北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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二将争覇(弐)

「敵軍、第一陣地及び第二陣地に攻勢を開始いたしました」

 

「流石に定石の固定観念による罠に乗ってはくれないか」

 

田予の落ち着いた語調で、苛烈な敵部隊の攻勢が告げられた。

 

要塞を攻めるならば一点に火力と兵力を集中する。この固定観念に敵が捕らわれてくれれば彼としては最低限の犠牲で最大限の消耗を強いることができた。

しかし固定観念というものは何かしらの理由と合理性があって固定されたものだと、多くの将が理解していない。このことを知らずに一定の基準と法則性を以て動いてくれれば、李師としては嵌め殺しやすい。しかし敵将は夏侯淵。攻防柔軟で均衡の取れた、曹操軍切っての名将である。

 

簡単に嵌め殺せるならば今まで彼女は常勝でも不敗でもないが常に最終的には勝つといった用兵の巧みさを見せられるはずもなく、彼の半ば不発が了解済みの罠は見事に解除された。

 

「そう簡単には、いきませんようで」

 

「まあ、織り込み済みでもあったんだがねぇ」

 

予想を裏切りはしないが、裏切ってほしかったのが李師の本当のところである以上、彼としてはこれからの展望の峻険さとそこを歩むことへの困難さに嘆息を禁じ得ない。

趙雲の一言はこの一局面において放たれたものだが、これからの全局面にも言えることだろう。

 

「敵の騎兵部隊が第一陣を完全に包囲せんとしております」

 

「成廉、魏越の両戦隊に迎撃させろ」

 

直接指揮を執る呂布隊と華雄隊のうちの二部隊を裂いて迎撃に回し、陣地と陣地の間を断ち切って攻勢をかけている陣地を完全に包囲せんとして毌丘倹が差し向けた騎兵部隊を叩かせた。

 

最精鋭たる赤備えを兵力の利を活かせない狭隘部で運用していくのが彼の基本方針だが、現在ぶつからせた総数としては三倍からの開きがある。

 

「勝てるかな?」

 

僅かに手持ち無沙汰な李師は、赤備えの指揮官たる呂布に話を振った。

彼としては、夏侯淵とまともに戦う気はない。彼女がコントロールを放し、独立させて行動している部隊の判断ミスと突出を丹念且つ精密に把握し、叩く。

 

これによって彼は序盤を優位に運ぼうとしていた。

 

「……成廉と魏越なら、一人で五百人までなら大丈夫」

 

「君は?」

 

「……恋は片手で、五千人。赤兎に乗ったら、一万人」

 

「なるほど」

 

あながち間違っていない言い振りに溜息をつき、李師はひたすら敵の動向を伺う。

攻撃に晒されてる前衛は麴義と張郃。いずれも堅実な指揮と攻撃の無理のしなさで一線級と言っていい指揮官だった。

 

「成廉、魏越両隊が敵騎兵部隊を撃退した模様です」

 

「撤退させてくれ。あと、恋」

 

「……?」

 

戦況の情報についての統制と部隊管理・運用を行っている田予が手元に持つ百騎は、選りすぐりの強さと馬術の巧みさを併せ持つ精鋭である。

赤備えでも最強クラスの一隊を引き抜いてこの副司令官の警護と情報の伝達に回しているあたりに、彼の重点の置きどころが垣間見えていた。

 

「側面の警護にあたっていた騎兵部隊を翼として伸ばそうとし、撃退された今となっては敵側面は脆弱だ。敵はそれを憂慮し、自軍の後陣から増援を送ってくるだろう。残りの赤備えを率いてこれの側面を撃ち、破ってくれ」

 

「ん」

 

その返事と共に、天下無双の武を汜水関にて知らしめた呂布は血のような毛並みを持つ愛馬に騎乗する。

髪と馬と瞳、双方の色から紅さが目立つ一騎が軽く乗騎を駆けさせながら前方へと進みでると、一匹の獣の如く、赤備えが前に出た。

 

「行く」

 

簡潔ながら適切な指示とともに、赤い獣が地を踏み締める。

目指すは与えられた獲物の居場所。目的は獲物の喉笛。

 

そのまま駆けること速やかなる機動と凄まじい威圧感を以って、呂布隊は尖端の圧倒的な破壊力を敵陣の側面を固めるべく動いていた一部隊を粉微塵に打ち砕いた。

 

それに狼狽したのは諸葛誕。荊州諸葛家の長男である。

荊州諸葛家の才女二人は水鏡女学院を卒業した後、長女は孫策に、次女は劉備に仕え、彼は姉二人と同じ水鏡女学院に入るわけにもいかず、フラフラと諸国を漫遊していた。

 

この漢という国は、荀彧の精神そのもののような国である。というよりは、荀彧の精神が漢という国そのものとも言えるが、ともあれ統計上女性の方が歴史に名を残していることから女尊男卑という言葉が相応しい。

 

ともあれ己の才に全く自信の持てなかった彼は、曹操陣営に身を投じて下士官の任務に従事していた。

 

姉は虎、妹は龍、長男は狗。

 

そう評したのは誰だったか。彼にとってプライドというようなものは持ち合わせがなく、同じような境遇にあった毌丘倹と共に飲み屋に行っては愚痴をこぼし合い、仕事を真面目にこなしては酒を酌み交わす。

 

そんな生活もまあ良しとしていた彼を拾ったのが汜水関から帰還し、得た物資で以って私兵を集めていた夏侯淵だった。

彼女はとにかく影響されやすい姉を持った反動か、世の中の気風に逆らうことを厭わないような性質がある。

 

彼女は曹操軍が排男迎女の気風に染まり切ることを恐れていた。この気風が広まり切れば、いずれ男の有為の人材を損なうことになるのではないかと思っていたのである。

 

誰とは言わないが、『姉は登る権利すら与えられなかった鯉、弟は滝を登ったはいいが湖底に身を潜めてしまった蛟龍、妹は姉の類似型』と評されたとある名家に通じる何かがあった。

 

彼女としては同レベルの才能を持った両者を選ぶ時、男が男だからと言って排斥される風潮を好まない。

それに、一勢力の全ての人間が一色に染まる必要もないと、夏侯淵は思う。全てが一色に染まってしまえば、他の色が必要とされた時に苦しむことになる。

 

何よりも、せっかく才能とやる気を持ちながら下士官で終わってしまうようなことがあってはならなかった。

 

結果的に毌丘倹と諸葛誕は夏侯淵の私兵部隊へ引き抜かれる。

その後は私兵部隊の副官として充分な功績と経験を積んだあと曹操に改めて仕え、一軍団を任される身となった。

 

当然ながら才能にも、忠誠においても疑うところはない。

ただ一つ欠点を上げるとすれば、不測の事態に弱く、咄嗟の対応力に欠けるところであろう。

 

そこを、彼は李師に突かれた。

 

「敵の用兵を見るに、堅実で派手さはないが凡将の良くするところではないものがある。しかし、対応が鈍い」

 

「良くわかるものですな」

 

「だから一番高いところに陣を構えているのさ。心理と癖を読まないことには、効率的な撃破は望めないからね」

 

第八軍団(諸葛誕)に痛撃を与えて速やかに去った赤備えを収容し、再び突出しそうになったところを叩き、怯んだところを更に叩く。

 

攻勢を強めれば呂布と華雄のいずれかを差し向け、叩く。

 

「妙才はともかく、他の敵には勝ちを拾える隙がある。そこを叩いて妙才からは逃げる」

 

「なるほど、意地の悪い」

 

機動防御を大方実践し始めてきた李家軍の機敏且つ効率的な戦い方を見ているのは、何も指示を下している彼だけではなかった。

猛禽と評された、彼の親友も見ていたのである。

 

「火消し屋か何かとも見紛うべき働きぶりだ。こちらが火を噴いて敵の陣地を焼き尽くそうとすれば、その前に出先を叩かれる。守備職人とも言えるな」

 

「褒めてるの、それ?」

 

「褒めているさ」

 

こちらが、と言うよりも夏侯淵の配下たちが動こうとすればその出先を取られるのはよろしくなかった。

 

あと、自分の直卒を三個目の陣地攻略に動かしたのに無反応というのも、よろしくない。せめて何かしら反応を起こしてほしい。

 

「やはり、役者が違うな」

 

「どんぐりの背比べみたいなもんじゃない。まあ、一つ頭抜けてるのは確かなようだけど?」

 

今の戦術機動の見事さを見ればまあ目を見張るべき点がないでもないと考えざるを得ない荀彧である。

まあ、やり込められている二人が女ではなく男であることも、その適切な―――と言うよりはマシな―――評価を下すにあたって一役かっていた。

 

「それにあの赤備えの将は強いわね。退くべき時に退いて、進む時は全く躊躇いがない。罠をきちんと看破して、深追いもしないし退き過ぎもしない。華琳様に献上したいくらいだわ」

 

「……」

 

「何よ」

 

何でこいつは見る目は常人より遥かに、非凡の中でも更に優れているのに男の才を見る目は湯煙に曇ってしまうのか。

「まあ、やっぱり女性だからでしょうね」

 

「フッ」

 

これが嘲笑の見本品ですと名札を付けたいくらいの見事な嘲笑を漏らし、夏侯淵はこの世界の教えの不便さを思った。

固定観念、打破すべし。そう唱えた曹操の思想は全く正しい。

 

幼少のみぎりより教えられていたことを必然極まりないと思ってしまうことこそが、この固定観念と言うものの恐ろしさだろう。

 

「敵機動部隊の足を止める部隊が必要だ」

 

何故か優越感に浸っている荀彧の夢の泡を突いて弾けさせるように、夏侯淵は現実と言う名の針を放った。

 

優秀な人間は一癖も二癖もあるというのは、この世の摂理であるから仕方がない。

 

曹操は同性を好む。姉は猪突を好み過ぎる。己は元からあった自己と後から備わった自己との矛盾がある。

李典は謎の発明品を多々開発する趣味を持ち、荀彧は漢帝国の典型的なエリートの通癖を内包し、程昱は睡魔に対して脆弱であり、郭嘉は豊かな構想力による性的興奮によって己をショートさせてしまうことが多々あった。

 

敵を見てみても趙雲・麴義は曲者でしかなく、田予は影に溶け込んでしまいそうなほどに寡黙で地味。

 

肝心の友も放っておけば黴と埃を友として朽ち果ててしまいそうな怠け癖があった。

 

(私はマシな方かもしれんな)

 

友とその幹部たちの癖が感染ったのか、夏侯淵は見事なブーメランを投げる。

マシな方となれば田予であり、癖がない人材といえば楽進や于禁、呂布や華雄くらいなものだった。

 

人格的に臭味がなく、異様な才を雍している人間が如何に貴重か。それがよくわかる。

 

「私が行こう!」

 

「却下」

 

決定的に足止めに向かない人材だということをよく知っている荀彧がその自推を蹴り、残った指揮官として荀彧が一軍団を率いてこれに向かった。

 

「すまんな、姉者」

 

「待つのは性に合わん」

 

後に残されたのは、お守りの妹とお守りされる姉だけであった。


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