合理的に考えればやるべきでないとわかっていても、なぜか無性にやりたくなって我慢できなくなるときがある。
例えば迷いの竹林がそうだ。迂闊に入っても迷うだけだとわかっているのに、やたら挑戦したくて仕方のないときがある。というより、今現在がまさにそうである。その日月見は、妹紅にも竹林のイナバにも道案内を頼むことなく、たったひとりで果てなき竹やぶの中を勇猛果敢に進んでいた。
勝率をいえば、恐らく十パーセントにも上るまい。道案内なしで永遠亭まで辿り着けたのは、この半年で三回か四回か。しかし、今日はなんだかいけるような気がするのだ。出処不明の自信がこんこんと湧きあがってきていて、踏み出す足には欠片の迷いも不安もありはしない。こっちへ進めば間違いなく辿り着けるはずだと、正体不明の確信が月見を支配している。
月見とて、今まで考えなしに妹紅やイナバの背中にくっついていたわけではないのだ。道案内される中でも、月見は常に道を覚えようとたゆまぬ努力を重ねてきた。足を踏み入れるたびに景色を変える竹林で、風景を目印にするのは危険かつ無意味なので、どの方向に何歩進むのかを体に繰り返し教え込んだ。今日がその集大成を見せるときだ。この方向に何歩進むのかは忘れてしまったが、ともかく今日はいけるはずなのだ。
右へ曲がる。
少女がいた。
「おっと」
「ふみ゛ゃあっ!?」
正確にいえば、ほんの二~三メートル先も見えない深い霧の中から突然出てきた。つまりは向こうにとっても月見がいきなり出てきたように見えたわけで、心底驚いた少女は後ろにつんのめって見事な尻もちをついた。
「いったー……」
「悪い、大丈夫か?」
はじめて見る少女だった。ぴょこりと尖った大きな獣耳と、ドレスの下から覗く尻尾、そして鋭利な指先の爪、痛がる口の端から覗く犬歯。月見の脳裏にすぐさま狼という言葉が浮かび、続けて赤蛮奇とわかさぎ姫の友人だという少女の名前も浮かんだ。
少女は目を丸くして月見を見上げ、
「ど、どちらさま? こんなとこに誰かいるなんて珍しい……」
「月見。ただのしがない狐だよ」
月見は少女に手を差し伸べる。少女は「はあ」と気の抜けた返事をして、とりあえずといった感じでその手を取り、
「こんなところになんの用で……」
月見に引かれて立ち上がる。
「……っと、ありがと。えーっと、私は今泉影狼よ」
案の定、少女はわかさぎ姫が言うところの『かげちゃん』だった。輝夜に負けないくらい長く豊かな黒髪と、ドレスを下からまくりあげて自己主張する大きな尻尾が目を引く、ふかふか毛並みのルーガルーであった。抱き締めたらすごく気持ちよさそうだ。早苗なら間違いなく、「ちょっとだけ! ちょっとだけですからっ!」と目を輝かせて詰め寄るシロモノである。
「話はかねがね、赤蛮奇とひめから」
「は? なんであの二人のこと……って、ちょっと待って」
影狼は月見を上から下まで観察し、
「月見……銀色の狐……」
なにかに気づいた顔をした。猜疑の色で目を眇め、
「……ねえ。ひょっとしてひめを……その、た、食べようとしたのって」
「……ああ、それは私」
「ふか――――――――――ッ!!」
「おお!?」
いきなり鋭い爪を振りかざして跳びかかってきた。月見は奇跡的に躱した。
「いきなりなんだ!」
「う、うるさいっ!? お、お前なのね、ひめにひどいことしようとしたのは!」
「いや、違うけど」
「『それは私だ』ってさっき言ったでしょ!?」
言っていない。月見は「それは私の知り合いだね」と言おうとしたのだ。そして、誰かさんがいきなり跳びかかったりしてこなければ、ちゃんとそのように言えていたはずだ。
影狼は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「さ、最ッ低!! 優しそうな顔してとんだケダモノね!? その上ひめを騙して籠絡するなんて……!」
「……??」
なんだろう、話が見えない。今しがた跳びかかられたのはまだいいとして、『ケダモノ』とか『籠絡』とかは一体どこから出てきた言葉か。なぜ影狼は顔を真っ赤にしてわなわな震えているのか。怒っている、だけではないような気がする。なにやら致命的な誤解をされているのではないか。
などと月見が考えているうちに、影狼はバネのように身を縮めて、
「私の友達に仇為すやつは、ここで成敗してやる!」
助走をつけて跳びかかろうとしたのか、スペルカードでも宣言して弾幕を放とうとしたのか、果たしてどちらだったのかはついぞ月見にはわからなかった。犬歯を剥き出しにし、唸り声をあげるような勇ましい顔つきで、影狼は大きく後ろへ跳躍して距離を取り、
その瞬間に落とし穴に落ちた。
「へ、」
影狼が悲鳴を上げる間もなかった。彼女の姿が一瞬で月見の視界から消え、ほとんど同時に、バシャンと水たまりに落ちたような音。それっきり静まり返り、気の毒なほど静まり返り、やがてか細くか細く、
「……ぐすっ、……う、うえええ……!」
「……」
月見は顔を覆ってため息をついた。
迷いの竹林には因幡てゐというイタズラ兎が棲んでいて、落とし穴をはじめとするあんな罠やこんな罠を張り巡らせては獲物が引っ掛かるのを心待ちにしている。あの落とし穴もその一環で仕掛けられ、そのまま忘れ去られてしまったものであろう。たまにあるのだ。幸い月見が被害に遭ったことはないが、道案内の妹紅が何度も涙を呑まされている。
「う、うううっ、うわあああああん……!」
さておき。
この声から察するに、落ちた影狼は泣いてしまったらしい。「バシャン」と音がしたから、さしずめ泥水でも入れてあったのだろう。一度似たような罠に落ちた妹紅が、様子を見に来たてゐで兎鍋を作ろうとしたことがあった。
周りに別の罠が張られている可能性も否定できない。月見は念を入れて軽く浮きあがり、真上から落とし穴の底を覗き込んでみる。
「ぐすっ、えぐっ、……ひぐっ」
穴の深さは二メートル程度で、底には案の定泥水がしたためられていた。影狼は尻もちをついた恰好で、胸のあたりまでどっぷり泥に浸かって、哀愁漂う嗚咽でずびずび鼻をすすっていた。白と赤の色鮮やかだったドレスはもちろん、艶やかだった黒髪も半分以上が泥の中だ。泥の水溜まりに落ちたというより、泥風呂に浸かっているというべきかもしれない。
確かにこれは泣く。月見もきっと、同じ目に遭ったら心の中で泣く。
「う、うええええええええ!」
覗き込む月見に気づいて、影狼がますます大声で泣き始めた。助けを求めているのか、それとも人に見られた羞恥と屈辱で心が折れてしまったのか。
どうあれ、見過ごせまい。幸いにも幅のある大きな落とし穴だったので、月見は泥に足がつくギリギリまで下りていって、
「ほら、大丈夫か?」
本日二度目、影狼にそっと手を差し伸べるのだが、
「うええええええええ」
「……おーい、影狼?」
「わああああああああん」
「……」
影狼はぴーぴー泣くばかりで、月見の手を取るどころか目を合わせてもくれなかった。
――わかさぎ姫曰く、影狼は自らを『誇り高きルーガルー』だと豪語しているという。
紫にせよレミリアにせよ幽香にせよ、そういうやつに限って子どもっぽいのはもはやお約束なんだなと思いながら。
月見は仕方なく、泣き虫かげちゃんを頑張って慰めるところから始めることにした。
○
ぐすっえぐっと半泣きな影狼を引っ張って、月見は水月苑まで戻ってきた。
いろいろ考えた結果、距離がある分の手間を差し引いてもこうするのが一番のような気がしたのだ。竹林に分け入って間もなかったのと、帰りの道のりを忘れていなかったのが幸いした。影狼の泥を落とすことができ、代わりの服を用意することができ、ついでに彼女の「ケダモノ」「籠絡」なる誤解を解くこともできる場所――すなわち、温泉がある、貸出用の浴衣がある、わかさぎ姫がいるの三拍子揃った水月苑をおいて他にはない。
運がいいことに、池のほとりにはわかさぎ姫だけでなく赤蛮奇の姿まであった。
わかさぎ姫が水月苑の池に移り棲んだと知ってから、ちらほらと遊びに来るようになっていたのだ。それ自体は一向に構わないのだが、初対面の相手をとりあえず生首モードでおどかそうとする癖のせいで、なにかと騒ぎを起こしてばかりなのには手を焼かされている。驚くあまり池に落ちた者は数知れず、その場でふっと卒倒してしまった者や、泣き出してしまった者も少なからずいる。もっとも、咲夜や藍や映姫が可愛らしく悲鳴をあげる瞬間を見られたという意味では、決して悪いことばかりではないのだけれど――。
さておいて、二人仲良く世間話を楽しんでいる風だったので、月見はこれ幸いとその隣に降り立った。
「赤蛮奇、ひめ」
「あ、これは旦那様。おかえりなさ――」
振り向いた瞬間、赤蛮奇は胸から下が真っ茶色な友人の姿に目を丸くした。
「おぉ……影狼、随分と変わり果てた姿になって」
「わあっ!? ど、どうしたのかげちゃんその恰好!」
田んぼに落ちたってこうはなるまい。普段がおっとりなわかさぎ姫も、これにはさすがにびっくり仰天だった。影狼がぐすっと情けなく鼻をすすった。
かくかくしかじか、月見はここに至るまでの経緯を説明する。竹林のイタズラ兎については聞き及んでいたようで、二人ともすぐに納得してくれた。
「なるほど、落とし穴に。運がなかったわね、影狼」
「ぐすっ」
大鷲に二度も頭を攫われた赤蛮奇が言えたセリフではないと思う。
「かげちゃんったら、ドジなんだからぁ」
「……ぐすっ」
たまに釣り竿で釣られているわかさぎ姫が言えたセリフではないと思う。
月見は話を進める。
「そんなわけだから、風呂にでも入れてやってくれないか。ここのを好きに使ってくれていいから」
「それは構いませんが……」
赤蛮奇の瞳がきらりと光り、
「もしかすると、貸し切りというやつでしょうか」
「ああ、どうぞ。影狼を綺麗にしてくれさえすれば、あとはゆっくり楽しんでもらって構わないよ」
「お任せください、影狼は私が責任を持って綺麗にします」
とても頼もしい熱意に満ちた言葉だった。しかし、以前月見と体捜しをしたときよりも明らかなやる気が感じられるのは気のせいだろうか。赤蛮奇の頭の中では、温泉>自分の体なのだろうか。
わかさぎ姫が咄嗟に手を挙げ、
「あー旦那様、私も入りたいですー」
「ご自由にどうぞ。影狼をよろしくね」
「はぁい。ありがとうございますー」
これでいい。友達と一緒にのんびり湯船を楽しめば、幼児退行気味な影狼の機嫌も自ずと回復するだろう。ついでに、「ケダモノ」「籠絡」なる誤解もお湯に溶けて流れてしまえばよいと願う。
わかさぎ姫が改めて泥だらけの影狼を上から下まで眺め、難しそうに眉根を寄せた。
「でもかげちゃん、それじゃあお洋服はもうおじゃんねえ。洗っても落ちないと思うし」
「ぐすっ」
「備えつけの浴衣があるからそれを使ってくれ。間に合わせくらいにはなるだろう?」
「あー、はい。それはありがとうございますなんですけどー……」
わかさぎ姫がふいに月見を凝視する。品定めをするような顔つきで、月見の瞳を奥の奥まで覗き込む。なんとなく目を逸らしてはいけない気がして、月見はまばたきも惜しみながら辛抱強くわかさぎ姫の言葉を待つ。
その反応が満足だったのか、わかさぎ姫は再びほわっと笑って、
「……でも、旦那様なら大丈夫ですねぇ」
「ん?」
なんのことかわからない月見に、にやりとした赤蛮奇が、
「つまりですね、服の替えは用意できても下着の」
「ふか――――――――――――――――ッ!!」
「おうっ!?」
涙目から一転、一瞬で真っ赤になった影狼が赤蛮奇に跳びかかった。首を的確に奪い取り地面に押さえつけて、ボールを獲物と見なした犬さながらの激しさで、
「あっやめて影狼噛まないで、ってかあのねあのねそんな泥だらけでじゃれつかれたら私まで泥だらけになっちゃうからちょっと待って待ってやめてやめあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
「がうがうがうがうがう!!」
転がしたり叩いたり噛みついたりする影狼の、パタパタと忙しなく動く尻尾を眺めながら、月見はぽつりと小さく言った。
「……犬だね」
「はぁい」
わかさぎ姫は、頬に手を当ててとても微笑ましげな様子だった。
「かわいいでしょ」
「……そうだね」
赤蛮奇には悪いが。涙目で友人の首を泥だらけにしていく少女の姿には、なかなかどうして憎めない愛嬌があった。
「ガルルルルルルルルッ!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
それにしてもこの生首、あいかわらずである。
○
女の子らしい長風呂となり、三人があがってくる頃にはすっかりお昼時だった。まず「只今あがりました」と首を浮かせた赤蛮奇が茶の間に入ってきて、続けて「とっても気持ちよかったですー」と実は飛べたらしいわかさぎ姫がふよふよと漂ってきて、最後に、
「……」
注意深くぴっちり浴衣を着込んだ影狼が、いささかバツの悪そうな顔をしてそろそろと戻ってきた。腿のあたりを念入りに両手で押さえ、小さい歩幅でちょこちょこと歩いている。なぜそんなに変な歩き方をしているのかを問えば最後、間違いなく引っ掻き攻撃が飛んでくるので、月見は気づかなかったふりをした。
テーブルまで三人を促す。
「おかえり。……桃を剥いたからよければどうぞ」
テーブルの中央には、桃の切り身を載せた小皿が三枚。天子は今でも積極的に桃を差し入れしてくれる。それ自体はとてもありがたいのだが、何分差し入れの回数が多いので、こうして隙あらば客にご馳走していかないとすぐ腐らせてしまうのだ。
「おお、なんと至れり尽くせりなのでしょう。旦那様への好感度がギュンギュン上昇しています」
「……」
「待ってください、そんな能面みたいな顔しないでください」
この抜け首少女、だんだんとキスメに似てきてやいないか。あんな少女が幻想郷に二人も……想像するだに恐ろしい。
「冗談はいいから早くお食べ、ぬるくなっちゃうからね」
「おう……確かに冗談ではあるのですが、そんなにあっさり流されると女として複雑です」
「いいからいただきましょ。ほら、かげちゃんが涎垂らしそうだもの」
「そ、そんなことないっ!」
ならば、いま慌てて口元を拭ったのはなぜなのか――敢えてまで問うまい。
赤蛮奇たちは、月見の正面に三人並んで座った。左から、わかさぎ姫、影狼、赤蛮奇の順番だ。肩が触れ合うくらいに詰めても誰も気にしていないあたり、この三人は本当に仲がいいのだと月見は思う。
いただきまーすと三人とも行儀よく言って、早速影狼が手を伸ばそうとしたところで、
「あ、影狼」
いきなり赤蛮奇が、
「お手」
「わん!」
影狼はとても元気にお手をした。それはもう、よく躾されたわんこのように完璧かつ見事なお手だった。
そして沈黙する。微笑ましい一場面を見た者たちの間で発生する、ほんわかと柔らかな沈黙である。その『微笑ましい一場面』となってしまった影狼は笑顔のままじわじわと赤くなり、次第にぷるぷると震え始めて、
五秒、
「――がううううううううっ!?」
「ふぐうっ」
影狼が赤蛮奇のおでこをぶっ叩き、吹っ飛んだ首が部屋の隅まで転がっていった。
月見の浮かべるほのかな笑みに気づき、影狼は顔中を真っ赤にして叫ぶ。
「ち、違っ! 今のはその、冗談っていうか、無意識っていうか、……とにかく違くて!」
「かげちゃん、お手ーっ」
「わんっ! ……………………うがああああああああ!?」
「ひえええええっ!?」
なにをやっているのかこの娘たちは。
影狼に押し倒されてぺちぺち叩かれる人魚を尻目に、赤蛮奇の首がふよふよと戻ってきて言う。
「……とまあこんな感じで、犬……もといルーガルーの今泉影狼です。私とひめ共々、どうぞよしなに」
「犬じゃないってばあああああ!」
「影狼、お手」
「わ――も、もう引っ掛からない! もう引っ掛からないからね!?」
どうやら今泉影狼は、月見が思っていたよりもずっとずっと犬っぽい少女のようだった。はじめわかさぎ姫から話を聞いたときは、ビーフジャーキーを見せたら飛びつきそうだなんて冗談めかして考えたものだが、ひょっとするとあながち間違ってもいないのかもしれない。ビーフジャーキーを買い置きしていないのが悔やまれる。
ともかく、話が進みそうにないので月見は手を叩き、
「はいはい、ふざけるのはおしまいにして。影狼にちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「……なによ」
影狼がわかさぎ姫を尻に敷いた恰好のままで睨んでくる。わかさぎ姫が「かげちゃん重い~」と音を上げて、影狼にほっぺたをむいーっと引っ張られている。
月見は構わず、
「竹林で、『ケダモノ』とか『籠絡』とか言ってた件なんだけど」
「あ、あー」
影狼はぎくりとして、
「えっと、あれは私の勘違いだったわ。悪かったわね……」
「そうか?」
影狼が、逃げるようにあてどなく目線を泳がせている。まるでその話はするなと言わんばかりである。月見はまあわかってもらえたならいいかとスルーしようとしたが、まさか赤蛮奇が見逃してくれるはずもなく、
「話は温泉に入りながら聞きました。影狼ったらなんと、旦那様がひめを性的に食」
「うにゃあああああ――――――――――っ!?」
「おうっ」
また部屋の隅まで転がっていく、赤蛮奇の生首。
それを目で追いながら月見は、なるほどそりゃあケダモノだと内心納得した。例えば「あの狐のところで食べられそうになった」とわかさぎ姫が言ったとすれば、そういった誤解が起きる可能性もなくはない――のかもしれない。随分と想像力が豊かな話だとは思うが。
ところで影狼がそんな誤解をしてしまったということは、すなわち誤解されかねない発言をした元凶がいることを意味する。
「赤蛮奇、ひめ。一応確認するけど、変なこと言い触らしちゃいないだろうね」
「とんでもないです、影狼が勝手に誤解しただけです」
「そうです、悪いのはかげちゃんですー」
「だ、だって! 女が男のところで『食べられそうになった』って言ったら、普通そっちを疑うでしょ!?」
「「いやあ……ないわ」」
「うわあああああん!!」
友人二人になまあたたかい目をされ、影狼はそろそろ涙目だった。
「影狼は耳年増で想像力豊かだからね。でも大丈夫、そんな影狼が私たちは好きよ」
「ぜえええんぜん嬉しくないなあああああ!?」
「どうせバレるんだから、変に猫被らないで最初から本当のあなたをかみんぐあうとしていくのもありだと――待って待って暴力反対犬パンチ禁止やめてやめあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
茶の間の隅っこで、影狼必殺の犬パンチがビシバシ炸裂する。……「ふざけるのはやめ」と言った月見の舌の根も乾かぬうちにもうこれだ。ひょっとするとこの少女たちは、月見が知り合った中では最も――紫と藤千代と操の三バカ娘以上に――賑やかで愉快な三人組なのかもしれなかった。
「がうがうがうがうがうっ!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
それにしてもこの生首、以下省略。
○
食べ物の力は時に偉大である。
元気がよすぎる三人娘のせいでなにがなんだかわからなくなりそうだったので、月見はいい加減彼女らに桃を召し上がってもらった。すると赤蛮奇もわかさぎ姫も影狼もすっかり大人しくなってフォークを動かし、なんとも幸せそうに表情筋を弛ませるのだった。中でも影狼が微笑ましい。元気に口を開けて桃を頬張り、すっかり骨抜きされた笑顔ではむはむ咀嚼しつつ、大きな犬耳がご機嫌にぴこぴこと揺れる。犬は犬でもこれでは子犬だ。ここまで幸せそうに食べてもらえるなら桃たちも本望に違いないし、もう少し見ていたいと思った月見が追加の桃を剥き始めるまで時間は掛からなかった。
「ところで、旦那様」
そして追加の桃ももうすぐ食べ終わろうかという頃合いで、赤蛮奇がふいに口を切った。
「旦那様は、『草の根妖怪ネットワーク』というものをご存知ですか?」
「いや? なんだいそれは」
「よくぞ訊いてくださいました。私たち三人が立ち上げたチームの名です」
誘導尋問を喰らった感覚。
さておいて、
「なにをするチームなんだい」
「特になにもしません」
「は、」
「どうでしょう。旦那様も、私たち『草の根妖怪ネットワーク』に所属してみませんか」
「いや待て、なんだ『なにもしてない』って」
「? そのままの意味ですが」
ひょっとすると月見はおちょくられているのだろうか。この抜け首少女ならやりかねないと思う。
なので、ここは嘘とは無縁そうなわかさぎ姫に目配せをしてみる。彼女は桃を咀嚼しながら少し考え、
「……えっと、特別なことはほんとになにもやってないんですよー。強いて言えば、『お友達として仲良くするチーム』って感じで」
つまりは、ある目的を持って結成された集団ではなく、単なる仲良し同士の集まりということだろうか。
だが、それはそれで新たな疑問が浮かぶ。
「なぜ私にその話を?」
「それはもちろん、旦那様とより親睦を深めたいと思いまして」
「それこそなぜだい? まさか、知り合った相手全員に声を掛けて回ってるわけじゃないだろう」
「もちろんですとも。私自身、旦那様と出会うまでは殿方に声を掛ける日が来ようとは思ってもいませんでした」
月見は黙して続きを促す。
「先日の体捜しの一件で実感したのですが……旦那様の周りはとても賑やかで楽しいのです」
「うんうん」
わかさぎ姫が二度頷き、
「私もここに棲むようになってから、毎日いろいろなことがあって退屈しませんー」
「それは私なんて関係ないさ。お前たち自身に魅力があるからこそ、周りも自然とお前たちを受け入れてくれるんだよ」
「それも、旦那様がいてこそなのだと私は感じます」
赤蛮奇は言う。
「旦那様が上手く間を取り持ってくれるのです。だからどんなに賑やかでも、決してやかましくなく、楽しいと感じることができるのではないでしょうか」
「……まあ、誰かが首だけで何度も人をおどかしたり、何回注意してもそこの橋で釣られたりするものだから、間を取り持たざるを得ないというかね」
赤蛮奇とわかさぎ姫がさっと目を逸らした。影狼は幸せそうに残り少ない桃をはむはむしていた。
「……ともかく、私は、旦那様の周りの賑やかな空気に惹かれました。なのでより親睦を深めるため、『草の根妖怪ネットワーク』にご招待したいと思うのです」
要するに「私たちともっと仲良くなりましょう」という、随分と光栄な申し出のようだった。赤蛮奇が言うことなので面白半分というのも否定はできないが、それでも異性の月見を、自分たちのチームに入れてもいいと認めてくれたのは素直にありがたかった。
「……仮に私がそのチームに参加するとして」
わかさぎ姫と影狼を見る。
「お前たちはいいのか?」
「私は大歓迎ですー」
わかさぎ姫が即答した。まあ、彼女ならそう言うのだろうなと思っていた。彼女はきっと、相手が誰であろうともそうやって、ふんわりと両手を合わせて歓迎してしまうだろう。たとえ食べられそうになっても「最近の小さいお子さんは元気ですねー」で済ませてしまう人魚姫は、懐が並々ならぬほど広いのだ。
問題は影狼である――と思ったのだが、意外にも彼女の反応はさばけていた。
「まあ、別にいいけど。ただし、二人を傷つけるようなことしたら許さないから」
「……、」
月見は毒気を抜かれた。赤蛮奇やわかさぎ姫はまだしも、影狼とはまだ今日はじめて出会ったばかりで、しかも運悪く誤解があったせいで第一印象もよくなかった。加えて彼女は赤蛮奇のように脳天気なわけでも、わかさぎ姫のようにお人好しなわけでもない。誤解が解けたとはいえ、内心ではまだ月見を警戒しているのではないのか。そんな相手をあっさりチームの一員と認めてしまうのは、単に二人に意見を合わせただけなのか、それとも彼女なりの思惑があってのことなのか。
顔に出ていたらしく、赤蛮奇に読まれた。
「ふふふ。なんだかんだで影狼は、異性の友人というのに興味津々なんです。なんといっても耳年――待って影狼、爪はダメ、ダメ」
この抜け首少女は、定期的にふざけないと生命活動に支障を来す病にでも罹っているのかもしれない。永遠亭を紹介するべきかどうか、そろそろ本格的に悩み始める月見である。
爪を光らせ赤蛮奇にじりじり詰め寄る影狼の後ろから、わかさぎ姫がすかさず、
「こらあっ、ダメよかげちゃん! おすわりっ!」
「……わん!」
影狼は元気におすわりをした。影狼基準だと、おすわりは所謂女の子座りらしかった。
五秒、
「――ひいいいいいめええええええええ!?」
「ひえええええ!?」
「こらっやめなさい影狼! おすわり!」
「わん! ……う、うわああああああああああん!?」
「……」
……ああ、せっかく静かだったのに。
涙目で暴れる影狼、押し倒されるわかさぎ姫、転がっていく赤蛮奇の首。何度言っても賑やか極まりない三人娘を眺めていたら、月見は気づいたときには、
「ッハハハハハ」
と、声をあげて笑っていた。
赤蛮奇たちが揃ってピタリと動きを止め、目を丸くして月見を見返した。月見は込み上がってくる笑みを噛み殺し、ひとつの大きな吐息に変えて吐き出して、
「――まったく。私は、お前たちの方がよっぽど賑やかだと思うけどね」
部屋の隅の方で、赤蛮奇の首がころんと横に転がった。首を傾げようとしたのだと思う。
「……そうでしょうか?」
「そうだとも。たった三人でここまで賑やかなのはそうそういないぞ。特に影狼、お前が入ったら見違えるようだ」
「え。そ、そう? ……でもなんだろ、あんまり褒められてる気がしないような」
影狼に押し倒されているわかさぎ姫が、大きな尾びれをじたばたさせて呻く。
「かげちゃん重いよぉ。潰れちゃうからどい」
「ひいいいいいめええええええええ!?」
「ふみょみょみょみょみょ!?」
そして、影狼がわかさぎ姫のほっぺたをみょーんみょーんと引っ張る。
本当に。紫と藤千代と操が揃ったって、ここまで賑やかになるかどうかわからない。けれど決してやかましく不快なのではなく、知らず識らずのうちに笑みが浮かんでしまうようなかわいらしい喧騒だった。三人の途方もない仲のよさを、これでもかと見せつけられている心地がした。
だから月見はこう言った。
「わかった。入ろうじゃないか、『草の根妖怪ネットワーク』」
「おおっ」
赤蛮奇の首がすかさず飛んできて、月見の周りを一回転した。
「よろしいのですか?」
「お前たちがよければね」
「ダメなのでしたら誘っていません」
「ふみゅみゅみゅみゅみゅ!?」
「こらぁっひめ、影狼! じゃれ合ってる場合じゃないわよ、旦那様が私たちのメンバーに」
「元はといえば誰のせいかなああああああああ!?」
「ふみぇみぇみぇみぇみぇ!?」
今度は赤蛮奇が影狼にほっぺたむーいされるのを、苦笑混じりで眺めながら。
だから私は入るのだろうな、と月見は思う。やっぱり自分は、元気いっぱい活気いっぱいなみんなの姿を眺めているのが好きなのかもしれない。昔から、紫を筆頭とするお転婆な少女たちと縁があったお陰で。疲れを知らずあちこち跳ね回る彼女らの姿は、その場の空気だけでなく月見の生活までより明るいものにしてくれる。退屈に殺されるくらいなら慌ただしさに忙殺される方がよっぽどよくて、元気がよすぎる彼女らに手を焼かされるのもひとつの醍醐味なのだ。
もっとも周りが賑やかになればなるほど、一人でのんびりしたいときに限って放っておいてもらえなくなる可能性は高まるけれど――それはまあ、そのときに考えることとして。
とりあえず。
「かにぇおう、はにゃひをひひはにゃにゃにゃにゃにゃ!」
「かげちゃんおーもーいー! どーいーてーつーぶーれーるーっ!」
「がううううううううううっ!!」
……また、桃を剥こうかなあ。
○
いじる赤蛮奇とわかさぎ姫、そしていじられる影狼という構図は、結局その日がお開きになるまで延々と続いた。やはり影狼は、『草の根妖怪ネットワーク』の中では逃れようのないいじられポジションなのだった。
それから、数日後のことである。
咲夜と一緒に水月苑二階の大広間を掃除していたところ、月見はふと、庭の方で誰かの言い争う声があることに気づいた。
「こらぁっかげちゃん、ちゃんと自分でやらなきゃダメでしょっ。人任せで楽な方に逃げようとしてー!」
「だ、だってぇ!」
というか、わかさぎ姫と影狼だった。月見は疑問符を浮かべている咲夜に、
「知り合いが来たみたいだ。ちょっと行ってくるよ」
「わかりました。では、私は掃除の方を進めてますね」
断りを入れて一階へ下り、玄関に向かう。外からはあいかわらず、「逃げちゃダメ」とか「恥ずかしい」とか二人の言い合う声が飛んできている。
わざと勢いよく戸を開けた。
「どうかしたのかい、二人とも」
「み゛っ!?」
反橋の袂付近の水辺で、影狼がびくーんと大きく飛び跳ねたのが見えた。わかさぎ姫が、この機を逃すかとばかりに水の中から大きく手を振り、
「旦那様ー! かげちゃんがぁ、お話があるみたいですー!」
「ひ、ひめぇっ!」
「ちゃんと自分でやりなさいっ」
影狼が「ひぇえ」と変な声で鳴いて、右へ左へわたわたおろおろしている。なぜそんなに慌てているのか月見にはわからない。話というのは、その両手で大事そうに抱えている水月苑の浴衣ではないのだろうか。
助け舟を出してみることにした。
「おはよう、影狼。浴衣を返しに来てくれたのかな」
予備をもう一着持っていたのか、それともわざわざ新調したのか、影狼ははじめて竹林で出会ったときと同じ恰好をしていた。赤と白の対比が鮮やかな大きめのドレス。足元まで覆うスカートでも隠し切れないふさふさの尻尾が、緊張であっちこっちへ忙しなく動いている。
影狼は立ち止まり、
「え、ええ……」
頷くなり意を決して大きく息を吸い、ヤケクソ気味な小走りで月見の目の前までやってきた。つっけんどんな態度で浴衣を差し出し、目も合わせずぶっきらぼうな口振りで、
「こ、これっ。貸してくれてありがとう」
「どういたしまして」
月見が受け取ろうと手を伸ばした瞬間、影狼ははっとして浴衣を引っ込め、
「い、言っておくけどね!」
犬歯を光らせながら吠えた。
「ちゃ、ちゃんと念入りに洗ったから! ……三回くらい洗ったから! だから借りたときよりキレイなわけで、変なことに使おうとしてもムダよ!」
「? 変なことって?」
「え? そ、それは……」
浴衣でできる変なことといえば、左前で着るとか。それくらいしか思い浮かばなかった月見が問うた途端、影狼は目に見えて狼狽えた。緊張とは別の感情で顔を赤くし、伏し目がちになりながら小声で、
「その……に、においかいだり……とか」
「……」
……ああ、そんなこと考えたりしてるから妙に緊張してたわけね。
「お前、本当に想像力豊かなんだなあ……」
「そ、そんな菩薩みたいな顔しないで!? こ、これくらい女として警戒して当然でしょ!?」
否定はできない。できないが、月見がそういった卑しい悪事を働く輩だと思われているのなら心外の一言に尽きる。山の天狗じゃああるまいし。
わかさぎ姫が池のほとりから言う。
「旦那様はそんなことしませんよねー?」
「考えもしなかったよ」
「ほらぁ。かげちゃんのへんたいー」
「う、うぐぐぐぐぐう……っ!?」
想像力豊かなかげちゃんはぷるぷる涙目だった。
「安心してくれ、誓ってそんな真似はしないから。じゃなきゃ、温泉宿なんてとっくの昔に廃業してるさ」
「むう……」
月見が管理する温泉なら大丈夫だろうと、多くの少女たちから信頼を寄せられている身だ。彼女らの気持ちを裏切ることすなわち、月見の存在が社会的に抹殺されることを意味する。確実に死ぬとわかりきっている自殺行為を敢えてする勇気など、月見は持ちあわせていないのだ。
だから、
「だから、一旦落ち着いて――」
月見は影狼に右手を差し伸べ、微笑んだ。
「――お手」
「わんっ!」
もちろん、影狼は元気にお手をした。
白状しよう。はじめ見たときからずっと、一度でいいからやってみたいと悪戯心を刺激されていたのだ。影狼の掌は、肉球的な感触が表れているのか大変ぷにぷにで柔らかかった。
「……………………………………………………」
影狼、笑顔のまま石化。
○
殴られるわ蹴られるわ引っ掻かれるわ噛みつかれるわでボロボロになった月見が、やっとの思いで大広間に戻ると、咲夜がじとーっと半目でお出迎えしてくれた。広間の掃除はとっくに終わったらしく、隅々まですっかりピカピカになっている。
拗ねた子どもみたいな口振りだった。
「月見様には、あんなご趣味があったんですね。知らなかったです」
間違いなく、『お手』のことを言っているはずである。月見はどう答えるか少し悩み、
「……つい魔が差してね」
「じー……」
咲夜の半目が、月見の良心に風穴を空けそうだった。
「と、ともかく。掃除はもう終わったのかな」
「じ――――……」
「どうだい、少し休憩でも……咲夜?」
「じ――――――――……」
少し様子がおかしい。無論、月見が今しがたやってきた『お手』に原因はあると思う。草の根妖怪ネットワークの中では割と日常茶飯事でも、よそにとっては違うのだと理解はしている。
けれど、それにしても。
怒っている、というより。
どことなく、不満そうな。
「……」
月見にとって十六夜咲夜は、純粋な人間の中では、今年の春から最も多くの時間をともに過ごした相手である。だからなのか、わざわざ言葉にされずとも、彼女がなにを訴えているのかなんとなくわかってしまうときがあるのだ。
その感覚によれば、咲夜がこのジト目で訴えようとしているのは――。
「……咲夜」
自分の正気を疑いながらも、月見が己が感じた通りに行動してみた。
「――お手」
と。
そう言って月見が差し出した右手に、
「わんっ」
十六夜咲夜は、待ってましたと言わんばかりにお手をした。
どうやら正解だったらしい。月見は己の直感を手放しで褒めた。もし勘違いだったらとんでもない赤っ恥だっただけに、まるで一世一代の大博打に勝利したような心地だった。
問題は。
なにゆえ十六夜咲夜が、自ら率先して月見に『お手』をしているかである。
「……咲夜?」
「……、」
月見の目の前で、「待ってました」な咲夜は段々真顔になって、うっすらうっすらと赤くなっていって、
次の瞬間、咲夜の姿が忽然と消えた。不意を衝かれてあたりを見回すと、大広間の隅っこでうずくまりしゅうしゅうと湯気をあげている後ろ姿が見えた。
「……なにやってるんだい」
いつぞやの妖夢みたいな反応である。
咲夜は恥ずかしさたっぷりの小さくしぼんだ声で、
「も、申し訳ありません……。面白そうだと思って私もやってみたんですけど、その……お、思いの外恥ずかしくなってしまって……」
咲夜には意外と天然な一面がある。そうでなければ、面白そうだから自分も『お手』をやってみよう、なんてことは逆立ちしたって考えられないはずだ。更には実際にやってみてはじめてその恥ずかしさに気づき、部屋の隅っこでしゅうしゅう湯気をあげてしまうのだから、まったくもって妖夢も苦笑いな天然っぷりだと思う。
ふと考える。
「お前は、動物になったら犬が似合いそうだね」
元々主人想いだし、自分の仕事に一生懸命だし、さっきの『お手』なんて影狼顔負けだった。今の月見の眼力なら、うずくまる咲夜の腰付近にへんにゃりと垂れた尻尾を幻視できる。カチューシャのあたりに犬耳も見えるのである。
咲夜は顔を上げぬまま、
「犬……ですか。そういえば、狐も生物学上は犬の仲間だと聞きました」
「ああ、そうだね。なら、咲夜も犬になったらおそろいだ」
「……」
「まあそんなことより、少し休憩しようか。すまなかったね、ほとんど任せちゃって」
「あ、いえ……」
その後、休憩を終えてからも咲夜はテキパキとお手伝いを続けたが、終始、どこか上の空でなにかを考え込んでいる様子だった。尋ねてみても「なんでもないです」の一点張りだったので、追及はしなかったが。
「なんで私は人間なんだろう……」と大変哲学的な呟きが聞こえたので、もしかすると咲夜は、思春期特有の人生の悩みにぶつかってしまったのかもしれない。
――というのはもちろん、月見のただの勘違いである。
その日の夕方、紅魔館に戻った咲夜はパチュリーに問うた。
「パチュリー様……」
「なに? どうしたの、そんな思い詰めた顔で」
「はい……あの、犬耳が生える魔法ってありますか?」
「は」
「できれば尻尾も」
「し、」
果たして咲夜に犬耳が生えたのかどうかは――きっと、七曜の魔女だけが知っている。