銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第142話 「新年明けまして信仰戦争」

 

 

 

 

 

「おーっす霊夢ー、今日も元気に参拝客ゼロで暇してるかー? ……ん?」

 

 その日魔理沙がいつもの暇潰しで博麗神社を訪ねると、家主の霊夢がなにやら卓袱台と一生懸命にらめっこをしていた。

 

「なにやってんだ」

「ああ、魔理沙……」

 

 束の間顔をあげた霊夢は、隠しもせず憂鬱なため息をついてまた卓袱台に目を落とす。そう大した枚数でもない小銭が無造作に散らばっている。ぜんぶ集めたところで里の饅頭ひとつ買えるかも怪しい、雀の涙同然のはした金に見える。

 

「なんだそりゃ」

「こないだ、月見さんとこに(・・・・・・・)ウチのお社造った(・・・・・・・・・)でしょ。一週間経ったから、どれくらいお賽銭入ったかなって集めてきたんだけど」

「ああ……つまり、一週間で入ってた賽銭がたったそれだけだった、と」

「……うん」

 

 魔理沙としてはむしろ、雀の涙とはいえ賽銭を入れてもらえただけ意外なのだが。

 

「私のとこが一番少なくて、次が守矢神社。その次が命蓮寺で、一番多かったのは稲荷神社(・・・・)よ」

「まあ、順当だな」

「順当なもんですかっ。ウチは幻想郷最古の由緒正しい神社なのよ? なのに一番下なんておかしいでしょうにっ」

 

 卓袱台をべしべし叩く霊夢を尻目にしつつ、水月苑に四つのお社が建てられたというこの件について補足しておこう。

 事の発端は大晦日の宴会に遡る。月見が萃香や幽香といった面々を集めて、庭のどこかに祠のようなものを造れないかと切り出したのだ。

 空飛ぶ船とともにやってきた美人女僧侶・聖白蓮の、遠い昔亡くなった弟を祀るために。

 なぜ月見が自分の庭で人間を祀ろうというのか、経緯と事情はここでは省略する。ともかく月見たっての願いとなれば少女たちが渋るはずもなく、むしろ面白い話だとばかりにとんとん拍子で計画が立てられ、せっかくだから毘沙門天も祀って命蓮寺の祠とすれば、山の妖怪たちも気軽に参拝できるだろうという話まで発展する。

 これを聞き逃さないのが、博麗霊夢と東風谷早苗である。

 

『ねえ月見さん。小さい祠なら、もうひとつくらいついでで造ったってそんなに大差ないわよね?』

『はいはい、ウチの神社もお願いします! みんなでお手伝いしますのでっ』

 

 是非もなし。

 それで正月がやってきて早々、興味を持った少女たちが水月苑に集まり、日曜大工感覚でわいわいと作業していたのを魔理沙は目撃している。これによって、水月苑の庭から小さな橋を渡った先――池の上で島となったその雅な場所に、命蓮寺、博麗神社、守矢神社の三つの祠が造られたわけだ。

 しかし、話はこれだけでは終わらなかった。

 この出来事を一体どこでどう知ったのか、月見の夢枕に突然宇迦之御魂神が立ち、うちのお社も造ってほしいんよぉーとおねだりしてきたというのだ。なんでも、月見と宇迦之御魂神は古馴染らしい。日本屈指の神様とさらっと友人である点について、まあ月見だしな、と魔理沙はあまり深く考えないことにしている。

 そんなわけで、追加で稲荷神社の祠まで建てられた。

 里でお稲荷様ブームが起こっているのを受けて、本格的に幻想郷での信仰獲得へ乗り出したのかも、と月見は言っていた。外の世界ですでに日本最大級の信仰を獲得しているのに、宇迦之御魂神とはなかなか抜け目ない性格をした女神のようだ。

 以上で話が冒頭へ戻る。

 稲荷神社も含めた計四つの祠が水月苑に建てられてからおよそ一週間、霊夢は期待に胸を高鳴らせながらお賽銭の回収に向かったが――見ての通り散々な結果に終わった、というのが目の前の状況のようだった。

 霊夢がぐぬぬと歯軋りをしている。

 

「稲荷神社はしょうがないとしても、守矢神社にも命蓮寺にも負けるなんて……こんなの絶対おかしいわよっ」

「そうかぁー?」

 

 一応魔理沙の見解を述べれば、守矢神社はその立地もあって山の妖怪からの信仰を中心としている。わざわざ山頂まで登らなければならない本社より、小さいとはいえ麓の祠に賽銭が集まるのは道理だと思う。

 更に命蓮寺は、年の暮れに突然現れてから人気急上昇中の風雲児。今まで幻想郷に本格的な仏教寺院がなかった点、そして住職の聖白蓮をはじめ面子が美少女揃いという点から、人間妖怪問わず早くも強大な信仰圏を形成し始めている。当面の間は賽銭の絶えない日々が続くだろう。

 それに引き換え、博麗神社はといえば。

 

「はーあ……ちょっと前まで幻想郷の信仰はウチの天下だったのに、嫌な時代になったもんだわー……」

「そんときから参拝客はほとんどいなかったけどな」

「うっさいわね」

 

 霊夢が苛立たしげに頬杖をつく。この博麗神社は里から歩くにはやや面倒なほど山奥な上、途中の参道――とは世辞でも呼びがたい獣道――は緑豊かなあまり見通しが悪く、妖怪や獣と出くわす危険性がある。そんな立地なので客は大半が人外であり、一部の人間からは『妖怪神社』なる呼び名で参拝を敬遠される始末である。

 

「でも、仕事はあるんだろ?」

「……まあ、そうだけど」

 

 とはいえ妖怪退治の専門家、ないしは各種お祓いの第一人者といえば今でも博麗の巫女を指す言葉なのは変わっていない。あくまで参拝客が少ないというだけで、巫女としての霊夢は一応ちゃんと人々から信用されているのだ。

 だが、霊夢の顔色はいまひとつ晴れない。

 

「でも、そっちもちょっと怪しいのよねー」

「ほーん? というと?」

「そういう仕事が、最近やけに月見さんから回ってくるようになったのよ。どうも里の人たち、今までみたいに私に直接依頼するんじゃなくて、一回月見さんのとこに持ってってるらしいのよね」

 

 魔理沙は少し考え、

 

「あー。お前が神社にひきこもってばっかだから、身近な月見に依頼が流れてるってことか」

「別にひきこもってないけど。ともかく、私の仕事が月見さんにとられてるかもしれないってわけね」

「っていっても、月見ならそのへん弁えてそうだけどな」

 

 月見とて、里からの依頼が博麗神社の大切な収入源なのは理解していようから、隠れて仕事を奪う真似はしないと思うが。むしろ里の困り事を上手く聞き出して、積極的に霊夢へ回してくれそうですらある。

 霊夢はなおも険しい面構えのまま、

 

「私もそう信じてはいるわ。……けど、月見さんは幻想郷に稲荷信仰を広めた張本人。もはや立派な商売敵でもあるのよ」

「まあ、そりゃそうだ」

 

 稲荷信仰は、表立ってこそいないものの里で着実に勢力を広げている。商売繁盛および五穀豊穣という大変ありがたい神徳を中心に、病気平癒、芸能上達、安産、家内安全、厄除け、火防(ひぶせ)と、要するに開運招福の類ならなんでもござれという有様なのだから、なんの神様かもわからない博麗神社より百万倍は魅力的だろう。今のところは家の神棚で個人的にお祀りする場合がほとんどのようだが、そのうち里を挙げて神社の建設が始まってもおかしくはないと魔理沙はニラんでいる。

 と、そこでふと己の思考が片隅に引っ掛かった。

 

「……しかし、考えてみると妙な話だよな」

「なにが?」

「月見が妖怪なのはみんな知ってるだろ。んで、あいつも別にお稲荷さんを広めようとしてるわけじゃない。ごくごく普通に生活してるだけだ。参拝できる神社だってない。……なのに、なんでお稲荷さんは広がる一方なんだ?」

 

 霊夢が、まったく考えたこともない死角を衝かれたように目を見開いた。

 月見が稲荷信仰を積極的に流布していて、故にお稲荷様ブームが起こっているのなら話はわかる。しかし実際は、月見がなにもせずとも勝手に信仰だけが広まっている状態なのだ。そんなことが本当にありえるのだろうか。ありえるのなら博麗神社は信仰獲得に喘いでいないし、守矢神社も幻想入りすることはなかったのではないか。

 霊夢が表情を変えた。機嫌の悪い頬杖を解き、急に真面目くさった目つきで、

 

「なるほど、つまりあんたはこう言いたいのね。裏で稲荷信仰を扇動している黒幕がいると」

「……別にそこまでは言わんけど、なにか理由はありそうだよな」

 

 霊夢が卓袱台を打っていきなり立ち上がる。

 

「うお。なんだどうした」

「こうしちゃいられないわ! これ以上ウチの信仰が奪われる前に、黒幕を見つけ出して成敗しなきゃ!」

 

 あっ始まった、と魔理沙は思った。この霊夢という少女、普段はものぐさなくせして信仰が絡むと突然やる気を発揮するときがあるのだ。人が変わったように、そして一回転半くらいへんてこな方向に。

 

「そんで扇動する方法を洗いざらい吐かせれば、ウチの信仰もがっぽがっぽよ!」

「あ、はい」

「行くわよ魔理沙! まずは人里で情報を集めるのっ!」

 

 どうやら、魔理沙がついていくのは決定事項らしい。まあ暇だったから付き合うのは構わないのだが、畳をずりずり引きずられながら魔理沙はなにもない空にため息を飛ばす。

 そのやる気をもっとちゃんとした方向に発揮すれば、地道ながら確実に信仰も獲得できていくはずなのに。

 でもそれだからこその霊夢なんだよな、と魔理沙は満更でもなく思うのだった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――はあ。それで、とりあえず私に話を聞きに来たと」

「ええ、そんなところね」

 

 所は里の甘味処に変わる。まだ昼前にもかかわらずそこそこ賑わった店内の一角で、まずは稗田阿求を捕まえて事情聴取が始まった。木目が艶かしいテーブルの上には、この店特製のあんみつが三つ並んでいる。代金は阿求が持つということで、魔理沙も霊夢も遠慮なく大盛りにしている。

 

「というわけで、なにか心当たりはない? 実際、月見さんに稲荷信仰を広める気はないわけでしょ。なのにどうしてここまでブームになったりするのかしら」

「そうですねえ……」

 

 阿求が口元に人差し指を添えて思案する。とりあえず自分が喋ることはなさそうなので、聞くだけ聞きながら魔理沙は目の前のあんみつを堪能する。普段の魔理沙なら、値段に尻込みしてまず頼むことはない一品だ。これがタダで食べられるだけでも、半強制的に引きずられてきた元は取れたようなものだった。

 たっぷり二十秒ほど考えて、阿求は見切ったように口を開いた。

 

「……ふむ、特に心当たりはないですね。誰かが扇動しているわけではなく、あくまで自然と広まっているだけでは?」

「なにもしてないのに勝手に広まる信仰なんて、あってたまるもんですか」

「あら、月見さんはなにもしてないわけじゃないと思いますよ」

 

 阿求は微笑み、教養の染みついた上品な手つきであんみつを一口運んだ。勿体ぶるようにゆっくりと味わい、

 

「月見さんは里を訪れるたび、みんなのちょっとした悩み事や相談事を聞いてくれるんです。最近はもう、なんでも相談窓口みたいになっていますね」

「まあ、それでいくつかが私のとこに回ってくるわけよね」

「里だけで解決できることにも限界がありますから。そこから霊夢さんのような外部の専門家に取り次いでくれたり、上手く間を取り持ってくれたり、月見さんに相談すれば間違いない、ととても評判がよいようで」

 

 そりゃあそうだよな、と魔理沙は思う。月見は幻想郷の中はもちろん、天界だって地底だって、更には冥界だって彼岸だって、なんだったら神話に名だたる神々にだって顔が利く社交おばけだ。そもそも本人からして、長い時を生きる中で様々な術や知識に精通した大妖怪である。つまりは揉め事の解決能力がべらぼうに高いのである。困ったときの月見、という考え方は魔理沙としてもまったく異論なしだった。

 

「信仰とは、大雑把に言ってしまえば感謝の心だといえます。神の恵みに感謝する心、仏の導きに感謝する心、そして人の厚意に感謝する心。どれも本質的に違いはないでしょう。日頃からたくさんの悩みを聞いてくれる月見さんへの感謝が、より具体的な形となって、今の稲荷信仰と結びついたのではないでしょうか」

「……は、はあ」

 

 思いがけず真っ当な理屈に霊夢は面食らった。そのまま丸め込まれそうになったが慌てて首を振り、

 

「いやいや、騙されないわよ。その理屈だと感謝されるのはあくまで月見さんであって、お稲荷様じゃないでしょ。里でお稲荷様が祀られる理由にはならないわ」

「そうでしょうか? 狐に助けられた者が、狐を眷属とする神に感謝する……日照りが続いたあとに雨が降れば、人々は雨を司る龍神に感謝するでしょう。それと同じではありませんか?」

「月見さんは妖怪でしょうが!」

「みんなわかっていますよ。でも、神か妖怪かなんて些細なことです。重要なのは月見さんが、私たちにとって『よいひと』だということなのです」

「……」

「ところで霊夢さん、『マレビト信仰』というものをご存知ですか?」

 

 出し抜けに問われて霊夢はやや二の足を踏んだ。

 

「……まれびと?」

「はい。来訪神ともいいます。里の外からやってきて福をもたらしてくれる不思議な存在を、人々は古くから信仰の対象としてきた記録があります。男鹿地方のナマハゲといえば、霊夢さんも名前くらいはご存知では?」

「あー、なんか早苗が言ってたわね。鬼みたいな見た目してて、悪い子どもを懲らしめるんだとか」

 

 魔理沙も聞いたことがある。凶悪な見た目をしているので子どもたちからは怖がられるが、悪を正し福をもたらすとてもありがたい神様なのだと言っていた。

 阿求が懐から取り出した伊達眼鏡をおもむろに掛ける。ああ教師モードのスイッチが入ったな、と魔理沙は思う。この少女は歴史のみならず学問に滅法強いので、ときおりはこんな具合で寺子屋の教鞭を執ることもあるのだ。

 

「ある日突然やってくるそういった存在を、人々は常世(とこよ)――つまり人ならざる世界から来訪した神、ないしはご先祖様の霊と同一視して歓迎しました。それはときに本当の神様であったり、様々な知識を携えた遊行者であったり、はたまた単なる旅人であったりしたでしょう。もしかすると、妖怪も交じっていたかもしれませんね」

「……はあ」

「霊夢さんも、たとえばどこからともなく神社にやってきて、お供えを寄せてくれる不思議な人がいたら。それが何回も何回も続いたら、あの人はもしかするとありがたい存在かもしれない、と考えそうになりませんか?」

 

 霊夢は答えない。言い返せない自分を悔しがるように、とても渋そうな顔であんみつを頬張っている。

 

「たとえ妖怪であっても、月見さんが里の外からやってくる、里にとってありがたい存在なのは疑いようがありません。加えて、普通とは明らかに違う銀の狐というのもあるでしょう。私たち人間は、生物無機物問わず、なにか通常ならざる特徴があるものを特別視してしまう傾向にありますから」

「……」

「私の見解としては、月見さんが里の外からやってくる『よいひと』であること、そして不思議な銀の狐であることの二つが根底にあると思います。前者がマレビト信仰につながり、後者が稲荷信仰と結びつく。二つの信仰が複合された興味深い結果と言えます。そして月見さんが月見さんである限り、それはごくごく自然な流れだったのではないかと思いますよ」

「…………」

 

 なんとも理路整然とした解説をされてしまい、霊夢はもはやあんみつをもぐもぐするだけの物体と化している。なので魔理沙が軽い半畳ついでで相槌を打つ、

 

「月見のこと、なかなかよく見てるみたいじゃないか」

「へ? え、ええ、そのあたりは仕事柄といいますか」

「いつかぎゃふんと言わせる宿敵だとか聞いてたんだけどなあ」

 

 珍しいものを見た。阿求がその色白な頬にさっと紅葉を散らし、二の句を継げなくなって明らかに狼狽したのだ。何度か口をまごつかせてからようやく、

 

「じ、事実です。宿敵だからこそ、私は月見さんを常に分析しているわけで」

「その割には、幻想郷縁起なんかも普通に高評価だったが」

「私の縁起はひとつの歴史書です。主観に囚われず、厳密な取材のもと客観的な記述を心懸けています」

 

 客観的ねえ、と魔理沙はニヤつきながら思う。阿求が逃げるようにぷいとそっぽを向く。そのとき暖簾を掻き分けややお年を召した団体客がやってきて、店主と知り合いなのか大声で挨拶するわ、どっと笑い出すわで店が俄かに騒がしくなる。

 そのせいで、阿求のつぶやきは魔理沙には聞こえなかった。

 

「……私の縁起を、好きだって言ってくれたんですもん。変なことなんて書けるわけないじゃない……」

「ん?」

「と、ともかくっ」

 

 阿求は大きめの咳払いをして、

 

「話を戻しますよ。稲荷信仰については述べた通りです。なので霊夢さんももう少しここへ足を運んで、人々と利害によらないよき関係を築くよう努力すれば、自然と信仰も集まるかもしれませんよ」

「お、霊夢が一番苦手なやつだな」

「……うっさいわね」

 

 霊夢が欲しているのは、なるべく自分が動くことなく楽に参拝客を集める方法だ。先を見据えた地道で遠回りな布教活動より、一発逆転値千金のホームラン狙いなのである。

 

「あとは参道をきちんと整備して、安全に歩きやすくすることですかねえ……」

「お、霊夢が最も苦手なやつだな」

「ばーかばーか」

 

 霊夢が自棄になって団子を追加注文する。ますます客が増えつつある店内に、店主夫婦の以心伝心な応の声が威勢よく響く。

 

 

 

 

 

「――さて、どうする。阿求の分析では、今のお稲荷さんブームにはなんのインチキもないそうだぜ?」

「一人だけの話で判断するのは早計よね。もう少しいろんな人にも訊いてみないと」

 

 甘味をたっぷり堪能したのち阿求と別れると、霊夢は里の通りを大股で徘徊し始めた。里の風景からも情報を集めようとしているのか、いきなり食べ過ぎたのでちょっと運動しようとしているのかは不明だが、どうあれこの程度で諦めるつもりは毛頭ないらしい。今日一日特に予定もない魔理沙は、とりあえず彼女の後ろにくっついてゆく。

 

「お前は一発屋気質が過ぎるんだよ。別に狙うのが悪いとは言わんが、もうちょっと安定した信仰の地盤作りもだな」

「仕方ないでしょ、そういうの性に合わないんだもの。私は私のやり方で成功してみせるわよ。私は巫女であって、里のなんでも相談窓口なんかじゃないんだから」

「とはいっても、なんのご利益があるかもわからない神社じゃなあ」

 

 八百屋さんの前を通り過ぎる。店の奥の天井近くに、真新しいお手製の神棚らしき物が鎮座しているのが見える。遠目なのではっきりとはわからないが、両脇に飾られた白い小さな置物は、ひょっとすると白狐のそれではなかったか。さすがは商売繁盛の神様だと思いながら、

 

「得体の知れない神様じゃあ、なんか祟りがあるかもとか思われそうだし」

「――そうよ。それだわ」

「んあ?」

 

 霊夢が突然足を止めた。素早く、そして大真面目な形相で魔理沙へ振り向き、

 

「ねえ魔理沙、こんな話を聞いたことない? ――お稲荷様は、信仰をやめたら祟られるって」

「……んー? あー、そう言われてみれば、そんな話もあったような……?」

「絶対にあったわ。そんな神様を迂闊に信仰するなんて、ちょっと危ないんじゃないかしら」

「……あー、」

 

 話の意図を察して魔理沙はため息をついた。どうやらこの少女、自分がのし上がるのではなくライバルを蹴落とす方に方向転換したらしい。どうしてそういう悪知恵ばかりがテキパキ働くのか、さすがの魔理沙も頭痛を禁じえなかった。

 

「あのなー霊夢、そんなことしたってお前の神社が信仰されるわけじゃないだろ」

「私は博麗の巫女として、真っ当に里の現状を憂いてるだけよ」

「もしそうだとしても、月見ならちゃんと事前に説明してるって」

「いーやわからないわ。水月苑のお社だってほいほい建ててたし、きっと宇迦之御魂神と結託して」

「――あ、霊夢。魔理沙」

 

 里の賑わいを通り抜け、はっきりと耳の奥まで届く綺麗な呼び声だった。一歩横にずれて霊夢の後ろを見てみると、近づいてくるのは買い物袋を抱えた『天使先生』だった。

 

「おはよう、二人とも」

「あら、おはよう。……ちょうどよかったわ、あんた神道に詳しかったわよね」

 

 へ? と『天使先生』――比那名居天子は目を丸くし、

 

「ええと、一応、ちょっとくらいなら……? でも、神道だったら霊夢が専門じゃ」

「まあまあ、とりあえず聞いてよ」

 

 霊夢がかくかくしかじかとここまでの経緯を説明する。最初はちゃんと耳を傾けていた天子だったが、『信仰獲得』という単語が出たあたりから一気に白け始め、最後には魔理沙と同じく頭痛に呻きながら、

 

「霊夢……それってつまり、自分が信仰を得るために他の神様を蹴落とそうとしてるってこと……?」

「ち、違うわよ。里のみんながお稲荷様をよく知らないまま軽い気持ちで信仰してるんじゃないかって、真っ当に心配しているの」

 

 天子はしばらく疑いたっぷりの半目で霊夢を睨み、やがて諦めるように吐息した。

 

「……去年、月見が寺子屋で授業したときのことなんだけど」

「は? あいつ、寺子屋で授業なんかしてるのか?」

「先生たちがたまたま急用で都合つかなくなったときとか、臨時でね」

 

 遂に妖怪が人間の学校で授業する時代か――と魔理沙は震えたが、まあ月見だしな、と深く考えないことにする。

 

「そのとき子どもたちが同じ質問して、月見が答えてたよ。……お稲荷様がすぐ人間を祟るなんてのは、まったくの迷信だって」

「……そうなの? まったく?」

「まったく。宇迦之御魂神はすごく気が長いのんびり屋で、むしろ滅多なことじゃ人間を祟ったりしないそうです」

「なんだ、残ね――い、いや、危なくなくてよかったわね。うん」

 

 天子は霊夢をひと睨みで黙らせ、

 

「稲荷神社の総本社、伏見稲荷神社は日本有数の神社で、毎日たくさんの参拝客が来るんだけど、どれくらいの人が日頃からちゃんとお稲荷様を信仰してると思う? 一回お参りしてそれっきり、行楽気分で手を合わせていくだけの人がいくらでもいる。……もしお稲荷様が本当にすぐ人間を祟るんだったら、もう日本中が祟りまみれになってるはずなの」

「ははあ。つまり、一回しかお参りしないようなチンケなやつをいちいち相手するほど小さい器じゃないってか」

「そうじゃなかったら、開運招福の神様として有名になるはずがないでしょ?」

 

 確かに、理屈で考えてみればそうだ。稲荷神社は日本全国におよそ三万の数があり、それだけなら天照大神や素戔嗚尊すら差し置いて日本一に君臨するという。ということは人々にとって、お稲荷様はそれだけ親しみやすい身近な神様だったと考えられるわけだ。すぐに祟られてしまうような恐ろしい神様ではこうはいかない。

 しかし霊夢は釈然としない。

 

「でも、だったらなんでそんな迷信が生まれたわけ? 火のないところに煙は立たないっていうと思うけど」

「それも月見が言ってたけど、理由として大きいのは二つ――荼枳尼天(だきにてん)飯綱(いづな)権現だろうって」

 

 話を小耳に挟んだ里人が一人また一人と足を止め、魔理沙たちの周りで興味深げな人だかりを作り始める。するとその集まりが更に次々と人を呼び、『天使先生』の青空教室となるまでさほど時間は掛からなかった。聴衆が増えた天子はこほんと喉の調子を整えて、

 

「えーと……荼枳尼天はインドの仏様で、白狐にまたがり空を駆けることから、日本で神仏習合が興ったときにお稲荷様と同一視されました。これが、元々は人間を食べるなどした羅刹の一人で、強い御利益をもたらす代わりに相応の対価も求める、祟り神としての側面を持つ厄介な仏様だったのです。当然、信仰を途中で勝手にやめたりすれば怒りを買います。はじめのうちはちゃんと修行を積んだ僧侶だけが使う呪法の類だったのですが、時代が下るに連れて民間でも知られるようになって、お稲荷様と概念がごちゃごちゃになってしまいました。

 そして飯綱権現は天狗姿の神様で、人間に『飯綱法』という呪術を授けました。『管狐』という狐を使役して家を繁栄させたり、人を呪ったりする強力な憑き物の一種です。ですが飯綱権現が厳格な神様であるためか、扱いが難しく、一歩間違えれば自らを滅ぼすことになるともいいます。これも時代とともに荼枳尼天やお稲荷様とごちゃごちゃになってしまって、いつしかお稲荷様までもが、『信仰をやめたら祟られる』と噂されるようになってしまったのです。

 ……こういうことがあって、宇迦之御魂神と荼枳尼天と飯綱権現は、仲があまりよくありません。稲荷信仰に余計な傷をつけたと、宇迦之御魂神が今でもしっかり根に持っているそうです」

 

 要するに、『狐』という共通項があったばかりに宇迦之御魂神が大変迷惑しているという話のようだった。

 似た話は魔理沙にも覚えがある。魔法の勉強をしていると、ちょっとした類似点から異なる二つの概念をこじつけようとする本と出くわすのがそれだ。なにからなにまでいちいち区別しようとするのはよくないが、なんでもかんでもひと括りにしてしまうのも考えものなのである。

 最後に天子はやや声量を強め、

 

「そういうわけで、お稲荷様はとても優しい神様ですので、神棚を作って普通にお祀りするのはなにも問題ありません。本人に確認したのでまず間違いない――と、月見が言ってました」

 

 そう、即席の青空教室を締め括った。

 納得とも感嘆とも取れる、低い唸り声めいた理解の声が人々からあがった。「お狐様も大変なんだなあ」と若い男性、「ウチもお祀りしてみようかしら」と壮年の女性、「ウチはおまつりしてるよね!」と肩車された子ども、「ありがたやありがたや」と杖をついた老人、総じて良好な反応が行き交っている。ただ一人、霊夢だけがぶるぶると拳を震わせ、

 

「天子ぃぃぃ!! あんたどっちの味方なのよおっ!?」

「うひぇ!? なななっなにが!?」

「さてはあんたが稲荷ブームの黒幕なのね!? ほんっと隙があれば月見さんのことしか考えてないんだからあんたはあッ!!」

「へっ……い、いや、ええとその、わたし別にそんなんじゃ」

「なぁに赤くなってんのよ幸せいっぱいですってかコンニャロ――――――ッ!!」

「ひにゃあああああ!?」

 

 霊夢が怪鳥の如き裂帛で天子に飛びかかり、キャットファイトとは世辞でも呼びがたい一方的な暴走劇が始まる。途端に周囲の人々が、「おお、博麗様が荒ぶっておられる……」「恐ろしや恐ろしや」「ほら、見ちゃダメよ」と慣れた様子で解散していく。

 なんとなく、博麗神社に信仰が集まらない理由の一端を垣間見た気がする魔理沙であった。

 

 

 

 ○

 

「――あー、ところで天子。話は変わるんだけど」

「うう、まだなにかあるのぉ……??」

「いや、もう叩かないから。こないだのおみやげ(・・・・・・・・・)、恥ずかしがってないでちゃんと使うのよ。それだけ」

「……、」

「早く勇気出さないと、月見さんも忘れちゃうかもしれないしねー」

「……………………」

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 天子がとばっちりでボコられたあとも、魔理沙は引き続き霊夢の後ろにくっついて回った。寺子屋では上白沢慧音、商店が並ぶ通りでは十六夜咲夜と魂魄妖夢、たい焼き屋の前では風見幽香、偶然開かれていた古物市ではとある本好きの少女と、目についた知り合いにはひと通り聞き込みをしてみたものの、霊夢が望む情報はこれといって得られぬまま時間だけが過ぎ去っていった。

 いつの間にか太陽もそこそこ高くなり、人々が昼餉の献立を考え始める頃合いである。魔理沙は頭の後ろでのんべんだらりと両手を組みながら、

 

「――で、どうするんだぜ。まだやるのかー?」

「……むう」

 

 前を歩く霊夢の足取りは、もうだいぶやる気のない感じになっていた。元々飽きっぽいし、大して我慢強くもないやつである。午前中いっぱい費やしてなんの成果も得られなかったのだから、霊夢の中ではこれ以上は無駄と結論されつつあるだろう。彼女は足を止めて荒っぽく頭を掻き、

 

「おっかしいわねえ。絶対に黒幕がいると思ったんだけど」

「結局、稲荷信仰は極めてまともな理屈で広まってるってこったな。いいお手本じゃないか」

「……」

 

 霊夢はとても渋い顔をしている。あんなのお手本にしたくないわよ、とほっぺたにでかでかと書いてある。

 

「でも、長い目で見ればそれが一番なんだと思うぜー。感謝というか信頼というか、ともかくそういうので成り立った信仰ってのは長続きもするだろうしな。信仰は一日にしてならずってわけだ」

「……ぶー」

 

 ぶーたれてもなにも出ません。

 

「はあ……信仰を集めるって、なんていうか、案外地味なもんなのねえ」

「お前、よくそんなんで今まで巫女やってこれたよな」

「うっさいわね」

 

 妖怪退治や各種祭祀の方面ではせっかく憎たらしいほどの才能と腕前があるのに、どうしてそれを信仰獲得に欠片も活かせないのか。『天は二物を与えず』という格言を、ここまで余すことなく体現する少女も他にはいるまい。

 

「んで、これからどうすんだ? もう諦めるなら、私はさっきの古物市にでも」

「――あ、霊夢さーん! 魔理沙さーん!」

 

 背後から声。振り返ってみると、今度は東風谷早苗の姿があった。駆け寄ってくる彼女はやけに嬉しそうな様子で、

 

「こんにちは! ひょっとして、お二人もこれから命蓮寺に?」

「……命蓮寺ぃ?」

 

 憎っくき商売敵の名に霊夢がひどく眉根を寄せる。魔理沙はいま歩いている通りを頭の地図と照らし合わせ、そういやここをまっすぐ行くと命蓮寺だったか、と遅まきに気づく。早苗は小首を傾げ、

 

「あれ、違うんですか? てっきり、お二人も命蓮寺の修行体験に行くのかと」

「なによそれ」

「ですから、修行体験ですよ。日帰りでお寺の生活を体験できるっていう」

 

 魔理沙は霊夢と顔を見合わせた。そんな催しがあることも、命蓮寺がそんな活動を始めていることもまったくの初耳だった。

 

「じゃあ、よければちょっと一緒に行ってみません? 申込制ですけど、一人二人くらいなら飛び込みできると思いますよ」

「いやいや、なんで巫女の私がそんなことしなきゃなんないのよ。ってか、なんであんたは行こうとしてるわけ。まさか仏様に鞍替えする気?」

「あはは、まさか。でも、いろいろ勉強になるところもあるかなーと」

 

 意味がわからん、という顔を霊夢はしている。

 

「仏教なんて私たちの敵じゃない」

「まあまあ。確かに私たちは信仰を獲得し合うライバルですけど、一方ではともに神の膝下にある同胞、仲間でもあると思うんです。いがみ合ってるだけじゃ始まりませんよ」

「……なーるほど? つまりお前は敢えて異なる宗教に触れることで、切磋琢磨の材料にしようとしてるのか」

 

 早苗は気恥ずかしげに頬を掻き、

 

「まあ、そうなればいいなー、って漠然と思ってる程度ですけど……」

「いやいや、それで実際に行動できるのは立派なもんだぜ」

 

 魔理沙は腕を組んで二度大きく頷き、それから慈しみの眼差しで霊夢を見つめた。

 

「同じ巫女なのに、どうしてこうも違うんだろうなあ……」

「どういう意味よ」

「そういう意味だぜ」

 

 確かに東風谷早苗は、巫女としての実力こそ未だ霊夢には及ばない。しかしそれは比較対象の問題であって、早苗の実力自体が未熟というわけでは決してない。内に秘めたポテンシャル、異宗教を理解し柔軟に受け入れる懐の広さ、そして今なお霊験あらたかな二柱の後ろ盾。知名度の低い神社の巫女だからとみくびっていると、そのうちぎゃふんと尻餅をつかされそうだ。

 

「とにかく、のんびりなんてしてられないですよっ。志弦から聞いた話だと、命蓮寺には月見さんもいろいろ協力してるようで」

「――それだわ!!」

 

 霊夢がいきなり血圧を上げて吠えた。目を白黒させて固まる早苗に、まるで名探偵さながら人差し指を突きつけ、

 

「命蓮寺とお稲荷様は、裏で結託しているっ!!」

 

 周りの里人たちから不審者を見る眼差しが集中し、魔理沙はどうしようもなく他人のフリをしたくなった。

 

 

 

 

 

 命蓮寺は、なかなか堂々としたお寺である。開山されたばかりなので当然といえば当然だが、傷ひとつない真っ白な漆喰壁に敷地を囲まれ、漆が艶めく小さくも荘厳とした山門が来客を歓迎する。門をくぐると完成されて間もない若々しい庭が広がり、本堂への道筋を整然とした石畳が貫いている。左に手水舎があり、右には幻想郷唯一の鐘楼が建っている。本堂の脇にもいくらか建物が隣接しており、反対の隅を通るとそのまま奥の墓地へ行けるようになっている。

 修行体験でそこそこの大人数が集まっているにもかかわらず、境内は波紋ひとつない水面の如く静まり返っている。単に物静かなだけなら博麗神社も同じだが、こちらは無意識のうちに背筋が引き締まるような侵しがたい清澄だった。嫌いとは言わぬまでも、どうも長居はしたくない場所だな、と魔理沙は思った。

 

「――以上のように、今回は多くの方々からご関心をいただきましたので、三つの組に分けて進めさせていただいています」

 

 案内してくれているのは、住職の聖白蓮だった。正面の本堂ではナズーリンが座禅を、その脇の建物――僧堂といい、お坊さんが日頃の修行を行う場所らしい――では星が法話、一輪が写経を担当している。更にその奥の建物――庫裏(くり)といい、お坊さんの住居にあたるとか――では、ムラサ船長が昼食の準備を進めているそうだ。本堂に目を遣ると、薄暗がりの奥で精神統一している早苗の背中が見えた。

 

「今回は本当に簡単な体験ですので、このあと三十分ほどで組を入れ替えます。正午になったら精進料理で昼食を摂り、午後にもう一度だけ組を入れ替えて、三つの修行すべてを体験したところで終了となります」

「ほーん……二時間ちょっとってとこか? 確かにこれなら、興味本位でも参加しやすそうだな」

 

 仏教の修行といえば魔理沙はてっきり、俗世を断ち切って寺に住み込み、厳しい戒律の下で粛々と行うイメージだったが。体験なのだから当然とはいえ、これなら老若男女問わず、一人でも親子でも気軽に足を運べそうだった。

 

「はい。月見さんに、いろいろ相談に乗ってもらったんです」

 

 霊夢があからさまに目を眇めたが、白蓮は気づかぬまま、

 

「今の時代は、仏教の修行と聞くと戒律に縛られた厳しいものを想像してしまい、敬遠する方が多いと聞きます。なのでまずは、こういった場からその先入観を払拭できればと思いまして。俗世を断つ必要も、戒律を守る必要もありません。今まで通りの生活のまま、日々のほんの少しの時間、仏の教えに思いを馳せてみるだけでも充分なんです」

「ふーん。そんなので信仰してることになるわけ?」

 

 霊夢の歯に衣着せぬ質問を物ともせず、くすくすと微笑んで、

 

「あなたは、神社を信仰してくれる方に日頃から精進潔斎を求めますか?」

「……」

「信仰とは心。仏の教えに思いを馳せ、己を律し人道に生きる心があれば、仏の下ではすべて平等ですよ。それは神道も同じではありませんか?」

 

 むう、と霊夢は唸る。

 

「俗世を断つことも、戒律を課すことも、究極的には己の心を磨く手段に過ぎません。信心に芽生えた者が、仏の教えを一層理解したいと願い己の意思で課すのであり、修行を積むこと自体が目的ではないのです」

「そういやお前、宴会で弟子が酒呑んでても止めなかったな」

「まあ、仏門へ入った以上なるべく意識してほしいとは思うのですが……無理やり押しつけたところで信心は生まれませんから。もちろん、だからといって堕落したり、酔い潰れて不徳を晒すようなら拳骨ですけどね」

 

 一輪はぐうたらですし、星は食いしん坊ですし……と白蓮は小さく吐息して、

 

「ええと、それでどうされますか? お二人も体験してみます? 二人くらいなら飛び込みでも大丈夫ですよ」

「いいえ、それには及ばないわ」

 

 霊夢ははっきりと首を振り、大股で一歩白蓮へ踏み込み問うた。

 

「単刀直入に訊くわ」

「は、はい?」

「あんた、月見さんとどういう関係?」

 

 白蓮が、七秒ほど石化した。それから全身を緩やかに緊張させ、恐る恐ると薄氷へ足を伸ばすように、

 

「…………ど、どう、と言いますと?」

「そのままの意味よ」

「……ええと、その、いえ、特には、普通のお知り合いというか、」

 

 霊夢は更に一歩踏み込み、白蓮の胸倉に掴みかかる勢いで吠える。

 

「とぼけるんじゃないわよ! もう事実はあがってるのよっ!」

「は、ええっ!? そ、それって、まさか……!?」

「そういうこと。ほらほら、潔く白状した方が楽になるわよ?」

 

 白蓮がじわじわと赤くなって狼狽えている。岡目八目というべきか、魔理沙はこの時点で両者の認識に齟齬(そご)があるのを素早く察したが、面白くなりそうなので黙って成り行きを見守る。

 

「い、一体どこから……! まさか、ナズーリンですか……!?」

「はあ? あんた自分で言ってたじゃない」

「じ、自分でっ!?」

 

 半分以上裏返った素っ頓狂な大声、

 

「……い、いつですか! 私が一体いつ……!」

「ついさっき」

「ついさっ……!?」

 

 白蓮はもう為す術もなく真っ赤になって、湯気が噴き出しそうな頬を両手で覆うと、

 

「そんな、私は確かに『月見さん』って……ま、まさか無意識のうちに……ひょっとして、他の人の前でも……」

 

 何事かぶつぶつ呟きながら、疑心暗鬼の泥沼に沈んでいってしまった。もちろん霊夢が問い質しているのは、白蓮と月見――すなわち命蓮寺と稲荷信仰の関係である。事実があがっているというのも、白蓮が言った「月見さんに、いろいろ相談に乗ってもらったんです」を指している。あんたと月見さんが結託してるのはわかりきってるのよ、と言っているのだ。しかし白蓮はなぜか盛大な勘違いをしているらしく、見るからに心臓バックバクで風船がしぼむように縮こまっている。

 魔理沙の女の勘が告げる。

 これは、絶対に面白いやつである。

 なので、白蓮が白状する瞬間を今か今かと期待したのだが、

 

「……よくわからないけど、あんたと月見さんは裏でつながってて、お互いの信仰を広めようとしてるんでしょ。そんなのこの私が許さないわよ」

「うう、違うんですっ、それには深い訳が――え?」

 

 痺れを切らした霊夢が、答えを言ってしまった。

 顔をあげた白蓮は、滑稽なほど鳩が豆鉄砲を食った様子で、

 

「……え、信仰?」

「? あんた自分で言ったでしょ、月見さんにいろいろ相談に乗ってもらったって」

 

 まばたきもせずしばらく呆けて、ようやく自分が恥ずかしすぎる勘違いをしていたと気づいたようだった。

 

「あ、そ、そっちですかっ……ついてっきり……」

「……なんだと思ってたわけ?」

「いいいっいえいえなんでもっ! どうか、お気になさらず……」

 

 白蓮は腰が砕けるような安堵のため息をついている。ちくしょうあとちょっとだったのに、と魔理沙は心底口惜しく思った。この巫女はもう少し視野を広く持ち、ときには待ちの戦法で駆け引きする冷静さを身につけるべきである。普段は無駄に勘が鋭いくせして、どうしてこういう大事な場面では空気が読めないのか。

 白蓮はひと呼吸で気を取り直し、

 

「ええと、確かにいろいろと相談に乗っていただいてますが……幻想郷のこと、この時代のこと、まだまだたくさん学ばねばなりませんから」

「御託はいいわよ。つまりは里でブームになってる稲荷信仰に、あんたたち命蓮寺も加担してる。そういうことでしょ? ダキニテンとかいう仏教の神様がお稲荷さんと同一視されてるって聞いたわ」

「はあ……?」

 

 明らかに話がわかっていない様子だったので、仕方なく魔理沙が補足してやる。

 

「このところ、月見の影響で稲荷を信仰するやつが増えてるんだよ。でも月見は妖怪だし、別に信仰を広めようとしてるわけでもないだろ? だから他に黒幕がいるんじゃないかって疑ってんのさこいつは」

「まあ……」

 

 少なくとも、演技をしたようには見えなかった。口元に手を添え控えめに驚いた白蓮は、ギクリとするどころか楽しげな笑みを咲かせ、

 

「ええ、里で稲荷の信仰が見直されているのはナズーリンから聞きましたけど……ふふ、そんなにたくさんの方が信仰しているんですか?」

「……とぼけてるの?」

「本当に、月見さんには驚かされてばかりです……」

 

 その表情に広がっていくのが月見への敬意と、そしてそれ以上のまぶしい憧憬だったので。

 

「……あー霊夢、たぶんこいつは白だぜ。お前が考えてるような悪知恵を動かせるやつじゃない」

「……そうね。私もそんな気がしたわ」

 

 まさしく仏というのもなんだが、損得勘定に支配されない掛け値なしの善人なのだと思った。お互いのため善意から協力することはあっても、誰かとグルになって美味い蜜を吸おうなんて天地がひっくり返っても考えられない。そんな、恐らく自分たちとは根本的につくりが違う人間なのだと。

 

「これも、月見さんの人徳なのでしょう。ふふ、本職の私たちも負けてられませんね」

「……あっ、はい。うん、まあ、そうね。頑張りましょっか」

 

 霊夢は完全に毒気を抜かれ、喧嘩を吹っかける気満々だった自分を誤魔化しながらぎこちなく頷いている。今まで出会ったことのないタイプの善人相手に、すっかり出鼻を挫かれてしまったようだった。

 霊夢がやる気をなくしたので、魔理沙が勝手にバトンを受け取る。

 

「……んじゃあ、私からもひとつ質問していいか?」

「あ、はい。なんですか?」

 

 魔理沙は抜けるような笑顔で、

 

「最初、なんの話と勘違いしてたんだ?」

 

 白蓮がまた七秒石化した。

 もちろん、あれだけ面白い反応を見せられて黙って見逃すはずはなかった。白蓮と月見の間には、決して他言してはならないなにか壮大なヒミツが隠されている。先ほどから魔理沙の帽子の下で、乙女のセンサーがビンビン反応しっぱなしなのでまず間違いない。

 

「…………い、いやっ、それは至って個人的な話というか、ぜんぜんまったく大したことではないので、」

「別に大したことじゃないなら、教えてくれてもいいよな?」

 

 白蓮の目線が泳ぎまくっている。笑顔もだいぶ余裕がなく引きつっている。土を鳴らしてじりりと一歩後ずさりしたので、間髪容れずに一歩前へ詰める。

 横に霊夢が並んだ。

 

「まさかとは思うけど、やっぱりあんたなにか隠してるんじゃ……」

「ち、違うんです、確かに隠してることはあるんですけど、それは今回のお話とはなにも関係なくて、私の恥ずかしい勘違いで、あの、その、」

 

 魔理沙と霊夢は、一秒で以心伝心した。

 

「「とりゃああああああああっ!!」」

「ふひゃあああああ!?」

 

 阿吽の呼吸で白蓮へ飛びかかり、左右から包囲して脇腹をつんつん攻撃した。

 

「きゃあっ!?」

「あっはっは、そんなこと言われたら気になってしょうがないだろ! なんだか面白そうな話に聞こえるなー!?」

「さーさー、さっさと吐いて楽になっちゃいなさいっ!」

「いいいっいやですいやです言えるわけな、にゃぁう!? あっ、待っ、ふあっ、んんっ、ひぅ――い、いやー!?」

 

 逃げ出した白蓮を追いかけ、寺の庭を目まぐるしく走り回る。

 

「うーん、あんな必死になって逃げるなんて怪しいな! これは相当クサいぜ霊夢!」

「私の勘も怪しいって言ってるわ! これはなんとしても聞き出さないとならないわねー!」

「違うんですってばああああああああ」

 

 何気に白蓮の足が速くて手間取ったが、所詮は二対一。霊夢が進行方向に両腕を広げて立ち塞がり、白蓮が一瞬躊躇した隙に後ろから魔理沙が確保

 

「違うって、言ってるのにいっ!!」

「ぶぎゃっ!?」

 

 しようと伸ばした手首を掴み取られ、なにやら合気めいた技でたちどころに組み伏せられてしまった。

 手首がアカン方向にねじれた。気がした。

 

「い、いい加減にしてください! さすがの私も怒りますよ!?」

「いだだだだだだだだ!? あっちょっ手首、主に手首がアカン感じになってるううううう!?」

「とにかくやめてください! じゃないとポキっていきますからね!?」

「ポキっていくの!? そそそっそれ絶対いっちゃダメなやつだろおっ!! れ、霊夢助けてえええ!!」

「あの一瞬で完璧に関節を極めてる……尋常な技じゃないわ。なるほど接近戦は危険ってわけね」

「冷静に分析してんじゃねええええええええ!! んがががががががが」

「もう忘れてえええ――――――っ!!」

「さっきからうるさいよ君たち!! 修行の邪魔だ!!」

 

 そんな感じでぎゃーぎゃー騒いでいたら本堂からナズーリンがすっ飛んできて、座禅で使う棒――あとで知ったが警策(きょうさく)という名前らしい――で揃って頭をぶっ叩かれた。更には修行が足りない、まったく煩悩にまみれている云々と説教された挙句、問答無用で座禅に強制参加させられる羽目になったのだった。

 

「くっ、なんで私がこんなこと……魔理沙、あんたのせいよ」

「お前だってノリノリだったろうが。同罪だぜ」

「あ、あの、ほんとに忘れてくださいねっ? それが一番お互いのためで」

「ふんッ!!」

「「「いだぁい!?」」」

 

 ナズーリンのうなる神速の警策は、とても痛かった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「はあ……まったく酷い目に遭ったわ……」

「うー、頭がまだヒリヒリしてるぜ……」

 

 命蓮寺からの帰り道を、魔理沙と霊夢は浮浪者みたいにとぼとぼと力なく歩いている。ようやく座禅から解放された頃にはとっくに正午を回りきっており、里の通りはそこかしこが反則的な誘惑の香りで満たされていた。

 腹が鳴った。

 

「腹減った……どっかでメシ食っちまおうぜ……」

「そーねー……」

 

 家に戻って一から支度する気力もない。寺から逃げ出す間際、ムラサ船長特製の本格精進料理とやらを見てしまったせいだろうか。多少お金を使ってでも、お腹いっぱいたらふく食べて幸せになりたい気分だった。

 ため息。

 

「結局、収穫らしい収穫はなかったなー……」

「そーねー……お稲荷さんも早苗も命蓮寺も、今は地道に信仰を広げてるって感じね……」

 

 少なくとも、妙な方法で信仰を一挙獲得しようとしている様子はなかった。というより、神や仏に誠意を持って仕えるならばそれが当たり前のことなのだ。信仰は一日にしてならず。博麗神社だって幻想郷最古の由緒ある神社なのだから、ちゃんと頑張れば信仰に喘ぐ生活なんて無縁になるはず。

 さすがの霊夢も、ライバルたちの真っ当な姿から刺激を受けただろう――と、魔理沙はなんの疑いもなく思っていたのだが、

 

「でもまあ、安心したわ」

「そうだな。今が出遅れてるってだけで、まだまだ逆転は可能だぜ」

「ええ。同じこと考えてるやつもいないし、あとからでもいくらだって逆転できるわよね」

「そうそう、あとからでもいくらだって――は?」

 

 お前いまなんて、

 

「卑怯な手で一気に信仰奪われたら大変だと思ってたけど、これは焦る必要もなさそうねー。いやーよかったよかった」

「……」

 

 ……。

 ……霊夢ゥ。

 

「うん。これからのことはこれからの私に任せるとして、今日は帰ってのんびりしてましょ」

「もうダメだこいつ」

「なんか言った?」

「いやなんにも」

 

 霧雨魔理沙の脳内会議にて、満場一致で匙を投げる結論が可決した。そもそも自分は最初から宗教に関係のない部外者なのだから、こうして首を突っ込んでいるのが間違いだったのだ。うん、もうやめようそうしよう。

 

「……あ、月見さん!」

 

 魔理沙が遠い目線で明後日の空を眺めていると、前方の人ごみに銀の狐耳を見つけた霊夢が、フランさながらの猛ダッシュですっ飛んでいった。魔理沙もため息をついて小走りで追いかける。

 

「月見さん!」

「おや、霊夢。魔理沙も一緒か」

「月見さん、ちょっと相談に乗ってよ。月見さんって、ここでなんでも相談窓口やってるんでしょ」

「……まあ、いつの間にかそういうことになってるみたいだね」

「なにが『いつの間にか』よとぼけちゃって。それで、ウチの神社の信仰なんだけどさ――」

 

 そのとき霊夢の腹がそこそこ大きく鳴って、

 

「……どうやら昼がまだみたいだね。どこか店に入るかい? お代は出すよ」

「月見さん好きっ!」

 

 やれやれ、と魔理沙はもはや呆れて物も言えない。稲荷神社はなにか卑怯な手で信仰を広めているのではないか、命蓮寺とお稲荷さんは裏でつながっているのではないか、などと散々人を疑っていたくせにこの掌返しだ。あいかわらず気分屋というか調子がよすぎるというか、まあそれでこそ魔理沙の知る博麗霊夢ではあるのだけれど。

 昨年の夏に起こった天子の異変を経て、霊夢は己の未熟を正面から受け止めるようになった。さすがに当時と比べれば密度は減ったものの、今でも合間合間でちゃんと稽古は続けているようである。あれだけの事件があったのだから当然といえば当然であり、しかし逆をいえば、あのレベルの経験がなければ博麗霊夢は変わらないのだとも魔理沙は思うのだ。

 月見とはまた別の意味で自由奔放であり、良くも悪くも己の感じるままに生きる楽園の素敵な巫女さん。

 はてさて、彼女が神社の信仰と真摯に向き合う日はやってくるのか――まあ詰まるところ、なにが言いたいのかといえば。

 

「魔理沙もどうだい?」

「おう、ありがたく同席するぜ!」

 

 ――他人の金で食うメシは美味い。

 霊夢には悪いが、今度水月苑の稲荷神社に賽銭でも入れよう、と魔理沙は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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