告したとは思えないほど軽い発言に、公孫瓚は絶句する。

というよりも、十万人単位の喧嘩と言う発言を呑み込み、理解するまでに時を要したといったほうが良いかもしれない。

 

ともあれ彼女は、ド肝をぬかれた。

 

「喧嘩って、叛乱じゃないか!?」

 

「そうとも言います」

 

「ど、どうすればいいんだ?私が冀州に行って、お前が残って対処するか?」

 

公孫瓚は、当然の如く焦りを見せる。

この背後には、冀州で黄巾賊との決戦があるが故に各地の太守は兵を纏め、或いは預けて参集するようにとの典軍校尉曹操からの通達が行われたことが背景にあった。

 

典軍校尉とは所謂西園八校尉に於ける一員であり、序列としては四位に当たる。

一位から三位までが前線に出るわけもない宦官の蹇碩、実質の現場の長である虎賁中郎将袁紹、現在董卓と共に涼州で戦っていた鮑鴻であることを考えると、自然これまでの冀州・潁川方面の対黄巾賊総司令官であったのは袁紹。そのブレーンというかブレーキ役は序列三位が辺境に行っている以上、曹操だったであろうことは容易に想像がついた。

 

つまり、この通達は曹操が献策し袁紹が認可した正式なものであることがわかる。

 

それまで己の地が叛乱の震源地ではなく、余震すら感じなかった他の郡太守を含む者達は無視して日和見を決め込んでいた。

しかし今回の一手で、彼等は穴蔵から出てこざるを得なくなったのである。

 

幽州は『内部が乱れている今、烏丸鮮卑ら異民族がなだれ込んでくるかもしれない』という尤もな理由で傍観していた。

これには黄巾の乱が起こった直後に叛旗を翻した馬一族と羌族という実例があったから、かなりの説得力がある。

 

だが、その説得力の裏の本音には、『ただでさえ疲弊しがちな戦力をすり減らしたくない』という私心がないとは言えなかった。

戦略的には兵力を内部の叛乱を鎮圧することに注力させることがよろしかろうが、そんなことなど見ている暇がないほど一部の最前線にいる太守たち、兵たちは貧しかったのである。

 

では、遼西はどうか。これを語るには先ず、黄巾の乱に際して戦場と鳴った潁川郡から大量に知識人、人材が逃げ出したことこそが重要だった。

 

逃げ出した人材は、徐州や荊州に逃げる。だが、徐州はともかく荊州も叛乱軍が蛮居していて気が気でない。

そこで知識人たちは一様に震源地である冀州を通って北を目指した。

 

そこには、清流派の源流とでも言うべき登竜門の孫が居り、なおかつ彼は征北将軍として民を一人も敵の凶刃にかけることなく撤退させ、二十万人を三万で破った名将と言うではないか。

人材たちは遼西に向かい、そこで呑気に平和を謳歌している李師を見、やけに腰の低い君主を見た訳である。

 

公孫瓚の遼西は、丘力居の烏丸と対しながらお互い様子見の体を崩さないからある程度マシな、つまり内地の一郡と変わらないような財政だが、彼等を得てから精力的に財政再建と費用の無駄の削減に取り組んだ。どんぐりの背比べだった一郡は、他に酷いのを探せばすぐに見つかる程度まで発展したのである。

 

隗より始めよとばかりに手を出した奴が楽毅だった、と後世笑い話にされた公孫瓚の内政面の人材は、充溢した。

 

この内政に優れた人材等は袁家の治める渤海郡に見向きもしなかったことが後世疑問視されているが、それは誰かが動いたのだろう。

 

証拠が無い為に立証することはできないが。

 

長くなったがつまり、公孫瓚の遼西郡は財政状況がマシになってしまったばっかりに出兵義務を負ってしまったのである。原因を作った奴は嘆いていたが、そんなことは知ったことではない。

 

「……で、落ち着かれましたか」

 

「ああ」

 

「つまるところ、私は適当に黄巾の乱を鎮圧せねばならない。伯圭殿は叛乱を鎮圧せねばならない。そういうことです」

 

ここで一つの疑問が生じた。

この男、さきほど言っていた。『張角の代わりに張純を』、と。

 

「張純を捕まえてしまえば解決するじゃないか」

 

「なんの罪があって?」

 

「叛逆しようとしてるんだ。探せば証拠なんかあるだろうし……言いたくはないが、この国は冤罪でも人を殺せるような緩さがある。殺せとまでは言わないが、拘禁くらいは妥当なんじゃないか?」

 

一般論である。

叛乱を起こさない為には起こす本人の首を斬ればいい。

 

それはまあ、その本人が抱いた叛意が叛乱と直結するのならば、正しいと言えた。

しかし、これは違う。漢という国の失政が、叛乱を後押ししているのである。

 

「まあ、それはそうですが、これは私の推論でしかありません。

それに、それでは庭の草を引き抜くのに倦んで根を残して切ったようなものです。張純と言うのは謂わば時代と言う暴れ馬に跨らされた騎手に過ぎません。張純が捕まると叛乱が起こらないというのは、等号で結ばれることはないでしょう」

 

「そ、そうかな?」

 

「はい」

 

ポリポリと頭を掻いているような、しかも到底軍師や将になど見えない人間にそう断言されても説得力がないに等しい。

だが、公孫瓚はサラリと信じた。この素直さが彼女の美点でもあり、欠点でもある。

 

「……えー、そうだ。何で張純が叛乱を起こすってわかったんだ?」

 

「昨年の、韓遂と辺章の乱。あれで彼女は名誉を傷つけられました。だからです」

 

彼の予想は、三種の情報を多く基盤にしていた。

 

一に、出来事。二に、環境、三に性格。出来る限り集め、想像で補填したこれらを以って彼は予想を建てている。

 

「名誉を傷つけられただけで、叛乱までいくかな」

 

「彼女は己の才能を誇り、それを恃むに大なるところがあると聴く。よって彼女にとっての名誉というものは私や貴方にとっての名誉とは意味、存在そのものが違うと考えられる」

 

それに、現在の漢には叛乱を望む気風があった。彼女が最初にその気を懐かず、ただ気を苛立てるだけであっても周りがそれを広げ、導くだろう。

 

「……名誉を馬鹿にするわけではないが、己の才能と沽券を実績ではなく武力でもって示そうとするのは、些か以上に馬鹿らしいな」

 

「伯圭殿。戦争が起こる理由は、九割がた同じなんだ。わかるかい?」

 

「……偶発的なものと、いうことか?」

 

「それもある。が、それは原因であり理由ではない。つまり、私の言いたいのは戦争と言うものは『九割がた後世笑われるような理由で起こった』ということさ。つまりこの黄巾賊の蜂起自体がそうだ。黄巾の乱自体が、舞妓を偶像とする信者たちの為に起こりました。とは書けないだろうし、時代がそうさせたとはいえ、事実としてはそうであるわけだからね」

 

彼がここで言葉を濁したのは、或いはそれが死者に対する嘲弄であるかも知れない。

誇大妄想や、野望。そのようなものの為に何万にも殺すなど、笑われてしかるべきだという認識が彼にはあった。

 

しかし同時に、それに乗せられて死んだ兵士たちにも思いを馳せてしまったのである。

 

「舞妓?」

 

そんなことは初耳だった公孫瓚は、思わずといった様子で訊き返した。張角と言えば何やら聖人・異能者めいた強さと医術を持った女だと言うではないか。

 

自然その容貌は多分に仙人的な脱俗の混じったものを想像していたのだが、舞妓であればもっと華やかで俗な印象を受ける。

 

「そう、舞妓。彼女等は漢に対する反抗心などさほどない。ただ間と時代が悪く、世論という羊を導く牧童になってしまったのさ。

勿論、導いているのは牧童自身ではなく道と言う名の時代の流れだが」

 

止まろうにも道そのものが動いているので引き返すことができず、逆走しようにも世論と言う羊が己の後ろについて来ているが故に難しい。

彼女等三人に許されたのは破滅の道を進み続ける、それだけだった。

 

「……じゃあ、巻き込まれたのか?」

 

「わからない。人望があったらすべからく国への叛逆や変革を期待され利用されかねないほど失政を積み重ねたこの国でも、本人が断り続けている限り、これほど武闘派な集団蜂起は起こらないだろうし―――一言くらい言ったかもしれない。言わなかったかもしれない」

 

人格という細部までわからず、情報が職業と環境に留まっている以上は、細かい発言や思考など言行録でも掴まない限りはわかりようはずもない。

予測はできるが、それはあくまで予測の範疇から出るものではないだろう。

 

「じゃあ、子龍を此処に置いているのは」

 

「一応、念の為と言ったところかな。あちら側に万夫不当、一騎当千の猛者が居るとも限らないし……彼女もその旨を話したら了承してくれたことだしね」

 

こうして彼は、策の詳細を一本の竹簡にまとめた物を公孫瓚に託して曹操発案人材閲覧会場となった冀州の本営へと出征した。

これからの天下を騒がせる数多の将星が集う中、黄巾賊側も張角・張宝・張梁を総大将に、一度は官軍を大破した波才を実戦部隊の長にし、荊州南陽から張曼世率いる主力部隊、他に徐・青の二州からも各部隊を集結させんとする。

 

天下に数多生まれ落ちた英雄豪傑たちが、今まさに集おうとしていた。


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