泡沫のベルカ   作:てんぞー

2 / 3
生の軌跡

 拳とは叩きつけるものだ。

 

 それが己の認識だ―――無駄な技術や認識はいらない。この拳こそが全てを破壊する兵器なのだから。だから騎士を目指す日常の中で、他の騎士と修練を共にし、技術を磨き、師匠から手ほどきを受ける。なんとも武術、武道、殺人術、騎士道の道は深く、戦いにおける様々な技術が存在する。もっとも有名であり、鍛えられた人間であれば当たり前のように使ってくるものが”受け流し”というものがある。この技術は受ける攻撃を斜めにとらえ、直接喰らわずに流れを変える為に威力を落とし、直撃を避けるという技術になる。言葉で語るのは簡単だ。だが実際実行するとなると難しくなってくる。何せ、お互いに全力で人を殺せる武器を使っている状態でやろうとするのだ。上手くいかないのが普通であり、上手くいかせるのが騎士という存在だ。無論、レヴォーグによって与えられた師は、恐ろしく強かった。人を殺すための技術を多く知っており、すさまじい技量を持っていた。この受け流しという技術も、奇襲の場合であっても察知する事に成功すれば、とっさの状態でもできてしまう。それほどまでに有能な人物だ。

 

 だけど師は言った。

 

「お前はこういうの覚えるな。逆に邪魔になるわ」

 

 おそらくはこの頃だったのだろう、明確に自分が化け物であると認識し始めたのは。怪物は何故強いのか? 己を怪物だと理解しているからだ。

 

「体重移動、踏み込みの距離、手の捻り、防御の抜き方、受け流し、そういうの全部忘れろ。お前にゃあ無駄だし必要がねぇ。お前は拳を握って、全力で叩きつけりゃあそれでいいんだよ。それ以上必要ないし、それだけでいい。それがお前を一番強くする。だから直観的に感じたように全力で殴れ。或いは蹴ろ。それでいい。基礎を鍛えるのはやめないが、模擬戦と技術系の鍛錬は今日で終わりだ。これ以上続けたら俺が死ぬ。つか今でも十分死にそう。お前、いたずらでも俺の顔面にパイをスパーキングッ! とかやるなよ、俺の上半身があの世へスパーキングするから」

 

「しませんよ。殿下が狙ってましたけど」

 

「あの野郎許さねぇ」

 

 人間は、脆い。それは鍛錬を通して覚えた事だ。ベルカの騎士である以上、常に死は覚悟している。鍛錬の最中に事故死してしまうのも仕方のない事だと誰もが理解している。何せ、鍛錬に刃のつぶれた剣を使用しても、強く叩きつければそれで人は殺せるのだから。

 

 それよりもはるかに凶悪な凶器を生まれから保有している己は、さらに凶悪だ。

 

 故に一度だけ、人を殺してしまった事が鍛錬の時にある。事故であり、責められる事はなかった。が、それでも自分が周りの人間とは決定的に違う事を理解された。そしてそれを自覚して、周りも理解してもなお、捨てられない、受け入れてくれる、この環境はいい場所であると、それを理解させられる。そう、この道に入って、生活は充実してきていたのだ。それは未だかつて感じる事のなかった感覚だった。

 

 そう、人生が充実し始めていたのだ。

 

 知らなければ不満に思う事もなかった。そんな人生だが、充実感を覚えてしまった。

 

「―――あ、コルトさん!」

 

 鍛錬の場に聞いた事のある少女の声がする。迷う事無く師と共に鍛錬上の入口へと視線を向ければ、そこには両腕を欠損しているドレス姿の少女の姿が見える。オリヴィエ・ゼーゲブレヒト、継承権を持たぬ聖王家の姫であり、そして自分が命を持って守らなくてはいけない少女である。ただ継承権を持たぬ為か、その表情には父や姉の様な継承権を持つ存在とは違い、責任の重圧がそこまでは存在しない。故にその表情には笑みが浮かんでおり、その背後について歩いてくる兄のレヴォーグを含め、気楽な空気が漂っている。

 

 とはいえ、それでも二人は騎士の主君である。迷う事無く背筋を伸ばし、礼を持って二人に相対する。

 

「あぁ、もう、やめてくださいよ。それよりも聞いてくださいよ!」

 

 ぴょんぴょんと子兎の様に跳ねながら近寄ってくるオリヴィエの姿に内心、苦笑する。無論、そんなリアクションをしているのは自分だけではなく、レヴォーグも、そして師もそうだった。二人とも、地位としてはなかなかのものがある為、そうやって表にリアクションが取れるが、このころは己はなんと言うべきか―――少々、愚直過ぎた。そういう表情を取るのは失礼だ、と思い、友人の様に接してくるオリヴィエに対して騎士として相対していた。

 

「実は私、シュトゥラへの留学が決まったんです! 前々からシュトゥラには手紙で連絡を取り合っていた友達もいますし、漸く会って話に行けるんです!」

 

 そのオリヴィエの言葉に付け加える様に、レヴォーグが念話によってオリヴィエの言葉を、此方にのみ聞こえる様に捕捉する。

 

『シュトゥラは我が国と交流のある国でな、オリヴィエはその両腕の問題からほとんどここから出す事が出来ないのだが、戦火が拡大してきている。有事の際、シュトゥラの協力を得られるようにオリヴィエを人質として出すことに決めた。彼女自身にはこれを留学としか伝えていないし、向こうもそういう風に扱ってくれるだろう。お前はそれについて行け、悪い虫が付きそうなら叩き潰せ』

 

『拝承しました』

 

 ―――そういう事もあり、オリヴィエ・ゼーゲブレヒトのシュトゥラへの留学(人質)は決定された事だった。己はオリヴィエと同年代であり、実力の高いという騎士であることを理由に、オリヴィエの身辺を世話する侍女達と共にシュトゥラへと向かう事が決まる。

 

 騎士となろうとして勉強や鍛錬を初めて数年、賢くはなった。だが考え方は変わらなかった。

 

 決定的に己という人間の考え方を生み出したのは間違いなくこれからシュトゥラで過ごす事になる4年間であり、

 

 また、ベルカが迎える滅びもおそらくは既にこの時点で見えていた。

 

 

 

 

 ベルカ、或いは聖王家は大きな力を持っており、王族は生まれながらにしてすさまじい能力を持っている。両腕を欠損しているオリヴィエでさえ、騎士が三人で襲い掛かろうとも足のみで制圧できる、天賦の才というべきものを持っている。それでも己を護衛につけたのはおそらく、将来の事をレヴォーグが見抜いたからなのだろう。すでにこの時点でレヴォーグはベルカ全土が戦火に飲まれることを想定し、そこから逃がすためにオリヴィエを留学させる事に同意、護衛という形で動かしやすく、一番力のある者を付けたのだ、とすべてが終わってから思った。ただ、まだそこまでは詳しく考えられる程賢くもなく、与えられた役割を果たそう、と、それに必死だった自分がその頃にはいた。つまり、恐怖だ。

 

 路地裏のあのころには戻りたくないという恐怖があったのだろう、と思う。

 

 ただそんなことを知ってか知らずか、オリヴィエはシュトゥラへの短い旅路を全力で楽しんでいた。今まで軟禁の様な生活を送っていたのだ、飛行船に乗って向かうだけの旅路だとはいえ、それでも笑顔を浮かべ、外の景色を堪能していた。そんな姿を見てしまえば、自分に出来る事なんてない。すでにこのころ、彼女に対する恋心には気づいていたが、立場というものもあり、完全に夢で終わる、と理解していた。

 

 そうやって飛行船に乗って移動し、シュトゥラへと到着した。

 

 留学先であるシュトゥラの王宮へと向かい、そこでオリヴィエや己達を迎え入れたのはシュトゥラの第一王子、緑髪の青年、

 

 ―――クラウス・G・S・イングヴァルトの存在だった。

 

 クラウスを初めて見て、オリヴィエと二人が並び、正面から話し合うその姿を見て、まるで一つの美しい絵を見たような、そんな気がした。なんとなくだが、この二人は一緒にいるべきだと、共にあるのが幸せの形になるのだろうと、獣染みた直観がそう告げ―――自分の初恋が終わったこともまた、理解してしまったのだ。自覚したのだ、自分の人間らしい感情を。それがおそらく自分という”人間”を形作るのを手伝い、

 

「失礼、クラウス王子」

 

「む、君はオリヴィエの従者か」

 

「聖王家に仕える騎士としての末席に置かせて貰っている者です。ともあれ、レヴォーグ様より悪い虫は、という事なので」

 

 直感的に、こいつ、オリヴィエに惚れてるな、という事を察したので出会い頭に腹に一撃叩き込んでノックアウトさせた。

 

 それがシュトゥラでの4年間の始まりだった。

 

 

 

 

 オリヴィエがシュトゥラという新たな環境に受け入れられるにはそう時間は必要としなかった。元々、オリヴィエには才能があった。周囲を魅了させるその笑顔は、たとえ己の様な人間性に乏しい者であっても、その心を掴んだ。故にオリヴィエが環境に受け入れられ、そしてシュトゥラで新たに友達を作るには時間は必要としなかった。オリヴィエは愛される姫だ。もはやそういう人間関係に関しては心配する必要は欠片ほどもなかった。

 

 問題は此方だった。若さに見合わぬ圧倒的暴力を保有した騎士、それでいてオリヴィエの護衛に抜擢される。嫉妬の対象となっておかしくもない立場だったが、

 

 なんと、オリヴィエ同様、同日には友人が出来た。

 

「―――さあ、共に修練に励もうか、コルト」

 

 クラウスだった。何故かあの一撃から目覚めた後で馴れ馴れしい、というか普通に接してくるようになり、鍛錬や自由な時間となってくるとオリヴィエと共に引っ張り出されるようになった。どうやらクラウス自身も同年代の友人には飢えているところがあったらしく、オリヴィエの手紙からも話を聞いており、堅物ならどうしたものか―――と思ったところ開幕から腹パンを決めてしまい、それで逆に打ち解けやすくなったらしい。出会いは何とも奇妙なものだった、としか言いようがない。

 

 だけどそれでも、クラウスとはしばらくして、普通に友人と言える関係になった。第一王子であり、クラウスには立場があるものの、それを鼻にかける事もなく、クラウスは多くの者に平等であるように接した。オリヴィエ程ではないが武に関する才能を持ち、そして賢く、将来、シュトゥラの未来は安泰であると言われるほどに認められていた。また、クラウス自身が結構な人格者であり、人を引き寄せる魅力がオリヴィエと同じようにあった。

 

 そんなクラウスと接している内に、自分も少しずつ、生きる為ではなく、現在を楽しむ為に行動をとる様になってきた。元々”留学”という名目でシュトゥラへとやってきていたのだ、

 

「私だけではなく、コルトも一緒に勉強するべきです。何せ、私と歳は変わらないのですから、共に学べば見えてくるものもある筈です!」

 

 というオリヴィエの有難い言葉があり、共に様々な事を学びながら交流する事が出来た。元々空っぽな頭だったのだ、その中に色々と詰め込むだけの作業なのだから勉強は難しくなかったし、逆に教えられることがいっぱいあって楽しかった。学ぶことすべてが新鮮なのだから飽きる事もない。自分が予想以上に空っぽで、そして何も知らない子供だった、という事を理解させられた。それでも、二人の王族と関わる時間は楽しかった。人生に彩が見えてきている。あの時、

 

 アルハザードの言葉に従う様にここへ来て良かった、と、そう思えるようになっていた。

 

 そうやってシュトゥラでの生活が始まると、直ぐに共に学び、遊ぶ仲間は増えた。

 

「―――僕の事はリッドって呼んでね」

 

 黒のエレミア、ヴィルフリッド・エレミア。中性的な容貌をしている彼女は偶々シュトゥラに旅でやってきた所を強盗に襲われそうなオリヴィエを見かけ、助けようとしたところを”腕を使わずにオリヴィエが勝利した”のを目撃してしまい、その流れで知り合う事になった。義手に関連する技術に非常に博識で、そして独特な武術を使用する。クラウスが利用する覇王流とはまた違う、エレミア式の武術をオリヴィエは気に入った。ヴィルフリッドもまたオリヴィエを気に入った様で、オリヴィエの為に義手を作り、そしてエレミア式の武術を教える事を決めた。こうやって、また一人仲間が増えた。

 

 また、そこにもう一人加わる。

 

「リッドはさっさと帰れば?」

 

「相変わらずこの魔女猫は―――」

 

 クロゼルグ、シュトゥラの南部、或いはシュトゥラ全域の”半分”を占める広大な森、”魔女の森”に住まう魔女の一人。システム化された魔導士の様な魔法を使わず、伝統的な方法を持って特殊な術式を行使する魔女の森の民の子だった。オリヴィエや自分が来る前から城に出入りしているようで、度々クラウスの後ろに引っ付いているのが目撃できる、幼い少女だ。

 

 クラウス、己、リッド、クロゼルグ―――そしてオリヴィエ。

 

 シュトゥラにいる四年間、一番一緒に活動し、学び、遊び、そして日常を謳歌したのはこのメンバーだった。そこには今では”尊い”と表現できる日常があったのだ。リッドは義手を与えたオリヴィエに身体操作魔法なしで義手を動かす方法を教え、その横で自分とクラウスは鍛錬に励んでおり、その様子を飴を舐めながらクロゼルグが眺め、笑っていた。

 

 雨の日、野外で鍛錬が出来なくなると城内で茶会でも開いた。みんなで一つのテーブルを囲み、お茶とケーキを片手に中身のないどうしようもない事を話す。たとえば今日、城下町で新しいお店を見た、とか。そんなことを話しながら時間を潰し、雨が上がった後、空に虹がかかるのを眺めたりもした。そういう、何でもない、当たり前の日常が訪れた。

 

 ―――無論、不穏な影は常に見えていた。

 

 

                           ◆

 

 

「……脅迫、ですか」

 

『あぁ、そうだ』

 

 ベルカを囲む諸国が聖王家に対して脅迫を始めた。シュトゥラへと留学してから二年、そういう類の言葉は極力シュトゥラへ、オリヴィエへと聞こえないようにレヴォーグは配慮し、側近である己にのみ、事の話をしていた。そしてついに、本国と諸国の間で緊張感を高める事態が発生し始めていた。弱国を保護し、そして戦争に対しては消極的だった聖王家に対して脅迫が入ったのだ。

 

『連中は戦火を拡大させ、連合で聖王家を潰そうとしている。最近では禁忌兵器の稼働を始めているという話も聞く。此方でもなるべくそういう類の話は握りつぶしたいところだが……規模的にももう無理だろう。そちらの方でオリヴィエが平和に過ごせる様に頼む』

 

「拝承しました。ヴィヴィ様の安全は命に代えても守るのでご安心を」

 

『……ヴィヴィ様、か。昔はオリヴィエ様、としか言わなかったのだけどな。ま、いい変化に見えるし、問題はないだろう。さて、私も頑張るとするか』

 

「お疲れ様です」

 

 そう苦笑し、本国にいるレヴォーグとの通話を切った。レヴォーグは継承権のない王族として、聖王家内でもかなり頑張っている。兄として頑張り、そして王族としても頑張り、上司としても頑張っている。かなり出来た人間だった。レヴォーグ程努力し、そして成果を出してきた人物を己は知らない。それでも、

 

 万能ではない。

 

「―――兄さんから、ですか?」

 

 受話器を置いて振り返れば、そこにはオリヴィエの姿があった。その後ろにはヴィルフレッドの姿もあり、通話内容を聞かれたことに小さな罪悪感があった。故にごまかすように人差し指を上に向け、そして苦笑する様に言葉を吐いた。

 

「そう言えってレヴォーグ様に実は脅迫されていまして……」

 

「ちょっと苦しいってレベルじゃないですね」

 

「コルト君、アウトー」

 

 そのやり取りで幾ばくかの余裕が生まれるが、直ぐにオリヴィエの顔には険しい表情が、不安そうな表情が戻っていた。

 

「コルト、正直に言ってください―――状況はどうなっているのですか」

 

「たとえ戦争が始まろうとそれにはお答えできません。ヴィヴィ様、自分の立場を自覚してください」

 

「……」

 

 オリヴィエ・ゼーゲブレヒトの立場は決して良いものではない。彼女は母から奪うような形で聖王核を生まれ持って保有している上、継承権を持たず、そして聖王家が保有する禁忌兵器である”ゆりかご”に対する適正が低い―――これに関してはレヴォーグ本人が後で教えてくれたことである故、秘密ではあるが知っている。そしてそれ故に、オリヴィエの立場は良くない。シュトゥラへの人質も、最終的にはクラウスと結び付け、シュトゥラと繋ぐための手段だった、と今では思っている。そしてオリヴィエは自分なんかよりもはるかに聡明だった。

 

 この時期、この時点でそれが解っていた。だからその言葉に対してすみません、と小さな言葉を返す。そしてそのまま、背を向けて去って行く。その落ち込み方を見てまた少しだけ罪悪感が刺激されるが、ため息とともにそれを吐き出した。

 

「コルトは色々と損をしていると思うなぁー」

 

「主君のダメな部分や辛い部分を引き受けるのが騎士の役目だろ、リッド」

 

 ヴィルフリッドは割と人懐っこい性格である事もあり、少なくとも飾らずにしゃべる事が出来る程度にはお互い、仲が良かった。故にヴィルフリッドは割と容赦なく言葉を放ってくることが多かった。少なくとも、クラウスとも友であった己だが、それでも一切の遠慮もなく言葉をこの時放てる間柄だったのはヴィルフリッドだけだった。

 

「そりゃあ騎士なんだから当たり前なんだけどさ、だけどそれにしたって君は色々と損をしているよ。オリヴィエの事が好きだったらもっと、こう、ガツン! とやった方が良いんじゃないかな? ただでさえライバルは強力なんだから」

 

「俺がレヴォーグ様に殺される。あと一介の騎士にそんな待望は似合わないよ。レヴォーグ様にも、ヴィヴィ様にも返しきれないだけの恩があるし―――それよりもお前はフリーになったクラウスを掻っ攫っていきたいだけだろ。良かったな、アイツがロリコンじゃなくて」

 

「うん、おかげでそこまで魔女猫の事を警戒しなくてもいいんだけどねぇー。それでもアイツ、偶に目を離すと何時の間にかべったりとしているからね、ホント油断ならないよ」

 

 そう言って。互いに小さく笑い、オリヴィエの向かった方へと歩いて行く。その先、城の中庭ではクラウス、オリヴィエ、クロゼルグの姿があった。オリヴィエが義手を動かして楽しそうに拳を振う姿に、クラウスは苦笑を零し、その背後でクロゼルグはじーっとオリヴィエを見ていた。平和な日常は一体、あとどれだけ続くのだろうか。そんなことを考えながらその光景を眺め、

 

「コルトさ、オリヴィエにプレゼントしたみたいな籠手、作ってあげるよ」

 

「またなんで」

 

「んー……この先、無駄に人を殺さないように?」

 

 ヴィルフリッドのどこか、解った様な、悲しそうな、そんな言葉が印象に強く残った。黒のエレミア、ヴィルフリッド。それは戦闘経験を継承して行く血筋。故にヴィルフリッドは敏感に、その継承された経験から戦乱の気配を察知していたのかもしれない。

 

 そしてこの日常が楽しくて、己は直ぐ傍まで漂う血の匂いを忘れようとしていたのだろう。

 

 

                           ◆

 

 

 だけど現実は甘くない。

 

 その日は普通の日だった。何らかの記念日でもないし、休日でもない。ただ、ただ普通の日だった。

 

 だけどその日、シュトゥラの半分を占める魔女の森は燃やされた。

 

 唐突に飛来した別国の飛行戦艦が魔女の森の上空に出現し、そして砲撃を開始した。その轟音は夜空に響き、そしてシュトゥラの民を震撼させた。聖王家と繋がりのある、同盟国であるシュトゥラへの進行を行うなどというのは正気の沙汰ではない。だがそんなことを当時の人間は、己を含めてだれも考えもしなかった。あったのは”何故”という言葉であり、

 

 そして”怒り”だった。

 

 即座に迎撃の魔導士と騎士による部隊が組まれ、王子であるクラウスも出撃することが決まった。それにクロゼルグの心配をしたオリヴィエは己の出撃許可を下し、そしてヴィルフリッドも参加した。そうやって即座に出撃した魔女の森、

 

 本来は美しい自然が見られるその場所は赤く夜空を彩る様に燃えていた。

 

 ついに、夢と理想に戦火が追いついた。

 

 侵略は、シュトゥラへも伸びた。

 

 即座に出た迎撃の部隊で、戦争が開始された。これ以上魔女の森が、シュトゥラの大地が戦艦に焼かれないように、誰よりも早く大地を蹴って跳躍し、戦艦を殴りつけて一気に揺らし、それをそのまま叩き落とすために拳を何度も叩きつけ、落とした。地上へと視線を向ければクラウスやヴィルフリッドが敵国の兵士や騎士たちと近接戦を挑み、そして殺して行く姿が見えた。侵略者達は領土を広げる為に殺し、そしてシュトゥラの者たちは生きる為に殺す。

 

 狂気がこの場には渦巻いていた。そしてそれを敏感に察知しながらも、

 

 己もまた、人を殺した。

 

 ヴィルフレッドにもらった籠手を―――鉄腕を壊さないように振い、殴りつけ、大量の死を生み出した。それは子供の頃、魔獣の森で魔獣達と戦った感覚とははるかに違ったことだった。生きるために殺し合っているのは全く一緒だったのに、今、こうやって人を殺して、感じるのは吐き気とやるせなさだけだった。欠片も楽しくはなく、そして気持ちが悪い。それだけだった。それでも戦わないとシュトゥラは燃えるだけだった。故に拳を振い、殺し、

 

 そして明け方、空が明るくなる頃には侵略者が皆殺しにされ、戦いが終わった。

 

 結局、魔女の森は地図から消えた。

 

 その最たる理由が”禁忌兵器”の導入だった。爆発する事で数キロ範囲を完全に消失させる弾頭、人を生きたまま溶かす毒、寄生して犠牲者を増やしゾンビ化させる細菌―――そういう、禁忌に指定される兵器が存在する。此度の侵略で利用されたのは大規模火力のものであり、それは魔女の森を一発で8分の1も消し去った。発射されてしまえば逃げる事以外はできない。その為、魔女の森は完全に地図から消える形となった。

 

 クロゼルグは運良く生きていた。

 

 だけど、魔女の多くは死んだ。

 

 明け方、大量の血と火薬が溢れる世界の中で、誰もが返り血に体を真っ赤に染め上げていた。その時、クラウスも両膝を大地につけ、赤い姿のまま何もない、なくなってしまった魔女の森へと視線を向けていた。その姿をヴィルフリッドと共に見ていた。

 

「……クロ……すまない……!」

 

 泣きそうな声でそう小さく呟くクラウスの姿を見て、己の両手を見る。やはり、自分の身と同じように赤く濡れている。

 

 ―――これから日常的に、こうなる。

 

 

 

 

 そして己だけ、帰還、そして最前線送りの命令がやってきた。

 

「俺も直ぐに行く。お前一人だけに戦わせるものか」

 

 クラウスはそう言って友情の証に鉄腕の下に装着できる手袋をくれた。

 

「結局……こうなっちゃったね」

 

 ヴィルフリッドは寂しそうに、まるで予想していたかのようにそう言った。

 

「これが戦場に立つ貴方を守ってくれるように―――」

 

 そしてオリヴィエは騎士として着用する、新たな鎧をくれた。クロゼルグはこの時怪我をしていて、会う事が出来なかった。いや、違う。魔女の森にいる彼女を、友人を助けられなかったという負い目から会う事を自分から避けてしまったのだろう。でも、そうなのだろう。おそらくはこの時なのだろう、

 

 オリヴィエの中で覚悟が出来上がっていたのは。

 

 俺は、命令を無視してでもシュトゥラに残るべきだった。

 

 四年間という充実した、平和な時間をシュトゥラで過ごし、そして現実と戦わなくてはならない時がやってきた。生まれ持った天性の肉体、破壊の才能、それを存分に発揮するべき時が来たのだから。その為にレヴォーグは名前もない子供を拾い上げ、騎士へと仕立て上げたのだから。恩を返す、その為の時が来たのだから。

 

 ―――故に、最前線へと出た。

 

 これ以上暴れるというのであればゆりかごも使用する。そう聖王家は言った。だがその言葉に対して逆上した諸国がシュトゥラへと攻め入ったのが事件の真相だった。そして聖王家が口を出した手前、もはや撤回することはできなかった。聖王家はゆりかごの起動を覚悟し、その準備の為に時間が必要となった。己の最前線への配置換えもその時間稼ぎの為だった。ゆりかごという禁忌兵器、本来は使われるべきではないそれを解放し、そして使用できる最新の状態へと持って行く為の。

 

 だが送られた最前線はやはり地獄だった。

 

 もはや戦争というものではなく、”なるべく多く人を殺す場所”とでも表現する場所だった。

 

 禁忌兵器の解禁に伴い、大地は死んでゆく。人の命は湯水の様に流れて行く。

 

 己にあったのは両手足だけで、政治なんて解る訳もなく、指揮も専門の教育は受けていない。だから己にできる事はその最前線で殴り、蹴り、なるべく多くを破壊する事だった。ヴィルフリッドからもらった鉄腕は予想外に脆かった。それこそ本気で殴ってしまえば壊れてしまうほど。にメンテナンスをしなければ駄目になってしまうというほどに。それに気遣って手加減して殴れば、鉄腕は壊れず、そして偶に人を殺す事もなかった。良い友人を持ったものだな、と会う事の出来ない友人に対して、感想を抱き、戦場へと出た。

 

 そして半年の間に、人をたくさん殺した。拳を通して砕いた骨の感触、肉の感覚、それがこびりついていた。

 

 たった半年の間だったが、その半年はオリヴィエ達と過ごした四年間よりもはるかに長く感じた。起きている間も、寝ている間もどこかで銃声が響く。どこかで爆音が響く。どこかで誰かが死んでいる。今まで見ていた日常とは違う、殺す事だけを目的とした兵器と戦う日常、それを経験して行く心が乾いてゆくのを自覚する。それでも、自分が戦えばオリヴィエのあの平和な日常を守れるのだと、そう思っていた。片思いでもいい、それでも守れるのなら、と、そんな思いで拳を握り、戦った。

 

 戦い続け、

 

 半年が経った。

 

 レヴォーグの召集により、帰還が命じられた。

 

 ―――ゆりかごに乗るオリヴィエの護衛。

 

 それが、与えられた次の命令だった。




 英雄譚とは総じて悲劇で終わるのはそこから学ぶ為。英雄もロクなもんじゃないネ。

 2話目、次回で完結です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。