「なんだ……此処は?」
瑞樹は開口一番、視界に広がっている光景にそう言葉を漏らした。
どこまでも抜けるような青い空。
石作りの床から伸びる先には円形の広場があり、傍らにはコテージが建っていた。
しかし、瑞樹が驚いたのは此処の作りではなく、
『何故? 自分がここに居るのか?』
と言うことである。
エヴァンジェリンに促され、瑞樹は居間から出て一つの部屋へと通された。
その部屋は酷く殺風景で、中央に置かれた丸型のガラス球以外は何も無い部屋だったのだ。
瑞樹はエヴァンジェリンの口にした『実験』といった言葉を思い出し、警戒心を顕にしたのだが、そこで彼女が瑞樹に要求したのは
「其処に立って、ガラスに手を置いてみろ」
といった程度のことである。
瑞樹はソレくらいなら……と、軽い気持ちで手をガラス球へと手を伸ばしたのだが、
気がつくと冒頭のような状態になっていたのである。
「此処に来た瞬間、俺は手を翳した姿勢だった。意識は飛んでいない……筈だ」
エヴァンジェリンに目を覚まされた時とは違う、と、瑞樹は予想をする。
しかしそうなると、この場所には『寝ている間に運ばれた』訳ではないとなってしまう。
「手品的な、イリュージョンとかそういうのか?」
「此処は私の別荘だ」
他に上手い説明が思い付かない瑞樹は、テレビで視るようなモノを思い浮かべたのだが、背後からエヴァンジェリンの声がして振り返る。
すると其処には、エヴァンジェリンと小さな2.5頭身くらいの人形が『立って』いた。
瑞樹は訝しげな視線をその人形へと向けたが、しかし何度目を見開いても人形が立っていると言う事実は変わらないようである。
「ケケケ、ドウシタンダヨ坊主? 何カ変ナ物デモ視エルノカ?」
「……」
更に人形は追い打ちを掛けるように、自ら言葉を発してくる。
エヴァンジェリンの方へと視線を向ける瑞樹だったが、しかしとうの彼女はそんな瑞樹の反応に『ニヤニヤ』としているだけである。
「もう、なんて言うか。色々なことが起こり過ぎて驚けない。普段なら絶対に『人形が勝手に立って、喋ってる!』 とか言って驚くだろうけど」
首を左右に力なく振る瑞樹。
幽霊を見て、光りに包まれ、白い霧に襲われ、今は知らないうちに知らない場所に立っている。今日だけでもコレだけの事が有ったのだ。瑞樹は疲れすぎて反応が鈍くなっているようである。
「フン、なんだつまらん」
「モット慌テルカト思ッタンダケドナ……。御主人ガ色々トヤリ過ギタ所為ダゼ」
「馬鹿を言うな。コイツの心の許容量が狭すぎるだけだ」
思わず溜息を吐きたくなってしまう会話であるが、瑞樹は恐らくは言っても無駄だろうと判断して首を左右にふるだけに留めるのだった。
「それでさ、エヴァンジェリンちゃんだっけ?」
「人を気安く『ちゃん』なんて呼ぶな!」
「気安いって……じゃあエヴァンジェリン、此処は何なんだ? いったい俺をどうしようって言うんだよ?」
段々に突飛な状況やエヴァンジェリンに慣れてきたのか、瑞樹の口調は普段のソレに近くなってきた。エヴァンジェリンは瑞樹の言葉に笑みを浮かべると、
「言ったろ? 実験だとな」
そう言って、スタスタと先に歩いて行ってしまう。
当然、その後を例の人形もヒョコヒョコと歩いて着いて行く。
瑞樹は眉間に皺を寄せて空を仰いだが、
「何なんだろ、今日は」
そう呟くと、先を行く一人と一体を追いかけるのであった。
歩いた先にある広場につくと、エヴァンジェリンは瑞樹の方を見ながら「クククっ」なんて笑い方をしてくる。
「まぁ、実験といっても大した内容じゃない。お前には危機的状況と言う奴を体験してもらうだけのことだからな」
「危機的状況? いや、なんで? わざわざそんな状況になんてなりたくないよ、俺は」
「コレは、お前の身体に起きている異変を識る意味で非常に重要なことだぞ? もしかしたら、それによって幽霊が視えるようになった原因が解るかも知れない」
「む、そう言われると」
幽霊が視えるということは、今の瑞樹にとっては死活問題である。
一番いいのは視えなくなる事なのだろうが、どうしてそうなってしまったのかの原因がわかれば少しは変わってくるかもしれない。
「安心しろ。何も私がお前をどうこうする訳じゃない。お前はここに居る私の従者――チャチャゼロの相手をするだけでいい」
「クケケケ。マァ楽シクヤロウゼ」
エヴァンジェリンに言われて、彼女の足元に立っていた人形――チャチャゼロがズイッと前に出てきて首をカクカクと動かした。
普通に見ているだけでも、十分にホラーである。
「人形の相手ってオママゴトか?」
「ククク、そう取れるなら大したものだがな」
眉間に皺を寄せてエヴァンジェリンに言う瑞樹だったが、
フッ――!
瞬間、視界に捉えていたはずのチャチャゼロがブレるようにして掻き消えた。
「え?」
「モラッタゼ」
次に現れたのは目の前。
鼻先何㎝といった距離である。
しかもあろうことか、いつの間に出したのかその両手には大振りなナイフが握られている。
「うおぉあ!?」
グンッ!
驚きの声を上げながら身体を反らすと、瑞樹はそのままバク転をして横薙ぎに振られたナイフを躱した。
そして
トンッ――と飛び退がるようにすると、ナイフを構えているチャチャゼロに注意を向ける。
「思ッタヨリモ反応ガ良イジャネーカ」
「そいつは図書館島探検部所属らしいからな、並の一般人よりは動くだろう」
「ソレジャア、モウチョットダケ本気デ動クカ」
エヴァンジェリンがチャチャゼロに口添えしているのを、瑞樹は余計なことを――なんて思うのだが、如何せんそんな文句を口にしている余裕も無いようである。
「行クゼ」
「来るなよ!」
ギュンと飛ぶように迫るチャチャゼロは、確かに先程よりもずっと速い。
瑞樹は振り下ろされるナイフを半身になって躱し、上体を反らして避け、場合によっては背中を見せて逃げることで凌いでいた。
とは言え、ソレにも限界があるようだ。
ザクッ!
「がぁ!」
足元から迫ったチャチャゼロの一撃。
それが瑞樹の太腿を軽く裂いた。
服と一緒に薄皮一枚傷つけた程度だが、しかしそれによってジワッと血が滲む。
「注意力散漫ダゼ」
痛みに動きを止めた瑞樹に、チャチャゼロは今度は飛び上がるようにしてナイフを上へと掬い上げる。
「グッ……!」
瑞樹はその攻撃を腕を使って防いだが、当然それによって腕はナイフで斬られてしまう。なんて理不尽なんだ――と、瑞樹はこの時に思った。
「気を付けろよ瑞樹。チャチャゼロはそう見えても、並の達人レベル程度なら簡単に縊り殺す力があるぞ」
「並の達人ってなんだよ!」
ケラケラと笑いながら助言をしてくるエヴァンジェリンに、瑞樹は軽く視線を向けながら文句を言った。だが
「ケケ、隙アリダゼ」
「あ」
意識を向けた時、既にチャチャゼロのナイフは顔に向かって放たれていた。瑞樹はそれを認識すると同時に、その動きをスローモーションのように感じはじめる。
それは先々週の土曜日に、頭上から本棚が降ってきた時にも感じた感覚であった。
つまりは
(死ぬ!)
といった、危機的状況。
今の瞬間は、確かに瑞樹の出した隙だったのだろう。
エヴァンジェリンは、今まさに斬り払われようとしている瑞樹にツマラナソウな視線を向けていた。
(こんなものか……もう少し違う方法を試す必要があるのかもな)
しかし、その内心の考えは途中で遮られることに成る。
チャチャゼロのナイフが瑞樹に触れるか否かといった瞬間
バヂィッ!
「ナッ!?」
瑞樹の身体から淡い光が漏れだしたのだ。
そしてその光によってチャチャゼロのナイフは防がれてしまい、逆に押し返されそうになってしまっている。
「来たか!」
身を乗り出して、声を上げたのはエヴァンジェリン。そしてその声に反応するかのように、瑞樹の額は大きく『開かれた』。
「来るなぁっ!!」
カ――ッ!!
叫ぶように声を上げた瞬間、瑞樹の額を中心にして眩い光が放出される。
それはあの日、頭上から迫る本棚を消し飛ばした時と同じ光である。
違いが在るとすれば、それは――
「む、いかん!」
その威力と範囲だろう。
エヴァンジェリンは慌てた様子で腕を振るい、其処から伸びるように幾つもの幾何学模様をした魔法陣がチャチャゼロや自分の前に展開される。
そして次の瞬間には、瑞樹の発した光が辺り一帯を埋め尽くしていった。
ドグォオオオオオンッ!!!
鳴り響く、耳喧しい轟音。
光が辺りを覆っていたのはほんの数秒にも満たない間だ。
だがその短い時間の間に、周囲の地形は随分と様変わりをしてしまうこととなった。
広場の半分ほどは崩壊して床が落ち、コテージもその余波によって吹き飛んでしまっている。
一応、その場に居た3人は無事のようだが、五体満足とはいえない有様だ。
一番遠くに居たエヴァンジェリンは兎も角として、直近で光を浴びることになったチャチャゼロはその手足の片側が半分ほど吹き飛んでしまっているし、そのうえ多少焼け焦げたようにして、プスプスと煙を吹いていた。
爆発の衝撃によって粉塵や瓦礫が舞う中で、瑞樹はというと、
「なんだ、コレ……」
チャチャゼロに斬り付けられた場所以外は無傷であるが、しかし目の前で起きた光景にただただ驚きを隠せずに居た。
しかも、額には大き開かれた『瞳』が、第三の眼が綺麗に浮かんでいたのだった。
「何なんだコレは!」
何についての叫びなのか? 自身の発した光か、それとも額に開かれた瞳についてか? 瑞樹はエヴァンジェリンに怒鳴るように問いただす。
「どうやら、私の考えは正しかったようだな」
「考え?」
「そうだ。しかしこの破壊力、まさかチャチャゼロに張った私の障壁を、僅かとはいえ貫くとはな、驚いたぞ」
エヴァンジェリンは言いながら歩いてくると、床の上に座った状態でいるチャチャゼロを拾い上げた。脚が片方なくなっているため、立ち上がることが出来ないのだ。
「アー、正直ビックリシタゼ」
なんて、その口調からはそうは思えないが、実際はチャチャゼロは間一髪だったのだろう。しかし、瑞樹が聞きたいことはそういう事ではない。
「エヴァンジェリン!」
「喚くな。ほら、コレで自分の顔を見てみろ」
言って、ヒョイッとエヴァが放ってきた手鏡を受け取ると、瑞樹は恐る恐るといったふうに自身の顔を写して確認をする。
すると其処には見慣れている自身の顔が写っていた。
但し
「――ッ!?」
額の中央には見慣れない、3番目の瞳が浮かんだ状態で。
「これは、鏡にシールが貼ってあるとか」
「なわけがあるか!」
かろうじて軽口を口にするも、エヴァンジェリンは真っ向からそれを否定してくる。
とは言え、
「っ!?」
鏡に写るその第三の瞳は、自分の意志と合わせて確かに動いていた。
瑞樹はその姿に驚き、グラリと足元からヨロメイテしまうが、しかしなんとか踏ん張って唇を噛み締めた。そして険しい表情をしながら、エヴァンジェリンを睨みつける。
「そう怖い顔で睨むな。折角の男前が台無しだぞ?」
「茶化すなよ! お前、俺のコレ、コレについて何か知ってるんだろ!」
ニヤニヤと瑞樹の額に目を向けながら言ってくるエヴァンジェリン。
瑞樹はそれに対して苛立ちを隠そうともせずに、再度大きな声で怒鳴り返した。
「フン、なら教えてやる。心して聞けよ? お前はな、人間じゃあないんだ」
「……は?」
「一応言っておくが、人間性がどうとか言う、くだらない精神論じゃないぞ。私が言っているのは正しく言葉の通り、お前は人間という種族ではないと言っているんだ」
「な、なにを、言ってるんだ?」
真っ直ぐに、唯そうであることを告げるだけの口調で、エヴァンジェリンは瑞樹に言った。それは嘘でもなんでもなく、本当にエヴァンジェリンがそう思っているからの口調なのだろう。
だが、だからこそ瑞樹は目に見えて狼狽え始めた。
「逆に聞くがな? お前の知っている人間という奴は、額に3つ目の瞳があったり、光を放って『こんな事』が出来るような生き物なのか?」
「それは! それは……んな事はないけど」
力なく、周囲へと視線を向ける瑞樹。吹き飛んだコテージや広場、そしてチャチャゼロの手足が目に入って言葉を失ってしまう。
そんなモノでは有り得ないと、瑞樹自身が理解をしているからだ。
「お前は、三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)という妖怪だよ」
「さんじやん、うんから?」
呆然とする瑞樹を他所に、エヴァンジェリンは構わずに説明を続けていった。
聞き返すように瑞樹は反応すると、エヴァンジェリンはコクリと頷いてみせる。
「そうだ。聖地と呼ばれる場所に住まう、不老にして額に第三の眼を持った見目麗しい妖怪。聖魔とも呼ばれ、数千年を生きて強力な術を幾つも使い、不死の術すらも扱う奴らだ。もっとも、300年ほど前に絶滅したと聞いたんだがな」
「300年? ちょっと待て! だって俺はまだ17歳で、それに中学や小学校の時の記憶だってちゃんと!」
「其処までは知らん。お前の両親が三只眼の生き残りだったのかもしれないし、もしくはお前が持っている記憶自体が作られたものである可能性もあるからな」
「そんな、記憶を作るなんて――」
「不可能ではないさ」
鼻を鳴らすエヴァンジェリンだが、しかし実際に記憶の操作というのは可能なことであった。魔法を使う者達は、『ソレは世界から隠さねばならない』と考えており、万が一知られてしまったときはその記憶を魔法によって封印する事に成っているのである。
その逆に、当然封印された記憶に齟齬が出ないように穴埋め、要は記憶を作ってしまう魔法だって存在する。それを考えれば、瑞樹がそう思っているだけの記憶などどうやって保証できるというのだろうか?
「まぁ、私が言った記憶云々に関してはただの可能性だ。あまり気にすることじゃない。だがな、お前が妖怪だということは避けようのない事実だぞ」
「俺が……妖怪。三只眼」
「そう気を落とすな。妖怪だといっても、そんなに悪いものじゃないぞ? ただ普通の人間よりも肉体的に強くて、氣や魔力が高くて、そして不思議な力を振るうことが出来るというだけのことだ」
「一般的ニハ怪物ダケドナ」
目に見えて落ち込む瑞樹に、エヴァンジェリンは一応のフォローをしたのだろう。
しかし、それでも人間ではないという事実は、瑞樹にとってはかなり重たい物であったようである。
そのうえ追い打ちを掛けるチャチャゼロの言葉に、瑞樹の気持ちは下降一直線になった。
「何にせよだ。お前が三只眼だと言うのは先ず間違いはない。記憶に関しては何とも言えないが、自身のことを早めに知っておくのは悪いことではなかろう。少なくとも10年~20年経ってから知るよりもずっと良い。言っただろ? 三只眼と言うのは不老なんだ。周囲の知り合いが年老いていく中、一人で若い姿のままで居れば間違い無く奇異の目で見られることに成るぞ」
妖怪だという事実に落ち込んだ瑞樹だったが、エヴァンジェリンの言葉には『成る程』と納得ができた。何も知らず、ただただ普通の暮らしをしていた場合はどうなるか?
勿論、10年や20年はなんとか平気かもしれない。しかし、ならその先はどうなる? 30年先は? 40年先は? 考えただけでもゾッとしてしまう。
そういう意味では、今のような早い段階で自身のことを知れたのは良いことなのかも知れない。しかし
「それでも……出来れば知りたくはなかったよ。俺は」
俯くようにして言う瑞樹。
その表情には、もはや元気の欠片も残されては居ないように見えた。
「割り切ることだな。そういうモノだと受け入れてやっていくしか無い。私も普通の人間ではないが、そうしている」
「エヴァンジェリンも?」
「私は三只眼ではないがな」
エヴァンジェリンはそう言うと、ヒョイっとチャチャゼロを自身の頭の上に載せた。
その際に「モット丁重ニ扱エ御主人」と、チャチャゼロから抗議があがった。
「今日は此処に泊まっていけ。お前の力で半分ほど吹き飛んでしまったが、使える部屋も残っては居るだろう」
「泊まって? あー、うん。正直疲れたから有難いけど、良いのか?」
「無理やりに招待したんだ、それくらいは面倒見るさ」
エヴァンジェリンはそう言って僅かに笑みを浮かべると、クルリと背中を向けて半壊したコテージへと向かっていく。
瑞樹はその姿を見送りながら、力が抜けたかのようにしてその場にドカッと座り込んだ。
「人間じゃない……か」
思ったよりも重い言葉だと瑞樹は思っている。
しかし今の自分は額に現われた瞳によって、普段とは物事の捉え方が違っていることも同時に感じていた。
「視界が広がったっていうのかな、コレは」
言いながら、額の正面に手を持ってくるようにする瑞樹。
そしてそのまま、バタン! と後ろに倒れ込んだ。
大の字になって空を眺める瑞樹は
「どうーなるんだ、俺」
と、どうして良いのかも解らずにボヤく。
グルグルと頭のなかで色々な考えが錯綜するが、そうしている間に瑞樹の額の瞳は再び閉じられていくのであった。