魔法先生ネギま―三只眼變成―   作:ニラ

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01話

 

 翌日。

 

 時間は午後、一般的に放課後と呼ばれるような時間である。

 昨夜に麻帆良学園都市へと侵入した多数の妖魔たち。その妖魔の迎撃を行った教師陣や生徒たち、いわゆる『魔法先生』や、『魔法生徒』呼ばれる者達が一同に会していた。

 

「昨夜の見回り、皆ご苦労じゃったな」

 

 グルっと周囲を見渡して、その中でも最年長であろう容姿をした人物、麻帆良学園の学園長を務めている近衛近衛門が口を開く。

 その労いの言葉に、この場に集った者達は軽く会釈するように頭を下げて返事とした。

 

「残念ながら敵の召喚士には逃げられたようじゃが、召喚された妖怪は皆の働きで殲滅することが出来たようじゃ。しかし……一つ気がかりなことがある」

 

 学園長は其処まで言うと、生徒側に立っているタカミチに目配せをして見せる。タカミチはそれを受けると、軽く首を頷いて他の関係者へと向き直った。

 

「昨夜、僕が殲滅した妖魔たちの集団なんですが、最後の一匹を還したあとに割れた試験管が1つだけ残されていました」

「試験管?」

「はい。周囲には何かしらの溶液が飛び散っていて、中に何かが容れられていたのは確実だと思います」

 

 魔法教師の一人が聞き返すようにすると、タカミチは昨夜の出来事を掻い摘んで説明をする。

 妖魔たちを殲滅してから、最後の一匹がそれを持っていたこと。試験管自体は割れてしまっていて、中身は存在しなかったことをだ。

 

「何かしらの毒という可能性はありますか?」

 

 スッと、手を上げて一人の女性が質問をしてくる。

 茶色がかった長い髪の毛をした、眼鏡を掛けた美人である。

 その佇まいとピンと伸びた背筋から察するに、随分と礼儀正しい人物のように見える。

 彼女の名前は神撫 刀子(かんなで とうこ)。少し前に関東に居る業界人――要は魔法使いと結婚をし、コチラに引っ越してきた京都出身の退魔師である。

 

 神鳴流という退魔専門の剣術を収めた女性で、恐らく手に持っているのは彼女愛用の刀であろう。

 

「一応は溶液の方の分析はしたが、解ったのは植物などの保存溶液ということじゃった」

「保存溶液……ですか?」

 

 刀子は首を傾げて聞き返すと、それに対して別の人間が動きを見せる。

 それは彼女の隣に居た一人の男性であった。

 

「それじゃあ、其処から先は僕が説明しますよ」

 

 刀子はその声の主、神撫 護(かんなで まもる)に視線を向けると、「あなた?」と言葉を漏らす。……そう、この男が神撫 刀子の、旧姓葛葉 刀子(くずのは とうこ)の結婚相手である。

 

 自身の妻に声を掛けられた護だったが、柔和な笑みを刀子へと向けるとスタスタ学園長の元へと歩いて行った。

 そしてその場に集まった者達にクルッと身体を向けると、大きく響くような声で説明を始める。

 

「さて、それでは皆さん、此処から先は私が説明をさせてもらいましょう。……と言っても、解ったことなんて大した内容じゃないんですがね」

 

 大きく手を振って話し始める護。

 彼は白衣を身に纏っているため、動く度に白衣の裾が左右に揺れる。

 

「昨晩、学園長に叩き起こされましてね。 いや、新婚夫婦の夜を邪魔するとは何を考えているのかと思ったのですが、とは言え仕事ならば、それも仕方が無いと思いまして、渋々出掛けたわけですよ」

「ちょ、アナタ!」

「まぁまぁ、刀子。少し静かにしなさいな。――で、学園長の指示に従って現場に向かった訳ですが、高畑くんの報告に有った『何らかの溶液』ですけど、これは毒だのといった物騒なものでは有りませんでした」

「それでは、中に入っていた物は一体何だったのか解ったのかね神撫君?」

 

 勿体ぶった言い方をする護に、学園長は続きを促すようにして口を挟んだ。護は、もしかしたらそういった合いの手が欲しかったのかもしれない。楽しげな表情を浮かべると、スッと肩を竦めてみせた。

 

「さぁ? 正直何が入れられていたのかは良く解りません。ですが溶液の方は、まず間違いなく植物保存用の液体ですよ。もっとも中に何が入っていたのか? 何を保存していたのか? までは、残念ながら解りかねますがね」

 

 と、言うと護は「もし詳しい成分表が知りたい方が居るのなら仰って下さい」と締めくくり、再び刀子の隣へと戻っていった。

 

「可能性としては、この麻帆良学園に存在する何らかの植物を採取していったということじゃが、その場合に一番考えられるのは中央広場に立つ世界樹『蟠桃』じゃな」

 

 学園長の言葉に、数人の生徒や教師が同意するように首を縦に振る。

 世界樹蟠桃(ばんとう)

 麻帆良の土地に古くからそびえ立っている、全長200mオーバーの巨大樹である。

 

 この樹は土地を流れる地脈の上に立っており、その中に大量の氣を溜め込んでいると言われているのだ。しかし

 

「ですが学園長。仮に世界樹の一部を奪ったとして、それをどうするというのでしょうか?」

 

 と、一部の魔法先生から質問が上がる。

 とはいえ、学園長もそれには同意見のようである。

 顎先に手をやると、長く伸びた髭を何度も撫で付けるようにしている。

 

「ふむ、それは確かにその通りじゃ。よしんば世界樹を培養できたとしても、世界樹が今のような働きをしているのは此処の土地柄的なものも大きく左右するからのぉ。仮に培養が上手く言ったとしても、そんじょそこらに植えるくらいでは唯の樹と変わりはあるまい」

「昨日の召喚者は、単純にそれを知らない……ってことではないですか?」

「うむ、可能性としてはそうかなのも知れんのぉ」

 

 疑問を口にしていた学園長をフォローするように、護はその可能性を口にする。

 世界樹蟠桃とは麻帆良の土地に根付く樹木ではあるが、それと同時にこの地に根を張っている組織、関東魔法協会が保護すべき対象でも在る。

 

 一般の人間は勿論として、それ以外の――要は同じ業界人でも、組織が違えば蟠桃の情報は抑えこむことにしてあるのだ。

 

 それならば、世界樹に関しての中途半端な情報を仕入れた者が、それを欲したとしても何ら不思議ではなく成る。

 

「とは言え今現在言えることは、何者かが蟠桃を手に入れようとしている可能性があるということじゃ。皆、それを心に留めて今後も警備に当たって欲しい」

 

 学園長は其処で言葉を締めくくると、その場に集まった魔法関係者たちは揃って「はい!」と返事を返しその場はお開きとなった。

 皆がゾロゾロと大会議室から退室していくが、学園長とタカミチだけはその場に残ったままである。

 

 タカミチは完全に他の者達の気配がなくなるまで待つと、学園長に向かって問いかけた。

 

「学園長。先程は仰いませんでしたが、もう一つ可能性は有りますよね?」

「何者かが、試験管に入っていた物を取り寄せた可能性じゃな」

「はい」

 

 タカミチは、先程の学園長の説明で感じた違和感を聞いてきたのだ。

 確かに、先ほどの説明は問題は無さそうな説明である。

 世界樹蟠桃

 世界中にも似たような樹木が幾つか存在しているが、それらの中には蟠桃のように魔法使いが警護していない物もある。狙うならばむしろ、そちらの方が容易いはずだ。

 

 となると、どうしても先程の世界樹を――といった理由では弱く感じてしまう。

 ならば次に持ち上がる理由が、あの試験管が外から運び込まれた物ということだった。

 

 それが、学園長とタカミチが感じている疑問である。

 だがそうなると

 

「ですがその場合……」

「それをしたのは儂らの身内、と言うことになるんじゃろうな」

 

 二人は互いに大きく溜息を吐くと、少しでも早い物事の解決を願うのであった。

 

 

 

 7月10日

 

「あー、クソ。此処じゃなかったか」

 

 大小様々な本棚が存在し、上から下までどれ程の階層と蔵書を有しているのかも解らないマンモス図書館。通称『図書館島』。

 麻帆良学園設立当初から存在し、今尚その蔵書を増やし続けている麻帆良学園都市の中でもとりわけ不思議な場所の一つである。

 

 その図書館島の中で、零すように言葉を漏らしたのは誰あろう天宮瑞樹である。

 地図を片手に、目の前で通せんぼするように立っている本棚に対して愚痴を言っているのだ。

 

 瑞樹が何をしているのか? と言うと、それはまぁ探検である。

 

 先程も言ったように、図書館島とは冗談のように大きく、巨大で、深くて、広い。

 その為……という訳ではないのだろうが、図書館内を探検するといった部活が存在するのだ。その名も素敵、『図書館島探検部』といったまんまのネーミング。

 

 中学から大学まで同様の部活が存在し、皆が皆で図書館島を制覇しようと躍起に成っているのである。

 

「うーん。やっぱり一つ前の本棚を左だったのかな?」

「一つ前の本棚は、前回に左へ曲がっただろ」

 

 口元に手をやって考える瑞樹に、後ろから声をかけてくる人物が居る。

 瑞樹より頭一つくらい小さく少し小太り気味の、眼鏡を掛けた少年である。

 

 名前は木枯優太(こがらしゆうた)と言うのだが

 

「そだっけ? っつか、途中でアドバイスくらいしてくれよポン」

 

 瑞樹からはポンと呼ばれていた。

 彼をポンと呼ぶ理由は、瑞樹が彼を見た時にタヌキ――ポンポコを想像したかららしいのだが、本人にはそれを言えては居ない。

 

「だってさ、アドバイスとか言うまもなく、お前ってばドンドン進んじゃってるからさ」

「いや、だからそれを止めなきゃだろ!」

 

 肩を竦めて言うポンに、瑞樹はツッコミをバシバシと入れる。互いに笑いながら接するその態度は、恐らくこの二人にはよくある日常的な出来事なのだろう。だが

 

「ゲフォッ!」

「あれ?」

 

 その日は何かが違ったようだ。

 瑞樹が軽く振ってポンの胸元を叩いたのだが、何故かポンは蹲って痛みに耐えている。不思議そうに首をかしげた瑞樹だったが、何が原因であるのかは解らなかったようだ。

 

「え? なに? 新しい芸風か何かか?」

「アホか! 力入れすぎだっての!」

「ええッ!?」

 

 ガバっと顔を上げて文句をいうポンの台詞は、まぁ普通ならば一番最初に思いつきそうな内容であった。しかし瑞樹はやはり、不思議そうに首を傾げると

 

「力、入ってたかな?」

 

 と、首を傾げるのであった。

 結局此処に来るまでに2時間以上を費やして居たため、この日はコレ以上の探索を断念することにした。もっとも、来るのに2時間掛かったからといって、帰りも2時間とは限らない。この図書館島、どういう訳か道の至る所に様々は罠が仕組まれており、図書館島を探検するということはそれらの罠を掻い潜って先に進むということなのである。

 

 そのため一度きた道をただ戻るだけならばさして時間は掛からず、2時間の道程も凡そ40分といった所だろう。

 

 もっとも、この図書館島の不思議なところは『一度解除した罠が、次の日には復活している』と言う所なのだろうが。

 

 瑞樹もポンも、中学の頃からこの部活に参加をしている。

 二人共に、それほど目を見張る能力が在るわけではない。至って普通の男子生徒だ。ピョンピョンと飛ぶことが出来るわけでもなく、障害があればそれを避けるか何かし無くてはならない。その為、二人の探索は過去に探索された場所を倣っていくことがほとんどなのだが、それでも流石に数年間も同じ事を続けていれば慣れても来る。

 

 危機察知能力ということに関しては、それなりの精度を手に入れた二人なのであった

 

「なぁ、ポン」

「ん? なんだよ瑞樹?」

 

 巨大な本棚の上を走りながら、瑞樹は横にいるポンへと声を掛けた。

 ポンは走る速度を緩めること無く、視線を向ける

 

「いや、なんかさ。今日の俺って変じゃないか?」

「は?」

 

 何言ってるんだコイツ?

 とでも言いたそうな表情を浮かべるポンだが、しかし瑞樹は思ったよりも真剣な表情をしている。ポンは瑞樹の問に「うーん」と唸った。

 

「……俺には判らないけどな。実際、何処が変だって感じるんだよ?」

「いや、俺にもよく解らないんだけどさ」

「なんだそりゃ?」

「こう、なんて言うか額の辺りがモヤモヤするっていうか」

 

 自身の額をコツコツと、指で突っつきながら言う瑞樹。

 ポンは瑞樹の額をジィっ探るように見つめてみる。

 

「どう?」

「どうって、別に何ともなってないぞ? 風邪でも引いたんじゃないのか?」

「そうかなぁ……」

 

 ポンの言葉に曖昧な返事をする瑞樹。しかし、実際のところ瑞樹も額に何もないことは解っている。手で触った感覚もそうだが、鏡を見ても特に何も可怪しな所はなかったのだ。

 

 しかし、それでもである。

 瑞樹は自身の額に、奇妙な違和感を感じていた。

 まるで其処に何かが在るような、何かが其処に居るような感覚を。

 

「まぁ、なんだ。よっぽど気になるんなら病院に行ったほうが良いんじゃないか?」

「病院か……あんまり好きじゃないんだよな」

「好きな奴はそうそう居ないよ」

 

 心配してくれているのだろうポンの言葉に、瑞樹は眉間に皺を寄せて返した。

 額の違和感は確かに在るものだが、結論としてあまり悩んでも仕方が無いと考えるようにしたのだろう。

 

(本当に風邪でも引いたのかもしれないしな)

 

 なんて思うことにしたのだった。

 とはいえ、内心でそう思いながらも、とても病気になったとは思えないほどに身体には力が漲っているのだが……。瑞樹はそれを無視することにしたらしい。

 

 もっとも、その力の漲りも、そして額に感じる違和感も、本当は瑞樹の身体に現れ始めた異変の一つなのであるが、この時の瑞樹にはソレが解らなかった。

 

「ん? ちょっと待て、ポン」

「待てって、今度は何だよ瑞樹?」

 

 ふと、瑞樹は走っていた脚を止め、周囲に視線を走らせる。

 

「嫌な予感がする」

「嫌な予感? ……だって、此処に来るまでの罠は、全部解除したんだぜ?」

「静かに」

 

 口元に手をやって、ポンの口を閉じさせる瑞樹。

 シン……とした静けさが周囲に満ちて、余計な雑音と同時に雑念が消えていく。

 感覚が鋭くなっていくのだ。

 

「……」

「……」

 

 互いに言葉を少なく辺りの観察をし始める。

 だが、どうやら瑞樹の感じた『嫌な予感』とは、罠の類ではなかったらしい。

 

 ズ……ズズズズゥウ!!!

 

 突如襲った振動。足場を揺らす鳴動。

 それは

 

「じ、地震っ!?」

「オマ、こんなの防ぎようが無いだろうが!」

 

 バランスを取るのも困難な地震に、二人はその場で膝をつき身動きが出来なくなってしまう。

 

「嫌な予感てのは合ってただろうが!」

「んなことで威張るな! この阿呆!」

 

 その場に蹲りながら罵り合う二人だが、しかしその間に地震は徐々に治まってきた。

 グラグラと揺れる足場――というか、本棚のことだが。

 よくもまぁ、倒れなかったものである。

 

「……収まったか?」

「どう、だろうな」

 

 地震の影響だろうか、幾分誰も居ないはずの周囲が騒がしく感じる。 しかし揺れ自体は収まったらしく、足場の不安定さはなくなっていた。

 

「ふぅ、兎も角、今日はさっさと出たほうが――」

「瑞樹! 上!」

「へ?」

 

埃を払うようにして立ち上がった瑞樹だったが、急にポンが大声を上げた。

瑞樹は不思議そうに視線を上へと向けると、

 

「んなぁ!?」

 

 其処には眼前に迫る巨大な本棚が在るのであった。

 

「瑞樹!」

 

 死ぬ。

 

 瞬間、瑞樹は今までの短い人生の中で、唯の一度も感じたことのない感覚を確かに強く感じていた。

 

 ユックリと自身に迫ってくる重量物。

 

 実際は決してユックリと迫っている訳ではないのだろうが、この瞬間の瑞樹にはその光景が細部までハッキリと感じ取ることが出来ていた。

 

 本棚が瑞樹に直撃しようかというその瞬間――

 

 カッ――!!

 

 ドバァアアアン!!

 

 瑞樹を中心にして放たれる眩い閃光。

 そしてその後に上がった爆音。

 

 瑞樹に迫っていた本棚は、その瞬間に粉々になって消えていった。

 

「え、な……なんだ?」

 

 瑞樹も、そしてポンも、たったいま目の前で起きたことに対しての処理が追いつかない。

 もう駄目だと思えるような、状態だったのだ。

 降ってきた本棚は、優に瑞樹の数倍はあろうかといった大きさで、直撃すれば怪我では済まない重量が有ったことだろう。

 

 だが、パラパラと舞う埃と本や棚の切れ端、そして周囲にバラ撒かれた破片から察するに、その巨大な重量物は一瞬で消滅してしまったらしい。

 

 眼をパチクリとさせながら、しばし呆然としている瑞樹とポン。

 

 やがて舞っていた埃や本の切れ端などが落ち着いてくると、瑞樹はその視線をポンへと向けた。

 

「その、運が良かったのかな?」

「あ、あぁ。多分、そうなんだろうな」

 

 目の前で本棚が消滅するといった珍事であったが、二人はそうとしか言うことが出来なかった。互いに無言でいた二人だったがしかし何時までもこんな処に居る訳にも行かないだろう――と、言葉も少なく図書館島から出ることにするのであった。

 

「ふいー、やっぱりお陽様は良いな」

「夕日だけどな」

 

 図書館から出て、外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ瑞樹とポン。

 館内で不思議な出来事に遭遇した二人だったが、こうして空気の入れ替えをすると気分転換に繋がっているのかもしれない。

 とは言え、流石に気疲れが完全に抜けた訳でもないようで、幾分無理をしたような表情を浮かべている。

 

「なぁ瑞樹、俺は真っ直ぐ部屋に帰るけど、お前はどうする?」

「うん? ……そうだな、俺は――」

 

 ポンに声をかけられた瑞樹は、ふと言葉をそこで区切った。

 正直な所、瑞樹も先程の出来事によって精神的に疲れてしまっている。身体の方は元気なのだが、どうにも気持ちが付いてこない。

 そのため、ポンと同じようにさっさと部屋に戻るつもりだったのだが、ふと、偶々向けた視線の先、そこに映っている奇妙なモノに眼がいったのだ。

 

 靄がかかったような、何かが其処に居るような変な感覚である。

 

「なぁ、ポン。あそこ、なにか見えないか?」

「は? 何が」

「いや、だからソレが何か聞こうとしてるんだけど」

 

 眼が可怪しくなったのだろうか? と、瑞樹は隣にいるポンに尋ねてみることにした。

 指をさしてその方向を示すも、ポンはその方向がよく解らないのか首を捻っている。

 

「何処のことだよ? あそこってのが何処か判らねーぞ?」

「あそこだって、屋根の上」

 

 瑞樹は自身の指差す方角、詰まりは屋根の上を言っている。

 其処には西洋風の傾斜を持った赤い屋根が見え、瑞樹の視線には確かに奇妙な靄のようなものが見えていた。しかも、それはなんとなく何の形をしているのかが解るような気がする。

 

 しかし

 

「俺には何も見えないぞ?」

「え?」

 

 隣に居るポンからの返答は、瑞樹の予想とは違うものだった。

 思わず視線をポンへと向けた瑞樹は、怪訝そうに表情を変えて再び屋根へと視線を戻す。だが

 

「消えた?」

 

 今度は、瑞樹の視界からも先程の靄のようなモノは消えていた。

 屋根の上にフワフワと、人間サイズの何かが浮かんでいたのだが、しかし今はどれほどジッと視線を向けてみても同じものは全く見えてこない。

 

 ……眼の病気だろうか?

 

 昨夜は早く寝たはずだけど――なんて事を考えて、眉間に皺を寄せる瑞樹であった。

 

「お前さ、疲れが溜まりすぎてるんじゃないの?」

「あーうん。そうかも」

「ま、あんな事があった後だもんな」

 

 友人を心配してか、ポンが瑞樹に声をかけた。

 流石にあんな、一生のうちにも早々無いような事に巻き込まれたのだ。本人が言う以上に疲れが溜まっていても不思議ではない。

 

(やっぱり、思ったよりも疲れてるのかな?)

 

 首を傾げた瑞樹だったが、その次の瞬間に

 

 ぐぅぅぅ

 

 丁度いい具合に腹がなる。

 瑞樹は腹をさすって、少しばかり恥ずかしそうに「タハハ」と苦笑を浮かべた。

 ポンはそんな瑞樹に対してニヤリと笑みを浮かべる。

 

「しょうがねぇな。そんな疲れてるお前に、今日は俺のスペシャルディナー作ってやるよ」

「ぃやだよ。お前のスペシャルって、全部辛いだけじゃないか」

「味が引き立つだろうが!」

「お前のは辛さが引き立ちすぎてて、食うと痛いんだよ!」

 

 二人は互いにやいのやいの言いながら、寮のある区画へと去っていくのであった。

 そうして10分もしないうちに、瑞樹は先ほどみた不思議な靄の事は気にしなくなってしまう。まぁそれは、別に瑞樹の記憶力が悪いという事ではないのだが、ソレはまた後ほど。 

 

 去っていく瑞樹とポンの二人を、遠く背後から眺めるようにしている人影がある。

 ソレこそが瑞樹の見ていた靄の正体なのだが、その人物は去っていく瑞樹を見つめながら

 

(今の人……私のことが見えてたの、かな?)

 

 と、そう誰にも聞こえない声で自問自答をするのであった。

 

 

 


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