翌日。
先生に資料運びの手伝いを頼まれた私は、それなりのサイズのダンボールを抱えて普段であればあまり通りかかることのない三年生の教室の近くを歩いていた。
すると、前方からひどくアンニュイな表情を浮かべた江利子さまが歩いてくるのが見える。
「ごきげんよう、江利子さま」
「ごきげんよう。……ねえ、綾ちゃん」
「何でしょうか」
挨拶をした私は、彼女に呼び止められる。
休み時間はまだ残っているので、私はその場に立ち止まった。
「あなたは頭の回転がとても速いわ。でも、どんな天才でも必要な情報が足りなければ、決して真実には辿り着けないと思わないかしら」
「……どういった意味でしょう」
「ヒントはたくさんあるでしょうから、自分で考えなさい。私はもう行くわ」
すると、さらりと不穏なことを口にする江利子さま。
追及しようとするが、彼女が立ち去ってしまったことでその機を逸してしまう。
仕方なく、そのまま元通り歩き始める私。
江利子さまの言葉通り、必要な情報が足りないこともあって、その意味深な台詞の意味は分からなかった。
先生から日直の仕事を任された私と由乃さんは、それを終わらせた後に連れ立って昨日約束した通り薔薇の館へと向かう。
そして階段を上り、例の茶色の扉の前に立つ私と由乃さん。
ノックをした後扉を開けると、室内には既に五人の少女が揃っていた。
今の三薔薇ファミリーは六人だそうなので、つまり由乃さんを除いた全員である。
三薔薇さまと、そして面識のない少女が二人。
「ようこそ、薔薇の館へ。歓迎するわ、綾ちゃん」
「お招きいただきありがとうございます。岸本綾です。微力ですが、励ませていただきます」
蓉子さまは、入ってきた私にそう告げる。
恐らくは彼女らが、つぼみと呼ばれる薔薇さまの妹なのだろう。
面識のない方が二人いるので、私は彼女らに向けて改めて自己紹介をした。
「ああ、外部入学生の綾ちゃんは二年生のことは知らないのね。祥子、令ちゃん、自己紹介をお願い」
「小笠原祥子です。どうぞよろしく」
「支倉令です。黄薔薇のつぼみで、由乃の姉をしています。あなたのことは由乃から聞いているわ。よろしくね、綾ちゃん」
蓉子さまに促されて、名前を名乗るお二方。
祥子さまのことは、イギリス暮らしが長かった私ですら知っているあの小笠原グループの令嬢だということで、噂としてであるが耳にしたことがあった。
腰まで伸ばされた長く艶やかな黒髪に、芯の強さと凛々しさをはっきりと纏わせた美しい顔立ち。
すらりと背が高くスタイルのいい彼女は、知らぬ者のいない名家の令嬢であることもあってか、一学年上である三薔薇さまにも負けないほどの華を既に身につけていて、物腰や口調にも気品が宿っている。
これが初対面であるが、祥子さまからはまさに完全無欠なお嬢様という印象を受けた。
そして、祥子さまに続いて自己紹介をしたのが令さまだった。
女性としてはそれなりに背が高い方である祥子さまと比べても更に背が高く、身長は百七十六センチある私とほとんど変わらないだろう。
顔立ちは整ってはいるがかなり男性的であり、もしもここがリリアンでなかったら、そしてリリアンの制服を着ていなかったならば、凛々しい美少年であると勘違いしてしまったかもしれない。
まだリリアンに来て間もない私はこの方のことは知らなかったが、いつも由乃さんが誇らしげに語っている姉というのはこの方のことであるらしい。
何でも、剣道場である実家の影響で幼い頃から剣道をしている彼女はまだ二年生であるが剣道部のエースであり、かなり強いのだとか。
そんな彼女は、私を見ても特に表情を変えなかった祥子さまとは裏腹に、こちらに微笑みかけてくれた。
「では、空いている場所に座ってね。由乃ちゃん、綾ちゃんにお茶をお願い」
「はい、蓉子さま」
「あの、私が淹れますが」
「いいのよ、あなたはお客さんなのだから、座っていて」
自己紹介が終わったのを見計らうと、蓉子さまが私に席に座るよう促し、そして由乃さんにお茶を入れるように言う。
入学式前の打ち合わせの時にも感じたが、対等な三人の生徒会長という立場の三薔薇さまの中でも、やはり山百合会を実質的に指揮して動かしているのは彼女であるようだ。
一年生であるのは同じなので昨日と同じように由乃さんを手伝おうとする私であるが、それは蓉子さまに止められてしまう。
動くタイミングを失い、結局私は勧められるままに席に腰を下ろす。
「どうぞ」
「ありがとう、由乃さん」
少しすると、由乃さんが淹れてくれた温かい紅茶の入ったカップが私の前に置かれる。
私が彼女にお礼を言うと、彼女も席に着いた。
「綾ちゃんが来たから改めて詳しく説明するわね。山百合会は三薔薇とそのつぼみ、つぼみの妹で仕事をしているのだけど、新年度になったばかりのこの時期は仕事は多いけれどまだつぼみの妹があまりいない分、人手が足りずにとても多忙になってしまうの。だから、姉妹の申し込みが多くて大変そうな新入生を助けるためにも、毎年そうした子に手伝いをお願いしているのよ。もちろん毎日来なさいとは言わないし、部活に入るつもりならそちらを優先しても構わないわ。来られる時に手伝いに来てくれればいいの」
全員が席に着くと、紅薔薇さまが私を呼んだ理由についての説明を始める。
既に説明されている私に対してというより、その場にいなかった聖さまと祥子さまと令さまへの状況説明という意味合いの方が濃いのだろう。
やはりというべきか、彼女の口から語られたのは私が当初予想していた通りの理由だった。
とはいえ、昼間の江利子さまの言葉からするに私が呼ばれたのには他にも何か裏があるようなのだが。
まさか面と向かって尋ねる訳にもいかないし、それを探り出すためにはまだ判断材料が圧倒的に不足している。
「まだ右も左も分からない私がどれくらいお役に立てるかは分かりませんが、頑張ります」
とはいえ、こうして薔薇の館を訪れたからには、初めからそれに否やはない。
私は蓉子さまの言葉に頷いた。
「ありがとう。では、あなたにしてほしいことを説明するわね」
私の返事に微笑みを浮かべた蓉子さまは、そう言って仕事の内容の説明を始める。
さすがというべきか、その説明はとても分かりやすく、部外者であり全く勝手が分からないにもかかわらず何をすべきかをすぐに理解することができた。
山積みになった大量の書類が私も含めた七人にそれぞれ分配されていき、私はさっそく自分の分の書類を処理していく。
こうして私は、山百合会の手伝いをすることとなった。