北の盾たる己が身を 作:黒頭巾
易京という都市は李師の持つ軍事的な防衛思想を経済面に貼り付けるようにして作られていた。
即ち、道の幅はちょうど全軍に等しい三万から四万の軍を展開するのに適したものであり、元々地の利は防衛側にある。
ここを目一杯に使って包囲を防ぐように布陣したのは、夏侯淵が進発してすぐのことであった。
「もう少し時を待ち、夏侯淵の別働隊が本隊と距離を離してからにした方がよいのではありませんか?」
常識的な献策を行ったのは、田予である。
彼女の言うことは尤もで、純粋に勝つことを目的にしているならば極めて真っ当な意見だった。
それが夏侯淵が相手でなければ、という前提が付くが。
「妙才は三日で五百里、六日で千里を駆ける疾風の名将だ。なるべく早くこちらの戦局を打破しなければ拙いことになる」
「ここを無視して迂回路を取るならば、最初に迎え撃つのは笵陽の郭図、胡安の逢紀、易城の審配ですが……」
審配。姓が審、字が正南、名が配。袁家の三羽烏―――というよりは三馬鹿とでも言うべき郭図、逢紀と共に、張郃、田豊、沮授らとの折り合いが悪かった袁家の佞臣である。
だが、袁家最後の砦とも言うべきこの易京要塞に来て以来、高覧曰く『どこかで落馬でもし、打ちどころでも悪かった』のかと思われる程の変貌ぶりを見せていた。
その変貌ぶりを見せてからあげた実績で公孫瓚領の冀州四郡を統括している彼女ではあるが、内政手腕には疑問符はつかない。同僚たちからは懐疑の眼差しで見られているし、その前に信じられないことに、という言葉を付けるべきだが、公正で廉直であり、私財を擲って民の為に尽くしている。
だが、それを補って余りある負の実績を、彼女は持っていた。何せ一度は主家を滅亡させているのである。
それが全て審配の所為ということではないにせよ、その内の何割かは確実に彼女の所為だった。
「どうにも信頼できない迎撃先ですな。審正南殿は郭図・逢紀等と組んで袁家で好き勝手に振る舞った方です。鄴を守っていた時は夏侯妙才殿の電撃戦に敗れております。
内政手腕はともかく、人格と軍才において的確であるとは思えませんが、主はどう思いわれます?」
「さぁ。審正南からは、一応『多勢に無勢の場合は降伏しますので援軍は無用』と言う書状が来てるけどね」
李師からすれば、この書状の存在が解せない。態々わかりきったことを一々通達することを彼は望んていないし、他の城将に対しても『死ぬまで戦う、なんて考えなくていい』ということを口頭で伝えている。
どうにもこの一枚の書簡が、彼には解せなかった。
「事前連絡とは、結構なことで」
明らかな苦笑と皮肉の色が濃い笑みを浮かべ、趙雲は三叉の槍をくるりと廻す。
何だかんだで義理堅い性格である彼女にとって、守れと命ぜられた城を明け渡すなどはただの背信行為でしかない。
少なくとも、彼女にとってはそうだった。
「いや、降伏自体は正しい判断だ。勝てない戦いなどするもんじゃあない。というより、城将が勝てない戦いと見て降伏した場合、その責任は上司である私と、そのまた上司である伯圭との責任にあるのさ」
「と言うと?」
何だかんだで根はいい人な趙雲は相手を見定め、認めて忠誠を誓ったからには主に対して信義を重んじる漢的な思想を持っている。
故によっぽどなことがない限りは城将の降伏は城将の裏切り行為であり、器量や心根的にも決して褒められたことではないと思っていた。
「そりゃあ負けるような戦いしなければならない状況まで手をこまねいてみていたからに決まっているだろう?
この場合は援軍に割く兵力がない状況にまで追い込まれた私が、そもそも最初に城将たちを裏切っている。君の言い草は、珍しく正しくはないな」
「でしょうかね。貴方の思想は都合の悪い部分を他人に適応せず、都合の良い部分を自分に適応していないように見えますが?」
自分も同じ状況だというのに、まだ一応の義理を果たす。彼の論理を彼に適応すれば、こんな不利なこと極まりない戦いなどしなくて良いはずだった。
他人にとって都合の悪い部分は見逃し、自分にとって都合の良くなる部分は棚に上げる。
怠惰で堕落を好む割りには自分に厳しい、というよりは他人に甘いのが彼の人格的な特徴だった。
「矛盾していると言われ続けてはや十年。一貫性がない男だと言う、自負はあるんだ」
「まあ、よろしい。しかし、貴方は個人としては明け透けで人が良すぎますな。公人としては褒められるべき所もあるのですが」
「ありがとう」
「私は褒めてはおりません」
いけしゃあしゃあと礼を言ってくる脇の甘い男に対して、趙雲は皮肉気な笑みと真剣味とを撹拌したような表情で窘める。
「降将に対するおおらかさも程々にした方が身の為だと言わせていただきましょう」
袁家からの降将である張郃・高覧・淳于瓊・郭図・逢紀・審配。この六人が指揮する軍に単身で、更には丸腰で閲兵に望んだのはその無警戒さの現れだった。
張郃・高覧・淳于瓊は一旦降った以上は信任を得るべく奮闘する型の人間であり、郭図・逢紀・審配はその度胸と謀叛気がなかったからこその無事だと言える。
しかし、目下北進してくる曹操の最大の敵であろうこの男の首を持って投降しようと考える者も居るかもしれなかった。
その可能性を考え、思いつけるだけの頭を持ちながら見て見ぬふりをするのが、保身や護身に無関心を貫いている彼の特徴であろう。
「まあ、私の私事などどうでもいい。最初は攻勢をかけることになる」
「主にとってはともかく、他の者にとってはどうでもいいと言いきれるものではないと思いますが……まあ、よろしい。まともな指揮振りに期待させていただきましょう」
この時の李家軍には、地の利があった。彼等は全軍を余すところなく展開できるのに対して、敵は二分の一ほどしか展開できない。
結果的に戦う兵数は一対一となった訳であるが、李家軍には予備兵力と言えるものが西門から出撃させて予め伏せておいた華雄・淳于瓊の五千ずつしかないのに対し、曹操軍は四万ほどの潤沢な予備兵力があった。
「敵、動きません。どうなさいますか?」
「まあ、そうだろうね」
田予の報告を受け、李師は帽子を頭から外して首の辺りをパタパタと仰ぐ。
敵にしてみれば、夏侯淵が薊を直撃するまでの時間を稼げれば良い訳であり、戦略的勝利は既に得ている。
ここで要塞内に引き篭もっていた敵を撃滅しに動かないという決断を下せることに、曹操の戦略家としての手腕があらわれていた。
「後の先は、取れませんようで」
「だが、敵も先手は取れなかった」
曹操は果断速攻の用兵家。
李瓔は巧緻鉄壁の用兵家。
攻めを得意とする者が守り、守りを得意とする者が攻める。易京攻防戦から続いた野戦は、互いの得手を封じる形で幕が開いた。
「どうします。主は攻めは苦手でしょうに」
今回も本営の統率を務める趙雲が、事前に予想立てがあったとは言ってもやはり苦しい現状を口に出す。
李師は、守りが巧い。どちらかと言うと攻めが下手。
この噂が色々拡大解釈された末に広がり、彼が攻めには精細を欠くことは敵も味方も周知の事実だった。
「私は攻めは苦手だとは一言も言っていないよ。曹兗州殿より倍する兵力差があれば、打ち崩せるさ」
「三分の一の手駒では?」
「打ち崩せないだろうね」
「情けないことを仰らないでほしいものですなぁ」
「別に勝てないとは言っていないさ。勝機は、あることにはある。
副司令官」
李師が田予に声を掛けた数瞬の後、綺麗な鶴翼の陣形を維持したままに李家軍は三倍の敵に対して進軍を開始する。
相変わらず易京道の幅を目一杯に使っていて、綻びがない。
「包囲してしまうのは、無理そうね」
「はい。見事な部隊運用です」
その綻びの無さに感嘆の息を吐いたのは、曹操だった。
彼女は奇攻を得意とするが、奇攻とは用兵の正道を無視することではないと知っている。
故に敵の進撃を誘い、その両翼に綻びが生まれればその部位を一気に突き崩して包囲してしまうつもりだった。
「敵、停止。重歩兵を盾に、弩兵を内にして射撃を開始するようです」
「迎撃せよ」
心酔している相手に対しての態度と、軽蔑している生物に対しての態度とでは天と地ほどの差がある荀彧からの報告に、曹操は短くそう命令する。
中盤の混戦ならばともかく、序盤の射撃戦では自分が一々口を出さなくとも現場で対応可能なことだと、彼女は判断していた。
「華琳様。暫くはこのままに?」
「ええ。敵が動きを見せるまでは、このまま戦闘を続行。消耗戦になればこちらの勝ちとなることだし、無理に動くことはないわ」
向こうは一人が三人を倒さなければならないのに対して、こちらは三人で一人を倒せば良い。
敵味方共に犠牲が等しくなる射撃戦は、彼女も望むところだった、が。
(敵がわかっていないはずもない、わね。何故速攻を掛けないのかしら)
速攻では守りに入った自分に勝てないと踏んだから、消耗戦を嫌ってこちらから仕掛けることを強いているつもりなのか。
或いは、前面に意識を集中させておいて伏兵で横撃を喰らわせるつもりか。
彼の軍歴は『圧倒的に多数な敵軍に対する領地防衛』ではじまり、それに終始している。攻めが下手というよりは、経験が浅いのだろうか。
(一流の敵を相手にするにはやはり、ここまで悩まなければならないのね)
まさかただの消耗戦を始めたというだけで勘繰らねばならない敵と相対せるとは、思っても見なかった。
それに、自分が敵の長所を潰す為に己の長所を捨てなければならない羽目になるなど。
そう思った曹操の眼に、二万から三万ほどの黒い雨が眼に入った。
「敵の面火力は横並びに並んだ敵が斉射してくるとして精々八千、こちらは連弩を使えばその四倍の三万二千。次発装填の速さで六万四千。
敵に矢の雨を降らせてやるんや!」
張遼の右翼から始まった射撃は中心の呂布隊、左翼の張郃隊と連動していき、合計で三万本を越えようと言う量の矢が降り注ぐ。
後の一戦を除けば先を考える必要が全くない李家軍の、『盾を構えねば歩けもしない』と謳われた連弩の猛撃の始まりだった。