北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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許してヒヤシンス(なお、話は進んでない模様)


因果

李師はこの日、仕事が無かった。

特別扱いと言うか、特例と言うのか。彼は基本的に毎日詰める諸将とは違い、完全に休みの日が何日かある。

この日を設けた方が突然の失踪への対策ややる気の無さの解消になるのだと考えた曹操の発想は、あっていると言わざるを得なかった。

 

休日の彼の一日は昼からはじまる。それまでずっと寝ている。

ボーッと眼が覚め、寝る。この繰り返しで昼まで起きない。

 

ずん、と軽く身体が沈んだ。

痛くはないが少しくらいは眼が覚めるような衝撃に、彼はようやく目を開く。

 

「恋、おはよう」

 

「ん」

 

背丈では、李師がまだ勝っている。胸の辺りに頬を付けた愛娘に、李師はぼんやりと声をかけた。

 

恋は、もうとっくに起きていたらしい。それがわかったのは、彼が再び目を閉じ、少しして覚醒してからだった。

 

何故わかるかといえば、服である。戦争に行く時も街を歩く時も、恋は基本的に白と黒が縦にわけられた革の服を着ていた。

 

極薄の革鎧。表現するならばそれが一番的確であろうそれに、李師はしみじみ目を遣る。

脇から胸にかけての横の急所にまるで防備がないのが気になるが、これで今まで無傷なのだから何も言えない。言うほどの理屈も実績も、彼は持ち合わせていなかった。

 

「服、なんで着てるんだっけ」

 

「……嬰が褒めてくれたから」

 

聴き様によっては割りと危ない一言を漏らした養父の意思を正確に汲み取り、恋は少し考えて答えを出した。

何故この服をここまで着続けているかといえば、幼い頃に服を買ってきなさいとお金を渡され、適当に買ってきたものを着て見たら『可愛いねぇ』と言ってくれたからに他ならない。

 

後は成長に合わせて獲物を狩り、革を剥いで臭いを取り、色を染めて縫う。

かなり高等な技術を、その手先の器用さでこなしていた。

 

最近はキツくなることが多いため、この服は十代目である。

 

「うーん」

 

「……似合ってない?」

 

「いや、可愛いよ」

 

「ん」

 

猫がじゃれつくように、恋は褒められた嬉しさそのままに抱きしめた。

ぎゅーっと抱きしめ、頬を胸に擦り付ける。

 

飼い主に懐き切った小動物のような可愛さが、そこにはあった。

身体は既に女性として成長しつつあり、その身に秘めた力は虎や熊のそれだが、気性というか気質というか、その辺りが犬なのだろう。

 

ぼけーっと、真ん中の部分を飛ばした感じなことを考えながら、李師はピコピコと忙しなく揺れる触覚を避けるようにして頭を撫でた。

赤が強い中に、ほんのり混ぜられた紫がある。そんな色をしている髪は、気質そのままに柔らかい。

 

最近、特にこのじゃれつく傾向が強い。小さく、可愛い娘だから悪い気はしないが、少し心配にならざるを得ない。

それはつまり、この娘はこれからどうするのだろうか、ということである。

 

腐った国が死にかけ、新しい国が産まれようとしている。自分はその腐った国を建て直そうとするほど酔狂ではないから、その流れに従う。

 

現在その流れの旗手は、曹操だろう。だからと言うわけでもないが、現在自分はその流れの中に居る。

幸いにしてというべきか、不幸にしてというべきかわからないが、その旗手は自分の才能をお気に召したようで、今は一軍を率いてしまっているわけだ。

 

さて、終わったらどうなるのか。歴史曰く、狡兎死して走狗烹らると言う。

走狗になった覚えは無いが、まあ多分いずれ殺すか軍権を奪われるかして自分は無力化されるだろう。外様であるし。

 

鉄槌を下すのが曹操か、或いはその二代目かは知らないがその場合、まあそれは報いということで仕方ないとして、この娘はどうなるのか。

 

うーん、とここで悩まざるを得ない。自分には友が居るし、恐らく頼めばこの娘を預かり、庇護することを拒みはしないだろう。

だがまあ、それはなるべくやりたくない。火に油を注ぐようなもので、この一事でみすみす争いの種を撒きかねない。

 

なら、どうなるか。それはまだ思いついていない。

だが、取り敢えず今はぼんやりと生きていたいから、

 

「服でも買いに行こうか」

 

と言う話になった。

 

理由としては単純に、おしゃれに気を使ってほしい。

あと、流石にこの歳になって娘に竹簡と寝間着と服と武器しか買っていないのは、どうかと思う。

 

(いや、恋が何も言わなかったからね)

 

あと、定型文のように『別にいい』と言う。

自分で自分に言い訳をするが、別に何も言わなかったからといって自分が何も買ってやらなかったと言う事実は変わらないわけだった。

 

「……服?」

 

「うん、服」

 

「別に、いい」

 

「欲しくないのかい?」

 

「……折角の休みだから、嬰と一緒にいたい」

 

「うーん」

 

このおしゃれに対する無関心さ、どうなんだろうか。

 

趙雲が居れば『主がそれを言われますか』と言うであろう。

賈駆が居れば『あんた、まず自分から見直しなさいよ』と言うであろう。

周泰が居れば、少し困ったように笑って何も言わないだろう。

 

要は、似ている。基本的にどうでもいいやと思っているところが。

 

「恋は、今日何かしたいことでもあるの?」

 

「嬰と一緒にいたい」

 

「じゃあ、一緒に何したいの?」

 

「…………?」

 

妙に積極的な李師に違和感を覚えながら、恋は一つ首を傾げた。

 

「……お昼寝と、ごはん」

 

そりゃいつもやってることじゃないか、と彼は思う。

毎日、場所こそ違えど昼には寝ている。木の下なこともあれば、部屋で寝ることもある。寝た方が頭が切り替わっていいと言いながら、きっちりと終わらせる為、特に苦情は舞い込んできていなかった。

 

ようは結果を出せばいい。そんなある意味突き放したような環境は、能力はあっても真面目さと協調性に大きく欠ける彼にとってはなかなか居心地が良い。

恋は特に仕事は無いので、トコトコとどこにでもついてくる。護衛と言うような役割らしい。

 

(強いらしいからなぁ、恋は)

 

腕の中でピコピコと触覚を揺らし、撫でられて気持ちよさげに目を細めている恋が、強いらしい。

中々に刺激的な新情報である。そんなことは知らなかった。

 

そりゃまあ、一般的な兵よりは強いのだろうと思っていたし、だから戦場に出したのだが。

 

「恋は、欲が無いね。欲しいものはないの?」

 

「嬰」

 

「はいはい」

 

間髪入れずに返ってきた答えに、李師は思わず苦笑する。

相変わらず、親離れができていない。雛の意識のまま、成長してしまった。

 

(子供なんか育てたことなんて無かったからなぁ……)

 

親離れさせるのも親の役目なら、親として失格という事になる。

育てたことなんて無かったからなぁ、と言うのは正直な感想だが言い訳にはならない。

 

どうにかならないかな、と李師は常々考えていた。

よくよく考えてみると、姉たちも父には懐いていた。だが、それはまあ歳が両手で数えられるくらいまでで、それからは親しみと言うよりも尊敬とか、そういう成分が多かったように思われる。

 

別に尊敬して欲しいわけではないが、この状態は姉たちと何かが違うと、そう思う。何となくだが、微妙に違う気がしなくもない。

 

だが、親は生きていた。今は死んだが、その時は生きていたのだ。

 

(死んでしまったから、やっぱり温もりが恋しいのかね)

 

それにしても、今更見返すとなかなか複雑な関係だと考えざるを得ない。

父親に殺されかけたとは言え、返り討ちにして、母親はまあ、直接手は下していないが実質李師が殺したようなもの。

 

それを出会い頭に正直に言って、今に至る。

儒教的には仇討ちと言う行為が正当化される関係にあるし、感情的にも正当化されると、思う。

 

「恋は、私を仇と思ったことはないのかい?」

 

「……?」

 

「いやまあ、そりゃあほら、恋の親を殺したのは私なわけだし」

 

「………………?」

 

先程よりも混乱の度合いが静かに深まったと言える恋に、李師は例えを用いて説明を試みた。

 

「平たく言えば、私が誰かに殺されたとする。恋はその人をどうする?」

 

「全部殺す」

 

あれ、この例えは微妙におかしい気がすると李師が思う前に、速やかで直接的な答えが突き刺さった。

なるほど、義理の父であっても、仇討ちはするらしい。

 

では問題は、何故それが実の父親に適応されなかったか。それに尽きた。

 

「うん、そうなんだ」

 

「ん」

 

「さて、実名は控えるけど、私は君の父親を殺したわけだ」

 

「ん」

 

先程は『誰かに』の辺りで瞳が暗くなっていたのに、今は凪いだ湖面のように冷静である。

どうなってんだろ、と李師は思った。別に彼も死にたいわけではないが、何とかこの恋の心理の謎を解き明かしたい。

 

その解き明かした先に、親離れの遅さの謎がある、かもしれなくもなかったのである。

 

「さあ、私をどうする?」

 

「……一緒にいる」

 

「……よし、わかった。私が悪かった。もうこの話題はやめよう」

 

少し、本気で見当がつかない。

別に時が経つのが少し遅いだけだろうと仮定し、時が経つのに任せることにした。

 

こちらに対する悪意や誘いを看破するのには慣れているが、この手の心理分析はとんと疎い。

 

恐らく趙雲でも賈駆でも、たぶん夏侯惇でもわかる、『愛の質と量に大きな差があるから』という答えを、李師は全く思いつかなかった。


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