月と薔薇   作:夕音

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 翌日。

 リリアンに入学して最初の休日である今日、けれども私は朝から強烈な筋肉痛に襲われていた。

 理由は言うまでもないだろう、昨日の令さまとの立ち合いである。

 勝機が薄いなりにどうにか一本を取ろうと、普段フェンシングではしない動きを何度も繰り返した私の筋肉は悲鳴を上げていた。

 だが、だからと言って貴重な休日をベッドで横になって過ごすのはいささか勿体ない。

 手足に何枚も湿布を貼った私は、私服を着込んで街に出かけることにした。

 私服とは言っても、この身長なのでスカートが似合わない私は学校以外ではジーンズを履いていることが多い。

 ジーンズにシャツ、スニーカーという私の格好は、むしろ少女というより少年のそれに近いのではないだろうか。

 ここから一番近い繁華街といえば、最寄り駅から電車で一駅のK駅である。

 私はリリアン生が最も通学に利用するM駅にまで自転車に乗って向かうと、駅前の駐輪場に停めて、電車に乗り込む。

 その道中では、部活に行くらしいリリアン生の姿がちらほらと見受けられた。

 電車に揺られるとは言っても、一駅程度であればほんのわずかな時間である。

 あっという間にK駅に着いた私は、流れているアナウンスを聞きながらホームに降り、改札をくぐった。

 この時代、日本はヴィジュアル系ブームの真っただ中である。

 街頭にある巨大なディスプレイでは派手に化粧をして着飾ったバンドのプロモーションビデオが映され、曲が流れていた。

 特に予定がある訳でも、目的がある訳でもない。

 なんとなく買い物に出てきただけの私が、大音量で街中に流れている音楽を耳にしながらこれかはどうしようかなどと考えていると、ふと少し離れた場所でリリアンの制服を着た少女が誰かと揉めているのを見つける。

 よく見ると、それは髪を短く切り揃えた少女、白薔薇さまである聖さまだった。

 とりあえずそちらに近付いてみると、どうやら彼女は強引なナンパか何かに遭っているらしい。

 面倒そうにあしらっている聖さまだが、男二人組がしつこく纏わりついている。

 

「やめろ、彼女が困っているだろう」

 

 同じリリアンの先輩が困っているのを見ていられず、間に割り込んだ私は聖さまの肩を抱き寄せるようにして距離を取らせる。

 この手の人間には、女性らしい口調で何かを言っても逆効果だ。

 肩を抱き寄せた非礼は後で詫びるとして、初めから強い口調で相手を咎める。

 聖さまは突然のことで初めは戸惑ったようだが、どうやら割って入ったのが私であることに気付いたらしく、私の腕の中でじっとしていてくれる。

 

「ああ? 何だよあんたは」

「よく見たら君も可愛いじゃん。一緒に遊ぼうぜ」

 

 けれども、私の言葉が彼らに届くことはない。

 馴れ馴れしく肩に手をかけようとしてきたのを振り払った私は聖さまの前に出ると、そのまま近い側にいた男の両足の間を全力で蹴り上げる。

 昨日酷使したばかりの太ももの筋肉からの痛みが走るのを感じながらも蹴りを命中させた私は、そのまま足を一度戻すと、蹴られた場所を手で抑えて前かがみになっている相手の後頭部を両手で掴んで引き寄せながら膝を振り上げた。

 すると私の膝が顎に入り、それによって気絶したらしい男は私が頭から手を離すと支えを失って崩れ落ちる。

 

「あなたもこうなりたいの?」

 

 そして私がもう一人の男へと向けて尋ねると、ひどく怯えた様子の彼は仲間を置いて逃げ出していく。

 仲間を見捨てるとは、まったく薄情な人間だ。

 リリアンの制服を着ている少女に強引に声をかけていたということは、相手が穏やかで育ちのいいお嬢様であることを知っていて声をかけたということである。

 悪質にも程があるというもので極めて不快であるし、また懲りずに誰かに声をかけるかもしれない危険性を考えれば、これくらいの灸を据えておくことは必要だろう。

 

「勝手に抱き寄せてしまい、申し訳ありませんでした。非礼をどうかお許しください」

 

 そして私は、振り返ると聖さまに頭を下げる。

 非常時とはいえ、非礼をしてしまったことは謝らなければならない。

 

「いいよ。あいつら、しつこかったから。ありがとう」

 

 微笑みを浮かべた彼女は、私の行為を許してくれる。

 何気に、不機嫌でも憂鬱でもないこの方の表情を見るのはこれが初めてだ。

 聖さまの彫りが深い美しく整った顔立ちに浮かんだ笑みに、私は思わず見惚れてしまう。

 

「私こそ、お許しくださりありがとうございます。もし構わなければ、場所を変えませんか?」

 

 彼女の笑顔は誰もが目を奪われてしまうようなものだったが、あまり見惚れてばかりもいられない。

 今しがた男を叩きのめしたことで、人目が集まっている。

 私だけならともかく、聖さまをそれに晒してしまうのは申し訳ないので、場所を変えようと提案した。

 

「そうね。少し煩わしいわ」

 

 それは彼女にとっても不愉快なものであるようで、私の提案に同意が返される。

 そうして私たちは、連れ立ってその場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私や令さまのように抜きん出て、という訳ではないが、聖さまもまたそれなりに女性としては背が高い方である。

 百七十センチには満たないだろうが、それに近いくらいの身長はあるのではないだろうか。

 なので並んで歩いていても、さほど違和感を覚えることがない。

 少し一緒に歩いた私たちは、おしゃれなカフェを見つけてそこに入る。

 窓際の席に通されると、それぞれ飲みたいものを注文した。

 私は紅茶、聖さまはエスプレッソ。

 イギリスなら私の年齢でも少量ならアルコールを注文できるため癖でついワインを頼みそうになり、ここが日本であることを思い出して慌てて思い留まった。

 ついでに、時間が昼下がりということもあり、お昼も兼ねて軽いものも注文する。

 ウエイトレスの女性が離れていくと、メニューを置いた私たちは顔を見合わせた。

 

「今日は何しに来たの?」

「特にすることも無かったので、家でゆっくりしているよりは外に出かけようかと。白薔薇さまは?」

「私は一年生歓迎式の打ち合わせでリリアンに行った帰り」

「一年生歓迎式ですか。私は白薔薇さまのアシスタントを頼むかもしれないと紅薔薇さまに言われているのですが」

 

 最初に薔薇の館に呼び出された時の、蓉子さまの言葉を思い出す私。

 何でも、リリアンには来月の半ばにマリア祭というイベントがあり、その時に山百合会主催の新入生歓迎会をするそうなのだ。

 

「それはあなたに山百合会を手伝わせるための方便じゃないの? あなたも新入生なんだから、本番で手伝いなんてさせられないでしょう。私は同級生に頼むつもり」

「そういえばそうですね」

 

 言われてみれば、確かに新入生の私が新入生歓迎会の運営を手伝うというのは何ともおかしな話だ。

 蓉子さまがおっしゃったのは、本当に単なる物の例えとしてだったのだろう。

 そして、普段不機嫌さや億劫さを隠そうともしない聖さまだが、既にしっかりと自らの友人に手伝いを頼む算段をつけている辺り、この方もやはり薔薇さまのお一人なのだということを実感する。

 

「あなたを引き込んだのは、蓉子らしい気配りだと思うけどね。けど、彼女の企みは無駄になるんじゃないかな」

「紅薔薇さまの企みというと、私をどなたかと姉妹にという」

「知ってたの?」

 

 私が三奈子さまに伺ったことを口にすると、聖さまは少し驚いたように尋ね返してくる。

 全く否定をしない辺り、それは正しかったらしい。

 

「三奈子さまのインタビューをお受けした時に伺いました。例年、薔薇さま方が目をつけた新入生は山百合会のお手伝いに誘われるのだとか」

「ええ。一昨年の蓉子と江利子も、去年の祥子もそうだったわ。祥子はその頃習い事で忙しすぎて手伝いを断ったらしいけど。でも、私はあなたとは友人にはなれると思うし、それは祥子とも同じなのではないかしら」

 

 友人にはなれる。

 それは裏を返せば、友人以上の関係、すなわち姉妹にはなれないだろうという意味だとはっきり分かった。

 婉曲に、この方は期待しないようにと私に告げているのだ。

 薔薇の館ではいつも気軽に話しかけられることを拒むような雰囲気を纏っておられたので、まさかこうして腹を割った話ができるとは思わなかった。

 

「姉妹とは何かと理解するところから始めなければならない私には、何も申し上げられません」

「姉妹、ね。妹のいない私には何もアドバイスできないわ。ごめんなさいね」

 

 何かを思い出したのか、一瞬遠い目をして切ない表情を浮かべた聖さまは、けれどもすぐに視線を私に戻すと、皮肉げな笑みを浮かべた。

 

「いえ、私が自分で気付くべきことでしょうから」

 

 私がそう言葉を返すと、そのタイミングで頼んでいた料理が届けられる。

 聖さまは軽くトースト一枚。

 それに対して私は、ハンバーグ定食とライスだった。

 

「軽くって言ってたけど、よく食べるね」

「これくらいは食べないと身体がもたないので」

 

 ただでさえ背が高く、またフェンシングのために鍛えてきた身体は、これくらい食べなくては維持することが難しい。

 イギリスにいる時から周りにいる女友達より普段でもずっと多く食べていたし、ましてや試合があった日の夜などはお腹が空いているので運動部の男の子と変わらないくらいの量を食べることも珍しくなかった。

 きっと、私基準の「軽く」はリリアン生にとっては「かなり多く」になるのだろう。

 

「ふうん。ハンバーグ、一口いい?」

「はい、どうぞ」

 

 頷いた私は、トーストを頼んだ聖さまの方にはフォークが付いてきていないので、自分のフォークに一口分切ったハンバーグを刺し、肉汁が下に垂れないよう左手を下に添えつつそれを彼女へと差し出す。

 そして、聖さまは艶やかな唇をそっと開くと、そのままハンバーグを口にした。

 開かれた唇の奥に鮮やかに紅い色の舌が覗き、私はどきりとさせられる。

 

「ありがと」

 

 ハンバーグを飲み込んだ彼女は微笑んで私に言うと、トーストを一口齧った。

 美しい先輩を目の前にして密かに胸の高鳴りを感じていた私は、焼かれたパンの立てるさくさくという音で我に返ると、自らの分のメニューを食べ始める。

 時折飲み物を口に運びながら、互いの皿が空になるまで二人の時間は続いた。

 

 お互い食べ終えると、自ずと立ち上がって会計をすることになる。

 伝票を手に立ち上がった私だが、それはレジに着くまでの間に、さりげない手つきで聖さまに奪われてしまう。

 そして、彼女は鞄の中から財布を取り出す。

 

「あの」

「いいから。私が出すよ」

「いえ、それは申し訳ないので。せめて自分の分くらいは」

「綾には助けてもらった借りがあるから。それを返すってことでどう?」

「……分かりました」

 

 戸惑いながらも声をかけた私だが、けれどもそう言われてしまえば引き下がらざるを得ない。

 申し訳なさを感じつつも、私は大人しく引き下がる。

 

「私はもう帰るよ。今日はありがと」

「私こそ、白薔薇さまとゆっくりお話できて楽しかったです」

 

 クールだがある程度の気さくさも持っている蓉子さまや江利子さまと違い、これまではせいぜい挨拶くらいしか交わしたことが無かった聖さまと会話をすることができたのは、とても楽しかった。

 ――それに、この方の笑顔を見ることもできたし。

 私の自惚れでなければ、私たちは友人になれたのではないだろうかと思う。

 そして私たちは別れの言葉を伝え合い、その場を後にした。


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