泡沫のベルカ   作:てんぞー

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泡沫の夢

「レヴォーグさま! レヴォーグ様! これは一体どういうことですか!」

 

 最前線から引き戻され、本国へと戻ってきた己に満ちていた感情はまさに憤怒だと言っても差し支えなかった。友と、そしてオリヴィエの日常を守りたくて、それを意志に最前線へと赴いて戦っていたのだ―――なのにあったのは裏切りだ。裏切られたような気分だった。オリヴィエがゆりかごへ、それはオリヴィエにとっての死に繋がる。ゆりかごとの適性が低いオリヴィエが動かそうとすれば、確実に命を落とす。そういう話だ。それを解らないレヴォーグではない。無論、これがどういう意味で、どういう状況なのか自分でも理解していた。それでも口に出さなくてはいけなかった。

 

「―――オリヴィエがそう望んだからだ。だからお前を護衛に引き戻した。刻限は三日後、その時にゆりかごを動かす。……お前とであれば、最期の時も安らかに過ごせるだろう。以上だ」

 

 完結的で、それ以上の言葉を許さないレヴォーグの言葉に怒りが沸騰しそうだった。しかし、レヴォーグの拳を見れば解る。

 

 強く握りしめられたそれからは血が流れていた事が。

 

 

 

 

 それから、命令に従う様にオリヴィエの部屋を訪れた。本国の城の中にあるオリヴィエの室内は少しだけ、寂しく見えた。調度品や家財の度合いで言えばシュトゥラの部屋よりもそろっているが、あちらには常にクロゼルグかヴィルフリッド、或いはクラウスの姿を見た。だから、一人でベッドの上に、義手も装着せずに座っている姿は寂しく見えた。

 

「ヴィヴィ様……」

 

 扉を抜けた所で声をかけると、オリヴィエが顔を持ち上げる。そこにはいつも通り―――ただし、少しだけ寂しそうな表情のオリヴィエがいた。彼女は小さく笑うと、ごめんなさい、と謝ってきた。

 

「裏切るような形で呼び戻してもらってすいません」

 

「いえ、ヴィヴィ様の選択です……俺には、それを、どう……こう……言う事はできません」

 

「……そう、ですね。お父様も本気です。リッドも私の気を変えられないように、と幽閉してしまいました……」

 

 だから、ヴィルフリッドの姿を戦場で見なかったのか、とどこか納得をした。実際、シュトゥラやこの国を守る為の戦いで、ヴィルフリッドが出てこなかった事には違和感があった。だがオリヴィエの覚悟を鈍らせないように幽閉させていたのであれば納得が行く。そして同時に、この国は本気でオリヴィエを使い潰すつもりでいるのだという事実をこの時、理解した。その犠牲者として立候補したオリヴィエは、

 

 笑っていた。

 

「そんな悲しそうな顔をしないでくださいよ、コルト。貴方の気持ちは嬉しいです。ですけど、私もこの国の姫として生まれ、育てられた責務が存在します。今こそ、王族として今までは無能だった私が手伝える時だと思うんです。だからお願いです、コルト。私がゆりかごに乗って争いを止めるその時まで、私を守ってください。オリヴィエ・ゼーゲブレヒトとしてではなく―――貴方の長年の友のオリヴィエとして」

 

「……ぁ―――ぅ……」

 

 何も言葉を発せなかった。裏切れない。コルト・バサラは決して裏切る事が出来ない。それはマーリンに、アルハザードによって与えられたルールだったからだ。それを破った場合、己は全てを失う。コルト・バサラという男が築き上げた全てが記憶の中から消される。完全に忘却されてしまうのだ。それ故に、頼みに、オリヴィエのその言葉に裏切る事はできなかった。だから口を開いた。

 

「……ヴィヴィ様」

 

「はい」

 

「―――俺、ずっとヴィヴィ様の事、好きだったんですよ」

 

「えぇ、知ってましたよ」

 

「クラウスも、ヴィヴィ様の事、大好きなんですよ」

 

「えぇ、それも知ってました」

 

 だから、まぁ、なんというか、と言葉を付け加える。

 

「たぶん、俺達が手を組んで、力を合わせればヴィヴィ様が犠牲になる必要なんかない様に出来る筈なんです。アイツは王子だし、俺はこの拳でぶち壊せないものはありません。それともいっその事逃げちゃいましょうよ、ヴィヴィ様」

 

 ほら、あれじゃないですか。

 

「きっと王族の義務から離れて自由にただの村娘として暮らすのはステキな筈ですよ。洗濯も掃除も料理も全部自分でやらなきゃいけない日常がそこにはあるんです。でもその代わりに自分で市場へと向かって、何を作るかを考えながら買い物をして、家に友人を呼んでパーティーを開いたりするんです。ヴィヴィ様が自分から犠牲になる必要はありません。選びさえすれば、俺達はその未来の為に死力を尽くします」

 

 その言葉にあぁ、とオリヴィエは言葉を零し、

 

「それは、きっと、素敵な日々なんでしょうね―――」

 

 その声の色で、自分の説得の声が届かなかったというのがわかった。だから叫んだ。

 

「黙って逃げて幸せになってくれオリヴィエ!」

 

「ありがとう、コルト。初めて本当の貴方と話せた気がしました―――ですが、私は逃げられない。逃げちゃ、いけないんです。ですからありがとう。その言葉、絶対に忘れません」

 

 その時理解してしまった。どんな言葉であれ、オリヴィエを説得する事は不可能なのだと。彼女の覚悟は既に出来上がっていた。そんな彼女を説得するのは無理だった。だとしたら残っているのは物理的にどうにかする、という方法だけだった。だけどそれは自分には無理だった。オリヴィエを殴って連れ去るなんて事、どうあがいても自分には不可能なのだ。主を―――自分の事を友達と、そう呼んでくれた彼女を裏切るなんてことはできない。

 

 この時、自分では彼女を止める事が出来ないという絶望が心に突き刺さった。

 

 それでも、諦めたくはなかった。諦めた瞬間が本当の敗北なのだ。

 

 あぁ、

 

 そして、

 

 僅かな可能性に縋って―――裏切る事を決めた。

 

 

 

 

 選択肢なんて初めからなかった。アルハザードは言った。裏切るな、王道を歩め、犯すな、と。それを守ってきた人生だった。それをなるべく守る様に歩み進んできた。実際、その三つを今まで守ってきた。だけど、それでも、最初から選択肢はなかったのだ、とこの時に気付いた。

 

 オリヴィエの約束を守って彼女を守り続ければ、己はクラウスやヴィルフリッド、クロゼルグたちを裏切ることになる。オリヴィエに何が何でも生きてほしいという友人達の願いを裏切るのだ。

 

 だけどオリヴィエを生かそうという事は恩人であるレヴォーグやオリヴィエを、そして戦乱の終息を願っている多くの民達を裏切る事なのだ。

 

 きっと、アルハザードはあの時、あの路地裏で話しかけた時、最初からこの選択肢が、そして結末が見えていたのだろう。だけど、それでももう己は無知な子供ではなかった。成長し、大人とも言える存在になった。この両腕は大量の人間を殺した兵器であり、禁忌兵器を体一つで破壊する化け物でもある。あのころとは全く違う。責任も、友情も、そして覚悟も出来上がった”男”に育ったのだ。だから、

 

 選択しなくてはならない。

 

 そして裏切ることを己は選んだ。

 

 ―――全てを何も知らぬクラウスへと話した。

 

 クラウスもまた最前線に配置されていた。それはまるでオリヴィエから引きはがす様であり、そして早くゆりかごに乗らなきゃ死ぬぞ、という脅迫の様なものであった。事実、最前線での死亡率はすさまじく高く、聖王家も”ゆりかごを使う”と脅迫した手前、引き下がる事は許されない。クラウスもまた、オリヴィエの決心を鈍らせるという理由で引きはがされていたのだ。何よりクラウスとオリヴィエは国は違っても王族、その立場はほとんど対等に等しい。

 

 オリヴィエを止められる者がいるとしたら、それはクラウスだけだった。

 

 悔しいが、地位でも、血筋でも、クラウスには勝てない。住んでいる世界が違った。

 

 情報をクラウスに伝え、己とクラウスは居場所をゆりかごの乗船の日に入れ替えた。

 

 ゆりかごの起動をなるべく遅らせる様に最前線に己が立ち、敵を寄せ付けない。そしてその間にクラウスがオリヴィエを説得し―――必要であれば武力で抑え込み、浚ってしまう。クラウスと話し合い、二人でそうすると、決めたのだ。

 

 だけど、

 

 クラウスがオリヴィエを止める事に成功しても、

 

 その未来に己は―――俺はいない。

 

 裏切り者は記憶に残らない。

 

 

 

 

 そして―――俺は拳を振い続ける。

 

 全力で拳を振った結果、鉄腕が砕け散った。オリヴィエのくれた鎧は引きはがし、残った部分も砲撃で消し飛んだ。手袋は既に擦れ切れて消えてしまった。牙をむきながら全力で獣の様に振る舞い、拳を振う自分は本当に人間として見てもいいのだろうか。そんな事を理性を吹き飛ばしたのに、冷静に考えていた。それでも手には鉄と肉の感触が、顔には血の感触がする。

 

 目の前には様々な生物を混ぜて一つにしたような怪物がいた。それを鉄腕(ベオウルフ)と称賛された拳で綺麗に上半身を消し飛ばし、即死させた。そこで満足するわけもなく、踏み込みながらさらに殺してゆく。視界に映った存在をかたっぱしから掴み、急所を握り潰し、或いは殴り、蹴り飛ばし、肉塊さえ残さずに殺して行く。殺意が意識を満たし、そしてその思うままに拳を振って虐殺を続ける。

 

 或いは、ここで一人で勝てるという事を証明すればゆりかごなんて必要ない、と待ってくれるのではないかと願って。

 

 でもそんな事はない、ありえない。

 

 そして、聞こえてくるのだ、

 

 ―――魔力の胎動とうねりが。

 

 動きが止まる。無論、止まったのは自分だけではなく、世界の全てだ。襲い掛かってきた敵の大群も、兵器も、全てが動きを停止しており、此方の後方の先へと視線を向けていた。それに合わせる様に両手を下ろし、視線を明けて行く空へと向ける。

 

「あぁ―――」

 

 輝く陽光を一身に受けながら空へと浮かび上がる三角形の戦艦が見えた。輝く様に見えるのは陽光ではない―――聖王の鎧と呼ばれる絶対防壁。聖王家、それも聖王核を保有するものにしか発現しない絶対能力の一つ。それが”動力”を通して使用されているのだ。

 

「あぁあああああぁぁ……」

 

 声が、嗚咽が漏れる。涙を流しているのを自覚する。格好悪い。だけど止まらない。駄目だった、止められなかったのか。

 

 負けたのだ、クラウスは。

 

 ―――轟音と共に地上から大砲が放たれ、ゆりかごへと飛翔する。次元を歪曲させる事で破壊を巻き起こす兵器はゆりかごの防壁へ、聖王の鎧へと着弾し―――ゆりかごを傷つける事無く消失した。その仕返しにと放たれたゆりかごの一撃、

 

 五千を超える砲門からの同時射撃が一瞬で大地を埋め尽くす敵の姿を残骸へと変貌させた。

 

「クラウス……お前……負けたのか……よ……なあ、おい―――」

 

 ゆりかごがゆっくりと戦争を始める。そしてそれに合わせる様に進軍していたすべての敵が撤退を始める。ゆりかごは悪夢だ。聖王家の武力の象徴そのものだと言っていい。その悪夢が引き起こした伝説の数々、そしてそのスペックは多くが知っている。故に、動き出したらどうなるかを、誰もが知っている。

 

 死、だ。

 

 全てを破壊し、殺しつくすまでは止まらない。それがゆりかごという禁忌兵器なのだから。

 

 ただそれがゆっくりと飛翔して行く姿を呆然と眺めて行く。何もなくなってしまった。アルハザードの言いつけを破ってオリヴィエを裏切り、王道から外れ、そしてその結果ゆりかごまで動いてしまった。友達の、皆の記憶から消えるだけならまだ良かった。だけど、オリヴィエがまた平和な日常で笑えるように、その為に戦ってきたのだ。その為だけに頑張ったのだ。そしてまた平和な日常で皆で楽しく過ごせる、あの日々が欲しかったのに。自分がいなくてもそこで笑っていてくれればよかったのに。

 

 なのに、

 

 オリヴィエはもう、帰ってこない。

 

「―――ァァ―――ォォ―――ッ!!」

 

 溢れ出す涙が止まらない。獣の様な咆哮が喉の奥から飛び出してくる。胸の内で感情が爆発して頭がおかしくなりそうだった。でも、それでも、

 

「―――逃げてはならん、逃げたくはない、かね」

 

 懐かしい声に横へと視線を向ければ、そこにはあの時、あの場所で―――路地裏で出会った時と全く変わらない姿格好のアルハザードがいた。その表情は今は、しっかりと見える。ものすごく楽しそうな表情を浮かべており、そして好奇の視線を向けていた。それはまるで子供がお気に入りの人形劇を見ているような、そんな先の展開を楽しみにしているような子供の視線だった。その視線から瞳を反らさず、答える。

 

「あぁ、逃げちゃいけないんだ。居場所も、過去も、全部失ったけど、それでも起きた出来事からまで逃げちまったらそりゃあ、オリヴィエの選択を馬鹿にしてるってもんだ。頑張れば認められるってわけじゃない。頑張れば報われるってわけじゃない。それでも、俺もクラウスも全力を尽くした。だったらウダウダグダグダやってる暇はない。命を懸けてるってなら、それ相応にこちらも覚悟を決めなきゃいけないって事なんだよ。なぁ、そうだろうよ、おい」

 

 その言葉にアルハザードは微笑みを返す。

 

「ならば騎士でもなんでもない君よ、私は君に質問がある。今の君はなんでもない。友も、立場も、友人もない。君は約束を破り、女神は君の下から去った。故に天運は微笑まない。拳を振えば英雄などとみられず、怪物として蔑まれよう。誰かを無償で救えば騎士道精神を称えられるのではなく裏を疑われよう。君の英雄譚は終わったのだ」

 

「それでも、それでもそれが人生ってもんだろ。オリヴィエが―――」

 

 命を今、使ってゆりかごを飛ばしている。だったら失敗した事でうだうだぐだぐだ言っている暇はない。自分が出来る事を成さないといけないのだ。それが生きている人間の責務であり、人生だ。失敗する事、上手くいかない事、そんな事があるのは当たり前だ。だってこれはゲームではないのだ。リセットの効かない一度きりの勝負なのだ、失敗しない方がどうかしている。それでも、前へと進んで努力するのが”スジ”というものではないのだろうか。

 

「故に君は進むと」

 

「あぁ」

 

「不毛であると知りつつも」

 

「あぁ」

 

「報われないかもしれないと解っていても」

 

「あぁ」

 

「ならば私がこれ以上君に―――いや、”貴殿”にかける言葉はない。歴史には残らぬ騎士よ、貴殿は己の思った王道を進むが良い。貴殿には予知も予言も、助言も必要ありはしない。英雄譚は終わった。ならば一人のその他大勢として、少しでも世界を今よりも良くする為に努力するが良い。きっと、それが貴殿の心の思うままであるからこそ」

 

「ありがとよ。そして事前に言っておくわ―――死ね」

 

「ふ、ふふ、さらばだ、名も無き騎士よ。遠い未来でまた会おう」

 

 ゆっくりと、上空を過ぎ去って行くゆりかごの影に溶ける様にアルハザードの姿は消えて行った。おそらく、自分が生きている間はもう二度と合う事はないだろうという事を確信させながら。視線をこちらへと近づいてくる騎士達へと向け、そして彼らへと背を向ける。アルハザードの言葉が正しければ、もう幸運の巡りは存在しない。

 

 戦場に血だらけの人間が残っていれば敵兵だと判断され、殺されるだろう。

 

 誰の記憶にも残っていないのだから当然の考えだ。だから迷う事無く地を蹴って、自分の今までの生活から逃げる様に走り去って行く。遠くへ、なるべく遠くへ。

 

 ベルカの戦乱はゆりかごによって終結するだろう。だからと言ってそれですべてが終わる訳ではない。だとしたらまだ何か、自分には出来る筈だ。困っている人間は多くいて、助けを求めている人だっている。きっと、そういう人たちを助けたくてオリヴィエはゆりかごに乗ったのだろうから。だから、少しだけ明日が良い日になる様に、

 

 がんばらなくてはならない。

 

「じゃあな、クラウス、リッド、クロ」

 

 もう二度と会う事も、そして思い出される事もない友たちへと別れを告げ、

 

 地平線の向こう側へと去って行く。

 

 俺のこれまでの人生―――それはまるで泡沫の夢の様だった。




 これにて年末企画終わりです。年末なのでお祭りな感じで、という事であまり見ない、情報が少ない古代ベルカのお話を短く、でも解りやすく、結果が変わらない様に書いてみました。

 これ一つでシリーズかけそうだねぇ……。

 古代ベルカ時代は禁忌兵器というすさまじい兵器が現役で生産されてたらしいッスね。もうそりゃあ核の雨の様な時代だったとか。この時代でゆりかごはロストロギア扱いされてるんだからそりゃあお察しってものですよ。

 ともあれ、皆さん、良い年末を。

 余談、

クラウス=モードレッド
コルト=ランスロット

 という配役でした。モードレッドの役割であるクラウスは止められなかった故にオリヴィエを死なせてしまった人。ランスロットの役割のコルトは想って裏切り、その結果大失敗したという意味で。

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