北の盾たる己が身を 作:黒頭巾
華雄隊と、夏侯惇の第七軍団。どちらも攻勢に強く、防御に使うには適さない特化した能力を持つ部隊である。
戦力差五倍の両軍のぶつかり合いは、『どちらもひたすら前に進む』という、突っ込んできたダンプカーがアクセル全開で正面衝突するような凄まじさがある情景が展開されていた。
「一歩でも前に出て、一兵たりとも突破させるな!」
「進め進め!一歩前に歩むたびに、勝利が三歩近づいてきているのだぞ!」
互いが互いを『攻撃対象』として見たが故に、攻撃対攻撃という他に類を見ない対決が、お互いほぼノーガードの上で繰り広げられている。
必然的に、両軍の被害は加速度を増して積み重なっていた。
半刻で千、一刻で二千。機動力を活かした巧妙な指揮ぶりで、華雄隊は自軍の四倍の出血を敵に強いていたが、ただひたすら猛進するという夏侯惇の指揮ぶりには巧緻を巡らしすぎては却って劣勢にすらなりうる。
正確な指向性を持った、或いは持たされた軍がひたすら突っ込んでくるという恐怖を力戦で撥ね返しながら、華雄は自ら武器を振るって前へと進んだ。
部下に不利な戦いを強いている以上は、自分が先頭に立って進まねばならない。
進む時は先頭、退く時は殿。
指揮能力が充分に備わった今でも守っている、彼女の将としての骨格とでも言うべき信条である。
五倍の戦力差による猛進を一刻の間喰い止めつつもその圧力の前に圧されつつある華雄の奮戦は、後方よりの一報によって盛り返した。
「後方より味方が!」
「誰だ!」
「赤備え、呂布隊です!」
前述の通り、第七軍団(夏侯惇)の軍は後退・迂回を考えていない為に鎧の装甲が前方に偏重している。馬甲も背後・側面から攻撃を受けることを考えていない為、殆ど装備されていない。
背後から強襲した呂布隊の突撃を殆ど無防備な背中から受け、被害はほとんど一方的に夏侯惇側に積み重なりつつあった。
「将軍、どうなさいます?」
ちらりと横目で副官を見て、夏侯惇は目の前の激戦から一時的に意識を離して考える。
このまま無理矢理にでも進めば、自軍は確実に壊滅する。しかし、目の前の二千騎足らずを打ち破れば敵将の首に届くのだ。
「総員突撃、敵を崩した後に反転して退却」
「はっ」
一方、李師は突如として彼が集中的に管制する戦場の外から夏侯淵が斧を投げてきたことを悟り、対策を講じていた。
この常識外れの攻撃力を組み込んで再計算を終えた後に第四陣と第五陣に伝騎をやり、張遼・張郃の両将が無傷の軍を率いて第七軍団(夏侯惇)の側面部を脅かさせたのである。
これによって再包囲してやり、兵員を殺すことによって突破力を減衰させるのが彼の狙いであった。
更には、先ほど犯したマイナスの計算違いを補うように、プラスの計算違いが起こった。
その火種は、包囲網を構成していた華雄以下騎兵達が本隊の盾となるべく急速に北上してしまったが為に、荀彧の撤退を許してしまった華雄隊の歩兵達に燻っていた。
自分達がここで右往左往と見苦しければ、彼等彼女等の敬愛する華雄軍という物自体が統制の執れぬ部隊と見られ、華雄の折角の勇戦が差し引いて見られてしまう。
「吾等が将軍の、勇名を辱めるな!」
己等の失態で司令官の名を穢してしまう危機感と、機動力に劣るという一事で役に立てなかったという口惜しさ。
包囲網の維持として置いていかれた副官の胡軫が率いる華雄分隊の残兵二千はその怒りと焦りと口惜しさを力に代え、自軍の何倍もの大軍である第七軍団に狂的な士気を以って突撃を敢行した。
この感情の激発が、更に連鎖反応を呼ぶ。
元々桁が違う強さを持つ呂布率いる赤備えが、『この危機に役に立たないで何故最強部隊などと名乗れようか』と遮二無二包囲を縮めて突き進んだ。
この結果、一瞬前までは猛攻を仕掛けていた両脇からは敵の援軍、背後からは用兵とは無縁の動機から発した士気の高さを保持する華雄・呂布両分隊。
第七軍団は攻勢に強く、守勢に弱いという特色のどちらもこの戦場でさらけ出し、あっという間に劣勢から潰走に陥ったのである。
これに対して荀彧隊が背後を脅かすが如き動きを見せた為、第七軍団は約二分の一の被害で留まって撤退した。
「敵の背後を討ち、退路を絶った上で孤軍とする。第一陣・第二陣に連絡して背後に騎兵部隊を回り込ませろ」
主目的は、敵陣地の攻略。
この乱戦となった戦場においても主目的を見失わない夏侯淵の狙い澄ましたような指示が下される。
ここまでやり込められるとは流石に考えていなかったが、姉の進撃に付随する華と破壊力とをうまく利用し、こちらの優位たる兵力差を活かした攻めをすると言うのが、彼女の当初からの目的であった。
一方、可能な限り敵に出血を強いることが目的である李師側も、もうこの時だいたい達成しつつある。
陣を固守するよりはここは兵力の損耗を抑えるべきだと判断した彼は、最前線の二部隊に撤退を命じた。
もしこの時、呂布なり華雄なりが手元にいれば夏侯淵も動かなかったであろう。
しかし、この時の李師は手元の戦力を払底しきっていた。
ともあれ戦線の収拾をつけなければ、戦いようもない。
「淳于瓊隊の守っている第二陣と麴義の守っている第一陣の後方に、妙才は騎兵を迂回させて後方を突き、退路を遮断してくるはずだ。ここはもう渡してしまった方が後々やりやすい。
第三陣は妙才の直卒部隊に一撃を加え、その展開を阻害するように」
両守備隊を下げ、防衛線を第二線まで下げる。
夏侯淵側の被害は第七軍団(夏侯惇)が八千、第八軍団(諸葛誕)が二割に当たる二千五百、第九軍団(毌丘倹)がこれまた二割に当たる二千五百、第十軍団(荀彧)が九千、第十二軍団(夏侯淵)が千。
李家軍側は華雄隊がその三分の一を喪い、他の分隊も無傷というわけにもいかずに出血し、計四千二百人が戦死、或いは重傷。
二万三千人を殺す為に四千人が戦死し、李家軍の残存兵力はいよいよ三万のラインが切れるか切れないかを心配するところまで来ていた。
夏侯淵軍は人的被害を、李家軍は物質的被害を多大に被り、この高陽の戦いは幕を閉じたのである。
「……なんとまぁ、拙い戦をしたものか」
「被害は四千、陣を二つ失う。まあ、味方の喪失だけ見たら敗北でしょうな」
兵員の被害の八割が夏侯惇の突撃。
はなから野戦築城を行わずに野戦を挑んでいれば、総兵力の三割が死んでいてもおかしくはなかった。
「敵の被害はどれくらいかな?」
「……確認している暇も、ありませんでしたからなぁ」
実際のところ敵の被害は全別働隊六個軍団の内の三割、二軍団相当を喪うというものであり、序盤から中盤の現場の指揮では夏侯淵の命令を受領して戦う第八・第九・第十一を無視した李師のワンサイドゲームだと言える。
だが、指示を受領した第七軍団には計算を完全に破壊され、第十一軍団には二陣を取られた。
勿論それが他の軍団を利用しきったものだったとはいえ、その調理の見事さは流石としか言えない。
「一歩間違えれば負けていた。いや、端から勝ってなどいないわけだが」
四千とは、ほぼ一分隊に匹敵する規模である。
曹操軍にとっての一万二千を失ったと同じ衝撃を、彼は強かに食らっていた。
更には今回、自分は現場の勇戦によって計算の誤りを補正され、何とか生き長らえている。
とても勝ったとはいえないし、まともな戦だとも言えなかった。
「まあ、神でない以上は仕方ありますまい。対策も、次戦う時までに考えておかれることですな」
全知全能を持っているわけではない。彼は彼の全知と全能を尽くして指揮をしているに過ぎないし、周泰という耳目を徴用していることからも、これはわかる。
どうにも全知全能の存在だと錯覚しかけていた趙雲にとって、このしくじりは錯覚を解く良い切っ掛けとなっていた。
「もう原案は出来ているさ。あんな突撃は、二度と喰らいたくはないからね」
「……左様で」
だがしかし、してやられてすぐに対策を思いつくこの様を見るに、やはりそう錯覚しそうになる。
そんな錯覚に頭を悩ませている趙雲の横で、李師は現実と戦っていた。
四千を失い、華雄が負傷。再編も必要だし、この際合併も視野に入れねばならない。
「……ここを引き払おうか」
そして、易京に篭って敵の兵站線の延長を強いる。
今回兵力を失ったことで兵站線の警護にも万全を期す、ということはできないはずだった。
「はぃ?」
まだまだ戦える陣地を敢えて放棄するという彼の発案に趙雲が言葉を失いかけたとき、一方で夏侯淵もあまりの惨状に言葉を失いかけていた。
「三割か……」
ある程度の犠牲が出ることは覚悟の上の行動であったし、その覚悟よりも更に旗色が悪そうであったからこれを逆用して李師の首を獲ろうともした。
李師が要塞めいた野戦築城に引き篭もっており、なお且つ地形を完璧に把握した上で策を練っているとはいえ、この被害はそれらの理由で誤魔化せるようなものではなかったのである。
「桂花、平凡な実戦指揮に見事にしてやられたようだが、感想を聴こうか」
「……侮ってたわよ。でも、次は勝つ」
「姉者はまあ、もう防御に関しては仕方ない。私も効果的には攻めることができなかった。お前は侮っていた。三者が三者ともやらかしてたというこの惨状をどうするか。それがこれからの議題だ。敵陣の半数を陥落させたとはいえ、兵力差は縮まってしまったのだからな」
「面目ない」
復仇戦に向けて策を練る荀彧と、あっさりと己の非を認める夏侯惇。
二人のアクの濃い軍団長を抱え、夏侯淵はふと閃いた。
敵は自分たちが再編によって追撃が不可能となるこの機に、退くのではないか。
(わかっても、実行できねば意味もない、か)
高陽の戦いは、遥か北へと場を移す。
この高陽で彼女らを苦しめた陣地群が応急用のものでしかないことを知るまでには、さほど時間を必要としなかった。