IS学園の食堂はいつも世界各国から多種多様な食材が運び込まれている。理由は極々簡単な事で、食堂の利用率が非常に高いからだ。国が全力を挙げて支援しているからこそ可能な事である。
故に食品輸送業者と食堂の店員は大体顔馴染みなのだ。とは言っても、大抵は職に困った男性が多い。しかし今日は一味違う人選であった。
「あら、ひょっとして新しい人?」
今回の業者は珍しく女性だ。金髪の髪が美しく、まるでモデルのような顔立ちである。体つきもまた異性だけでは無く同性からも羨ましがる程だ。
女性優遇社会となっている今、彼女のような女性はさぞかし幸福な人生を送っているに違いない。
「えぇ、本日は私共も忙しくなりますので」
「へー、そりゃお互い様だねぇ。この後どんな予定が入ってるんだい?」
「はい――少しばかり大きな仕事があります」
IS学園側の作戦は単純な物だ。
今回のトリプルマッチ・トーナメントは織斑一夏を囮とした亡国機業の誘き出し及び掃討作戦である。無論、それを知られているのは参加者だけ。
更識楯無、クラリッサ・ハルフォーフ、ダリル・ケイシー、フォルテ・サファイア、イーリス・コーリングの五名は外部にて待機。外部からの増援に対応。
織斑一夏、凰鈴音、篠ノ之箒、セシリア・オルコット、ラウラ・ボーデヴィッヒ、シャルロット・デュノアの六名はアリーナにて白髪の少年を迎え撃つ。
織斑千冬、山田真耶及び教師部隊は学園内の各所に待機し状況に応じて行動する。
発案された内容はISが有史に姿を現して以来、かつてないほどに大規模な作戦となっていた。
「織斑先生、本当に大丈夫なんでしょうか」
「心配はないさ山田先生。私たちの教え子がそう簡単に死ぬと思うか?」
織斑千冬は管制室にて、各地に展開しているISの状況を見ていた。全ての部隊は同時に動く事が可能な状態である。抜かりはない。
いつも平穏な空気が漂うはずの学園。それが今日だけは異常に張り詰めている。
「……すみません。ISを使った作戦なんて、参加した事がなかったので」
「確かにコレが公式では世界初だろうな。ISを使用したテロ組織掃討作戦など」
無論、この事は世間には内密である。
知っているのは、イーリス・コーリングを派遣したアメリカ側とIS学園関係者くらいのものだろう。
「……! 上空に二機のIS反応を確認! 亡国機業です!」
「来たか」
管制室の窓から空を見上げれば、遥か上空に青い機体が静止している。見れば確かに白髪の少年が青い機体の上に立っている。
反射的に作戦開始の合図として電波として放つ。防護シェルターが起動し、客席を強靭な鉄が覆いつくした。
例の少年が地上目掛けて飛び降りる。何の躊躇も無い行動に誰もが、茫然とした。
その空気を破るように管制室の扉が開く。見覚えの無い黒い長髪の女性が丁寧な一礼をしていた。顔も服装にも見覚えが無い。玲瓏な瞳は、どこか織斑千冬と似ていた。
「失礼します」
「そんな、教師部隊がいたはずなのに……!」
「はい、今はお静かになさるようお願いしています」
学園内部にあった教師部隊のIS反応がおかしい。
誰一人――動いていない。起動状態であるのに、誰も動こうとしない。
現在動作が確認できるのは、アリーナにいる六人と外部にいる五人だけ。アリーナから発砲音が聞こえ、さらに激震の音が聞こえた。
「……何の様だ。亡国機業」
「いえ、別段対した御用ではありません。ただ私の務めを果たしに来ただけです」
扉が開いた。そこにいたのは千冬と瓜二つの少女。管制室内にいた千冬以外の者が、その光景に瞠目する。
千冬はただ静かにその少女を見つめ、ポツリと呟いた。
「……マドカ」
「久しぶりだな、姉さん」
「マドカ様は織斑千冬様との決着を望んでおられます。こちらは貴方様が以前使われていたISです」
黒髪の女の手に突如現れたのは一つの機体だった。どうやって現れたのか、今までどこに隠されていたのか。そんな疑問も、一つの答えに覆いつくされた。
その形状に千冬は見覚えがある。
「……暮桜」
「はい。私と篠ノ之束様が作り上げたもう一つの暮桜です。最適化の必要はありません。既にいつでも貴方様に合わせて起動出来ます」
「束め……。お前はまるで私の事を昔から知っているような口ぶりだな」
「はい、私は貴方を知っています。ずっとずっと昔から貴方を知っています」
千冬は舌打ちして、暮桜に手を伸ばす。尤も、そうしなければ抵抗出来ないと千冬の勘が踏んでいたからである。
暮桜は黒髪の女の言葉どおり、彼女の体に馴染んだ。体へ馴染む辺り、まるで時間を逆行したかのような感覚がある。
「姉さん、外だ。ここじゃ邪魔が入る」
「……戦えと?」
「あぁ」
山田真耶に視線を配す。
彼女が頷く。その視線には決意が込められている。
「……分かった。ただしそこの女、もし誰かに手でも出してみろ。どうなるか知らんぞ」
「その心配は杞憂です。この場に私が手を下す場面などないのですから」
そうしてマドカと千冬は管制室を出て行った。彼女達は刃を交えるのだろう。目的も理由も全てが異なりながらも、ただ一つのためだけに力を振るうのだろう。
それをどうと思う事も無く、黒髪の女は機器の前に座ると操作し始めた。余りの手並みの早さに、周囲が唖然とする。
静寂の沈黙を、山田真耶の言葉が破った。
「一つ、お聞きしてもいいでしょうか」
「はい、構いません」
山田真耶の質問に、女は笑みを浮かべて答える。その表情を、ほんの一瞬だけ綺麗だと思ってしまった。ほんの少しだけ、彼女と話をしたいと思った。
「貴方達は……亡国機業は一体何のためにこの学園に襲撃を仕掛けてきているんですか?」
「まずはその盗聴器を切ってからにしていただけませんか?」
「それは出来ません。私にはこの学園を守る義務があります」
「……ならば答えられません。私にはあの方々たちを守る義務があります」
アリーナでは白髪の少年が刃を振るっていた。彼の長髪が狂乱に塗れた。
「……マドカ、行ってくる」
「気をつけて、兄さん」
サイレント・ゼフィルスから飛び降りて、アインは徐々に近づいてくるアリーナの大地に六機のISを確認した。その中に一つ、ずっと見続けて来た姿がある。ずっと殺したかった存在がいる。
それを屠るために牙を研いだ。それを貫くために刃を鍛えた。ならば全てはこの時のためだけに存在する。
「ようやく……ようやくこの時が来た」
彼の口に笑みが浮かぶ。三日月の如く滑らかで、どこか歪な感覚が姿を見せる。
肩に担いだスティンガー。それから放たれたミサイルがアリーナを覆うシールドを破壊した。
「待っていた、待ち続けていた。気の遠くなるほど、幾度となく……!」
着地寸前に一回転し、その勢いと衝撃を殺してアインはアリーナの大地に降り立つ。ずっと願っていた、ずっと見続けて来たその場へと降り立つ。彼の心に殺意が零れ落ちた。
笑みが零れる。
殺せと。
取り戻せと。
世界が叫ぶ。
魂が望む。
彼を殺せと、強く吼える。
「織斑……一夏ァ……!」
右手のタンフォリオ・ラプターを白式に向けて、アインは躊躇なくその引き金を引いた。
「さて、準備出来てるわね?」
「おうよ、さっさと行こうぜ」
「えぇ、もう始まってるみたいだし」
どこからか聞こえた発砲音にスコールは被っていた帽子を投げ捨てて、ISを展開した。まるで蝶のようなイメージを醸し出させる金色の翼がスコールの背中へ展開する。
空へと翔ける彼女に続いて、オータムとエヌもまた空を翔けた。
彼女達が目指すはIS学園海上。教師部隊はアルカの力によって封殺されているため、脅威としては度外視していいだろう。
「……まさかそんなところから来るとは思ってなかったわよ、スコール・ミューゼル」
「案外更識の目を掻い潜るのも楽ね。これじゃあ作戦なんていらなかったかしら?」
IS学園外部の海上。
そこで五機と三機のISが対峙する。
「ナタルッ!? 何でお前が……!」
「ごめんなさいね、イーリ。これが私の選択なのよ。亡国機業は私を救ってくれた。使い捨ての人形として扱われていた私を一人の人間として、この子を一人の家族として接してくれた。――今の私は、亡国機業の一人エヌよ」
「……ナタル、目を覚ませよ。そいつらはテロ組織だぞ!」
「違うわ、イーリ。彼女達はテロ組織じゃない。そんな下らない目的で戦っているわけじゃないの。これは……いえ、話し合いはここまでにしましょう。来なさい、イーリ」
「……だったら、だったらぶん殴って私がお前の目を覚まさせてやるよ!」
銀の福音とファング・クエイクが遥か上空へと舞い上がる。
「って事はアイツらか。……はぁ、何で私がこんな雑魚を相手しないといけねぇんだよ」
「聞いたか、フォルテ。あたしらは雑魚だそうだ」
「らしいっスね。じゃあちょっとその評価、変えてもらわないと気がすまないっス」
「ハッ、どうせ雑魚は雑魚だろ? ISに使われてる連中が」
「……よっしゃ、フォルテ。本気で行くぞ」
「オーケーっス。ダリル先輩」
ヘル・ハウンドver2.5とコールド・ブラッドが海面へと降り立つ。
「……ねぇ、スコール・ミューゼル。一つ聞いてもいいかしら?」
「フフッ、今だけはね。何?」
「貴方達は何故IS学園を狙うの? 何故ISをその手に収めるの?」
「……貴方達の学園はね、兵士を作っているのと変わらないわ。代表候補生なんて軍人のような物。そしてその力はやがて一つの火種となる。学園が行っているのは、その火種を撒き散らす事よ。そんな連中にISなんて使わせない」
「それを決めるのは貴方達じゃない。力は心によって意味がある。この学園はその心を鍛えるための場所なの。だから――」
「――そうやって問題を先送りにするから争いは消えないのよ。ISは競技専用? 馬鹿言わないで。目を逸らしてる事を正当化しないで頂戴。どんな綺麗事を並べても、所詮は兵器に過ぎないのよ。今各地で行われている紛争にどれだけのISが使われてるか知ってる? 一つのISがどれだけの命を皆殺しにしてきたか知ってる? ISによって存在を捻じ曲げられた人を私は知ってるわ。彼は今も戦い続けてる。失った物を取り戻すために、足掻き続けている」
スコールの翼から金色の塊が複数出現する。それも全てが非現実的な色を以て、存在する。
まるでそれは夜空に浮かぶ綺羅星のようだ。次々と出現する其れは、数を増やしながら獲物を確かに捉えていく。
そして彼女の両手に雷の剣が姿を現した。
「さぁ、戯言はこれで終わり。見せてあげるわ、現実を」
豪雨の如く放たれた光線が開幕の狼煙を上げる。
事前にアインの用意した戦略予想。情報源は今までのデータとアルカの予測。判断水準は彼の戦闘理論。
織斑一夏――脅威としては論外。捨て置く。
篠ノ之箒――武装が脅威だが、乱戦時には対した脅威ではない。エネルギーが無尽なのは厄介だが、そこまで危険視する必要は無い。優先度は低い。
凰鈴音――衝撃砲は見えないことこそが厄介だが、同時に誤射の可能性も高い。しかし近接攻撃の威力は無視できない。優先度は半ば。
セシリア・オルコット――ブルー・ティアーズは然程厄介ではない。狙撃はそもそもダメージとして軽微。ビットへの警戒だが破壊可能なため、優先度は低い。
シャルロット・デュノア――銃器系統武装の多さが厄介。防御用の武装も所有しているため、長期戦になると不利。優先度は高い。
ラウラ・ボーデヴィッヒ――停止結界が脅威。力技で解除させられるが、一度捕捉されれば集中砲火を受ける可能性が高い。プラズマ手刀の威力は度外視できない。最優先で沈める必要がある。
故に彼はラウラ・ボーデヴィッヒを先に狙う事にしていた。彼が狙ったのは、織斑一夏。だが、彼を庇うのが彼女である事も既に予測していた。
「……見事な抜き撃ちだ。亡国機業」
放たれたタンフォリオ・ラプターの弾丸は停止結界で止められている。しかし、そこまでは計算の内だ。
停止結界には一つだけ欠陥がある。
それは動きを止めるだけであって、物体の時間を止める事などできないのだ。つまり時限性の戦法に彼女は弱い。
停止結界で止められた弾丸が突如爆発した。
「ッ!」
怯むその姿を逃すまいと、追撃へ移る。こちらのペースで押し切る事が、対集団戦への戦略である。
キャレコを展開。一行がそれに目を奪われる。だがそれはハッタリだ。狙いは次にある。
アインの片手に出現したのは巨大なアサルトライフル。対戦車ライフルにも等しい銃身を軽々と振り回し、弾丸を周辺へと拡大させた。
ばら撒かれる弾丸を、それぞれがかろうじて避ける。
「このっ!」
アサルトライフルを圧縮。両手にキャレコを展開する。今の彼は、四方を囲まれた状態になっており、形成を逆転される可能性があった。
まず迫るは、甲龍による衝撃砲。それを背後に飛び退いて避けながら、両手のキャレコで反撃する。
弾丸がISのシールドエネルギーを削っていく。このままでは削られると察したのか、弾丸を弾いて、甲龍が離脱した。
「やっぱ実際に見ると信じられないわね!」
「一夏、行くぞ!」
「おう!」
入れ替わるように、箒と一夏が挟み込むようにして接近する。それを待っていた。近接ならば既に彼の間合いであり、相手も誤射を恐れて援護を出来ない。出来ると言えば、ブルー・ティアーズ程度の物だが、彼女の技量で行えるとは到底思えない。
アインがキャレコを圧縮し、刀を握り締めた。鞘に納めたまま、視線を走らせ状況を把握し直す。
二人の双撃を、紙一重の動きで避ける。体を次々と逸らし、身を裂く刃から体を退く。コートの裾が刻まれるが、アインの肉体へは届かない。
この場合ならば僥倖である。ラウラ・ボーデヴィッヒが操るシュヴァルツァ・レーゲンを先に落とすつもりだったが、敵がわざわざ落とされに来ているのならば――。
「消えろ、人形。お前はもうどこにもいない」
白式を刀の柄で吹き飛ばす。そのまま壁へ激突し、紅椿へ刀を向ける。既に相手は攻撃態勢に移っている。ならば迎え撃つだけ。
振りかざされた剣を一閃目で弾く。僅かな驚愕が箒の体を硬直させる。それが致命的な瞬間となり、二閃目がもう片方を弾いた。
その構えを箒は知っている。
織斑千冬が良く使っていた一閃二断の構え。動きにはアレンジが加えられているが、その根本的な動作は同じだ。その事実が箒の動きを滞らせる。
致命的な空隙――それを逃さない。
両手を添えた刀を頭の隣に、峰が地面を向くようにして構える。
踏み出された左足は、爆発的な推進力を以て一筋の弾丸となった。
「篠ノ之流剣術壱の型――
「何っ!?」
言葉を聞いて、箒の体が止まる。無論、逃す理由はどこにもない。右足が地面を弾き、その総身を一筋の弾丸へと変える。
繰り出された刺突が、箒の体を弾く。悲鳴を上げるまでもなく、彼女が壁に激突した。
展開されていた紅椿が、エネルギー維持出来なくなり消失する。
一機落とした。残るは五。近接機が一機消えた。これで彼らは物量に物を言わせた弾幕を張る事が不可能になった。
「――五」
瞬間、アインの右手にワイヤーが絡みつく。真上を見れば、シュヴァルツァ・レーゲンがワイヤーで、彼の体を拘束していようとしていた。
「ラウラ!」
「これで引き上げる!」
このまま宙吊りにし、そこから射撃武器で制圧するつもりなのだろう。確かにいい判断だ。例えカレンであっても同じ選択をするだろう。
だが一つだけ強いて言うならば、情報が足りなかった。そこがカレンとの決定的な差だ。彼の力は、IS一機に翻弄されるほど軽くは無い。
アインの指がワイヤーへと食い込み、徐々に鋼糸を捻じり切っていく。常人ならば不可能な芸当。彼だからこそ行える絶技。
「なっ……!」
ラウラの力が僅かに緩む。それこそが彼の狙い。刀を地面に突き刺し、空いた手でワイヤーを掴む。そのまま怪力任せに彼女の機体を引き寄せた。
例えるならば、常人が巨大な鉄塊を片腕だけで動かすような物だ。そんな事など到底予測する訳が無い。
驚愕するラウラの視界に飛び込んで来る彼の姿。世界最強の自動拳銃を両手に構え、狙いを定める。
アルカの手によって現代科学の範疇外を体現したその銃は、凄まじい破壊力を持つ。対物狙撃銃には劣るものの連射が効くならば、それだけで十分。
放たれた銃声は、まさしく科学と物理の断末魔だ。銃弾の嵐は次々と蹂躙していき、空舞う者を地へと堕とす。
「――四」
死神は止まらない。愚者の行進は止まらない。
IS学園外部。ほとんどの施設が封鎖された学園は、完全に無人であり、IS同士の戦闘なら十分行えるほどのスペースがあった。本来ならば生徒達の憩いであろう場には、二機のISが対峙している。
エム――織斑マドカが操るサイレント・ゼフィルス。機体の調子は最高に等しく、彼女のコンディションもまた同様。イメージトレーニングも十分に行ってきた。
対する織斑千冬は暮桜の調子を確認するように何回か雪片を振っていた。彼女からすれば長年のブランクが非常に大きい。だと言うのに、その雰囲気は百戦錬磨の猛者のようだ。
目線を外した瞬間、斬られると錯覚してしまう程の重圧が彼女の周囲を覆っている。
「……もう乗る事などないと思っていたが。こうなるとはな」
「……」
スターブレイカーを構えて、射撃体勢を整える。一度、戦闘が始まれば一息つく間もなくなる。
最後の調整――。今こそが最高の瞬間。
「何故、亡国機業に?」
「――」
「……次だ。あの男は――何者だ」
その瞬間、マドカの視線が僅かに細められた。最小限の機動で行われた精密射撃。並のパイロットでも気づけない程の早さで発射された光線が、得物を穿たんと迫る。
しかし、それは雪片で打ち消された。さも煙を払うかのように容易く。
「……」
「なら、仕方ない。手加減など、期待するなよ」
姿が掻き消えた。
何の予備動作もない
事前にアルカから暮桜の説明を受けていたマドカは、シールドビットを展開してその猛進を遮る。相手が高速で動くのならば、その分周囲への集中力は散漫する。
だが、千冬は構わず突っ込んで来る。シールドごと切り裂いて、マドカへと肉薄すべく猛進する。すぐさまバックブースターを噴射させ、距離を取る。
僅かな沈黙。その刹那で力量差を明らかにさせる。
余りの反応速度と、気を抜けば斬られていたと言う二つの事実がマドカの背筋を震わせた。
恐怖に駆られるが、それを無理やりねじ伏せ目の前にいる強敵に集中すべく、息を吐く。
今この瞬間も、アインやスコール達は戦っているのだ。なら――どうして恐怖などに屈していられようか。そんな時間などありはしない。
「行くぞ……っ!」
シールドビットが二つに分裂した。
六個あったビットは十二個に増加し、その全てをマドカは攻撃に使用する。
それは例えるなら、光の豪雨だった。スコールやアインの攻撃の一つでもある弾幕に物を言わせた集中砲火。狙う場所も全てランダム。ただ相手さえ補足すればいい。
だが、それすらも千冬にとっては障害にならなかった。
光の嵐の中を、彼女はただ真っ直ぐ突進してきたからである。
すぐさまビットを接合。シールドを展開する。瞬時の判断で導き出したそれを彼女は何無く実行する。
今までのようなシールドではない。アルカが特別に改良してくれた、反撃型のシールドである。物理攻撃ならば確実に反射する、アンチマテリアルシールド。
これならば迂闊に彼女も攻撃できないだろう――と、ほんの少しだけマドカは千冬を見くびっていた。
彼女の直感は、まさしくあの兄と似ていると言うのに。そして常人離れした思考と技術を、兼ね備えていると言うのに。
「!?」
千冬の放つ斬撃は、ビットだけを切り裂く。シールドに一切触れずに、彼女の直感に予測すらさせず。
まるで針の穴を通すような繊細な軌道にマドカの思考が中断される。振りかぶられた刀身を本能で対処。刀身に弾丸を当てつつ後退すべくバックブースターを起動。すぐさま後方へ。
ビットの数機がついに破壊された。射撃は全て左右の移動により回避されている。
千冬は未だにこちらへの
“狙うなら――今だ!”
「掛かれ!」
先ほどビットから放たれたレーザーは全て地面に着弾している。
その弾痕が発光し、再び獰猛な光の束となって千冬に直撃した。
「何!?」
被弾しながら、千冬は致命的となる物だけを的確に打ち消して行く。
「……さすがだ、姉さん」
暮桜の負ったダメージは無視できる物ではないが、それほど危惧するような物ではない。
何よりも長期戦に向いていないのだ。
千冬の目には一つの意志が込められていた。
ただ勝つと言う信念だけが瞳の中にある。
「強くなったな、マドカ」
その言葉に、彼女は笑みを浮かべる。
「違う、強くなったんじゃない。――教えられただけだ」
スターブレイカーから放たれる光線。
再び両者は激突する。
「存外、容易いモノね。決意なんて」
スコールのIS――金色の翼から放たれるレーザーの豪雨。その質量は最早、筆舌に尽くしがたい。流れ弾に巻き込まれる海面は、未だに次々と飛沫を上げていて、それはまるで悲鳴のようだった。
金色の翼と各地に散らばる球体による、複数からの同時ロックオンによる射撃。投擲される雷の剣。その二つが彼女の主な武装であった。
それらを前にして、楯無とクラリッサの二人は反撃すら出来ない。否、回避するための時間しか作り出せないのだ。
クラリッサはAICによってレーザーを防ごうとしたが、射撃自体は全方位から迫る。結果として死角からの攻撃を防御できない以上、それは意味を成さない。
そしてもう一つの大きな特徴がある。ロックオンの速度とそれからの射撃のタイミングがほとんど無いのだ。
マルチロックオンシステムは聞いた事があるが、それには捕捉しても発射まで数秒のタイムラグがあるはず。
しかしスコールの操るISにはそのタイムラグすら存在しない。射程に入れば、その瞬間に、集中砲火が降り注ぐ。
「有り得ん……。この早さは」
「! 次、来るわよっ」
投げられた剣を、楯無はガトリングランスで相殺する。凄まじい痺れが彼女を襲った。防御しようがしなかろうが、当たれば削る。それがスコールの扱う剣の特徴である。雷の如く迫るそれを、回避などしようがない。
“……アルカのおかげ、ね”
ロックオンの早さ――それは単純な工夫に過ぎない。複数のコアを同時に使用しているからである。言わば、彼女のISはコントローラーの役割を果たしているのだ。
金色の塊一つ一つがISと同等の操作が出来るため、異常的な早さでのロックオンが可能となる。 相手が多数だろうが単体だろうが、関係ない。ただ膨大な質量を以て圧殺する。
だが、挙げるとすれば一つだけ欠点があった。
それは操縦者のテクニックがダイレクトに反映されると言う事である。言うなれば彼女の指先一つ一つが行動に直結する。
どこからどう攻めれば相手を効果的に崩せるか、今撃てる場所はどこか、その全てを頭に叩き込み何一つ滞ることなく動かせる技術があって、初めて使いこなせるのだ。
「……それにしても大した事ないのね」
エヌとイーリス・コーリングの戦いはエヌが圧倒的に優勢だった。
全方位だけではなく集中砲火も可能となった三十六の砲門とエネルギー翼によるゼロ距離射撃、そして近接戦闘に向けて開発された双剣は完全にファング・クエイクを制している。
リミッターが解除されたアラクネは、ヘル・ハウンドver2.5とコールド・ブラッドを前に八本の装甲脚とそれから繰り出される捕獲用のワイヤーがオータムに優勢をもたらしている。
この場は完全に亡国機業が優勢。
後はアインとマドカの現状である。
“死んじゃダメよ、二人とも”
ライフルは破損、ビットは全て大破。残るエネルギー量は僅か。それがマドカの知り得る現在の状況だった。
然程時間も立っていないが、そこまで消耗したのは相手が織斑千冬であるが故だろう。しかし彼女もまたエネルギーシールドを大きく削られており、絶対防御が何度か発動している。全くの互角――否、徐々にマドカが押されつつある。
世界最強を単騎で相手にして、何とかここまで持ち込めただけでも誉めて欲しい気分だった。
「……兄さん」
気がつけば口からそんな言葉が漏れていた。
もう自分はここで死ぬか、或いは捕えられるだろう。他の誰でもない、姉の手によってそうなるに違いない。
願わくばもう一度――兄の顔が見たかった。不器用ながらも慰めて、愛してくれる兄の傍にいたかった。彼の傍にいたいからこそ戦った。だが、それももうすぐ終わる。
振りかぶられた雪片の刀身に、マドカは思わず目を瞑った。
だがいつまで経っても衝撃はこない。
――不思議な温もり、ただそれだけ。
抱き締められていると感じたのは、目を開けてからだった。
「よく……よく頑張ったな、マドカ」
その体を振りほどこうともがいたが、力が入らない。解けば解こうとする程、強くなっていく。
彼女を抱き締めるその腕は、二度と放さないのではないのではないのだろうかと思わせるほど強かった。
「もう会えないと思っていた。もう抱き締められないと思っていた。……あぁ、良かった。生きててくれて、良かった。私の――たった一人しかいない妹」
「姉……さん」
その場で泣き出したい衝動に駆られたが、一つの事実がそれを抑えつけた。
まだだ、彼女はまだあの人の正体を知らない。
だからこそ――行かせなければ。それこそが知る者の責務なのだから。
「姉さん、急いでアリーナに向かって」
「マドカ……?」
「いいからはやく。そうしないと、手遅れに、なる前に」
言葉が詰まって上手く出ない。
だがそれでも――。
「分かった……。ここでゆっくり休んでおけ」
アリーナに向かう姿を、マドカは見つめる。
そうして彼女は泣き崩れた。そこにいるのは、嗚咽を漏らす少女、ただ一人。
今、戦い続けて来た彼女の全ては終わった。
ようやく――織斑マドカとして、認められたかった人たちに認められた。
千冬は管制室に戻っていた。
出来ればアリーナに突撃したかったが、エネルギーが底を尽きかけていたため管制室に戻る事が出来るのが手一杯だったのだ。
何より彼女の中の直感が叫んでいる。知らなければならない事があると吼えている。
「織斑先生、お怪我は?」
「大丈夫だ、すぐに治る。それよりも状況は?」
「はい、まず篠ノ之さんが撃墜され、その後シャルロットさんとラウラさんが撃墜。セシリアさんと凰さんも撃墜され、残るのは……織斑君一人になりました」
「そうか……。おい」
「何でしょうか」
黒髪の女は、どこからか取り出したお茶を啜りながら機器を操作していた。
見るからにシールドの復元と各施設の完全封鎖をしていたように見える。その理由の意味が分からない。IS学園を潰す事自体が目的なのか。それとも――。
「マドカから聞いた。アリーナに行かなければ手遅れになると。お前、その意味を知っているのか?」
「……はい。マドカ様の仰るとおりです」
「その手遅れとはどういう意味だ」
「――見れば、分かります。まもなく、あの方の正体が分かると思われますから」
千冬は訝しげな視線を向けながら、管制室の窓からアリーナを見る。
白髪の少年と織斑一夏が対峙していた。
白いコートの随所が焦げ、切り裂かれているが少年に目立った外傷はない。
織斑一夏もまた同様だった。
「――待っていた」
「何がだよ……」
「この瞬間を、ずっとずっと待っていた。ただずっと――醒めない夢の中で求め続けていた」
白髪の少年は不気味な笑みを張り付けた。
恍惚とした口元に、生気のない瞳。揺れる体はまるで亡霊のようだ。
紅い瞳が一夏を射抜く。
「それを言えよ。何でだ、何で俺だけを狙えばいいのに、箒達まで巻き込むんだ!」
「巻き込む? 知った口を聞くな、模倣品が。お前が守られていると言う事実に気づかなかっただけだろうに」
「! ……許さねぇ、俺の仲間の分まで絶対にぶん殴ってやる」
瞬間、少年の体を黒い泥が覆った。
その泥を一夏は見た事がある。確かラウラのISに搭載されていたVTシステムが発動した時の物と酷似している。だがあの少年はISを使っていない。それが彼らの僅かな時間を奪う。
そして一夏たちは知る由もなかった。
今の少年の姿は、埋め込まれたコアが元々あった彼の体を変化させ、アインとするために各所を補おうとして変貌した容姿に過ぎない。
言わば、仮の姿なのだ。彼は塗りつぶされていた。
彼を包んでいた泥が爆ぜる。
少年の右腕に剣が握られた。それは一夏の雪片と酷く似ている。ただ一つ違うとすれば、その刀身や柄は血の様に紅く憎悪を吸い上げたかのように黒い。その刃からは黒い瘴気が滲み出ているようにも見えた。
全身の泥が爆ぜる。
黒い鎧が姿を現した。まるで中世の騎士のようなその鎧は、抑え切れない何かが瘴気のように溢れ出している。黒い霧は、彼を埋め尽くさんとばかりに鎧の隙間から顔を覗かせていた。
左腕には黒い篭手が嵌められており、そこからもまた夥しい程の影が湧き出て、宙へと溶けて行く。
「――お前、は!」
一夏が叫んだ瞬間、その顔が露わになる。
長かったはずの白髪は短くなり、少年らしい髪型に。
瞳の紅さは変わらない。だと言うのに、その輪郭は何か違っていた。
顔の各所には血管が浮き出ており、脈動するその線は彼が今生きていると告げていた。
その面を知っている。その顔を知っている。
だってそれは――
「俺と……同じ……?」
織斑一夏とまったく同じ顔をしながらも、白髪の少年は黒い雪片を構えた。
その双眸に復讐を抱いて。その全身に怨嗟を閉じ込めて。心の内にある全てを憎悪に変えて少年は一夏を睨む。
さぁ、知るがいい。
お前を輝かせるために流された血を。
お前を輝かせるために踏み躙られた嘆きを。
お前一人が平穏と生きる裏で、どれだけの慟哭が響いていたのかを。
「――返せ。オレを、織斑一夏だったはずの全てを――返せ」