銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第116話 「いつか陽のあたる場所で ⑥」

 

 

 

 

 

 お菓子を食べて酒を呑み、お菓子を食べさせ酒を呑まされ、元気すぎる少女たちに右へ左へ引っ張られて、他愛もない四方山話(よもやまばなし)に花を咲かせては、またあっちへこっちへ引きずられて。

 気がつけばお菓子も酒も尽きており、すっかり宴もたけなわな頃合い。

 なぜか月見は少女たちを横一列に正座させて、お説教をする羽目になっていた。

 

「反省してるかお前ら」

「「「はい! でも後悔はしてませんっ!」」」

 

 反省した素振りもなくいけしゃあしゃあと言ってのけたのは、左から順に藤千代、操、勇儀、萃香、神奈子、諏訪子、幽香、幽々子、フラン、輝夜、妹紅である。或いはさとりたち地霊殿組と、藍とレミリア以外の全員ともいう。

 なにゆえパーティーがこのようなお説教タイムに変貌したかといえば、その理由が月見の斜め後ろにある。

 

「……きゅう」

 

 ぐるぐるおめめで失神したさとりがお燐に膝枕をされていて、こいしに横からほっぺたをつんつんつつかれている。おくうは月見の後ろに半分隠れ、一文字で正座する少女たちへ一生懸命抗議の視線を飛ばしている。

 もちろん、すべて目の前の正座ガールズの仕業である。一体誰がきっかけだったか、酔った勢いで始まった「月見との思い出を一番鮮明に想起した人が優勝だよ選手権!」のせいで――要するにあまりにたくさん、かつ濃密な記憶を一度に流し込まれたせいで、脳の許容限界を超えたさとりがぼふんとパンクしてしまったのだ。

 いやあー、と藤千代が他人事のように頭を掻いている。

 

「皆さんすごいですねえ、まさかさとりさんが目を回してしまうなんて」

「おいトドメ刺した張本人」

「開始五秒でさとりを沈めるとか、やっぱ千代は格が違ったわ」

「濡れ衣です! 私はまだ序盤の『じょ』すら語っていませんでしたっ。つまり、私の前にさとりさんを限界まで追い詰めた黒幕がいます!」

 

 こいつが言い訳すると感動的なくらい説得力がないな、と月見は思う。しかし藤千代以外の連中が流し込んだ記憶もまた、さとりを失神へ追いやった確かな原因なのは間違いないだろう。

 吐息。

 

「お前らがさとりの能力を怖がらないのは嬉しいんだけど、どうしてこう極端なのかなあ」

「まあ、自分から心を読まれたがる時点で大概だしね」

 

 横のレミリアがなぜか勝ち誇ったように肩を竦め、すかさず妹からブーイングが飛ぶ。

 

「またお姉様は、そうやって自分だけマトモみたいにーっ! 能力使ってまで心を隠そうとする方が変だよ!」

「なによ、読まれずに済むんだったら読まれない方がいいに決まってるでしょ!? 藤千代だって、今回心読ませたらこの有様じゃない!」

「ふーん。じゃあ、お姉様も心読ませたら藤千代みたいなことになっちゃうんだ」

「んなわけないでしょ!?」

「レミリア……?」

「あんたも引いてんじゃないわよ!」

「あの月見くん、それってつまり私に引いてるってことですか!?」

 

 月見は有意義に無視した。

 さとりが目を覚ました。

 

「う、うーん……あれ、お燐……?」

「あ、さとり様。気がついたんですね」

「お姉ちゃんおはよー」

「さとり様、大丈夫ですか?」

「ええ……」

 

 駆け寄ったおくうにうんしょと腕を引かれて起き上がる。しかしまだパンクした痛みが尾を引いているらしく、逆の手で二日酔いのように頭を押さえ、

 

「ふああ……ま、まだ頭の中が……」

「お姉ちゃんが心を読んで倒れるなんて、はじめて見たー」

「向こう数年分の記憶を一気に流し込まれた気がするわ……」

 

 嘆息するさとりは、しかしまた一方では、今し方の出来事を反芻させて楽しんでいるようでもあった。自ら進んで心を読まれたがるだけでも珍しいのに、語られる記憶が至って愉快な自慢話ばかりだったものだから、おかしな人たちだと畏れ入る気持ちもあったのだろう。まだ半分ほど夢の中にいるように、

 

「もう……はじめてですよ、心を読んでほしいって言い寄ってこられるなんて。月見さん、あなたのご友人がみんな逞しすぎるんですけど」

「心を読まれて困るような後ろめたい生き方はしてないものっ」

 

 輝夜がえへんと胸を張ったので、さとりはぽそりと、

 

「……月見さんの喉を箸で」

「ねえ、その話いつまで引っ張られるの!? もうやめましょ、誰も幸せになれないから! ね!」

「くひひひひひ」

「もこおおおおおおおおおおっ!!」

 

 妹紅の胸倉を元気に締め上げる輝夜の横で、今度はフランが勝ち誇った顔をしている。

 

「つまりお姉様は、心を読まれると困る後ろめたい生き方をしてるんだね!」

「フラン、あなたには一度姉への態度ってものを教えてあげるべきかしら」

「いーっだ! 素直じゃないお姉様が悪いんだもん! 月見だってそう思うよね!?」

 

 月見はただ、ノーコメント、とだけ返した。月見とて、都合よく耳が遠くなったり女心がまったくわからない唐変木だったりするわけではない。レミリアが、まあ、月見の怪我を心配してくれていたことも、以前から「なにか」を伝えようとしては失敗していることもなんとなく察している。そもそも、何度かは月見の目の前で盛大に自爆しているのだから、それでも察していなかったらただの馬鹿である。自分から言うものではないと思い、知らないふりをしているだけで。

 はじめはいろいろあったけれど、今は受け入れてもらえている。それだけで、月見としては充分なのだ。

 またぎゃーぎゃー口喧嘩を始めたスカーレット姉妹をよそに、幽々子がマイペースに手を挙げ、

 

「ところで、誰が優勝かしら~? やっぱり藤千代?」

「あ、藤千代さんはレッドカードで退場です」

「なんでですか!?」

 

 さとりは無視し、

 

「それ以外の皆さんなんですけど……えっと、すみません。どれもすごくて、途中で頭がごちゃごちゃになっちゃいまして……」

「つまり私は濡れ衣ですね!」

「はーい千代は黙ってようねー」

 

 操が後ろから藤千代の口を塞ぎ、さとりはしばらく悩んでから、

 

「……えーと、判定不能です」

「じゃあ二回戦だね! 今度こそ私ら鬼と月見の絆が一番だってふぎゅん!?」

 

 月見は萃香の頭を尻尾でひっ叩いた。

 

「なにすんの!?」

「はいはい、騒ぐのはおしまいだよ。お菓子も酒もなくなったからね、そろそろ片付けだ」

「えーっ!」

 

 あいかわらず昼夜の区別がない地底ではわかりづらいが、地上はもうとっぷりと夜が更けているはずだ。着替えを持ってきている者が一人もいないということは、みんな今日のうちにちゃんと地上へ戻るのだと思う。明日はそれぞれの家で、それぞれの家族たちと一緒に『ちょっとした贅沢をする日』を祝うのだろう。

 姉との口論をやめたフランが、名残惜しく唇を尖らせた。

 

「むー、もうそんな時間かぁ。あっという間だったなー……」

 

 それは月見も同じだ。本当にこの少女たちは、いつでも月見を退屈させてくれなくて、お陰で時間が経つのもすっかり忘れて楽しんでしまう。

 輝夜が不満げに袖を振る。

 

「ねーギン、ギンはいつこっちに戻ってくるのよー。ギンがいないと暇なのよー。つまんないぞー」

 

 幽香も便乗して、

 

「そうよ、このまま来年まで戻ってこないつもりっ? そんなの許さないわよ!」

「そんなことはないけど……」

 

 そういえば、地霊殿で生活を始めてもう一週間ほどになる。怪我は問題なく完治しているので、戻ろうと思えばいつでも戻れる状態ではある。一週間振りに顔を見に行きたい知り合いは多いし、響子やにとりについては異変で助けてもらった礼すら未だできておらず、なにより年末年始という一大イベントが刻一刻と迫ってきているのだ。さすがにそろそろ戻っておかなければ、一息つく暇もなくドタバタの年越しになってしまう。

 しかし、

 

「「むー……」」

 

 それでも月見が未だ地上に帰れないでいるのは、こいしとおくうがこういう顔をするからである。

 唇をへの字にして、ジト目で、いかにも不満たっぷりな。これでも、フランたちがいる手前かいつもよりは大人しい方だった。特にこいしなんて、普段であれば月見の袖を振り回して大騒ぎする有様で、さとりに怒られたのはもう一度や二度の話ではない。

 そしてそんなさとりもまた、内心では寂しがっているらしい雰囲気が言動の端々から感じられて――というか、「時間が許す限りここにいてくれないと拗ねる」とはっきり言ってのけたのは他でもない彼女で

 

「……んんっ」

 

 さとりに空咳をされた。内心自分でも恥ずかしい発言をしてしまったと自覚していたらしく、じわじわと赤くなって、

 

「ま、まあ、もう年の瀬も近いですから……そろそろ戻らないと、ですよね」

「おにーさんの怪我も治って、引き止める口実もなくなっちゃいましたしねー」

「「うー……」」

 

 こいしとおくうの眼力が、月見の良心に風穴を開けそうだった。

 しかし、さすがの月見もこれ以上なあなあにするつもりはない。こいしたちには悪いが、自分は年末年始を地上で過ごしたい、それが正直な本心だった。挨拶回りをしたり正月の飾りつけをしたり、年越し蕎麦を食べたり初日の出を見たり初詣をしたり餅をついたりお年玉をねだられたりと、年に一度のイベントが目白押しなのだから。幻想郷の元気いっぱいな少女たちと一緒なら、騒がしくもかけがえのない一週間になるであろう。

 

「さすがに、あと二~三日したら帰るからね」

「「……」」

 

 こいしとおくうの表情がますます不機嫌になっていく、ちょうどそのとき。

 しゃらしゃらと、フランの七色の羽が小気味よく鳴った。フランはまさしく名案を閃いた顔で、

 

「じゃあ、今度はこいしちゃんたちの方からこっちに来ればいいんだよ!」

「え、」

「だって私たちだって来たんだもん、こいしちゃんたちが来たってヘーキでしょ?」

 

 それは、月見が漠然と脳裏で思い描きつつも、決して言葉にはできないでいたことだった。今度は、お前たちの方からこっちにおいで――なんて、さとりたちの事情を知っている自分が、軽々しく口にしていいわけはないのだと。

 フランは、知らないから。だからそんな軽はずみなことが言えるのだと評してしまえば、それだけの話ではあった。

 けれど、

 

「次は地上で遊ぼうよ! それに、心を読んでほしい人もいるんだー」

「私は絶対に読ませないからね!?」

「はいはい! それならこっちも、是非とも文の心を読んでほしいんじゃよ! というわけでいつでも遊びに来てね!」

「妖夢の心も読んでみてほしいわ~。地上にやってきたときは教えてくださいな、引きずってでも会いに行くからっ」

「ちょっと、それやったら妖夢が本気で腹切りかねないからやめなさい!」

「私も、ちょっと永琳の心を読んでみてほしいわね……普段なに考えてるのかさっぱりわからないし。意外と変なこと考えてたりして」

「先生の周りには、心読ませたら面白そうなやつがたくさんいるよねえ」

「勇儀もたまにはこっち遊びに来ればいいのに」

「えー、そう? じゃあ遊びに行っちゃおっかなーっ」

 

 ――ああ、そうか。お前たちは、そう言ってくれるのか。

 たとえ事情を知らなくても。軽はずみかもしれなくても。飛び交う言葉は多々あれど、来るなと言う者、嫌な顔をする者は一人もいない。不可侵の約定がどうこう言うけれど、結局は今回のように、行ってもいいと許され、来てほしいと望まれたのならその限りではない。だから今度は、さとりたちが地上に来たって問題はないだろうと。

 事情を知らないからこそ、この少女たちはそう純粋な心で願い、まっすぐに手を差し伸べてくれる。

 

「ね、藤千代。こいしちゃんたちがこっちに来てもいいよね!」

 

 答える藤千代の微笑みは、果たして誰に向けたものだったか。

 

「必要があれば、私はいつでも案内しますよ」

「ほら! というわけで、次はこいしちゃんたちの番ね!」

 

 もちろん、そう簡単には行かないだろう。たとえ来てほしいと望まれたとしても、さとりたちが行こうと決心できるようになるまでは、今はまだ時間が必要になると思う。「じゃあ」という二つ返事であっさり乗り越えてしまえるほど、さとりたちが地霊殿にいる理由は単純ではない。

 けれど、少なくとも。

 行けば、そこには、自分たちを迎えてくれる人がいる。

 さとりが、小さく吹き出した。フランたちの姿に、光を見るように目を細めた。

 

「……もう。皆さん、本当に逞しすぎですよ」

 

 強い少女たちだと、月見も思う。あいつらならもしかしたら、と淡い期待を抱いていた。そして、その通りだった。月見が半年掛かってようやく辿り着いた場所に、この少女たちは、本当にたった一晩のパーティーだけでいとも簡単に追いついてきてしまったのだ。

 そしていま目の前で、月見でもできなかったことをやってのけようとしている。さとりたちを、仲間として、友達として、自分たちの場所に招待しようとしてくれている。

 地底の妖怪を地上へ招くことの是非は、どうだっていいのだ。

 大切なのは、「また会いたい」と願う気持ち。その想いは、きっと間違いなく届いていたであろう。

 こいしが、咲き誇る笑顔の大輪で応えた。

 

「……うん! 必ず、会いに行くね!」

「うん! 待ってるからねっ!」

 

 フランとこいしが、仲良く指切りをする。その光景に誰しもがほころび、みんな揃って同じ反応だったことに気づいて、気恥ずかしそうに苦笑する。

 まぶたを下ろせば、見えるようだ。フランと結託し、水月苑中を元気いっぱい跳ね回るこいし。顔面真っ赤で恥ずかしがる咲夜や妖夢の心を読んで、一人愉悦の表情を浮かべているさとり。橙と一緒にこたつで丸くなって寝ているお燐。はじめて出会うばかりの人たちを、さとりの後ろに隠れて片っ端から「う゛――――――――……」と威嚇しまくるおくう。そう簡単に実現できる未来ではないはずなのに、この少女たちがいてくれるならどうとでもなってしまうような気がしてくる。

 本当に、強い子たちだと。

 月見が内心感嘆する気持ちでいると、指切りを終えたフランがふと、

 

「――そういえば、月見。咲夜の手紙のお返事、書いてくれた?」

 

 あ。

 

 

 

 

 

 フランからぷんすか怒られる月見の、いつもよりちょっぴりだけ情けない横顔に、藍は音もなく静かな笑みの息をつく。

 ――はじめ輝夜がお見舞いをすると言い出したときは、ああもうまたこいつらはと頭を抱えたものだけれど。

 今になって振り返ってみれば、どうしてなかなか悪い時間ではなかった。いや、それどころか、こうなるべきだったのだろうとすら思っていた。不可侵の約定が云々なんて話は、ここまで来てしまえばもうどうだってよかった。

 だって、愛おしかったのだから。悲劇ともいえる異変を乗り越え、お菓子を食べてお酒を呑んで、おもいおもいの顔でみんなと笑い合うさとりたちの姿が、本当にかけがえのないものなのだと藍にだって理解できたから。

 天子のときと同じだ。

 だからみんなが天子のときと同じように、さとりたちを受け入れるのだ。

 

「早く書きなさーい! 書くまで帰らないからねっ!」

「悪かった、悪かった。すぐに書くよ」

 

 もちろん、誰しもがはじめから逞しかったわけではない。恐らくはこの場の誰しもが、地底に行こうなんて今まで一度も考えたことはなかっただろう。なのに覚妖怪の力を恐れもせず、ノリノリで行こう行こうとパーティーの計画を立てたのは、月見がいたからだ。

 そしてさとりたちだって、地上からの客を館に招くと決めたのは、きっと月見がいたからに違いない。

 

「ギン、次は私への手紙も書いてね! じゃないと帰らないからっ」

「おいなんか増えてるぞ」

「「早く書くのーっ!!」」

「……わかった、わかったよ」

 

 きっと地上と地底の関係は、今日を機にして少しずつ変わっていくだろう。新しくつながった縁は自ずと月見の周りに集まって、水月苑の、引いては幻想郷の風景を一層鮮やかに彩るだろう。

 妖怪も人間も、あらゆる種族がその垣根を越えて、本当の意味で共に生きられる場所。

 だから藍は、こう思う。

 

(……早く起きた方がよさそうですよ、紫様)

 

 今日も今日とて大変いぎたなく爆睡しているであろう、幸せな主人の姿を脳裏に描きながら。

 月見が幻想郷に戻ってきて、今で半年とひと月ほど。そして春になるまでは、まだおよそ三ヶ月もある。

 たった半年ちょっとで幻想郷の姿はここまで変わったし、紫が眠ってひと月もしないうちに異変が起き、地霊殿の面々が早くも月見と急接近を果たしたのだ。だから、

 

(もしあと三ヶ月も、呑気に眠ってたりしたら――)

 

 交友関係の広さが災いし、今や間接的なトラブルメーカーと化した月見が、まさかこのまま何事もなく春を迎えるはずはあるまい。暖かくなって紫が起きる頃には、一体どれだけの少女たちが彼の周りに増えていることやら。

 今回の異変で、おくうが月見の式神となった件も含めて。

 

(――紫様の場所、とっくになくなっちゃってるかもしれませんよ?)

 

 春には「ええええええええなになになにがどうなってどういうわけでどういうことぉ!?」と盛大に慌てふためく主人の姿が拝めそうだと、今から待ち遠しい藍なのであった。

 

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 きっと、みんなと一緒ならどんなことでも楽しかったのだと思う。食器洗いや食べこぼしの掃除など、後片付けまで終始賑やかに終わって、明日まで続くかと思われたパーティーにも遂に終わりがやってきてしまった。

 

(やってきてしまった……か)

 

 そう、月見は感慨深く思う。どうやら自分は、みんなとの別れを少なからず惜しんでいるらしい。ほんの一週間振りで、地上に戻ればまたいつだって会える相手であるのに。

 けれど、やはり、それが正直な気持ちだったのだと思う。たった一週間、されど一週間。みんなはあいかわらず元気溌剌の一辺倒で、さとりの能力も、地上と地底の間に横たわるわだかまりもなんのその。持ち前の明るさでさとりたちとあっという間に仲良くなって、その暖かな光景に、月見はひと時、ここが地底であることすらすっかり忘れてしまっていた。

 今だって、そうだ。地霊殿の庭まで出てみんなを見送りする中、冬の寒さも明後日の空まで吹き飛ばすような景色が、月見の目の前には広がっていた。

 

「――紅魔館はねー、洞穴を出てびゅーんって山を下って、おっきな湖があるとこの近くだよ! 真っ赤でアクシュミな見た目だからすぐわかると思う!」

「真っ赤でアクシュミな洋館だね! わかった!」

「フラァ~ン?」

「ふみ゛み゛み゛み゛ぃ……」

 

 例えば本日一番の仲良しさんになったであろうフランとこいしが、早くも地上で再会したときの話をして盛り上がっている。フランが紅魔館の大雑把な場所と率直な特徴をこいしに伝え、レミリアから容赦のないグリグリ攻撃をもらっている。

 

「お燐。ここのお庭をよりよくするためのアドバイスを、私なりにまとめてみたわ。手入れしている子に渡して頂戴」

「あ、うん……ってノート丸々一冊!? いつの間にこんなの書いて、うわー最後まで文字びっしり……」

「風見幽香の千ポイントアドバイスよ」

「ゼロが三つくらい多いなあ……」

「なによその微妙に迷惑そうな顔は! どうやら植物の大切さを理解していないようね、特別授業が必要かしら!?」

「ひいっ!?」

 

 隣では、やること為すことすべて大袈裟な幽香が、お燐を標的にぎゃーぎゃー騒いで勇儀から羽交い絞めを喰らっている。親切なのはとてもよいことなのだが、酔っているせいもあってかいつもより輪をかけて大袈裟である。月見が咲夜への返事を書き忘れてしまうほど賑やかなパーティーだったのに、一体いつアドバイスノートを作るような余裕があったのか。そもそも、余裕があったとしてもどうやったら千個ものアドバイスを捻り出せるものなのか。気にしたら負けなのだろうなと月見は思う。

 横から、萃香が勇儀に声を掛ける。持ってきた酒をぜんぶ呑み干したというのにまだ伊吹瓢で呑み続けていて、顔は真っ赤で、今にもぶっ倒れそうでなぜかぶっ倒れない絶妙なバランス感覚を披露している。

 

「勇儀ぃ、ほんとに今度遊びに来なよー。春からまたいろいろあって、水月苑もかなり賑やかになったんだよぉ」

「おうさ。天子が地上でなにやってるかも気になるし……年越しの宴会するんだったよね。そいつに参加させてもらっちゃおっかなー」

「いえーい! ……てか、天子? なんで天子?」

「んー? ふふふ」

「?」

 

 視線を少し奥へ転じれば、おくうが輝夜と妹紅に左右から包囲されている。

 

「あんたってさあ、先生が地上に帰るってなったらどうするの? 一緒についてきたりするの?」

「な、なんでそんなことしなきゃなんないの!? 私とあいつは別に、」

 

 ふとおくうがこちらを見て、目が合った瞬間高速で逸らし、

 

「……そ、そんなんじゃないし! ぜんぜん違うし!」

「……うにゅほ、今からちょっと大切な話をするわ。よく聞いて」

「だ、だから私はうにゅほじゃ」

「ばかっ!!」

「!?」

「それでも……それでも、うにゅほはギンの式神だって胸を張れるの!? これは遊びなんかじゃないのよ! 聞いてるのかーっ!」

「な、なんなのもぉーっ!?」

 

 輝夜もすっかり酔っ払っており、真面目に不真面目な剣幕でおくうの両肩を鷲掴みにしている。おくうがこちらまで助けを求める眼差しを送ってくるけれど、生憎月見にはなにもできない。

 なぜなら月見も、少女たちに包囲されて身動きが取れないからである。

 

「月見様、本当にお着替えだけで大丈夫ですか? 遠慮なさらないでください、必要な物があれば明日にでも……いえ、今日にでも持ってきますから」

「大丈夫、本当に大丈夫だよ。こんなに置いて行かれたら帰るだけでも大変じゃないか。お前は、私をここに引っ越しさせるつもりなのか?」

「それもそうですね! わかりました、ぜんぶ持って帰りますっ!」

「ほら諏訪子ぉ、いい加減尻尾から離れなって。遅くなる前に神社戻らないと、早苗たち待ってるよ」

「もふうううぅぅぅぅぅ!!」

 

 右は藍、左は神奈子、そしてトドメに後ろから目が血走った諏訪子。尻尾を引き千切ってお持ち帰りしかねない勢いに、先ほどから月見の背筋は凍りっぱなしである。

 そして隣ではさとりもまた、操と幽々子に真正面からグイグイ包囲されているのだった。

 

「さとり……一度地上を追われたお前さんに、地上へ来てくれと願うのはひどく身勝手だと思う。だがそれでも頼みたいんじゃ。つーかマジで文さんの心読んでくださいお願いします」

「私からもお願いっ、妖夢の心を読んで頂戴! 絶対楽しいことになるはずだから!」

「は、はあ……いやあの、お二人の記憶から察するにそれって私の命まで危ない感じじゃ、というかそこまで確信してるなら心なんて読まなくても」

「我ら天狗の悲願なんですっ!!」

「需要はあると思うのっ!!」

「……か、考えておきますね……?」

 

 本当に、みんなみんな元気すぎて手に負えないくらいなのだった。

 

「ほらお前ら、これ以上は無駄話だよ。さとりたちの体が冷えちゃうだろう」

「もふー! もふーっ!」

「あーもう離れろってば」

「いやだあーっ! このもふもふは私の、ああーっ!?」

 

 尻尾をぶんぶん振り回していたら、藤千代が諏訪子を一発で引っぺがしてくれた。

 

「ではでは皆さん、そろそろ行きますよー」

「コンニャロー! 私の尻尾ぉーっ!」

 

 諏訪子はほしいおもちゃを買ってもらえなかった駄々っ子のように暴れている。この少女の基準では、月見の尻尾はいよいよ月見のものですらなくなっているらしい。そのうち寝込みを襲われて引き千切られるんじゃないか、と月見はほんのり恐ろしくなる。「十一本もあるんだから、一本くらいなくなっても別におんなじだよね!」とか、諏訪子なら笑顔で言いかねない。

 さておき、賑やかなパーティーもこれで本当にお開きだ。

 

「さとりさん、今日はとても楽しかったです。ありがとうございました!」

「あ、はい……ってわわっ、み、みんな一斉はやめてください!」

 

 藤千代が頭を下げた途端、さとりが驚いて一歩後ろによろめいた。みんながいたずらな顔をして一心にさとりを見つめているので、心の中でわざとらしくお礼の言葉を繰り返しているのかもしれない。

 

「わ、わかりました、わかりましたからっ! だ、だからやめ、ちょっ、そういうのやめてくださいってば!」

 

 赤くなったさとりはあわあわと右往左往し、なぜか月見の背中に隠れる。しかしもちろんそんなものに意味などなく、月見の後ろで縮こまって、「あー! あーっ!」とぷるぷる煩悶している。

 

「助けてください月見さん、みんなが私を褒めてくるんです!」

「そんな理由で助けを求められたのははじめてだよ」

「だ、だから私、あの、こういうの苦手なんですってばぁ!」

 

 さとりは、四方八方からくすぐられるのを命懸けで耐えているような顔をしていた。羞恥で首からおでこまで真っ赤になり、けれど褒められて不快になるわけはないので、正直者な頬が上に向けてひくひく痙攣する。それを見られるのが嫌なのか、月見の背中におでこを押しつけて、ひえーっと一層小さく縮こまる。

 

「はいはい、さとりが心優しい妖怪なのはわかってるから。みんなそのくらいにしてあげなさい」

「口に出すのはもっとダメですッ!」

「「「さとりかーわいー!」」」

「あー! あーっ! あぁーっ!!」

 

 やっぱりさとりは、誰かをいじるよりも誰かにいじられている方が似合っているのだ。

 さとりがみんなに受け入れてもらえて、こいしも嬉しそうだった。

 

「みんな、お姉ちゃんに優しくしてくれてありがと!」

「どうってことないわよ。月見さんのお友達なら、私たちとも友達だもの!」

「幽々子さんがものすごくいいこと言いました!」

「もっと褒めて! 私、褒められるとぐんぐん伸びちゃうタイプなのっ!」

 

 月見の背に隠れたままのさとりが、声だけで笑った。

 

「……ありがとうございます、皆さん」

「ええ。――というわけで、いつか必ず妖夢の心を読みに来てね!」

「文の心を読みに来てね!」

「……えーっと、はい、その……まあ、そうですね、気が向いたらということで。たぶん、そのうち、きっと」

「「えーっ!!」」

 

 まあ、たとえ一部に露骨な下心があるとしてもだ。

 

「またねー、こいしちゃん! 必ず紅魔館に遊びに来てねー!」

「うん! みんなと一緒に必ず行くねー!」

「いいこと、うにゅほ……式神としての自覚をしっかり持って、ギンの力となるよう励みなさい。いつかあなたが地上に来たとき、抜き打ちテストするんだからね!」

「だ、だからうにゅほじゃないんだってばぁ!?」

「お燐、そのノート必ず渡すのよ!? 捨てたりしたらぶっ飛ばすからね!?」

「わ、わかったから! わかったから妖気出すのやめて!?」

 

 どいつもこいつも最後まで賑やかなこの少女たちを、月見は今だけは誇らしく思おう。本当に、強くて、立派で、かけがえのない大切な仲間だと。

 さとりに、こっそり裾を引っ張られた。

 

「月見さん。そういうのはちゃんと言葉にして言ってあげれば、みんなすごく喜んでくれると思いますよ」

「……さて、なんのことやら」

 

 口に出したらこいつらは揃いも揃って調子に乗るに決まっているので、却下である。

 

「……ふふ。そうですか」

 

 さとりの曰くありげな微笑を、意識しないようにしつつ。

 けれど、これくらいなら、よいであろう。

 

「……お前たち」

 

 酒が入ったせいでつい、ということにしておこうと思う。

 

「今日は、楽しかったよ。ありがとう」

「「「…………」」」

 

 結論を言えば、やっぱりやめておけばよかったなあと若干後悔した。案の定調子に乗った輝夜とフランが歓声を上げて飛びついてきたり、幽々子と操がエキサイトしたり、妹紅がニヤニヤしていたり、諏訪子が再度尻尾をホールドしてきたり、藤千代がトリップしたり、また目も当てられない大騒ぎになってしまったので。

 帰らせるのに大変苦労したとだけ、あとは簡潔に記しておこうと思う。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 屋敷に戻ると、中と外の温度差に尻尾が思わず震える。ほんの見送りのつもりだったけれど、なんだかんだしているうちに時間が経って、着流し一枚の体はすっかり冷えてしまったようだった。藍が水月苑から和服の替えを持ってきてくれたので、あとで着替えようと月見は思う。

 さとりも、両腕を浅く抱いて身震いしている。

 

「悪かったね、最後の最後まで騒がしいやつらで」

「あはは……皆さん、本当に元気でしたね」

 

 気抜けするような微苦笑には、隠し切れない疲労の色があった。寄ってたかって四方八方から心を読まされた挙句、容量オーバーでパンクさせられたのだから無理もない。月見も月見で大変だったけれど、一番はやっぱり彼女だったと思う。

 

「私は、すごぉっく楽しかったよ!」

 

 一方でこいしは、むしろパーティーが始まる前より元気になっていた。

 

「フランちゃんとかレミリアちゃんとか、みんなと仲良くなれたし! これからは、堂々と地上に遊びに行っても大丈夫だよねっ」

 

 月見に向けてビシッと敬礼し、

 

「というわけで月見、そのうちみんなで遊びに行くから!」

「ふふ。これは、また随分と賑やかになりそうだね」

 

 こいしが堂々と水月苑にやってきて、みんなと交流を始める日を想像する。まあ、穿って言ってしまえばフランが二人に増えるようなものだろう。今日のパーティーでも二人は他の誰よりも早く深く意気投合して、周囲に絶えず微笑ましい空気を振りまいて回っていた。

 ……フラン一人でも元気すぎて誰の手にも負えないくらいなのに、二人になったら一体どうなってしまうのかやや不安ではある。月見の平穏は無事だろうか。

 

「おくう、お燐、これからは私たちの方から月見に会いに行けるよ!」

「はいっ。すごく楽しみです!」

 

 もうすっかり行く気満々なお燐の一方で、おくうはびくりと肩を跳ねさせ、

 

「こ、こいし様、私は別にそんなんじゃ、」

 

 と、ここで彼女ははっと言葉を止める。何事か考え、悩み、やがて振り切るようにぶんぶん首を振り、

 

「……そ、そう、ですね。えと……わ、」

 

 一瞬、月見と目が合った。ものすごい勢いで目を逸らしたおくうは、縮こまって、しゅうしゅう赤くなって、けれどほんの少し――本当にほんの少しだけの笑顔と、消え入る寸前の声音で、

 

「…………わたしも、ぃ、いきたい……です」

 

 間があった。月見もこいしもお燐もぽかんとして、ただ一人さとりだけが、すべてわかりきった顔で「あらあらうふふ」と微笑んでいた。

 もちろん、思わず呆けてしまう程度には珍しいことだった。今のおくうは、家族以外の誰かがいる場では警戒心や羞恥心が先に立って、なかなか自分の気持ちを表現できない女の子なのだ。ほとんどささやき声同然だったとはいえ、月見の存在を意識した上でちゃんと口にしてみせたのは極めて珍しい。

 みるみる目を輝かせたこいしが、爆発した。

 

「――そう! そうだよおくう、そうやって自分を誤魔化さないのが大事なの!」

「わ、わわわっ」

 

 おくうの両手を握って、興奮のあまりぶんぶん上下に振り回す。そこにお燐も割って入り、

 

「おくう、どういう風の吹き回し? でもそれでいいと思うよっ」

「う、ううっ」

 

 また、月見とおくうの目が合った。自分の気持ちを誤魔化さなかったのもそうだが、まさかあの(・・)おくうが、地上に行ってみたいと思ってくれていたなんて――まだ頭の半分が追いついておらず、ついまじまじとおくうの瞳を見返してしまう月見である。

 それがいけなかった。

 

「――う、」

 

 精一杯の勇気を振り絞った直後のおくうは、たった一本の糸だけで辛うじてつなぎ留められているような、いろいろといっぱいいっぱいな状態だったのだ。

 

「う、うにゃああああああああああッ!!」

「ふみゃあああああ!? な、なんであたいいいいいい!?」

 

 結果として、限界点を超えたおくうはぐるぐるおめめで錯乱。お燐の猫耳目掛けて襲いかかり、逃げ出した彼女を追いかけ回して廊下の彼方にすっ飛んでいってしまった。やがて遥か遠くの方で、ふみ゛ゃーとお燐の情けない断末魔が聞こえた。

 

「……」

 

 また呆然としている月見の横で、さとりがそよぐ花びらのように言う。

 

「いろいろと、心境の変化があったみたいで」

「……ふむ?」

 

 月見はこいしを見下ろし、二人揃って首を傾げる。

 

「なにかあったのか?」

「ふふ」

 

 さとりはニコニコするばかり。どうやら、「個人情報の保護に抵触する」というやつらしい。

 そういえばパーティーの間、月見ははっちゃける少女たちの相手で忙しくて、あまりおくうの様子を見ていなかったけれど。今になって思えば、藍や神奈子と一緒に、ふと部屋からいなくなったタイミングがあったような――。

 

「まあ、ともかく。これからはもうちょっとだけ、素直になれるように頑張ってみるみたいですよ」

「……そうか」

 

 ――どうあれ、余計な詮索をする必要もないだろう。過程がなんであれ、おくうの心境にそういう変化があったのなら、月見がいちいち口を挟むようなことではない。本当に素直になってもらえたとして、月見が困ることはなにもありはしないのだ。

 遠くの方で、おくうがまだうにゃーうにゃーと錯乱している声を聞きながら。

 

「いつでもおいで」

 

 月見は、淡い月明かりのように言う。

 こいしとフランが交わした指切りは、必ず、叶うはずだから。

 

「私の水月苑は。いつでも、どんなお客だって、受け入れるからね」

 

 ――いつか、陽のあたる場所で。

 水月苑に、新しい賑やかなお客さんが増えるのも――きっと、そう、遠くはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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