極東へと訪れたスコール一行は早速、拠点とするためのホテルへと足を運んでいた。
“白式強奪”と“織斑一夏の抹殺”の二つが今回の目的であり、極東から撤退するタイミングは本部からの指示である。要するに自己判断での撤退は不可能という事だ。逆に言えば、任務中であっても本部からの判断で撤退命令が下された場合スコール達は即座に従わなければならない。
長期滞在になる事は確実であり、そのためホテルの一室をスペースとして確保したのである。
そのホテルはスコールが何度も訪れた事のある施設だ。顧客情報の完全守秘に加え、色褪せないサービスは、彼女にとって絶好の場でもあった。
「さて、アインとエムは久しぶりの故郷でしょう? 二人で行ってきなさいな。私たちはここで準備をしておくから満足するまで楽しんで来てね」
「何?」
「えっ?」
アインとマドカの返事は同時だった。それほどまでに彼女の発言が唐突であったという事だ。
二人にとってここは故郷の土地である。アインは数日前に訪れたばかりだが、マドカは数年ぶりの故郷だ。何より、二人で町を歩いた記憶などと言うのはほとんど無い。
そんな訳で、せっかく兄妹で来たのだから故郷を楽しんでこいと言う事だろう。彼女達の気づかいは確かに有難い。
だが逆に言えば彼女達が準備をしていると言うのに、それを差し置いて外出などしていいものなのかと言う疑問が過ぎる。
「……」
「私も賛成ですね。お二方は任務以外、ほとんど過ごされた事は無いでしょう」
「同じだ。私たちが準備しとくから行ってこいよ。スコールから言われたなら大丈夫だろ。本部の奴らが口出すんなら叩き潰してやるから安心しな」
「えぇ、そうよ。家族との日々って大切でしょ?」
三人の言葉に、アインは再び思考へと入りかけた意識を抑え込む。
思考の片隅がまだ僅かに断ろうとするが、それを無理やり押し潰す。
「……マドカ、変装してきた方がいい。そのままだと嫌でも注目される」
「あ、あぁ、分かった」
「マドカ様、こちらに。髪のお手入れをします」
「ア、アルカ! 別にそんなのは……!」
「マドカ、せっかくの彼とのお出かけなんだから、お色直しはしっかりして置きなさい」
スコールの言葉に、マドカが言葉に詰まって唸る。
微笑んだアルカによって、鏡の前に座らされ、髪を手入れされている彼女の姿はまるで年相応の少女だ。
「アイン、貴方も着替えてきなさい。二度も更識と接触している上に、取り逃がしているんでしょ?」
「……いや問題ない。牙を向いたのなら圧し折る」
「力尽くし、ね……。カレンから習った体術はどうなの?」
「アルカが相手なら三分は持つ」
アインがカレンから習った体術は、元々彼が身に仕込まれていた古武術を土台にしてより近代的にかつ実戦的に改良させたモノだ。
ただし身に染み込んでいる古武術本来の使い方は刀剣の所持が前提条件である。エヌとの試合で、アインの動きが刀を持った瞬間に大きく変化したのはそのためであり、彼が最大の力量で戦える条件だ。
ちなみにアルカなら三分持つと言う発言は、決して冗談ではない。彼女の実力だが、これに関しては最早異常と呼んでもいいからだ。
とある人物の経験が彼女にフィードバックされている影響か、近接に対しては彼女もまた桁違いの実力を持つため、スコールから戦闘行為は厳禁とされていた。
本人曰く、軽い掌底一発で全身装甲のISを木っ端微塵に破砕するなど、冗談にもほどがある。挙句の果てには、衝撃砲を掌で再現させたのは一体何の真似だろうか。誰がそこまでやれと言った。
「それなら十分ね。もし仮に戦闘を強いられる状況になったなら」
「分かってる。マドカを先に撤退させるつもりだ。彼女に気づかれると後が面倒になる」
「えぇ、それでいいわ。日が暮れる頃までには帰ってきなさい。遅くなると思ったらその前に必ず連絡する事。いいわね?」
スコールはそう言って通信機器の整理を始めた。
相変わらず照りつける真夏の日差しは、まもなく秋に差し掛かる事など気づかせないのではないかと思わせるほど強い。だが、生憎アインにとってはそんな事を気にする間も無い。今回はマドカがいるため、彼の意識はそこに集中している。
隣で変装しているマドカの姿はアインからしてみれば酷く新鮮な姿だった。彼女は普段着ですら戦闘を考慮した物にするため、所謂ファッション面では色々と疎い所がある。
しかし、アルカによって整えられた彼女の容姿は大きく変化していた。
姉である千冬とまったく同じ髪型を意識していたのか、今までは長い髪を後ろで一本に束ねていたが、今はそれをまとめておらずストレートに伸ばしている。
カラーコンタクトで瞳の色を赤くしており、服装も少女らしい白いワンピースであるため、織斑千冬と似ているところは合っても、その雰囲気で彼女ではないと分かるだろう。おまけに麦藁帽子まであれば、それはもう夏の風物詩と呼んでも過言ではない。
既に数箇所を回ったところで、時刻は昼を過ぎていた。
「……疲れた」
「仕方ない。あれだけ走り回っていれば疲れるに決まってる」
小さく息を吐く彼女の姿に、頬が緩む。
こうしていると本当に年相応の少女である。彼女も本来ならば青春を謳歌している年頃だろう。だが彼女がいるのは血生臭い闘争の世界である。冷徹な表情ばかりを持つ彼女がこうして笑顔を綻ばせると言うのは、中々に貴重だった。
心の底に懐かしい温かみを感じながら、アインは帽子越しで彼女の頭を撫でる。やがて彼女も小さく微笑んだ。
「あら、奇遇ね」
「!」
「……更識」
聞き覚えのある声。それを忘れる訳が無い。
その声音に反応し、マドカを後ろに庇いつつ懐に手を入れる。今使用出来る武器と言えばナイフくらいの物だ。後は体術であるが、彼女にとってどこまで通用するか。
そこまで考えたところでふと、彼女が呆れた表情を浮かべた。
「別に今ここで争うってワケじゃないわよ? 町で見かけたら声を掛けるのが普通でしょ。それとも私ってそこまで信用できない?」
「あぁ」
「……即答ね。さすがにそれは傷つくんだけど」
今までのような剣呑な雰囲気は無い。だがこの少女が楯無の名を持つ以上、警戒しなければならないのだ。
既に何度か接触を重ねており、いつ交戦してもおかしくない人物として彼は警戒を持っていた。
「何故ここに?」
「貴方達に会ったのは本当に偶然よ。私達だって買い物目的で来たんだし」
「……」
「……」
「な、何よ?」
楯無の奥、水色の髪をした少女の姿が見える。
確か彼女は――。
「……あぁ、そういう事か。邪魔したな」
「ようやく信じてくれたみたいね。構わないわ、お邪魔したのは私の方だから。それじゃあね。感謝してるわよ」
手を振りながら去る楯無の姿を見送る。
どうやら姉妹での問題は解決したらしい。
道理で、今までより表情や口調に余裕が見られたのである。その事にどこか安堵を覚えながら、その背中を見送った。
ちなみに楯無と話している間アインの爪先を、マドカが目立たぬよう踏みつけていた。
「まったく、だから兄さんはいつも厄介事に巻き込まれるんだ。……聞いているのか?」
「……聞いてる」
近くのカフェでアイン達は暫しの休憩を取っていた。とは言っても精神をちまちまと削っていく時間を休憩と呼ぶのかはまた別の話である。
オレンジジュースをちびちびと飲みながら愚痴を溢すマドカの姿に、アインはどう対処すればいいのか困り果てている最中である。スコールやアルカならば一発で静まるのだろうが、彼にはどうすればいいのか分からない。
「……ん?」
マドカの声の所々に入る奇妙な唸り声。その発信源が隣の席からだと気づく。
彼女を手で制すれば、それだけでこちらの思惑を分かってくれるのは有り難い。
席を立って悩んでいる女性に近づいた。見た目も一般の人と何ら変わりない。
「どうかしたのか?」
「えぇ、その事なんだけど――……コレよ、コレだわッ!」
突如立ち上がった女性によって彼女の座っていた椅子が倒れる。
その勢いのよさに僅かに引いたアインの両手を女性ががっちりと掴んだ。それはもう、掴んだこの手を二度と放さないのでは、と思う程であった。
「貴方、バイトしてくれないかしらッ!?」
女性の背後に変なオーラが見えた気がした。
「……やれやれ」
執事服に着替えたアインは呆れた声を出しながら、今はホテルへと帰らせたマドカの事を考えた。せっかくの日を潰した事による罪悪を感じて、彼は溜め息をつく。尤も服装検査には彼女も付き合ってくれたのだから、一応それで手打ちにはなるだろう。
今のアインの服装は言うなれば執事である。それも見た目ならばかなり上級だ。
燕尾服に身を包み、首裏にある数字は黒の革バンドで隠している。黒いスラックスは彼の背丈に僅かに合わないが、手首や手足は女性からすれば十分なアピールポイントと言えるだろう。腰元には銀色の懐中時計がチェーンで繋がれており、アクセサリーとして一役買っていた。白い長髪は後ろで一本に束ねており、動きの邪魔にならないようになっている。
彼の容姿はもう才色兼備な女性と呼んでも過言ではない。至近距離で彼を見るか、声音を聞くかのどちらかしか見抜く方法は無いだろう。
服装の点検をしてくれた女性曰く完璧らしい。これも彼の性質故にか。
「あっ、えっとアインさんですよね?」
声に振り向くと、アインと同じ執事服を身に纏った金髪の少女がいた。男装の麗人――例えるならその一言に尽きる。
「……確かシャルロットだったか。よろしく頼む。後、敬語は必要ない」
「分かった。こちらこそよろしくね、それでボクの隣にいるのが……」
「ラウラだ」
“ラウラ……。そうか、彼女がカレンの”
銀髪と赤い瞳、堂々とした振る舞いは確かに彼女そっくりだ。
一つ違うと言えば、カレンのような頼もしさが足りていないと言うところだろうか。
二人からはISの反応が微細に感じられるが、今回ばかりは度外視していいだろう。せっかくの余暇なのだ。
「ちょっとー、三人とも手伝ってくれる?」
その言葉にアインは表情を引き締める。無論、口角は小さく吊り上げており俗に言われる作り笑顔を浮かべていた。これも服装を点検してくれた女性から習った技術である。
何故こうなったのか、どうしてこんな事をしているのかと言う事は一端置いておいて。アインは電光板に表示された数字の席へと赴いていった。
案外自分は意外と適応性があるのかもしれないと、アインは思う。何だかんだであらゆる状況に短時間で慣れるし、そこからもう少し入れ込めば何とかやっていける程度には出来ていくからだ。
指先でトレイを支え、置いてある空の容器を回収するワゴンへと乗せる。既に何往復かしているが、どの客層がどれほどの時間で店員を必要とするのかを、彼は見抜きつつあった。
そんな事を考える余裕が生まれているのは、接客と言うのが存外すんなりと行っているからである。と言うものの実際、この喫茶店で動いているのはアインとシャルロット、ラウラの三人であり、他の従業員は三人に見惚れていた。
彼らの容姿は言う慣ればフィクションから飛び出してきたような物である。特にアインに至ってはそれが顕著であった。とは言っても色々と仕方がない部分もあるのだが。
目的の席へと歩いていき、腰をかがめる。指導した女性曰く『執事キャラならそれでいけ!』だそうだ。
「どうかされましたか?」
「あ、あのっ、すみません。手が勝手に……」
僅かにイラっと来たが、面に出せば台無しである。こういう時ほど勤めて優しく、いつも以上に大らかに対応すべき――と指導した女性は語っていた。片手にいかがわしい雑誌を持っていたが。
「では注文をもう一度確認しますね。先ほど、ホットケーキご注文された方は?」
「あ、わ、私ですっ」
「当店特製シロップとハチミツはどちらに致されますか?」
「え、ええと、両方でお願いしますっ」
「かしこまりました。また何かあればお申し付けください」
女性客の見当違いな注文に対応しながらも、アインは作り笑顔で淡々とこなす。対応された女性は頬を赤らめて視線を明後日の方向へ向けていた。
踵を返し、溜息を吐きたい衝動を抑え込みながら厨房へと足を向ける。
途端に入店のベルが鳴り、客の来店を告げた。
今、入り口から最も近いにいるのはアインである。ならば彼が対応しなければならないだろう。
「いらっしゃいませ。@クルーズによう……こそ……」
客は五人連れだった。
金髪の女性が一名、緑髪の女性が一名、黒髪の女性が三名。合計五名。
外見は余りにも世間離れしており、一度見れば再び目線から逸らせないのではないだろうかと思わせるほど。
作り笑顔が凍る。彼の頬を一筋の汗が流れる。金髪の女性は、艶めかしい笑みを見せながら彼へ声を掛けた。
「あら、意外にも可愛らしい執事さんがいたのね。案内してくれるかしら?」
「……何でここにいる」
「マドカから聞いたのよ。余り早く帰って来たから理由を聞いたら、貴方が一日だけ喫茶店で働く事になったって言ったからわざわざ皆で出向いてあげたってコト」
「……っ!」
心が沸騰する。もし許されるのならば、八つ当たりをかましたい程、意識が炸裂した。
「ねぇ、アイン。貴方、以前私に言ったわよね? どんな懲罰でも覚悟するって」
「……あぁ、確かにそう言った。そうは言ったが」
確かに福音の時、作戦行動を無視した事によりアルカに咎められていた。
懲罰を受けるのは後回しになっていたが、まさかこんなところで扱われるとは一体誰が思うだろうか。
「それともアレは嘘だったのかしら? 悲しいわね、まさか私に嘘をつくなんて」
「……」
「ではお席に案内してくださる?」
「こ、こちらにどうぞ……」
アインの顔は赤くなっており、それは恥ずかしさから来る物だった。言うならば幼き日々の至りを大声で読まれたような感じである。
突如としてぎこちない動作になっていた事にすら気づいておらず、その事にスコール達は笑みを漏らす。
「アイン様、手と足が同時に動いていますよ」
「わ、分かってる……。何も言わないでくれ」
すらすらとこなせていたはずの動作が良く分からなくなってくる。
表面上は何とか取り繕っているが、アインの心はかつてない程に錯乱していた。
無事にスコール達を席まで案内する事が出来た。それに反して、精神は既に大きく疲弊している。
何かもうここで倒れていいかもしれない。そろそろ自分に素直になろう。
シャルロットかラウラの二人に代わってもらおうと、アインが重たい足を動かした時、荒々しく入店のベルが響いた。
「おら、騒ぐんじゃねぇ!」
銃声が響く。彼が聞き慣れた非日常の音。それはまず間違ってもこちら側へ持ち込んではならない。
硝煙の臭いがアインに闘争の香りを呼び覚ます。彼の五感と本能が戦闘へと移行する。
ちらりとスコールに目を向けると“好きにやっちゃいなさい”というジェスチャーが返って来る。
仕方が無い、と言ったように彼は呆れた笑みを溢して、三人の男に近づいていった。
カツカツと乾いた足音を立てながら、彼が歩み寄る。懐中時計に視線を向けるその姿勢は男達を物ともしない。その全く無防備な挙動に男達が眉を顰める。
「ん、何だテメェ。コイツが見えねぇのか?」
男の一人が手に持ったショットガンを近づいたアインに突きつける。彼の眉間へ銃口が密着する。
だが生憎、彼に並みの銃器は通用しない。強化装甲にも等しいその皮膚に、ただの鉛弾など効く通りもない。
だがその事をこの男達が知るはずも無く、結果としてその代償を払わされる結果となった。
懐中時計が閉じられる。彼がそれをポケットへとしまった。
「見えているさ」
「――あ?」
アインの姿が掻き消える。否、彼がただ早い速度で腰を屈めただけの事。右足の踵が蹴り上げられ、ショットガンの銃身へと直撃する。
蹴り上げられた銃口は、男の手を離れて宙を舞う。持ち主が目を捉われている間にアインはその懐へと潜り込んでいた。
気配を極限にまで殺したまま、近づく。狙うは左腕と頭。そこへ手をかけて、地面に引き摺り倒す。
強烈な打音と共に男が気絶した。鼻は折れただろうがそれで済んだのなら安い物だ。
主を失ったショットガンが虚しい音を立てて地面に落ちる。
「まだやるか?」
「テメェ!」
男の一人が拳銃を引き抜く。容赦なく引かれるトリガー。それと同時に迫る発砲音。
放たれた銃弾をアインの手が掠め取る。握り締められた彼の両手が開かれると握りつぶされた弾丸が地面に落ちてカランと枯れた音を立てる。
ちなみに余談ではあるが、カレンもまたアインと似たような事が可能だ。彼女の弟子ならば出来て当然である――らしい。
「な、なっ」
「さて」
懐中時計を開き、時間を確かめる。別段、この動作に深い意味は無く、ただ単に挑発の一種である。
三人いた男のうち、一人はアインが沈め、もう一人はあの少女二人が沈めたらしい。
既に店内で声を挙げている男は彼一人であり、最早制圧される事は時間の問題だった。
「こ、こうなったら最後の手段だ!」
男が体の下にあるジャケットを大衆に見えるようにして広げる。
その体に巻きつけられているのは大量の爆薬だ。
――少なくとも、セロハンテープとかガムテープとか木工用ボンドとか安っぽく見えるのは気のせいであってほしい。
「この店もろともぶっ飛ばしてやらぁ!」
男がその場の全員に見えるようにして掲げた起爆装置。よくある押しボタン式のタイプである。
呆れたように苦笑して、アインは先ほどホットケーキを配った女性の席からナイフを二本、手に取る。
「失礼」
一本を全力で投擲し、スイッチごと壁へと縫い止める。その余りの光景に男が膝を震えさせながら、地面へと崩れ落ちた。
「……よく起爆しないわね」
「慣れだ」
どこからか聞き覚えのある声にそっけなく返す。
ちなみにカレンが全力でナイフを投擲すれば、男の腕ごともぎ取って、壁に突き刺さっていたに違いない。あの人、絶対人間やめてる。
既に男達の武器や起爆装置も無力化した今、まもなく機動隊がこの場に駆けつけてくるだろう。生憎、アインは根掘り葉掘り聞かれても良い人物ではない。
再度、気配を殺し足音を鎮める。この場から抜け出すには、厨房を抜けるのが最適だろう。
空気に紛れるようにして、彼はその場から移動を開始した。
ホテルの部屋に帰りついたアインは近くにあったソファに座り、息を吐き出す。@クルーズからホテルまでは三十分の時間を要した。今の彼の服装は白いロングコートであり、執事服は苦い思い出と共にロッカーへ投げつけて来た。
クッキーを口にしたスコールが微笑みながらアインに目を向ける。
「あら、お帰りアイン。一日だけの執事はどうだった?」
「……案外悪くなかったな。だが、来るならせめて一言言ってからにしてくれ」
「フフッ、顔を真っ赤にしてた貴方、とても可愛かったわよ」
「……うるさい」
そんな言葉も今の彼が言っては不貞腐れた文句にしかならない。
アインへ袋が投げられた。それを手に取り、中身を見ると焼き菓子が数個包装されている。
「迷惑代わりに店で配られてたクッキーだとさ。食ってみたが、中々に上手かったぜ」
オータムから投げられたのはクッキーが入った小さな袋だった。
そういえば菓子類などほとんど口にした事が無かったな、と今更のように思い出す。
「えぇ、アメリカの方でも中々食べられない味だったわ。勿体無いわよ、アイン」
おいしそうに頬張るマドカや談笑しているエヌとオータムの姿と、室内に漂う匂いの興味をそそられ袋を開けて、中に入っていたクッキーを一つ齧る。
それはほんのりと甘い味だった。日常の感覚もたまには悪くない。
“……たまにはこんな日も悪くないか”
「……ん?」
カレンは携帯にデータが送信されているのを見て、内容を確認する。少なくとも任務の急用などは無いし、あるとすれば数少ない友人からだろう。
見ればスコールからのメールであった。写真を圧縮したデータが添付されている。
『これを取った時の写真、中々楽しかったわよ。今度帰ってきた時頼んでみたら?』
「?」
何の覚悟もないまま、カレンはそのデータを展開して、見事に噴き出した。
そのデータはアインが執事服を着て接客しているのを撮影しているデータである。それも様々な角度から撮影した写真が数枚。
それも視点が違う所から見れば、様々な人物が撮影したのだろう。
カレンの心の底から何かが込み上げてくる。
「くくっ、あははっ。あの馬鹿弟子がこんな事を? アイツにも遊び心ってモンがあったのか!」
腹を抱えて笑う彼女の姿は、到底軍人らしい物には見えなかった。
珍しく息切れを起こしたまま、スコールから送られてきた写真をよく見てみると遠くの方で覆面の男の腹に跳び蹴りを食らわしている銀髪の少女の姿が写っていた。
「……ははっ、本当に憎いコトしてくれるじゃないかスコール」
その写真をデータに保存して、カレンは壁にもたれかかる。
彼女の頬に一筋の涙が流れていた。