銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第89話 「その付喪神、弾丸少女につき」

 

 

 

 

 

 事前に話の筋道は考えていたつもりだったのだが、実際に喋り始めてみるとこれがなかなか難しかった。覚悟は決めたなんて恰好つけておいて、実はまだまだ心の整理をつけられていなかったといういい証拠だ。けれど慧音は迷惑な顔ひとつせず真摯に耳を傾けてくれて、お陰で月見は、『神古』にまつわる因縁を知りうる限りで語り終えることができた。

 

「……なるほどな。事情はわかった」

 

 静かな反応だった。手元の湯呑みをゆっくりと回しながら、慧音はひとつ大仰に頷いた。それから目を伏せ、そっと包み込むような声で、

 

「……ようやく、向き合うことにしたんだね」

「……ああ」

 

 もちろん、慧音は輝夜と同じで、はじめからすべてを察していた者の一人だった。かつて『神古』という名の友がいたことを、永遠亭で彼女に話したのは他でもない月見だ。早苗に連れられやってきた志弦とはじめて出会ったとき、思わず動揺してしまって、誤魔化すのがちょっと大変だったそうである。

 顔を上げた慧音は、少し苦い表情を作った。

 

「しかし、そうか。地底に『神古』の名を恨む妖怪が……か」

「……」

「確かに、あまり気楽に構えられることではないな。誤解でも志弦に危険が及びかねない」

 

 返す言葉が見つからなくて、月見はそっと視線を横に逃がした。部屋の角に棚があり、くたびれた風格の和綴本と、なにが書かれているのかも知れない紙の束がいくつも収まっている。

 慧音の家にはもう何度かお邪魔している身だが、寺子屋の教師をしている者らしく、もしくは幻想郷の歴史を編纂している者らしく、ここはたくさんの書物であふれた家だった。玄関と風呂場以外で本の置かれていない場所はないんじゃないかとすら思う。この茶の間はまだ片づいている方だが、これが彼女の私室あたりになると、さながら本の森とばかりに雑然としているのだ。

 月見は緩く息をつき、もう一度慧音を見て、

 

「頼めるだろうか」

 

 かつて月見の友だった『神古』と、白蓮を封じた『神古』と、今幻想郷で暮らしている『神古』。この三つの因縁を、慧音の力で解き明かすことはできるのか。

 

「お安い御用さ」

 

 快い即答だった。

 

「お前にも志弦にも、寺子屋じゃあなにかと助けられてるからな。これくらいの恩返しはさせてくれ」

 

 志弦は時たま、天使先生と一緒に子どもたちとボールを蹴り合って遊んでいることがある。

 頭を下げた。

 

「ありがとう。満月の日は忙しいらしいのにすまないね」

 

 慧音の『歴史を創る程度の能力』は、完全に妖怪化する満月の一夜でのみ使用が許される特別な能力である。だからなのか、このときの慧音は少しでも多くの歴史を編纂するため、一息つく間すら惜しんで一心不乱で働きまくっているそうだ。血がたぎって好戦的になっている影響もあるのか、作業の邪魔をする者は誰であれ敵と認識されるらしく、差し入れをするため戸を叩いただけでブチ切れて頭突きを喰らわされた、という逸話が里ではまことしやかに囁かれている。月見も過去の満月の晩に一度だけ、慧音の家の玄関に「歴史編纂作業中」「邪魔立て禁止」「ノック厳禁」「差し入れ不要」「用事は明日」「頭突きします」と貼り紙がベタベタ貼られているのを見たことがある。

 慧音は苦笑、

 

「月に一度、一晩限りしか使えない不便な力だからな。……ところで、それに関してひとつ断っておかないといけないんだが」

 

 そう言って、慧音はすまなそうに頬を指で掻いた。

 

「埋もれた歴史を掘り返すというのは、それこそ発掘作業みたいなものなんだ」

「というと?」

「狙った歴史を的確に掘り当てられるとは限らないということさ。年代と地域でおよその目星はつけられるんだが、どんな歴史が出てくるかは掘ってみるまでわからないんだ」

 

 なんとなく、わかった。つまり、

 

「お安い御用なんて言っておいてなんだが、いつまでにできあがるか約束できない。次の満月ですんなり終わるかもしれないし、冬になってしまうかもしれないし、年が変わってしまう可能性もある。そこだけ了承してはくれないだろうか」

「わかったよ」

 

 月見は二つ返事で了承した。普通であればもう知る術もない何百年もの歳月に埋もれた歴史を、慧音は限られた時間の中で頑張って探してくれるのだ。感謝こそすれ、文句など言える筋合いもなかった。

 話がまとまり、月見と慧音はどちらからともなく腰を上げた。だらだらと無駄話を続けるようなことはしない。

 

「ありがとう。仕事中にお邪魔したね」

「いいさ、ちょうどいい息抜きになった」

 

 明日寺子屋で実施するテストを作っている最中にもかかわらず話を聞いてくれた慧音には、やはり感謝する他ない。せめてもの気持ちとして、余計な邪魔はせずさっさと退散するのだ。

 

「……ああ、そうだ」

 

 そうして玄関までやってきたところで、慧音がふと月見の背に、

 

「月見。よければなんだけど、ひとつ頼まれてはくれないだろうか」

「私でできることなら」

「里の外れに墓地があるのは知っているかな」

 

 月見は頷く。わざわざ好んで行くような理由もないので、あくまで場所を知っているだけだが。

 

「天子にそこの掃除を頼んでいてね。私も今の仕事が片づき次第行くつもりだったんだが……どうにも、もうしばらく掛かりそうなんだ」

「なるほど」

 

 つまり、よければ手伝ってやってきてくれないか、という話のようだ。

 

「いいよ。行ってこよう」

「助かるよ」

 

 眉を開いた慧音は、それからぽそりと、

 

「……天子も、私が手伝いに行くよりそっちの方が嬉しいだろうしね」

 

 ……ノーコメント。

 

「道具は、墓地に備えつけがあるからそれを使ってくれ。落ち葉を集めたり、雑草を取るくらいで充分だから」

「了解」

 

 最後にもう一度だけ礼を言って外に出た月見は、むず痒い感覚を誤魔化すように尻尾を振り、記憶を頼りに目指すべき方角へ歩き始める。

 

 ――人生とは、いつなにが起こるかわからないものである。

 これが良くも悪くも新しい出会いをもたらすことになるなど、今は当然、知る由もない。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 ところでこの頃、月見はよく天子に驚かれる。

 決して妙なことをしているわけではなく、ただ人里などで姿を見かけた際に声を掛けているだけなのだが、それがなぜか、天子にとっては毎回毎回驚愕の出来事であるらしい。素っ頓狂な声をあげたり飛び跳ねたり、ひどいときはつんのめって転んでしまったりすることもある。

 月見のときだけである。他の人が声を掛けてもこうはならない。

 そんなわけで、ほうき片手で墓地の草取りをしていた天子に後ろから声を掛けてみると、彼女は素っ頓狂な声をあげて飛び跳ね、勢い余って前につんのめるという見事なスリーコンボを炸裂させた。

 

「つ、月見っ? どうしたの、こんなところに……」

 

 ちょうど引き抜いたところだった雑草を明後日の方向にぶん投げ、月見のところまでまっしぐらに駆け寄ってくる。その顔の上では、驚きと喜びと困惑と緊張がてんやわんやになって入り乱れている。

 

「慧音から話を聞いてね。手伝いに来たよ」

「んぅ、」

 

 天子がしゃっくりを呑み下したような変な声を出した。思わず真顔になる月見の目の前で彼女はわたわた慌てて、右を見、左を見て、更に竹ぼうきを握った己の手元を見て、最後に恐る恐ると上目遣いで、

 

「……い、いいの?」

「もちろん。迷惑じゃなければ」

「ぜ、ぜんっぜん大丈夫っ! ありがとう、すっごく助かっちゃう!」

 

 天子の百点満点の笑顔が炸裂した。とても嬉しいことがあったときだけ見せるこの表情にやられ、ファンクラブの連中が鼻血を噴きながら集団発狂した事件はあまりに有名だ。夏の結成以来会員数は増加の一途で、最近になって遂に百名の大台を突破したとか。嘘か真か、里の人間にも会員がいるとかいないとか。

 さておいて。

 

「道具はどこに?」

「こ、こっち。ついてきてっ」

 

 足取りの軽い天子に案内され、月見はボロボロの物置から竹ぼうきを手に取った。歴戦の風格あふれるガタイのいい竹ぼうきだ。いずれ年数が経過し付喪神化した暁には、雲山のような厳つい老爺の顔が現れるのだろう。

 天子と二人揃って、寂れた墓地の掃き掃除を始める。

 今はまだ秋も深まりきっていない頃なので、落ち葉の類はそう多くない。それよりも、夏の間に思う存分成長した雑草の方が目についた。月見がほうきを物置にしまい雑草取り職人と化すまで、さほど時間は掛からなかった。

 天子がぽつりと、

 

「……な、なんか、久し振りだね。二人だけでなにかするのって」

「そうか? ……そうかもな」

 

 ひょっとすると、夏の異変以来なのかもしれない。月見が天子の仕事を手伝うときは、大抵慧音や里の人々が近くにいるし、天子が水月苑の家事を手伝ってくれるときは紫や輝夜や咲夜その他諸々の少女たちがいる。そもそも、こうして二人きりで話をすること自体が久し振りな気がした。

 天子が、サッササッサと妙にせわしなくほうきを動かしている。

 

「で、でもほんとにごめんね。手伝ってもらっちゃって……」

「なあに、ちょうど用事が片付いたところでね。逆になにをしようか悩んでたくらいだったんだよ」

「……そうなんだ」

 

 天子がふと掃除の手を止め、何事か真剣な顔で黙考を始めた。首を傾げる月見にも気づかず、ぶつぶつと独り言を呟きながら思考の海に沈んでいく。しばらく経っても一向に浮き上がってくる様子がなかったので、月見はまあそのうち戻ってくるだろうと思って、草取り職人の仕事を再開した。

 そのまま、どちらとも言葉を交わすことなく三分が過ぎ、

 

「……ね、ねえ」

 

 背中の方からようやく天子が、

 

「それってつまり、月見って、今日はもう特に予定がない……んだよね」

「そうだね」

 

 まさか、それを三分もずっと考えていたのか。月見は天子を振り向く。天子は月見に背を向けて、なぜか同じ場所ばかりをひたすらほうきで掃きまくっており、

 

「あ、あのね、」

 

 並々ならぬ緊張を孕んだ声音で、天子は大きく息を吸って、

 

「も、もしよかったらこのあと、」

 

 いきなりだった。

 

「――う、うらめしやあ~~~~っ!!」

 

 ヤケクソな感じの叫び声をあげて、天子のすぐ傍の墓石から人影が飛び出してきた。

 

「……!」

 

 墓石の陰に身を潜めていたのだ。ずっと地面の雑草に集中していたせいで、この瞬間になるまでまったく気づかなかった。両腕を高く振りかざし、今にも天子に飛びかからんとしている。秋晴れが心地よい昼の墓場で、わざわざそんないたずらをする人間がいるとは思えない。

 妖怪。

 間に合わない、

 

 ――天子が振り向きもせず、獣のような動きでほうきを振るった。

 竹ぼうきの先端――要するに竹の枝がチクチクしてとても痛い部分――がちょうど顔面に突き刺さって、人影はものすごいエビ反りで後ろにひっくり返った。

 

「……」

 

 月見はのたうち回っている人影を半目で見ながら、

 

「……天子」

「あっ……ご、ごめんなさい!? つい……!」

 

 比那名居天子が夏の特訓で培った反射神経は、今もまったく衰えていない。

 それはともかく、痛みのあまり声をあげることすらできずのたうち回っているのは、天子と同じくらいの背丈の少女だった。両手で顔を押さえているため容貌はわからないが、髪は透き通るスカイブルーで、同じ色のスカートと純白のブラウスのコントラストが、まるで空から生まれてきたかのようだ。天子が夏の青空の少女だとすれば、こちらはまさしく秋の空。どうやら妖怪ではあるようだが、こんな真っ昼間から人を襲うあたり血の気は随分と多いらしい。

 というか、

 

「ちょ、ちょっとっ、そんな短いスカートで転げ回っちゃダメだってば!? み、見えちゃう見えちゃうっ!」

 

 ……あまりまじまじと観察しない方がよさそうだ。何気なしに少女が飛び出してきた墓石へ目を逸らすと、紫色の渋い唐傘が転がっているのに気づく。わずかながら妖気が感じられたので、月見はああと納得した。

 

「だ、大丈夫?」

「は、はい、なんとか……」

 

 天子に手を貸してもらいやっとこさ起き上がったこの少女は、唐傘の付喪神なのだろう。大声をあげながら天子に飛びかかったのも、単に彼女をおどかそうとしただけのことだったわけだ。

 付喪神の少女が、両目に溜まった涙をさっと指で拭った。妖怪でも珍しい、赤と水色のオッドアイだった。彼女はその宝石みたいな両目でまず天子を見て、次に月見を見て、そして最後に天子が握っている竹ぼうきを見た瞬間、

 

「う、うわあああああん!! また失敗したああああああああっ!!」

 

 大粒の涙をぶわっとあふれさせ、泣く子も黙る強烈な泣き声だった。月見と天子がなにかを言う暇もなく、付喪神の少女は地べたと一体化するような土下座をキメて、

 

「ごめんなさいごめんなさいお腹が空いてたんですおどかそうとしただけですだからお願いです許してくださいいいいい!!」

「「……」」

「うわあああああ無反応だ許してもらえないんだ、あああああきっとこのまま襲われちゃうんだ食べられちゃうんださでずむだあああああ……!!」

 

 ひいいいいい! とそのまま亀になって震え始めた少女を、仏像の心地で眺めながら月見は思う。こういう反応をされるのももう三度目だか四度目だかになるのだが、月見はそんなに女子供問わずむしゃむしゃ食べてしまいそうな妖怪に見えるのだろうか。橙のときもルーミアのときもそうだったが、地味に傷つく。

 月見はため息をつき、ぼんやりと途方に暮れていた天子に、

 

「……そういえばさっき、なんて言おうとしてたんだ?」

「え? えっと、」

「びええええええええええ!!」

「「……」」

 

 わざわざ言葉など交わさずとも、月見と天子の心はシンクロしたはずだ。

 ――変な妖怪(やつ)に出会っちゃったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――ほ、本当にお手伝いするだけでいいんですね!? いぢめないでくださいね!?」

「いじめないよ。はいはい、口よりも手を動かす」

 

 しかしたとえ泣き虫で面倒くさそうな感じの妖怪であっても、この場合立派な労働力ではある。なので襲われた仕返しはしないと約束し、交換条件で墓地の掃除を手伝ってもらうことにした。

 少女は多々良小傘といい、案の定唐傘の付喪神であり、あまりに純粋無垢で無防備な少女だった。はじめは草取りをお願いしたのだが、さほど丈があるわけでもないスカートでなんの恥じらいもなくしゃがもうとしたため天子に一発退場を食らい、今はせっせと竹ぼうきを動かしている。その中で、月見と天子に向かって何度も叫ぶ。

 

「……ほ、本当に本当ですよね!? さでずむだけはやめてくださいね!?」

 

 下っ手くそな発音だが、さでずむとはサディズムのことであり、要は痛いことはしないでくださいと言っているのだろうと思われる。そんな感じで小傘があんまりにも必死なので、さすがの天子も呆れ気味だった。

 

「もうなにもしないから大丈夫だってば。最初のはほら、いきなり襲われたからびっくりしちゃっただけで」

 

 小傘は神妙に頷く。

 

「あれは見事な御手前でした……。さぞや名のある達人とお見受けいたします」

「はい?」

「あれが、音に聞く『居合斬り』なる剣術なのですね。感服する他ありません」

 

 小傘は本気で感服していた。冗談や演技の類にはまったく見えない。どうやらこの少女もキスメと同じで、真面目に考えてはいけないタイプの少女であるらしい。

 真面目に考えてしまって言葉を返せないでいる天子の代わりに、

 

「襲われた本人がこう言ってるんだから、本当になにもしないよ。むしろ、最後までちゃんと手伝ってもらえたらお礼をしないとね。里のお菓子とか、食べたことあるか?」

「ふぐうっ」

 

 小傘が変な声をあげて鼻をすすった。月見のまさに目の前で彼女の両目になみなみと涙が浮かび、体がぷるぷると小刻みに震え始める。

 いきなり叫んだ。

 

「不肖小傘、感動いたしましたぁっ……! なんとお優しい方々なのでしょう!」

 

 やっぱり変な妖怪だよなあと月見は思う。

 

「無礼をお許しいただけるだけでなく、お礼など、まさかそのように扱ってくださるなんて……! 私がこの前おどかしたフラワーマスターなる方は、それはそれは恐ろしい制裁を私に下したというのに!」

「なにやってんのお前」

 

 なぜよりにもよって彼女を。

 小傘はボロボロ流れる涙を拳で拭い、恐縮そうに身を縮め、

 

「実はわたくし、まだ付喪神になってから日が浅く……あの方が、まさかあのように恐ろしい妖怪だとは知らなかったのです。見た目が小さかったので大丈夫かと思ったのですが……」

 

 断言する、それは幻想郷で一番おどかしてはいけない相手だ。遥か格下の付喪神におどかされたとなれば彼女のプライドは両足で踏みにじられただろうし、その理由が「小さかったから」では追い打ちで泥までぶちまけられたに等しい。怒り狂い涙目で暴走するフラワーマスターの姿が、ついさっき見たばかりのようにはっきりと想像できた。

 しかし、同時に納得もした。そうであれば頭のネジが取れかけたような、若干アッパーの入った小傘の言動にも説明がつく。妖怪化してからまだ日が浅すぎるため、自覚はないだろうが、自分の中に芽生えた妖怪としての精神が安定しきっていないのだ。さながら自我の確立していない子どもが、自らの喜怒哀楽をコントロールできないように。

 故に、

 

「……ちなみに訊くけど、その相手にはおどろいてもらえたのかい」

 

 こうやってちょっと話題を変えるだけで、小傘はころっと笑顔になって、

 

「あ、はいっ。『ひゃん!?』って悲鳴をあげて、後ろに尻餅までついてもらえました! 恐ろしい制裁を受けはしましたが、あのときはちゃんとお腹いっぱいになったのです!」

 

 クールビューティーでカリスマあふれるフラワーマスターを月見が微笑ましく思っているうちに、またえぐえぐと鼻をすすって、

 

「ふぐぅ……っ! 主様に忘れられ、この世界にやってきてからは空腹に喘ぎ、やっとおどかすことのできた相手からはボコボコにされる日々……! ここまで優しくしていただけたのははじめてかもしれません!」

「苦労したんだね」

「はいっ……! ですがご心配には及びません! お二方の大海原の如き優しさに触れて、なんだか元気になって参りました!」

 

 本当に、コロコロとよく表情が変わる。小傘は目元の涙を一瞬で引っ込め、ぐっと希望とやる気で震える拳を作って叫んだ。

 

「お二方の寛大な御心にお応えするため、全力でお掃除させていただきます……! 他にもなにかお力になれることがあれば、なんなりとお申し付けください!」

「ああ、頑張って」

「はいっ!」

 

 力強くほうきを握り締め、たりゃーっ! と小学生みたいに振り回しながら勇ましく落ち葉を集め始める。その現金な姿を目で追いながら、天子が不思議そうに首を傾げる。

 

「なんか、こういう妖怪ってはじめて見たかも……」

「付喪神になって日が浅いみたいだしね。まだ精神が安定してないんだろう」

 

 墓石の裏を見に行った小傘が元気に、

 

「あっ、誰ですかこんなところに傘なんて捨てたの! こんなイケテナイ傘でもちゃんと大事に――あっこれ私の傘です! 道理でステキな傘だと思いました!」

「「……」」

 

 頭のネジがいかんせん緩いのも、自我が芽生えて間もないからだと思いたい。

 さてこのできたてホヤホヤの付喪神、ほうきの扱いこそ下手くそなものの、とにかくやる気いっぱいテキパキ動くので戦力としては申し分なかった。正直あまり期待してはいなかったのだが、下手をしたら月見たち以上に働いてくれるかもしれない。

 

「どれ、私たちも負けてられないね」

「うん」

 

 掃き掃除の方は小傘に任せ、月見と天子は再び墓地の雑草を抜きにかかる。たった一人分人手が増えるだけでも随分と違うもので、一時間もする頃には集めた落ち葉と雑草でこんもりとした山ができあがった。

 ある程度すっきりした墓地をひと通り見て回り、天子が満足げに頷いた。

 

「うん、もうこんな感じでいいと思う。お疲れさま」

「はいっ。お二方もお疲れさまでした!」

 

 小傘は最初から最後までずっと元気なままだった。あちらこちらをやる気いっぱい走り回ったというのに、その笑顔には疲れひとつにじんだ様子がない。これが若さか、と月見は思う。なんだか自分が一層年寄りになってしまった気がして、痛めたわけでもないのに気がついたら腰をさすっていた。

 道具を元の場所へ戻し、集めた落ち葉と雑草を始末したところで月見は小傘に尋ねる。

 

「さて、このあとはどうする? よければ里でお菓子でもご馳走するけど」

「あ、いえ。とても光栄なお話ではあるのですが……」

 

 小傘はふるふると首を振り、それから改まった様子でまっすぐ月見を見つめた。

 

「その代わりと言ってはおこがましいのですが、ひとつ相談に乗っていただきたいことがありまして」

「? 聞こうか」

「ありがとうございます。実は……」

 

 よほど真剣な相談事らしく、小傘の面差しにふっと暗い影が差した。

 

「私が、まだ付喪神になって日が浅いのはすでにお話したかと思います。言い訳のようになってしまいますが、そのため人をおどかす勝手がわからず、なかなか思うようにお腹を満たせない日々が続いています」

「うん」

「ところで妖狐は、人を化かすことに長けた種族で、古来より多くの人間をおどかしてきたと聞きます!」

 

 小傘がなにを言おうとしているのか察しがついた。なので月見は、目の前で深々と頭を下げた小傘に笑顔で、

 

「お願いします、」

「お断りするよ」

「まだなにも言ってないんですけど!?」

「さ、帰ろうか天子」

「え、あ、うん」

「ちょちょちょ、待ってください待ってくださいませ!?」

 

 踵を返そうとしたら袖を引っ張られた。

 

「死活問題なんですっ! 私の明日のご飯のため、どうか人間をおどかす極意を授けてはくださいませんか!?」

「あ、お前の後ろに日傘を差した緑の」

「ぎゃあああああこの前はおどかしてごめんなさいごめんなさい申し訳ありませんでしただからもうさでずむはやめて──って誰もいないじゃないですかあ!? 違いますっ、私をおどかすんじゃなくて人間をおどかすんです!」

「天子、お前の後ろに化け物が!」

「きゃあーびっくりしたあー食べられちゃうー!」

「思いっきり棒読みじゃないですかあああああ! ふ、二人揃っていじぢめないでください! 私は真面目な話をしているのですよ!?」

 

 叫ばずともわかっている。わかってはいるが、月見の本能もまた叫んでいる。この子を弟子になどしようものなら最後、絶対にロクなことにはならないのだと。

 しかし小傘は必死になるあまり、いよいよ月見の腰に縋りつき始める。

 

「お、お願いします! もちろんお礼はしますっ、お金は持っていませんが、そのぶん体でお支払いしますっ! 身の回りのお世話でもなんでも!」

 

 周りに誰もいない墓地で本当によかった。

 さておいて、どうしたもんかと月見は本格的に悩み始める。もちろん小傘が言っていることはぜんぶ本当で、幻想入りしてからは糊口を凌ぐ毎日が続いていて、だからこそこうして、藁にも縋る必死の形相で月見を頼ってくれているのだと思う。哀れに思う気持ちはある。しかし、ここでうっかり情に流されてしまってよいのか。安易な同情は反って罪だ。一時の感情で答えを決めた結果、待っているのは月見も小傘も幸せになれない未来かもしれない。

 想像するのだ、「体でお支払いしますっ! 身の回りのお世話でもなんでも!」などと野外で思いっきり叫んでしまうような少女を身近に置いたら、月見の生活はどうなってしまうのか――

 ――やっぱり断ろう。

 

「……ねえ、付喪神さん。あなたの気持ちはわかるけど」

 

 と結論して月見が現実に帰ってきたら、いつの間にか天子が膝を折って小傘と目線を合わせていた。

 

「でも、月見にも月見の都合があるの。ここで無理に押し切って、嫌々教えられたりしたらあなたも辛いでしょ?」

 

 天使先生の本領発揮である。優しい声音で道理を説き、小傘の肩にそっと両手を置いて、

 

「――それに、幻想郷にいる狐は月見だけじゃないでしょ? それ、別に月見じゃなくてもいいでしょ?」

 

 気のせいだろうか。浮かべた笑顔に言い知れぬ圧力があるような、指がミシミシと小傘の肩を圧迫しているような。

 天子は最後まで、優しいヤサシイ笑顔だった。

 

「――だから、ちょっと月見から離れて? ね? 離れなさい」

「……は、はひっ」

 

 青い顔で頷いた小傘が、ゆるゆると月見の裾から両手を離した。あまりの恐怖に腰が抜けたのか、ぺたんと女の子座りで崩れ落ちてぷるぷる震える。そして案の定、その両目にじわりと涙が浮かんで、

 

「さ、さでずむだあああぁぁ……」

 

 すんすん鼻をすすり始めた小傘に構うことなく、天子はこれでよしとばかりの表情で腰を上げた。

 

「……なかなか手厳しいじゃないか、天使先生」

「そんなことないわよ、月見が甘すぎるのっ。嫌なら嫌ってちゃんと言わなきゃ」

 

 返す言葉もない。

 

「それに、こういう些細なところからライバルは増えて――」

「ライバル?」

 

 派手な咳払い、

 

「なんでもないっ!? と、ともかくこれで話はおしまいっ! 付喪神さんもいいでしょ!?」

「う、うぐうっ……」

 

 ぜんぜんよさそうではなかったが、しかし小傘は天子が怖くてNoと言えない。

 月見は緩く息をついた。

 

「……他の狐に当たってくれ。私より暇してるやつはそれなりにいるだろうしね」

 

 もしも月見が実際に暇だったなら、退屈凌ぎで彼女を弟子に取りもしたかもしれない。しかしわざわざそんなことをせずとも月見の毎日は充実しているし、たくさんの個性豊かな少女たちがいつも月見を楽しませてくれている。そこに小傘が加わったら、妙な化学反応が起きてしまうかもしれない。それに今は、『神古』の件もあったばかりで、あまり新しいことを始めようとも思えない。

 

「それじゃあ、私たちはもう行くよ」

「あっ……」

 

 小傘が咄嗟に手を伸ばすが、それが再び月見の裾を掴むことはない。月見は振り返らない。せめて容赦なくこの場を去ることで、拒絶の意思表示になればよいと願う。

 小傘はずっと、月見を見ていた。拗ねた子どもみたいな目で、唇を引き結んで震えながら、じっと月見だけを見ていた。

 月見たちが墓地をあとにしても、ずっと、ずっと──……

 

 

 

 

 

 

 

 

「――で、月見。なんだあそこの妖怪は」

「……うん」

 

 ()けられた。

 もちろん月見と天子ははじめから気づいていたし、慧音もひと目見ただけで一発だった。里の立ち並ぶ民家の陰に隠れて、墓地で別れたはずの多々良小傘が、なんとも未練がましい目つきでじいっと月見の背を見つめている。

 月見と天子が人里に戻ると、ちょうど外で用事を済ませていたらしい慧音と出くわした。なので掃除が終わった報告をしていたのだが、その間、上手く隠れているつもりの小傘は里人たちの視線を一身に集め続けていた。

 とにかく目立つ。この人里で彼女ほど水色の少女はいないし、びろーんと長い舌を出した紫色のオバケ傘まで差している始末なのだからそりゃあもう目立つ。私を見てっ! と言わんばかりである。みんな思っているはずだ、この子はなにをやっているんだろう、これで隠れているつもりなのだろうかと。

 慧音の半目が月見に刺さった。

 

「……お前のことだから大丈夫だろうけど、変な妖怪を連れてきたわけじゃあないだろうね?」

「……悪い妖怪ではないよ」

 

 変な妖怪というのは否定できないし、したところで肝心の小傘があれでは説得力もあるまい。

 天子が苦笑する。

 

「ごめんなさい、なんだか目をつけられちゃったみたいで……」

「天子は悪くないさ。どうせ目をつけられたのは月見の方だろう?」

 

 よくおわかりで。

 

「しかも、だいぶ穏やかじゃなさそうだ。……ここでなにか面倒を起こされちゃあ困るぞ?」

 

 月見はこのあと自分に降りかかりかねない災難を想像する。――小傘が里のど真ん中で、「お願いします助けてくださいお礼はなんでもしますから!」となりふり構わず泣き叫び始める。それを目撃した里人たちから致命的な誤解を受け、月見の世間体はみるみる間に失墜する。月見自身は慧音に頭突きで撃墜される。瞬く間に人里を駆け抜けた噂話はやがて妖怪の山まで届き、見事鴉天狗の新聞を一面で飾る。そして新聞経由で事態を知った紫や藤千代や輝夜が、満面の笑顔を浮かべながら水月苑に特攻してくる。

 ――というのはさすがに考えすぎだが、しかしそれだって、小傘が相手では決してありえないとも言い切れない。

 そう思ったら、こんなところでのんびりしていては命取りな気がしてきた。なので月見は天子と慧音に、

 

「とりあえず、今日のところは屋敷に戻るよ。目的は私だし、そうすればここからも離れてくれるだろう」

「あ……」

 

 天子が捨てられる子犬みたいな声を出した。

 

「どうした?」

「あっ……いや、えっと、」

 

 天子はわたわた焦って、

 

「その、気をつけてね! 一応妖怪だし、なにしでかすかわかんないし!」

 

 ちなみにこのとき月見は、墓場で天子がなにか言おうとしていたことを完全に忘れていた。

 

「なるべく穏便に解決してくるよ」

「う、うん……」

 

 もしそのことを欠片でも覚えていれば、天子が残念そうにしていたのにも気づけたかもしれない。

 天子たちと別れ、月見は屋敷の方角へ、小傘が後を追えるようわざとゆっくり飛んでいく。途中で振り返れば狙い通り、こそこそとついてきている小傘の姿が見える。地面近くで木やら岩陰やらに身を隠しているが、やはりオバケ傘のせいでとても目立っている。

 もちろん気づかないふりで飛び続けながら、はてさて一体どうしたものかと月見は首をひねった。

 

 

 

 

 

「……うう、また誘えなかったぁ……」

「お前は月見が相手のときだけ押しが弱いなあ……子どもたちの前ではあんなにハキハキしてるのに」

「だ、だってぇ……」

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 水月苑に架かる反橋の中ほどで足を止め、秋で満ちあふれた庭の景色を眺めるふりをしながら、月見はさりげなく己の背後を確認する。水月苑の周囲を囲む木々の一本、その後ろから、紫色のオバケ傘と妖怪赤舌が如き長いべろ(・・)がはみ出している。

 やはり、多々良小傘である。彼女は未練たっぷりの表情で木の後ろから顔を覗かせ、そしてすぐに引っ込めた。

 いっそのこと、諦めた方が一番楽なのかもしれない――そう何度か考えた。こんなところまでしぶとくついてくるくらいなのだ、ちょっとやそっと口で聞かせたくらいでは断固として引き下がらないだろう。ひょっとしたら、「承知していただけるまでここを動きません!」などと言って玄関先に居座り始めるかもしれない。まるでマンガみたいな話だが、彼女に限っては本当にやりかねない雰囲気がある。

 人をおどかす極意なんて、月見だって知らないのに。

 なるほど、確かに妖狐は古来からたくさんの人間を化かしてはきただろう。しかし、『化かす』と『おどかす』は同じようで微妙に違う。『おどかす』は人をびっくりさせたり怖がらせたりすることだが、『化かす』は変化や幻術で相手を困惑させることである。必ずしも人を驚かせ、怖がらせるものではない。

 別に妖狐はそれでいいのだ。所詮は面白半分でやっている悪戯の類なのだから。

 小傘はそれではダメなのだ。自分のお腹を満たすために必要なことなのだから。

 どうせ教えを乞うなら自分と同じ、生きるために人をおどかしている妖怪を頼ればいいのに。

 

「……」

 

 そのあたりをきちんと丁寧に説明すれば、あの少女は大人しく諦めてくれるだろうか。月見の中にいる自分が言う。やってみればいいじゃないか、もしかしたらすんなり上手く行くかもしれないしね。挑戦してみなければどんな可能性もゼロだよ。そしてもう一人の自分が反論する。下手に刺激するのはよした方がいい。変に意地を張られて、本当に玄関先に居座られでもしたらどうするんだい。

 ため息が出た。

 

「おーい、月見さーん」

 

 そのとき、空の方から小傘ではない少女の声が降ってきた。それから一拍ほど遅れて、月見から小傘の姿を遮るように、赤と白の巫女服の少女が現れる。

 

「霊夢か」

「こんにちは、月見さん」

 

 霊夢は挨拶もそこそこに、裏表のない朗々とした笑顔で、

 

「ねえ、いま暇? 暇だったらちょっと付き合ってよ」

 

 どうやら修行の話らしい。さすがに夏と比べれば頻度こそ落ちたものの、霊夢は今でもこうして水月苑までやってきて、模擬戦をしたり温泉に入ったり、ご飯を食べたり昼寝をしたりしていく。才能の塊である彼女は夏よりも更に腕前を上げ、今では萃香や文と手合わせをすることもあるという。

 月見は力なく答えた。

 

「いいけど、今はちょっと立て込んでてね」

「? なにかあったの?」

 

 月見は霊夢の背後を指差す。つられて霊夢が森の方を見た瞬間、幹から顔を出していた小傘が「ひゃわっ」と小さな声で引っ込んだ。

 もちろん、あいかわらず大きなオバケ傘がはみ出している。

 

「……なにあれ」

「ちょっといろいろあって、尾けられちゃっててね」

「はあ。……まったく、月見さんはあいかわらず変なのに好かれるのねえ」

 

『あいかわらず』ってどういう意味だろう。そして自分はなぜ、それで紫の顔を思い浮かべるのだろう。

 霊夢が突然目を剥いた。

 

「……わ、わかったわよ!? つまり、これが今日の修行ってことね!?」

「……ん?」

 

 この少女はいきなりなにを言って、

 

「とぼけなくてもいいわよ。あの妖怪を倒せってことでしょ? そして、見事倒せたら今日のお昼ごはんはご馳走にしてあげると!」

 

 徹頭徹尾違う。

 

「なるほどねー。でも月見さん、人選を間違ったわね。博麗の巫女があんな付喪神に後れを取ると思う?」

「おい霊夢、」

「よーし、行っくわよー!」

 

 いやだから、徹頭徹尾違うと、

 

「おい人の話を」

「神霊・『夢想封印』っ!」

 

 嗚呼。

 あゝ。

 やる気は大変結構なのだが、人の話を聞いてほしかった。

 月見を丸々飲み込みそうなほど巨大な七つ七色の光弾が、鎖から解き放たれた猟犬の如き速度で吹っ飛んでいく。不穏な気配を感じた小傘が「あれ?」と木陰から顔を覗かせたが、とりもなおさず、命取りであった。

 小傘の視界は、七色の光で埋め尽くされていたはずだ。

 

「──へ?」

 

 断末魔なんて、響かなかった。

 七色の光弾が太い木の幹を爪楊枝みたいにへし折り、小傘を情け容赦なく押し潰し、ダメ押しとばかりに炸裂した。星屑めいた光の欠片が飛び散ったのは、弾幕ごっこの名残だろうか。白煙が舞い上がり、くぐもった音とともに木が崩れ落ち、小傘の安否を完全に闇の中へと消し去っていく。

 

「……」

 

 頭が痛い月見をよそに、霊夢は渾身のガッツポーズだった。

 

「やったぁっ! これでお昼ごはんはご馳走ね!」

「…………」

 

 どうしてくれよう、この状況。

 図らずも小傘にお帰りいただくという月見の目的が果たされた気もするが、そんなことを気にしている場合ではない。

 

「……とりあえず、温泉にでも入っておいで。私は準備をするから」

「そうねっ。楽しみにしてるわね!」

 

 一旦霊夢を連れて玄関へ向かい、妖術で閉ざしていた戸を開ける。そして霊夢がうきうきと温泉の方へ消えていったのを確認し、重苦しくも踵を返す。

 ともかく、安否確認くらいはするべきだろう。

 幸い折れた木に潰されるようなこともなく、小傘は両目をぐるぐる巻きにして気絶していた。服がいい感じに焦げている以外で外傷はなさそうだが、傘はあちこちがバキボキ折れていて見るも無残な有様だった。目玉が『×』になっている。

 

「……おーい」

 

 月見は小傘の肩を軽く揺する。う~ん……と唸る声が返ってくるものの、目を覚ますには至らない。

 もう面倒くさいので、ほっぺたをむいーっと引っ張った。

 とてもよく伸びた。小傘が跳ね起きた。

 

「い、いたたたたたっ!? ご、ごめんなさいごめんなさいもうしませんっですからさでずむはやめ――って、あれ?」

「おはよう」

 

 小傘は元気だった。特に痛みを抱えた様子もなく目を白黒させた彼女は、根本から折れた木とボロボロになった自分の傘を見て、呆然と両の肩から力を抜いた。

 

「あ……私、いきなり巫女に攻撃されて……」

「……ああ」

 

 怒られるだろうか、と月見は少し身構える。確かに小傘は月見をストーキングしたが、言ってしまえばそれだけで、特別なんらかの害を与えたわけではない。なのに夢想封印を叩きこまれたなんて濡れ衣もいいところだし、小傘がそれで怒るのであれば、自分に反論する余地はないのだと。

 甘かった。多々良小傘というできたてホヤホヤの付喪神は、月見の予想を全力疾走で斜め上へと飛び越えていった。「そうですか……」と深く項垂れ、暗く沈んだため息をついて、

 

「ということは、私はあなたの弟子にはなれないのですね……」

「……うん?」

「いいんです、わかってますから。今のは私の実力を試すテスト。『この程度の攻撃でやられるようじゃあ俺の弟子なんざ百年早えぜ』ということですよね?」

 

 なにを言ってるんだろうこの子。

 

「不意を衝かれたとはいえ未熟でした。失望させてしまいましたよね……」

「いや、お前は一体なにを」

「ですが、ですが私は、それでも諦めきれません……! お願いです、もう一度だけチャンスをください! 一生懸命修行して、貴方様のお目に適うよう強くなってみせますからっ!」

 

 わかった。さっき夢想封印を喰らった衝撃で、もともと緩んでいた頭のネジが吹っ飛んでしまったのだ。なんてことだ、と月見は胸の中で涙した。そうやって現実逃避をした。

 小傘が力いっぱい震える拳を作り、燃える瞳で月見を見つめた。

 

「修行してきます! 今の攻撃を打ち破れるほど強く……! あんな巫女に負けないほど強くっ……! ですからその暁には、どうか今一度、私を弟子にすることをお考え直しくださいませ!」

「いや、あのな? 人の話を」

「私、負けませんっ……! 必ず強くなって、貴方様から人をおどかす極意を教わってみせます!」

「だから、話」

「差し当たっては、あの攻撃を打ち破るためにはどんな修行がいいか……あ、いえいえ、この程度の問題は自力で解決しないとなりませんよねっ。わかりました、私なりの方法で強くなってみせます!」

「……」

 

 もう疲れていた。

 小傘はすっくと立ち上がり、月見に向かって深々と頭を下げた。

 

「それでは失礼しますっ。次にお会いするときには、生まれ変わった私をお見せいたします……!」

 

 もう疲れていた月見は、なにもかもがどうでもよくなって、

 

「……うん、まあ、あれだ。ほどほどにな? いろいろと」

「はいっ! では、ありがとうございました!」

 

 ──ああ、純粋無垢で一生懸命すぎるが故に音の速さで道を踏み外した弾丸少女は、一体どこに向かおうとしているのだろう。

 決まっている。一周回って元の場所に戻ってきて、それを延々と繰り返すだけだ。

 小傘の背を見えなくなるまで見送り――断じて思考停止し石化していたわけではない――、月見は今回の騒動を、この一言を以て終結させた。

 

 ――恐るべし、多々良小傘。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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