北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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決戦(序・趙)

易京要塞。

十五本の望楼による監視によって敵の位置を多角的に把握し、城壁上部に開けられた一万個の弩口による一斉射撃で殲滅することを作戦思想として造られた完成した要塞である。

 

攻勢防御とでも言うべきこの思想は、中に強力な機動部隊がいることで更に効果を発揮した。

敵が射程から外れても、迂回してからの強引な突撃による押し込みによって無理矢理要塞に備え付けられた一万の弩を無形の戦力として扱うことができる。

 

攻城兵器に対しては八門備え付けられた弩砲で破壊することが可能な為、正しく難攻不落と言っていい決戦要塞だった。

 

「この要塞は難攻であるし、今のところは継続して不落だと言える。何故だかわかるかい?」

 

作戦会議の議場で、李師は軽い口調のままに諸将に問う。

また来たのかよ、というげんなりした表情は、そのままであるが。

 

「未だ攻められたことがないから、でしょう。攻められないものを、陥させるわけがありませんからな」

 

「その通り」

 

命からがら、というわけでもないが、そこそこ手痛い被害を与えられて逃げ帰ってきたというのが―――兵たちは勝ち逃げだと思っているが―――李家軍の最終段階での現状である。

一年間たっぷり掛けて再編を終え、更には働き詰めだった身体と脳を休め、李師は再びその怠惰に傾いた活力をとり戻していた。

 

夏侯淵の進言で、曹操軍は更に万全を期すことに、即ち負った傷を療養した後に再び攻めることになったのである。

 

このモラトリアムを利用して李師側も志願兵を募って兵を補充し、その兵力を常備上限たる三万にまで回復させることに成功していた。

 

「敵はまあ、一回は正当に攻めてくるだろう。何せ防諜を徹底させているし、攻められたことがない。情報を得る為にも、必ず一度仕掛けてくる」

 

「そこで手痛い一撃を加える、と」

 

「そうだ。どうにも伯圭から指示が途絶えがちだから明確な行動指針を打ち出すことはできないが、そうなる」

 

侵攻が不可能なだけの損害を与えて撤退に至らしめるか、兵站線を切断して敵を撤退に至らしめるか。

目指すところは一つだが、通る道を選ぶのが彼の仕事だと言える。

 

実際に、一度は前者の案を採用して撃退した。

これは運の要素が強かったとは言え、間違いのない事実である。

 

「敵の大将、曹孟徳は士卒の心を得た名将だ。万が一ここで討ち取ってしまえば、多くの者がここを怨みの場所とするだろう。後継者争いを誘発するより先に、家臣たちが『仇を討つまでは』と結束してしまうこともあり得る。だから吾々としては、曹孟徳を討つことはできない。長期的に怨みを持たれるようなことをすれば、どんな手で来るかわからないからね。

と言っても、いざ攻めてこられるまでは勝つ算段などつけようもないわけだが」

 

「では、捕虜はどうです?」

 

「そちらはいい。しかし、出来るとも思えない。だから私としては義理を果たす為に、大量殺戮に勤しまねばならないわけさ」

 

後方から指示が飛んでこない以上は、彼としてはここで抗戦しておくしか選択肢がない。勝手に捨ててしまえば取り返しが付かないし、決定が遅れるのは連合制を敷いている以上はあり得ることだ。

遅れているからといってどうこう文句を言えたことではないが、彼としてはさっさと降伏してもらいたい。

 

降伏する為にもさしあたっての勝利が必要な訳だが、それは良い。しかし何の展望もないまま無為に兵士の命を散らすようなことは、彼の本意ではないのである。

 

勿論『万が一』には備えているが、もはやその『万が一』が起こったとしても不思議ではない。

 

「それにしても、この世の中には酔狂者の多いことだね。これから始まる戦いは私が仕える主の身の安全を保証させるための戦いだ、と言っても誰一人として逃げようとはしないんだから」

 

「公孫伯圭殿も、為政者としては有能です。更には貴方は名将だ。命を懸けるには相応しい存在に見えることでしょうよ」

 

六分四分で降伏し、公孫瓚とその一門にとって有利な条件で降ることを容れさせるのが彼の役割だった。

とかく既得権益を破壊し、旧権力者の残滓をも一掃するような曹操のやり口の矛先が公孫瓚に向かぬように、確約させねばならない。

 

「戦う前から降伏が決まっている、だのに戦わせなければならない。私は恐ろしいほどの愚行を強いているのだと思う。いや、戦争そのものが愚かしいんだけどね」

 

「世の忠臣という存在がやってきたことは、いつもそれです。少なくとも後世の人々は、その戦いを馬鹿馬鹿しいとは思わんでしょう」

 

たった一人の命が、この冀州四郡と幽州の民と兵の暮らしを支えてきた。その命の持ち主は確かに苛烈なまでの決断力に欠ける所があったが、それは事実なのである。

 

その支えてくれた命を守り、安全を保証させる為にはなんとしても勝たねばならなかった。

外交折衝という方法もあるが、そうすれば必ず豪族たちは吾々を守れと口喧しく言うだろう。

現にその『現状維持のままなら降伏する』というふてぶてしさすら感じられる文言を、曹操は一蹴した。

 

李師は公孫瓚に義理を感じているが、今まで反目し合っていた豪族たちをも守ってやろうとするほどお人好しでもない。

 

勝った後の交渉で、一応問うてみようとは思っていたが。

 

「戦い、勝ち、降伏する。最低でも硬直状態に持ち込み、この要塞を堅守せねばこの工程は踏めないだろう」

 

「まあ、公孫伯圭殿は他人より多くのものを背負い込みながら捨てることを知らない御方ですからな。吾々としても見捨てる訳にもいかず、難儀なことです」

 

豪族たちが主導権を握っている以上は無理からぬことだが、外交に全く頼ることができないのが李師としては不満でもあり不安でもあった。

既得権益を持っている人間からそれを奪おうとした時の抵抗と執着は持たぬものから見れば軽蔑と言うよりも滑稽味すら感じさせるほど慌てふためく。

 

そしてどんな手段をとることすらもいとわなくなるのだ。

 

「親の代まで持っていた権益を手放すのがそんなに悔しいのか。妙才辺りならばそんなことを言ってあっさりと否定しそうなものだが、私としてはわからなくもないね。誰だって元から持っていたものを、手放したくは無いものだ」

 

「しかし、守ってやる気もない、と」

 

「ああ。別に私は豪族の既得権益の擁護者ではなく、この乱世で多少なりとも平和というものを感じさせてくれた公孫伯圭殿の身の安全を確保する為に戦うのさ」

 

惰性で戦っている訳ではなく、一回勝って降伏に条件を捩じ込む余地を作り、後はさっさと降伏する。

最期まで殉ずるなどという気はさらさらないし、配下を殉ずるなどという馬鹿げた自己陶酔に付き合わせる気もない。

 

撤退に追い込めればよかったが、それもかなわないならば各個撃破によってこちら側の手強さを見せつけ、その後に曹操自身を破って『このまま攻めれば犠牲が募るばかりだ』とわからせれば、彼としては良かった。

 

続いて発言したのは、情報統括を一手に引き受ける周泰である。

 

「敵軍は流石に全てを元通りにするとは行かなかったようで、第六軍団(鍾会)と第十軍団(荀彧)を統合して新生第六軍団とし鍾会を司令官に、第十軍団司令官の荀彧は第十一軍団の司令官になりました。

こちらに向かってくるのは第一・第二・第三・第六・第七・第八・第九・第十一・第十二の九軍団。総勢十万八千と推測されます」

 

兵力差、実に三倍。指揮官も一流揃いで二流とよべる指揮官は居らず、しかも雪辱に燃えている人間が二人もいるのだ。

 

「本懐だな。吾々はそこまで評価されている、と言ったところか」

 

「……やり過ぎ、た?」

 

珍しく普段の口調に戻った華雄と、ぽけーっとした様子のままに首を傾げる呂布に、緊張はない。勝たないまでも負けない戦い方をできる指揮官の元で働いていることが彼女等の揺らがぬ士気のものとなっている。

 

作戦会議と言っても、実質的には発表の場であることがこの二人の内面の信頼に表れていた。

 

「副司令官。教本を配っていたが、いつでもできる程度には、なっているかな?」

 

「ご命令とあらば、いつでも出来るようにはしております。貴方の司令の元戦い、私も最近ようやく部隊運用に自信が持てるようになってきました。期待には、応えさせていただきます」

 

田予の落ち着いた声が僅かに誇らしげな、そして半分程冗談の色を帯びている。

部隊運用の天才というべきこの人材が居なければ、李師の起こしてきた奇功と勝利は鮮やかさと光輝を失っていた。

 

あるいは、負けていたかもしれない。

 

「麴義、君には防衛戦闘の指揮を執ってもらう」

 

「任せていただきましょう」

 

「子龍と張文遠殿は出撃に備えて要塞内で待機。儁乂殿と淳于仲簡殿も同じく待機していただきます」

 

歩兵指揮官としても弩兵指揮官としても優秀な能力を持つ冀州出身の二人は守城・攻勢に加わることができるように待機させ、退却戦が巧い趙雲と速度に破壊力を乗せた攻勢に定評のある張遼が逐次に突出して敵を悩ませる機動戦力。

 

「はっ」

 

「お任せを」

 

「引き受けましょうぞ」

 

「任しとき」

 

最も破壊力を有す二隊の所在は、未だ明かされてはいない。

 

「……嬰、恋たちは?」

 

「君たちには一日目の戦闘の後に東門・西門から出撃し、敵の左右に回り込んでくれ。主として、二日目に働いてもらうことになる」

 

軍議内の内容としての大半を占めるそれぞれへの役割分担を終え、李師は常日頃から悪い姿勢を正しく整えながら頭の上に乗せた帽子を取る。

 

「元々、戦略的には勝ち目のない戦いだ。吾々としては戦術的に勝利を重ね、多少なりとも条件をつける余地を見出す。敵はこの易京が陥ちなければ、私が利用した并州からの道を使って別な方向から侵攻してくることだろう。

先ずはここで勝ち、別な方向からの野戦兵団を打ち破って勝つ。敵の攻め手を挫き、この易京要塞の戦略的価値を高めることが一連の戦いで必要なことなんだ」

 

長期的視点から見て、この防衛戦は無駄でしかなかった。戦えば戦うほど磨り減り、二度に渡って同時に侵攻してくれば防ぎ切れない。

 

「勝って、条件を呑ませる。全軍を相手にすることなく、各個撃破で決着をつける。要塞も守らなければ勝ちようがない」

 

最初から戦略的敗北が決まっている第二の戦いが、一年のモラトリアムを経て始まろうとしていた。

 

 

 


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