まあつまり、篠ノ之箒という少女は思春期特有の衝動を持て余していたのだ。彼女の心の中にあるのはただこれだけ。『姉のようにはなりたくない』
反面教師としてこれほど教材になる人間はいないだろうと姉について考えつつ自室の扉を開く。剣道部に忘れ物をしたのを思い出したからだった。
「ん?」
そして、奇妙な人影に出会った。
「うう……いちかぁ……」
「うわぁ」
日に日に元気が無くなっていった姉弟子、織斑千冬の変わり果てた姿がそこにはあった。思わず変な声が出てしまった口を両の手で抑えた後に箒は彼女にどうしたのか、と尋ねた。
「いちかのごはん、ごはん……」
黙って頭を横に振った。これはもうだめみたいですね、と。
というわけで千冬さんを拾ってきた、と箒は言った。いや、どういうわけなんですかねえ。
今日は金曜日、平日最後の日である。一年生たちは学校はじめての休みということで仲良くなれた友人たちと遊びに行く予定を教室で話していたり、部活に思いを馳せたりしていたのだったのだが。しかしこの俺は今週彼女たちと同じように遊ぶわけにはいかなかった。
日曜には『白式』届くから、いきなりの束さんからの伝言である。明日から受け入れ準備やらファーストシフトやらその他諸々、更に月曜日の試合への仕上げとやること盛り沢山だ。というのに
「ご飯作ってくれ」
と千冬姉さんに言われたのだ。まあ先週まで毎日やってたことだし別に良いんだけれど。
「なんかな、ここの食事も美味しいんだが物足りないのだ。モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ」
「おい一夏、千冬さんが壊れたぞ」
「おう、なんかまずいぞ色々と。まずい」
なんかどっかの孤独にグルメを楽しむサラリーマンの顔が千冬姉さんの背後に浮かんで消えた。
日に日に元気を失っていく千冬姉さんをどうしたのだろうかと思って見ていたのだがここまで深刻だったとは、学園の食事が合わないだけでこれだけ辛いものなのか。
前世でこういう話を聞いたことがある。メシウマ嫁の飯食っていたらジャンクフードを食べると舌が痛くなり体調がおかしくなるようになった、というものだ。千冬姉さんの今の状態はこれに近いのだろうか。自身の健康のためにもバランスの良い食事、調味料を過度に使わないといったことを気にかけていたのだがそれのせいで千冬姉さんの味覚が変化したのだろう。
なにせ、俺が包丁を持つのを許された時からほとんど俺の作ったご飯しか食べていなかったのだから。十年くらいも続いていれば慣れてしまうのも仕方ない、かなあ?
「味とか合わなかったのかな、ここの」
「いや違う味は美味いのだが――愛情がない」
なに言ってるんだ。
「お前の私への愛と、私のお前への愛。その2つが料理をさらなる次元へと――」
「はいはい千冬姉さん寝ようね」
とりあえずベッドに押し込んでみた。するとうへへと笑って眠りに落ちていった。俺と箒は顔を一瞬見合わせた後、黙って頭を横に振ることしかできなかった。
「え、じゃあお休み」
「……どこで寝るんだ」
「無駄にベッド広いし千冬姉さんと寝るよ」
ああでも枕が無いか。
「うらやましい」
「ん、箒も束さんと寝たいの?」
「いいいいやそうじゃない! というか聞こえていたのか今の……」
千冬姉さんも寂しいのだろうか、今までずっと一緒だった肉親と離れてしまって。親の愛を受けずに育ったから弟に依存して依存されて、その対象が近くにいるけれども学校では他人行儀で接せられて。
俺は箒がいるからそこまででもないけれども一人の部屋で気が滅入ったのかもしれない。千冬姉さんは確かに姉さんで尊敬しているけれども甘える事を知らないから、それは絶対悲しいことだ。
弟で、そしてこの世界では男という守られる側の存在だけれど。だからこそ世間一般で無償の愛の象徴である『父性』に包まれる喜びを彼女に教えてあげたい。いつか、彼女が甘えられる男性が現れてくることを祈りつつ、俺は千冬姉さんの頭を優しく抱いて瞳を閉じた。
翌朝、起き上がるとそこには先日までとはうってかわってハツラツとした姉の姿があった。
「久しぶりに深く眠れた気がする」
「そうか、よかったね千冬姉さん」
俺は朝食を作り二人とともに食べた。千冬姉さんがそうだこの味だ私が欲しかったのはと呟きながら味噌汁を飲む横で、箒が言う。
「まあ確かに食堂のものとは格別だな」
自分では出汁とかの違いかなとしか思えなかったのだが、今後のためにとどういった違いかを聞き出そうとしたのだが教えてくれなかった。
「それよりも一夏、どうして味噌などもっていたんだ? 自炊する必要が無いというのに」
「いや、その。なんか手元に食材が無いとなんかちょっと不安なんだよ」
主に小腹が空いたとき用。
さて、食事も済み千冬姉さんは自室に戻って、俺らはISの訓練をした。歩行、飛行、回避、武装展開。一週間で鍛えられたこれがいいペースだったか比較対象がいないからなんとも言えないのだけれども、確実に成長したということは言える。これで一方的にやられて負けることはないと箒に言われはしたが、さてどうだろうか。
夜、廊下を歩いていたら金髪ロールが近づいてきた。そう、オルコットさんだ。
「あら一夏さん、こんばんは」
「おう、月が綺麗な夜だ」
「……私は『死んでもいい』と返してよろしいのでして?」
「よく勉強してる」
苦笑する。日本語と共に文学も勉強しているのか、外国の日本語教育について少ししれた気がする。
もちろん彼女に対してそういった意味で言ったわけではなく、文字通りに綺麗な夜空だったのだ。ここIS学園は都会から離れたところにあるせいか空気が澄んでいる気がする。また今日は雲一つない天体観測日和。
「どうです、自信の程は」
「俺が守られるだけの男じゃない、ってことは証明できるはずだ」
「ふふ、楽しみですわ。ではまた後日お会いしましょう王子様」
スカートを引っ張って一礼、去っていった。
そして翌日、それは届いた。
純白が俺たちの目の前に広がる。持ってきた人物はそれが格納されたコンテナの上で腕を組みこちらを見下ろしていた。逆光で表情が見えなかったがどういう顔をしているのかはたやすく想像できた。自信満々な笑み、それを浮かべているであろう篠ノ之束はその人間ふたつ分ほど高い位置から俺らを見下ろしていた。
「約束のちょうど五分前さ。さあ! いっくん、これを身に纏うのだ!!」
フハハハと高笑いする束さんに頭痛を覚えたのか、千冬姉さんは眉間を指で揉んでいる。千冬姉さんのいる方向と逆の左に目を向けると、もう20を超えたというのに痛々しい行動を繰り返す自らの姉に呆れ返り大きくため息をついた箒がいた。
うん、とりあえず言っておくべきだろう。
「あの、束さん。時間丁度に指定した場所にきちんと来るのは良いんですけど、クレーターを作るのはやめてもらえます?」
IS学園のグラウンドに大きなクレーターが発生してしまっていた。加えて日曜朝に響いていいものじゃない轟音までついでに鳴らして。
だれか常識をこの人に教えて理解させてくれ、と俺は切実に願った。