白の青年   作:保泉

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第十四話 《過去》信頼

第十四話 《過去》信頼

 

「ヴェイン様が?」

「はい。供も連れずにこちらへ向かわれていらっしゃるとのことです」

 

 書類を捲る手を止め、ジャッジ・ギースは秘書の言葉に顔を上げた。元老院──年齢の高さと持つ知識だけは上の方々──に多々横やりを入れられてはいるが、ヴェインは皇位継承第一位の身分に比べてフットワークが軽い。姿が見えないと思えば、いつの間にか自室でカップを片手に執務をしていたりする。皇子自身も非常に才のある武人でもあるため、ジャッジ『程度』なら余裕で巻いてしまうのが第三皇子付きの兵士達の悩みであった。

 

「これは、ヴェイン様。このような所まで足を運ばれるとは──お呼びくだされば参りましたのに」

「なに、ついでのようなものだ。私もたまには動かねば、身体が鈍ってしまうからな」

 

 公安総局、第十三局にあるジャッジ・マスターの執務室、応接用のソファーに座ったままヴェインはにこやかに言った。反対側に断りを入れてから腰を降ろしたジャッジ・ギースは、紅茶を持ってきた副官に目配せをする。副官は一礼した後、執務室を退出した。

 

「早速ですまないが……卿に訪ねたいことがあるのだ」

「なんなりと」

「装飾品に関わる事件など耳にしていまいか?」

「窃盗でしょうか?」

「そうではない、職人の行方がわからなくなった、ということはあるかな」

 

 扉が閉まる音の後、発せられたヴェインの問いかけに、ギースは顎を擦りながら思案する。

 表面上は穏やかに微笑んでいるジャッジ・ギースであったが、内心は驚愕していた。ヴェインが常に纏っている皇子の余裕が、今の彼から全く感じられなかったからだ。

 いや、誰もが気づく程ではない。一般兵や通常のジャッジから見れば、頼もしい次期皇帝陛下のままであろう。だがジャッジ・マスターたるギースからすれば、今のヴェインはひどく焦っていることは明白だった。

 

「そうですな──最近ですが、若手の装飾品職人の姿が見えないといくつかの申し入れがありました。当人だけでなく、身内の姿も消えているようです」

「そうか──」

「ですが、その消えた職人の作品は今でも市場に流れているのです。それも、新作が」

 

 消えた職人が片手で収まらなくなっているというのに、行方不明の発覚が遅れたのは新たな作品だけは出回っているからだった。

 

「生存はしている。だが──」

「自由はない。恐らく、監禁されているのでしょうな」

 

 引越をしたと楽観的に考えるには、いなくなった理由が不明にすぎる。

 

「職人の身内で、行方不明になる前に職人が帰らぬと近隣の住人にこぼしていた者もいるようです」

「人質か」

「営利目的等略取及び誘拐、利益恐喝、傷害罪も入りそうですな」

 

 すらすらと質問に答えるジャッジ・ギース。ここまで滑らかに回答出来るのは、件の犯人をすでに見つけているのだろう。数日後にはヴェインの介入がなくとも、捕らえる手はずにまでは準備が整っているはずだ。

 

 ヴェインは小さく息を吐く。今の彼には、その数日の時間が惜しかった。

 

「被害者の迅速な救出をお願いする」

「……珍しいですな、閣下がそのように対応されるのは。よほどの要人ですか」

「ドクター・シドの友人だが、非常にセンシティブな立場の者だ。──ロザリアあたりには知られたくない程には、な」

「……なるほど、それは要人です」

 

 外敵である軍事国家ロザリア帝国に見つけられてはいけない人物。知られてはいけない、しかし命が失われてもいけない。可能な限り心身に傷をつけることも避けたい人物。

 

 ダルマスカやビュエルバの解放軍でもなく、ロザリアにと指定される点を推測すれば──おそらくは、ナブラディア王家の者。彼の王家とロザリア帝国は盟約を結んでいたため、王家の血筋が生きていると知れば、必ず神輿として担ぐ。

 

「被害者は、我が国には隔意はあるのでしょうか」

「本人が自身の生まれを知らない故に、ない。少しばかり思うところはあるようだが、解放軍に身を任せることは確実にない。

 ──彼女に似て、優雅な暮らしよりも、民の安寧を心から喜ぶだろう」

 

 セロは知らない。エレンと名乗る友人が、初対面から彼の正体に気づいていたことを。親しかった人物と瓜二つの彼を、身分を利用してまで気遣う理由を。

 だがその理由ゆえに、必要に迫られない限り彼はエレンとしか名乗らない。

 

「後は任せる」

「──御意」

 

 斯くしてジャッジ・マスターは動き出す。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「人質……」

「あのアホ貴族はタダで装飾品が欲しいんだ。愛人に夢中な奥方に貢ぐためにね。でも職人って奴らは大抵かなりの頑固者でしょ。無理やり誘拐したのはいいものの、作ることを拒否する奴ばかり──だから脅すのさ」

 

 僕らを使ってね、と嘲る少年の声を、セロは呆然とした表情で受け止めた。少年の言葉は、彼にとって信じられるものではなかった。手ずから作成した装飾品を売ったのは、ここ数か月の間で、しかも片手の指で足りる程度。職人というには駆け出しにすぎる彼が、まさか有望などと言われて攫われる羽目になるとは、想定外だった。デザインもメイン素材に木を選択しているため、帝国貴族に目を付けられるような、彼らが好むような繊細な見た目とは程遠い。何故だろうかと彼自身の作品を思い浮かべてみると、一つだけ変わった作品を作ったことを思い出した。

 体力回復効果のあるネックレスではあるが、その効果を体全体に行き渡らせるのではなく、一部に留まらせられることはできないかと試行錯誤し完成した──肩こり治療効果のあるネックレス。

 

 いやまさか、と否定してみるものの、それ以外に思い当たる作品がない。他は一般的な呪文の効果のそこら辺に売っているものばかり、変わった効果で貴族男性に受けそうなモノに心当たりがない。シリアスな雰囲気の少年の隣で、どの世界でも机仕事に共通する悩みに気づいてしまい、遠い目をするセロ。牢屋にいるというのに、現在の彼の中から緊張感がすっかり失せていた。せめて美容関連の装飾品を作っていたのなら、多少は誘拐にも納得がいくというのに。

 

「お兄さん連れてこられたばかりだし、まだ身内は捕まっていないだろうけど──時間の問題だね」

「身内」

「親とか、兄弟とか、恋人とか。攫われた時点で普段の行動を把握されてる。家も特定済みだよ」

 

 少年は、きっぱりと言い切りながらも、セロの様子を窺うように目を細めた。先ほどからの情報提供といい、やや棘がある言葉選びではあるが、根は優しい少年なのだろう。セロは、こんな暗い牢屋の中での小さな気遣いに、微笑んだ。

 

「それは、きっと大丈夫だろう」

「……冗談じゃないんだけど?」

「君が嘘を言っているとは思っていない。ただ、私の身内と知り合いは、ちょっとばかり荒事が得意なんだ」

 

 きっと元気に返り討ちしていることだろう。セロの言葉に、怪訝な顔をしていた少年は、だといいけど、と顔を反らした。

 

 

 * * *

 

 

 

「よーし終わったぁー!」

 

 木箱を運び終えたヴァンが、歓声とともに大きく伸びをした。相方となっていたトマジも、ぐるぐると肩を回している。トマジからの恒例のおつかい仕事ではあるが、昼食の奢りを報酬に、ヴァンは酒場で使用する食材の荷運びを手伝っていた。

 

「手伝いありがとな、ヴァン」

「いいって。飯おごって貰ったし」

「じゃあ次の仕事なんだが……」

「まだあんのかよ!?」

 

 昼メシだけじゃ割に合わない、と憤るヴァンをなだめるトマジ。彼は笑いながらヴァンの後ろから両肩を押して、狭い路地を移動していく。

 

「なあ、押さなくてもわかったって!」

「いーや、ちゃんと手伝ってくれると聞くまで離さねぇ」

「手伝うから!」

「よしきた」

 

 パッと唐突に手を離され、ヴァンはくらりと体勢を崩す。恨めしげに睨めつける彼に、トマジはからからと笑った。夕食もおごってやるからと、背中を叩いて促せば、ブツクサと文句を垂れながらヴァンはのしのしと歩き出した。

 そんな人の良い彼に笑みを浮かべ、右手に伸びる路地に視線を向ける。潜んだ人影に向かってトマジが小さくつぶやけば、影は頷き、更に奥へと消えていった。

 

「トーマージー! なにしてんだよ、早く終わらせるぞ!」

「おっと、やる気満々だなぁ、ヴァン! 俺の分までいけるか?」

「ふざけんなー!」

 

 ゆっくり歩くトマジにじれたヴァンが、通りの向こうで手を招いている。それにカラカラと笑いながら、二人は酒場の裏口へ入っていった。

 

 すっかり太陽が地平に沈んだ数時間後、店の裏口から空になった木箱をトマジが通路に運び出していると、通路の影から一人のバンガが近づいてくる。

 

「──トマジ」

「終わったかい?」

「ああ。縛り上げて突き出してきた。連中、ご丁寧にホワイトリーフなんぞ持っていたからよ」

「はぁ、迂闊すぎないか?」

 

 トマジが呆れた声を出したのも無理はない。帝国一般市民の証明となるホワイトリーフは、金銭での取引もしくは情報の対価として手に入れることができる。一枚二万ギルもするため、周到にヴァン達を嗅ぎ回るならず者──ましてや他国のヒュムが持つようなものではない。想像ではあるが、ダルマスカだけでなく帝国の膝元でも被害が発生しているはずだ。それであるならば帝国占領下とはいえ法は法、袖の下を受け取る兵士が多いことは確かだが、子供の誘拐となれば真面目に対応してくれる兵士も少なくない。

 

「帝国民が、わざわざダルマスカのスラムの子供を狙う。解せんな」

「いーや、想定通りさ。狙いはセロだろうからな」

「ミゲロが保護した奴か、やんごとない出だと噂があったが……事実か?」

「さあね、何せダラン爺さんが口止めしてるんだ。詳しく追及する阿保はいねえよ……あの馬鹿の仕事関連だろ。いったい何に目をつけられたんだか」

 

 セロの仕事、装飾品の作成技術は今では商品になる品質まで向上している。先日、わくわくした顔でミゲロの手伝いのついでに、制作した装飾品を再び売ってみると話していた。その顔があまりにも幼く無邪気で、こいつ一人で他国に向かわせて本当に大丈夫なのかとトマジはあらためて心配になった。まあ、実際彼の予想通りだったのだが。

 

「いまごろ、あの馬鹿はとっつかまっているだろうな」

「帝都となると、俺たちが介入することは難しいぞ」

「必要ねえよ。アンタは、パンネロの方だけ頼む」

 

 ヴァンさえ守っていれば問題ない。パンネロには、今日はごろつきが多いから、店の中から出てこないように言い聞かせている。セロについては、自分達ダルマスカ人が手を出せないということもあるが、それ以上にアイツの変人たる『ご友人』が何もしないわけがない。

 

「まあ、帰ってきたら説教だがな」

 

 こう、コメカミのあたりをぐりっと握り拳で押してやろう。――だからちゃんと帰ってこいよな。トマジは頭を掻きながら店内へ戻った。

 

 

 * * *

 

 牢の先住である少年に、これ幸いと色々話を聞いていたセロと、少年のセロを見る目がひどく優しいものに変わってきたころ、ギィ、と錆びついた金属がこすれる音が聞こえてきた。

 続いて、ガシャガシャと音を立てながら階段を下りてくる様子に、少年が馬鹿貴族の手下じゃないよ、といぶかしげにつぶやいた。

 

「今まで、鎧を着てこんな狭い場所に来なかったんだ」

「貴族の手下にも兵士はいるだろう?」

「無理だよ、貴族個人が戦力を持ったら捕まるから」

 

 少年曰く、帝国貴族は護衛を一時的に雇うことはあっても、常時雇用することはない。アルケイディア帝国において兵力とは軍部と皇帝直属軍である親衛軍のみ。貴族の邸宅の護衛も軍部がまとめて務めているため、不要ということもある。しかし、貴族の手下ではないからと言って、味方であるとは限らない。セロと少年がひっそりと息をひそめていると、徐々に鎧の音は彼らがいる牢に近づいてきた。

 

「――いたぞ! 牢の鍵をこっちに」

 

 閉められたドアの小窓から覗いていたのは、少年の言う通り帝国兵の兜であった。

 

「オリバー・シモレット殿で間違いございませんか」

「はい、その名前は私の仕事名で間違いありません」

「ご無事でよかった。今、扉を開けますので少々お待ちください」

 

 鍵を開けているのか、ジャラジャラという音の後に、何かが外れるような音がして、ゆっくりと閉められていた扉が開いていった。

 

「お怪我はございませんか」

「私は何もされてはいませんが、少年が私より前に閉じ込められていて――」

「少年、ですか……他の牢にいるのでしょうか?」

「え……?」

 

 帝国兵の問いかけに、セロの表情がこわばる。他の牢にいるのかって、自分の後ろにいるあの子が見えるだろうと。冗談かとまじまじと帝国兵を見つめていたが、徐々に困惑した様子の彼に、セロはゆっくりと後ろを振り返った。そして、そこで少年を見た。諦めたように苦い笑いを浮かべる、壁の模様がうっすらと透けた姿を。

 少年は、セロよりもずっと前からこの牢にいたという。帝国兵の言葉を信じるなら、セロが入れられている牢以外にも、複数牢屋があるようだというのに、セロは少年と同じ牢に入れられていた。当初は牢の数が足りないのかと思っていた、だが、それが少年が“もういない”のであれば。

 

「見えてないよ。見えるはずがない。むしろ、お兄さんが変なんだよ──僕の身体は、とっくに朽ちてしまってる」

「そんなことって」

「お兄さん、一つだけそこの兵士に聞いてみてくれない?」

 

 儚い笑顔の少年の願いを受けて、セロは扉の先の帝国兵に、声が震えないように気を付けながら、少年の質問を告げる。

 

「あ、の……ひとつ、聞いても」

「はい、自分でわかることであれば」

「バルディという装飾職人は、無事ですか」

「バルディ……ああ、はい。シモレット殿はこちらに閉じ込められていましたが、他の装飾職人たちは個々の作業部屋に軟禁されていまして。全員無事です」

 

 お知合いですか、という声に、ええ、まあ、と返事をしながら、セロの目は少年から反らさずにいた。

 

「よかった。僕はここから動けなかったから、生きているか確認できなかったんだ」

「君は、ここに閉じ込められて……死んだのか」

「まあね。水すら寄こさなかったから当然じゃない」

 

 他の装飾職人の身内も、もう死んでるだろうね。その言葉に、セロは顔を覆い、暢気な思考をしていた自分を恥じた。自分は運がよかった。身内を守ってくれる人がいて、自身も助けてくれたであろう友人がいて。運よく、結果的に失わずに済んだだけのことだった。

 この世界では命が軽い。それは知っていたつもりだった。でも、知っていただけだった。セロにとって、自らの才能を手に入れるために、大事な人の命が狙われるなど考えもしなかった。自身の欲のために誰かの命を奪える存在を、理解していなかった。

 少年のような被害者は、この世界ではよくある話なのだろう。この子供は終始自身の処遇を嘆くことはなかった、運が悪かったとも言わんばかりにあっけらかんとしていた。それは彼の強さでもあるのだろうが、セロはそれを強いと認めたくなかった。

 

「ん、もう時間なさそう」

「姿が薄く……」

「未練がなくなったしね、やっと楽になれそう」

 

 徐々に薄くなる小柄な姿に、引き留めようと思ったのか、セロの手が延ばされる。その表情は歪み、今にも泣きだしそうな彼を見て、少年が困ったように笑った。泣き虫だね、とつぶやきながらポケットを確かめると、セロに向かって手を差し出した。

 そのまだ小さい手の平の上には、少し粗さは見えるものの、彫りの美しい黒ずんだ指輪があった。

 

「これあげるよ。兄さんが僕に作ってくれた、装飾品の指輪。僕には、もう使えないし」

 

 ん、と少年はそれをセロに受け取るように促した。差し出されるままの手の平から、震える手で指輪を積まんだ姿を確認して、満足そうにうなづいた。

 

「そうだ。ついでにさ、孫の顔見るまで死ぬなって言っといてくれない」

 

 ──そう言ったと思えば、セロが返事を返す前に、少年の姿は溶けて消えた。それきり、二度と彼の声は聞こえてこなかった。

 

「……名前、教えてくださらないと、君からいただいたと申し上げられないではありませんか……」

 

 本当に、言いたいことだけ言って消えてしまった少年に、セロはそっと瞼を閉じた。

 

 


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