「なあ、何ですぐに行かないんだ?」
酒場を後にしたセロたちだったが、屋敷に向かわずにビュエルバの武器屋に寄っていた。店に入ってからすでに数十分は経っており、ダガーや長剣が並ぶ棚を吟味するバルフレアとバッシュの後ろ姿を眺めながら、手持無沙汰になったヴァンは隣に立つセロに問いかける。
「会えないからだ。お偉いさんってのは準備に時間がかかるものだからな」
「ふーん」
「分かってないだろ」
それほど興味がなかったのかヴァンは質問したにも関わらず、生返事を返しながら近くの棚に並んだロッドを見ている。その姿を見てセロは軽く肩を落としながら呟き、ヴァンを睨みつけた。
第六話 オンドール侯爵邸潜入②
「これが丁度良い、か」
「ああ、これならばそこまで戸惑いは少ないだろう」
購入する品を決め、バルフレアは見本の武器の隣の壁にぶら下げられていた、値段が書かれた札を持ってカウンターへと近づく。会計をバルフレアに任せたバッシュは、振り返った先の光景に呆れた表情を浮かべた。
「……なにをしているんだ?」
「しつけ」
バッシュの視線の先には、無表情でヴァンの頬をつねるセロと、つねる手を外そうともがいているヴァンの姿。会計を済ませ戻ってきたバルフレアは二人を見て一瞬歩みを止めたが、やめさせようとしないバッシュに理由を察し、流すことにした。
「それを買ったのか?」
「まあな。セロ、ちょっとお前の剣を貸せ」
「ああ、かまわないけど……ほら」
バルフレアの手に握られた武器、『棒』に視線を向けるセロ。バルフレアは軽く頷き、棒を手に持ったままセロへと手を伸ばす。セロは腰のベルトから長剣を外し、バルフレアの手に乗せた。
すると、受け取った剣をバルフレアは何故かヴァンに渡す。
「え?」
「ヴァンはこれからこの剣を使え。セロはこの棒だ」
「な、なんでそうなるんだ!」
ヴァンはぽかんとした表情で受け取った剣を見つめる。バルフレアが渡そうとする棒を押しやって拒否しながら、セロは慌ててバルフレアにくってかかった。
「体力ないのに剣を使っている方が問題なんだよ」
「セロにはもっと軽い武器の方がいい。最初は戸惑うだろうが、使い方なら私が教えることもできる」
しかし力のないセロが銃使いとはいえ荒事に慣れた――素手でもごろつき程度の武器持ちの相手を倒せる――バルフレアに敵う訳もなく、棒を押し付けられて嫌そうな表情を浮かべていた。その様子を面白そうに見ているバルフレアと、真摯に説得しようとするバッシュにセロは不貞腐れた顔を向けた。
「教えると言ってもな、そう簡単に武器は変えられないぞ」
「今のうちに変えておいた方がいい。この手を見れば、君がどれほど修練を重ねたかは分かる。――半年でよくぞあそこまでの腕を得たものだ」
バッシュはセロの右手を取り、手のひらを上に向ける。男にしては白く滑らかな甲の皮膚とは違い、何度も肉刺が潰れたのだろうそこは、ひどく皮膚がひび割れ、硬質化していた。セロが回復呪文を使えることを考えると、通常であればよりひどい状態であったと予想できる。
「君には剣の才能があるのかもしれない。だが、このままでは体力がつく前に君は命を失うぞ」
「そんなことは――」
「分かっているのだろう? 君は致命的に体力がない、前衛には向かないということを」
バッシュの真剣な眼差しを避けるように、セロは視線を床に向けた。確かに、セロがモブ狩りなどで足を運ぶ地域には、彼の腕よりも強いモンスターも多くいる。それほど強くない魔物だけのルース魔石鉱でも、彼はすぐに息を切らせてしまった。
弟分のヴァンよりも貴族であるラーサーよりも、遥かに体力のないセロがこれからも前衛を続けるには、不安要素が強すぎた。
「ヴァンもそれなりの腕になっているしな。魔力も高いんだから、あんたは後ろで攻撃魔法でも使っていた方がいい」
「――使えないんだ」
「なに?」
俯いてしまったセロを励ますように、バルフレアは声の調子を軽いものに変えて彼の肩を叩く。視線をバルフレアに向けたセロだったが、困った表情でポツリと呟いた。
「私は、攻撃魔法が使えないんだ。正確には、回復魔法以外全部使えないというか」
気まずい表情で目を泳がせるセロを、妙なものを見る目を向ける一同。目の錯覚か、彼の額に光るものを見たバルフレアは、米神を揉み解すとセロに向かって手を差し出した。
「ちょっとライセンスボード見せろ」
セロはポシェットから折りたたまれた薄い板を取り出し、バルフレアに渡した。これはライセンスボードといって持ち主の習得した技能を記したものだ。個人の何かしらの情報が登録できるらしく、習得が完了した技能は自動的に色がつくという代物だった。
バルフレアはセロのライセンスボードを広げ、数秒じっくりと見た後にヴァンたちにも見えるように裏返した。
装備品のエリアはともかく、技能エリアの左上の魔法欄は、白魔法以外――いや、『回復魔法』以外の魔法名が暗く潰れたままだった。
白魔法のレベル1には『初級回復魔法≪ケアル≫』と『視力回復魔法≪プラナ≫』があるが、これは魔法を学び始めて一番初めに習得できる魔法になる。もちろん一番最初なので、魔法のアイテムを持っていれば、十歳を数えるころには誰でも習得することができる。
ところがセロの場合、『初級回復魔法≪ケアル≫』は習得できているが『視力回復魔法≪プラナ≫』は文字が暗くなったままになっていた。
「これは、見事なくらいに魔法エリアが空欄だな」
「その人の性質によっては、習得できない技能は確かにあるけれど……それは上位の技能であって、下位の技能ができないというのは初めて聞いたわ」
バッシュの言葉にフランは頷き、ライセンスボードの習得済みの魔法を指でなぞる。他に習得できているのは、複数回復魔法≪ケアルラ≫のみで、セロの使える魔法は現在二つだけだった。
「剣を選んだのは、これが原因か」
「武器の中では一番応用力があって攻撃力が高いからな。安いし」
「武器(エモノ)を値段で決めるな」
ライセンスボードを折りたたむバルフレアの隣で、セロが手を差し出しながら頷く。たたまれたライセンスボードがセロの頭に直撃したのは言うまでもない。
「とにかく。セロの武器は今後は軽いものを選ぶ。つまり棒だ」
「私に決定権は?というか、ナイフも軽いぞ」
「ない。ナイフだと今と変わらないだろ、アホか」
「セロが使っていた剣……、大事につかうから!」
バルフレアは頭をさすっているセロが落とした棒を拾い、反論は認めないとばかりに棒を彼に突き付ける。いまだしぶっていたセロだが、剣を抱えたヴァンの妙にきらきらとした視線を受けて、諦めたように肩を落として棒を受け取った。
店の外に出ていくバルフレアとヴァンを見送ったあと、フランは落ち込んだ様子のセロの背中にそっと手を添える。セロが顔を上げると、わずかに口角を上げたフランの顔が目に入った。
「『息子たち』は心配なのよ、『お母さん』」
「……『娘』は心配してくれないのか?」
「もちろん、心配よ。『お父さん』もね」
「後で使い方を教えよう。なに、君ならすぐにできるようになるさ『お母さん』」
楽しそうな表情に定着させようという二人の本気が見え、セロは苦笑いを浮かべるしかなかった。
* * *
武器屋を出たセロたちは、他にもアイテムや防具を揃え装備を整えたあとオンドール候の屋敷に向かった。荘厳な門の前に立つ兵がセロたちに気付き、一礼する。
「話は伺っております。オンドール閣下のもとへご案内いたしましょうか?」
「ああ。頼む」
「承知いたしました。閣下は日没まで公務がございますので、それまで邸内でお待ちいただきます。私についてきてください」
バッシュが頷くのを確認して、兵士は門の内側に立つ同僚に目配せする。ゆっくりと重そうな響きを立てながら門が開き、声を掛けた兵士の先導にセロたちはついていった。
「日没って、まだ会えないのかよ」
「な、時間がかかるって言っただろう」
通された一室で兵士が礼をして出て行くと、柔らかいソファーの感触に居心地悪げに座りながら、ヴァンは隣に座ったセロに拗ねたように言う。
「こうしている間にもパンネロが」
「四男坊自ら保護しているんだ。俺たちよりも丁寧に持て成されているはずさ」
細かい刺繍がされたソファーに座り、兵士が用意していった紅茶に口をつけつつバルフレアは言う。
「大人しく待っているんだな。暇ならセロに話をせがめ」
「おい」
「そうだ! そういえば聞きそびれてたけど、今回のモブ退治はどうだったんだ? 随分、時間がかかっていたみたいだけど」
落ち着かない様子のヴァンに呆れたのか、バルフレアがセロを指差し子供(ヴァン)の相手を押し付ける。ティーカップに手を掛けようとしていたセロに顔を向け、ヴァンは覗き込むようにして話を催促した。
わくわくという擬音がよく似合いそうなヴァンの様子に、セロは苦笑を浮かべるとティーカップへ伸ばしていた手をひっこめた。
「まったく……ああ、私はサポートで討伐に着いていったのだが、そのモブが砂嵐が激しいときにしか出てこない奴でな。現場にたどり着いたはいいが、これでもかと天気がよくて……見つけた後は早かったんだがなあ」
「へー。サポートってことは今回は素材集めだったんだ?」
「素材集めとは?」
「仕事用のな。私のモブ討伐の大半はこれが目的だ」
セロはポーチから石を取り出すと、見やすいように指でつまんだ。
魔物を倒した後、はぎ取った素材や見つかったアイテムをおたからと呼ぶ。その中には魔力を帯びた石も含まれ、それぞれの属性のミストを発している。割合小さな魔力しかないものを「石」、それよりも多く魔力を含むものを「魔石」と呼ぶ。
「魔石、いや魔晶石か。売るんじゃないのか?」
「加工するんだ。私の本業は装飾職人でね」
セロが持っているのは、砂漠で採れやすい風の石や風の魔石ではなく、それより上位の風の魔晶石だった。これは石に魔力が帯びたのではなく、魔力――ミストそのものが結晶化したものだ。
どんなに小さなかけらの魔晶石でも最低価格160ギルでどの店も買い取ってくれるが、強力な魔物がミストに惹かれて集まり、すぐに飲み込んでしまうこともあって貴重かつ見つけにくい。そして倒した後にその魔物を解体しなければならないので、専用の道具が必要になる。
彼の手の中にあるのは大きな飴玉ほどの大きさ。ここまでくると、富豪位の資産家でないとお目にかかれないほどの代物になる。
セロは魔晶石をポーチに仕舞い、今度は別のポケットから装飾品を取り出した。テーブルに置かれたのは赤い火の魔石が埋め込まれた首飾りと、緑の風の魔石が埋め込まれた耳飾りだった。二つの装飾品は共に金属製ではなく、木材に細かく装飾が施された台に魔石が埋め込まれている。首飾りは細いチェーンではなく、細かく織られた紐で台座とつなげられている。
「これは……見事だな」
「はは、ありがとう」
魔石以外に鉱物を一切使用しないそれは、物珍しさもあるが金属のそれよりも柔らかい印象を受ける。その出来栄えにバッシュが感嘆の声をあげると、セロは照れたように頬を掻いた。
その様子をバルフレアはじっと見つめていたが、おもむろに手に取った耳飾りを窓から入ってくる光にかざし、埋め込まれた魔石の部分を覗き込んで息を呑んだ。
「――おいおい。セロ、あんた『オリバー・シモレット』かよ」
「オリバー、って誰だよ」
「ここ半年で急激に知名度が上がってる職人の名前だ。既存の効果にはない装飾品を作れるってことで、あちこちで商人が買いあさった結果、今では相当高値が付いている」
「うそっ!」
楽しそうに耳飾りを眺めるバルフレアだったが、作った本人(セロ)の驚きの声に視線を耳飾りから彼に移した。
「なんであんたが一番驚いてんだ」
「元値が低いからだ。――後できっちりトマジと話す必要があるな……」
自分の作品に高値が付いてることが本気で初耳だったようだった。恐らく知っていて黙っていただろう仲介役(トマジ)に、セロはとりあえず一発殴ることを心に決めた。
「でもよくわかったな、木彫りとはいえ特徴的な造形をしているわけでもないが」
「デザインはな。ただ、全ての作品で光を当てると、このマークが浮かぶようになっているんだ、分かる奴にはわかるさ」
バルフレアが指差した部分を、ヴァンが覗き込む。
「あ、なんか削ってある」
「これは花か?」
「ああ、『ウメ』という」
透き通った魔石の奥に丸い小さい円が一つと、それを囲むように配置された少し大きい円が五つ。確かに花に見えなくもないとヴァンは納得した表情を浮かべる。
「ウメねぇ……花にはある程度詳しいつもりだったが」
「クッ、なんか納得できるなぁ」
「なんで? バルフレア男だろ」
きょとんとした表情のヴァンを複雑な表情で見つめる三人。小さい頃に両親をなくし、周りの協力を得ながらも兄と二人で生き延び、終戦後の二年間スラム暮らしをしたとは思えないほど、ヴァンはその手の話に疎い。
純粋なのはいい、だがここまでくると世間知らずというよりも、男としてどうなんだとバルフレアは肩をすくめる。
「ヴァンにはまだ五年は早いかな」
「なんだよそれ」
セロの生暖かい視線と、無言で肩を叩くバッシュに、なぜか怯んだヴァンだった。