白の青年   作:保泉

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第十話 オンドール侯爵邸にて

「ヴァン、セロさん落とさないでね」

「だから大丈夫だって。何回言わせるんだよパンネロ」

 

 ビュエルバのエアポート内を、ヴァンがセロを背負いながら歩く。その横には不安そうにその姿を見るパンネロがいた。

 

「だって、ヴァン前にセロさん背負ったまま転んだじゃない。お酒の瓶踏んで」

「あれは酒場だったからだろ。エアポートでどうやって酒瓶踏むんだよ」

「そうだけど……」

 

 なおも顔を曇らせるパンネロに、ヴァンはむっとした表情を浮かべる。この幼なじみは、ヴァンを年齢よりもずっと下の扱いをする事をやめない。今回もセロを心配しているのは解るが、障害物が転がっていない場所で転ぶほど子供扱いされるのは困る。

 ただでさえ過保護な兄がいるというのに……と、ヴァンは内心でため息をつきたい気分だった。

 

 通路を抜け、ロビーにたどり着く。ヴァンの隣を歩いていたパンネロは、駆け足で前方を歩くバルフレアに声をかけた。

 

「あの、これ――洗っておきました」

「――光栄の至り」

 

 ハンカチを差し出すパンネロ。律儀に洗ってまで返す彼女にバルフレアは微笑み、おどけた様子で一礼する。

 

「俺もあーゆーの、できた方がいいのかな」

「やってみる?向いてないとは思うけれど」

「やっぱり?」

 

 ぼそりと呟いたヴァンの言葉を拾いクスクスと笑うフランに、ヴァンは肩を落とした。

 

 

「殿下、これからのことですが――侯爵の屋敷へ向かいましょう」

「オンドール侯に? でも、あの人は――」

 

 ヴァン達から少し離れた場所で、バッシュはアーシェに提案する。しかし、アーシェの反応は良くなかった。つい数時間前まで彼女にとってバッシュは父の敵であり、アーシェは容赦なく彼の頬を叩いたのだ。アトモスの艇内でバルフレア達から真相を聞かされはした。だがそれが真実と信じきれないほどには、アーシェの憎しみはこの二年の歳月で華奢な身体に収まりきれないほどに増幅されていた。

 オンドール候に対しても、アーシェの自害という誤報を公表された――頼るべき人物に裏切られた気持ちは、未だに彼女の心をくすぶらせている。

 バッシュはそんな彼女の心を察していたが、今はよりべを見つけるべき時と自身の意見を再度告げた。

 

「お会いになるべきです。表向き帝国に従っているように見えても、それは侯爵の本心ではありません。

 こうして殿下をお助けできたのも、侯爵の”助言”があればこそです。――少々、危険な手段ではありましたが」

「自分も同感です。これまで距離を置いてきましたが、もっと早く侯爵を頼っていれば――自分が愚かでした」

「ウォースラ――」

 

 バッシュはルース魔石鉱であったギースとオンドール候の会話を思い出していた。彼は「手綱をつけられるつもりはない」と言っていた――帝国に取り込まれぬように舵をとることが可能な施政者は、世界にどれほど存在するだろうか。

 ウォースラもバッシュの言葉に同意を返す。彼の言葉にアーシェは迷う表情を見せた。

 

「殿下、自分に時間を下さい。我々の力だけでは国を取り戻せません。別の道を探ります。

 自分が戻るまでは、バッシュが護衛をつとめます。まだ彼を疑っておいででしょうが――国を思う志は、自分と変わりません」

「あなたがそこまで言うなら――任せます」

 

 強い視線を向けるウォースラに、アーシェは迷いながらも頷いた。アーシェの了承を得たウォースラは、バッシュを振り返る。

 

「殿下を頼む。オンドール侯爵のもとで待っていてくれ。それと――あの青年のことも」

「ウォースラ、それは――」

「彼は鬼札になりかねん。騒動を防ぐ為にもだ」

 

 言いかけるバッシュを遮るように、ウォースラは続けた。解放軍がセロを確保しているなら、彼の扱いはどうにもできる。それは帝国に身柄があっても同じことだ。旧ナブラディア国民の心は帝国に寄るかもしれないが、王位継承権もないセロは大して民意を集めるとは思えない。

 最悪なのは、ロザリア帝国に浚われること。ナブラディア王族の保護を大義名分に、帝国との間にある国家すべてを巻き込んだ戦争になりかねない。

 ウォースラが危惧していることを理解したバッシュは、反論する事もなく黙り込む。ウォースラは再度頼む、とバッシュに声をかけ、エアポート出口へと歩き始めた。

 

「ヴァン、俺が良いと言うまでセロから離れるなよ」

「……おう」

 

 歩き去るウォースラを見届けながら、バルフレアは厳しい表情でヴァンに言った。

 

 

 オンドール侯爵邸に一行が近づいたとき、警備兵が彼らに気づき声をかけてきた。

 案内を指示されていた警備兵は交代の兵を待ってから、彼らを邸内に誘導していく。

 

「そちらの方に、部屋をご用意いたしましょうか」

「いや、結構」

 

 応接室への道すがら、ヴァンに背負われるセロを見て案内の兵が提案するが、バルフレアは即座に断った。そんな彼の様子を、バッシュがもの言いたげに見つめる。

 

「ヴァン、疲れてない?」

「平気。セロは軽いしな」

 

 応接室の中に入った後、扉が閉められたのを見計らってヴァンがソファーにセロの体を横たえさせた。首を回すヴァンをパンネロが気遣う。

 平気そうな顔をしているが、実際は疲れているのだろう。深々とソファーに座り込むヴァンを見て、バッシュはバルフレアに顔を向ける。

 

「バルフレア、君が危惧することも解るが……やはりちゃんと休ませた方がいいのではないか?」

「まだ交渉も済んでない場所で弱みを晒せってか?生憎、俺はアンタほど侯爵を信用しているわけじゃあないんでね」

「警戒しすぎるということはないわ。彼の容姿ならなおさら、よ」

 

 バッシュの言葉に鼻で笑うバルフレア。フランも同じように続けるのを聞いて、バッシュはようやく首を縦に振った。

 

 

 

 侯爵と面会が可能になったのは太陽が完全に落ちてからだった。オンドール侯爵の執務室にいるのは、アーシェを含めたセロ達一行と、オンドール侯爵のみ。人払いしているのだろう、扉の前にも兵士の姿は少なかった。

 ヴァンが椅子に眠るセロを座らせるのを確認してから、アーシェは口を開いた。

 

「オンドール候、この度はご助力頂き感謝いたします」

「ご無事でなによりです、殿下」

 

 アーシェが一礼すると少し顔を緩めてオンドール侯爵が返答する。小さい頃から彼女を知っている身として、怪我もなく無事だったということはオンドール侯爵にとっても喜ばしいことだった。

 

「まずは体を休めていただきたい――そう申し上げたいのですが、それよりも前に殿下について訊かねばならないことがあります」

「なぜ私が生きているか、ということですね」

 

 オンドール侯爵は、帝国からアーシェ王女が自殺したと報告を受けていた。バッシュについても然り、ただ正当な王女の死となると、そう簡単に虚偽をすることはできない。

「あの調停式の夜――父の死を知ったウォースラは、ラバナスタに戻って、私を脱出させました。

 ヴェインの手が伸びる前に、あなたに保護を求めようと」

「ところが、当の私があなたの自殺を発表――帝国に屈したように見えたでしょうな」

 

 アーシェは視線を伏せ、小さく頷いた。真っ直ぐに正面を見つめ続けていたオンドール侯爵は、そんな彼女に顔を向ける。

 

「あの発表はヴェインの提案でした。当時は向こうの意図をつかめぬまま、やむなく受け入れましたが――狙いは、我らの分断であったか」

「でも、もうそれも終わりです。私たちは真実を知りました……私に力を貸してください。ともにヴェインを!」

 

 帝国の分断の策は破れ、今こうしてアーシェはオンドール侯爵の前にいる。後は互いに手を取り合うだけだとアーシェは意気込んで訴える。

 侯爵は一つ息を吐いた後、ゆっくりと椅子から立ち上がった。静かな視線がアーシェを貫き、彼女も怯むことなくそれを受け止める。

 

「抱っこをせがんだ小さなアーシェは――もういないのだな。殿下は大人になられた」

「それでは、おじさま――」

 

 しみじみと、ただ少し嬉しそうに侯爵は呟く。その言葉にアーシェが喜色ばむが、侯爵は視線を逸らし執務机から離れて歩き出した。

 

「しかし仮にヴェインを倒せたとして、その後は? 王国を再興しようにも、王家の証は奪われました。あれがなければ、ブルオミシェイスの大僧正は殿下を王位継承者とは認めんでしょう」

 

 それは、アーシェをもう子供ではないと認識したからこその、保護者ではなく、一つの都市の指導者としての言葉だった。アーシェは侯爵の言葉に何も言い返せず、息を飲む。

 

「王家の証を持たない殿下に、今できることは何ひとつございません。しかるべき時まで、ビュエルバで保護いたします」

「そんな……できません!」

「では今の殿下に何ができると?」

「……おじさま――」

 

 何もせずただ待つだけなど、アーシェには耐えられない。人任せにしないというのは人としては美点だが、国を任された者としては物事の流れを見て、時期を待つことも必要だ。

 唯一残された王族の彼女が自身を省みず行動する――それは帝国はもとより、ロザリアまでも不用意に刺激することになるだろう。

 そしてその先に待ち受けているのは、近隣諸国すべてを巻き込んだ戦争だった。セロに起こる可能性は、そのままアーシェにも降り懸かる。

 

 言葉を失って俯くアーシェを見ていたバルフレアだが、それ以上言葉が続かないことを確認して侯爵に声をかけた。

 

「それはそうと、王女様を助けた謝礼はあんたに請求すりゃあいいのか?

 まずは食事だ、最高級のやつをな」

「用意させよう。少々時間がかかるが?」

「だったらそれまで風呂にでも入るさ。いくらか冷や汗かかされたからな。

 おう、あとは着替えもいるな」

 

 バルフレアとオンドール侯爵が話をしている横を、アーシェが俯きながら歩いていく。どこか思い詰めた様子にヴァンがその背を目で追う。

 

「ヴァン、行くぞ」

「あ、うん」

 

 話が終わったのか、バルフレアがヴァンの肩を叩いて促す。連れだって四人が部屋を出て行くのを見送って、一人残ったバッシュにオンドール侯爵は向き直る。

 

「ローゼンバーグ将軍。貴殿に尋ねたいことがあるのだが」

「――白い髪の青年のことでしょうか」

「察していたか」

 

 バッシュはオンドール侯爵の視線が時折セロに向けられていることに気づいていた。侯爵はどこか懐かしそうに、ヴァンに背負われて部屋を出ていった、セロの姿を思い浮かべる。

 

「彼は若き頃のナブラディア王に瓜二つ。貴殿が側にいるのもそのためだと思っていたが……違うようだな」

「ええ、彼はダルマスカの民です」

「ダルマスカの、か」

 

 実際にセロに問いたださない以上、真実は解らない。だがヴァンと出会ってから、セロは彼らの家族として生活していた。巻き込み、巻き込まれた関係ではあるが、バッシュはできる限りセロ達を政争に関わらせたくはなかった。

 

「今までアズラス将軍が彼に気づかなかったことは気にかかるが――貴殿がそう言うのならば私も触れるまい。必要ならば保護もしよう、部屋でゆっくり休ませるといい」

「――感謝を」

 

 

 

 *

 

 

 

 ヴァンが格納庫に足を運んだのは偶然だった。飛空挺が好きな彼は、パンネロにセロを任せて格納庫からシュトラールを眺めていた。

 そのうち中も見たくなり、こっそりと入り込んだヴァンの耳に届いたのは、なにやらカチャカチャという音。コクピットをのぞき込んでみれば、肩だけだが見覚えのある人影がある。

「何やってんだよ。これ、バルフレアの飛空艇(ふね)だぞ」

 

 声を掛けられたアーシェは肩を振るわせて操作をする手を止める。ちらりと振り向いた彼女の顔は、強ばっているが少しの罪悪感がヴァンには見て取れた。

 

「『暁の断片』を取りに行くの。もうひとつの王家の証……在り処は知ってるから。

 ――飛空艇は後で返すわ」

「なんだよソレ!」

「私はやらなきゃいけないのよ! 死んでいった者たちのためにも! なのに、隠れていろなんて!

 ――ひとりで戦う覚悟はあるわ」

「ひとりって――バッシュは!」

 

 アーシェの言葉にヴァンは声を荒げた。目の前の人間は、まだバッシュを信じていない。そう考えただけでヴァンの目の前は真っ赤になった。

 ひとりでどうにかなる問題ではないということは、政治に疎いヴァンも解っている。アーシェも焦っていることも理解している。だが、ヴァンは自分の手に負えない問題は、ミゲロやセロに相談していた。そうすることで、自分にはない視点で解決することができることを、セロに教わっていたからだ。

 それなのに、目の前の王女は頼った侯爵に相談もせずに自殺行為をしている。ヴァンは溢れそうになる怒りを拳を握りしめて押し止めた。

 

「だいたい人の飛空艇(ふね)を勝手に――王女のくせになんだよ、お前!」

「『お前』はやめて!」

「――それぐらいになさい、殿下」

 

 もはや互いに興奮状態に陥り、物理的にぶつかるのも時間の問題だったそのとき、オンドール候の静かな声が機内に響いた。

 驚いた二人が振り返ると、バルフレアがコクピットの入り口にもたれ掛かりながら立っていた。その手には今し方オンドール候の声を出したのだろう、変声機を持っている。

 

「――なんてな。驚いたろ?」

 

 バルフレアは二人から視線を外して、変声機を片手で操作している。

 

「仕事がらこういうのがあると何かと便利でね。――『お前』はやめて」

 

 アーシェの声を使って、セリフを真似するバルフレアは小さく笑みを浮かべる。しかし、その目は全く笑っておらず、ヴァンは彼が怒っていることに気づいた。

 

「侯爵に引き渡す」

「待ってください!」

「その方があんたのためだ」

 

 引き留めるアーシェの声に振り返りもせず、バルフレアはゆっくりとコクピットから出ていく。焦りの表情を浮かべたアーシェは、彼らを巻き込む言葉を発した。

 

「では――誘拐してください! あなた空賊なんでしょう!? 盗んでください! 私を、ここから!」

「オレに何の得がある」

「覇王の財宝……『暁の断片』があるのは、レイスウォール王の墓所なんです」

「あのレイスウォールか?」

 

 嫌そうに聞いていたバルフレアは、アーシェから出た言葉に振り返り口笛を吹いた。

 覇王レイスウォール。今から七百年ほど前の古代ガルテア時代末期において、イヴァリース全土を一代で統一した覇王がいた。その後四百年続くガルテア連邦を樹立した彼の覇王の墓と考えると、空賊であるバルフレアの興味を引くのに十分だった。

 

「そしてきみにかかる賞金も跳ね上がる。なにしろ王族の誘拐となれば重罪だ」

「煽った家来も同罪だろうなぁ」

 

 コクピットに入ってきたバッシュの言葉に悪態をつくバルフレア。バッシュはそのままアーシェの前まで歩いていく。二人の視線が交差する。

 

「ウォースラに代わり同行します」

 

 真っ直ぐアーシェを見つめるバッシュに、彼女は小さくだが頷いた。アーシェはまだ彼を信じられなかったが、今は何よりも戦力が必要と拒む言葉を飲み込んだ。

 

「ヴァンたちはどうするの? セロもいるし、ここに残る?」

「ちなみにセロを連れていくのは却下だ。行き先は砂漠でしかも墓所ときた。全員で自殺しに行くようなもんだ」

「セロのことは侯爵にも話している。ここに残っても――彼共々保護してくれるだろう」

 

 フランやバルフレア、バッシュの言葉に思案するヴァンだったが、しっかりとフランの目を見据えた。

 

「――行くよ。セロは気になるけど、俺も、行きたい」

 

 ヴァンなりに、王女につき合わされるバルフレア達が心配だった。それに、彼らには何度も助けて貰った恩がある。戦力くらいにはなるだろうと、彼はついていくことを決めた。

 

「じゃあ私も! ヴァンだけだと、心配」

「あのなぁ」

「セロさんなら、きっとヴァンと一緒に行けっていうもの」

 

 パンネロもヴァンの考えはわかっている。きっと彼はついていくだろうとも思っていた。恩を返したいのは彼女も同じで、無茶をしがちなヴァンが心配なのも本当だった。

 

「決まりね。侯爵に気づかれる前に発ちましょう――誘拐犯らしく、ね」

 

 フランの言葉に全員が頷き、出発の準備を始めていった。

 

 

 


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