北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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適宜

「……何で動かないのかねぇ」

 

「さあ……」

 

隣で行儀悪く座っている男が漏らした疑問の念に首を傾げることで答え、公孫越は疑問を深めた。

 

「李師殿は、思い浮かぶところはないのですか?」

 

「いやぁ、どうも」

 

彼の提出した作戦計画は、大雑把に言えば敵前衛の精鋭部隊を釣り上げて敵の連絡線を切断。包囲して殲滅するというものである。

突っかかってくればあの手この手を尽くして包囲網の原型に引き釣りこまれるのだが、来ない以上はどうしようもない。

 

(何故突っかかってこないのか。一部隊を迂回させているのか、それとも……)

 

後ろをぽーっとついてくる呂布に原因があるとは露ほども知らず、李師はその場を辞して幕舎へと戻った。

 

動かないならば練り直し。特に作戦にこだわる気も理由もないが、動かない理由は知りたい。

 

「そう言えば、恋」

 

「……?」

 

「お前、数日前に敵陣を視察していたが、あれから敵の動きがおかしいと思うんだ。何かしたのかい?」

 

別に特に隠す気もなかった恋は、ぽつりぽつりと喋り出す。

 

効率的に敵を怯ませるために輜重隊の兵員を囮に一部隊を釣り、左翼の主将たる鄧茂と少数の兵を逃がしたこと。

 

それは正しく効果を発揮し、中央部・右翼が順次戦闘に入っているのに対して、左翼は異様なまでの静けさを保っていた。

 

「……なるほど」

 

頭に乗った帽子に手をやり、団扇のようにパタパタと襟元を扇ぐ。

これは己の見込み違いであったし、そもそも前提条件と作戦計画の指向が間違っていた。

 

「もう一度偵察し、作戦を変えよう。恋、兵を貸してくれ。少し外出する」

 

「……危険」

 

「私が危険を犯すことで死ぬ兵が幾らか減るなら安いものさ」

 

「嬰は」

 

彼女が敬愛し、恋慕するところ篤い保護者と居るときのぽわぽわとした雰囲気から、抜き放たれたように鋭気が満ちる。

刃のような鋭さは彼を害する物ではないが、圧迫するようなものではあった。

 

「……死ぬの、嫌じゃないの?」

 

「できるなら、あまり死にたくはないな」

 

どうにも警戒の足りないところがある彼女の保護者は、一事が万事無頓着なところがある。

それは物に対する執着であったり、どこか透けているような、傍観しているような主体性のなさとなって表れていた。

 

「…………恋は、死んで欲しくない」

 

「私も死にたくはない。というより、護衛を連れて行くと言ったじゃないか」

 

「……何で恋じゃないの?」

 

そう言われると、私情があったと言う事実を認めざるを得ない。

彼は戦場では殆ど冷酷なまでに割り切れるが、何だかんだ言ってまだまだ悩んでいる。

 

彼女には、人を殺して欲しくはなかった。他の親の子供に他人を殺すことを強いている己が言えたことではないとわかっているが、その嫌悪感が拭いきれていないのである。

 

理屈でわかっているからこそ戦場で彼女を含む親衛隊を戦力に含み、私情に流されはしないのだろうが、傍から見たらブレているように見えるのは寧ろ当然だと言えた。

 

「……恋の方が強い」

 

「でもお前は指揮官だろう」

 

「副官がやる」

 

いつの間にやら現れた赤兎馬の尻に李師を持ち上げて無理矢理掛けさせ、一瞬で後頭部から落ちそうになったところを鞍に跨った呂布が前から引っ張って支える。

 

「……じゃあ、頼むよ」

 

「ん」

 

剥き出しの下腹部と腰の辺りに手を回し、体重を前に預けて落下を防ぐ。

頭以外は無用の長物と言われただけに、彼の馬術のできなさっぷりは凄まじい物があった。

 

赤兎馬は悍馬であるが、認めた主には従順な賢い馬である。だからこそ呂布の一呼びで駆けつけるし、どんな無茶な命令でも粛々と実行に移す。

その忠誠は自然呂布の忠誠の対象である彼にも向いており、出来る限り落ちないようにと配慮しながら歩いて―――走ったら確実に落ちる程度の技量しか持たないことを、賢いこの馬は一目見た時から理解していた―――いるのだが、それでも落ちた。呂布が支えて事なきを得たが、落馬した。

 

乱世の将らしからぬ馬術の拙さと同等に、その護身術や武技も稚拙極まりない。

街のゴロツキに絡まれた末の喧嘩で、呂布には止まって見えるような拳を回避行動をとらなかった―――というより、避けることすら出来なかったのである。

 

武力全般と生活能力が無いどころかマイナスに届きそうな代わりに、別の能力が人並み以上。そんな歪さを、彼の能力は多分に含んでいた。

 

「おお、揺れない」

 

「……」

 

そこそこの馬の疾駆する程度の速度を出しながら、なるべく馬体を揺らさない。

馬術初級者の頃からこんな高等技術を強いられれば、上達するのも無理からぬこと……なのだろうか。

 

ともあれ、彼女の騎射の巧みさはこの騎乗時の揺れの少なさに影響するところが大きかった。

 

「すごいな、恋は」

 

「……ん」

 

ルビーとガーネットの間の子のような瞳に嬉しさを湛えつつ、呂布は一つ頷く。

敵情視察の巧みさも、彼の戦いには不可欠と言う訳ではないが必要だった。

 

「んーむ、編成が入れ替わってるね。前は前衛に精鋭が集中していたが、今は彼等は後衛に居る」

 

「……どうなるの?」

 

「さあね」

 

この時点で、彼の頭には敵の作戦とその対処法が浮かんでいる。

それを誤魔化した理由は単純だった。些か以上に残酷な、されどそれ以上に有効なものだったのからである。

 

「恋はどう思う?」

 

「……全員弱いから、あんまりわからない」

 

強弱の差が大雑把な、つまり『雑魚』『ちょっと下』『対等』『強い』くらいしかない、しかも上二つに出くわしたことのない彼女からすれば、この世のすべてがどんぐりの背比べ状態でしかない。

 

兵は一撃で死んで、すぐ逃げる。

精鋭は一撃で死ぬが怯みにくい。

将はやっぱり一撃で死ぬ。

猛将は強いけど敵ではない。

 

彼女の敵は目前に居る人間ではなく、内部に溜まる疲労とかそういうたぐいの物でしかなかった。

 

「面白いのは、前衛の方が士気が高く、後衛の方が士気が低いことだね。練度と士気は比例するはずだから、こんなことは稀有だと言っていい」

 

「……わかった?」

 

「ああ、もう大丈夫だ」

 

軽く返し、恋の頭の上に乗せた顎を元の位置に戻す。

肩に手を掛けて背伸びをするという結構無理しての偵察をしていただけあり、その成果もあった。

 

「逃げよう」

 

「ん」

 

さらさらと受け入れた呂布が逃走に向けて馬腹を締める。

わかりましたとばかりにゆっくり走り出す赤兎馬は、揺らさないことを心掛けて全力を出せないことが不満だった。

 

勿論、これから全速を出せる機会はいくらでもあるのだが、それをわかっていても思うところあったのである。

 

「……いい子」

 

首を撫でる動作と共にもらった主の労りの言葉を嘶きで返し、赤兎馬は徐々に速度を緩め、ピタリと脚を止めた。

背の上から二人分の重みが消え、かわって地上に重みが戻る。

 

尤も、大地からすれば総重量は変わらないし、一人増えたところでどうとでもなる程度のものでしかないのだが。

 

「さあ、恋」

 

「……?」

 

「ここには君が初戦から五度にわたって奪ってきてくれた兵糧や矢がある。武器も、ある。これらを有効に使わせてもらうことにしようか」

 

何言っているのかまではわかるが、何をやるかはわからない。

そんな空気を漂わせつつ、呂布は曖昧に頷いた。

 

現在の戦況は、四分と六分。中央部は圧しており、右翼部は圧されている。左翼部は戦闘にも入っていない。

少数の兵を以って大兵に正面から突っ込む愚挙を行う訳にはいかないが、中央の本営よりの督促を無視して戦わない現状を続けるわけにもいかなかった。

 

「董卓軍と会談しよう。できれば手を貸してもらいたい」

 

「……包囲殲滅は?」

 

「あれはやめた」

 

公孫越と同じく、勿体無いと彼女も思う。あれをやれば名が売れるし、効率的に敵を殲滅できるのだ。

 

「……いいの?」

 

「昨日正しかった作戦が今日正しいとも限らないし、明日有効かどうかも定かではない。私の提案する作戦は明日の作戦だ」

 

「包囲殲滅は?」

 

「仕掛けてきたら、今日まで有効だ」

 

―――もっとも、仕掛けては来ないだろうがね。

 

頭に乗せた帽子で再び襟元を扇ぎながら、李師は公孫越の元へと向かう。

姉の相似形のような素直さを持った公孫越は、彼の上司としては充分に合格点が貰える能力をしていた。

 

「……兵舎を増やす?援軍の宛でもあるのですか?」

 

彼の提案は、兵舎の増設。元々予備として必要分プラス百ほどは折り畳んで持ち運んでいたが、更に足りないと言うのである。

材料として奪ってきた物資があるものの、公孫越には解せない点が色々とあった。

 

まず、姉の公孫瓚からの援軍はない。それに異民族からの援軍だとしても距離が離れすぎ、他州を通って来ることは不可能。

 

つまり、集められるだけの戦力はここに全て集まっていると言える。

 

「ない。が、やっていた方がこれからの為だと思うんだ」

 

「……ふーむ、作戦案でもお有りで?」

 

無駄なことはしないし、兵舎を増やせば偽兵に使えなくもない。

ポピュラーなものは旗だが、兵舎でも騙せることには騙せた。

 

まあ、コストの問題で殆ど実現させられることはないが、未だ包囲殲滅に未練を残している公孫越からしても偽兵という策は有りな案に見える。

 

どう機能させるかはわからないが、素人の集まりである黄巾には示威として有用だろう。

 

「作戦というより詐術とかの類かな」

 

「詐術、ですか」

 

「奇術とも言うかも知れません」

 

これは偽兵ということであっているのかな。

 

公孫越は姉とは僅かに色の違う髪を指で弄りながらそう予測し、首肯した。

 

「わかった。やっておく」

 

「あと、中陣の董卓軍に戦力を借りたい。伝手は有るが、許可をもらえるかな?」

 

「どうぞ」

 

何をするかが予想できるが、それがどうつながるか予想できない以上は反論する意味もないし、姉の知恵袋であるこの男には手綱をつけない方がいい。

この方法に反対な一族や古参の武将も居るが、公孫越は姉と同じような考えをしている。

 

それでこそ、名代を任されたというところもあった。

 

「作戦案に関して今は言えません。防諜関係が、どうにも」

 

「それはこちらの不手際ですから、謝るには及びません。李師殿は自分のできることに専念なさってください」

 

「ありがとうございます」

 

お互いに一礼して別れ、公孫越は手元にある詳報を読む。

 

『公孫瓚、張純軍二十万を大破、首謀者を斬獲。幽州牧へと内定せり』

 

姉の身を案じ、残ろうとした己に言った『大丈夫だ、問題ない。策があるからな』という言葉は、法螺ではなかったということになる。

 

「持つべき物は無欲で怠惰な深謀遠慮なる部下、か」

 

公孫越が李師が辞した方向を見て言ったとホボ同時に、公孫越の前を辞した李師も公孫越の方を見て一つ感嘆を吐いた。

 

「持つべき物は話しのわかる上司だな」

 

呂布はそれに対しては特に何も言わず、適当なところに突き立てていた方天画戟を引き抜いた。

 

 


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