「よく寝ているわね」
「図太い神経の持ち主だってことはわかっていたが、いい加減起きろ」
「……いたい」
頭に軽くない衝撃を感じて、セロは目を開けた。彼の視界に入ったものは、近くにある金色と拳を握ったバルフレアの姿。恐らく彼の頭を殴ったのはバルフレアであろう、後ほど仕返しをすることを心に決め、セロはぼんやりとした頭で周りを見回した。そして、自分が手を置いているのはバッシュの肩であり、未だ彼に背負われたままだということに気が付いた。
「おはよう。そしてごめんなさい」
「気にすることはない。……立てるか?」
「ああ」
バッシュは腰を屈め、セロを地面に下ろした。バッシュの背から手を離した途端、よろめいたセロの肩をバルフレアが咄嗟に支える。未だ体力が戻っていない彼の様子に、バルフレアは顔を曇らせた。
「アンタがそこまで体力がないとは思わなかった。――無理をさせて悪い」
「いや、同行を願い出たのは私だし、言わなかったのも私だ。こちらこそすまなかった……今はどうなっている? ヴァンはどうした?」
頭を横に振り、今度はしっかりと地面に立つセロ。近くにヴァンの姿がない事に気付き、何故か微妙な表情を浮かべているバルフレアたちに疑問を覚えながらも尋ねる。
じっと見つめてくるセロの視線から一度目を逸らして、バルフレアは今までの経緯を話し始めた。
第五話 オンドール侯爵邸潜入①
ヴァンたちがルース魔石鉱の入口に辿りついた時には、ラモンはすでに外に出ており、その小さな背の向こうには魔石鉱へ入るときにすれ違った、ジャッジマスターの姿が見えた。ヴァンたちは柱の陰に身を隠し、そっと日の当たる入口をのぞき見る。
「また、供の者もつけずに出歩かれたようですな。ラーサー様」
歩いてくるラモン――いや、ラーサーに向き直り、咎めるような口調でジャッジマスターの男は声をかけた。ラーサーは何も答えずに、ジャッジマスターの横に居る金髪の少女――パンネロに視線を移す。
「ひとりで魔石鉱から出てまいりまして――よからぬ連中の仲間ではないかと」
「私は、さらわれてきた――」
「控えろ」
ジャッジマスターの言葉に顔を上げたパンネロが不可抗力なことだったと訴えようとしたが、掛けられた冷たい声音に肩を震わせる。
「ひとりで出てくるのが疑わしいのなら――私も同罪でしょうか?」
ラーサーは自分の体をジャッジマスターとパンネロの間に移動させ、穏やかな口調で厳めしい鎧兜を見上げた。ジャッジマスターが何も返せずにいると、ラーサーは今度はオンドール侯爵に向きなおる。
「ハルム卿、屋敷の客がひとり増えてもかまわないでしょうか」
「ははぁ……」
「ジャッジ・ギース。あなたの忠告に従い――これからは供を連れてゆくことにしましょう」
オンドール侯爵は少し思案した後、ラーサーの意見を受け入れる。それに微笑みを浮かべ、ラーサーはパンネロの手をとって市街地の方へと歩き出した。
「――困ったものですな」
気ままに行動するラーサーの後ろ姿を見つめて、ジャッジ・ギースは淡々と呟いた。
「よろしく、パンネロ」
「あっ、はい……」
パンネロの手を引きながら、ラーサーはにこやかに声を掛ける。何がどうなっているのか、何故自分の名前を目の前の少年が知っているのかと、混乱気味のパンネロは曖昧な返事しか返せなかった。
一方、階段を上っていく二人の後ろ姿を見つめていたヴァンだったが、戸惑った表情を浮かべて壁の背に隠れてしまった。
「なんでパンネロが――何考えてんだよ、ラモン」
遠目ではあったが、パンネロはラモンに手を引かれて嫌がる様子もなかった。彼女が拒否をしなかったのは混乱していたからなのだが、それを鈍感なヴァンが思い至るはずもない。先ほどまで一緒にいた、知ったはずの少年と幼馴染の少女が一緒に居る姿は、とても自然だったことが何故か気に障る。
「ラモンじゃない。ラーサー・ファルナス・ソリドール。皇帝の四男坊――ヴェインの弟だ」
「あっ、――あいつ!」
「大丈夫。彼、女の子は大切にする」
「フランは男を見る目はあるぜ」
俯くヴァンを黙って見ていたバルフレアだが、さらなる事実をヴァンに突き付ける。それにヴァンは慌てるが、フランが腰に手を当てて否定した。バルフレアが軽い口調でヴァンを安心させるように言うと、少年は落ち着きを取り戻した。
「行き先はオンドールの屋敷だな。問題は、どう接触するかだ」
「侯爵は反帝国組織に金を流してる――そっちの線だな」
少し気の抜けた空気をバッシュが目的を言うことによって引き締める。帝国兵の姿が完全になくなることを確認して、ヴァンたちは魔石鉱入口の階段を上っていった。
「セロ、起きないな」
階段を上る途中、バッシュに背負われたセロに視線を移し、ヴァンが小さな声で呟く。剣を武器(エモノ)としている割にはあまり筋肉のついてない細身の体は、背負っているのが元将軍のバッシュということもあり、ひどく頼りない印象を見る者に与える。
「よほど疲れていたのだろうな」
「疲れているだけだよな? ちゃんと、起きるよな?」
「ヴァン?」
「起きて、笑ってくれるよな……?」
バッシュの相槌に力ない声で呟き続けるヴァンの表情は、どこか遠くを見ているかのように虚ろだ。『セロがもう起きないのではないか』という考えは、兄であるレックスに姿を重ねているのであろう。縋るようにセロの服を掴む手は、ヴァンにとってセロが少年を保つ重要な支えであることを示していた。
「当たり前だ。起きなきゃ俺が叩き起こすからな」
「バルフレア……」
「大丈夫だ、ヴァン。少し休めばすぐ目を覚ますだろう」
「……うん、そうだよな」
軽い口調のバルフレアたちに、ヴァンの気分も浮上する。恐らく、家族の一人が保護されているとはいえ簡単に会えない場所に居ることと、何かとヴァンをフォローするセロがまるで死んだように眠っていることで不安定になっているのだろう。
バッシュは後ろを歩くヴァンを意識しながら、ゆっくりと再び階段を上りだした。
「オンドール侯は二年前、私が処刑されたと発表した人物だ。私の生存が明るみに出れば、侯爵の立場は危うくなる」
「侯爵を金ズルにしてる反帝国組織にとっても、面白くない事態だろうな。『バッシュが生きてる』ってウワサを流せば、組織の奴が食いつくんじゃないか」
階段を上りきったあたりで、バッシュは立ち止り振り返る。同意を返すバルフレアも同じく立ち止り、どのように噂を流すか思案しているとヴァンが元気よく提案した。
「だったら、オレが街じゅうで言いふらしてくるよ。こんな風にさ」
ヴァンは一つ咳をすると、自らを指差し堂々と声を出した。
「オレがダルマスカの、バッシュ・フォン・ローゼンバーグ将軍だ!」
周囲に居る住民が何事かと疑わしげにヴァンを見る。その視線に気づいているのかいないのか、ヴァンは自信満々にバルフレアたちに向き直った。
「どうだ?」
「……まあ、目立つのはたしかだな」
実に脱力した声の返事だったが、ヴァンは気づかない様子で嬉しそうに拳を握る。
「よしヴァン、お嬢ちゃんを助けるためにもやれるだけやってこい。できるだけ人の多い場所でな。オンドール侯爵と接触できるかどうかはお前次第だ。オレたちはここにいる、何かあったら戻ってこい」
「了解! セロのこと頼むな!」
バルフレアが街を指差し畳みかけるようなスピードで言うと、ヴァンは頷いて手を振りながら駈け出していった。その様子後ろ姿を眺めていたバルフレアとバッシュに、フランがぽつりと呟く。
「……恥ずかしかったのね?」
「ヴァンはすごいな……」
「できるかんなこと……」
羞恥心に耐えられなかった大人たちは、体よく少年に役目を押し付けたのだった。
* * *
話を聞き終わったセロは、じっとりとした視線をバルフレアたちに向けた。
「――そんな目で見るな。拙い作戦なのはわかってるさ」
「しかし、他に方法も思い浮かばなかったのだ」
苦い表情で口ぐちに言う二人を、眠りこけていたセロが非難する権利はない。寝起きのせいではない頭の痛みに米神を揉み解していると、フランが顔をあげて通りを見つめた。
「時間的に、そろそろじゃないかしら」
「ああ、どうやら……引っかかったようだしな」
彼女の視線の先には様々な装束の男たちに囲まれ、連れて行かれるヴァンの姿があった。
「追いかけるぞ」
バルフレアの小さな声に全員頷き、距離を取りながら後をつける。辿り着いた先はどの街にもある酒場だった。
「酒場ねぇ……王道だな」
「酒場か……ビュエルバ魂がほしいな」
「後にしろ」
* * *
「あら、いい男」
「おいおい、俺らもいい男だろうがよ?」
「殴られて顔が腫れてなければねぇ」
「がははは、それ素顔じゃねえか!」
酒場の中に入ると、カウンターの中に居た店員の女が、セロたちを見て目を丸くした。その理由をセロは後ろのメンバーの顔の良さと判断する。バルフレア然りバッシュ然り……なかなかお目にかかれない美形な上、フランも種族がビュエラともあり珍しい。
酔っ払いをあしらう店員に困ったような笑みを見せ、セロはカウンターに近づいた。
「連れが悪戯やらかして酒場に連れて行かれたって聞いたんだが……銀髪の少年を見なかったか?」
「なんだアンタ、あの坊やの保護者?」
浮かべていた笑みを呆れた表情に切り替え、店員は保護者(セロ)を見据える。
「しっかり見といて貰わなきゃ困るよ。あいつ等いつもピリピリしてるんだから」
「すまないな。今どこに居るかわかるか?」
「奥の部屋に居るよ。――ねえ、通してあげなよ」
店員の視線の先には、扉の前に立ちふさがっているバンガの男がいた。男はセロたちを一瞥すると、軽く頷き扉の前から体を動かした。セロたちは観察するような男の視線を感じながら、少し薄暗い扉の奥へと入っていった。
「ケッ、やっぱり別人か。タチの悪いイタズラしやがって!」
短い廊下を挟んだ先、酒場の物置となっている部屋とは異なり、重厚な扉を誂えた場所から苛立った声が聞こえる。
「ただのイタズラならいいが、そこらのガキがローゼンバーグ将軍を名乗るとは思えん」
先ほどの声とはまた違う声音。内容からしてヴァンがいるのはこの部屋で正しいようだった。
「締め上げて背後関係を吐かせろ。最近、帝国の犬がかぎまわってるからな」
「あんたらの組織と侯爵の関係をかい?」
不穏な台詞が聞こえた瞬間、バルフレアが扉を開けて部屋に入った。その素早さは同じく扉を開けようとしたセロが、ノブを掴もうとした手のまま呆気にとられたほど。彼に続いて扉をくぐったフランが一瞬微笑みを浮かべているのを見て、セロは弟分がかなり青年に気に入られていることに気付き、口端を釣り上げた。
「街のガイドを隠れミノに諜報活動か。酒場の奥がアジトとは、また古典的だねえ」
「なんだてめえら!」
「待て!」
照明用の魔石で照らされた部屋の中を見回し、バルフレアは中に居る人間の顔を頭に入れる。軽い口調の言葉に苛立ったのか、近くにいたバンガの男がバルフレアに掴みかかろうとする。バルフレアも構えようとしたとき、部屋の中央、椅子に座っている男が制止した。
「あんたは――」
男はセロたちを凝視していた。正しくは、部屋に入ってきたバッシュの姿を見て、組んでいた腕を外し椅子から立ち上がりかける。
「本当に生きていたのか――!」
ゆっくりと近づいてくるバッシュを見て、驚愕に固まっていた男は一つ息を吐いて落ち着きを取り戻した。浮いた腰を再び椅子に下ろし、楽しそうな笑みを浮かべ再び腕を組む。
「いかにも裏がありそうだったが、まさか本物のご登場とはな。このことを侯爵が知ったら――」
「さて、なんと言うかな。直接会って聞いてみたい」
バッシュと男の視線がぶつかり、沈黙が部屋を満たす。先に視線を逸らしたのは、座った男のほうだった。
「――どうすんですかい、旦那」
「致し方あるまいな」
男が視線を左に移し、声を掛ける。答えたのは奥に座っていた身なりの良い、レベ族の男。ゆっくりと立ち上がり、落ち着いた表情でバッシュを見つめた。
「侯爵閣下がお会いになる。のちほど屋敷に参られよ」
レベの男はそれだけ言うと、部屋の外へと出て行った。
「ん? そこのお前……セロか?」
その後ろ姿をセロが見送っていると、後ろから声を掛けられた。振り返った先に居たのは椅子に座っている男のみ。首を傾げてセロが男に近づくと、見知った顔だったことに気付く。
「あ、もしかしてハバーロか?」
「やはり、セロか! 何故お前がここに」
「いや、まあ」
先ほどまでの不敵な表情がどこに行ったのか、立ち上がって目を丸くした男――ハバーロにセロは詰め寄られて一歩後ろに下がった。
「知り合いか?」
「モブ討伐の依頼主だ。会った場所はビュエルバじゃないけどな」
セロの意外な交友の広さに、バルフレアが眉をひそめる。それを見てセロは苦い笑みを浮かべた。別に反帝国組織の一員と知って知り合ったわけではないことを暗に告げると、納得したのかバルフレアは少し表情を緩めた。
それに気付いているハバーロだったが、親しげな笑みを浮かべてセロの肩を軽く叩く。セロも同じように肩をたたいた。
「驚いた。お前がここに居るのも、ローゼンバーグ将軍に同行しているのもな」
「まあ、事情があるんだよ」
「詳しくは聞かんよ。前に言っていた弟たちは元気か?」
「もちろん。ビュエルバ中を走り回っていただろう?」
楽しげなセロの笑みにハバーロは一瞬思案するが、ゆっくりと傍らにいた少年――ヴァンに視線を移し何か言いたげな表情を浮かべた。
「……そいつが弟か」
「ああ」
「まあ、なんというか、少し想像と違うな」
「そうか?」
言葉を選んでいる様子のハバーロに、不思議そうな顔をするセロ。その光景を見て。ハバーロの気持ちがよくわかったバルフレアは、ひとつため息をついてセロに声を掛けた。
「おい、いくぞセロ」
「――悪い、また会おう」
「お前が何に巻き込まれているのかはわからんが、気をつけてな」
「それはこちらの台詞だ」
「く、違いない」
死んだはずの将軍と行動を共にしているセロと、反帝国組織の重要な位置にいるハバーロ。どちらともに物騒な事件に違いはなかった。
お互いに苦笑を浮かべた後、セロは自分を呼ぶヴァンの元へと歩き出した。