北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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冀州の戦い・前編

戦闘は三日目に入った。

相変わらず中央部と右翼は軍をぶつけ合っており、互いに互いの綻びと疲労を誘っている。

 

なんの変哲も鮮やかさもない戦いだが、互いが急増連合軍であることを考えれば当然であった。

 

中央部の先陣が崩れそうになれば予備兵力を投入することで黄巾側の疲労を狙い、黄巾側は信じるところ篤い精鋭部隊を後方に待機させ、一般人に毛の生えたような部隊を投入して敵の先陣の疲労を誘う。

 

敵に綻びが見えたら、中央部は袁紹と曹操の直属部隊での連携を以って綻びを崩壊に変え、黄巾は前衛が疲弊し次第精鋭部隊を投入。豊富な物量を集めての戦闘に移るつもりだった。

 

中央部は烏合の衆たる前衛が既に壊滅、曹操と袁紹が直属部隊を投入して敵陣を崩しにかかっているが、周囲の部隊との連携が取れず、一息に潰走させるとまではいかなかったのである。

 

右翼部は逆に官軍方が疲労の極に有り、ただ一人袁術配下の孫家軍が権限を全く与えられないままに優先していた。

 

そして、左翼部。

 

「敵陣前衛部、動き出しました!」

 

「兵力は!」

 

「およそ七万!」

 

前衛の素人集団が突出してきたということになるが、それにしても七万というのは巨大である。

目の前に立つだけで腰を抜かしてしまうような数の暴威がそこにはあった。

 

「どうされますか、李師殿」

 

「七万と言っても、狭隘な左翼部の地形上七万全てをこちらで相手にする訳じゃない。右は川、左は山。進撃できる部分は狭いものさ」

 

軽い谷のような地形をしている左翼部は、峻険な地形上歩兵が整然と進撃できる部分は限られる。

山と川に囲まれ、平地に彫刻を施したような大軍の進退の難しさが官軍左翼部前衛たる公孫瓚軍が唯一保持する優勢であった。

 

「田予」

 

「はっ」

 

義勇歩兵、強弩隊、親衛隊、後方に公孫越の騎馬隊と董卓軍からの援軍。

四段に分かれた編成の内、李師がいるのは二番目の強弩隊と親衛隊の間であった。

 

「強弩隊を前に出し、射程に入り次第一斉射撃。百五十人を横並べに三連射。次発装填して更に連射。三連射したら五歩後退」

 

「はっ」

 

気が急いてか、射程に入ってもいない状態で走ってくる敵軍を悠々と見つめる李師の表情に、動揺とか恐怖とかいうものは見当たらない。

そのいつも通りの行儀の悪さが彼への安心となり、兵たちが一先ずの安堵を抱く。

 

「まだですか、李師殿」

 

「ああ、まだだ」

 

安楽椅子に車輪を通したいつもの椅子に行儀悪く座りながら、李師は切羽詰まった弩兵隊長の言葉を軽くいなした。

走って迫られると、やはり辛い。心理的抑圧は歩いて迫られるよりも勝るし、しかもそれが自軍の何倍もの数なのである。

 

弩兵の沈黙と焦燥への堪えは、ただ一人への信頼によって成り立っていた。

 

「もう来ますぞ!」

 

「まだ有効射程には入らないさ」

 

そう言いつつ、李師は別なことを考え出していた。

敵軍は矢や弓にかけているのではないか。素人の大軍とは言っても軍事指揮官はそこそこの者を送り込んでいるだろう。

 

ならば何故敵は撃たないのか。それ恐らく、捨て駒たる前衛に割くほどの弓も矢もないからでは、ないか。

 

「今だ、撃て」

 

考え込むのを一旦止め、李師は激烈とは程遠い冷静さで号令を下した。

田予もそれに頷きを返し、百五十本の矢が一直線に飛んでいく。

 

敵の前面が倒れ、それにつれて後に続くものも倒れて押し潰すというような稚拙極まりない光景を見た李師は、再び穏やかに命令を下した。

 

「斉射はじめ」

 

矢が放たれ、肉を貫く音が中央部と左翼部を区切る川と左翼部よりも更に左にある山の峰々に木霊する。

もはや戦いは一方的といってよく、戦場を狭隘部に固定した李師側に傾いていた。

 

しかし、兵たちの疲労は貯まる。殺していくのも無感情でできるわけではないし、改良されているとは言っても弩を引くのも楽ではない。

斉射と斉射の感覚はだんだんと開き、そのぶん黄巾が前進してきていた。

 

「兵たちも疲労しているようです」

 

「そうだろうな」

 

相変わらず姿勢の悪い大将に報告を上げた田予は、次の言葉を静かに待つ。

兵舎を作ったりしたのは何のためなのか、それは己にはわからない。しかし、何かあるはずなのだ。

 

「報告!敵軍は前衛と後衛の間が伸び切り、徐々に距離が離れてきている模様です!」

 

「ごくろうさま。もう一つ仕事を頼んでもいいかい?」

 

「はっ?」

 

三連射ごとに五歩後退しているが為に、前衛たる公孫瓚軍は徐々に圧し込まれている。

そんなことは誰の目にも明らかだし、それこそ彼の狙うところだった。

 

「華雄隊に連絡。敵前衛と後衛の間を一斉射撃で怯ませた後に、左側面から右に向けて敵を分断せよ、と」

 

「はっ」

 

華雄隊と義勇歩兵は、斉射の繰り返しの結果で三十歩下がったあたりから左への兵の延翼を阻む山を迂回し、敵の左側面に回り込んでいた。

敵の前衛の陣形は、十字。突出してきた為先頭が伸びているが中陣が厚く、後ろの精鋭部隊と繋がっている。

 

「突破の後にはそのまま味方中央部の方へと進出して川沿いに逆走。左翼部主攻の突進を助けてくれ」

 

「はっ、確かに」

 

駆け去った伝騎を目で追い、一刻ほど経った後に李師は頭を掻きつつ命令を伝えた。

 

「敵の後方が脅かされ次第親衛隊が正面に、義勇歩兵が分断された敵部隊の側面に突撃。退路は絶つな。逃がしてやれ」

 

「はっ」

 

一騎が更に左側面に伝令に向かったと同時に、華雄隊へと伝令が着いた。

 

「おぉ、やっとか!私たちはただ突撃して、敵陣をぶっ壊せばいいんだろ?」

 

「はっ。敵陣の接合部、その後方を突破の後に逆走、味方の突撃を掩護してほしいとのことです」

 

「わかったわかった」

 

確かに伸び切っているのを確認し、華雄は全員に乗馬を命ずる。

彼女の頭には、目の前の敵を粉砕すると言う獰猛な意志のみが充溢していた。

 

「総員、一斉射の後に突撃だ!」

 

総勢二千の涼州騎馬隊が、一斉射で怯まされた指定された接合部に喰らいつく。

ガリガリと言う音が聴こえそうなほどに強烈に削っていかれ、黄巾の左翼部の将―――鄧茂は素早く命を下した。

 

「突撃した部隊は挟み込んで殲滅してやればいい!我々は側面をとっているも同じなのだぞ!」

 

対応は遅れたが、それは正しい。接合部を砕こうとしているということは、両脇腹を見せながら背を向けた前衛と槍を向けている後衛を相手にするに等しいのである。

 

普通ならば怯み、戸惑う。両脇からの挟み撃ちを恐れて脚が止まる。

 

否、止まらざるを得なくなる。

 

「何故止まらん!敵は猪武者の華雄ではないか!」

 

「それが、厳密に接合部ではなく挟み撃ちを潰す為に後衛の先陣を横から襲っている状態で隊列の再編成に時間がかかり、しかも奴ら止まりませんもので……」

 

報告と同じく、華雄は何も考えずに突き進んでいた。

罠があろうがなかろうが、それごと粉砕して噛み破る。もっとも、指定された地点に罠があったことは今までにない。

 

しかし、『目の前の敵を殺して進む』ということに専念できた彼女は、気が狂ったかのような猛進ぶりを見せた。

 

「殺せ殺せ!何重の防御陣だろうが得物を前に振るえば敵が死ぬ。敵が死んだら進み、また敵を殺せばいいことだ!」

 

戦術的近視眼の為に罠にかかりやすく、また戦略的には言うまでもない彼女には物事を考えさせない。その職人芸の様な突撃の巧さにのみ期待し、用いる。

 

董卓軍で将としての仕事を求められていた彼女は、久しぶりに突撃することのみに専念することができていた。

 

「敵左翼部の分断に成功しました」

 

田予の統率と李師の攻撃タイミングの見計らいの適切さで以って『前進癖』がつくのを待っていただけあり、分断されたことに気づかない六万人ほどが前進し、後衛が再編成の為に後退したことで完全に分裂する。

 

「流石華雄、恐怖を無視する癖は変わっていない。いや、寧ろ鋭さが増したか」

 

「敵は随分簡単に分断を許しましたな?」

 

「元々使い潰す気だったことも、あるんだろうがね」

 

受けてみないとわからないが、あの突撃の凄まじさには特筆すべきものがあった。

再編も大変だし、恐慌を収めることも、必要だろう。

 

「どうなさいますか?」

 

「最後に三斉射した後に弩兵を下がらせてくれ」

 

部隊には疲労の影があるが、田予の指揮には鈍ることのない鋭さと巧妙さがあった。

 

三斉射の後に前に出たのは、呂布率いる親衛隊。

 

「疾駆しつつ敵中央部に一点斉射。そのまま空いた点に突撃して敵陣を崩してくれ」

 

「……ん」

 

任せろとばかりに頷きを返し、呂布はひらりと赤い巨馬に跨る。

翳す旗は、真紅の呂旗。

 

駆け出した五百騎に公孫越の二千の騎兵が続き、二千五百の騎兵が百歩ほどの間合いをたちまちのうちに詰めた。

 

「中央」

 

黒い鏑矢が高らかな音を立てながら敵の左翼前面の中央部に居た兵士三人を貫通して突き刺さり、五百本の矢が先を争うように中央部へと放たれる。

 

一点に五百一本の矢が集中し、隊列がズタズタに引き裂かれた部位を、方天画戟が傷を更に広げた。

 

公孫越の騎馬隊は千ずつに分かれて呂布率いる親衛隊が二つに引き裂いていく兵たちを押し込みにかかり、これを後方へと押し戻す。

 

騎兵の突撃など受けたこともなく、脚を使い通しだった彼等に抵抗するような余力はなかった。

 

一人が背後を振り返り、後方に控えていた同部隊の兵士が逃げ始めていたのを視認した時、もうすでに後衛との距離を百五十歩ほど離された前衛部隊の前面敗走が始まった。

 

「よし、義勇歩兵を後方に迂回させ、突っ込ませよう」

 

「もう動き出しております」

 

「そいつは重畳」

 

「あと、華雄隊が側面への圧迫と射撃を終えて帰還しました。いかがされますか?」

 

「予備兵力として手元に置いておきたい」

 

「はっ」

 

田予の指揮の元、援護射撃を行いながら味方の騎馬隊の後を弩兵が続く。

義勇歩兵が後方に回り込み、呂布が前から、地形が左右から挟んだ包囲殲滅がなろうとした時、彼は静かに命令を下した。

 

「義勇歩兵に連絡」

 

「包囲網を縮めさせる、ですか?」

 

側に控えた強弩部隊指揮官の田予は、確かめるように己の指揮官に問う。

奇略はないが堅実で機を見逃さぬ鋭さと、緩急自在な用兵の巧緻さがある。そして何より、味方の犠牲を最小限にとどめようとしているこの指揮官を、田予は好意とともに支えようとしていた。

 

その為の先読み、だったのだが。

 

基本的に姿勢はともかく真面目な表情を崩さなかった李師の顔が、少しいたずらっぽく笑う。

 

「包囲網を解いて、逃がしてやれ、と」

 

 


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