北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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別作品書くのに疲れたから息抜きに。
関羽に兄は居ない。いいね?


黄巾の乱
仕官


赤い髪が一際目を引くその少女は、自慢の白馬を股にかけて悠々山地を登っていた。

腿で締め、緩め。緩急を必要に応じて繰り返し、通常ならばまず不可能な急斜面をポクリ、ポクリと上がって行く。

 

この山の中腹に、彼女の友が住んでいた。

 

「李師は、居るかな」

 

呟いた言葉がざわめく木々に掻き消され、空気に溶ける。

ふわりと山頂からの吹き下ろしが後ろで一つに束ねた髪を撫で、馬の尾のように波打たせた。

 

暫く進み、中腹に付く。

 

途中で切れたような異様な段差の断面に、家が一軒建っていた。

赤い馬と、雨を凌げる程度の住居。妙に生活感のある山小屋というのが、表現として正しいのだろうか。

 

馬から降り、手綱を引く。家の脇に立てられた二本の棒にうち一つそれを括りつけると、彼女は静かに二つ戸を叩いた。

 

「李師」

 

「入ったらどうだい、伯圭」

 

姓は李。性別は男。年齢不詳。

怪しさ満点の男の屋敷に、伯圭と呼ばれた少女は戸を引きながら半身を入れる。

馬に載せてきた幾ばくかの食糧を運び入れ、彼女はすっと辞儀を正した。

 

「李師、私は門下書佐から遼西郡の郡太守になった」

 

「それはおめでとう。そして、今回もありがとう」

 

狩りでは絶対に手に入れることができない穀物を運んできてくれる伯圭は、彼にとっても非常に稀な来訪の嬉しい部類に入る客である。

他は、仕官しろだの何だのとごねてくる高官の使い走りだから、余計に。

 

「私の元に来て、知恵を貸してはくれないか?」

 

「私は別段栄達など望んでいないし、晴耕雨読の生活を営めればそれでいい―――と、言った筈だ。それにも関わらず君が再びそれを口に出したということは、何かがあるんだろうね」

 

史記と銘打たれた書物を傍らに置き、李師はゆったりとした怠け姿を保ったままに目で先を促した。

 

「袁家が来るぞ。山を焼いて燻り出しに」

 

「私は獣扱いかい?」

 

「滅多に山を下りないのだから珍獣だろう。ともかく、あなたの名声を袁家は手に入れようとしている」

 

嘘か真か、彼の祖母はかの『登竜門』李膺であると言う。

誰かが意図的にぼやかしたかのようなそんな不確定極まりない噂だが、火のないところに煙は立たない。そう思った袁家が調べたところ、どうやら『そう』であったらしい。

 

「今までも何回か手酷く断っただろう。刺客が放たれたことも一度や二度では片付かない筈だ」

 

「それはそうだ。だが、彼女らは畑の肥料になっているよ」

 

『温和な顔で毒を吐く』と父親の李瓚に評された李師には、とびっきりの護衛が居るらしいと言うのが、専らの噂だった。

肥料になっているという物言いからするとソレはどうやら正しいらしいが、その護衛がいくら強くとも火には勝てない。

 

「時々知恵を貸してくれればそれでいいんだ」

 

血統重視のこの中華で、彼女は父方の血が厭しいが為に色々と苦労をしてきた。

李瓚以外の李一門の中で登竜門に唯一『才有り』とされたこの男の手を借りれば、豪族をまとめるのも円滑に行く。

 

名声と、能力と。それを兼ね備えた彼は、男であることを差し引いても尚一目置かれる隠者だった。

 

「務めは?」

 

「無役。衣食住は保証するが、それ以上はしない」

 

李師は、史記を暗記することに費やしていた頭をほんの少しばかり使い、黙る。

名声も出世もどうでもいいが、山を焼かれるのは少し困ってしまう。何せ、彼の愛読する史記も燃えてしまうのだから。

 

護衛たる少女に運ばせるというのもあるが、そんなことをすれば護衛が護衛でなくなってしまうのだ。

彼女は到底、受け入れはすまい。

 

「潮時か」

 

「つまり!」

 

「無役。私と護衛の衣食住を保証する。これを履行してくれるならば誓ってあなたに知恵を貸す」

 

念願の、軍師を手に入れたぞ!

そう叫びたくなる自分を懸命に抑えながら、伯圭は震える声で次の言葉を繋いだ。

 

「では、降りてくるんだぞ?絶対だぞ?」

 

「ああ、降りる。屋敷の用意ができたら使いでも何でも寄越してくれ」

 

既にうきうき調子で山を下りていく伯圭に辟易しながら、李師は軽くため息をつく。

祖母から戴いた、複製本の史記。まだ三十四週しかしていないのに、この山を下りることになろうとは思っていなかった。

 

「李元礼の孫でなければ、こんなことにはならなかったのかな。いや、そうでなければ歴史を知ることなどできなかったし、史記も手元にないからどっこいどっこい、なのか?」

 

卵が先か鶏が先か。そんな慣用句が頭を過り、過った頭を左手で掻く。

伯圭。というか、公孫瓚。彼女がまだ幼かりし頃、相談にのったばかりにここまでズルズルきたのか。

 

珍しくした善行が災いを呼んだのか、珍しいからこそ災いを呼んだのか。

どちらかは解らないが、自分は割りと理不尽な目にばかり合っているような感が、彼にはある。

 

「……全く、何故こうも世の中は私に厳しいのかな」

 

北方戦線で戦い、罹病したのをいい機会に戦災孤児を拾って隠者となったら、また災いが降ってきていた。

 

だが、北方戦線に行かなければ戦災孤児を拾うことはない。罹病したかはわからないが、どっちにしろ自分は隠者となっていただろう。

隠者となり、それを貫こうとすれば口が辛辣になる。辛辣になれば刺客が送られてくるだろうし、それを防ぐことは自分にはできない。

 

つまり、災い第一号と言える北方戦線に行かなければ、自分は死んでいるのだ。

 

「複雑なものだ、全く」

 

ごろりと背を板を敷いた床に預け、李師は一つ欠伸をこぼした。

寝たいときに寝れる生活も、今日明日明後日で終わり。そう考えるとこの虚しい午睡がとてつもなく魅力的なものに見えてくる。

 

そのまま怠惰な睡眠の世界に突入しようとした、その時。

 

血抜きを終えた熊の死骸を引き摺りながら、頭から綸子を生やしたが如き少女が戸を叩いた。

 

「嬰、戻った」

 

「熊は食べられないかな」

 

一瞬で断りを入れ、俊敏な挙動で身を起こす。

熊なんぞをひょいっと家に突っ込まれたら、もはや寝ている場合ではなくなってしまう。

 

そんなことだけは、御免だった。

 

「嬰、楽しい?」

 

「ん?」

 

「楽しそう」

 

取り敢えず熊は街に売りに行くことにした二人が夜食の準備に入った時、紅髪の少女は呟いた。

 

「……そうかな」

 

「そう」

 

家事を終え、配膳まで終えた紅髪の少女にお礼を言うでもなく、李師は食事に手を付け始める。

 

「嬰、頼られたら断われない。頼られたら、嬉しい。だから動く」

 

「嫌だな、恋。私ほど怠惰且つ頼られることを嫌う人間も居ないよ?」

 

「嘘」

 

一言で否定され、李師は軽く怯んだ。

この戦災孤児だった少女には、家事のいろはを教えてそれっきりだというのに、いつの間にやら色々覚えてくる。

 

我流とはいえ武術もそうだし、真実をピシャリと言い当てる慧眼もそうだ。

 

「嫌いなら、相談に乗らない」

 

「……まあ、兎に角引っ越しだ。使者が来たら、ということになるけどね」

 

怠惰で居たいが、人の役に立つのも吝かではない。二律背反の穴を突いたご尤もな指摘を受け、李師はそういえばといったように話題を逸らす。

郡太守・公孫伯圭。彼女がどのような道を辿るか、どこまで位を上げていくかは未だ未知数だが、一つだけわかることがあった。

 

たぶん、自分は彼女の為に働くことになる。何せ、人材が居ないのだから。

 

「……わかってるなら、逃げればいい」

 

「野垂れ死ぬのは御免こうむりたいね」

 

身体が頑健な彼女とは違い、彼の身体は丈夫ではない。旅をすれば道中で死ぬ部類であり、自身もそれを理解していた。

 

「……恋、お願いがある」

 

「何かな?」

 

「武器、欲しい」

 

腰に履いていた骨剣を見せ、その刃の溢れ具合をよくよく見えるように火にかざす。

なるほど、使い込まれただけに壊れかけの惨状ではある。が、決して使い潰されたような印象は受けなかった。

 

恐らく、何回も研ぎ直して使ったのだろう。有り余る膂力を懸命に調整し、力でねじ殺すのではなく技巧を凝らして敵を制す。

計らずとも、彼女の狩りはそのような鍛練になっていた。

 

「何でもっと早く言わなかったんだ?」

 

「大事にしてっていったから、大事にした。恋、頑張った」

 

「物事には限度というものがあってだな……全く」

 

ポリポリと濃紺と黒を混ぜたような髪に埋もれて頭を掻きつつ、李師は軽くため息をつく。

 

「伯圭の元で一手柄上げる。それの報奨金でとびっきりを買ってやるさ」

 

「うん」

 

「それまでは私の履剣で我慢してくれ」

 

李家に伝わる―――と言うほどのものではないが、祖母から戴いた業物の直剣。

彼女の天然物の並外れた膂力に適うかどうかはわからないが、手先が不器用な彼が必死で作った骨剣よりは幾分かマシなはずだった。

 

「嬰の護身、は?」

 

「宝の持ち腐れという先人の偉大な偉大な言葉があり、適材適所という言葉もある。私が狙われたら、得物を持っていても抜く前に命が絶えるさ」

 

「ん。恋が護る」

 

実際彼は、馬にも乗れない。剣を使えない。槍も、弓も、全てがてんでダメである。

 

それとは反対に恋と呼ばれた紅髪の少女は馬はもちろん、剣も槍も弓も独学で境地に達するほどの使い手だった。

 

「よろしく。まぁ、保護者が被保護者に護られるっていうのも、おかしな話だが」

 

「適材適所」

 

「違いないな」

 

軽く笑い、恋は何を笑ったかもわからずにキョトンと首を傾げる。

仕官する、十日前のことだった。


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